2022年07月31日

No.790:お酒がやめられませんし、量も減りません

 お酒に対する強さというのは若い頃は並であったし、晩酌もたまにする程度で今のように毎晩という訳ではなかったが、今では飲まない日はほとんどなく、たぶん一年のうち360日くらいは飲んでいると思う。
 家で飲むお酒もいいが外出時や旅先で飲むお酒はまた格別のものである。
 お酒に関して舌が肥えているとか、通というようなものではないので、日本酒にしろワインにしろ決して味が分かるほうではないし、お酒ならビールに始まり、日本酒、焼酎、酎ハイ、洋酒、それにワインまで何でもござれであるが、家で洋酒を飲むことは少ないし、ワインに至ってはお客様でもない限り飲む機会はほとんどない。
 以前はカミさんも結構飲んでいたが、10年以上前に一時体調が良くない時期があり(今では元気であるが)、その頃からからほとんど飲まなくなり、今ではノンアルコールビール以外口にしたのを見たことがない。まあ、外出時には車を運転してくれるので、私にとっては好都合であるが。
 私のお酒の飲み方には、決して決まったパターンがあるわけではないので、その日の体調や飲む時間帯、それに料理の内容によってお酒の種類は様々である。
 父の日に子供たちからいただくものも年に一、二度帰省する息子たちのお土産もお酒が増えたように思うし、1ヶ月から2ヶ月に1回程度やってくる娘は、嫁ぎ先が和歌山なので、最近では必ずと言っていい程、和歌山ならこれやろ と言わんばかりに特産の梅酒を持ってきてくれる。
私にこだわりがない分、手土産として持ってくる方も「なんでも飲むので、お酒ならいいか」と気軽に持ってこれるのであろう。
 一応言っときますが、一度たりとも「酒 持ってきて」なんて言ってませんしね。
 もし 私がお酒に関して通なら、どこどこのお酒とか何年もののワインなど選ぶ方も気を使うだろうし、費用もかさむであろうが、私には全くこだわりはないので、アルコールが入っていればそれだけで満足である。

 こだわりではないが、勝手に楽しんでいるのがお酒の産地である。
 ただ、これは飲む前にお酒の産地をみて、勝手に旅に出ているような気分に浸っているだけのことであるし、コロナでなかなか旅行に行けない分、こんなことで気分を紛らわせてところもある。
 長崎 壱岐の麦焼酎、新潟県魚沼の日本酒、旭川や富士山麓 御殿場の地ビールはもはや定番になりつつある。
 こんな気分で飲んでいると 今まで行ったことがないのに 地図上のその地にいるような気分でお酒を味わうのも酒飲みならではのことである。
 こんな状態なので私の食卓の横の棚には全国各地のお酒が並んでいるので、お酒の種類ではなく、「今日は東北」と産地を先に決めることもある。
 アル中なんていう怖い病気もあるくらいで、癖になると怖いのでほどほどにしておかないといけないが、正直 以前と比べればお酒が強くなったと感じるは事実である。
 好きとはいえ いくら飲んでもいいというのではなく、まず 休日であっても昼は絶対に飲まないし(当然か)、夜も一定の時間以降は飲まないと決めているが、結構飲むペースが速いので、夕食が早く9時前に食べ出した時は、11時前にはそのまま食卓に伏し寝て居眠っている時がある。
 我が家はこういった場合でも、「そろそそ自分の部屋で寝たら」というような声は掛けないことになっているので、ふと目を覚ませば 食卓で夜中の2時なんていう日もたまにあり、慌てて自分のベッドに駆け込むこともある。

 お酒に関する今の悩みは、お酒の量がだんだん増えてきていることであるが、周りにいるみんながこれほど奨励し? 持ってきてくれるので酒飲みになるのもやむを得ないと勝手に納得してしまっている。
 ちなみに今日はまずはビールが終わり、次に何にいこうかと考えている中休みの途中であるが、定番の麦焼酎 中々くらいがちょうどいいかなと考えているところである。
 では、まずは氷を取りに行ってきます。
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2022年07月24日

No.789:「遠慮なく顧問料を元に戻してください、もう大丈夫です。」

 先週の勇気づけられた言葉に引き続き、今週もうれしかった一言ということで、観光客や修学旅行先生を対象としたアクセサリーや小さな置物の製作・販売 それにその場で製作の体験教室をされている顧問先との会話を取り上げます。

 2年前 コロナが襲ってくるまではSNSでの宣伝効果もあり、国内のお客様はもちろん それ以外にも外国人観光客も加わり、製作・体験教室は一時は予約も取りづらい状況までになっていた。
 お店(体験教室を含む)は奥様がメインで切り盛りされていたが、今が商機と脱サラされたご主人もそのお店に加わり、個人事業であるがゆえの限界はあるものの、コロナ前の売上は開業15年目にして過去最高を記録するまでになっていた。
 お店は古民家に少し手を入れた程度の京都市北区にあるこじんまりとしたものであったが、コロナ直前の年末には更なる売上アップを図るために地下鉄沿線への進出も検討し、テナント捜しもされはじめ出されていた。
 そんな矢先 年が明けてしばらくすると、誰しもが予期していなかったコロナの大襲来に遭った。
 その後はキャンセルにつぐキャンセルの嵐で売上は前年の8割減となり、お店の経営はもちろんのこと、家の方、つまり家計も大変な状況に陥った。こんな状況なので新たな出店計画も断念せざるを得なかったのは言うまでもない。
 ただ、その後の対応は素早く、まずは国民年金や生命保険の支払い、それに住宅ローンの返済等 支払いが猶予できるものはなりふり構わずその手続きをされた。
 また この状態が長引いた場合も想定し、金融機関から無担保で500万円のコロナ融資も受けられた。
 このように資金の手当ては出来たとはいうものの、3ヶ月経っても一向に客足は戻ってこないので、ご主人は介護施設が運転手を募集しているのを見てすぐに応募、そして採用、あっという間に新しい仕事を始められ、今では送迎の運転手以外に施設内でご自身ができる範囲の他の仕事にも取り組まれている。
 奥様の方もお店は続けながら、空き時間を利用してご主人とは別の施設で介護の補助者としてパートの勤務を始められた。
 そしてその後はコロナは収束することなく、幾度かに渡って押し寄せてはくるが、お二人のがんばりで家計の方は破綻することなく何とか回せるようになった。

 元々人気のあったお店なので今では客足も戻り、今年の4〜6月はコロナ前の水準まで回復するに至った。
 ただ、ご主人はコロナのスタート時に就職された介護施設に継続的に勤務する意思を固められ、現在も勤務し続け 固定的な収入を得られている。
 ご主人は今年の夏は賞与もしっかりともらったということで大そう喜んでおられ、なかなか充実した日々を送っておられる。

 この顧問先はコロナ禍ではここに掲げているような状態に陥っておられたので、この最大の難所を切り抜けてもらうために顧問料を大幅に減額していた。
 3ヶ月に一度面談するという当初からの顧問契約に従い、奥様が先週 4〜6月分の帳簿等の資料を持ってこられ、その折に奥様から次のような話があった。
 「お陰様で客足も戻り、私はその対応に追われ忙しくしていますし、主人も定額収入が確保できる新しい職場で定年までがんばると言っています。万が一の時のために借りた借金も手を付けていなかったのでそっくり500万円返しましたし、固定収入がある分 今までより家計は安定しています。もう心配ないと思いますので、便宜を図って助けてもらっていた顧問料は8月分から遠慮なく元に戻してください。もう大丈夫です。」
 実は顧問料を減額してから2年近く経っていたので、私はそのことさえも忘れかかっていたが、ご自分の方から「顧問料を元に戻してください。」とおっしゃったのには驚いた。
 「本当に助けてもらい、そしてお世話になりありがとうございました。」と言われた時にはなんだか胸が熱くなった。
 私の方もお言葉に甘えた形になるが、迷うことなく顧問料を戻すことに決めた。
 暑い日が続くが、顧問先からの思わぬ一言で久しぶりにいい気分にさせてもらった面談でした。
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2022年07月17日

No.788:80歳の恩師から力をもらった

 昨日の京都新聞に京都マスターズ陸上選手権の結果が載っていた。
 私も長年 陸上競技に取り組んでいた身として、高校や大学時代にいっしょに走った者や誰か知っている人いないかなと思って、何気なく目を通していた。
「いたいた、へ〜 もう80歳か」と私が高校時代 陸上部の顧問だった先生の名前があった。

 〇 80m障害80歳 瀬野弘昭・・京都新、大会新
 そして ずーっと新聞を見ていくと こんな有名人(元オリンピック選書)も載っていた。
 * 100m 50歳 朝原宜治 11秒35・・京都新、大会新
 
 そういえば、この瀬野先生は高校を定年退職されてからも高校の体育教師の時以上に本格的に陸上に取り組んでおられ、年賀状はいつも国際大会で入賞した時の写真だったことを思い出した。
(確か、シンガポールやリオデジャネイロなどあちこち行かれていたな。)

 高校を卒業してから40年以上経つが、その間会ったのは、私の結婚式に出席してくださったのと 10年ほど前 特急電車の中でばったり会ったくらいでそれ以来、年賀状のやり取りだけでお目にかかることはない状態が続いている。
 「よし、今日は勇気を出して おめでとう と電話してみよう」と思い立って、電話番号を検索したが、この先生の携帯電話の番号は登録されていなかったので、登録されている自宅に電話をしてみた。
 数回の呼び出しコールの後、電話に出られ、「廣井増生です。お久しぶりです。」と告げると、「おお、廣井か!」と元気な声が返ってきた。
 新聞で80m障害で京都新で優勝されたことに対するお祝いの言葉を掛けると、「もう一種目優勝してるんやで、立ち五段跳びでも」 となんともうれしそうに2種目優勝したことを話された。
 思い出話も含め、10分近く話した後に、私が「先生、携帯の番号を教えてもらっていいですか」というと、「僕、携帯持ってないねん」とおっしゃった。
 私は思わず、「ほんまですか? 今どき、どんな老人でも携帯くらい持ってますよ。」というと「みんなにそう言われるこど、ほんまに持ってないねん。別に不自由したこともないし。」とこの先生らしい答えが返ってきた。
 昔から、人に惑わされず、好きなことだけをやり通される性格であったが、この携帯電話を持たれないこともこの性格からきているなと勝手に解釈した。

 電話を切った後、本当にお世話になった高校時代のことをいろいろと思い返していたが、
 高校時代は体育教師、そして陸上部の顧問でありながら、(あまり大きな声では言えないが)まるで私のマネージャーのように 国体やインターハイ、それに選抜合宿など全国どこに行くのも田舎者の私の気持ちを落ち着かせる思いもあってかいつも着いてきてくれた。
 インターハイで優勝した時は、私はあまりにもすさまじいレースだったので走り終わった後 しばらく放心状態であったが、瀬野先生は、「わしは廣井にすごいプレゼントをもらったわ。田舎の高校の一体育教師だけど、インターハイチャンピオンを育てた顧問という 京都の陸上界でこの先 大きな顔ができるというものを」となんともうれしそうに満面の笑みを浮かべておられたのを今でもついこの間のことのように思い出される。

 今日は突然電話するのは失礼かなと思いつつ、勇気を出して電話をして本当によかった。
 電話を切る前、「いや〜、何年ぶりかわからんけど、廣井の声を聞いてなんだか元気が出てきたわ。もうそろそろ陸上も引退かなと思っていたけど、もうちょっと練習を続けて次の大会をめざそうという気になったわ。この電話、ほんまに老人を元気にしてくれたわ。」と、こちらにもわくわく感が伝わるような元気な声で話されていた。
 確かに私の電話でこの先生は元気をもらわれたかもしれんけど、私も80代の恩師からとてつもないパワーをもらったような気がした。
 仕事していても家でも ついつい、「もう年だし」とか、「ほんまに最近疲れやすなったし、疲れもなかなかとれへんし」なんて口癖のように言っていたが、この瀬野先生の言葉を聞いて、こんなこと口にするのはまだまだ10年早いわ、いや20年早いわ と思った。
 でも現実的には80までは無理やと思うけどね・・。
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2022年07月10日

No.787:どこもここも財政難

 国も地方自治体も財政的に厳しくなってきている話は皆様方もよく耳にされていることでしょう。
 コロナ前でも厳しい状況であったと思うが、コロナでの莫大な財政支出の後はなおさらアップアップの状態に陥っているというのは、このコロナ関連の支出の大きさから誰しもが想像のつくことであろう。

 会社や家計というある程度 目が行き届く規模なら財布の中身も把握できるが、国や自治体となると規模が大きい分 何が厳しくて、どこにしわ寄せがいくのかわかりずらい面もある。
 医療費や介護サービス、それに子育て世代への支援・援助等は良くも悪くも取り上げられる機会も多く、「また負担増か」とか「こっちも削減されるのか」と比較的わかりやすいが、それ以外の公共サービスの部分は意外と一般の人にはわかりずらい面もある。
 ただ、外出したり、あるいはいろいろな施設を利用したりすると、「もしかして お金がないのかな」と感じられることもある。

 これは財政不足が原因かどうかわからないが、車に乗っていて感じたこととして一例を挙げると、
 観光客や歩く人に優しくということで歩道を広げる工事がいたるところで行われていて、これについてはいい街づくりだなと思うが、車の走る一般道で白い線や横断歩道のラインが消えかかっていたり、見えにくくなっていると感じることがあり、京都市内の幹線道路の一つである五条通もその一つである。
 先日も京都府の北部から国道9号線で京都市内まで戻ってくる途中、京都市内の中心部に入ろうとする片側4車線のところで、車線を示すラインが消えかかっているところがあった。
 夜だったこともあるとは思うが4車線を区切るラインがほとんど見えないところがあり、車が少なかったからよかったもののふと気づけば一瞬ラインをまたいで運転していた。こんなことを言うと交通違反になるかもしれないが、それくらい見えなかったということである。
 数年前まではあちこちに新しい道路(高速道路も含む)ができ、きれいなアスファルト舗装とくっきりとした白いラインがなんとも運転する者にとって気持ちのいいものであったが、最近は気のせいか、白いラインのことだけでなく、くぼんだ道路やアスファルトがつぎはぎだらけになっている道路も今まで以上に目につくようになったと感じている。
 あと、京都市の地下鉄でも竹田駅は上り下りはお互い相手のホームが見えるように対面になっているが、立っていると電車が入ってくるまで反対側のホームの状況がよくわかるが、そのホームの下のコンクリートが見え、じっくり見るとそのコンクリートが欠けているところがある。
 あれくらいでホームが崩れ落ちてくることことはないかと思うが、あれとて本来は何らかの補修が必要ではないのであろうか。

 私はたまたま交通関係のことを取り上げたが、みなさんの日々の生活においてはこういった「国や市はお金がないんやな」と思われることはいくつもあろうかと思う。
 2221年度の国の税収が過去最高という信じがたいニュースも先日耳にしたが、それをもって公共サービスや公共事業等の諸問題を一朝一夕に解決できるわけではないということは誰しもわかっていることである。
 でも こんな時、一体お金はどこへ? と考えてしまうのは私だけではないはずだが・・。
 歳入の見通しが立つのなら、歳出のコントロールでもう少し還元したり、課題となっている問題解決に向けての支出があってもいいように思う。

 こんな話をしていると政治的な匂いもしそうなのでこれくらいにしておくが、今日の参議院選挙の結果がどう出るのか、夜の速報を待つことにしよう。
 私は今回の選挙は先週の日曜日に期日前投票に行ってきたので、今日は投票所に出向くことのない選挙の日である。
 よく、良識ある判断といわれるが、良識のある判断っていったいどういうことなんだろう? これに対してきちんと説明が出来る人ってどれくらいいるのかな、 私も含めて?
posted by ヒロイ at 18:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年07月03日

No.786:実行しています、34年前に妻から言われたことを 

 今日は朝から強い雨が降っていたこともあり、自宅で自分の部屋にこもって部屋の片隅に積み上げられている「いつかは読まねば」と思っていた冊子や読み物に目を通していた。
 昼ご飯を挟んで午後からも同じようなことを続けていたが、今まで置きっぱなしにいていた量があまりにも多く、全てを読み切ったり片付けたりすることはできそうにないので、途中で気分転換も兼ねて散らかった部屋の後片付けもしていた。
 棚の奥にはかなり古いファイルや封筒もあり、中には私が結婚する前からのものもあり 久し振りに目にする書類を見て「あっ、そうだったな」と思うことがあった。
 そこにあった ○十年前の封筒や書類、それに学生時代に陸上の大会でもらった賞状、それに何度かとり上げられた「陸上競技マガジン」という雑誌等 懐かしいものを順次 手にとって眺めていたが、それらに記されている名前はどれも 今使っている「廣井」ではなく「広井」であった。
*正式には「廣」の中は「黄」であるので手書きの場合には必ず中は「黄」とするが、パソコンではこの文字は変換されないので、名刺や事務所のHP、それに仕事上の書類では「廣」を使用している。
 こんな話と今日のタイトルがなんで結ぶ付くのかと思っておられる方もあるのろうかと思うが いよいよここからが本題なんです。
 私は26歳で結婚するまでは、ほとんど「広井」しか使ったことがなく、学生時代のテストの答案用紙の名前も、就職した時に自分で作ったシャチハタも「広井」であった。
 それがカミさんと結婚した時、カミさんの姓も山ア(山崎ではない)から広井に変わったが、カミさんは「広井より廣井の方がかっこええし、こっちが正式なんだし私はこっち(廣井)を使えわ。」と言って、結婚してから一度も「広井」を使うことなく、「廣井」を使い出した。
 そういえば小学生の頃、親から自分の名前の由来を聞いたときに、漢字(文字)の意味の他に、廣井の「廣」(中は黄)と増生の「増」はどちらも14画だし、二文字目の「井」と「生」も4画と5画ではあるが、どちらも比較的画数が少ない文字なので全体としてちょうどバランスがとれていていい と聞いたことがあった。
 ということで カミさんが結婚を機に「廣」使いだしてから、夫婦で使う漢字が違うのも変だなと思い、それ以来 私も「廣」を使っている(先ほども言いましたが、手書きの時は必ず中は「黄」にしてますけど)。
 たった「廣」と「広」の使い分けだけでここまで話が長くなるとは思わなかったが、もう一つカミさんから言われたことで実行していることがある。
 こちらも結婚して間もない頃、私のひょろひょろとした字が書かれている書類を見て、「字に自信のない人ほど小さく書いてしまうので余計に読み辛くなるんやで。いまさら達筆にと思っても無理なんで、せめて文字を大きく書けばきっとそっちの方が読みやすいし、読む人にも気持ちが伝わってええで。特に名前の小さいんはあかんと思うわ。せめて名前くらいは元気よう大きくないと・・。」と言われた、これも34年前に。
 まるで小学校の書道教室での会話のような話であるが、その甲斐?あってか 今では自筆で署名する時には意識することなく普通に枠いっぱいの大きな文字を書くようになっている。文字の上手い下手は別として。

 こんなつまらぬことを披露して、読んでいる人にとって、「わざわざ、ただの夫婦の会話をこんなところで」と思う方もいらっしゃるかもしれないが、まあそこはさら〜と流しておいてもらえればありがたいというもんです。
 お忙しい中たわいもない話にお付き合いいただきありがとうございました。
posted by ヒロイ at 19:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする