2022年06月27日

No.785:1つの県から1人も参議院議員が選べない?

 少し盛り上がりに欠けるとはいえ、現在 参議院選挙の真っただ中である。
 京都選挙区の定員は2人、お隣の滋賀県は1人であるが1票の格差の是正措置により、1県で1人の定員を配分されない県が4県あり、2県で定員が1人といういわゆる合区とよばれている選挙区がある。
 これは既にご存知の方もあるかもしれないが、鳥取県と島根県、それに徳島県と高知県で定員が1人というものであり、単独の県で選出した国会議員(参議院議)がいないという状態となっている。
 これに対して東京は定員6人となっており、上記の4県では1県当たりの実質定員は0.5人であるので何と12倍に開きがある。ただ、これば有権者の数に差によるものでこの定員こそ平等であるというものである。
 この定数については1選挙区1人の定数である衆議院の小選挙区では、都道府県単位でみると次回の選挙では東京都は現在の25区から30区と国会議員が5人も増え、逆に和歌山県(他にもあるが)では3区から2区となり県選出の衆議院議員は1人削減され、2人となる。
 1票の格差についてもう一度、その意味合いについて確認をしておくと、
*1票の格差とは「同一の選挙において選挙区ごとの有権者数が異なることで投票の価値に不均衡が生じるとされる問題」と定義されている。
 ということで、憲法でいう法の下の平等ともとでは1票の格差をなくすという当たり前のことではあるが、日常的に多くの物事を都道府県単位で見たり、検証したりする機会の多い現在の日本においては、上記の格差の問題は理解できるとはいうものの 逆に何か不平等感が生じているようにも思えてくる。
 コロナによって人口の都市部から地方への流入も見られるとは言っているが、まだまだ都市部、特に首都圏への人の流れは止まったとは言い難いように思うので、そういう意味ではこの国会議員の定数是正はさらに進んできて東京都をはじめとする首都圏の定員はさらに増え、人口がさらに減少する県では定員1名なんていうことも現実に起こりうることである。
 ただ、誰の力をもってしてもこの最高裁判決を覆すことはできないので、ある意味 従しかないのが我が国における選挙制度というものであろう。
 こんな政治の話の時にスポーツの話を持ち出すのは不謹慎かもしれないが、高校野球では昨年の夏の甲子園の都道府県別参加校は2校が参加できる東京都と北海道を除くと神奈川県が176校、大阪府167校で鳥取県は22校であるが、予選の出場校の数に関係なくどこも1校のみの出場枠である。
 国体なんかも都道府県の代表なので、その予選出場の選手数には大きな開きがあるが、ここでは不平等という議論はほとんど聞かれない。

 あと、今日の新聞にもう一つ地方政治に関わる記事が載っていたので紹介しておくと、
 京都市の北隣にあった京北町という田舎町が2005年の京都市と合併し京都市北区となったが、京都市議会議員の中では票数(人口)の少ない京北町出身の議員は一人もいないとのことで、以前 京北町であった時のように町会議員16人を通して地元住民の声を議会で反映するようなことはほとんどできなくなったとのことである。
 この問題は旧京北町だけでなく、市町村合併があった多くの所で同じようなことが起こっているとのことである。
 選挙と言えば、「○○党躍進。○○党伸び悩み」という記事が主体となるが、今回ここで取り上げた議員の数、そして今後の変遷について目をやることも日本の政治を考えるうえで重要なことのように思う。
 
 今日は少し硬い話になってしまったが、選挙の真っただ中にこうした制度の基本的なこと、逆にいえば選挙戦の裏側を知ることも選挙に参加するうえで意味にあることであるように思う。
 自分の選挙区が今後 どう変わっていくのか一度確認して見られたらどうでしょう。
 では、今日はこの辺で・・・。
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2022年06月19日

No.784:対面でない難しさ

 2年前から現在に至るまで世の中がコロナ禍という状況に陥ってからは、いかに人と会うのを避けるのかということが日常生活を送る上で非常に重要なテーマとなる局面を何度か経験した。
 「経験した」という過去形を使っているが、決してコロナが収まったわけではないし、完全終息宣言が出せるという状況でもないが、国のいろいろな緩和措置によって人々の動きが活発化してきたことは事実である。

 先日、来年の夏以降 京都で事業を立ち上げる予定のある人と“税理士選び”のための面談があったが、この開業予定の方は現在は勤務先の都合で東京で仕事をされているので、この税理士選びの面談はWebで画面越しでのやり取りであった。
 税理士選びも以前であれば、「〇〇さんから勧められて」といういわゆる紹介によって初回の面談をした後、特に大きな支障がないようであれば 顧問先になっていただき、顧問契約の締結に至るケースがほとんどであったが、最近は2〜3人の税理士と面談した後、いろいろな角度から検討された上で顧問税理士決定される方が多くなってきている。
 昨年、「税理士さんとの面談は5人目です」という方がいらっしゃったが、ここまでくるとこちらも「何が何でもうちの顧問先に」という思いもなんだか薄れていって、「運よくうちにきてくれたら・・。本命の税理士さんが既にいて、うちって単なるダミーかな?」なんて最初から勘ぐりながら面談をしたのを覚えている。
 そんな本音が相手さんに伝わってしまったのか、この時は当然のことながらいい結果がでないということになってしまった。

 時代の流れとはいえ、パソコンの画面を通してのWeb面談というのは内容にもよるがやはり限界があり、対面でないとなかなか分からないこともある。
 対面でない分、マスクを外しての面談は可能であるが、画面の向こうということではなかなか真の表情はつかみきれないケースも多々ある。
 よく知っている方ならともかく、初めての人であれば立った時の姿、座った時の姿勢、そして服装も含めた全体の雰囲気をつかむというのも面談時の重要なチェックポイントのような気がする。
 大きな声では言えないが、大手企業にお勤めされている知人のお嬢さんは出勤はなくとも自宅からパソコンを通しての会議出席となるらしいが、下がパジャマのままで、しかも背景は加工しているとはいうもののベッドの上で上半身だけを起こして、画面を通しての上半身だけの会議出席のようである。
 こんな話を聞くと在宅勤務の是非を論じるということよりも、「いったい、社員としてどうなの?」なんて言う気になってしまう。

 コロナで企業の在り方、社員の働き方も大きく変わろうとして中、数年後にはどうなっているのか 私が注目している会社とその取り組みは、
〇パソナ・・営業、人事部門などの本社機能の一部を淡路島に移し、従業員も1,000人規模で異動させる。
〇NTT・・原則の勤務場所を自宅とし、本社に出向くことは出張扱いで、飛行機での出社も可能で交通費も宿泊費も会社負担。対象者は3万人。

 この2つの会社の取り組み、1年後、5年後、そして10年後どうなっていくのか、羨ましさや興味もあって後追いしていきたいと思っている。
 「本社勤務は花形」なんて言っているおっさんはもはや化石化していくのでしょうか・・・?
posted by ヒロイ at 22:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年06月12日

No.783:日本語を理解しないと時代に取り残されそう

 まずは、私が最近、この言葉どう解釈していいのかな とか、ただ単に私が頭が悪いがために理解に苦しんでいるだけなのかな なんて思うことがある。
 冒頭からこんな訳の分からないことを言っても私が何を言おうとしているのか余計に分からなくなってしまうと思うので、私が「おやっ?」と思ったり、「う〜ん?」と思っている言葉をまずいくつか例に挙げてみることにする。

○「プロパガンダ」・・特定の思想・世論・意識・行動へ誘導する意図を持った行為。
・最近 ロシアのウクライナ侵攻後、報道番組の中で、「軍事作戦に正当性があると主張するプーチン政権による国内向けのプロパガンダは、総体として国民の多くに浸透しているといわざるを得ない。」なんて言われているし、この言葉からロシア国内の状況も雰囲気ではわかるが、日本においてはプロパガンダという言葉が日常的に使われたり、その行為が頻繁に行われているわけではないので 自分の中でも理解はできても頭の中に落とし込められていない部分がある。というのも、これは自分がプロパガンの影響を受けたことがないからなのかもしれない。

○「トリガー」・・銃の引き金。また転じて、物事を引き起こすきっかけ。
・先日も、「・・・がトリガーとなって、夫婦の関係は危機的状況に陥ってしまった」という文章がさらりと載っていたが、私にはこのトリガーという言葉がスーッと頭に入ってこなくて思わず、読み直したり、意味を調べたりしてしまった。

○「SDGs」・・持続可能な開発目標
・今や国策というよりも全世界が取り組むべき目標であるということは一応理解している。17色の丸いバッジをつけている人を時折見かけるし、自治体や会社によっては具体的な取り組みを実行しているところもあると聞くが、ある金融機関の支店長に「付けてはりますね」とスーツの襟の17色のバッジを指さして言うと、その支店長が、「うち(会社)の方針で、付けるように指示されてますねん」と言われた時にはなんだかむなしいというか、がっかりした。だから浸透せんのやなって。
 私もこの17色の意味とかを調べたり、それぞれの取り組み事例を見て行くと 「なるほど」と思うのだが、なんせ分野が多岐にわたり過ぎていて、正直何をしていったらいいのか分からにというのが本音です。
 でも、本当のところいうとこんなことを言っている経営者って失格なのかもしれませんね。恥を忍んで思っていることをさらけ出してしまいましたが。

 本当に言葉って難しいですね? 海外生活の経験のある方は今 日本での使われ方と現地(海外)での使われ方やニュアンスの違いを体感的に理解できるんでしょうが、私のような国内組には、頭の中に ? が付くことが多く、多少気劣りすることもある。

 言葉のこと言っても先述の3つの言葉とは言葉の重みは違うが、仕事をしていて若い人たち(とはいっても40代以下か?)がよく使う言葉で、時代やな と思うものがいくつかある。
 その中でも、「・・・的な感じで」、とか、「・・は、ほぼほぼメドが立ってきました」という、“的”や“ほぼほぼ”なんていう言葉は我々の時代にはなかったような気がするし、私は今まで使ったことは一度もない。
 「ほぼほぼ」も何年か前に日常的に使われるようになった時に 「ほぼ」と「ほぼほぼ」はどちらが完成に近いのかなんてその違いを調べたこともあったが、今や私の周りでは「ほぼほぼ」は完全に日常語になった感がある。

 今日は何が言いたいのか分からないような内容になってしまったし、これ以上言っても同じような話になってしまうので、今日は現代用語についていけないおっさんの愚痴として軽く聞き流しておいてもらえれば結構です。
 でも、仕事をする上では愚痴っているばかりではなく、何事も理解することから始めないといけないのだろうな と多少反省もしながら今日の話はお終いとします。
posted by ヒロイ at 17:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年06月05日

No.782:タクシーが走っていない?

 京都市内ならいつでもどこでもタクシーに乗れるというか、つかまえられるというのが今まで当たり前のことであったが、最近 京都市内を走るタクシーがめっきり減ったように思う。
 私も以前は行く先に駐車場がなかったり、駅から離れた場所へ行く時で時間がないような時にはついつい手を上げて乗ることもあった。
 ただ、最近は顧問先を訪問する以外の用事はめっきり減ったし、中でも会食なんていうのはこの2年近く全くなくなってしまったが、これは私だけでなくほとんどの人に言えることであろう。
 乗降客の多い駅、それに観光地等ではタクシーが列を作っているのを見かけるが、それとてコロナ前のような長い列ではなくほんの数台だけという時もあり、やはりタクシーそのものが減っている感じがする。

 最近、こんな光景も見かけた。
 朝の8時頃 北大路通で左手に赤ん坊を抱え、右手に折りたたんだベビーカーを持った若いお母さんがタクシーを探しているがタクシーそのものが走っていない。やっとタクシーが遠くに見えたのでベビーカーを持ったままの右手を必死に上げようとしたが、そのタクシーはお客さんが乗っていたので速度を落とすことなくそのお母さんの前を通り過ぎていった。
 そうこうしているうちに反対側車線で信号待ちをしていた私の方の車が流れ出したのでその後はどうなったか見届けることはできなかった。
 あと、今出川通でも大きな荷物を抱えたおばあさんがタクシーを待っている姿があったが、こちらも昼過ぎだというのにタクシーがほとんど走っていなくて、停めて乗る以前にタクシーが見つからない。
 コロナ前は夜 8時過ぎに自分の車で事務所を出る時に、空車のタクシーがお客さんを探すようにノロノロと走っているのをよく見かけたが、ここのところ それすらほとんど見かけなくなってしまった。
 4月の終わり頃、出町柳駅まで行くのに久しぶりにタクシーに乗った時に運転手さんが、低い声で「コロナで去っていった乗務員(運転手)が戻ってこないんです。戻ってきたところで安い賃金ですし、今や全く魅力のない仕事になってしまいました。若い頃は平均的なサラリーマン以上に稼げたし、コロナの前も日本人観光客と海外からのお客さん、それに修学旅行と休む暇がないくらいになっていたんですがね・・。」とぼやいておられた。
 静かになったというか、街が落ち着いてきた状態は地元の者にとっては住みやすい街になった感じはするが、このままでは国の財政も京都の財政も、そして国民の懐も厳しい状態から脱することすらできないのだろう。
 ある雑誌には「タクシーの乗務員は将来が見通せないとして3割が転職済み」なんて書いてあったが、少し景気が持ち直したり、観光客が戻ってきたからといって そう簡単にはタクシー運転手は戻ってこないのだろう。
 でも、観光都市である京都にはなくてはならない職業と思うんですが。

 仕事で地方都市へ行っても小さな町だとローカル線の駅前には、「タクシーをご利用の方はこちらまで」と車は停まっていない駐車場に電話番号が書かれた看板が立てかけてある。

 たかがタクシー、されどタクシーではあるが、なくてはならないものであるし、今まで当たり前のようにつかまえることができたのが そうはいかなくなったことに不便さ感じているのは私だけではないはず。
 お年寄りの中には病院への通院に必要とされている方もあろうかと思うが、乗りたい時にすぐには乗れないタクシーになってしまったことにコロナから始まった社会構造の変化に直面しているなと感じてしまう。
 街がごみごみして混雑していなという点では、人出の少ないのはいい面もあるが、本当にもうあの頃には戻らないんかなという 別意味での不安もあ。
 さあ、これから先 どうなるんでしょうね。
*今日はたまたま私の車の前に空車のタクシーが2台走っていました。
posted by ヒロイ at 22:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする