2022年05月29日

No.781:「開業支援」だけでなく、「廃業支援」もしています

 本当に暑い日でしたが、あっという間に過ぎた一日でした。
 今日は ある医療関連の団体から「新規開業セミナー」の講師の依頼を受けていたので、朝から昼過ぎまではこの会場で一仕事を終え、そしてセミナーの帰りに事務所に立ち寄ると先週からやり残した仕事が目に入ったので、一定の所まできりをつけ、夕方早めに家に帰ってきた。
 平日と違い、外部からの連絡もない中で比較的ゆったりとした気分で机やパソコンに向かって、気になっていた仕事をメドがつくとこまでやり終えた。 今日の仕事も一定のメドまででなく今日中に完結することも可能であったが、完結する、つまりやり終えるには夜まで事務所にいなければならず、やはり日曜日に遅くまで仕事をしていると次の週の月曜日からモチベーションが上がらず、かえって仕事がはかどらない週になってしまうこともあるのでいい所で切り上げたということである。
 次の週を気持ちよくスタートするために仕事を少し早く切り上げたなんて ちょっとかっこいい言い方なのかもしれないが、やはり仕事は趣味やレジャーでないのだから、否応でもまた明日からまた一週間 仕事は始まるので、こういった「今日はここまで、これでお終い。」という気持ちも大事なのかもしれない。ただ、それほど余裕のあることはほとんどないのが現実なんだけど・・。いつも今日中にやらないといけないという縛りの中に身を置いているので。

 今日の研修で先輩開業医からの実例紹介があり、親族間でなく第三者承継といって、今まで全く知らなかった方からクリニックを引き継いだという事例であった。
 私の顧問先でも身内に後継者がいらっしゃらなくて、次の引き受け手を探しておられる方がいるが、これとて一昔前のように「お願い、頼むわ。」、「はい、私でよければやらせてもらいます。」という軽々しいものではなく、いくらで売ります(譲ります)、いくらで買います(譲り受けます)というまさにM&Aであったり、マッチングという紹介事業であったりするのが最近の通例である。
 社長のイスをめぐる後継者争いレースのようなものがある大企業の記事を見るすることもあるが、零細中小企業では親から子ならまだしも、身内に後継者のいない企業はそれはそれは大変な悩みである。
 当事務所の医療機関でない一般企業の顧問先で社長が80才台になっても後継者が決まらい会社があったが、この2年間いろいろと検討を加えた結果、昨年末やっと現役員の中の一人の方に後を託すことになった。 これまで仕事上、開業支援という事業の始まりを多く手掛けてきたが、ここへきて事業の引き継ぎ方や終い方に頭を悩ませている方も結構いらっしゃて、相談事例も年々増えてきている。
 事業というのはスタートして軌道に乗せるのも大切であるが、実はそれと同じくらい終わり方や引き際も大事で、これを間違えば今までの苦労も水の泡になることだってある。
 これからはこういった相談も増えるだろうし、その方法についてもう少し掘り下げて知識を積み上げていかなければいけないと思っている。
 話がまとまりづらくなってきたが、「開業支援」だけでなく、「上手な事業の閉じ方」なんていうビジネスもこれから今まで以上にニーズが出てくるような気もする。 何をするのも大変な世の中になってきたなと実感するし、いろんな意味で頼られる存在になるために学ぶべきことはいくらでもあるなと思う今日この頃である。 本当に終着点なんてない、というのが人生なんだろうなと妙なことを考えた。ただ、日々終着点のことを考えながら生きていくわけにはいかないし、明日はまた何かに追われる日になるだろう。
 ゆっくりしたい気持ちもあるが、こういう日常が自分には一番合っているんだろうなと思ってしまう。
 本当に忙しかった5月もあとわずか。
 カレンダーを見て少しほっこりしながら日曜日の夜を向かえている。
 さあ、一杯やろか。
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2022年05月22日

No.780:何カ月ぶりだろうか? 母の顔を見たのは

 母が入所している施設に久しぶりに行くことができた。
 行くことができたというのも新型コロナの感染拡大が常態化し、家族であっても面会できない状態が続いていたが、先日 他の用事でその施設の近くまで行っていて、1時間半ほど空き時間があったので、ダメもとで面会が可能かどうか施設に電話を入れてみた。
 施設の顔馴染みのスタッフの方から、「ほんの少しの時間 顔を見るだけくらいならいいですよ、ほんの少しだけですよ。でも、今 お昼寝中なんですけどね。」と言われた。ただ、またいつ面会できなくなるか分からないし、少しだけでも可能ということだったのでの立ち寄ることにした。
 午後4時過ぎだったが、まだ昼寝から目が覚めていないので、車いすに乗せて面談のロビーまで連れて来れないということで こっそり身をひそめるようにして母の部屋(個室)まで案内していただいた。
 話を聞いていたとおり眠っていたが、施設の方が「息子さんですよ。増生さんですよ。」と肩に手をやりながら声を掛けられると、少しだけ目を開け、口をもごもごと動かし、声にはなっていなかったが私の目には何かを言おうとしているように見えた。
 認知も相当進んでいるので、目が覚めていたとしても私のことは分からないし、食事の時には何とか車いすで食堂までは連れて行ってもらうようだが、手で箸やスプーンを持って自分の力で食事をすることはできないらしい。
 こうして私が面会に行っても母にとっては普段と何も変わらないのかもしれないが、私は面会できた時はいつも来てよかったなと思いながら施設を後にする。
 それにしても何カ月ぶりなんだろう? 9カ月近く顔を見てなかったかな? いつも「面会はできませんよ」と言われ続けていたので。
 よくよく考えてみると、こういった面会も私の自己満足にすぎないのかもしれないが、顔を見るといつもなんだか知らない力を与えてくれるし、自分が日々仕事をしたり、日常生活を送っていることの意味を考えるいい機会にもなる。
 我々の同級生や友人も親が亡くなったり、施設に入っている話をよく聞くし、これがある意味 日本の縮図かもしれないが、いつかは自分も通る道なのかな なんていうことも考えてしまう。
 このブログはこれから事業を始めようとする人や今後どのように事業を発展・成長させていこうかと考えているような人も見ていただいていると思うので、できるだけ事業に結びつき、先が開けるような話題を提供するように心がけているのだが、たまにはこういった自分の親、それに自分の将来や老後など、なかなかじっくり考える機会もなく、どちらかというとあまり考えたくないような話題をこうして書き綴るのも、人生や人間の命を考えるきっかけにでもなればと思っている。

 GWは長男と長女が前半と後半に分かれて、それぞれ夫婦で京都に来ていたが、こういったお決まりのようなことが、将来「若い頃、よう京都に行ったな。あの頃は親も元気だったし。」と思いだしたりすることになるのだろう。私も母の顔を見て思い出したのは若かった時のことが多かったし、目を閉じると、母はまだこうしてがんばっているのに目頭が熱くなってしまう。
 今日の話、頭に浮かんでいることをただ単に文章にしているだけなので、あまり役に立つような話ではないかもしれないが、たまにはこんな話にも加わってください。
 親と同居しているともう少し親のことも頻繁に考える機会があるのでしょうが、私のような離れて暮らす親不孝者にとっては、こういう機会こそ、大事にしないといけないと思い今日はこうして綴っている。
 まあ、一瞬かもしれないが「おかあはん ありがとな。」という気持ちが心をよぎっただけでも今回の面談は意味があったのかも。
 なかなか忙しくて次はいつ会えるか分からないけど・・。
posted by ヒロイ at 19:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年05月15日

No.779:ネット社会での責任の所在は?

 職場でアドレスをあてがってもらって、メールで顧問先や取引先とやり取りを始めたのはいつ頃からなのかはっきりしたことは覚えていないが、私が開業した15年前には全ての人が という状況ではなかったにしろ、ほとんどの人が使えるようになっていた。
 それから考えると、正式な時期こそ定かではないが、前の職場に在籍中だった20年くらい前から徐々に利用しだしていたであろう。
 それが今やメールをはじめとするネットの利用はどんどん広がり、ただのコミュニケーションツールというだけではなく、一つの社会や文化を作り上げていると言っても過言ではない。
 ただ、20年以上も前は、国民や社会の声というのは街中で大声を張り上げたり、テレビやラジオに出演して訴えたり、あるいは投書を通して、みんなに伝わっていた。匿名というのもたまにはあったが、基本的には発言者も陰で何かを言うのではなく、自分も表に出て物言うのが基本であり、そういう意味において、発言には責任がついて回り それなりの重みもあった。
 それが今のSNSを利用しての意思表明は、どこの誰だと名乗る必要もなく、罵声や脅しに近いような言葉であってもほとんど責任をとることもなく何でも言える世の中になってきている。
 今朝も目が覚めた後 すぐにはベッドから出ることもなく、いつものようにスマホをいじりながら今日の天気やニュースを覗き込んでいたが、よく考えればこういった布団の中やお風呂の中そして少し汚い話になるがトイレの中からでも好きなことが言えるというのが今の社会の怖い部分でもある。
 政治に関することになるが、選挙前には政党支持率や各候補者の騰落予測などが公表されるが、これもこうして体や口を動かさずして、指先だけで意思表示をすることによって世の中を動かすことさえ可能であるとも言える。
 ただ、どの選挙でも以前ほど投票率が上がらないのは、ネットでの選挙ごっこに満足して、実際には投票場へ足を運ばない人、特に若者が増えているのではなかろうかと勝手に推測してしまう。
 あと、飲食店や医療機関へのいわゆる“口コミ”が 客や患者の動向に影響を与えているのはみなさんもご存じであろうし、ちょっといい書き込みがあれば、予約がとれなかったり行列ができる飲食店なんかはまさにこの影響の最たるものである。
 私は今まで書き込みをしたことは一度もないし、しようと思ったこともない。良いことでも悪いことでも基本的には自分だけにとどめるか、せいぜい身近な人にだけ耳寄りな情報として伝えるだけで十分と思っている。なぜ、第三者にそんなことまで伝える必要があるのか、特に誹謗中傷と言われる悪口の場合なおさらである。
 それは伝えたがり屋や訴えたたがり屋、そして叫ばずにかまんできない独りよがりで寂しがり屋の人の勝手な行動で、こんなものに振り回されるようにはなりたくないと思っていつも行動している。
 今日はなんだか妙な方向へ話が行ってしまったが、今のネット社会への歳のいったおっさんの独り言と思って流してください。

 それと、ここまでの内容と少し違うが、最近あまり気分がよくなかったことをもう一つ。
 それは携帯電話のスピーカー機能をこちらの了解もなく勝手に使用されていることである。
 つまり私はAさんに電話して話しているのに、途中でAさんの傍にいるBさん(家族又は友人等)がいきなり横から私の携帯電話での会話に飛び込んでくるケースである。
 私は電話という1対1で話をするツールを使ってAさんと話しているのに何でここでBさんが登場するの? ということである。
 本来なら、「重要な話なんで隣にいるBさんにも聞いてもらっていますしね」って一言断りを入れるのが礼儀というものではなかろうか。いやいや礼儀なんて関係ないのかも? この内容、顧問先の方が見られるとまずいかな、でもいいか思ったこと言ってるだけなんで。陰で言っているわけでもないし。
 もっとひどいのは、何の断りもなく会話を録音されていたこともあり、後で「あの時のあの発言ですが・・。」と言われたことである。これこそゾッとするしますよね。
 まあ、これ以上話を続けると ○○の遠吠え なんて言われかねないのでこの辺で終わりにするが、大事な話をするときに「今電話していてもいいですか、一人ですか」とわざわざ断りを入れないといけないこと自体、妙な世の中になってしまっているな と思っていしまう。

 まあ、言いたいことをひと通り言ったので今日はこの辺で終わりにします。
 暑いのか肌寒いのが分からないような天気ですが、夏に向けて今一度体調を整える5月の後半にしたいものです。でも、私はスケジュールを見る限り厳しい残りの2週間になりそうですが・・。
 今日はただの愚痴なのにいつも以上に長くなってしまいました。すみません。
posted by ヒロイ at 16:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年05月08日

No.778:少なくなった“喝”を入れてくれる人

 日曜日の朝番組の中のスポーツコーナーで“喝”といって批判をしたり、気合を入れるのを見られたことはあろうかと思うが、今朝 久しぶりにこの番組を見る機会があり、少しの時間ではあったが見ていてがっかりしたことがあった。
 それは出演者の発言が番組の進行を妨げたり、「おやっ」とか「ドキッ」と思わせるようなものがほとんどなく、そつなくこなすいい人の発言ばかりであり、その反面というか キレもそしてケンもない発言が続き、以前のように出演者の強烈な個性はほとんど見受けられなくなっていた。
 言い換えると、あっさりし過ぎていて、つまなくなったなと感じたということである。
 ついこの間は司会者のS口さんが適切でない発言をしたとか、少しずれていたとかSNSで叩かれていたし、その前は今は退かれているスポーツコーナーのH本さんの不適切で、捉え方によっては差別的な発言がやり玉に挙げられていたが以前からこの番組を知っている者にとってはやはり今の出演者には物足りなさを感じずにはいられない。
 確かに過去の出演者の中には、その発言内容を後で検証すると問題があったり、視聴者側から逆に“喝”と言い返したいようなものもいくつかあったのも事実である。
 これも時代の流れかと言ってしまえばそれまでの話であるが、何かを言ったら叩かれるという恐怖心を持ちながら番組に出演するのも大変なことのように思う。 

 ここから先はここまでの内容から少し角度を変えて、厳しい忠告、そしてそれを声に出して言ってくれる人について思い出も交えながら述べさせてもらうこととする。
 最近は他の人、特に後輩や部下に“喝”を入れることもなくなったし、ちょっと間違った“喝”の入れ方をすると大きなトラブルに発展することだってないわけではない。
 また、上の人から“喝”を入れらたり、そういった場面を見る機会も少なくなったし、そのうち“喝”なんて死語になるのではと思うぐらい世の中の状況や人間関係は大きく変化してきている。
 我々の年代の者は子どもの頃は先輩から“喝”を入れられることによって、今まで気がつかなかったことに気付くことも何度かあった。
 古い話で恐縮だが、私が中学生だった頃、野球部でいっしょにショートを守ってシートノックを受けていた先輩から、「廣井、さっきのプレーは気合が入っとらんぞ。だから一歩目のスタートがあんなに遅くなるんや。バッターの足の上げ方を見て、こちら(守っている者)の一歩目の踏み出しを右にするのか左にするのか決めるんや わかっとんのか?」と怖〜い注意を受けたことがあった。ただ、この先輩からのこの一言で今まで捕れない打球がとれるようになった。
 今はこの怖〜い一言さえも問題になりかねないご時世だがやはりこの“喝”とか“気合を入れる”ということは、時と場合にはよるだろうが、私は(個人的には)必要なような気がする。ただ、こんなことを言っていること自体、前時代的なのかもしれないし、こういう発言をすることすらヤバいと捉えられかねない難しい時代になってきた。
 “チクリとする一言”とか“くぎを刺す”なんていうことも使い方を誤ると人間関係にひびが入ったり、内容によっては訴えられるようなことにもなりかねない。
 何かにつけ大変な世の中になっていくのを実感する今日この頃である。

 話を急に目の前のことに戻すが、
 GWというのは完全休養ができるわけではないが、年始からここまでバタバタしてきた人にとっては、いったん立ち止まって仕切り直しができるいい期間であるなと思う。
 ただ、明日はもう5月も9日ということで、5月はあと残り3週間。
 いや〜、明日から大変そう。怖い怖い。
posted by ヒロイ at 22:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年05月01日

No.777:経営が順調である人の悩み

 ふとNoを見ると、今回 第777回なんですね。何かいいことがあるといいのに・・。
 
 つまらぬことはこれくらいにして、本題に入ります。
 今日のタイトルを見て、多くの人が「なんというぜいたくな話」と思うでしょう。でもあるんです、こんな羨ましいような話。
 4年前に30代で事業を始められ、1年目も2年目もほぼ予定どおり目標売上高に達し、その後はさらに右肩上がりの業績が続き、開業時の借入金こそまだ完済されていないが、その返済も順調に進んでいる。
 このような状況なので、個人の生活資金として、家へ入れるお金も当初予測していたよりも少し多めの金額をまわす形がとれている。
 このコーナーでも何度か“事業がうまく人”ということを取り上げているが、今回の方も今まで紹介した成功事例のように何事においても万全の事前準備をした上で事業を立ち上げ、また事業開始後も、ほとんど一息つくこともなくここまでまっしぐらで進んでこられた。
 先日、毎月の面談時に経営指標を見ながら、「いつもよく似たことばかり言っているかもしれませんが、本当に順調ですね。非常にいい状態になってきていますが次なるステップをお考えですか?」と尋ねたところ、「いや〜、順調かもしれませんが、まだまだ安心はなりませんし、正直 今後どのようにしていったらいいのか分からないんです、次なる目標が設定できなくて。」とまさに他の人から聞けばなんともぜいたくな悩みを打ち明けられた。
 そしてその方は、「もし私が50代なら、あと何年がんばって、その後 事業の閉じ方や承継の仕方とかを考えればいいんですが、まだ30代ですしね。普通ならもういっちょやってみるかと事業を拡大する人も多いんでしょうが、私には今のところ拡大志向が全くなくて。」とおっしゃった。
 確かに事業を始めると1年でも1ヵ月でも、いや、1日でも事業が早く軌道に乗るよう、模索をしながら日々事業に取り組んでいくのだが、この方のように早くして目標に達した方のその次というのは、意外と難しいのかもしれない。特に事業欲とか拡大意欲とかがなければ、「じゃあ、この次どうすればいいの? この後何を目標にすればいいの?」ということになってしまう気持ちも分からないではない。
 もちろん家を買うとか、子供の教育資金を確保するというような目の前の目標が全くないわけではないが、「目標としている○○を実現するために働く」というような長期的な展望というか、達成感が得られるようなものが今のところ見当たらないようである。
 「次はどうしたらいいのでしょうね?」というのも 頭を抱えるような悩みではないにしろ悩みには違いない。

 我々の仕事は事業を軌道に乗せたり、可能な限りの節税について模索・提案したりするののも重要な業務であるが、この方のようにいっしょになって目標を見つけ、道筋をつけるというのも経営者を支えるという点では我々に課されている仕事のひとつかもしれない。
 もちろん人それぞれの人生であり、またご家族もいらっしゃ場合には ご家族の方々のご意向も踏まえて考えないといけない場合もあるが、今後の人生をいっしょになって考えていく機会なんてそうそう度々あるものでもない。
 他人の人生なので立ち入り過ぎることのないようにしないといけないのは分かっているが、何年か先、「いい人生だった」と言ってもらえればこれほどうれしいことはない。
 まあ、普通は生きている以上、悩みがなくなるなんていうことなんてないんでしょう。悩みがあることが生きている証拠なんでしょうから・・。

 明日はGWの谷間の営業日ですので何とか一日頑張ってきます。
 そういえば明日は新名神を使って滋賀県の甲賀市まで出張、高速が混まなければいいのだが。
posted by ヒロイ at 22:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする