2022年04月24日

No776:遺影に手を合わせて

 先日、3月にお亡くなりになった方のご家族のとの面談があり、ご自宅を訪問した。
 顧問先の方であったので、事務所に残っている過去の資料と事前確認した情報から判断する限りでは相続税はかからないくらいの財産内容であったが、相続開始後の各種手続きや今後の対応について相談したいとの申し出もあり、4月になったら面談をすることになったいた。
 この亡くなられた方とは基本的には1年に1回会う程度の接触度合いであったし、年齢も80代と高齢の上、病気で入退院を繰り返されていたので直接お目にかかる機会も少なくなっていた。
 しかも、一昨年から新型コロナウイルスが世に蔓延しだしてからは、「会うのも怖い」と言われ、資料のやりとりはもっぱら郵送で行い、あとは電話での補足説明を聞くというのが基本的なスタイルになってきていたので、ゆっくりと顔を突き合わせて談笑する機会もなく、2年が過ぎてしまっていた。
 こんな状況の中、確定申告も終盤に差し掛かった3月上旬に この方の奥様から、「うちの主人ですが、お医者様からあと2、3日と言われています。今 何かしておくことはありますか?」と電話があった。
 そして、その電話があってから1週間後に、「先週 主人が亡くなり、お葬式も内輪で済ませたので、報告しておきます。」と連絡が入った。
 この連絡の後、やはり今までのような外部の人も参列する葬式はされなかったのか、そりゃそうだよな こんな時期だもん、と葬式のついていろいろと考えていると葬式の形態と意義の方へ頭が回りだし、葬式のことをいろいろと考えた。

 コロナ禍以降は死後の儀式であるお葬式のスタイルもすっかり変貌を遂げ、今回のような家族葬的な いわゆる内輪で済ませる葬儀が主流となってきている。
 決して大掛かりな葬儀を推奨したり、望んでいるわけではないが、お世話になった方が亡くなった時に手を合わせる機会がほとんどなくなり、事後的に何かのきっかけで亡くなられたことを知るケースが非常に増えてきている。
 今まで幾度となく葬式には参列してきたが、葬式にはそれを行う意義もあったなと今になって思うこともある。
 亡くなった方には申し訳ないが、通夜や告別式の連絡が入るとそれに参列するための日程調整は正直 結構大変であるし、遠方へ出向いていくことだって幾度となく経験してきた。ただ、お葬式の場で遺影を前にするとその方との楽しい思い出だけでなく、怒られたり、苦言を呈された時のことも脳裏に浮かんでくる。どちらかというと楽しいことよりも苦い思い出が頭に浮かぶことの方が多かったように思う。
 葬式に参列した後、2、3日もすれば日々の忙しさもあってこういったしんみりしたことは忘れて、日常に引き戻されてしまうが、葬式に参列しての帰り道くらいはしんみりとした気持ちになり、自分の生き方について反省すべき点と亡くなられた方への感謝の念が込み上げてくることが幾度となくあった。
 また、葬式に多くの費用をかけることに疑問を持ったこともあるし、相続の関係の仕事をしていると1,000万円近い葬儀費用の明細書を見て、「すごい! でも 故人には申し訳ないが少しもったいない気もするな、残された者の生活のことも考えると。」と思ったこともあった。

 今回の方は一人娘さんが以前 仕事の関係で宮古島にいらっしゃるときに会いに行かれ、帰ってこられて間もない頃 私との面談の時に、沖縄や宮古島に行った時のことを話されていたが、私が「今後も息抜きを兼ねて、定期的にお嬢さんとそのご主人に会いに行ってくださいね。」というと、「もうええわ、70を超えた者には長時間の飛行機は堪えるし、いっぺん行ったらもう十分、やっぱり京都とこの家が最高やし、一番落ち着くわ。」と話されていたが印象に残っていた。そしてこの方の遺影を前にしてこの宮古島の話を一番に思い出した。

 昨今は葬式だけでなく結婚式の方も大幅に減り、また行われても縮小されたりする話を見聞きするが、結婚式への出席は純粋に楽しく華やいだ気持ちになり、さらには少し感動するようなことがあると、「自分も30年以上も前にはあんな気持ちもあったんやな。今は・・・・・になってしまったけど」と自己反省することも度々あった。

 話が葬式から結婚式の方までいってしまったが、もう一度話を 元に戻すと
 遺影の前で手を合わすことは、自分が歩んできた道を振り返り、今後の人生を考えるという点ではそれなりに意味のある行為だったんだなと思ったし、葬式が少なくなった昨今では、そういったしんみりする機会さえもなくなってきていることに少しだけ寂しさを覚えてしまう。
 ただ、以前のような形にはもう戻らないような気もする。
 最近 黒のネクタイを締める機会って本当に少なくなりましたよね、というかほとんどなくなってしまいましたね。
 良いのか悪いのかはそれぞれの人の考え方にもよると思いますが、遺影を前にして いろいろいろ考えてしまいました。
posted by ヒロイ at 22:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年04月17日

No775:久しぶりのスポーツ観戦で気分爽快

 新型コロナウイルスは最悪の状態は脱し、新規感染者数は減少傾向にあるとはいえ、なかなか底は見えない状況が続いている。
 また、国外に目を向けても緊迫し、悪化の方向へ向かっているともいえるウクライナ情勢、そしてその余波も受けつつある中での世界、そして我が国における経済状況の悪化と目の前に明るい話題が見つかりづらい世の中になってきている。

 そんな中で今日はスポーツの話題であるが、スポーツ好きの私にとってはスポーツは嫌なことを忘れさせてくれ、心を和ませてくれる。

 先週の日曜日に27人の相手バッターを一人も塁に出させない完全試合を達成したロッテの佐々木投手が今日も日本ハムの打者24人を全て抑え込み8回でマウンドを降りるという離れ技を見せた。
 9回まで投げきらず次のピッチャーと交代したのは多少残念であったが、その交代にも不思議と納得がいったのは、まだまだこの佐々木物語が次へと続くという期待があるからなのだろう。
 次へ試合の楽しみは、完全試合やノーヒットノーランというよりも まず佐々木の球を打って最初に塁に出るのは誰か、そして初めてヒットを打つのは誰なのか そんなまるで映画やゲームの世界のようなことを現実のこととして考えられるだけでも、今までに経験したことのないことである。
 この佐々木超特急を止める、つまり塁に出たり、ヒットを打った選手はそれだけで話題の人になるのであろう。
 明るい話題の少ない時にすごい記録でなんともワクワクさせてくれる佐々木投手には尊敬と感謝の気持ちが沸いてくる。

 話は野球からサッカーへ、そして一週間前のことに戻るが、先週の日曜日にサッカーJリーグで12年ぶりにJ1に昇格した京都サンガの試合を亀岡のサンガスタジアムまで観に行ってきた。
 このスタジアムは2年前にできたとこで、屋根付きのドームではないが観客席のほとんどが屋根に覆われており、また ピッチとスタンドとの距離が近く、この日の私の席は前から5例目であったので、監督が指示を出す声や選手の荒い息づかいまで聞こえてくる なかなか臨場感あふれるスタジアムであった。
 実はこの日も朝から家でしていた書類チェックが予定よりも早く終わった(こんなことはほとんどないが)ので、昼ごはんを食べている時に「今からでも間に合うわ。よし行こう。」と、松ヶ崎から14時半過ぎの地下鉄に乗って、電車で亀岡へ向かった。
 それから1時間後には当日券を買ってシートに着くというなんとも慌ただしい動きであったが、試合の方も3対1で京都サンガが勝ったし、昼間からたこ焼きを食べながらビールも飲めたので、ここ暫くの間で一番の気分転換というか息抜きになった。

 まだまだスポーツ観戦も大手を振って行ける状況ではないが、またコロナの心配がなくなり、時間がとれれば一人でふらっと行きたいものである。
 前もって予定を立てておくのではなく、今回のように急であっても時間とれた時に見たいものや行きたい所へ行くというのもなかなかいいもんだなと思った。
 普段 予定に縛られていることが多い身としては、こんな思い付きで急な行動は結構 スリリングで楽しみになるかもしれない。
 ただ、次にこんな時間がとれるのはいつになるのか今は全く予想がつかない。だからいいんだけどね、俗にいう 行き当たりばったり で。
posted by ヒロイ at 21:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年04月10日

No774:なかなかできない身の回りの整理

 昨日は今の勤務先を来年の春に退職し、ご自身で事業を立ち上げようとされている方がご夫婦で事務所にお越しになった。
 事業を始めるまでのスケジュールの確認や必要な資金の調達方法の相談、そして当事務所が行う経営や税務の支援の内容について質問があった。
 面談が終わった後は、今後 相談を継続するかどうか検討してみるということで帰っていかれた。
 現在 顧問先になっていただいている方の開業後の経営状態にあらためて目を向けてみると、事業立ち上げ時の気持ちを開業された後も忘れずに少しでも頭の片隅でもお持ちの方はまずは心配ない。ただ 思った以上に早く軌道に乗った方でついつい初心を忘れ、気が緩み徐々に不安定な経営状態に陥っているケースを目にすることもある。
 事業の立ち上げ、つまり開業というものは、一生に一回きりの場合が多いが、私のように開業支援の仕事をしていると他人様のこととはいえ、事業を立ち上げる時の期待と不安に満ちたドキドキ感のようなものを何度も共有できるのはある意味 ありがたい経験ともいえるだろう。

 昨日は事務所も休みだったので、午後からは静かな中で自分の机の周りにある「ひとまずはここに」と積み上げられていた書類の整理に精を出したが、あまりにも量が多く 当初考えていた1/3くらいしか片づけることができなかった。
 デジタル化が進み、事務所でも「出来るだけ紙ではなくデータで保存を」と言っているのに まだまだ紙で保存しているものの多さにあらためて気付く結果となった。
 「必要かな?」とか、「あったら便利」と思うようなものがあるとついついコピーをとって残してしまうので、気が付けばコピーとそれを入れたファイルの山になっていってしまってるというのが今の状態である。
 目の前のファイルの中を覗き込むと、「なんでこんなものを置いていたんだろう」と思うくらいいろいろなものがあったので、いらないものはすぐさまシュレッダー行きとなった。
 あと、控えを渡す必要のない自分の確定申告書とその関連書類も3月10日の電子申告が終わった状態のまま たくさんの書類を輪ゴムで止めて机の下に置いていたので、整理して正式な保存用ファイルに閉じ込んだ。
 思ったように進まないからと言って、こういった整理作業を避けているとたちまち同じような状態なってしまうので、次は5月の連休にも選別→廃棄の第二段を実施することにしている。

 人間ってなんで使う可能性が少しでもあると 取っておきたくなるんでしょうね。「いつかは使うかも」とか「いつかは着る時がくるかも」なんてつまらぬ呪文をかけているように。
posted by ヒロイ at 21:03| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年04月03日

No.773:“一太郎”の思い出

 私の一日は毎朝6時に朝刊を自宅のポストに取りに行き、2つの朝刊のうち まず日経新聞の最終ページにある「私の履歴書」に目を通すとこから始まる。
 ご存知の方も多いと思うが、この「私の履歴書」はその時々の話題の人や著名人、更には過去において名を馳せた人が生まれてから現在に至るまでを自分で振り返りながら1ヵ月に渡って綴るというコーナーである。
 この私の履歴書で先月 久しぶりに“一太郎”という活字を目にし、懐かしさもあって、毎朝わくわくしながらこの連載を読んでいた。
 登場人物の浮川和宣氏ご本人のことに触れる前にまず一太郎の思い出について話しておく。

 私と一太郎との出会いは、私が22歳で社会人になり、結構転職者の多い税理士業界では珍しく新卒者としていきなり身を置いた事務所でのことである。
 その事務所は当時では従業員が20人を超えるという京都では比較的大きな事務所ではあったが、今ではどこにでもあるパソコンなるものはなかったし、現実的にはこの頃はまだパソコンが世に出回っていなかったという時代であった。
 税理士事務所での業務も今のようにいきなりデータ入力するのではなく、まずは自分の机の上でペンと電卓を使いながら仕訳作業をし、それが終わるとやっとコンピューター室(当時は機械室と呼んでいた)の中で小型テレビのような画面に向かって入力作業を行っていた。
 決算書や申告書は手書きであったが、役所に提出する特定の書類だけはワープロの専門学校を出た女性スタッフに入力依頼する形をとっていた。
 こんな状態が何年続いたかは覚えていないが、ある時 各人の机の上に1人1台ずつパソコンがあてがわれるようになり、多分 この頃に一太郎が我々の前に登場したと記憶している。
 定型のひな形がある議事録や契約書は自分で入力するように仕事のスタイルが変わっていったので、周りの人たちから取り残されないようにと必死で一太郎と当時の表計算ソフト“ロータス123”の入力や操作に取り組んだのを覚えている。
 その一太郎も今や役目をすっかりワード(Word)[ロータス123はエクセル(Excel)]にとって代わられているが、当時は一太郎が使えなというだけで仕事ができない奴と言われそうなくらい一世を風靡した。

 今回、私の履歴書を読んで、「この一太郎の会社って、そういえば徳島に本社があったな」というくらいのことは思い出したが、私の履歴書で、創業者である浮川和宣氏が30歳で脱サラし、奥さんと二人で奥さんの実家の応接室を本社として立ち上げたことなどは今回初めて知った。
 ただ 一太郎を開発し、全国くまなく行き渡るまで販売した結果、上場まで果たしたジャストシステムという会社も先述のワードの浸透の波をもろにかぶり、業績は傾き、社長も長くいっしょに仕事をしてきた福良伴昭氏に譲り、その後 浮川氏はジャストシステムを去ることになった。
 一太郎を販売していたジャストシステムという会社はなくなったのかなと心配していたが、その後 キーエンスの傘下に入ったとはいえ、販売する商品も変わり、しっかり方向転換を図り業績を伸ばしている。
 一太郎の産みの親である浮川氏は60歳になって、再び奥さんと新しい会社(MetaMoJi)を立ち上げ、尚 発展途上の最中という凄まじいバイタリティーの持ち主であり、今や少し話題の人のようである。

 月も変わり4月から始まったコマツ(小松製作所)の元社長である野路國夫氏の「私の履歴書」もまだ3日目であるがなかなか興味深い展開になっている。
 野路氏が小学2年生の時に父親を癌で亡くし、小学5年の時には一番上のお兄さんが商売に失敗し、住んでいた家を売り払ったという大変な幼少期のようである。

 話があちこちに飛んでしまったが、こんな風に朝から力を与えてくれる「私の履歴書」は私にとっては今やなくてはならない存在である。
 野路氏には明日からはどんな人生が待ち受けているんでしょうね。
* 一太郎を知っているのって何歳以上の人なんでしょう? 今の若い人は知らないでしょうね。明日 事務所で20〜40代の人に知ってるか聞いてみよ。
posted by ヒロイ at 15:30| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする