顧問先の方であったので、事務所に残っている過去の資料と事前確認した情報から判断する限りでは相続税はかからないくらいの財産内容であったが、相続開始後の各種手続きや今後の対応について相談したいとの申し出もあり、4月になったら面談をすることになったいた。
この亡くなられた方とは基本的には1年に1回会う程度の接触度合いであったし、年齢も80代と高齢の上、病気で入退院を繰り返されていたので直接お目にかかる機会も少なくなっていた。
しかも、一昨年から新型コロナウイルスが世に蔓延しだしてからは、「会うのも怖い」と言われ、資料のやりとりはもっぱら郵送で行い、あとは電話での補足説明を聞くというのが基本的なスタイルになってきていたので、ゆっくりと顔を突き合わせて談笑する機会もなく、2年が過ぎてしまっていた。
こんな状況の中、確定申告も終盤に差し掛かった3月上旬に この方の奥様から、「うちの主人ですが、お医者様からあと2、3日と言われています。今 何かしておくことはありますか?」と電話があった。
そして、その電話があってから1週間後に、「先週 主人が亡くなり、お葬式も内輪で済ませたので、報告しておきます。」と連絡が入った。
この連絡の後、やはり今までのような外部の人も参列する葬式はされなかったのか、そりゃそうだよな こんな時期だもん、と葬式のついていろいろと考えていると葬式の形態と意義の方へ頭が回りだし、葬式のことをいろいろと考えた。
コロナ禍以降は死後の儀式であるお葬式のスタイルもすっかり変貌を遂げ、今回のような家族葬的な いわゆる内輪で済ませる葬儀が主流となってきている。
決して大掛かりな葬儀を推奨したり、望んでいるわけではないが、お世話になった方が亡くなった時に手を合わせる機会がほとんどなくなり、事後的に何かのきっかけで亡くなられたことを知るケースが非常に増えてきている。
今まで幾度となく葬式には参列してきたが、葬式にはそれを行う意義もあったなと今になって思うこともある。
亡くなった方には申し訳ないが、通夜や告別式の連絡が入るとそれに参列するための日程調整は正直 結構大変であるし、遠方へ出向いていくことだって幾度となく経験してきた。ただ、お葬式の場で遺影を前にするとその方との楽しい思い出だけでなく、怒られたり、苦言を呈された時のことも脳裏に浮かんでくる。どちらかというと楽しいことよりも苦い思い出が頭に浮かぶことの方が多かったように思う。
葬式に参列した後、2、3日もすれば日々の忙しさもあってこういったしんみりしたことは忘れて、日常に引き戻されてしまうが、葬式に参列しての帰り道くらいはしんみりとした気持ちになり、自分の生き方について反省すべき点と亡くなられた方への感謝の念が込み上げてくることが幾度となくあった。
また、葬式に多くの費用をかけることに疑問を持ったこともあるし、相続の関係の仕事をしていると1,000万円近い葬儀費用の明細書を見て、「すごい! でも 故人には申し訳ないが少しもったいない気もするな、残された者の生活のことも考えると。」と思ったこともあった。
今回の方は一人娘さんが以前 仕事の関係で宮古島にいらっしゃるときに会いに行かれ、帰ってこられて間もない頃 私との面談の時に、沖縄や宮古島に行った時のことを話されていたが、私が「今後も息抜きを兼ねて、定期的にお嬢さんとそのご主人に会いに行ってくださいね。」というと、「もうええわ、70を超えた者には長時間の飛行機は堪えるし、いっぺん行ったらもう十分、やっぱり京都とこの家が最高やし、一番落ち着くわ。」と話されていたが印象に残っていた。そしてこの方の遺影を前にしてこの宮古島の話を一番に思い出した。
昨今は葬式だけでなく結婚式の方も大幅に減り、また行われても縮小されたりする話を見聞きするが、結婚式への出席は純粋に楽しく華やいだ気持ちになり、さらには少し感動するようなことがあると、「自分も30年以上も前にはあんな気持ちもあったんやな。今は・・・・・になってしまったけど」と自己反省することも度々あった。
話が葬式から結婚式の方までいってしまったが、もう一度話を 元に戻すと
遺影の前で手を合わすことは、自分が歩んできた道を振り返り、今後の人生を考えるという点ではそれなりに意味のある行為だったんだなと思ったし、葬式が少なくなった昨今では、そういったしんみりする機会さえもなくなってきていることに少しだけ寂しさを覚えてしまう。
ただ、以前のような形にはもう戻らないような気もする。
最近 黒のネクタイを締める機会って本当に少なくなりましたよね、というかほとんどなくなってしまいましたね。
良いのか悪いのかはそれぞれの人の考え方にもよると思いますが、遺影を前にして いろいろいろ考えてしまいました。