2022年02月20日

No.769:“コロナのお陰”と言える日は来るのか?

 先日、「東京都心部から周辺へ、そして地方へ」というような記事を目にしたが、ご存じのようにコロナによるテレワークの普及・推進により、都心を含む都市部から離れて住み、都市部のオフィスに通わずとも仕事ができる環境が徐々にではあるが整いつつあるとはいうものの、こういったことができるのは特定の職種であったり、一定規模以上の企業であったりとまだまだその利用は限られているのが現実であろう。
 ただ、時代の流れとして2年以上もこういったコロナに追いまくられるような生活が続くと、コロナ禍前のような生活を望まない層も出てきているのも事実である。
 地方の活性化と聞けば、古くは1970年代の前半、当時の田中角栄首相が掲げた日本列島改造論(これを知っている人は50代後半以上か?)、そして昭和から平成にかけて竹下登首相により各市町村一律に1億円がばらまかれた うふるさと創生とよばれた政策。当時、その1億円で金塊を購入し、展示した淡路島内のどこかの自治体もあったと記憶している。
 そして数年前からの東京一極集中の是正のために地方創生と叫ばれていたが、現実にはほとんど進まなかったというのがコロナ禍前までの我が国の状況であった。
 この地方創生担当大臣は初代が石破茂議員だったことを記憶している人はあるかと思うが、現在、このポストに野田聖子議員が就いていることを知っている人は数少ないように思う。
 こういった「政治の力で地方に活力を」と多くの政治家が叫んでいたが、一向に進まず、数年前からの東京、あるいは首都圏への集中は勢いを増すと言っていいほどどんどん進んでいった。
 この状況下にあった時に コロナが蔓延し、企業やそして東京をはじめ都市部に住居を構えていた人が、多少のゆとりも含め人間らしく生活ができる、子育てができる場を求めて移住という行動に表れているというのが最近の動きのようである。
 ただ、私はマスコミで捉えているほど移住はメリットばかりではないように思う。
 都会の人(子供も含む)が、自然を求めて というのが最近の移住する人たちの思惑のようであるが、本当にそこに理想郷があるかどうかの答えは5年後、10年後にならないと出てこないであろう。
 私は田舎暮らしも都会暮らしも経験したことがあるが、田舎暮らしはついつい“自然”が強調されがちであるが、いざ生活するとなると、まずは仕事、そして教育、それと健康で生きていくために欠かせない医療・福祉の3つがきちんと整備していなければ、まるでバブル崩壊後のリゾート開発のように、ブームが去れば空き家だけが増えたということにもなりかねない。
 移住にはお金も必要であるし、支援金も魅力の一つであるので、島根県のように「移住者へ最大100万円の支援金」という うたい文句で移住者を募っているところもある。目の前の100万円は確かに大きな金額かもしれないが、100万円で自分や家族の将来が買えるわけではないこともよく理解しておく必要がある。
 「本当に来てよかった、これからもずっと居たい。」と思えるような場所にするのは長い長い道のりで、答えは本当に数年後にしか出ないであろう。
 こんなことばかり言っていると、地方への移住の反対論者みたいに思われそうだが、決してそういうわけでなく、行ってみたい、住んでみたい、そして戻ってみたい場所が全国のあちこちに出てくれば、日本は今とは違った形で地方も生かした活性化の道筋が作れると思っている。

 最後に、結婚や子供の出産のことは個人の尊厳に関わることなのでここで触れると問題があるのかもしれないが、もう少し日本の人口が増えないことには何をするにも限界があり、人口構成のバランスを欠いた発展はあり得ないし、しりすぼみになってしまう可能性だってある。
 そういう意味において、(各自の自由であるという大前提はあるのは分かっているが)、結婚、出産、子育てがしやすい世の中を作ることが重要であるように思うし、このキーを握っているのは女性でなく、男性であるように思う。
 なんだか政治的な匂いもしそうな話になってしまったが、日本のあちこちで子供の声が聞こえるような国にあこがれるのは、私自身が地方でも賑やかだった時に幼少期を過ごしたことと無関係ではないであろう。
 そろそろコロナの功罪について検証も始まるだろうが、こういったことが実現できれば、いつかは「コロナの後 日本は変わった、いい意味で。」と言える時が来るかもしれない。
 「コロナのお陰」とは言わないまでも、「コロナが転換期だったな今の日本があるのは、今の世界があるのは」と言えるようになればいいのにと思っているのは私だけではないはず・・。
posted by ヒロイ at 22:47| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年02月13日

No.768:シャッターの音で忙しさが分かる

 我が事務所はこじんまりとしたテナントとはいえ、5階建のビルをまるごと借りているので、1日の最初と最後のビルの開閉は事務所の誰かが行うことなる。
 今日の話をする上で、事務所に来られたことのない方は構造や出入りのルールについて触れておかないと意味が分からないので、先に少しだけ説明をしておく。
 事務所のビルは、正面に大小のシャッターがあり、最初に事務所に入る者は、一般的によくあるドアの鍵開けから入るのではなく、まずはシャッターを開けないと入ることができない。
 そのシャッターも人が入る玄関の小さい方のシャッターは手動の鍵で開閉し、車2台分の幅があるガレージ側の大きなシャッターは電動で開閉するようになっている。
 事務所は8時30分から9時30分の範囲内での時差出勤制をとっているが、基本は8時30分が始業なので通常 私は8時10分前後に事務所に入るが、当然のことながら既に出社している者によって2つのシャッターは開けられている。
 帰りは比較的 外出先からの戻りが遅い私が、書類整理や決裁をした後、最後に閉めて帰ることが多い。

 今日の本題は閉める時、最後に電動シャッターのキキーン、キーという摩擦音の大きさが半端なく大きいことにに関係している。その帰りの時間が7時台なら、車も人もそれなりに行き交っているのでさほど気にならないが、8時以降となると車の通行量も少なくなっているので、シャッターの閉まる音が静かな夜の街に響き渡る。
 金曜日は夜も営業されている3軒隣の散髪屋のご主人からは、週明けに顔を合わすと、「先週の金曜は遅くまでされてしましたね。あのシャッターの閉まる音を聞くとうちもそろそろ終わりにしようかと思うんです。」とあいさつされることもあるし、自宅内に事務所を構えられている近くの先輩税理士さんからも、「シャッターの音を聞いて、ああ 廣井さん そろそろお帰りかとか、時には寝る頃 まだ事務所にいはったんや と思いながら寝付くこともあるんです。」と話されていたこともあった。
 このシャッターの開閉時、特に閉まる時の大きな音は、なんとかしたいと思いつつも構造上の問題からもまた改修や取り替え費用の点からも半ば諦めていたが、先日 出入りの工事業者からシャッターの溝のクリーニングと適度な油をさすことで大幅に改善されると聞いたので、即 実行に移した。
 終わった後、「なんでもっと早くせんかっんやろ」と思うくらい静かになり、ご近所の顔見知りの人はもとより、事務所の周りに建ち並ぶマンションの方々にも「毎晩 騒がしくしてすみませんでした」と思った次第である。
 それといよいよ繁忙期に入る時期に周りを気にせず静かに帰れることにほっとしているのも事実である。今頃言うのもなんだが、なんでもっと早く手を打たんかっんやろ。
 ただ、一つのストレスの要因がなくなったことは何はともあれめでたしめでたし。
 ところで、このシャッターの件、業者さんに急いでお願いしたので見積りを取らんかったけど一体いくらするんやろ? 明日電話して聞こ。
posted by ヒロイ at 11:23| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年02月06日

No767:“言っても無駄な人”にならないためにも

「あの人何言っても無駄やで」と思う人 みなさんの周りにはいませんか?
 こんなこと言っている私も他の人からそう思われていないとも限らないし、特に先輩や上司、ましてや経営者ともなれば周りの人の本当の気持ち、つまり本音というのはなかなか本人の耳には届きにくいものである。

 企業規模の大小に関わらずトップは人の意見に惑わされることなく、自分の考えで信念を曲げずに走らないといけない局面もあると思うし、時には相談する時間的余程もなく、即 決断を求められることだってある。
 私は自分自身も含め4人で事務所を立ち上げたが、今となって思うと人の仕事ぶりや考え方がきちんと把握できるのは普通の人なら5、6人までで、余程そういった能力に長けている人であってもきちんと把握できるのはせいぜい10人くらいまでかと思われる。
 私自身 一人で全ての舵取りができるほどの能力もなければ、自信もないというのが正直なところで、そういう意味での限界は早くから感じていたので、当初は2人、今は3人で1週間に1回 幹部会なる事務所運営の打ち合わせの機会を設けている。
 もちろんそこで全てスタッフの意見が汲み取られているかというとそうではないと思うが、私一人で考えるよりはこうして複数の者で議論する方がずっといい組織が作れるように思う。

 全ての人の意見や気持ちを理解でき、みんなの希望を叶えてあげられたらそれにこしたことはないが、全体の調和、そして経営的な観点から取り入れられないことだっていくつもある。
 まだまだこの場で伝えたいことはいろいろとあるが、「あの人は聞く耳持ってない人やし、言うだけ損」とか、「あの人 昔はもっと話のわかる人だったのにな」と思われないようにすることが、経営者にとっては重要なことのように思うし、開かれた組織の方がきっと長続きすると思う。
 各人が抱える悩みは当然解決することが必要だとは思うが、今までの経験では 事務所内でも顧問先の経営者からの聞いた話においても、まず いろいろと考えているの話や悩みを聞いたり、意見を言う場があるということが重要のようである。
 これは職場だけでなく家庭内でもいえることであろうし、今回は自省の意味も込めてこんな内容になってしまっている。 
 振り返ってみると、今まで仕事でも仕事以外のことでも、「あんたの言うこと聞いても意味ないし」と言われたこともあるし、「もうええ、うるさい」と半ば切れられたことは仕事上でのことも含め一度や二度ではないが、そう言われた人には自然と距離をとってしまい、それ以降 絶対に近づいたりしませんものね、あれだけのこと言われたのだから当然でしょうし。
 まあ、今ではそういう人とはお付き合いが続いていないし、もし 心当たりのある人がこれを読んでいたらどうしようとも思ったが、そんな人 読んでるわけないですよね 私のブログなんて。
 まあ、気にせず今日はこのへんで終わりにしよ。これ以上続けるとつまらぬ愚痴を言ってしまいそうなので。
posted by ヒロイ at 20:03| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする