ただ、時代の流れとして2年以上もこういったコロナに追いまくられるような生活が続くと、コロナ禍前のような生活を望まない層も出てきているのも事実である。
地方の活性化と聞けば、古くは1970年代の前半、当時の田中角栄首相が掲げた日本列島改造論(これを知っている人は50代後半以上か?)、そして昭和から平成にかけて竹下登首相により各市町村一律に1億円がばらまかれた うふるさと創生とよばれた政策。当時、その1億円で金塊を購入し、展示した淡路島内のどこかの自治体もあったと記憶している。
そして数年前からの東京一極集中の是正のために地方創生と叫ばれていたが、現実にはほとんど進まなかったというのがコロナ禍前までの我が国の状況であった。
この地方創生担当大臣は初代が石破茂議員だったことを記憶している人はあるかと思うが、現在、このポストに野田聖子議員が就いていることを知っている人は数少ないように思う。
こういった「政治の力で地方に活力を」と多くの政治家が叫んでいたが、一向に進まず、数年前からの東京、あるいは首都圏への集中は勢いを増すと言っていいほどどんどん進んでいった。
この状況下にあった時に コロナが蔓延し、企業やそして東京をはじめ都市部に住居を構えていた人が、多少のゆとりも含め人間らしく生活ができる、子育てができる場を求めて移住という行動に表れているというのが最近の動きのようである。
ただ、私はマスコミで捉えているほど移住はメリットばかりではないように思う。
都会の人(子供も含む)が、自然を求めて というのが最近の移住する人たちの思惑のようであるが、本当にそこに理想郷があるかどうかの答えは5年後、10年後にならないと出てこないであろう。
私は田舎暮らしも都会暮らしも経験したことがあるが、田舎暮らしはついつい“自然”が強調されがちであるが、いざ生活するとなると、まずは仕事、そして教育、それと健康で生きていくために欠かせない医療・福祉の3つがきちんと整備していなければ、まるでバブル崩壊後のリゾート開発のように、ブームが去れば空き家だけが増えたということにもなりかねない。
移住にはお金も必要であるし、支援金も魅力の一つであるので、島根県のように「移住者へ最大100万円の支援金」という うたい文句で移住者を募っているところもある。目の前の100万円は確かに大きな金額かもしれないが、100万円で自分や家族の将来が買えるわけではないこともよく理解しておく必要がある。
「本当に来てよかった、これからもずっと居たい。」と思えるような場所にするのは長い長い道のりで、答えは本当に数年後にしか出ないであろう。
こんなことばかり言っていると、地方への移住の反対論者みたいに思われそうだが、決してそういうわけでなく、行ってみたい、住んでみたい、そして戻ってみたい場所が全国のあちこちに出てくれば、日本は今とは違った形で地方も生かした活性化の道筋が作れると思っている。
最後に、結婚や子供の出産のことは個人の尊厳に関わることなのでここで触れると問題があるのかもしれないが、もう少し日本の人口が増えないことには何をするにも限界があり、人口構成のバランスを欠いた発展はあり得ないし、しりすぼみになってしまう可能性だってある。
そういう意味において、(各自の自由であるという大前提はあるのは分かっているが)、結婚、出産、子育てがしやすい世の中を作ることが重要であるように思うし、このキーを握っているのは女性でなく、男性であるように思う。
なんだか政治的な匂いもしそうな話になってしまったが、日本のあちこちで子供の声が聞こえるような国にあこがれるのは、私自身が地方でも賑やかだった時に幼少期を過ごしたことと無関係ではないであろう。
そろそろコロナの功罪について検証も始まるだろうが、こういったことが実現できれば、いつかは「コロナの後 日本は変わった、いい意味で。」と言える時が来るかもしれない。
「コロナのお陰」とは言わないまでも、「コロナが転換期だったな今の日本があるのは、今の世界があるのは」と言えるようになればいいのにと思っているのは私だけではないはず・・。