2021年12月26日

No761:従業員を辞めさせたくない

 なんと 次の日曜日は新しい年となっているので、今日は今年最後の日曜日である。
 この一年間を振り返ってみると新規開業支援、医療法人の設立支援、それに相続関連の業務等 例年何件か舞い込んでくるこういった業務以外に、今まで手をつけたことのないような分野での仕事をいくつも手掛けた年でもあった。
 既にキリがつき 完了しているものもあれば、2年がかりになる仕事で、継続しながら来年に持ち越しになっているものもある。

 自分自身 この一年で決して目を見張るような成果があったわけでもないが、新しい分野の仕事(具体的な内容はここでは差し控えてが)というのは、研究というか、調べることも多く、自分の知識不足をあらためて感じることが何度かあった。
 中には 期日内に答えを出さないといけないものもあり、今年は結構緊張しながら仕事をする局面がいつになく多かったように思う。
 
 こんな中、事務所の運営をする上で、税理士というよりも経営者として、常に心掛けていたことが一つだけある。
 それはできるか限り人を「辞めさせない経営」をしようと強く思い続けていたことであろう。
 どこの事業所でも、経営者が自分の所で働いてくれている従業員に100%満足しているかというと そうではない場合もあるだろうし、中には辞めさせたいなと思うような人を抱える事業所もあると思う。
 我が事務所は現在 パート4人、嘱託1人を含む20人体制で業務を行っているが、パートの人は個人的な事情のある方も含め、2〜3年に一人くらいは辞めていかれるが、常勤は4年ほど前に地方の実家に帰るため退職した男性以降、ここまで退職者を出さずに運営できている。
 なぜ? ということはさておき、このことで「退職→求人→面接→採用→(新人)教育」というお決まりの人員確保、人材育成ということにかける時間が非常に少なくて済んでいる。
 また、退職者や人に入れ替わりというのは経営者にとって最大のストレスであるが、これがない分、最初に述べたような新しいことに取り組む力が残されている。
 当然、人件費の上昇は経営者として気にかけないといけないことかもしれないが、我々の業界でのお決まりの業務である「法人の決算」、「個人の確定申告」、「年末調整」等は、『○○の改正点と昨年多少問題のあった□□だけは気をつけ、他は例年(いつもの)形で早めに準備をして、進めてようにしてください。』と号令をかけるのが私の仕事で、「いつものように」とは言っても、毎年毎年 その仕事のスピードはどんどん速くなっていっていて、「えっ? もう終わったん」と思うこともしばしばある。
 採用について何か特別に心掛けていることがあるわけでいが、人を採用するときは、人員不足に陥ってから 焦って採用しないようにはしている。ただ、決して余剰を抱えられる状況でもないので、その+1名の新規採用のタイミングには細心の注意を払うようにしている。
 実は1月5日(事務所の仕事始め)から、20代半ばの常勤者の採用が決まっており、新年早々楽しみにしていることの一つである。
 この新入社員は事務所の最年少で、平均年齢の引き下げにも寄与してくれる人材でもある。

 事務所内で年齢が一番上の方は59歳のパートの方であるが、仕事ぶりは全く問題ないのでご本人からの申し出がない限り、まだまだ働いてもらおうと思っているし、これからの時代、「○○才まで」なんて年齢で区切りをつけるのではなく、今の仕事がやってもらえる限りというのが、今後 60歳以上の人を雇用する上で必要なことであろう。

 年の最後に偉そううな話をしてしまったかもしれないが、自分自身に対して、自分が採用したからには、「 今後も人を大事にしろよ」という戒めの意味も含めて事務所の現状を振り返ってみた。

 それにしても本当によく仕事をしてくれる人ばかりで、「辞めてもらってもいい人は一人もいない」という中で仕事ができる環境に感謝しながら今年の幕を下ろすことにする。
 当事務所は12月29日から1月4日まで休暇になるが、しっかりとした骨休めと少しばかりに充電ができればと思っている。
 とはいっても明後日[12/28(火)]までに片づけないといけないことはまだまだ残っているので、ひとまず今日はこの辺で失礼します。
 では、皆様もよい年の瀬と年始をお過ごし下さい。
posted by ヒロイ at 15:07| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年12月19日

No760:ずっと気になっていること

 日本語の使い方が気になること自体、“おじさま”なのであろうが、最近では当たり前になってきている 「全然○○です」・・例えば、「全然 大丈夫です(できます)」とか「全然 間に合います」という言葉の使い方にはいまだに慣れないし、自分自身うまく使えないのか、一度も使ったことがない。
 例えば、「○○は全然できそうにありません」とか、「前の人には全然追いつけません」等、私が習った国語教育では、「全然」の後には、否定的な言葉がくるものだと習ったし、学校で習っていなくとも 「全然・・・(否定形)」はごく当たり前だと思っていた。
 それが最近はビジネスシーンでも使われることがあり、問題なくできることを「全然OKです。」と普通に言ってくるので、最初に「全然」と聞くと、ダメだったのかと思いきや結論は 問題なし ということを告げられ 頭の中が ? の状態になることもある。
 こういった使い方はいつからこの世にはびこったかは分からないが、周りの人を見ていると現在の年齢で50歳前後がこの言葉遣いの境のように思う。

 ただ、人の言葉使いに神経をとがらせ、偉そうなことを言っているが、私自身、先日発表された2021年新語・流行語大賞ベスト10のうち5つしかその言葉の意味が分からなかったし、この旬の言葉が分からないことの方が ある意味ずっと時代遅れなのかもしれない。
 ところでみなさん下記の10の言葉のうちいくつ分かりますか?
 少し恥ずかし話ですが、5つ分かったといっても、そのうちいくつかはきちんとした説明はできず、何となくというか ぼやっとでも意味が分かったものも含まれている。
 どこかで恥をかかないようにと新聞に載っていた言葉の由来や意味に目を通したが、使うこともなければ気に掛けることもない言葉なので、頭に残ることもなく数週間のうちに、元々知っていた5つ以外はたちまち意味が分からなくなってしまった。
 その中でも一つだけ最初は分からなかったが、この学習の成果として、今でもボヤッと覚えているのは 「スギムライジング」くらいである。

○リアル二刀流/ショータイム
○うっせぇわ
○親ガチャ
○ゴン攻め/ピッタピタ
○ジェンダー平等
○人流
○スギムライジング
○Z世代
○ぼったくり男爵
○黙食

 こんな状態なので、今の若い人たちが言っていることなど 到底理解できない世代に入っていっているのかもしれないが、クイズ番組に出るわけでもないので、こんなことを無理して覚えるつもりもない。
 それにしてもいろいろな意味で世代の格差や生きていくステージの違いを感じるようになったのは、自分が年をとったからなのか、それとも世の中の変化が今まで経験していたようなものとは全く違った流れになってきているからなのか、どうであれ分からないことが多すぎる。
 若い人たちに理解を示すことは必要であっても 本質に迫る必要もないというか それはなかなかできないし、自分なりに今まで生きてきた延長として、あと何年か仕事をし、人に迷惑を掛けずに人生を送れたらいいと思っている。
 
 年末になってからではあるが、最近 気になっていることをぼやいてちょっとすっきりした気分である。
 でも、よくよく考えると今日の話って、誰も悪くないもんね。
posted by ヒロイ at 22:29| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年12月12日

No759:平均寿命の延びが相続への対応を難しくしている?

 当事務所が定期的に発行している資産に関するレポートの相続の準備に関するアンケートに「何も対応していない」という人が全体の6割近くあり、その理由で一番多いのが、「時期尚早だと思っている」というもので全体の約45%を占めていた。
 実はもう少し掘り下げ年代別で見た場合、比較的若い層ならこういった理由も理解できるが、70歳以上で「時期尚早」が30%もあったのには驚いた。
 では、何歳になれば相続に関する対応をするのか、70歳以上の方に確認したい気持ちになってきた。 
 相続というと ついつい資産家の相続税への対応のことが思い浮かぶが、今住んでいる家を誰に相続させるのかとか、お墓のことや不動産の管理・処分に関してはどのようにするのか等、資産家でなく、いわゆる一般人であっても相続ということに関しては何らかの事前対応が必要と思われる。
 
 ここでは深い部分までは触れられないが、80歳を過ぎた方でも、「今後のことはもう少し経ってから考えようと思っている。」とおっしゃる方も何人かいらっしゃる。
 別に財産とか相続税がどうとかいうことではなく、自分が亡くなった後のいろいろなことの対処の仕方は、子供をはじめとする親族の方にある程度 話しておく必要はあるように思うのだが・・。
 突然 亡くなったり、亡くならなくとも救急車で病院に運ばれるようなことがあっては、取引のある銀行や証券会社、それに通帳や印鑑の場所さえ本人しか分からず、困ったことも起こってくるように思う。
 あと、今後 相続の仕事で大変になってくるケースとしては、最近 増加傾向にある未婚の方やあまり親族と交流することなく亡くなっていかれた場合であろう。
 どんどん高齢化が進んでいく中で、私の周りでは亡くなられた方の年齢が90歳以上の例もいくつかあり、実はその亡くなられた方(被相続人)の関係者に連絡することさえ困難なことも生じてきている。
 少し話がそれるが、頭の整理も兼ねて、相続関連の冊子に載っていた平均寿命の推移を掲げてみる(抜粋)。

[昭和22年] 男:50.06歳  女:53.96歳
[昭和40年] 男:67.74歳  女:72.92歳
[平成 2年] 男:75.92歳  女:81.90歳
[令和 2年] 男:81.64歳  女:87.74歳

 これを見て驚いたのは、戦前の平均寿命が短いことや私が生まれた頃(私は昭和37年生まれ)と現在を比較すると、男女とも15歳近く平均寿命が延びている点、そして、ついこの間のような平成2年からも5歳以上延びているという点、これらは全て想像していた以上であった。
 平均寿命の伸びは医療技術の進歩が一番の要因かもしれないが、変な言い方(場合によっては失礼な言い方かも?)をすると。本当にそう簡単には死なない、そして死ねない世の中になってきている。
 そういう意味においては、最初の相続についてのアンケートで「何も対応していない」という人が多いのもうなずけるが、これはこれで個人的には問題を先送りしているだけのような気もする。

 先週、70代半ばで今後の人生について、資産、家族、仕事(開業医)についていろいろの角度から かなり真剣で考えている方と面談する機会があったが、この方はあと1、2年のうちに廃業(継承)や自宅の処分、転居も含め大きな決断を下されそうで、ある意味 今後の見通しがはっきりしている数少ない人である。

 一般的にはサラリーマン等 定年のある方は、節目節目でいろいろな変化があるが、開業医を含め事業をされている方は、定年もないので年齢についての節目がつきにくく、特に後継者がいらっしゃらなければ健康状態の変化があって初めて、節目が訪れるという方も少なくない。

 我々の仕事も税務・会計が本業とはいうものの、長くお付き合いしてきた経営者の方々の事業や人生の終い方というか、ソフトランディングの仕方をいっしょになって導くことも大事な仕事で、今まで関与してきたことへの恩返しともいえるようにも思う。
 ただ、こちらがいくら気をもんでもご本人がその気にならなければ、話は一向に進まないのが現実であるが。

 それにしても平均寿命はどこまで延びるのか? また延びることメリットだけでなく、問題点もしっかり把握しながら対処していく必要があるように思う。
 それにしても今回のデータを見てすごいと思った。女性であれば85歳で亡くなった場合、「ちょっと早いですね」ということになるのですから・・。
posted by ヒロイ at 17:03| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年12月05日

No758:【再掲・・No16:“かに”は3時のおやつ(2007/12/08)】

 いよいよ12月に入り、本来であれば いくつかの忘年会が始まる時期ですが、当然のことながら 今年も昨年に引き続きそういった集まりは一つもないし、事務所の忘年会も2年連続 「開催は見送り」と一ヶ月ほど前に発表した。
 ただ、この時期になると新聞や雑誌で、それにテレビでもてっちりを含むふぐ料理やすき焼き、焼肉などを紹介したものが数多くみられる。
そして極めつきは、やはり冬の王様“かに”で、この時期の露出度は一気にアップする。
 事務所でも京都市内のかにのお店で忘年会をしたこともあるが実を言うと、私は決して嫌いではないが”かに”への期待は低く、料理として高位置にいるというものではない。
 その理由は私が開業した年の2007年12月8日のブログ(No16)を綴っているので再掲にはなるが、初めての方もあるかもしれないのでここに挙げておく。
 このNo16に目を通すと、この頃は今は亡き父も健在で、母と共に子供や孫がお正月に集まることを楽しみにしていたんだな と懐かしさも込み上げてきた。
 前置きはこれくらいにして、ちょうど14年前の12月8日のブログに目を通してみてください。

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【No16:“かに”は3時のおやつ  2007/12/08】

 京都市中京区で開業されているで税理士のT先生から『廣井さん、開業されたらしいですね。いっぺん、一緒にご飯でも食べましょか。』と声を掛けて頂いて、先日、おいしい中華料理をごちそうになりました。
 T先生は私と同じ高校の出身で6年上の大先輩です。このT先輩とは以前、電話で一度だけ話をしましたが、今まで面識はなくこの日が初対面でした。ただ、『廣井さんのお兄さんもお姉さんも同じ高校だったし、よう知っとるで。実家の場所もよう分かっとるし。』と言われ、とても初めて会ったという感じではなく、本当に話がはずみ楽しいひと時を過ごさせて頂きました。

 私の故郷“丹後”は同じ京都府内でありながら、海・山に囲まれ、この時期は、特に“寒い”所です。京都市内では“丹後出身”というのはある意味“田舎もん”の代名詞みたいなもんで、大学で京都に出てきてから、“まちの人達”に対して常にコンプレックスを感じていました(これは、一生消えないでしょう)。だから、余計に同郷の人に会うと何とも言えない安堵感を覚えてしまいます。

 おいしい料理とお酒をご馳走になりながら、高校時代の先生の話や郷里を出てから現在に至るまでのことを色々と聞かせて頂きました。びっくりしたことに、T先生が東京での学生時代に私の義兄(姉の夫)の下宿に泊まって遊んだこともあったと聞かされ、これまた、すごい奇偶だなと思わざるを得ませんでした。
 まあ、皆さんもそうだと思いますが、故郷の話は本当に盛り上がります。ただ、楽しい話の中で、『この仕事は、常に勉強。』と一番苦手なこともズバッと言われ、『そうですね。』と心にもない返答をしてしまいました。

 最後に、この時期、丹後へのツアーもある“かに”ですが、丹後人(丹後出身の者だけが使う言葉)は今では豪華料理の代名詞ともいわれるようになったこの“かに料理”を都会の人ほど豪華料理とは思いません。 なぜなら、小さい頃の3時のおやつは子持ちの“こっぺがに”でしたし、夕食の後にもかにが出てきました。今から思えば『また、“かに”きゃあ(また、かにか)。他になんかないんきゃあ(他に何かないのか)?』と親に対して、あるいは、“かに様”に対して何とも失礼なことを言っていたなと思いました。
 でも、丹後出身の私と同い年の開業医の先生も同じことを言っておられました。その先生なんかは『僕は、かにを食べるときは、ひとかけらの身も残さずに食べられるし、かにの食べ方の下手な奴だけは許されへんわ。医局の忘年会でかにを食べに行ったときはいつも“かにの上手な食べ方”の講師役でしたよ。』と自慢げに言っておられました。
 
 先日、年老いた親から『開業して、日も経っとらんし、忙しいかも知らんけど、かにぐりゃあ(かにくらい)食べに帰ってこいや。』と連絡がありました。本当にありがたいもんです。
 お正月は久しぶりに“丹後のかに”に会ってこようと思っています。
posted by ヒロイ at 17:26| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする