2021年11月28日

No757:今だから話せます 「本当に運がいいと思いました」

 妙なタイトルですみません。
 実は1ヵ月ちょっと前に車が大破するような事故に遭った。
 ここで取り上げるのもどうかと思ったが、相手が車でも人間でもなく、動物だったので参考になるかどうかは分からないが当時の様子を簡単に綴ることにする。
 
 相手の動物は鹿で、片側1車線の高速道路を走行中、私の車の上から突然 飛んできた。
 京都府北部の顧問先で仕事を終えての帰り道で、時間は夜の7時半頃であったが、周りは山に囲まれ 真っ暗で、しかも小雨が降っていた。
 衝突の瞬間は「上から何かが落ちてきた」という感じで、後から事故処理に駆けつけられた道路公社の人から話を聞くと、鹿が左側のガードレールを勢いよく飛び越えて車の前のボンネットに上から落ちてきて、その後、フロントガラスに当たって右側に落ちたようである。
 実は鹿が車に当たった瞬間に6つのエアバックが1秒もしないうち、つまり瞬時に開いたので、私の目の前はそのシートで真っ白となり何も見えなかった。実はその衝突した鹿さえも一度も見ていない。事故処理後、写真で見せてもらいましたが・・。
 私は山からの落石かな、「ヤバい」と思ったが、その数秒後(ほとんど覚えていないが)、何とかエアバックで前も見えない中、無意識のうち車を左の路肩に避けて、1車線の本線が徐行できるスペースを空けていた。
 ただ、避けた瞬間エンジンは止まり、その後は二度とかからなかったし、エンジンも折れていたその車はその後 全損扱いで廃車となった。

 そしてしばらく何が起こったか分からないまま放心状態でいると、「大丈夫ですか、すごい鹿でしたね。後ろを走っていたうちの車がはねてしまいました。」とドアを開けて若い男性の方が話しかけてこられた。
 「えっ、鹿だったんですか? あの落ちてきた物体は」と思わず叫ぶような声を出していたが、この時やっと何が起こったのか少しずつ分かるようになっていった。
 幸い私の体はどこかにぶつかるでもなく、車内で四方から出てきたエアバックに体が触れることもなく、不思議なくらい何のけがもなかった。
こうして元気なのでいえる話であるが、エアバックが開いた後は花火の時の火薬のようなにおいが車内に充満していた。
 実はエアバックに気づくまでは車の前のガラスの外側に塊の入った白い袋が落ちてきたと思っていたし、これが車外にあるのか車内にあるのかさえも しばらく判別もできない精神状態であった。
 私が連絡した警察とこの道路を管理している公社の方が30分ほどで到着し、聞き取りがあったが、その後 レッカー車の到着までの約1時間半は寒い山中で待つしかなかった。
 そしてレッカー車到着後、無残にも破壊された私の車はレッカー車に積まれ、私は助手席に乗せてもらい京都まで戻った。
 翌日 車をトヨタの販売店(修理工場)まで運んでくれるとのことだったので、車内に残っていた3つもある かばんや袋を抱え、タクシーに乗り込み12時半ごろ何とか自宅に帰ってきた。

 体こそ、何とも運がいいというか無傷であったが、この日はなんだか興奮してあまり眠れなかった。
 翌日からは自動車保険の30日間レンタカー無料サービスを利用して、通常の仕事をこなすことができたことも、翌朝 車の状態を見るとまるで奇跡としか言いようがない事故であった。

 今回の一件は果たして運がいいのか悪いのか?
 多くに通行量の中で私の車に鹿が飛んできたことは何万分の一か何十万分の一以上の確率で運が悪かったのであろうが、こうして元気でいられるということは、当たっておきながら言うのもなんだが、すごく運が良かったと言えるのかもしれない。
 雨の降る日の真っ暗の中で、横からならまだしも、上から降ってきた鹿は誰であっても避けようがなく、今となってはまるで夢のような一件であった。

 少しだけ鹿事件の話を というつもりが、ついつい興奮して長くなってしまいましたが、みなさんも気をつけましょう 高速道路での鹿には。
 とはいっても避けようがないんですけどね・・・。
posted by ヒロイ at 18:57| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年11月21日

No756:やはり秋は物悲しい

 先日、ある顧問先の院長のお母様がお亡くなりになられた。
 80代半ばではあるが、5年程前にご主人を病気で亡くされた後、この1、2年前まではご自身で病院へ通われたり、趣味の延長の習い事(勉強)もできる範囲でされていて、何とか自分の体を気遣いながらも 充実した日々を送っておられた。
 今年の2月下旬には、確定申告の報告を兼ねて電話連絡したところ、コロナが広がりだした昨年の春以降は、なかなか外出したり、人と接触することができなり とても寂しくなったとおっしゃっていた。
 このお母様とご主人(先代の院長)は私が前に勤務していた税理士事務所からのお付き合いで、大学を出て間もない20代半ばくらいから、今の事務所で新しい担当者が決まるまでの間、約25年近く面談をしたり、いろいろな相談を受けたりしていた。
 
 この方以外にも私がまだ20代だった頃から訪問や面談をしていた方がここ数年 相次いでお亡くなりになっている。
 事業としてはしっかりと後継者にバトンタッチされ、事業承継という点では問題はない方がほとんどであるが、お付き合いの期間が長かった人ほど 思い出すことも多く何とも寂しいものである。
 
 大学を出てすぐの頃、一応 仕事の仕方だけは先輩から教えてもらっていたが、礼儀作法というか、ビジネスマナーはほとんど身に付いていなかった。そんな何も分からない当時の私をよくぞ不満も言わずに受け入れてくれたのもだと 今になって感謝の気持ちが沸き起こってくる。
 今80代でご存命の方も同年代で既にお亡くなりになられた方も 今から思えば一本 筋が通っていて、何か間違いがあるとよく怒られたものである。ただ その時、単に怒られるだけでなく、必ずこうしたら次は失敗しないから というアドバイスまでいただいた。

 ある時、大事な相談があると事前に言われておきながら、その後の訪問先の到着時間までに十分な時間の確保ができていなかったので、相談の時間が足りず そわそわしながら何度となく横目で時計を見ていると、「もう少し落ち着いて相談に乗ってもらえると思っていたのに、次の人との面談時間のことばかりが気になっているようなんで、今日はもう相談する気がなくなった。」と大目玉を食らって突然 面談の打ち切りをされたこともあった。
 また、別の方であるが、その方の話を聞くときの私の態度や姿勢が悪い(「なってない」)ということで、座っていた応接のソファーから降りるように言われ、横の畳の間で正座させられたこともあった。
 今なら「・・ハラ」と言われるような、上から下への問題発言であったり、問題行動になるかもしれないが、まだ昭和の時代はこんなことはさほど不思議ではない光景であった。
 ただ こういった方々の熱い思いや厳しい躾のお蔭で、何もわからなかった若僧が少しずつ世の中のルールを身につけていける、それはそれである意味 よき時代でもあった。
 今回亡くなった方は私が時間の調整がつかず やむなく昼前に訪れると、温かいラーメンを準備して待っていてくださり、「あんたら若いからお腹すいてるやろ、仕事に入る前にまず腹ごしらえせんと。」というまるで母親のように暖かい言葉を掛けていただいた。
 こういった方々は数年前から一線は退かれていたので、お目にかかるのも1年に1度か、電話で声を聞くくらいの関わりになってしまっていたが、今回亡くなられた方は、今年の3月に電話をした時は、「廣井さん、長いこと会ってないな、いっぺん顔が見たいわ。コロナが収まったら一回誘うからお昼ぐらいいっしょに付き合ってな。」と言われていた。
 う〜ん、その楽しみも実現できずに亡くなられてしまった。コロナさえなければ、あと1、2度はお目にかかったり、いっしょに食事ができたかもしれないのに。
 今こうして思うと、コロナって本当に多くのものを奪い取っていった憎きものであるが、こうして振り返ってみると 私は今まで本当にいい人に囲まれながらここまで仕事をすることができたなとつくづく感謝するばかりである。

 今日は先週亡くなられた方のことを思い浮かべながら、今の思いをまとめてみた。
 過去のことを思い出す、これは決して無駄ではなく、時にはとても大事なことであるとあらためて感じた。
 ただ、今回のようなこともあってか 秋は本当に寂しさが募る季節である。
posted by ヒロイ at 22:33| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年11月14日

No755:見本となるような定年後の暮らし

 新型コロナの感染も多少 下火とはいえ、まだまだ表立って人と会うことはしづらい状況であるが、今日 60歳を超えたご夫婦と2年ぶりに会って話しをする機会があった。
 ご主人は40年以上の会社勤めを終え、今は年金暮らしの65歳、奥様は63歳でもうしばらくパート勤務を続けるとのこと。
 このご夫妻の懐具合は分からないが、子供は3人とも独立されているので、無理さえしなければ夫婦2人 十分に普通の生活ができる状況のようである。
 定年退職されているこのご主人は朝夕とパート勤めの奥様を駅まで送り迎えをされること以外に、買い物から食事の準備までほぼ毎日されているようであるが、ご主人は定年までは家事はあまりされず、基本的には奥様がされていたが、今は土日以外はほぼ毎日ご主人が食事の用意をされているようである。

 今日 話を聞いて感心したことがいくつかあったが、
 まず一つ目は、長年連れ添った夫婦と言えども、年齢や家族構成の変化、それにそれぞれの置かれている状況に応じて生活のスタイルを変えておられることである。
 少し前までは家庭内において、男の仕事と女の仕事ははっきりと分かれており、私の父も家事をすることはなく、亡くなるまでこのスタイルを崩すことはなく続けていた。
 しかし、これってどちらかが亡くなったり、あるいは病気による長期入院があったような場合、たちまち家庭として日常が機能しなくなり、場合によっては大変なことに陥ることだってある。
 そういう意味でこのご主人の変わりようは、老後の生活で重要なことを65歳以降 自然に習得されつつあるという点では何とも立派なものである。

 そしてもう一つ、こちらがなかなか難しいことであるが、平日にほとんど空いた日を作らずに活動されていることである。
 事業をされている方や定年後も何らかの形で仕事に関わりたい人はそれはそれでしっかりしたライフワークを推し進め、それまでと変わらないような充実した日々を送っている人もいるが、この方は平日も若い頃されていたテニスをし、小学校以来という俳句を市民教室で習い、あと、若い頃 仕事での出張で毎月のように訪れていたお隣の国の韓国語まで学んでいるとのことであった。これに持病を抱えておられるので病院通いもあり、ほとんどの日、カレンダーが埋まっているようだ。
 男ってこの人のように、若い頃から形を変えることができなくて、家庭内においても煙たがられたり、しまいには役に立たないように思われて、夫婦や家族の間に溝ができることだって少なくはない。
 ドラマでもあるが、「定年後、毎日 家でゴロゴロしていて・・。」と言われるようでは長い老後の生活、決して充実したものになるとは思われない。
 この方は長男なので1、2年後には京都の家を売り払い、田舎に戻り、現在空き家になっている実家で生活することも計画中で、奥様もこの考えに乗っておられるとのことで これもなかなかうまく事が運びそうである。

 「男だから」、「俺は長く働いてきたから」、「あとはすることもないしゆっくりと」なんて思っているといい老後なんて送れいだろうし、自分の置かれている立場が今までの会社人間とは違うことを一日も早く自覚することが大事なんだろうなとこの人を見ていてつくづく思った。

 今日の話は若い人にはピンとこないかもしれないが、私も含め55歳以上の人であれば十分参考になる話のように思う。
 60歳、あるいは65歳以降も仕事を続けられる方はもちろん仕事の中で充実感を見いだされたらいいと思うし、定年後 一息つこうと思っている人にとっては今日の話はいつまでもいて欲しい人と思われるためにもヒントになる部分もあるように思う。
 ただ、どんな場合でも健康が第一であることはいうまでもない。
posted by ヒロイ at 20:42| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年11月07日

No754:気持ち次第で大音量もこれだけ違って聞こえる

 この土日は仕事だけでなく、プライベートでも人と会う予定を入れていなかったので、少しだけ身の回りの整理をした後、溜まっていた仕事関係の書類に目を通したり、本を読んだりして、久しぶりに自分の時間を過ごすことができた。
 
 普段は時間に追われ、時計を見ながら仕事をするようなことが多く、ついつい仕事を“する”というより、むしろ“片付ける”形になってしまうが、多少なりとも時間的に余裕があるといろいろな局面を想定しながら、深い部分まで入り込んだり、思考を巡らしながら仕事の中身を見つめることができる。
 この慌ただし現代社会で生活していると“時間的な余裕”を感じることなんてほとんどないが、この2日間は少しだけとはいえ、時間に追われず過ごせたので、気持ちにゆとりを持った時間の重要性を肌で感じることができるいい機会にもなった。
 仕事を含む日常生活の中ではイライラしていることも多く、知らず知らずのうちに周りにいる人に迷惑をかけていることもあろうかと思うが、心の余裕のあるなしは、場合によっては人格にまでも影響を及ぼすことだってある。
 仕事での場面ではないが、気持ち次第で物事の捉え方がこんなにも違ってくるという、近隣での大音量に対する私の気持ちを表す一例であるが、

 家のすぐ北隣には、ある女子大のグランドがあり、普段はほとんど使われることはないが、毎年10月の土日には近くの幼稚園や保育園が借りて運動会が行われる。
 私自身がもう少く若く、しかも子供も受験生だった頃はスピーカーから流れる大音量の音楽や先生の掛け声にイライラして、事前にお断りとお詫びの文書はいただいていたにしても、「多少近所のことも考えて、もう少し音量 抑えられないのか」と戸をピシャリと閉めるようなこともしていた。
 今年も同じ時期に大音量が響き渡るような運動会があり、多少は気にはなったが以前のように「迷惑やなあ」という思いは抱かず、むしろ元気な声が聞こえるのも 少子化の世の中では必要なこと と思えるくらいの感覚になっていたし、夫婦だけの2人暮らしになると毎日が静かで、まだ孫こそいないが、こういった子供の声も何か元気づけられるもののようにも捉えることができた。
 最初に言った、時間的な余裕ということとは多少違うかもしれないが、気持ちに余裕を持ったり、あるいは 自分が置かれている環境が変わるということだけでも これほど物事の捉え方が変わってくるものなんだなということも気付かされた。
 今朝でも8時過ぎから少年野球をする子供やコーチそれに親の声が鳴り響いていたが、聞きなれていることを差し引いても、「コロナ最盛期には声一つ聞こえなかったが、やっと子供たちが戻ってきたな」なんて心のどこかでホッとしながら、私は心穏やかに朝刊に目を通していた。

 上記のようなきれいごとの話をいくつか並べたが、現実にはそんなにことがうまく運ぶことはほとんどなく、日常はアクシデントに見舞われることの方が多いようにも思うし、もし、カミさんに心穏やか なんて話をしようものなら、「イライアしないあんたなんて想像もつかないし、ありえへんわ。ほんまに周りの者にとって迷惑以外何ものでもないし、振り回されてばっかしや。」と言われるでしょうが、ガミガミ、イライラしない老人になれるよう今からしっかりと準備をしておきたいものである。
 “心の余裕”は仕事のこと、家族のこと、そしてお金のことなど自力ではどうしようもないことの方が多いと思うが、“時間の余裕”は自分の努力次第で何とか作り出すことができるのではと思っている。
 今日はそんなことを考えさせてもらえる貴重な休日であった。今日は珍しく家には私とワンちゃんのぽぽたんしかいなかったのでこんなことも考えられたのかも
posted by ヒロイ at 20:03| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする