2021年10月17日

No751:12年ぶりのJ1復帰まであと一息

 今日は久しぶりにスポーツの話題です。
 スポーツといっても今盛り上がっているサッカーワールドカップのアジア最終予選でもなく、いよいよ佳境を向かえている日本のプロ野球のことでもない。
 今や注目度では下降気味とも言われているサッカーJリーグ、しかもJ1ではなく、J2 いわゆる2部の話題である。
 このJ2の順位を追っている人は極まれだと思うし、今 J1への昇格が可能となる1、2位にどのチームが入っているかご存知の方ってほんのわずかしかいないとは思うが、なんと20年近く応援し続けている地元の京都サンガFCが昇格圏内の2位に着けているんです。
  京都新聞とKBS京都(テレビ、ラジオ)では たまに取り上げられる機会もあり、さすが地元メディアだなと感心することもあるが、他では話題にもあがらず、私の周りの人で興味を示す人はほとんどないという状態である。
 先日も事務所のある男性スタッフに「サンガが今2位なんで今年こそはJ1に上がるかも知れんな」と私が話し掛けると、「結構 調子がいいのは聞いていましたが、そんな上なんですか」という 大して関心のなさそうな返事であった。
 私も元々はサッカーにそれほど興味のある方ではなかったし、子供の頃は当時 サッカ不毛の地と言っていいような田舎に住む ただの野球少年であった。
 というか当時の私の地元には中学までサッカー部がなく、小学、中学ではサッカーに触れるのはせいぜい体育の授業くらいであり、ルールもほとんど理解しないまま試合をしていた。
 オフサイドなどの決まりごとはほぼ無視され、キーパー以外は手を使ってはいけないというくらいがみんなの共通のルールであった。
 逆に野球は数名のプロ野球選手を輩出し、ノムさん(野村克也氏)の出身地も同じ地方で、そりゃ野球は子供から老人まで、朝から晩まで盛んな地域であった。

 そんな環境下で育ったので、スポーツとしてサッカーに関わり出したのは、長男が小学3、4年の頃、少年サッカーチームに入ってからのことあり、確か日韓ワールドカップも開催され、日本中がサッカーで沸き返っていて、当時は子供といっしょに西京極にサンガ(当時は「京都パープルサンガ」というチーム名であった)の応援に何度も通ったものである。
 一番多い年は1年に10回以上は行っていたでしょう、紫色のユニフォームを着て。
 サッカーチームのユニフォームは毎年デザインが変わるので、今 当時のものを着ている人はいないが、一応 子供たちと過ごした思い出の品として、私のタンスの底にずっと置いていたが、実はこの春の衣替えの時、弱いチームのものだし、着ることもないのでと思って処分したところである。
 もし、ユニフォームを処分した年に12年ぶりにJ1に昇格したとすれば、過去を捨てたことによって這い上がってきたのかと勝手に感傷にふけったりしている。

 いずれにしてもまだ今日の夕方からの試合を含め9試合も残っているので、最後まで分からないが、私にとってはコロナで明け暮れ、何ともどんよりした年にちょっとだけご褒美があってもいいのかなとJ1復帰を願っている。
 年末まで結構仕事は詰まっているが、その合間に(スタジアムに行くことはできないが)サンガの試合を追うことで息抜きができればと思う。
 最終戦の12月5日にはどうなっているのか、年末までの楽しみを持つ、にわか復帰のサンガオールドファンの一人である。
 今日の16時からの試合で勝てば、また一歩 J1が近づくのにな・・。
posted by ヒロイ at 13:36| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする