最終的には札幌で開催されるマラソンと競歩以外は無観客での開催が決定したが、選手やその関係者という当事者でなく、開催国の一国民に過ぎない我々もここまでの経緯を傍で見ていてほとほと疲れたというのが本音である。
私の周りの人は、私の感覚では約4割の人が反対派、約2割の人が賛成派、あと残りの4割の人が「どっちでもいいけどどうせするんでしょ」というある意味 無関心派と3つに分かれていたように思う。
当初予定の2020年開催の前にはチケットが当たった人が私の周りにも何人かいたし、ある開業医の方は競技名は忘れたが、日曜日の夜の試合なので終わってからの新幹線がないため車で行って車で帰ってきて、月曜日の朝からは通常の診療を行うという強行スケジュールまで立てておられたが、しかし2020年の夏は・・・。
今回 延期の分で、観客上限が1万人に決まった後の抽選で当たった人もいたが、先日、「大きな声では言えませんが、当たったんで行ってきます」と少し気まずそうにおっしゃていた。
今でこそ“無観客”という言葉が一般的にも使われるようになったが、私がこの”無観客”というの初めて目の当たりににしたのは、2005年のサッカーワールドカップアジア最終予選の日本対北朝鮮の試合がである。
当初 平壌で行われる予定であったが、テロの危険性もあるということで第三国であるタイのバンコクで行われたのを覚えている。
この時はテレビで見ていたが、今まで見たことのない異様な雰囲気の中、通常の有観客の試合では今まで聞こえなかった選手同士の掛け声や監督(確かジーコ?)の日本語でない大声が響いていたのを覚えている。
それが昨年の春のプロ野球やその後の多くのスポーツ大会ですっかり”無観客”も市民権を得て、おなじみになった感があるが、世界最大のスポーツイベントのひとつであるオリンピックが”無観客”で行われることはもちろん初めてであるし、多少不謹慎かもしれないが、もしかすると今後、二度とないかもしれない“無観客オリンピック”をしっかり観察しようと、試合結果とはまた違った点で興味を持つようになった。
どんな雰囲気で競技が開催され、応援する者は本当に家にこもるのか? メディアはどこに陣取りどんな放送をするのか? 体操の着地が決まった後や重量挙げで挙げきった後、静かな中でもガッツポーズするのか? 団体競技の決勝戦で片方のチームにコロナ陽性者が数名出て、決勝戦が不戦勝で金メダルになるのか? 松岡修造は大声を張り上げずにいられるのか? 等々、なんだか本来の競技以外でどんなことが起こるのかということの方に関心がいってしまいそうである。
世の中がコロナ禍での大会の是非を真剣で検討した結果 開催されることになった非常に責任の重い大会なのに、かなり不謹慎なことを言っているなと自分でも分かっているが、開催される以上はオリンピックの開催、そして進行がどんなものになるのか確かめておきたいという気になっている。
それにしても日本人以外の選手って、本当に日本に来れて、時間どおりにきちんと移動ができ、本番の試合に出場できるんだろうか? そんなことも考えながら 全世界が心配するオリンピックがあと10日程で始まろうとしている。
選手は無観客でどうしてモチベーションを高めていくのか、ここも見ておきたいところであるが、選手のみなさん あなたたちは何も悪くないので遠慮なく躍動してほしいものである。
静かな静かな異様な雰囲気の中 どんな大会になるのやら?