2021年05月23日

No731:まるで地図が伸びていってしまったような

 旅行は私のいくつかある趣味のひとつであったが、コロナ禍においてはどこにも行くことができない。
 開業してから14年近くになるが、2年前くらいまでは海外旅行こそ行くことができないものの 国内で是非とも見てみたいものや食べてみたいものがあると予定を立てて年に1、2回出かけたものである。
 今ではネットで検索していろいろな情報を入手するのが基本であろうが、数年前までは本屋の旅行雑誌のコーナーでワクワクしながらページをめくるのも楽しみのひとつであった。しかし、このコロナの感染が広まった影響でどこへも行けなくなってしまった。
 私の旅行は基本的には1泊2日がほとんどで、2日あれば北海道であろうと九州であろうといろいろな所に行くことができたし、新幹線で行く名古屋や浜松等は見たいものだけを見て帰る日帰旅行を決行したことも何度かあった。
 それが今や仕事以外では地図を見る機会もほとんどなくなり、どこかへ出かけるといってもせいぜい2時間かけて仕事でお決まりの顧問先へ行くくらいのものである。

 私は地理という教科が大好きだったので、地図を眺めているだけで旅行に行った気分になれるという“お得”な感覚も持ち合わせている。

 それが今や世界地図を見たところでどこへも行けないし、ニュースで見る外国の様子も以前はもっと親近感があり、身近な所で起こっている出来事のように思えていたが、今やお隣の韓国でさえも遠い異国での出来事のように感じてしまう。
 これは国内でも同じで2時間ちょっとで行ける東京でさえも、政治家がたくさんいていろいろな物事が決まっていくところなんて思いながらニュースで国会の様子を見たり、依然として多くの若者が行きかう渋谷のスクランブル交差点の様子を妙な感覚で眺めている。
 今まで飛行機、鉄道、そして高速道路を使っていかに短時間で行けるのかを競ってきたが、その必要さえもなくなってきているようにさえも感じる。
 「コロナが自分の行動を見直すきっかけに」なんて大げさなことは言わないが、ここまで行動範囲が狭くなってくると思考も変化していくし、人生観にも影響を与えるといっても過言ではない。
 事務所にも長期休暇の時に必ず里帰りしていた者も何人かいたが、ここしばらは行けていないようであり、会えない親子や見れない孫の顔というのが常態化しつつある今の我が国の状況である。
 ワクチン接種が進むとこういった状況はかなり改善されるであろうが、今のこの状態は旅行という余暇の過ごし方だけでなく、仕事のやり方や家族の関係さえも変化させようとしている。
 とはいっても、嘆いてばかりいても仕方ないので、こういった状況をいろいろなことを見直すきっかけにしたいものである。

 地図を広げて次の休暇にはここへ行くぞと考えられるような日が待ち遠しのは私だけではないでと思う。それは世界地図でなくとも日本地図で充分なんで。
 そういう意味で私は今まで時間の短縮競争で縮まっていた地図が、伸びて広がってしまったような感覚でいる。
 地図が伸び縮みなんて変な表現かもしれないが、それくらい世の中や我々の行動って変わってきているコロナ禍での世の中である。
posted by ヒロイ at 22:19| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年05月16日

No730:贈答品の金額が分かることの功罪

 世の中は新型コロナの感染状況とワクチン接種、それと東京オリンピック・パラリンピックの開催についても話題で持ちきりである。
 こられのことは非常に重要であることは分かっているが、私はここではできるだけ あえてこういったあふれている情報とは違うことをとり上げるようにしている。その方が新鮮味があると思うので。

 今日は便利になったネット検索についてであるが、何でもかんでもネットで検索ができるようになり、いろいろな面で便利になってきていることは誰しもが認めるところであるが、知り合いから贈り物が届いた時にワクワクしながらも、ネット検索することによって その贈り物の金額がすぐわかってしまうので味気ないというか、趣がなくなっていっているなと感じることがある。
 娘が家にいた時なんかは、お歳暮やお中元、それに何かのお返しの品が届いた時にすぐさま 「これ○○円やわ」と金額を教えてくれていて、それはそれで「あっそうか」といち早く情報が頭に入ってくることで助かることもあるが、私自身は実はこういった行動は必要に迫られない限り、今まで一度たりともしたことがない。
 また、最近でこそ機会がなくなってきている会食の場合でも、何かの食事会に招待いただいた時、料理の値段をすぐに検索したり、食事会の後、先程食べたのは「□□御膳で○○円」と店を出るなり金額の検索をしている人の姿も幾度となく見かけし、事務所で食事会をしていた時も、「今日の料理は○○円」って分かっていたんだろうな なんて考えたりしていたこともあった。

 以前はどうだったのかなと思い返してみると、百貨店から届いたお菓子には箱の横に[30]と記載されていれば3,000円かと確認したことはあったが、いただいた品物は金額が分からないところにそれを想像する楽しみがあったような気もする。
 私のような行動を「値段を確認しないなんて さすが違うわ」なんて言う人もいるかもしれないが、食べたいものやもらってうれしいものが届けば金額なんて二の次という思いがある。
 先日も長男の嫁から東京の地ビールが届いたが、値段がいくらであろうと東京のビールということと、送られてきたものというだけで格別の味がするような気がする。何種類かあったがもちろん金額の確認なんてしていない。
 実はこのビール、昨日から冷やしているので今晩じっくりと味わうのが今から楽しみでならない。

 贈答に限らず結婚式や葬式も場所と規模が分かればおおよその金額が分かってしまうので、逆にいうと主催する側も金額がガラス張りに中で催し物が行われていることはある程度 覚悟しておかなければならない。
 そんな思いもあるので、私がいただいて結構うれしいものとしては、“花”や“観葉植物”が挙げられる。 とはいってもそうそうもらう機会はないのだが・・。
 送る側が「この辺の花3種類を1万円になるように」 なんて花屋さんに依頼して、価格表にはないような形で贈答の品が出来上がるので、もらった方は少しくらいは「いくらぐらいのものかな」とは考えるが、金額がいくらかは分からなくとも 単純にきれいな花として評価し、素直にうれしくなるものである。

 最後に先述の話とは関係ないが、花についてちょっとおもしろい話を一つ。
 先日、娘が友人から、「主人が仕事帰りにサプライズでお花を買ってきてくれてうれしかったんだけど、その花がどう見ても仏花のセットなんだけど、これって本人に言うべき?」と相談を受けたらしい。
 更に聞くと、閉店間際の時間でこの花しか残っていなかったらしい。
 娘の友人は、ご主人に感謝の気持ちは伝えた上で、一般常識を知ってもらううためにもこれは仏花であるということは伝えようかなと言っていたらしい。
 この結末は聞いていないが、私も常識知らずのとこがたくさんあるので、この話 人ごととではないなと思いながら聞いていた。
 いくつのなっても「常識とは」ということを学んでいかないといけないなと思った話でした。

 今日の天気からすると梅雨入りは間近かな?
posted by ヒロイ at 16:49| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年05月09日

No729:仕事の進め方は “逆算思考“ それとも “積み上げ方式”?

 ある会社の社長が本の中で、「逆算思考こそ成功の秘訣」と述べていた。
 これってどういう意味なんだろうと本の中に目をやると、仕事を締切に間に合わすためにはいつまでにスタートを切り、途中の段階ごとに何をいつすればいいのかを追いながら物事を進める必要があると書いてあった。
 「う〜ん 当然と言えば当然で、誰でも分かっているけど そう思いどおりにいかないからみんな悩んでいるんだけどな。」と感心するより、ひとこと言いたい気持ちになった。
 私の仕事も申告期限の2カ月前、1カ月前、そして 1週間前までにしておくべき仕事を定めながらするという点では、立派に仕事を逆算して取り掛かっているが、思いどおりに進むことの方が稀で、「やばい、やばい間に合わないかも」とお尻を叩かれながら最後の追い込みをするというのがよくあるパターンである。
 仕事というものには必ず期日があるが、法定の期日であれば一日たりとも遅れることは許されないが、自分で決めた目標の期日の場合には、勝手にできない理由を考えて数日延ばすことは誰でも経験のあることだろう。
 この歳になると試験勉強というものはないが、若い頃は、受験勉強も何日までに第1章、そして次は第2章と目標を定めてスタートを切ったり、子供の頃の夏休みの宿題も7月中にはここまで、お盆前までにはここまでと、夏休み前に計画を立てるのだが、残念ながら計画どおりに進んだことは一度たりともない。
 仕事をする上でこの”逆算思考”は確かに効果的であるが、決して楽しいものではなく、長く仕事をしていく上では、これだけでは何か物足りなさを感じてしまう。

 では他にどんな進め方があるのか考えてみたところ、”積み上げ方式”というものの考え方をすれば、仕事を楽しむというところまではいかないが、もう少し達成感を得ながら進められるようのではと思った。
 仕事を積木に例えて、積木が10個積み上がったら完成ということにしておけば、一段階ごとに積木を積み上げていけるので、進んでいる様子が実感でき、残りあといくつという捉え方をすることによって目標(完成)が見えてきて、途中の段階でも少しは達成感に浸ることもできる。  
 ただ、こうして文章で書いていると何だか素晴らしい方法のように見えるが、どちらの方法にせよ期日が迫った時の焦り度合いには大きな差がないのが現実である。

 相続税の申告業務は お亡くなりになられた日(専門用語では一般的には「相続開始日」という)から申告期限までの10カ月間にするべき項目をスケジュール表に並べ、それに沿って進めることことも ある意味”積み上げ方式”で仕事を進めているのであろうし、クリニックの新規開業の支援も立地選定、融資、建築から始まり、最後の広告の検討やスタッフの採用まで1年以上の期間を要する場合が多く、これもまさに”積み上げ方式”の典型的なものであろう。
 法定であってもなくても期日はあるのだが、どうせ仕事をするのなら自分で勝手に”積み上げ方式”の発想を持ちながら進めるようにした方が仕事に対するストレスが少ないのかもしれない。

 冒頭の社長は行き当たりばったりで物事を進めることを戒め、計画どおりに進めるための手法として 「逆算思考こそ成功の秘訣」と言っているが、することは同じであってもあまり縛られずに進めていきたいものである。
 でも 人間って本当に弱いもので、期日のないものはついつい後回しになり、そして「いつかはしよう」という仕事が机の両サイドに積まれている人も多いはずで、私もそのうちの一人である。
 私の場合にも言えることであるが、最終的にはいろいろなことが期日内で終わっているのは、残念ではあるが 自分の頭の中では自然と”積み上げ方式”ではなく、”逆算思考”で仕事をしていっているのであろう。
 ただ、いやと言いながらも期日に縛られない仕事って、もしかすると達成感があまりないのかもしれない。
 人間って勝手なもんですね。縛りがないとだめなのかな 誰しも・・・。
posted by ヒロイ at 17:01| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年05月02日

No728:このブログ、なぜ辞めずに続けているんだろう?

 先日、高校時代の友人からある単発の仕事の依頼があった。
 昨年もこの友人の奥様から実家の税金に関する相談があり、当事務所の顧問先ではないが2年続けて仕事で関りを持つことになった。
 我々の業界では、顧問契約を締結していない先(人)から仕事の依頼があった場合、”飛び込み”あるいは”単発”と呼んでいるが、2年続けてこの”飛び込み”があったという何ともありがたい話である。
 実はこの友人というのも高校時代に陸上部で3年間一緒に汗を流したリレーメンバーで、「4×400mリレーで絶対に全国インターハイに行くぞ」と、今では考えられないような過酷な練習を来る日も来る日もいっしょにやってきたチームメイトである。
 私が高校時代まで過ごした所は冬はかなり雪が積もるので、当然のことながらグランドは使えず、学校の横の150mほど続く坂道を息が切れるまで何本も走り続けたものである。当時のクラブ活動では程よい練習なんていうものはなく、常に限界への挑戦であり(ちょっと大げさかな?)、疲れ切って今日はもうでダメかと思ったときも 「みんなで松山インターハイに行こな」という合言葉を掛け合いながら、がくがくする足を手でパチパチとたたきながら、最後にもう1本何とかみんなで走り切ったものである。
 実はこの道は、今でも仕事で顧問先を訪問するときに車で通ることがあるが、通るたびに40年前のあの光景がついこの間のことのように蘇ってくるし、特に雪のちらつくような日であれば、なお鮮明に当時の光景が頭に浮かんでくる。
 先日、この友人から今回の仕事のことで電話があった時に、「去年から、飯でも食いながら一杯やる というのが持ち越しになっているので いつかは絶対やろな。ただ、コロナがこんな状況なんでちょっとめどがたたんけどな・・。」と話していて、その翌日、仕事に関することで送られてきたメールに、「たまにブログ拝見してます。毎週よくネタがあるなーって感心しています。」と書かれていた。
 これを読んだ私は、「ここにも居たんだ私のブログの読者が」とついついうれしくなり、そして今こうして彼とのことを綴っている。

 他の税理士のブログをたまに見る機会があるが、「税制改正」とか、「こんな判例がでました」というようないわゆる本業を補足するような内容が多く、読んでいても今一つ面白いものではなく、続けて読もうという気にはならない。だからというわけではないが、私は開業の日(2007年9月)にNo1を初めて綴った時に、ここ税金の話を書いても他の税理士と代わりばえがしないので、あまり税理士なんて構えずに、「その時々で考えていることを素直に書いてみよう」と思ってスタートし、今でもこの姿勢を貫いている。
 だから、ここではあまり頭をひねるような内容ではなく、自分を飾らず ありのままを出そう と思ってここまで続けてきた。
そんな中でたまにこうして、「読んでるよ」とか、「私も同感」って声を掛けてくれることがあると、それはそれで結構励みになるのも事実である。
 開業当初は事務所の場所もスタッフ数も今とは違っていたし、私の家の方も当時は5人で生活していたが、今や2人となり、子供中心の生活から ぽぽたん(ワンちゃん)中心の生活へと大きくか変わってきたことも含め、こういった仕事以外の日常もたくさん綴ってきた。ある機会があって以前のものを読み返すと、まさに開業後14年間の生活そのものが表れている内容で、懐かしくなることもあれば、自己反省の材料になることもあり、自分で言うのもなんだが一つ一つが自分にとって結構インパクトがある。

 このコーナーって人のためだけではしんどいし、また自分のためだけでもつまらない内容になり、もし、そんな片寄った内容であったならきっと自分でも飽きてしまっていたであろう。
 そういう意味で、読者のためと自分のためというこの2つの方向性があるからこそ ここまで続けられてこれたんだろうなと思う。

 最初は100回くらいは続けようか、次はこの調子で200回続けられるかな、その後500回目の時には以前のものを読み返すとその時々の考えが表されていて、本来の日記の意味が出てきたなと妙に納得したのを覚えている。そして今回728回だが、1,000回続くだろうか? なんて勝手に先のことまで想像してしまっている。

 今、世の中がこんな状況なので先のことは全く読めないが、この読めない時こそ今考えていることと半年後や1年後の現実を照らし合わすことの意義はそれなりにあるのかもしれない。
 昨年のコロナ禍以来、予測は全くあてにならないし、あてにしない生き方を学んだように思う。
 もしかするとコロナで学んだことの一番大きなものは、このあてにならない、予測がつかない、そして生きていくためのには何をするのか? ということを考えさせられたことではないかと思う。    
 果たして連休明けの我が国、関西、そして京都のコロナの状況はどうなっているのだろうか? いや〜、本当に予測のつかない世の中になってしまいました、困ったことに・・・。
 では今日はこのへんで。
posted by ヒロイ at 23:36| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする