2021年01月17日

No714:あんなスーツが着てみたい

 妙なタイトルの今日の話は果たして今の若い人に通じるのかどうか疑問がないわけではないが、我々の年代の者にとっては、いい(高級な)スーツは憧れであり、目標であったという 時代錯誤のおじさんの話としてサラッと目を通していただければ幸いです。

 スーツを着る仕事をする者にとって、スーツは普段着のようなものでありながら、「いつかはあんな(上等な)スーツが着てみたい」なんて考える、いわゆる憧れの対象物であったり、目標であったりしたものである。
 かれこれ35年以上も毎日 制服のように着ているスーツであるが、若い頃、顧問先で業績のいい会社へ行き、社長室で面談するとき、その社長の着ているスーツが艶がよく、何ともいえない光沢があり いかにも高そうなのを見て、 「あんなスーツを1回でいいから着てみたいな。自分が着たら似合わんけど いったいいくらするんやろ」と思ったことがあった。
 当時は青山やアオキのような量販店もなく 2、3年に一度 賞与が出たときに百貨店の安めのコーナーを探して新調したものである。
 持ち合わせの数も限られており、結構よれよれになるまで着ていたし、新調して間もない頃に職場の机でひっかけて、スーツが“重傷”を負ったこともあった。当時は今と違って仕事場の机は角がとがっていて、着ているものは引っかかったり、摺れたりすると イチコロ であった。
 前に勤めていた税理士事務所の所長さんもいつも素敵なスーツと派手さはないがおしゃれなネクタイをされていて、こういった着こなしってどうして身につくのだろうと若いながらも考えたものである。
 テレビにスーツ姿でよく出る筆頭は政治家であろうが、その中でも麻生さんや安倍前総理のスーツは、 「なに、あの高そうなの」と思いテレビを見ていたこともあった。
 以前、ある雑誌に麻生さんのスーツは50万円程するものと書いているのを読んでから、さらに麻生さんのスーツに目がいくようになった。

 でもこういったサラリーマンの憧れのようなものも、ある意味 コロナは消し去っていっている部分もある。
 職種によっては自宅で仕事をする機会が増え、それに伴って直接 面談することも減ってきているし、各業界の研修会や懇親会もほとんどないので、こういった正装の場がほとんどなくなってきている。
   見栄を張っていいものや高いものを身に着ける必要はないし、私自身 そういったものにそれほど興味がある方でないが、やはり男性でも女性でも、いい服が似合っているのを見るとうれしい気分になったり、時には羨ましくなったりもする。
 こういう機会は目の保養だけでなく、少し大げさかもしれないが、「あんなの着てみたい」、「あんなかばん欲しいな」というような欲望(これって物欲というのか?) が、自分の中だけに湧いてくるエネルギーのようなものであったりすることもある。

 まあ、こんな価値観は今の若い人には通用しないのだろうが、こういった何気ないことで刺激をもらうことも仕事や生活の中で 決して意味のないものではないと思ってる。
 私自身、いい車に乗って、大きな家に住もうなんては思わないが、今とは違う、就職=競争社会に身を置いていた あの20代、30代であった昭和から平成にかけての時代では 何かこういった目標がなければ、あの凄まじい激務なんてこなせなかったと思う。

 私はサイズが合わなくなったり、形や色を見て 「もう着ることはないな」と思った服を処分することがあるが、30年以上たっても捨てることができず残してあるものが一つだけある。
 それは就職して3年目の冬に賞与の大部分をつぎ込んで買った憧れのバーバリーのコートである。もうサイズも合わないし、20年以上も着ていないが、まるでお守りのようにクロゼットの一番隅っこに掛けたままにしてある。

 私自身 決してコロナのことを軽んじているわけではないのだが、マスコミ・報道は朝から晩まで「コロナ、コロナ」なので、ここではあえてコロナ以外の話題をと思って綴るようにしている。ただ、毎日の生活を振り返ると、必ずどこかでコロナのことを頭に置きながら行動している部分があるので どうしてもコロナ関連の内容が多くなってしまう。
 そんな中、今日は少し“脱コロナ”の話題を綴れたのでホッとしている。
 とはいえ、日々の生活では何よりも感染防止には最大限の注意を払って 過ごしいかなければならない。
 最後に一言、「みなさん自分の体は自分で守りましょう。」
posted by ヒロイ at 18:19| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする