2020年08月10日

No692:いつ死んでもいい覚悟と100歳まで生きる覚悟

 今回も妙なタイトルをつけてしまったが、タイトルは書きたいことを綴り終わった後に内容を読みかえしてつける場合もあれば、内容についての細かなことは決まっていないが今日はこんなことを書いてみよう、あるいは書いてみたいなと思いをめぐらしながら まずタイトルを先に決めて そのタイトルに沿ったことをまとめ上げていく場合とタイトルをつけるタイミングは大きく分けてこの2つのパターンがある。
 ちなみに今回は後者で、まだ内容についてはまとめられてはいないが、このタイトルに関して今考えていることを綴ってみようと思ったので先にタイトルを決めた。
 今回のコロナ騒ぎの中、何名かの著名人がコロナの感染で亡くなったが、私がまず著名人として頭に浮かんだのだ、志村けん、岡江久美子、オムロンの立石社長の3人である。この人たちご本人はまさか自分がコロナで死ぬとは思ってもいなかっただろうし、周りの人も全く予期していなかったことであろう。
 亡くなる前にしておきたかったこと、言っておきたかったことを何も行動に移せなかったのが今回のコロナによる死であるが、今回のコロナによる死 以外にも、突然の事故や災害により亡くなった場合にも死の準備なんて、亡くなる本人も残された者も全くできていないのがほとんどであろう。
 こういった人たちの死を目の当たりにし、人生について考えてみると 少し大げさかもしれないがいつ死んでもいいという覚悟をもって生きていくことも我々 現在生きている者にも求められることなのであろう。
 とはいっても今生きている人間の多くが、余命○○年、あるいは○○ヶ月と宣告を受けていないであろうし、こんな場合、人生を終う準備なんて到底出来っこないことである。
 ただ、できるのは(少し現実的な話になるが)まだ子供が小さい場合にはこの子供たちが成人に達するまで親として何をしておくのかとか、歳をとった自分の親が健在な場合には、将来 誰がどこで面倒を見てくれるのか、また事業をしている方は自分の亡き後、会社はどうなり、そこで働く従業員はどうなるのかということも考えておかなければならないが、ここまで用意周到で亡くなった方は今までほとんど例がないというのが実態であろう。
 よく、「生命保険に入っているので、死んだら借金はチャラ(なしになり)」という人がいるが、確かに借金はチャラになるが、残された人の生活は更なる保険での保障がない限り、大きな意味でチャラとはいえないであろう。

 次に100歳まで生きる覚悟というのは、病気になったり、認知症になったりしても生がある限り生き続けなければならないということである。
 若いうち(主に50歳くらいまでか)は、「80歳まで生きたら十分」なんて言うことを多くの人が口にするが、これも思うように死にたい年齢で死ぬことができるなんてまず無理であろうし、元気な状態で80歳を迎えられたら あと5年くらいは生きていたいと思うのは人間として当然のことであろう。まして、配偶者、親、それにまだ未成年の子供がいるような場合であれば、少しでも長く生きていたいというか 長く生きていなければならないことだってあるかもしれない。
 先日、安楽死のことが新聞紙上を賑わしていたが、生きることも死ぬこともそう簡単にできることではないということである。
 今日のタイトルのように思いどおりには生きられないが、毎日の生活を悔いなく生きることこそ大事なのだろうなと思った次第である。

 今年の夏は多くの行事がなくなっているし、秋以降も同じ傾向は続くであろう。
 いつから始まったか分からない夏休み、帰省も墓参もままらなない盆休み、20年近く通い続けていた夏の甲子園、“大”の火が点かない大文字の送り火、そして秋の修学旅行も多くが中止か大幅な予定変更となりそうで滋賀県のある小学校は奈良までバスで行って、宿泊は滋賀県に戻って地元でお泊りらしい(県外泊なし)・・ただ これも取りやめになるかも。そして我が家でも東京にいる長男は仕事で動けないが、嫁だけがお盆に京都に行きたいと言っていたので、来る予定であったがこれも“東京の人”なので移動自粛のため取りやめになった。
 何かにつけ異例ずくめの夏であるが、実はもっと恐ろしいのがこれが異例でなく定例・慣例になってしまったときであろう
 お盆の帰省も墓参もなし。修学旅行も運動会もましてや入学式、卒業式、そして成人式もなし。最近ではお葬式も結婚式もなしと何もかもないないずくしであるが、果たしてこれらのことは今後 復活するのであろうか。
 今回の収束の見えないコロナ騒ぎでは予測すら立たない。

 話が本題からは横道にそれたが要はいつ何が起こるか分からないので、今をしっかり生きようということ。
 今日はお盆前の3連休中であったので遅くなってしまったし、いつも以上に長くなってしまったが、例年と違う夏、そしてお盆中に少しだけ人生そのものについて考えるのもいいのかもしれない。
 だって、いつもいろいろなことに追われながら、惰性で生きているというとこもあるでしょ。 私自身がそうなんですから・・・。
posted by ヒロイ at 01:10| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする