2020年04月26日

No677:今までの常識が通じない世の中で生きていく辛さ

 今回の新型コロナウイルス(以下、略称「コロナ」で表現)騒動のような過去の歴史や教訓がほとんど通用しない、あるいは活かされないような状況はこれまでの人類の長い歴史の中では何度かあったのかもしれないが、少なくとも私が生きてきた57年間では、こんな経験は一度たりともないし、まるで生き方そのものを考え直さないといけないような気になるときもある。

 志村けんさんに始まり、地元京都のオムロンの社長や会長を歴任された立石氏、そして先日は女優の岡江久美子さんと著名な方の命も次から次へと奪っていっている。
 みなさんもご存じだと思うが、このコロナによる死亡の場合、肉親といえどもお葬式はもちろんのこと火葬にも立ち会えず、病院から死亡の知らせを聞いた後は、火葬後の遺骨を受け取るのみで、長年 生活を共にしてきた家族にとっては何とも耐え難い心境であろうし、また、病気で亡くなった方も誰にも見送られることなく人生の幕を閉じていくなんて、私自身こんなこと今まで考えてもみなかったし、みなさんもこのことに関しては共通の思いであろう。
 昔から亡くなっていく人を送るという意味においても、「最後、死に目だけは会いたい」とか、「死に目には間に合わなかって悔いが残った」なんて言うことが口にされてきたが、今回のコロナに感染した場合の死はそういった、人生の幕引きの瞬間に立ち会い、亡くなっていく人に対して心の底からお礼を言う機会さえも奪っていく。棺の中に入った亡くなった人の顔を見て涙に咽ぶことも手を合わせることもできずに・・。
 亡くなっていく人にとっても、それを見送る人にとっても何とも残酷極まりない人生の終わり方である。
 こんなことを考えていると、「遺言」というほど大げさでないにしろ、最期くらい(意識のあるうちに)、お世話になった方に一言でもお礼を言って人生の幕を閉じたいものである。
 大きな病気を患っている人には失礼で、申し訳ない話かもしれないが、「交通事故や心筋梗塞などによる突然の死は何も言えずに死んでしまうが、 病死の場合には、“余命〇ヶ月”と宣告されるのは本人も周りの人も精神的な苦痛は計り知れないが、言いたいことだけは言って死ねるので・・。」なんて死に方の比較のような話を聞いたことがあるが、今回のコロナによる死は何も伝えられずに死んでいかざるをえないし、誰にも送られずに骨になっていく という背筋がぞっとするような最期である。
 本当に恐ろく、悲しいものである。

 コロナでことでもう一点、何ともやりきれないニュースが毎日に飛び込んでくる。
 今まで、「是非、〇〇へお越しください」、「またのお越しをお待ちしております」と一人でも多くの人に訪れてほしかった、時には客の奪い合いさえ起こしていた観光地が、今は「是非、来ないでください」、「立ち寄らないでください」と連呼しないといけない、こんなこともちろん経験したこともないし、想像すらしたこともなかった。

 毎日のように この厳しい現実を突きつけられていながら、人間として何一つ抵抗できないしことに何ともいえない無力感に苛まれるが、これとてじっと待つ以外 どうしようもないのか。
 今後のことが全く読めないが、「今は健康でさえいれば、いつかはきっと」と自分に言い聞かせながら毎日を過ごしている。
 事務所も変則的な勤務形態やフォロー体制になって、顧問先の方はもちろんのこと、事務所のスタッフにも多大な迷惑と負担をかけており心苦しい限りではあるが、とにかく何らかのめどがつくまで待ってもらう以外どうしようもない。
 今日も全く気が晴れないが、「私だけではない、みんなもいっしょ」と思って心を落ち着かせるそんな休日である。
posted by ヒロイ at 17:02| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする