2019年12月15日

No659:箱根駅伝に出れない山梨学院には特別の思いがある

 箱根駅伝がお正月の風物詩となって久しいが、年明けの1月2、3日に行われる今回の箱根駅伝で少し寂しいことがある。
 とはいっても今回の話題は箱根駅伝だけでなく、古くからの陸上競技関係者しか興味を引く話ではないので、関心のある方のみお付き合いいただければと思っている。

 40年程前は箱根駅伝がまだテレビで放映されておらず、早稲田の瀬古利彦の快走を当時高校生(大学生?)だった私は自分の部屋のラジオで聞いていたという 長きにわたる箱根ファンであるが、その私が今年はぽかんと穴の開いた気持ちになってしまっている。今日はそのことについて綴ってみることにするが、今の時点ではいったい何の話? と思われている方もあるだろう。

 それは33回連続出場を続けていた山梨学院大が予選会で17位(10位までが本戦に出場)となり、お正月の本番に出場できなくなったということである。
 この山梨学院大というのは、今や多くの大学が受け入れている外国人ランナーを早くから(もしかすると第1号かも?)受け入れ、無名であった大学が箱根で戦えるチームとなり、一躍有名になったことでも知られている。
 実はこの山梨学院駅伝チームを強くした最大の功労者は今なお指揮をとり続けている上田誠仁監督である(今年、駅伝監督のみ交代されたが、現在もなお総監督である)。
 上田監督は、私より4つ上で、高校の時は尽誠学園(香川県)でインターハイ、国体、そして高校駅伝に出場して活躍したが、身長が低かったために当時 大学での活躍に疑問視する声もあった。ただ、順天堂大学へ入学した後は並々ならぬ努力の結果、学生陸上界を引っ張るまでの選手になり、そして当時、箱根駅伝でも華々しい活躍を見せたのである。
 この上田選手は大学卒業後は、確か地元 香川県の高校教師をしていたが、20代半ばでこの山梨学院大の陸上部の監督に就任している。
 就任の経緯は知らないが、山梨学院といえば、当時は「聞いたこともない大学」であり、当時大学で陸上をしていた私も 「一体、上田は何がしたいんやろ、わけわからん、あれだけ有名な奴が」と思ったのを記憶している。
 その後、情熱あふれる指導のもと、就任3年目で山梨学院大を箱根駅伝初出場へ導き、後には3回の優勝も成し遂げている。
 しかし、ここ数年は早稲田をはじめ東京の名の通った青山学院、明治や強豪と呼ばれる東洋、駒澤、東海などに選手が流れ、10位以内のシード権を獲得することすらできず、やっとの思いで予選会を勝ち抜き、33回連続で本選出場を果たしてきていた。
 それが今回予選会が突破できず、お正月の箱根駅伝へ出場することができなくなった。
 これはかなりの陸上通しかわからないであろうが、伴走車から聞こえる選手を励ます上田監督の声は熱血漢そのものの厳しい大きな声であるが、かける言葉は本当に選手思いで、山梨学院大学陸上チームを作り上げてきた暖かい人間性というか、懐の大きさを感じるような励まし方であった。
 これが今年の箱根駅伝で見れない、聞けないというのは40年来の箱根ファンとしてはとても寂しいことである。
 以前は早稲田の瀬古監督、最近では青山学院の原監督を知る人は多いと思うが、今の箱根駅伝の盛り上がりの基礎を作ってきたのは、私はこの上田監督でないかと思うくらいほれ込んでいた監督である。
 この上田監督、そしてあのブルーの山梨学院が出場しないのは残念で仕方がないが、またこの上田監督の人柄と指導方法に惹かれる選手が集まり、山梨学院が箱根に戻ってくることを願っている。

 こうなると今年の箱根駅伝は何にスポットを当ててみようかなと現在思案中である。
 こんなことを考えているとスポーツは陽のあたる本番だけでなく、そこまでの道のりにも数々のドラマがあるんだなとあらためて思った。

 今日はかなりマニアックな話になってしまったが、上田監督のファンであったので触れずにはいられませんでした。ちょっと熱くなってしまいましたが・・・。
 最後に上田監督が言った好きな言葉を掲げて今日は終わりにします。

 『何も咲かない寒い日は、下へ下へと根を伸ばせ』
posted by ヒロイ at 19:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする