2019年11月24日

No656:悪い記憶はそう簡単に消えないから・・

 サッカーJ2は今日が最終戦で、試合結果によっては地元 京都サンガもJ1へとの入れ替え戦進出を3〜6位のチームで争うプレーオフへの出場のチャンスも出てくる大事な試合であった。 相手はJ2で1位が確定し、既に来季からJ1昇格が決定している柏レイソルであるが、「もしかすると」という かすかな期待も抱いていたので、実は午後 外出中も気になりスマホで途中経過をチェックした。 前半の途中で0-4で負けていたので、「やっぱり相手は強かったな」とこの時点で勝つかもしれないという淡い期待は消え去り、そのあとはチェックする気にもならずそのままにしていた。 そして夕方、家に帰ってサッカーのことは忘れた状態でワンちゃんの散歩で近くの公園に行くと、税理士会で顔なじみであり、近くに住んでおられるK先生に声を掛けられた。 K先生は、奥様と5歳と2歳の男のお子さんといっしょに来られていて、この2人の子供さんがうちのワンちゃんと遊んでくれている間に2人で立ち話をしていた。 その中で先日 K先生がサッカー観戦に行かれていたことを思い出し、『今日 サンガはJ2最終戦で途中まで0-4でしたが、どうだったのでしょうね。』と私が切り出すと、K先生は、『もう、試合は終わってますよ。スコアはちょっと言えないような、言わない方がいいような・・。あれはサッカーの得点ではないですよ。』と申し訳なさそうに言って、スコアは最後まで教えてもらえず、『あとでゆっくり確認してみてください。』とだけ言われた。 「1-6くらいかな」と思いつつ、先ほどパソコンを覗いてみると 1-13 の歴史的超大敗。 これはすごいわ。一応 サンガファンである私にとっては 情けなさ、恥ずかしさ、腹立たしさ どう表現していいのか分からないくらいすさまじい負け方であった。 野球やラグビーであるまいし、いったい何? と考えれば考えるほど虚しさ以外に何もないという気持ちになった。 私の子供が少年サッカーをしていた10数年前のような熱心なサンガファンではないが、再びJ1へと願いながら パソコンや新聞では一応 毎回試合結果だけはチェックしていた。 そして今日の結果。裏切られた気持ち以上に、ファンであることを恥ずかしくて口にできない そんな気分になったし、記録だけでなく、記憶にも残るような今日の試合の結末というのは、これからずっと尾を引くだろうなと思った。 高校野球では桑田、清原のいるPL学園に7-29という大敗を喫した東海大山形は35年近くたってもいまだに語り継がれている。 今日のサッカーはあまり(ほとんど?)注目されないJ2の試合とはいえ、一応 プロのサッカーとしては許されないようなスコアである。 私は今回の負けだけを問題にするのではなく、こういう“取り返しのつかない”ことをしてしまうとファン離れは加速し、Jリーガーを目標としている若い選手からも見放される そんな結末になるような気がするあ。
    プロのサッカー選手を目指す者はこれから先 数年間は、「サンガへ入団します」なんて口にすることができないような状況を作ってしまった という意味において。
 今後、京都サンガのことに触れると 「あ〜、あの12点差で負けたサンガですよね」といわれるのが落ちであろう。 どんなことでも、「今日はたまたま」といえるくらいなら、次 がんばれば前回のことは帳消しになるかもしれないが、こういう恥ずべきことを1回やってしまえば10年程は記憶から消えず、その間ずっと言われ続けるし、悲しいかな人間の記憶は、いいことよりも悪いこと、特に恥ずべきことはそう簡単に消えないものである。 これはスポーツに限ったことではなく、芸能人や一般の人たちであったも、やってはいけないことをやってしまえば、「・・・・・しでかした○○さんね。」と言われ続けるし、悲しいかなそれが世間であり、人間の記憶である。 私は過去の過ちを執念深く覚え続けておくだけでなく、改心したり、立ち直った人は優しい目で見て、迎え入れてあげないといけないとは思うが、頭の片隅にある記憶はなかなか消えないのも事実である。 だからこそ 一回の過ちといっても他人に迷惑をかけたり、今日のサンガの試合のように(人様に言えないような)恥ずべきことはあってはならないのである。 更生したい人の芽を摘むようにとられると心外であるが、まず 過ちを犯さずに生きていくことこそが大事であり、かつ、非常に難しいことなのであろう。 サッカーの試合からえらい大きな話になってしまったが、今日のスコアはある意味 プロにとっては取り返しのつかない重い結果である。 京都府が莫大なお金をかけて造った亀岡の立派なサッカースタジアムが来季からサンガのホームになるが、今日の試合を一番悲しんでいるのが、京都府知事と実質のオーナーである京セラの稲盛さんであろう。 全員が頭を丸めても(←こんな表現、今は問題らしいが 今日は許してください。それくらい腹が立っているので) 取り返しのつかない、そんなサッカーの試合結果を見ての私の感想でした。 今日も長くなってしまいましたが、この辺で。
posted by ヒロイ at 20:27| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月18日

No655:”性格の不一致”と”考え方が違う” この違いって?

 離婚の理由として”性格の不一致”という言葉がよく使われる。いや よく使われるというよりもまるで離婚原因の代名詞のようにも言われている。
 ただ、日々の家庭生活や仕事、それに友人とのやり取りでこの”性格の不一致”という言葉を使うことはほとんどない。
 例えば、同じ職場上司・同僚・部下 どれをとっても、「あの人(あいつ)とは”性格の不一致”でうまくやっていけない」なんていう使い方をする人はいないだろう。
 ただ、「あの人とは”考え方が違う”のでいっしょに仕事がやっていけない」とか、友達に対して、「あいつとは”考え方が違う”し、会っていても楽しくないので、もう あまり会いたくないな」というような使い方は決して違和感を覚えるわけではない。
 今日は日本語の学習をしているわけではないが、この2つの言葉の中身を考えると 「なんで?」と思っていたので、今日はこの使い方について私の思うことを述べさせもらうことにする。
 芸能人が、「性格の不一致で・・・」と離婚会見をするだけでなく、一般人の離婚理由でも同じような話を聞くが、私はこの話を聞くたびに 性格が一致している夫婦なんてほとんどいないのでは。性格なんて一致していない方がよほど楽だし、もし、同じ性格だったらと考えるとちょっとゾッとするくらいである。こんな思いは 私だけではないと思うのだが。
 夫婦だけでなく親子や兄弟、それに会社の上司・同僚・部下、それに友人でも”性格の不一致”の関係を案外利用したり 楽しんだりしてところもあるように思う。
 明るい人と暗くはないがそれほど明るくない人、おしゃべりな人と聞き役の方が楽だと思っている人、のんびり屋とそうでない人、整理整頓ができる人とそうでない人 等 案外この性格の違う者同士ってうまくやっていってるケースが多い。もちろん、イラっとすることがないわけではないが。
 と いうことで、「性格の不一致」で離婚するなんてどうも合点がいかないし、それは本当は ”性格の不一致”ではなく、この後 触れる”考え方が違う”というのが真の理由のように思うし、確かに”考え方が違う”というのはいっしょにいて苦痛に感じるかもしれない。
 こんなことを言うと古い人間、いや 場合によっては問題発言ととられかねないが、この”考え方が違う”というのは、その人の生き方やそれまでの人生によるところもあるように思う。
 身内や親族はある程度 同じような環境で育ったり成長してきたが、環境や親の考え方が違えば それはやはり”考え方が違う”ということの要因になるのかもしれない。
 これは親の仕事や経済的なことを言っているのではなく、人生の中で何を大切にするのか、何に恩義に感じるのか、もう少し大げさに言うと、誰に対して自分を犠牲にしてまで力や時間を注いでも悔いが残らないのか等、まさしく 生き方そのものであろう。
 この生き方というのは何を大事にするのか、何に価値観を見出すのか、ということに他ならないように思う。
 今日の話はどんな形で終えられるのかと思って書き出しが、こうしていろいろと書いていると今日の結輪が見えてきた。
 それは離婚やいっしょに仕事をしたくなくなるのは、”性格に不一致”ではなく、“価値観の違う”人だということ行きついた。
 価値を同じことに見出せる人、そんな人といっしょに仕事をしたり、同じ空間で同じ時間を過ごす これこそ人生にとってプラスにあり、より意味のあるものになのだろうとあらためて感じた。
 今後 生きていく上で、“同じことに価値を見出せる人” こんな人と少しでも多くの時間を過ごせるようにしたいなと思った。これは家族という小さなくくりではなく、職場や日々仕事で接する顧問先の方々等 いろいろな人を含めてのことである。

 やっと今日の話、まとまりがついたので終わりにします。
ちょっと堅かったかな、今日の話は。


*上記の文章、実は昨夜[11/17(日)]に書き終わっていたのにそのまま寝てしまったため、アップが今になってしまいました(← 「言い訳」)。
posted by ヒロイ at 22:05| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月10日

No654:今年も残り あと8週

 明日 月曜日からの予定を確認するため手帳を開けてみると今年も残り少なくなってきたんだなとあらためて気づかされた。
 毎年のこととはいえこの時期、つまり秋という季節があれよあれよという間に終わってしまうことに驚き、そして焦りを感じているが、カレンダーを覗いて再度数えてみると、最終の年末の週は休暇に入るので仕事をするのは実質7週しかない。
 先週末、私の中で毎年恒例となっている仕事の棚卸、つまり今年中にやり終えておかないといけない仕事の整理をし、その多さに少しうんざりしていたが 悩んでいても何一つ前に進まないので、一つ一つ手をつけていかないといけないなと自分に言い聞かせて週末を終えた。
 そうそう、昨夜 家に帰ると早くも喪中はがきなるものが届いていて、これまた年賀状の準備をしないといけない時期が近づいてきていることの否応なしでも気づいてしまった。
 期限のない仕事であれば、「まあ、来年でもいいか」 なんて勝手に優先順位を後に回すこともできるが、この年賀状以外にも、顧問先の年末調整や事務所の従業員の賞与算定そして支給は何があろうとも今年中に終えないといけない仕事であることはよくよくわかっている。他にも今年中 という期限付きの仕事は書き出したメモの中にいくつもある。
 ただ人間って不思議なもので、時間が無くなってきてからの仕事のスピードって、時間のある時の何倍ものスピードで処理ができていく。こういう頭の中での都合のいい計算が勝手に働いてしまうので、体がなかなか動かないという悪循環に陥ってしまうのも毎年 年末に思うことである。
 また、自分自身の衣替えも一斉にというわけにはいかないが、必要に迫られてスーツを秋・冬物へ、そしてコートの準備、まだしていないが近々マフラーと手袋が必要となってくるのであろう。
 今こうして年末の整理をしていながらもう一つ思い出したことがある。それは車のタイヤの交換のことである。
 事務所には現在5台の車が稼働しているが、京都府北部、滋賀県湖北、それに福井県と雪国に多くの顧問先を持つので、12月の中旬までには冬用タイヤへの付け替えも必要となってくる(車屋さんでしてもらうが)。
 でも ふと考えてみると、こうして季節の変わり目があるからこそ私の頭も錆びつかずにそれなりに回転していってるんだと 日本の四季があることをありがたく思うようにもしている。

 話が少し違う方向に行ってしまうかもしれないが、毎年 秋に実施される健康診断も受診し、その結果が届いていたが、お陰様で 多少の注意項目はあったが、大きな問題点もないという結果だったのでホッとしている。
 太りすぎ、つまり体型変化も健康チェックの一つであるが、衣替えの時期にはスーツが上下ともすんなり着れるのか、はち切れそうになるのか、 これも毎年のこととはいえ体調管理の重要な一項目である。先週 入れ替えたが、この春まで着ていた冬物のスーツが秋以降も無事着れたということも異常なしということの証であると一人で勝手に思っている。。
 ひどい年はスーツのサイズが合わなくなって、ウエストを直してもらったり、急いでスーツを新調しなければしなければいけない年もあった。しかも2年続きで。
 自分の体のサイズに変化なし、ということもな納得材料の一つである。

 取りとめのない話になってしまったことには、ここまでお付き合いしていただいた方にお詫びもするが、まあ「税理士 廣井増生の日記」なのでまさに日記として読んどいていただければと思っている。

 最後に事務所内でも既に発表したが、年末年始の休暇は土日を含めると9連休[12/28(土)〜1/5(日)]となり、この連続休暇が1月中旬以降になってじわじわと自分の首を絞めることになるのは分かっているが、やはり連続休暇は誰でもウキウキするものである。
 何か楽しみを持たないと体が動かない方なので、残された7週間を乗り切っていくために この9連休を頭の片隅に留めておこうと思っている。

 そうそう、もう一つ難題を思い出した。11月17日(日)はセミナーの講師の依頼を受けていたんだった。
 この後、その準備に取りかかることにします。
 では・・・。
posted by ヒロイ at 20:32| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月03日

No653:興味半減、東京オリンピックの札幌マラソン

 2020年の東京オリンピックのマラソンと競歩が東京ではなく 札幌で開催されることが決定したが、この変更はマラソンでなくとも陸上競技をやっていた者にとっては納得のいかない話である。
 確かに今年のドーハでの世界陸上のマラソンで途中棄権者が多かったかもしれないし、8月の気温は東京よりも札幌の方が少しは低いかもしれないが、ここに当事者であり、多くのことを犠牲にしてこのマラソンに賭けてきた選手の意見が全く反映されないのがこの上なく悲しく、むなしい。

 私も高校、大学と陸上競技に取り組んでいたので、選手目線で今回の騒動を考えると、「うそやろ、冗談もほどほどにしてよ。」というのが本音である。
 今年の9月15日に東京のほぼオリンピックと同じコースで、時期こそ1ヶ月ほどずれるが、それでも本番と近い気象条件の中で 今まで日本のマラソン史上でも1、2を争うほどの熱い代表選考の戦いが繰り広げられたとこである。そしてその後この変更、あのレースは何だったのか、夏の東京で勝てる選手を選ぶためのMGC(代表選考レース) は何に意味があったのかと思えるくらい選手無視の今回の決定である。
 街中のインタビューを聞いても札幌市民は、基本的には賛成多数というところだが、その中で「マラソンが少しでも涼しい所で走れるので選手にとっても快適では?」なんて言う馬鹿げた素人の意見を聞くとさらにムカッとしてくる。レースの時期(季節)、天候、地形など あらゆる要素を全て計算し、本当に長い期間トレーニングを積んできた選手の身にもなってみろとこっちは選手に変わって大声で叫びたい心境である。
 私のような短距離やハードルであっても この競技場は風向きや強さはどうかとかオールウェザーのグランド(地面)の固さと跳ね返りの度合いはどうかと いろいろなことが気になり、競技場ごとに対応というか走り方も少しずつ変わってくるというものである。
 これが、リオでオリンピックがあった3年前から東京で走れることを夢見てトレーニングを積み、コーチと作戦を立て、また2018年6月に東京オリンピック本番のマラソンコースが発表されてから、さらに綿密の計画を練り、オリンピックを狙う選手たちは何回試走を重ねたことであろう。本番で走れる日本人は男女3人ずつではあるが、9月のMGC(実質、オリンピック選考会)で出場の切符を手に入れるために、MGCに出場した選手の努力と苦労は並大抵のものではないであろう。それを今頃になって変更とは何たることか。
 仮に今から札幌のコースが発表されても冬の札幌でどれだけコースの下見や試走ができるのか、そして極めつけは日本で開催されるという日本選手にとってはある意味チャンスであるにも関わらず、本番まで夏(8月)の札幌は一度もなく、事前準備もできず残すところ本番である2020年の夏のみである。

 例えが極端といわれるかもしれないが、箱根駅伝を目指す選手たちに「今年からは千葉県の房総半島一周駅伝に変更」と言われたり、甲子園を目指す高校球児に「暑さ対策のために甲子園での試合を全て京セラ(大阪)ドームに変更」と言われたら競技や試合をするためのモチベーションなんて保てるわけがない。
 もちろんモチベーションだけで競技が可能かというとそんなものではないが、オリンピックとなると仕事も家族もそして自分自のしたいことなど いくつも犠牲を払って勝負に挑んできたはずである。しかも、東京という舞台でのデッドヒートを夢見て・・・。
 最初から最後まで元陸上選手の文句で終わりそうだが、最後にもう一回だけ言わせて。
 『なめとんのか、選手の血のにじむような努力や変更になることの心理的ダメージもわからんとって・・・。』
posted by ヒロイ at 23:42| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする