2019年10月27日

No652:人に期待し過ぎないこともコツかも?

 誰しも今までの人生の中で“裏切られた”経験はあると思うのだが、もし「私はそんな経験は一度もない」と言い切れる人がいるとしたらその人はなんと幸せな人生を送っているのだろうと思ってしまうし、「えっ、裏切られたことないってほんまに? うそやろ?」とその人の発言を疑ってしまうというのが本当のところである。
 ちょっと大げさかもしれないが人生って裏切ったり、裏切られた経験こそが次に生きてくる、よく言えば“成長の糧”となっているように思う。
 親子、兄弟等の親族間や夫婦の間での裏切りは、場合によっては大きな問題に発展しかねないので ないにこしたことはないが、友人や仕事関係では“裏切られた”というほどまではいかないまでも、“期待外れ”ということはよく耳にすることである。

 「経験豊かなで何でもこなせる経理担当者だと思っていたのに」、「前の会社での営業成績も抜群でうちに入社後、低迷している売上のアップに大きく貢献してくれると思っていたのに」、「今まで〇年も医療事務の経験があるので我がクリニックのリーダーになって引っ張ってくれると思っていたのに」、そして新卒入社の新人に対しては、「あんないい学校を出てるんでもっと優秀だと思っていたのに」・・・。
 こんなこと思ったことないですか? 経営者のみなさん。いや、経営者だけでなく各会社やクリニックで働く先輩の方々。
 これってすべて期待が大きすぎることが要因となって、“期待外れ”になったり、内容によっては“裏切られた”というような手厳しい言葉が出てくるのだろう。

 もちろん私もこの歳になるといろいろなことを経験しているが、逆に期待しなさすぎるのも何かと問題があるようにも思う。
 例えば新入社員に対して、「あなたは新人でまだまだ半人前なので別に期待もしてないし、自分のペースでやってもらったらいいしな。」なんて言われたら、普通なら頑張って仕事をしようという気が萎んでしまうであろう。
 この辺は、期待はしているけどプレッシャーにならない対応がとれる上司や経営者こそがいい意味で人の上に立てる人物なのであろう。
 このことを自分に置き換えても なかなかそう簡単にはできそうもないし、期待のし過ぎからいい人材を潰しかねないな と自分の性格上の問題点についてもあらためて反省せざるを得ない。

 こんなことを綴りながら自分自身のことや顧問先のことを頭に浮かべてみると、新たな人を採用した場合、まずは「そこそこやるな」というところから始まり、「意外とできるやん」となり、そして、「こんなにできるやつとは思わんかった。」という流れで、最初は少し期待値を下げてスタートすることが人をうまく使ったり、成長させたりするのではと考えてしまう。

 仕事以外のことになるが、人生の中の大きなイベントである結婚というのも さすがに結婚するときは何かと相手に期待することがあるだろうし、それが結婚の楽しみかもしれないが、結婚後、何年か経っているような方々はこういった期待は段々と小さくなり、私のような30年も経ってしまうと期待なんてほとんどないし、その前にカミさんから「期待なんか すればするほど後でがっかりするだけ。期待したことってここ何年もない。」と言われてしまいそうである。
 確かに夫婦間で期待をし合うっていたら まずそんな夫婦なんて持たないだろうし、夫婦においては、「期待せず」が最良の選択で長く持たせるコツのようにも思う。

 話が少し変な方にいってしまったが、最近 何人かの経営者の方が自社の人材について、 「期待していたのにがっかり」とか、中には「裏切られた」と口にされたことがあったが、こういったことが起こる原因を突き詰めれば、期待値が高すぎたのでは? という今日の話にたどり着いた。

 でも、期待され過ぎるのはプレッシャーかもしれないが、期待されないのも寂しいものですよね。
  あなたはどちらの方がいいですか?
posted by ヒロイ at 16:44| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月20日

No651:ぽぽたん(ワンちゃん)と過ごした土日

 昨日の土曜日は午後からある医療関連グループの会議があったが、それ以外 この土日には特に時間の拘束を受けるものはなかったので日頃 時間をかけて読むことのできない冊子に目を通したり、ちょっと頭をひねらないといけない案件についてじっくりと検討する時間をとることができ、予定がびっしりと詰まった週末より充実した2日間を過ごすことができた。
 そんなスケジュールの中で木曜日あたりから、次の土日はとことん ぽぽたん(我が家の愛犬)につき合おうという勝手な計画も立てていたので、この2日間は雨の降る時間帯もあったが朝と夕方の散歩は全て私が受け持った。
 宝が池、北山、鴨川と毎回 バリエーションを変えて自分自身の気分転換も兼ねてあちこちへ連れまわした。

 今から思えば、自分の子供が幼少期の頃はなかなか時間がとれなかったので、あまり(ほとんど?)子供の面倒を見たことがなかったが、今となっては誰も私を頼りにする家族はいないので、自分の思いのまま ぽぽたんとの時間を過ごすことができる。
 ただ、昨日は夕方の散歩の後、(ぽぽたんが)夜ご飯を終えて休憩し終わった後、帰りの遅いカミさんを玄関のドアの前でまだかまだかと座って待っていたが、その眼はまるでドナドナの子牛のような目つきであった。
 やっぱりカミさんか こんなにかわいがったのに とはいうものの よく考えてみれば日頃はほとんど接する機会がないので私の存在感なんてほんとわずかなものなのだろう。
 子育てを終えたカミさんの日頃からのかわいがりようとその時間の掛け方は半端でなく、夜も1時間半ほど散歩をしたり、ワンちゃんの体にいい食事を準備したりでその入れ込みようは私の倍どころか10倍程の愛情の掛け方である。
 こうなると私に勝ち目はない。子供が2、3歳の頃はほんとに私のそばには近づかず、ファミレスのテーブルで1(私)対4(カミさん+子供3人)で夕食を食べた苦い思い出もある。

 それと比較すると今のポポタンの方がまだ私に馴染んでいるかもしれないし、私も子育て真っただ中で今では問題視されるくらいの労働時間であった当時よりも今の方が少なからず心に余裕があるかもしれない。
 たわいもない話をいろいろと書き綴ったが、今の私には何の損得勘定や思惑もなく意のまま行動を共にできる唯一の存在がぽぽたんなのかもしれない。
 こんな2日間を過ごした日曜日の夜は何とも充実感があり、すがすがしい気持ちで月曜を迎えられる。
 今 横で私の顔を眺めているが、その顔つきはなんとも不思議な力を持っているように思う。
 すみません、親(飼い主)ばかで。たまにはこんな話でもいいでしょ。
posted by ヒロイ at 21:51| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月14日

No650:変な慰めはいらん

 まず、最初に断っておきますがタイトルに掲げた内容は最後の数行しか出てきません。それまでは私が休日の考えていたこととして読んでください(この部分の方がずっと長いですが)。

 数年前から鉄道の「計画運休」が実施され始めたが、最初の頃は「これって何?」とか、「台風が逸れるかもしれないのにそんなに早く運休を決めるなんて、利用者を無視してる」と思ったりしていた。
 天気予報の当たりはずれによりホッとしたり、悔しい思いをしたり、また、予定していた計画の大きな変更を余儀なくされた経験は誰しもあるでしょう。

 私も数年前に天気予報に振り回された苦く、悔しい経験がある。
 毎年、恒例となっているお盆休暇中の高校野球観戦で、天気予報では台風が近づくかも?と言われていたし、こんな予報が出ているのに試合やるのかなと思いつつも、試合中止の発表は当日の朝になってもなかったので、ひとまず事前に購入していたチケットを持って朝6時台の電車で甲子園に向かった。
 そして、梅田から阪神電車に乗り、甲子園の駅に着いて改札口へ向かっている途中に、「本日予定されていました 第〇日目の4試合はこの後、近畿地方に台風が近づいてくるという予報もあり 中止となり、明日へ順延となりました」と駅のアナウンスが流れていた。
 「うそやろ? もっと早く言えよ、京都から来てるんやで!」と怒りが込み上げてはきたもののいくら怒っても 試合は行われないということで、折り返しで京都まで戻り、京都駅で“慰めの”モーニングを食べて家に帰ったことがあった。
実は、この日 ここからもう一つの山があった。空は一面 雲には覆われてはいるものの一向に雨は降ってこないし、確か昼前後にパラっと小雨はあったのかもしれないが(記憶が確かでない)、ほとんど雨らしい雨も降らずに夕方になった。
 「試合できたやん!」と夕方になって第二弾の怒りが込み上げてきたが、「台風は逸れて」という天気予報を見て ただただ力が抜けていくのが自分でもわかった。

 私の天気予報談議でこんなに時間を費やしてしまったが、もう一つ本題前に最近よく発令される「計画運休」の意義についてであるが・・。
 以前は台風が近づいてきてから急に電車や飛行機の運行ができなくなり、駅や空港、あるいは列車ホテルと称して電車の中で一夜を過ごさざるを得ない事態が度々起こっていた。
 また、いつ乗れるかわからないバスやタクシー乗り場での長蛇の列もこういった時のはおなじみの光景である。
 ただ今回の台風19号のように早めの計画運休があると 誰しもが外出を控えるので駅などでの大きな混乱も少なくなってきている。
 そういう意味では、当初は「電車は走らせないよ」というような何とも冷たい感じがしていた「計画運休」も 最近は一定の効果があるなって思うようになってきた。

 今回はこの秋最高の人出だろうともいわれていた3連休も丸つぶれで、移動もままならないので結婚式や急な葬式はどうなるのだろうか と人ごとながらいろいろな心配をしたりしていた。
 今回の台風は東海から関東・東北に至るまで広範囲で甚大な被害が出ているが、普段と変わらぬ生活の中でラグビーを見ながら通常の週末を送るはずだった人に対してこんな大変な事態が生じたことについては、言葉の掛けようがないくらいお気の毒で仕方がない。
 災害にあわれた方には大変失礼な言い方になるかもしれないが、今回の台風は木曜日くらいから進路予想が出ていたが、ほとんど外れることもなく進行し、気象庁のデータとその分析力の高さには大変驚かされた。
 そうして事前に予想していたとはいえ、その予想以上の猛威を振るった今回の台風で被災され方々については、一日も早く生活の再建を と思うのだが、被災者の方々は生活の場や自分の体力のことだけでなく、今後、当然 資金(経済)面でも差し迫った事態が予測される。
 私は幸いこういった災害の当事者にはなったことがないが、被災された方はまずは我が身と明日からの生活が大変で何も考えることさえできないという状態であろう。
 ましてや大切な人を亡くされたり、行方不明の状態であったりすると悲しみのどん底というのが今の心境であろう。
 こういった時、何かにつけ「被災した人に勇気を与えるために」というコメントが出てくるが、私は根性が少しひん曲がっているので、口にはできないほど追い詰められているのでそんな言葉だけの慰めや勇気づけなんてどうでもいいわ、と思う方である。これって間違っていますかね?
 昨日のラグビーワールドカップでイングランドに勝ったことは歴史的勝利であり、快挙であるが、すぐ こういった喜ばしいことと“被災者の勇気づけ”を結び付けをしてしまうが、私は「この悲しみは当事者しかわからないし、本当にしんどい時やきついときはそっとしておいてほしい と思うのでは」と ちょっと距離を置いて考えてしまう方です。これって相当ひん曲がっていますよね?

 最後に妙な本音を言ってしまいましたが、こんな時 「被災者を勇気づける」というコメントが頻出することに多少違和感を抱いてしまっています。
 私自身 結構「変な慰めはいらんし」と思って人生を送っているもんで・・・。
posted by ヒロイ at 13:49| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月06日

No649:約束の時間を守る ということ

 この文章が日頃お付き合いのある人や顧問先の方の目に触れると嫌な思いをされる方もいらっしゃるかもしれないし、自分に対しても胸が痛くなったりするようなタイトルだが、日々 約束の時間を気にしながら仕事をしているので今日はこの約束の時間について思っていることを綴ってみることにする。

 私は仕事をする上で、時間を守るということについてはかなり気を使っている方だと思うし、とりわけ重要なことと捉えている。
 こんなことを話題にすること自体、「何をいまさら」と思っている方もあるだろうが、自分でも今まで「時間に間に合わないかも?」とヒヤッとすることも何度かあったので、ここでは反省の意味も込められての話である。
 今は携帯電話という便利なものがあるので、想定外の車の渋滞や思わぬ電車の遅延が起こった場合、どこからでも連絡ができるので待っていただいている相手様に連絡なしで待たせるということほとんどなくなったが、以前は間に合わないという事態が発生した場合、公衆電話を探して連絡を入れたり、それもできずに30分以上も遅れて到着したこともあった。
 もちろん早く着きすぎて、相手様の都合も考えずにその会社を訪問するというのは問題があるが、時間を守ること、特に初めて会う方に対しては何よりも重要なことであろう。
 私の仕事は俗にいう営業をする機会というのはあまりないが、何かを頼んだり、頼まれたりする時に時間に遅れるようではそれだけで信用力が半減するといっても過言ではないだろう。
 定例の面談で毎月 事務所にお越しになる方はほとんど約束の時間の5分前くらいには来られるので、こちらも面談室で待たせることにないよう 10分くらい前からスタンバイして待つようにしている。
 もし、待つ側の私が約束の時間になっても準備不足でバタバタしているようでは、お客様は気分を害されるだけでなく、それだけで信頼度は低下するであろう。
 また、こちらが初めて訪問する先では、どんな場所に会社があり、駐車場はあるのか? もし、なければ近くにコインパーキングがあるのか? など いろいろな局面にも対処できるだけの時間的な余裕は必須であろうし、もし、約束の時間に遅れるようなことがあれば、話のスタートの時点で焦ってしまい、いい状態で面談のスタートが切れるはずもない。
 つまり最初の挨拶が、「はじめまして」とか「こんにちは」ではなく、「今日は遅れてしまって大変申し訳ございません」になってしまう。

 事務所ではほとんどの人が、私のことを“せっかち”と思っているだろうが、これは後で自分が慌てたり、不利に物事を進めないといけなくなることを恐れているから早めの行動を起こしたいだけで、年がら年中、何事においても、「早く、早く」と思っているわけではない(と 自分自身は思っているのだが・・・)。
 もし、大事な用件があってその場に遅れていき、前述のように「すみません、今日は遅刻をしてしまいまして・・・。」なんていうあいさつから入っていくということは、そのマイナス部分を埋めるのに何分間かの時間を要するであろうし、それが埋められた時点でやっと対等でまともな話に入っていけるというものであろう。
 一つの話題でよくぞここまで書けるなと思うが、自分としては“時間を守る”ということはそれくらい気をつかっているし、重要視していることなので今日の話がくどくなったことはお許しいただきたい。
 夏に電車で移動するときは、駅から小走りで行って汗だくで訪問するより、余裕をもってゆっくりと向かい、汗を拭いてから訪問する方が、相手様にとってもきっと気分がいいと思いますよね。
 すみません、日々のこんな当たり前のことをいまさら取り上げて・・・。
 こんな私も家では、出かける時に自分の準備だけ済ませて、家の中で待つと嫌みのひとつでも言ってしまうので、黙って先に車に乗り込んで待つようにしているが、家人は多分 この行動こそが嫌みプレッシャーだと感じているのではないかと思う。
 いろいろなことがなかなか時間どおりに進まないという現実はあるが、時間はそれほど貴重なものだと認識している。特にビジネスの場面においては。
posted by ヒロイ at 21:47| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする