2019年08月25日

No643:神戸市の英断を応援したい

 先日、朝刊に “神戸市 人口減でもタワマン頼らず・・・中心部で新築禁止” という記事を目にして、「おやっ?」と思った。
 どこもかしこも、人口、特に若年層を増やせと言わんばかりに都市部では街の中心地であったり、交通至便の駅前にタワーマンションを建設し、郊外から人を中心部に呼び寄せようとしている。
 大阪市では大阪駅(梅田)、難波、阿倍野周辺にタワーマンションが何棟も建築され、郊外の住宅地から人口が中心部に流入し、タワーマンションは今までの一般的なマンションより速いペースで販売が進んでいる。
 京都市は高さ制限があるのでタワーマンションこそ建築されないが、市の中心部のマンションは戸数分だけ世帯が入っているかというとそうでもなく、他府県の人や外国人がマンションを所有して、祇園祭や大文字の送り火の時だけ滞在するという まるでリゾートマンションのように利用する人も相当な数にのぼるとも言われている。
 それぞれ形態は異なるがこういった大阪や京都の形が悪いと決めつけるつもりもない。ただ、街というのは年齢層も一定のばらつきがあり、一時入居のような住まいではなく、そこに住み着いてこそ居住空間としての価値があるように思う。
 仮に今、入居者の多くが40代であれば20年後には60代、30年後には70代の住民が暮らすマンションとなる。まして、このタワーマンションとよばれるものは300〜400もの戸数、中には500戸を超すものまで出てきている。
ということは一定の年数が経つとそこは老人だけが住む、老人専用マンションにもなりかねない。

 こんなタワーマンション全盛期に神戸市は逆の方策を打ち出した。
 2020年7月から神戸市のJR三ノ宮駅周辺22.6fで新築禁止。JR神戸駅や新幹線新神戸駅付近まで容積率を900%から400%まで落とし、実質 建築不可能な状態にした。
 これはインバウンド効果が大阪市や京都市ほどはなく、人口も他からの流入より市外への流出の方が上回り、人口減となっている神戸市の焦りともとれないわけではなかったが、今回の神戸市のとった措置は将来、大阪市や京都市が羨むような結果になっているかもしれない。
 とにかく、最近の行政や企業は目の前のぶら下がっている即効果が表れる施策に飛びつきがちで、それが20年後、30年後にどのような状態になっているかまでは見極めていないように思える。

 また、国会で話題になったカジノを含む総合型リゾート(IR)も大阪市、和歌山市、長崎・佐世保市、北海道等 いくつかの市や地域が立候補したり、その検討に入っているが、22日には横浜市も手を挙げ、候補地確定までにはかなり壮絶な競争が繰り広げられることが予想される。
 ただ、これも観光客誘致を含む経済効果を目的にしており、この議論の中には住民の暮らしやすさはあまりとり上げられていないようにも見受けられる。

 タワーマンションもIRもただ単に反対するだけというわけではないが、その地に今まで住んでいた人やこれから生活の拠点を構えようとする人にどれだけ恩恵があるのか疑問を抱えずにはいられない。
 そういう意味において、冒頭で述べた神戸市が打ち出した方針はまさしく住民本位と本来の都市機能の確立という点では結構、奥深く、将来まで見据えたものであるように思う。
 私は神戸市民ではないが思わず「がんばれ神戸」と応援したい気持ちになった。
 京都市もホテルや民泊ばかりが増えて、本来の都市が持つべき機能を住民が受けられていないという部分も露呈されつつある。
 私が住む京都市も目先のことだけでなく、もう少し先のことを考えていろいろな方針を打ち出してほしいものである。
 京都市民がいつまでも暮らしやすく、誰にでも誇れる市(街)であり続けられるように・・・。
posted by ヒロイ at 23:09| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月19日

No642:実は夏が終わるのは寂しいんです

 今年のお盆を含んだ夏季休暇は事業所によってさまざまであった。
 最長では8月10日(土)〜今日 8月18日(日)の9連休の事業所もあったが、顧問先の多くを占めるクリニックはこの間でも13日(火)を診察日にされたり、16日(金)、17日(土)はもうお盆が明けたものとして診察をスタートされているところもあった。
 よくよく考えてみれば公的病院をはじめとする公共機関、それに金融機関などは暦どおりであったのでそういったところは当然のことながら13日(火)〜16日(金)は通常の営業(勤務)であった。
 とはいえ明日19日(月)は散髪屋さんのような月曜が休業(今の時代は違うのかな?)の事業所以外はお盆休暇明けとして通常営業の形が出そろう日でもある。
 私自身はお盆休暇中、今年はあるアクシデントにより当初の予定より1日多く16、17日の2日間 高校野球観戦のため甲子園球場に足を運んだ。
    アクシデントの内容はここで書くと長くなるので省略するが、やはり今年も甲子園はすさまじい暑さの中ですごく熱い試合の連続であった。関東から駆けつけた長男の嫁とお父さんは甲子園初参加ということもあってか、私以上に試合の中に入り込んでいっているのは隣にいる私にも伝わってきた。
 まあ、例年のこととはいえ 私にとってこのお盆の甲子園詣を終えると いよいよ忙しい秋、そして冬に向けての準備がスタートする。
 ここらでちょっと頭を仕事のことに切り替えるが、昨今 我々の業界も顧客(顧問先)獲得に力を入れる税理士も多く、事業所と税理士をマッチングするような有料の顧問先紹介会社のようなものも出てきている。
 新しく我が事務所の顧問先なるのは、ほとんどが現在関与している顧問先(開業医を含む)からの紹介であるが、それほど度々あるものでもない というか滅多にあるものではない。
 人から「紹介があっていいですね」と言われることもあるが、この紹介っていうのはある意味 日々の業務への取り組みや事務所の姿勢が試されているようで息が抜けないというのが本音である。ミスは当然のことながら、何か顧問先の方々のお気に召さないことがあれば、それはマイナス材料としていろいろな方面に伝わっていくという恐ろしい面も持ち合わせている。
 最近 税制をはじめとし、いろいろな制度の改革・改正があるが、そういった変更点を見落としたり、対応が遅れると大変なことになりかねないので常に目を光らせたり、あらゆる方面にアンテナを張っておかないと取り残されてしまいそうになる。
 新しい税制が発表されると、「それは新しい法律なんで・・・。」、「以前のもの知っていましたが新しい制度は今勉強中です。」、(若い人は)「まだ若くて経験が浅いので・・・。」という言い訳は誰しもしたいところではあるが、こういった逃げの言葉、避けるための言葉は職業上 許されるものではない。
 自分でも「あたりまえやろ」、「何を今さら言っているんだ」と言い聞かせてはいるが、これくらいの気持ちがないと夏から秋への気持ちの切り替えができにくいというのが本当のところである。
 夏の暑いのは確かに体に応えるが、私は夏の終わりよりも夏に向かって暑くなっていく季節の方が好きである。それは夏に向かう時期は、夏から秋に、そして冬にかけてじっくり腰を据えて何かに取り組むという時期と違って、汗はドッとかくが何かに縛られることなく自由な気分でいられるからである。
 夏から秋への気持ちと頭の切り替えのための期間、それが正にこれから9月までの2週間であろう。
 高校野球もあと準決勝と決勝を残すのみとなったが、この時期ワクワクというより何かしら寂しい気持ちになるのは夏の終わりが近づいているのを感じるからであろう。
 目の前に餌がないとなかなか体が言うことを聞かない年代になってきているので、次は何を餌に冬に向かおうかなと考えている連続休暇 最終日の夜である。
 日も変わったのでそろそろ終わりにして寝ることにします。
 では みなさん、おやすみなさい。
posted by ヒロイ at 00:07| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月11日

No641:夜、ワンちゃんにお礼を言っている私

 一昨年の12月に私に確認や了解もなくカミさんがあるペットショップから連れてきた(買ってきた)ワンちゃんは、動物を飼った経験がなかった私は最初の数か月はかなり戸惑ったのも事実であるが、今では結構とりこになっている。
 家に動物がいない生活から比べると日々の生活も何かと制約されるし、大変だろうなと思っていたが、その世話にかかる以上に私の心を癒してくれているのは紛れもない事実である。

 今日は朝5時半に目が覚めるとポポタン(うちのワンちゃんの名前)も目を覚ましてウロウロしていたので、「よし、今朝はこのまま宝が池へ」と顔を洗って着替えるとすぐにポポタンを連れて家を出て、宝が池へと向かった。
 休日の散歩はいつもスロースタートなので8時半くらいに出発していたが、最近は8時半では既に結構な日照り状態で多分30度近くにはなっているように思う。
 いつもより随分早いので勇んで向かったが、池の畔で出会った顔見知りの人は、「今日もすごかったですよ、5時過ぎは。ワンちゃんのお散歩だらけで・・。」と6時過ぎに歩いていた私にそんな話をしてくれた。ワンちゃんのことを思うと涼しいうちに散歩を済ませて、あとはクーラーの効いた部屋で朝ご飯を食べさせてゆっくり休養させるのがこの猛暑を乗り切るワンちゃんの朝の定番のようである。私なんか今日は早いぞと思って出てきたがまだまだのようであった。

 今日は朝からカミさんも娘もいなかったので、家の中でポポタンが寝たり、目を覚ましたりするのを傍で見ながら、本を読んだり高校野球を観たりしていた。
 普段は日中には家にいないのでポポタンがどんな生活ぶりなのかはわからなかったが、今日は暑いからなのか、朝の散歩がハードだったからなのか とにかくよく寝るということを目の当たりにして少々驚いていた。
 昼からは知人のお見舞いに京大病院に出かけたが、その間 2時間くらいも間もまだ寝続けていたようである。
 夕方4時前には目を覚まし、部屋の中をウロウロしたりしていたが、家には私しかいないのが分かってからは私に相手をせよと言わんばかりにすり寄ってきた。
 私は3人の子供が小さかった頃、仕事が忙しかったこともあってほとんどなつかれた記憶はなかったが、こうしてワンちゃんといえどもすり寄ってこられると、無性にうれしくなってしまう。
 6時過ぎに出発し、北山通りから宝が池球技場をまわる夕方の散歩を終えて帰ってくると、今度は飲み物と食事の要求を私にしてきたので、カミさんが事前に用意をしてくれていたのをトレーに入れて出すと何ともうれしそうに私の顔を横目で見ながら一生懸命飲んだり食べたりしていた。

 毎日仕事をしている中では、数字をチェックしたり、顧問先の方との対応に多くの時間を費やしているが、こうしてワンちゃんと過ごしているとそういった数字と時間に追われている現実的なことも忘れられる最高の時と空間を与えてくれる。

 夜はカミさんと娘が帰るまでポポタンと過ごしているが、退屈なのか先ほども私にすり寄ってきたので、「今日は一日ありがとう。また2人だけでいような。これって結構 楽しいねん、お父さんは。心から癒されるし、人間と違っておまえはほんまに素直やしな。」と言って思わず抱きしめてしまった。

 ペットを飼いなれていなかった親父が55歳にしてはじめて飼ったワンちゃんと過ごすある休日の一コマで、「ワンちゃんも人間と同じように暑いんで何とかしてやらんと」と そんなことを考える自分自身を不思議だなと思う そんな休日でした。
posted by ヒロイ at 22:37| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月04日

No640:「がむしゃら」って よくない言葉?

 私は50代半ばを超えているが、我々の世代以上の人にとってはこの「がむしゃら」という言葉は今まで何度も耳にした言葉と思われるが、最近はこの「がむしゃら」という言葉がいいようには思われず、聞く機会も段々少なくなってきているように思うし、学校や会社での教育の場においても、「がんばる」と同様、「がむしゃら」なんてナンセンスという風潮がある。
 これは人それぞれが個性や能力に応じて自分の納得いく形で物事に取り組むことが大事なことであって、自分の能力や限界を超えるようなところまでのがんばりは必要としない というか、“無理は禁物”というような考え方がいろいろな場面で取り入れられている。
 私自身、「がむしゃら」という言葉が決して嫌いなわけではないが、確かに自分の子供にも使ったことはほとんどないし、仕事でも古き時代には言われたことも言ったこともあったが、ここ数年は口にする機会さえほとんどない。

 実は今日、まだお盆ではないが私の勝手な都合で実家の墓参りに行ってきた。
 5年前に亡くなった父の墓から帰る途中で、父から今では禁句に近いこの「がむしゃら」という言葉をことあるごとに言われたことを思い出した。今から思えば、父の生き様を端的に表すのがまさしくこの「がむしゃら」という言葉であったように思う。
 「がむしゃら」という言葉を調べてみると、漢字では「我武者羅」と書くそうで(恥ずかしながら今日初めて知った)、
  ・一つの目的に向かって夢中で取り組むさま。
  ・後先を考える前に目的へと突き進もうとするさま。
というのがみなさまもご存じの言葉の意味である。
 亡くなった父が口にしていた「がむしゃら」というのは、決して無理をしてまで、自分の能力以上のことをするということではなく、自分のできる範囲で手を抜かずにやるように という意味だったように思うし、その言葉の中には、「お前がやることを親としてしっかり見守ってやるし、応援もするから」というバックアップやフォローする気持ちが込められていたように思う。
 私は全てのことにがむしゃらになれたかというとそうでもなく、中には手を抜いたこともいくつもあったし、たとえがむしゃらに取り組んでも結果を伴わないこともたびたびあった。ただ、脇目もふらずがむしゃらに取り組んだことは、期待したような結果が出なくても不思議と納得のいくものであったように思う。
 
 謙遜して言うわけではないが、凡人の私なんかはがむしゃらに取り組んでやっと人並みの出来で、レベルの高い人たちには振り落とされずに着いていくのが精いっぱいであるというのが本心である。
 年齢的にいつまでもがむしゃらになれるわけではないが、もう少し無理がきく間は、「増生、(達成)できるかどうかは別にして、がむしゃらに取り組んでみ。」と父に言われた言葉を頭の片隅に置きながら、仕事に、そして仕事以外のことにも がむしゃらにあたってみようとあらためて考えた。
 墓参りというのは墓に線香をあげ、手を合わせる単純な行為かもしれないが、墓の向こうから聞こえる声を感じることこそ墓参りする意味のようにも思う。
 本当はしっかりと墓も磨いて、花もきちんと準備しないといけなかったのかもしれないが、十分な時間がなかったこととあまりに暑すぎたことで随分 省略した墓参りになってしまったが墓の向こうにいる父のことをほんの少しでも思い出せたことで行ってきてよかったと思った。

 「がむしゃら」っていい言葉だと思うんだけど、無理を強いてはいけない今の世の中では多用したり、強要してはいけないようなので 他人には使わず、自分のためにだけにある言葉として大事にしていきたいと考えている。

 結果はともあれ がむしゃらにやった後って最高にすがすがしいんだけどな・・・。
 本当に難しい世の中になったもんだ。我々 中年のおっさんにとっては。
posted by ヒロイ at 23:50| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする