2019年07月28日

No639:この夏の楽しみ

 今年も例年どおり夏の甲子園が近づいてきた。
 今日も全国各地で16の決勝戦が行われ、京都もその中のひとつで9回の裏に逆転した立命館宇治高が出場を決めた。
お盆休暇を利用しての甲子園行きも15年程前から毎年のように子供がつき合ってくれていたが、数年前からは誰もつき合ってくれない年には一人で行くことも1、2度あった。
 今年も子供は3人とも仕事や自分の用事を優先して いっしょに甲子園に行ってくれそうになかったので、「8月16日に一人で行こうかな」と考えだしていたところ、神奈川県にいる長男の嫁が、「○○君(長男)はお盆も土日以外は仕事で無理みたいですけど、私は甲子園に行ったことないので一度行ってみたかったんです」と手をあげてくれた。長男が来る予定の2日前の15日から一人で私の家に遊びに来るが、その嫁と私と二人で甲子園に行くことは想像もしていなかったが、「行きたいんだったら、いっしょに行っみるか」と前売チケットを抑えようとしていたところ、その長男の嫁から「私の父も行ったことないんでいっしょに行ってもいいですか?行きたいみたいです、甲子園に。」と連絡が入った。
私は当初 一人で行く覚悟を決めていたのが、嫁と二人で、そして次はお父さんもいっしょにと 参加者が3人に増え、いつもと違うメンバーでの甲子園行きになりそうだと楽しみも何倍にもなった。
 甲子園には全く行くつもりのない長女に頼んで指定席券の発売日である7月23日の朝に8月16日の内野特別指定席3枚のチケットをとってもらい あとは8月16日の“本番”を待つばかりとなった。


 甲子園の出場をかけての各地の予選に目を向けると先日の決勝戦を投げずに終わった岩手県大船渡高の佐々木投手の160キロのピッチングや清宮の弟(1年生)がいる早稲田実業が敗退し、甲子園で見れなくなったことは多少がっかりしたが、現時点ではすごい選手、すごいチームと騒がれていない中から新たな逸材や観衆をとりこにするチームが出てくるのも甲子園ならではのことである。
    昨年だって、甲子園が始まるまでは金足農業なんていう高校はそれほど注目されていなかったが、1戦ずつ勝ち上がるごとドラマと歴史をつくっていった例だってある。
    まだ、出場が決まっていない県も30日(火)には最終の徳島県と愛媛県の決勝戦が行われ全ての出場校が決定する。
 私も私の周りにいる“甲子園おたく”とよばれる人と同様に毎日、全国各地の予選の全試合をチェックしてきたが、この毎晩の楽しみもあと2日で終わりとなり、いよいよ本番の組み合わせ抽選会を待つという より一層ワクワクする時期になってきた。
 私が予定している8月16日の試合はどこの高校の試合になるかまだわからないが、“甲子園おたく”にとってはそんなことどうでもよくて、あの甲子園で日常を忘れ、体ごと甲子園に浸ることが何にも代えがたい楽しみということである。
 それに今年は昨秋結婚した長男の嫁のお父さんまでもわざわざ参戦してくれ、また16日の夜は京都に戻って二人でゆっくり酒でもという計画もあるので8月16日が私にとっては特別な日となりそうである。
 まだ、半月以上も先の話であるがこれから暑い夏を乗り切るにはこれくらいの楽しみでもないとやってられなという毎日の暑さである。

 興味のない人からすれば、甲子園を楽しむことは不思議な楽しみに見えるかもしれないが、私自身なぜかこの時期になると毎年気持ちが高ぶってワクワクしてくる。
 実は目的とする甲子園に着いてからではなく、梅田の阪神電車に乗るあたりから何とも言えない高揚感があるのが自分自身でも感じられる。

 今年の夏はここまでぐずついた天気が続いたが明日からいよいよ夏本番という天気になってきそうである。この暑さも夏を楽しむためにあるもの というくらいの気持ちで8月を乗りきっていきたいと思っている。
    夏の暑さを避けるのではなく、いっしょに楽しむ?  そんな気持ちで。

posted by ヒロイ at 23:28| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年07月21日

No638:大事なのは“出足好調”のあと

 2011年3月11日の東日本大震災でレールが寸断され長い間 不通になっていたJR東日本山田線(宮古・釜石間)がこの春に三陸鉄道に移管され、リアス線として3月23日に再開した。再開後は好調を維持し客足も伸びているとのことで、先日 「再開後3カ月、出足好調 三陸鉄道」という見出しで新聞にもとり上げられていた。
 また、福島県浪江町では福島第一原発事故に伴う避難指示が2017年の春に一部で解除されてから、念願であった初めてのスーパー(イオン)が開店し、帰還した住民や周辺に住む人たちでにぎわっていたという記事も先日目にとまった。
 こういった話を聞くと復興も徐々にではあるが進んできているんだなとうれしい気持ちにもなってくる。
 ただマスコミはこういった表の面というか、プラス面ばかり強調するが、ここまで通常の社会生活や経済活動からも閉ざされ続けていた苦労やこれからの運営というのがどれほど大変なのかにはあまり触れていない。
 確かにこの2つは復興の証として明るい話題には違いないが、じっくりこの内容を考えたり、もう少し中身を掘り下げた記事やコメントに目を向けると決して明るい未来が待っているというものではないことが分かってくる。
 
 まず三陸鉄道の方は、復興のシンボルとして、またラグビーワールドカップの会場である釜石市が沿線にあるということでも当面は盛り上がるだろうが、もともと人口減少地域であるし、冬の寒い時期は観光客を含む利用客数がどう変化していくのか予断を許さない状況であることにかわりはない。
 また、もう一方の浪江町には震災前には2万1400人の人が住んでいたが、現在 避難先から戻って居住登録しているのは1057人で震災前の5%にとどまる。果たしてこんな状態でイオンの経営は成り立つのだろうか心配になってくる。もちろん来店客の対象は浪江町に住む人だけでなく周辺住民も含めてという目算であろうが 今後 イオン側としても維持できるのかと考えてしまう。ただ、浪江町からのイオンへの家賃支援もあるし、それ以外にも震災の復興支援がらみで県、国をあげていろいろな援助があると思われる。
 これらを見聞きして私が思ったのは、最初はマスコミの露出度も多く、地域住民も”初物(はつもの)”の珍しさもあり利用者やお客様は一定の水準を維持できるであろうが、こういった“出足”から数年経ってしまうと果たして“出足”当初のような数字は維持しづらくなってくるのではなかろうかと危惧してしまう。
 公共であれ、民間であれ いろんな施設がマスコミでとり上げられ、先日も「オープンした山もふもとのキャンプ場は土日はほとんど予約がとれない状況となっている」と言っていたが、開業から数年もすると閑古鳥が鳴いていたりする施設を過去いくつもみてきた。私自実家の近くに20年程前にできた「道の駅」も、日本三景の天橋立まで15分という立地もあり、観光バスの立ち寄りやおみやげものを買う人で賑わっていたが、別ルートとなる丹後縦貫道が開通するとほとんど観光客は立ち寄らなくなり、そのあと数年で休館となった。確か今は地元住民の農産物直営所となっているようだし、平日は営業車(私も含む)の駐車場所となっている。

 私も顧問先を指導する立場として、新規事業の支援をするときはまず立ち上げ時に全力を注いでもらって最高のスタートダッシュがきれるよう後押ししているが、実は事業(商売)をする上では、この“出足”だけでなく、“第二の出足”というか、本来の“出足”とがいったん落ち着いた頃の次なる段階の方が大事と思えることもある。
 開業(開店)時が“出足好調”であってもそこで油断したがために、2年後には伸びの止まるお店やクリニックはいくらでもある。
 そういう意味においても、長く事業を続けていくためには開業時、3年目、5年目、10年目と節目ごとに常に緊張感を持って対処していった者だけが残って行ったり、いい数字を維持していったりするのであろう。
 そういう意味では気の休まる暇がない ということこそ商売の醍醐味であろうし、そう思わないと事業なんてやっていけない、これが開業12年になろうとしている私の出した結論出る。
 事業なんて最高の時を思い描くにではなく、最低の時を考えながら進めていってちょうどくらいであり、例えば、悪いうわさが経ったり、ライバル店が近くにできて収入が3割減ったとか、何かのトラブルでスタッフの3割が退職したとか、そんなことも想定しながら自分の事業に目を光らせる これこそまさしく事業というものであろう。
 いい時や上り調子の時なんてほんのわずかの期間、そう思っていてちょうどである。これこそ事業をする人の基本であるように思う。

 そろそろ終わりにしますが、予定していたより重いなってしまったことをお許しください。
posted by ヒロイ at 21:03| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年07月14日

No637:オリンピックに出れないのも運命

 待ちに待った東京オリンピックまで残すところあと1年となった。
 オリンピックと聞けば誰しも過去のオリンピックの栄光の瞬間をいくつか 思い出すだろう。その頭に浮かぶシーンというのは年代によってさまざまで、私なんかはロサンゼルスオリンピック(1984年)の陸上でカールルイスが100m、200m、走幅跳、そして400mリレーと4冠を獲得したのが一番印象に残っている。
 当時、大学の陸上部に所属していたからなおさらであろうが、ロサンゼルスオリンピックの後は、冗談半分とはいえ多くに陸上選手があのカールルイスをまねて手のひらをピーンとまっすぐ伸ばしながら走ったものである(私の周りの人の数人だけかな?)。
 1964年に開催された前回の東京オリンピックの時は、私はまだ2歳たっだので全く記憶にはないが、私の周りの人で ”東洋の魔女”、”マラソンの円谷”、”重量挙げの三宅”なんていうことをさぞ嬉しそうに語る人は年齢を確認しなくとも私より年上であることはすぐにわかるという ある意味、年齢や年代を表す指標ともいえるのがオリンピックである。
 2008年の北京オリンピック陸上 400mリレーで3位(後でジャマイカがドーピングで失格となり銀メダルへ繰り上げ)に入り、アンカーの朝原選手がゴール後にバトンを空に向けて投げたシーンはリレーのレースそのものよりも私の頭に焼き付いている。大学の後輩がこういった活躍をした後は我々OBもそれをネタに数年間は盛り上がったが、その後こういった選手を輩出できていないのでそろそろ出てきてほしいと願っているクラブ関係者は多いはずである。
 こうしてオリンピックに出場してメダルを獲ることを目標としている選手もあるだろうが、オリンピックで活躍する前にオリンピックに出場することも同じくらい大変で、いくつもの予選会という壁を乗り越えないといけないというのがオリンピックを目指す選手の第一関門であり、競い合いそのものであろう。

 やはりオリンピックは特別なもので、私がやっていた陸上でも世界記録を出すよりもオリンピックで金メダルを獲ることの方が難しいと言われるのが通例である。
    世界記録は優れた選手であれば場所や時を問わずいつでもどこでもチャンスはあるが、オリンピックは4年に1回で、しかも決勝で勝った1人しか金メダルを手にすることができないという運というかめぐり合わせも重要な要素となってくる。
 メダルを獲得できるかどうかは最終結果であるが、この4年に1回のオリンピックにめぐり合わせが悪くて出場できない選手も毎回何人か出てくる。
 その中の一人は残念で仕方ないが水泳の池江璃花子選手であろう。昨年のアジア大会では史上初の6つの金メダルを獲得し、誰もが東京オリンピックでの活躍を楽しみにしていただろうが、白血病という病魔が突然襲ったために東京オリンピックの出場は厳しいだろうし、本人にとっては言葉にならないくらい残念であろう。しかし、こればかりはどうしようもないし、今はとにかく一日でも早く病気を治し、日常の生活に戻れることを日本中の人が願っている。
 また、陸上では6月の日本選手権100mはサニブラウン選手の圧勝であったが、日本人最初の9秒台スプリンターの桐生選手と共にここまで日本の陸上界を引っ張ってきて、来年の東京オリンピックでは100mとリレーには出場すると思っていた山縣選手も6月の日本選手権の直前に気胸で欠場することがが発表されたが、こちら も東京オリンピックの前年に発病するなんて何ともついていないとしか言いようがない。
 昨年の世界選手権の床で金メダルを獲得した女子体操の村上茉愛選手も腰痛に悩まされ、 先日の日本選手権を欠場していた。
 ここで3人の選手を例に挙げたが、オリンピックに出るというのは実力以外のも何か目に見えないもの、大げさに言えば運命にも左右されているようにも思える。
 こういった壁を乗り越え、やっとの思いで代表に選ばれた者の中で、本当に金メダルが獲れるには各種目一人しかいないという、このすごい競争倍率こそオリンピックそのものであろう。

 来年の東京オリンピックに向けて各競技でこれから予選・選考会がたくさん実施されるであろうが、来年夏のオリンピック本番だけでなく、その前の予選会にも注目し、どういう過程を経て本番の舞台に立てたのかを知ることはオリンピックの本番をより一層楽しめることにもつながるだろう。
 スポーツには勝者と敗者が存在するが勝者の陰には必ず敗者というか、ライバルが存在していたことも忘れてはならない。
 輝くのは勝者であるが、見ていて感動させるのはなぜか敗者であるということも胸に刻み込みながら、この一年間の代表選考レースを見守っていきたいと思っている。
    何人かの敗者の気持ちも汲みながら。
posted by ヒロイ at 22:21| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年07月06日

No636:“死刑囚”と“死刑執行人”双方の苦悩

 いきなり背筋がぞっとするようなタイトルでびっくりされた方もいらしゃるかもしれないが、先日来 読んでみようと思っていた2冊の本が読み終わり、胸の中に何とも言えない思いが残っていてとれなかったので、あえて気持ちを整理もせずに今の気持ちをありのまま綴ってみることにする。
 まず、その本とは次の2冊である。
〇「ある若き死刑囚の生涯」(加藤乙彦・・筑摩書房/2019年1月)
〇「死刑執行人の苦悩」(大塚公子・・角川文庫/1993年5月)

 「ある若き死刑囚の生涯」の方は、2月の忙しいさなかに新聞の書籍紹介欄に載っているのが目に留まり即座に購入し、今まで買い置きしていた本である。
 1986年に24歳で横須賀線爆破事件を犯し、27歳の時 最高裁で死刑が確定、そして32歳で死刑が執行された純多摩良樹の事件犯行までの人生と逮捕後、死刑が執行されるまでの5年近くの刑務所での生活ぶりを描いたものである。
 事件の凶悪性が許されるものではないが、ここでは事件の真相や罪の重さにはについてはあえて触れず、この犯人(死刑囚)の心の変化についてとり上げてみた。。
 2冊目の本と合わせて考えてみても、私自身、死刑廃止論に積極的賛成でもないし、この死刑制度が取りざたされる時にいつも出てくる、「被害者の立場や心情を考えると・・」とか、「やったことの責任をとれ」という考えも理解できるが、この2冊を読み終えてみると心の中の軸が初めて死刑廃止論の方へ少しだけ傾いたのが自分自身でも認識できた。しかし、まだ、凶悪犯罪への抑止力という面でも、即座に死刑廃止まで行き着くには難題も多く、この奥の深い論題には私自身まだ入口に差しかかった程度の認識である。
 純多摩死刑囚は収監後、独学で短歌を学び、その後 獄中からの投稿では数多くの賞を受賞している。私の心にグサッときたこの死刑囚の心の変化を表した独房からの叫びともいえる作品を紹介しておく。


・一瞬に人を殺(あや)しめわが罪をおもへばこの身凍る思ひす
・偶(たま)さかの獄の集会席二つ空きてゐてわれの死期を悟れり
・わが希(ねが)ひ歌に託して詠みゆかん処刑さるる日近づきてゐむ
・屋根の上のつがひの鳩にも見られゐん獄にうごめくわれの姿は
・獄の壁に話しかくれば夜の更けを何か心にひびくものあり
・鉄窓に凭(もた)れて夜空を見放くれば小さき星がわれにまたたく
・陽のとどく位置に机をおきかへて死ねばならぬ心さだまる
・伸びすぎたる爪を剪(き)るとき母想う断ちきれぬ記憶のなかに構へて
・文鳥の飼育許され独房に互(かた)みにいのち悲しみ合ふ [独房で文鳥の飼育のみ許されていた]
 この本の中の数多くの短歌のうち2、3例を紹介しようと思っていたが、心打たれたものを書いているうちにこんなに多くなってしまった。

 死刑執行直前に「死にたくないよー」と大声を張り上げたり、暴れたりする死刑囚もいるなかで、この純多摩死刑囚はいたって落ち着き、死刑執行日が本人に告げられ、執行日前日の筆者(加賀氏)への最後の手紙では、このように綴られていた。
「加賀先生に最後のお手紙を、書かなければればならない日がやってまいりました。とうとう私に〈お迎え〉が参りました。数時間後の旅立ちに備え、こうしてお別れの筆を執っている次第です。・・・・・所長さんに、お世話になったお礼を述べ、握手をさせていただきました。・・・・・加賀先生にはくれぐれも、お身体をお大事にされますように。ほんとうにいろいろとありがとうございました。夕食しながら長く談笑してしまい、時間が長くなりました。  それでは、行って参ります」


 後の方の本は、拘置所で死刑を言い渡したり、実際に執行に立ち会った人の話であるが、これもまた苦悩の連続で、いくら仕事とはいえ人間が人間を処することで気がおかしくなった人もいるとのこと。
 死刑執行の時、死刑囚を目隠しする、手を縛る、縄を首にかける というのを3人でわずか数秒で整えなければいけない刑務所の執行官の役目。これは読んでいて人間の心をおかしくするのも当然だとも思えた。
 刑務官は日々死刑囚と接しており、中には更生して、罪を償いたいととか、「私はこれで償えるでしょうか」と訴えてくる受刑者もいたとのこと。中でも3人を殺害したある受刑者は、「殺してしまったのは3人なのに私一人にの命では償いきれない、やりきれない。」と訴えてきた死刑囚もいたようだ。
 あと、印象に残ったのは法務大臣が署名押印した死刑執行命令書に基づき、死刑囚に死刑執行(基本的には当日)を告げるのは刑務所の所長の役目のようだが、ある所長は死刑が確定した後、反省し模範囚に更生した死刑囚には、数時間後に執行される事実をこんな言葉でしか伝えられなかったとその時の苦悩を口にされていた。その言葉とは、『残念だが、お別れだよ。』

 後の方の本は最初は興味本位で読みだした本であったが、受刑者と同じくらい執行者も苦悩に満ちた人生を送っていることに初めて気づかされた重い重い本であった。
 また、やはり被害者側の心情をどう理解し、納得させていくかも今回の2つの本を読んで考えないといけないということもあらためて感じた。
 この2冊を読んで、私が心に刻んだのは、罪を犯すようなことはしない ということはもちろんであるが、命を大切にしないといけなということである。
 生きることの意義を久しぶりに考えさせられた良本であった。
posted by ヒロイ at 20:44| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする