2018年12月31日

No608:年末を病院で過ごす母を見舞って考えたこと

 平成30年(2018年)も残すところあと1日となった。
 事務所は恒例となっている28日の忘年会を最後に新年1月3日までの6日間の休暇に入った。
 忘年会はいろいろと悩んだ末、意外と食べる機会のないイタリアンで今年を終えようと企画し、みんなでいろいろな話をしながらしっかりと食べて飲んで今年の事務所の行事を無事終了した。

 実は忘年会の最中に兄嫁から、母が入所している施設で転んで足を骨折したとの連絡が入った。長岡京の住んでいる兄もこの日 忘年会だったらしく、私と同様 お酒も入っているのですぐさま駆けつけることもできない状態であった。
 施設の方からは、今のところ大きな痛みもないようなので、翌日(12月29日)に地元の総合病院に連れていき、再度検査をして、その後の対応を決めるとのことであったので、私は29日に行くことを決め、母には申し訳ないがこの日の忘年会は途中で席を外すこともせず、最後までみんなと過ごした。
 
 今回の年末年始は兄夫婦が年末から現在空き家となっている実家に出向き、年始まで3、4日過ごすということであったので、私は帰省せずに京都の自宅で東京から帰ってくる息子も含め、ゆっくりと過ごそうと思っていた。
 ただ、こういった事態が発生するとそういうわけにもいかず、29、30日の両日 特段重要な予定もなかった私がひとまず29日に病院に行き、その後、帰省する兄とバトンタッチしようと考えた。
 病院に行くと、母が入所している施設の職員方からここまでの経緯を聞き、次に診察・検査をしていただいた整形外科の先生から病状を聞いたが、『このまま入院していただき、明日(30日)の朝10時から手術をします。お年寄りなので、一日も早く手術をし、無理のない範囲であるが、長い入院生活とならないように日常となる施設へ戻って、その施設に併設されている医療機関でリハビリしてもらうのが、本人様にとっても一番と考えています。』との説明であった。
 私は一応、一泊できる用意はしていたが、明日(30日)手術とは? と多少驚いたが、ひとまず29日は泊まって、30日の手術に備えた。
 
 手術といっても2時間程で無事終了したが、その間、病院の食堂でコーヒーを飲みながら雪化粧された天橋立を眺めていろいろなことを考えていた。
 母は認知が進み、私のことはほとんどわからないにしろ、私が正月に顔を見せないのでこんな形で私を呼び寄せたのかな とか、20年程前は父も健在で、我々3人の兄弟も子供を連れて実家に集まって賑やかだったな とか・・・。
 地元を離れて38年になるが、その間に起こったことを思い返してみると、自分の周りの環境も大きく変わったことや子供も大きくなった分だけ、自分も親も歳をとったことなど、普段は日常生活に追われ考えることさえもしないことが、この日は窓から見えるのがあまりにも “地元 丹後”にぴったしの景色だったのでこんな風に感じたのかもしれない。

 母のことは、この後 兄夫婦にバトンタッチすることになったが、まずは一日も早い母の回復を願うと同時に、年越しを病院でする母に対してなんだか申し訳ない気持ちになった年の瀬であった。
 今年もあと一日となったが、何とか無事に年末まで過ごせたことに感謝するとともに、新しい年も平穏な年となることを願って今年最後の綴りを終えることにする。
 
 みなさま この1年間 本当にありがとうございました。
posted by ヒロイ at 10:43| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月23日

No607:もし、区切りがなかったら

 今年の仕事もあと一週間でお終いという時期になってきたが、この時期いつも今年やり残したことはないのか、今年中に完了しておかないといけないことが済んでいるのかと 「今年中」というキーワードで身の回りにあるいろいろなことを確認して回っている。 
 「もう、何もないよ」と言いたいところだが、実は、まだもう少し「今年中」に終えておかないといけないことが残っているというのが実情である。
 この「今年中」という縛りは、ある意味、すごく重圧がかかってきて気が重くなることも今まで何度もあったが、もし この「今年中」という縛りがなかったら、いろんなことがもっとズルズルと長引いていたのかもしれない。

 今年は、税務調査の当たり年であったのかどうかは知らないが、秋以降、税務調査が5件もあり、11月と12月に納税者(顧問先)や税務署とその解決に向けていろいろなやり取りをしたり、手を尽くした結果、そのうち2件は完了(うち、1件は追徴税額なし)、あと2件は何とか年内にキリがつく形で進んでいる。残りのあと1件は今年唯一の相続税の調査で、税務署側からの返答が遅く何かあるのかなと思って待っていたところ、つい数日前になってやっと税務署からの回答があり、大きな指摘項目もなく何とか終了できるメドがたった。ただ、残念ながら年内に完結というわけにはいかず、全てが終わるのは年明けの1月中旬頃になる予定である。
 上記のどの税務調査も納税者、税務署、そして税理士の3者に「今年中になんとか」という気持ちがなかったら、急がずダラダラと日数ばかりを費やしていたように思う。そういう意味で「今年中」にいう区切りは何事においても実はなくてはならないもののような気がする。
 我々の業界で一番忙しいのは個人の確定申告業務であるが、毎年その期限の3月15日が近づいてくると、「期限が3月末だったらいいのに」と思いながら仕事をしているが、もし、期限が3月末だったとしたら、その時は必ず、「期限が4月末だったらいいのに」と思ってしまうのだろう。
 まあ、人間というのはそれだけ自分に甘く、急ぎでなければ少しでも先延ばしになるというのが目に見えている。
 普段の仕事でも週の初めに「今週中に」という期限の仕事を月、火に済ませておけば楽になるのに、「今週中」というのは「金曜日が期限」と自分で勝手に決めてしまい、ついつい週の後半の仕事にしてしまっている。
 この区切りというのは、他にも、「今日帰るまでに」というのから始まり、「今週中」や「今月中」、中には仕事ではないが自分の人生の目標として、「○○代(私なら50代)のうちに」とか、いろいろな区切りによるプレッシャーを知らず知らずのうちにかけている
 ただ、人間誰しも ホッとしたり、楽しい時間というのはこの縛りのない時間を指すのであろうし、そういった時間にとらわれずに寝ていられる休日の朝やもうすぐやってくる正月を待ち遠しく感じるのは、やはり日頃 時間に縛られた生活を送っているからなのであろう。
 実はこういう時に頭を使うことがあっても日頃仕事をしている時とは違う部分を使っているような気がするし、だからこそ今までにない発想でいろいろなことが考えられる大切な時間ともいえるであろう。
 何とかこういう時間を大切にし、かつ、楽しむようにしたいなと思っている。
posted by ヒロイ at 23:17| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月16日

No606:「あの人の力になってあげたい」と思わせる社長

 今から2年程前のことだが、非常に業績のよい京都府外の会社の経営者で私共の顧問先であるKさんから、京都市内に不動産を持ちたいのでいろいろと相談したり、物件を探してくれる仲介業者を紹介してほしいと依頼があった。
 私は今まで顧問先の方から、家を建てる土地を探してほしいとか、今住んでいるマンションを売りたい というような相談があった時に紹介していた□□社(大手ではない不動産業者)のT社長のことが真っ先に頭に浮かんだので冒頭で取り上げたKさんに紹介した。
 Kさんは仕事の関係上、日曜日しか京都に来れないが、この不動産屋のT社長は事前に物件情報を細かく調べ上げ、Kさんが京都に来られた日は、何ヶ所かの別件を丁寧に説明しながらいっしょに回ってくれたとのことであった。
 最終的には、このKさんは他の情報源から手に入れた物件情報をもとにマンション(京都の別宅)を購入されたので、親切に対応して下さったT社長の不動産屋の収益には何ら貢献せずに、京都の別邸購入という目的は達せられた形になった。
 ただ、その後もKさんは賃貸用マンションやハイツの購入など何度かT社長に個別で相談され、情報交換される関係は今なお続いているようであるが、KさんはこのT社長を通しての不動産の売り買いはいまだに一度も成立していないようである。

 先日、このKさんと本業の業績や決算について話をしているなかで、現在、所有している不動産物件の一つを1年以内に売却したいので、今の相場を調べて欲しいと依頼があった。
 私は、『今まで なかなか仲介成立には至ってないが、例のT社長に声をかけてみますね。』と言ったところ、Kさんは『是非とも、不動産屋のTさんにお願いしてみてください。何とかしてあの人を通して売りたいんですよ。あの人、本当に親切でめっちゃいい人でしょ。ああいう人と仕事ができ、何とか力になれたらとずっと思っているんですよ。』と、私に訴えてこられ、私は、『分かりました。』とだけ口にしてうなずいた。
 売れる人とそうでない人の違い、できる営業マンとそうでない人の違い、「あっ、これか!」 と私はこの時、“商売のコツ”のようなものを瞬時に感じとることができた。
 この話、Kさんとの些細な会話ではあるが、『めちゃいい人でしょ。・・・・何とか力になれたらと・・』 と この思い抱かせることこそ大切であり、この見えない力こそ、仕事をする上で最も必要とされるものなんだなと妙に納得してしまった。

 以前に、住宅メーカーでかなり上まで昇りつめていった大学時代の同級生と何年かぶりに食事をした時、これと同じような気持ちになったのを思い出した。
 確かに学生時代はいっしょにやんちゃなこともたくさんしたが、この久しぶりにあった時の食事の仕方や注文の仕方、そして支払いが終わって帰る時までの対応について、同級生ながらも最後まですごくいい印象を持ったまま別れたのを思い出した。
 できる奴(人)とは、また会いたくなり、そして いっしょに仕事をして、力になってあげたくなる人なんだな勝手に“できる奴”像を描いたりもしてみた。

 Kさんが社長に対して抱いた「あの人のために」 と思わせるまでになって初めて、その道の達人といえるのであろう。
 自分に何が足りなくて、どういったことが出過ぎているのかを考えさせられたというだけでも、意味のあった今回のKさんとの打合せであった。
posted by ヒロイ at 14:13| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月09日

No605:経営者に逃げ道はない

 今回は大そうなタイトルをつけてしまったが、タイトルのとおり経営者は全ての決断について自分で責任を負わなければならない ということが今回 伝えたい内容である。

 私共の顧問先である会社の経営者やクリニックの院長からは日々、相談を受け、それに対していろいろな角度からこちらでまとめ上げたものを提案をしているが、最後の最後は、経営者自身が一番いい方法を探りだし、そして前に進めていかなければならないと考えている。
 新型の機器を導入することも、新製品の開発に着手するかどうかも、売りに出た隣の土地を購入するかどうかも、また人員(従業員)を増やすことも減らすことも、過去の経験と目の前にあるデータ(資料)をもとに最終的に結論を出すのは、経営者以外 誰でもない。
 それは別の角度から捉えると、全責任は経営者にあるし、もし、経営判断を誤ってしまうと従業員や家族、それに取引先にも多大な迷惑や損害を与えてしまう。場合によっては多くの関係者を路頭に迷わせたりすることだってある。

 当方に持ちかけられる話で「コンサル会社を入れて経営の立て直しを図りたい」とか、「○○についてコンサルティングをしてもらって会社をいい方向へ導きたい」というような話を聞くことがあるし、我々 税理士からの話も参考にしながら判断を下されることもある。
 こういった時にうまくいっているケースとそうでないケースと明暗がはっきり分かれているように思う。
 その要因はそれを進めていく経営者の意思や姿勢であるが、「コンサルや税理士の意見も十二分に理解したし、自分で検証してみてもこれが正しいを思うので。」と思うのか、「コンサルや税理士が言っていたので、まあ間違いないやろ、とりあえずやってみよか。」と思うのかの違いであろう。
   そして、うまくいかなかった経営者の多くは、原因は自分にはなく、コンサルや税理士にあると言われる。

 今から10年以上前、ある勤務医の先生がクリニックを開業される時に融資を受ける予定の銀行の担当者から開業の動機を聞かれた時、その先生は「教授にも勧められたし、そろそろかなと思って」と返答されたが、その時の銀行の担当者は驚きながら「先生の強いご意志ではないんですか?」と聞き直していた。当時、私もこの銀行員と同様のことを思ったのを今でも覚えている。 二転三転した後、何とか融資は下りたが、この先生がいまだに安定経営に域まで達しないのは、やはり開業時のこの甘さ、気概のなさにも起因しているのではなかろうかと思ってしまう。

 コンサルや我々税理士の意見を参考にされながらも、自分でアレンジしたり、次なる展開まで模索されている経営者やドクターの会社やクリニックはみんないい方向に向かって進んでいる。
 そういった方を見ていると、経営とは考えて考えて、悩み抜いて、そして決まったらまっしぐらに突き進んでいく、まさしく“熟慮断行”が実践できるかどうかにかかっているように思う。
 よく、「経営者は孤独」という言葉を耳にすることもあるが、周りに助けてくれる従業員も家族もたくさんいるし、実は誰よりも多くの人に守られているのが経営者である。孤独と思わないことこそが いい方向へ進む秘訣では と個人的にはそんな勝手な捉え方もしている。
 
 今年もあと3週間。12月28日の事務所の忘年会でおいしいお酒が飲めることを楽しみにしながら、体調を崩さずに年末まで何とか乗り切っていきたいと思っている。
 寒くなってきましたが、皆様もくれぐれも体調には気を遣いながら年末を乗り切っていってください。
 では、今日はこの辺で。今から年賀状の準備に取り掛からないといけないので・・。
posted by ヒロイ at 16:40| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月02日

No604:人生の終わり方

 妙なタイトルで申し訳ありません。
 なぜ、急にこんなことを書こうかと思ったのかというと、ここしばらく相続関連の仕事をする機会が多く、所得税や法人税とはまた違った仕事の関わり方の中で、自分自身も人生についていろいろと考えさせられることもあり、最近思っていることを綴ってみることにした。
 
 最近、人生の終い方を考えましょう とか言って「エンディングノート」や「自分ノート」という自分が最期を迎えた時や子供に伝えたいことをまとめ上げる、そんなものが出回ったり、こういったものの書き方のセミナーまで開かれている。
 確かに、自分の老後や認知症になった後のこと、そして死に際について語れるのはある程度元気で判断能力のある60〜70代の人であろうし、最近、よく話題になっている“終活”というのも同年代の人が主流のようである。
 たまに50台後半から“終活”を始めていると自慢げに言っている人をテレビや雑誌で見かけるが、がんや白血病で余命〇年と言われている人ならいざ知らず、まだまだ元気盛りの人が“終活”なんて、私の個人的な意見では、「おたく、まだまだ早すぎますよ、その前に子育てや親の介護も含め、自分の日々の生活をもっと充実させる方が大事ですよ。そんなことを考えている場合じゃないでしょ。」とお節介を焼きたくなってしまう。

 実際、60代、70代、いや80代の人が、エンディングノートを書いたってなかなか思いどおりにはなりませんよね、というのが私の本音である。

 実際、私の父は86歳まで生きてたけど、ある日、昼ごはんと共に大好きなお酒を少し飲んだ後、自分の部屋で昼寝をしていて、母が午後3時頃、「お茶にしようか」と起こしに行ったところ息をしていなかったというそんな最期だったし、母は母でその後独り暮らしになってから、私が月に1、2回訪ねて行ったときは機嫌よくしていたが、いつからか認知が進み、段々 私とまともな会話ができなくなっていってしまった。
 こんなことを考えると、歳をとった本人は当然のことながら、その周りにいる家族、特に子供は親が元気なうちにどれだけのことをしてあげられるかを考えて接したり、寄り添うことが親孝行なのであろう。
 自分自身は、子育てや仕事で忙しい時期ではあったが、もっと親と話をしとけばよかったと思ったし、親の方こそもう少し息子との時間を持ちたかったのだろうなと思ってしまう。

 今、目の前にある見本でいただいた「自分ノート」を開いてみると、そこに掲げてある質問事項は、

@ 思い出の歌や好きな歌手
A 得意な料理や思い出の一品
B 若い時のあなた(自分)を振り返って書きましょう・・幼い頃のこと、学校のこと、懐かしい旅行 など

 こんなことを書くことは後生に受け継ぐためではなく、自分自身が人生を振り返るためのノートであり、自分の人生を納得できるものであったと思うために書くノートなのであろう。
 相続の仕事をしていると、ついつい残された人の意見でいろいろなことが決まったり、財産についても揉めたりして、亡くなった人の意向が尊重されないケースも多々あり、むなしく思えることだってある。
 良い死に方に誰しも憧れるが、そのためには今をしっかり生きることこそが、それに近づくのかなと何だか宗教家のような考えに行き着いてしまう。
 人間、生まれてくることは本人で選択できないと言われているが、死ぬ時も思うどおりにならない。そういう意味において、人生って誰が決めるんだろう なんて考えて 答えを見つけ出せないまま今日の話を終わりとする。

posted by ヒロイ at 19:11| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする