2018年11月25日

No603:歴史を重んじる気持ちもプライドもない市の名称変更

 今回の話は(元)地図マニアの廣井が普段から不思議に思ったり、あきれかえっていることをただ単にぶちまけるだけの内容なので、地図や地名に興味のない人にとってはつまらない話だと思うので、興味のある人だけこの後も続けて読んでください。

 先日、兵庫県の篠山市が住民投票の結果「丹波篠山市」に変わることになったことはご存じだと思うが、篠山だけでは知名度が上がらず、やはり「丹波」とつけることによって、栗や黒豆の売上も伸びるだろうし、多くの人にいち早く認知してもらえるようにというのが変更の理由のようである。
 
 今回の件もそうであるが、私のような地図マニアの気持ちを一気に醒めさせたのが、2005年前後に全国各地で起こった平成の大合併である。この時はどこでもここでも市町村が合併し、新しい市、しかも縁もゆかりもない市の名前がついた あの騒動のことである。
 社会科、特に地理が好きだった小学生の頃から必死になって覚えた地名はたくさん変わっていき、県庁所在地の浦和市までもさいたま市なんていう味気ない名前になってしまった。随分前、ここでも取り上げた記憶があるが、清水の次郎長やサッカーJ1の清水エスパルス、そして先日亡くなった ちびまるこの原作者 さくらももこさんの出身地としても有名な清水市まで静岡市に飲み込まれなくなってしまった。
 昭和の時代の合併はそれなりに意味もあり、名称も納得いくものが多かった。
 例えば3つの広島市の話。かつて広島から北海道へ移住してきた人たちが住み着いた札幌の隣町が発展していき北にある広島として北広島市と名付けられたが、今や札幌のベットタウンとなり、北海道日本ハムファイターズも2023年に本拠地を札幌市から北広島市に建設中の球場に移すことが決定している。また、東広島市は名前のとおり広島市の東隣の存在するがこちらは今回の合併劇とは違い、1974年(昭和49年)に広島市の近くで、本家の広島市に何とか負けないようにとできた市である。

 平成の合併時の“名づけ”はここまで深く考えずにつけているようにも思える。2006年に名古屋市の北に位置する市町村が合併してできた市が北名古屋市で何とも味気ないが、名古屋の近くということだけはアピールできるという思いだろうか。私はどう考えても名古屋のおまけとしか思えないが・・・(北名古屋市の人 すみません)。

 冒頭の篠山市から丹波篠山市への市の名称変更もそこまでにして有名になりたいのか、名を売りたいのか と思ってしまう。この住民投票、私なら変更反対の1票を投じただろうな。だって、“篠山(ささやま)”の方が味があると思いませんか?  
 
 その他にも、個人的にセンスなさすぎと思える市を掲げてみると、
 群馬県にあるみどり市や栃木県のさくら市。合併騒動の中で誕生したさくら市であるが、さくら市の名前の由来を調べてみると「桜の花のように美しい市になって欲しい」と何とも単純。重みや歴史のひとかけらもない感じがする。
 それ以外でセンスがないと思っていたのが、四国の真ん中の市町村が合併してできた四国中央市(愛媛県)。この市は、四国の他の3県(香川県、徳島県、高知県)と接しており、四国の真ん中に位置しているらしい。
 九州の南にある市として「南九州市(鹿児島県)」なんていうのもできていてびっくりしたが、この市の人口はなんと3万人台。以前から門司、小倉、八幡を要する北九州市の人口は90万人以上。この北九州市と南九州市のアンバランスさが何とも滑稽に思えてくる。
 元々の市町村の名前には全く関係なくとも、聞いてあの辺りかと分かることを狙ったと思える 伊豆の国市、南アルプス市、そして和歌山県の紀の川市くらいまでなら個人的には許せるかなという感じである。
 
 今回は篠山の名称変更に端を発し、いろいろと勉強させてもらった。篠山市さん ありがとう。
 たわいもない話に最後までお付き合いしてくださった人が何人いるかはわからないが、お疲れ様でした。そしてありがとうございました。

posted by ヒロイ at 17:49| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月18日

No602:ズバッとものを言ってくれる人

 先日、ある金融機関と税理士との懇談会があった。
 この会は私が所属する近畿税理士会上京支部だけのもので、しかも、任意加入の懇談会なので、人数も全会員で50名超、当日の出席者も30〜40名前後と少人数の集まりであった。
 私は、この会の役員になっているので この日は研修会の後の懇親会では司会を仰せつかっていた。
 実は前日はかなり遅くまで仕事をしていたし、当日も夕方のこの研修会の前までは、とある医療法人の税務調査に立ち合っていたので、懇親会が始まるころには連日の疲れが一気に出てきて、今一つすぐれない体調のまま司会としての任務を果たそうとしていた。

 こんな中で、私は司会として犯してはならないミスを短い時間の間で2回もしてしまった。それは来賓の方の名前の読み方を間違ったのと、途中で楽器演奏する方を紹介をしないといけないのに時間が少し過ぎるまでうっかりしていて、ホテルの方に「そろそろですね」と声を掛けていただいてやっと行動に移したという失態である。この時、もし声をかけていただかなかったら、どうなっていたんだろうと後から考えるとまずかったなという思いでいっぱいだった。

 一応、テーブルには自分の席が確保されていたので、司会としての役割が何もないときにはその席で料理をいただいたり、つがれたビールで喉を潤していたが、同じテーブルだった知り合いの税理士や銀行の支店長の方は、『司会って大変ですね、ちょっと一杯飲んで一息ついてください。』とか、決して慣れているわけでもない私に対して『慣れておられるので緊張されることもないでしょう。』とか、私に気をつかっていろいろと話しかけられてきた。
 そうこうしているうちに、懇親会はお開きとなりホッとしながら会場から玄関の方へ歩いていると、同年代でよく知っている女性のM税理士から、『廣井先生、今日はズタズタでしたね、結構ね。今日の司会はちょっとね・・。』と私に本音でズバッと今日の司会の出来がいまいちだったことを口にしながら私を追い抜いて足早に帰っていかれた。
 今日の司会は自分でも今一つの出来だなと思っていたが、それを口にしていってくれたのはM税理士だけであった。
 確かに自己採点してみても、60点を下回るようなできであったにもかかわらず、誰もそのことには触れられなかったが、出席者の多くが同じような感想を持っていたんだろうなと思った。
 本当にこの忠告(感想)を言ってくれなかったら自分でも反省する機会さえ失っていたかもしれない。
 この日は重い気分で家路についたが、ある大役をこなすときは、最低限の体調管理と事前準備は必要だなと思ったし、それができないようであれば社会人として失格だな と本当に情けない気分になった。
 こういう気付きを与えてくれたM税理士に今度会った時は、『M先生だけや、先日のまずい司会について本音でいってくれたのは』とお礼を言っておこうと思った。
 褒めてもらえるのもうれしいが、こうして本音で話をしてくれる人が自分の周りに何人いるかで自分の成長も変わってくるんだろうなと そんなことも考えさせられた日でもあった。
posted by ヒロイ at 16:08| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月11日

No601:身近にいる目標とする経営者

 事務所の顧問先の決算作業は原案を作成する者、その後それをチェックする者(当事務所では検算担当者とよんでいる)と最低2人が書類に目を通すことになっている。もちろん私もこの検算担当者になることもあるし、作成(担当)者とその上司の2人で仕上げたものが私のところにまわってくる場合もある。 いずれにしても私は外部に出る書類は全て目を通す仕組みになっている。
 数多くある書類の中で、個人事業の確定申告や法人の決算の書類を見ていると、各会社の経営者や開業医の院長の考えがその決算の数字の中に潜んでいると感じることがある。
 経費をとことん抑え節約する人、結構派手に経費の使う人、従業員に手厚くする人、必要なものとそうでないものをよく吟味してから資金を投入する人、自分が欲しいものを手に入れるために仕事をしてる人、目先のことだけ考えて行動する人、5年先10年先のことを見据えて行動する人、例をあげたらきりがないが、決算書の数字や中身はそれくらい経営者の頭の中にある考え方を反映している。
 実は何年もこの仕事をしていると、会社名や個人名を隠しておいてもその決算書がどこのものか分かるくらい・・というのは少々大げさかもしれないが、決算というのはある意味、経営者の顔といっても過言ではないのかもしれない。

 今日、ここで言いたいのはここまでのことではなく、これだけ経営者の方と接して、しかも経営方針やお金の使い方を見ていると、こんな経営者になりたいなと思えるような人がいるということである。つまり、見本となる経営者をすぐ探せるというのは、税理士の特権なのかもしれない。
 週末にある医療法人の決算書をチェックしていると、その医療法人は医療機器や人など、いわゆる お金を稼ぎだすものにはしっかりと資金を投入し、見栄を張ったり、無駄と言えるような支出はどこを探して見当たらない。そして役員報酬はしっかり確保して、個人の貯えも残しておられる。
 では、この院長は何が違うのかということであるが、自分はまずは医療人で患者の病気を治すのが自分の使命であると常に思って診療されている。スタッフ数も総勢20人近い人を雇っておられるが、誰がどんな仕事をしているのかを全て把握されていて、どんな仕事でも代わってできるそうである。実際、自宅が併設されているので休日に急患があると奥様と二人だけで診察から会計まで何なくこなされるとのこと。
 こんな先生なので、患者は一日〇〇人と平均的な開業医の2〜3倍の患者数である。 週一回の休診日には開業前に勤務されていた病院で働かれているが、これは自分の腕の衰えを防いだり、医療技術の進歩から後れを取らないようにするためらしい。
 あと、事務所がお願いしたことに対する回答や書類準備もピカ一に早いし、決算時の棚卸や未収金チェック、そして毎月の給与計算もこちらから催促することなく、すぐに送ってこられる。
 じっくり考えることは考えた上で、決まったことには迷わずまっしぐら、つまり“熟慮断行”を地でいくような先生である。
 私自身、この先生のようなまねはできないが、この先生を見ていると自分はまだまだ足りないとこだらけだなと反省させられると同時に、少しでもこの目標に近づきたいと駆り立てられものがある。

 人間、刺激を受けることは大事だなと思うということで、今日の話を締めさせていただくことにする。
posted by ヒロイ at 22:39| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月04日

No600:600回も続いた訳は?

 今から11年前、開業当初はまだまだ今よりずっと小さな事務所であったので、食べていけるのかな? 給料払っていけるのかな? という不安の中でスタートを切り、税理士事務所にとっての“顧客”である顧問先を1件でも増やしたい という一心からこのブログを始めた。
 当時、ある人から大型の税理士事務所は業務範囲(レパートリー)の幅広さや組織力そのもので事務所が評価されるけど、小さな事務所は所長がどんな人物かによって評価されると思うので是非ともこのコーナーを使って廣井増生を売りこんだら と言われたのを今でも鮮明に覚えている。
 確かにこの話を医療機関に例えると、大きな病院に行くときにはその病院のドクターはもちろんであるが、それ以外にも設備や他の診療科との連携等 確かに知らず知らずのうちに病院という組織そのものを評価のターゲットとしているが、町医者、いわゆる開業医で受診するときにはそのドクターがどんな人で、どんな治療をしてくれるのか、そして通院した人の評判は? 等、あくまで院長という個人がどんな人かで判断することが多い。
 こんな話に乗せられて始めたこのコーナーであるが、今となってはそういった経営戦略上の狙いなどほとんどなく、自分自身の記憶を記録にとどめておくという本来の日記としての意味合いの方が強くなってきているように思う。

 今年で開業して11年目になるが、たまに過去のものを読み返してみると、「そうそう。あの時にはこんな気持ちで顧問先に接していたな」とか、「あの社長にはいつも無理難題を言われたな」というような仕事上の話題や「あの時、まだ子供も中学、高校、大学で毎日大変だったな」といった日常生活での出来事もその当時のことがいくつも思い出される。
 決して仕事が好きなわけでないが、あの頃のじっとしていては何も始まらないという固定観念というか、一種の強迫観念が今でも体に染みついているので、休日になってもボーっとして優雅な一日を過ごすことがなかなかできない そんな人間になってしまっている。
 ただ、人間ちょっと気が緩むとズルズルいってしまう 怠け者の生き物というのは分かっているし、自分自身それほど強い人間じゃないので、ここにいろいろな思いを綴ることによって、自己反省したり、次なる方向性を探るうえでは役に立っている。
 
 当初は、気が向いたら書いてみようとか、時間があればとか思っていたこともあったが、1週間に一度こうしてパソコンの前にすわると、1週間の出来事や仕事の内容がそれなりに整理ができ、次の一週間の自分の動きも事前にイメージできる。
 これは月曜日の朝、初めてその一週間の計画を立てるのとは違って、月曜の朝が2歩目、3歩目からスタートできるという、わずかとはいえ 心に余裕をもって月曜日の朝を迎えることができる。
 こういった自分自身へのこだわりもあって、何とか11年目にして、600回という回数を重ねることができた。

 これをどんな人が読んでくださっているのかはほとんどわからないが、たまに顧問先の方や知人からこのブログのことに話が及ぶことがあると、話題の提供には事欠かないし、また初めて会う人が事前に読んでいただいているような時には、「先週、○○へ行かれたんですね」ということから話に入ることができ、初めての面談でないような錯覚に陥ることもある。
 どこまで続けられるかどうかは分からないけれど、あまり 根を詰めずに思ったままを綴っていければと思っている。
 始めてから11年ということは、歳も11 重ねていったということで、青年45歳で始めてから、もう56歳になって見栄えはすっかり老け込んでしまってきているが、何とか「初心忘れべからず」という思いを持ち続けるためにももう少し続けていこうと思っている。

 読書のみなさま、これからもよろしくお願いいたします。
posted by ヒロイ at 19:47| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする