2018年09月30日

No595:日本のプロ野球をつまらなくしている元凶

*今回はプロ野球に興味のない方はおもしろくないかも?

 私はもともと野球少年だったので小学生の頃は、お小遣いをためてプロ野球選手名鑑なるものを買って、選手の名前と顔、それに成績を見て楽しんでいた。
 小学校の頃は少年野球、その後 中学3年まで野球を続けていたが、中学生になると毎週ではないが、月に1、2回「週刊ベースボール」という雑誌を買って、野球の知識を深めていった。
 中学の友人であったHS君は毎週この雑誌を買っており、たまに彼の家まで遊びに行くと、本棚にこの「週刊ベースボール」が途切れることなくきれいに並んでいて、当時 大変羨ましく思った記憶がある。
 野球のことを考え出すと止まらなくなってしまい、本題に入る前についつい昔話に時間を費やしてしまったが、これもご愛嬌とお許し願いたい。
 
 さて、プロ野球が面白くなくなったのは、(ここからはあくまで私見ですので)例の”クライマックスシリーズ”という訳の分からない制度ができたからだと個人的には思っている。
 少しだけ、復習を兼ねて簡単に説明すると、セパ両リーグとも優勝チーム以外に2、3位でもリーグ代表として日本シリーズに進出できる妙な制度である。
興行的には「一粒で二度おいしい」じゃないけど、通常のシーズンの試合意外に敗者復活戦が組まれていて、このクライマックスシリーズでうまく勝ち上がれば日本一にだってなれるという野球通の人からみると訳の分からない制度である。
 セ・リーグは先日 広島が2位に10ゲーム差をつけてぶっちぎりで優勝したが、もしかすると3位のチームに負けてしまえば日本シリーズに出場できないということだってありえる。
 確かに、1勝のアドバンテージがあるようだが、シーズン中に10ゲーム差があっても、このクライマックスシリーズではたったの1勝分しかご褒美がもらえない。
 ましてや現時点の状況から判断すると優勝した広島が勝ちすぎたために3位のチームは勝率が5割にも満たない。こう考えると、この制度になってからの日本シリーズは真の日本一を争うものではなくなってきているというのが本当のところである。
 
 そりゃ、一定の敗者復活はあってもいいが、プロの世界でこれはないだろうと思ってしまうのは私だけなのだろうか?
 確かオリンピックの柔道でも敗者復活戦というのがあるが、これで勝ち上がっても最高第3位(銅メダル)までで、決勝戦は一度も負けていない者同士の対決となっている。
 私の大好きな高校野球でも夏の大会は地方大会から1度負けたらお終いという厳しいものだからこそ気が抜けないし、負けた者の悔しさも勝った者の喜びも最高潮に達するのではなかろうか。
 こんなことを考えていると年間143試合も戦って、1位のチーム同志が真の日本一を賭けて戦う、醍醐味がある日本シリーズを見たいものである。
 何事も金儲け優先、興行優先の日本シリーズにはほとんど興味がないが、今年 セパ両リーグぶっちぎりで優勝する広島と西武が進出して戦う場合だけ日本シリーズを堪能したいと思っている。
posted by ヒロイ at 17:58| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月23日

No594:故郷で初めてする研修会の講師

 先週は顧問先の先生に講師を依頼され与謝医師会の学術研修会で講師を務めた。
 ちなみに “知っておくと助かる医師を取りまく税金”というテーマでした。

 数年前から、『研修内容は医療に関する学術的なことがほとんどですが、たまには医療そのものではないテーマも新鮮味があっていいかなと考えているのでその節にはお願いしますね。』と言われていたものの、なかなか時間がとりづらくて という言い訳のもと、正式なオファーは今までなかったが、今年の春に 『いよいよ、お願いしたいんですが・・。』と言われたので、なかなか断ることもできず引き受けすることになった。
 お医者さん(開業医+一部 勤務医)相手なので、税についてあまり掘り下げても内容が難しくなるので、比較的 簡易な内容で一般的にも興味を引く内容を と考えてはいたが、レジュメの作成もお盆頃まではまだ日があるな とのんびり構えていた。いよいよ 9月に入り開催日も段々迫ってきたので 焦りながらも何とか数日前に仕上がり、メールで最終版のレジュメを依頼された先生に送って、あとは本番を待つのみとなった。

 与謝医師会というのは京都府北部の宮津市、与謝野町、伊根町が対象となる小さな医師会であるが、私が生まれ育ったところなので、数件の顧問先の開業医の方以外でも医院の前を通りかかったり、看板を見たり、親族が患者として診てもらっていたりと 初めてお目にかかる先生が多いなか、名前はほとんど知っている先生ばかりであり、やはり地元開催だからなのか研修会の中盤で 「自分のテンション、確実にいつもより高いな、熱いな。」と感じながら話していた。

 各先生方の夜診が終わってからということで、7時半スタート、9時までという 夜遅くなってからの研修会でみなさんお疲れ気味の様子だったので、最初に『税制って基本的には全国共通ですが、どうしても都市部の考え方が入ってきてますよね。こんな田舎では、土地の評価も低いので(1坪5万円?)、相続税の申告の中で土地の評価を下げる 小規模宅地の特例ってあまり効果がないし、通勤手当の非課税限度額10万円も首都圏への新幹線通勤も視野に入れた規定と思うんですが。今日はこの地域にあった、ここで開業、あるいは生活されている先生方に役に立つ話をします。』と切り出したので、参加された先生方はまさに新鮮だったのか、この税理士いったい何しゃべるんやろ と興味を持っていただいたのか、一人も居眠りされずに最後まで聞き入って下さった。

 確かに税金でも医療でも、いくつかの特例を除き基本的なことは全国共通だが、地域によって受け止め方や恩恵を受ける層には違いがある。
 この日の研修会だけではなく、税務や経営の指導をする上で、こういった地域性を十分に理解して話したり、相談に乗ることがいかに重要であるかをこの日の研修会を聞いてくださった先生方の顔つきであらためて実感した。

 帰るときにはお土産としてご当地では有名な“オイルサーディン”の詰め合わせをいただいた。
 毎年、事務所で創立記念日に事務所の人たちに私の地元産のものとして同じものを配っているが、実はこの日は創立日である9月21日の前日だったので、昼過ぎ 出発する前に事務所のみんなに渡してきた。同じ日に同じものをいただくなんて・・。これも偶然なのか、何か結びつきなのか 不思議な気持ちになった。
*事務所のみなさんへは1人2缶ずつしか渡していません。詰め合わせではありません。
posted by ヒロイ at 16:31| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月16日

No593:日本人を大事にしないと・・・。

 9月4日、台風21号が近畿地方も縦断ルートの真ん中にすっぽり入り、関西空港の滑走路やターミナル、それにあの連絡橋が大きな被害を受けたことはみなさんもご存じであろう。
 中でもタンカーが衝突した連絡橋のあの痛ましい姿を見た人は、「こりゃ、しばらくあかんわ。」と思われたことと思うが、あれから2週間後の18日に鉄道は復旧、開通の予定だと聞いて思わず耳を疑った。
 なんであの状態から2週間で通行可能になるのかと日本の技術力には驚かずにはいられないが、さすがに横にずれている道路についてはもう少し時間がかかりそうとのこと。
 利用者の多い所の復旧はさすがに早いとあらためて思ったのは、比較するのも失礼かもしれないが、私が毎月2、3度利用している京都縦貫道の宮津天橋立IC付近のがけ崩れによる追い越し車線の封鎖は一年以上たっても通行可能となっていない。
 確かに車の通行量から言ってもさほど不便でないが、工事現場には数名の作業員と1、2台のトラックが目に留まるだけで、一向に進行している状況にない。
 今回の関西空港の被害は、関西、あるいは日本の経済にも大きな影響を与えかねないし、京都にも大きな影響を及ぼしている。
 あの日以来、間違いなく京都の道を行きかう外国人が減ってきているし、民泊の多い事務所付近もあの大きなカバンをゴロゴロと音を立てながら数名で歩く外国人の姿はめっきり減ったように思う。
 実は京都に住んでいて今までに経験したことのないような(← この言葉は、最近の報道番組でよく使われている。但し、あまりいい意味で使われることはないが)外国人の多さに圧倒され、その影響もあって確かに京都の経済は潤っているのかもしれないが、日本人が片隅に追いやられている感がないわけではない。
 まだ、京都に住んでいる我々はさほど不便を感じるわけではないが、日本の各地から訪れる日本人観光客のここしばらくの評判はすこぶる悪いというのは何ヶ月か前の報道で目にしたことがある。
 今回の被害の後、「もう少し日本人観光客に目を向けないと・・。」とあるホテルの関係者が言っていたが、何を今さら、ここまで日本人を蚊帳の外きながら、と悔しさまぎれに思わざるを得ない。
 関西空港の復旧、全面再開は、当初の予定より大幅に早まることは関西経済にとっては朗報であるが、ホテルやレストランの予約が再び取りづらくなり、修学旅行をはじめとする日本人観光客がまた行きづらい京都になることの寂しさを感じているのはおかしな発想なのであろうか。
 それにしても、国が”本腰”を入れて進めていく復旧工事のすごさと、一つのことでここまで大きな影響を受けるもろさの両面を垣間見た今回の台風に伴う関西空港の閉鎖であった。
 遠い所に空港を造って評判が芳しくなかった開港初期の関西空港を知っている者としては、関西空港の果たしている役割を大きさをこんな形で見せつけられたが、ある意味、無駄ではない貢献度の大きい公共事業であったと感じずにはいられない今回の台風による被害であった。
posted by ヒロイ at 23:21| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月09日

No592:“老後”って何歳からはじまるの?

 9月6日の日経新聞に次のような記事が載っていた。 
◆「70歳雇用 努力目標に」
・政府は高齢者が希望すれば原則70歳まで働けるよう環境整備を始める。現在は原則65歳まで働けるよう企業に義務付けており、年齢引き上げの検討に入る。

 現在は定年60歳の企業がまだまだ多く、本人が希望すれば65歳まで働くことは可能という状況であるし、公務員の定年を段階的に65歳に引き上げようとする案は出ているが、65歳の話を一気に通り越して、70歳という話が出てきたことには正直驚かされた。
 ただ、この70歳という話は定年延長というのではなく、働きたい人にとっては70歳まで働けるような環境を整えよう という話である。
 もちろん、こうった話の背景には長寿化に伴う長い老後、少子化による年金原資の不足という問題があるのは理解できるが、逆に捉えるとある程度 余裕のある生活をするには早くから年金暮らしするのではなく、元気なら70歳くらいまでは働くように と促されているともとれる話である。
 確かに止まらない出生率の低下と高齢者の増加は今や我が国の最大の問題で、数年かけても解決するようなものではない
 実は、この少子化の問題は日本だけでなく、中国でも深刻な問題となってきているようである。
 中国はもともと人口が多過ぎ、食糧問題も根底にはあるところから、1979年に「一人っ子政策」が導入されたが、中国政府はその政策を撤廃すると 2016年に発表して世界を驚かせた。「一人っ子政策」という極端な政策によって人口構造に偏りが生じ、近い将来日本のように高齢化社会になることに国が懸念を示していることの表れであろう。

 私は現在56歳なので、65、あるいは、70歳まではもう少しあるが、自分の老後の生活なんて絵が描けないような状況である。この仕事をしていると幸か不幸か定年がないので頭と体が通常に機能している間は仕事をしているんだろうなと想像してしまうが、それはそれで、自分の老後っていつから始まり、ストレスにさいなまれない生活っていつかは来るのだろうかと 考えてしまう。
 先週の日曜日に施設に入所している86歳の母を訪ねたが、私自身が86歳の時にはどうしているんだろうと考えてしまったり、また、こうしてあちこちで災害があると、私も予期せぬ災害で突然 命を落とすかもしれないし、それ以外の病気やけがのリスクだってあるだろうから、先のことを考え出したらきりがない状況に陥ってしまう。
 今日の話は何が言いたいのか自分でもわからなくなってきたが、あまり先々のことを考え過ぎずに、今を一生懸命生きるしかないな という結論に達してしまう。
 ただ、今の日本、いや これからの日本は、「働ける間は働くように、そして、働けなくなって、お金もなくなったら最低限のことだけは面倒見てやる」というようなむごい国に向かってどんどん突き進んでいるなと感じてしまう。
 でも、これは今の政府だけの問題ではなく、少子化対策に長年取り掛かろうとせず放置されていた今までの我が国の対応の結果であると思うし、最後は死ぬまで自分の身は自分で守らないといけないという 悲しい思いに駆られる そんな日本になってしまったと思わざるを得ない。

 自分の“老後”って一体何歳からはじまるの? と妙なことを考えざるを得ない雨の降る休日の午後であった。
posted by ヒロイ at 16:33| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月02日

No591:母の笑顔

 今日は実家のある与謝野町の福祉施設に行ってきた。
 私が医療機関や福祉施設といえば仕事かなと思う方もあるかもしれないが、今日は近くに何件かある顧問先には立ち寄らず母に会いに行ってきた。
 母が入所している福祉施設の「家族会&夏まつり」が開催されるということで、一昨年は姉、昨年は兄が参加していたので、今回は私が行ってみようと思い参加してきた。
 施設の職員の方が総出で模擬店を出されており、チケットを買ってうどん、山菜おこわ、たこ焼き、クレープ等を食べながら、生演奏と地元出身の女子大学生の歌を聞き、最後には福引まで用意されていた。ちなみに模擬店のたこ焼きはこの医療法人の理事長が焼いておられたので、私が 「先生が焼かれたたこ焼きは高そうで、1個100円くらいしそうですね」と話しかけると、苦笑いしながら焼きあがったたこ焼きをトレイに載せておられた。
 生演奏をバックに女子大生が歌う歌もさすが老人の喜びそうな曲のオンパレードであった。 「瀬戸の花嫁」、「高校三年生」、「見上げてごらん夜の星を」、「上を向いて歩こう」、「ふるさと」等々・・・。

 我々の世代にとって親の老後のことは避けて通れない問題で、私の実家の母も一人暮らしだったのでいつまで自分のことを自分でできるのかということを考えた結果、限界が近づいていたのでこの施設にお世話になった。
 この施設に入って確か3年近くになるが、体調は比較的安定しており、手を引きながらであれば杖なしで歩くこともできるし、施設の方の話によると食事もほとんど残すことなく食べきるようだ。
 私自身が若かった頃は当然 親も若かったので親の死や介護なんて考えたこともなかったが、今から15年程前から父が病気をして入退院を繰り返し、それを母が世話をしているのを見ていて、「これは大変なことだな」と思った。しかし、本当に大変なのは今から7、8年近く前、世話をする側の母が70代後半になってからであった。
 その後 父が5年前に亡くなり、その後しばらくは母が一人で暮らしていたが、日常の自分の身の回りのことがままならなくなり、施設への入所となった。

 今では私との意思疎通が問題なくできるという状況ではないが、手を引いたり、背中をさすったりすると時折 ニコッして私の顔を覗き込むのように見ていた。そのしぐさを見て、来た側の私の一人よがりかもしれないが、来てよかったと とてもきうれしい気持ちになった 。
 帰り際に施設の方から、『廣井さん(母)は、普段はそれほど表情を表に出されないけど、今日はいつになくうれしそうで、終始にこやかでしたね。』と、私に対しての気遣いの意味が込められていたにせよ そうおっしゃっていただいて、なんだか胸が熱くなった。

 『増生、元気にしてるか? 仕事ばっかりしとったらあかんで。体壊すで・・・。』とよく電話をしてきていた頃の母には戻れそうにはないが、こうして顔を見ることは母を看に行ってあげるという一種の上からのものの見方だけでなく、私自身の心が洗われる妙な気持ちになってしまう。
 正直、今日はしておきたい仕事を後回しにして母の所に行ってきたが、こういうことは損得勘定ぬきで私の空っぽの心の中に母だけが飛び込んできて、ここしばらく味わったことのない充実感で心の中が満たされた一日であった。
 こんなわけで帰りの車の運転2時間は全く苦にならず、今日の母の表情を思い浮かべながら家に帰ってきた。
posted by ヒロイ at 23:15| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする