2018年05月27日

No577:丁寧さを欠いた対応をしていると・・・

 勤務税理士から独立開業し、自分の税理士事務所を立ち上げてから丸10年が過ぎ11年目に入っているが、最初の頃のひたむきさに欠けているなと自分でも反省するようなことがあった。
 日々仕事をする上で日常的に顧問先の経営者の方や事務所の運営上必要な各方面の方々(この中には一般的に“業者”と呼ばれる人も含む)と面談する機会があるが、この中でも顧問先の方以外の人との面談の仕方が荒っぽくなってきてるなと反省することがある。
 面談の仕方が荒っぽい とはどういうことを言うのかというと、必要性や緊急性が低い人との面談には十分な時間をとらずに サラッと終わってしまうことである。
 当然、開業当初と比べると組織も大きくなり、対外的にも以前より幅広い範囲に渡って把握するべき事柄が増えてきているので、サラっと終わることもある意味必要不可欠な状況なのかもしれないが、私自身の気持ちの中で、「今日のこの人はそれほど時間をとらなくていいな」と勝手に判断し、時間を削る行動に出ていることがある。
 開業当初は誰かと会うこと、また、話を聞くことの中にビジネスチャンスが潜んでいないかと思って時間の許す限り とにかく積極的にいろんな人と面談するようにしていた。事務所のスタッフも 『所長、よくそこまで人に会いますね、これだけ面談していたらいくら時間があっても足りませんよ。もう少し、会う人を絞り込んだほうがいいように思うんですが・・・』と言われたことがある。
 ただ、今回は自分自身も反省する必要あり と後になって思ったことがある。
 一昨日、今まで一、二度ではあるがいっしょに仕事をしてきたある業者の人が転勤となり、新しく担当になられる方を連れてあいさつに来られたが、私の方に十分な時間がなったこともあり、立ったままで名刺交換を終え、時間にして2、3分程でその引継ぎのあいさつは終わった。
 確かにゆっくりと時間がとれない状況ではあったもののわざわざ時間を作って当事務所の方まで足を運んできてくださったのに、愛想がなかったなと帰られた後に私自身、反省と何か申し訳ない気持ちが残ったままとなってしまった。
 
 今回の場合“一期一会”というような大そうな話ではないが、逆に私自身が出向いて行って丁寧な対応をされるのと、相手の方に時間がないとはいえ 立ち話で終えられるような対応をされるのとでは後々の印象がガラッと変わってくる。
 自分自身が丁寧な対応をしなかったために後味が悪く思うくらいなら、なんとか時間のやりくりをして、今までの感謝の気持ちも もう少しきちっと伝えておくべきだった。
 事業をしていて、その事業がいい方向へ向かうのかそうでないのかは、仕事の中身そのものが一番大切なのはわかるが、それ以外に、「何とかしてこの人の力になろう」と自分の味方や応援してくれる人が自分の周りにどれだけいてくれるのかが、事業が成功するか否かの分かれ目のような気がする。
 そういう意味では人との出会いとともにその人とのいい関係をいかに続けていくかが大事なように思う。そういう意味においては私の周りにいる人を大事にすることが何よりも重要なことなのに と一昨日の自分の行動をあらためて反省せざるを得なかった。
 「開業当初の気持ちを忘れずに」という言葉こそ、今の自分に必要な言葉なんだろうなと感じた。
posted by ヒロイ at 20:48| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月20日

No576:恥ずべき行為

 人間なら誰しも大なり小なり恥じらいというものがあるはずだ。
 恥じらいというのは、「恥じらいのある若い女性」というように、多くの場合、男性より女性に使う場合が多いが、この“恥” あるいは、“恥ずかしい”ということは日々生活する上で非常に大切であり、自分を飾ったりすることなくできれば、まさに人間力を高める要因になるかもしれない。
 自分が考えていることを着飾ることなくそのまま行動に移すことは、ある意味 最も素直で人間らしいのかもしれないが、やはり多くの人の中で生きている我々は多少なりとも恥ずかしくない行動をとろうと心掛ける。
 最近の犯罪やセクハラ、暴行等の多さとこのことを結びつけるのは犯罪心理学を学ぶ人からはあまりにも短絡的で早計である とご批判を受けかねないが、やはり何をするにしても(事件になるような犯罪でなくとも)、「ちょっと待てよ」と自分の今の立場や周りの人たちの顔を思い浮かべることで歯止めがかかる部分はあると思う。
 ただ、街中で見かけるちょっとした問題のある行動、例えば、たばこの吸い殻を下水に捨てる、駅のトイレにガムを吐き捨てる、電車やバスを並んで待っているのに何食わぬ顔で横からサッと割り込んでくる、あと、交通ルールでいえば自転車の二人乗りやバイク(単車)のノーヘル等 考え出したらきりがないが、今の時代、見知らぬ者が注意なんかすると何をされるか分からないのでついつい見て見ぬふりをすることに慣れてしまっている自分に嫌気がさすこともある。
 
 でも、人が見ていなくともやってはいけないことはやらない という気持ちをどこかで持っていれば多くのことが防げるし、私自身、いつかは廻りまわって自分のとこに跳ね返ってくるような気がする。
 少し怖い話だが、何年か前 実家の近くを車で走っていながら 私はとても忙しかったので、当時私に会いたがっていた年老いた両親に会うことなく素通りをして京都まで戻ってきたことがあった。「いつでも会えるしええか」と軽く思っていたが、実はその次の日、仕事でミスを犯し顧問先の方から大目玉をくらったことがあった。
 結果としてそのミスそのものは大事に至らなかったが、やはり、「できることはやらんと神様は見ている」とぞっとしたのを覚えている。
 私はこれ以来、「もうええか、誰も見てへんし」と思って、あまり好ましくない行動をとることが怖くて、「人間は見てへんけど、神と祖先はどっかで見てるんちゃうか」と思うことがある。
 かといって、日々の生活で昔の道徳の教科書(← 50歳以上しかこの意味わからんやろけど)に出てくるような行動ばかりとれるはずもなく、時には“ズル”をすることだってないわけではない。 でも、この“ズル”と言われるくらいの些細なことであってもそうして手に入れたものには喜びも大したことないし、逆にむなしさだけが残ってしまうこともある。

 何だか今日は偉そうな話になってしまったが、ついつい 人が見ていないところでは“ズル”しそうな自分がいるので、自戒の念を込めてこんな話の流れになってしまった。
 今回の内容、本当の自分でない部分もあり、かなり恥ずかしい内容になってしまったことをお詫びして終わりにします。
 どうか、お許しを。
posted by ヒロイ at 19:54| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月13日

No575:多すぎる税制の改正

 「税制を抜本的に見直す」、「社会の変化に適合した税制を」、「国際的にも通用する税にしくみを作り上げる」というようなうたい文句で首相をはじめとし、国会議員や経済会からの提言等がマスコミでよく取り上げられているが、この税に関する改正が非常に多くなってきているように思えてならない。
 もちろん時代にマッチしない古い制度のものは早く見直す必要があると思うのだが、最近の改正を見ていると、一つは国会や選挙での駆け引きに使われている、つまり、票に結び付く制度に目がいっているように思う。そして、もう一つは納税者やその指南役(我々税理士もその一人かもしれない)が税制の抜け穴にうまく目をつけ脱税にならないまでもすれすれの節税策として提案されたり、対策を立てていることに対してすぐさま規制がかけられる傾向があるように思える。
 後者の方は我々税の専門家から見てもヤバい対策と違うの? と思えるようなものに対してはやむを得ないが、前者の選挙目当てとしか思えないようなものも改正項目には散見される。
 ただ、どういったきっかけであっても法律として成立したものは、その範囲内で対処していかないといけないといけないので、常に頭の中で“改正税法”がくるくる回っている。というのも、最近はこの手の研修会もたくさん催され、時間を調整しながらできるだけ参加するようにはしているが、改正の内容はもちろんのこと、その改正がいつから適用になるのかをきちっと抑えておかないと、よく似た内容であっても適用年度を間違うと大変なことになる。そういう意味において、この改正は今期からだっけ、それとも来期からか? ということを確認する回数が年々多くなってきているので、机の上に立てかけてある研修会の小冊子が必要不可欠である。
 そういう意味においては決算・申告の作業以外に調べものをする時間も自ずと多くなってきているように思う。

 私共の事務所の顧問先に多い医師であっても、あるいは専門職と呼ばれる弁護士や社会保険労務士であっても、ビジネスとしては人当たりもよく、依頼者の相談に親身になって耳を傾けることが必要とされることではあるが、その次にはきちんと、つまり正確に、そしてできるだけ依頼者のご希望に沿う形で対処できるかどうかが力の見せどころであろう。
 そういう意味ではこの仕事をしている以上は、いくつになっても新しいものを理解し、頭の中を整理しておかなければならない。
 こんなことを考えていると何だか重い気分になってくる部分もあるが、常に頭を使う機会を与えられている、つまり、お払い箱にならないように研修の場が設けられているんだなと考えながら研修会場へも足を運んでいる。

 今回は久しぶりにまじめな話になってしまったが、我々の仕事も結局のところはお国に振りまわされながらやっているんだなとつくづく思う今日この頃である。 
posted by ヒロイ at 18:22| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月06日

No574:口ぐせ

 毎日の生活の中でついつい口にしてしまう口ぐせというものは誰にでもあるでしょう。また、口ぐせではないが事務所内ではいつも独り言を言っている者もいる。
 その内容がモグモグやうだうだと人にはわからないような独り言をつぶやいている者もいれば、「えっ」、「うそやろ」、「なんで?」と不満や否定的な言葉を声に出して言う者もいる。そして、中には外出先から疲れて帰ってきているにもかかわらず、席に着くなり、いつも「よっしゃ!」と空元気ながらも気合を入れる者もいる。
 確かに自分の落ち込んだ気持ちと正反対のことを口にして、気持ちを鼓舞しようとすることは決して悪いことではないし、心の中だけでなく言葉として口にすることで不思議とその言葉のように物事が進んでいくことだってある。

 ただ、言葉は正直なもので、いくら口にしないでおこうと思っても知らず知らずのうちに口にしてしまっていることだってある。というかほとんど毎日この繰り返しではなかろうか。
 私も意思が弱いので、これは止めようとか こうしようとか思っていてもなかなか実践できないので、何年か前から、一日に何度も開く手帳に 口にしないでおきたい言葉 を付箋に書き込んで貼り付けている。その言葉とは、
 「あぁ しんど」と「あぁ 疲れた」という二つの言葉である。しかし、付箋の効果もさほどなく、ことあるごとに口にしているし、自分でも気づかないとこでも言っているのだろう。
 
 ある本に、「口ぐせから老化ははじまる」と書いてあったがまさしくそのとおりだと思う。
 上に掲げた私の口ぐせもそうだし、我々の年代(50代半ば)にもなると、「もう年だから」といって、ついついしんどいことから目を背けながら毎日の生活を送る癖がついてしまっている。
「どうせ俺(私)なんか」とか「俺(私)の頭では到底無理やわ」というのもよく似た気持ちの表れであろう。
 これとは逆に、私のような50代半ばの者が70代後半から80代の人と話をしているとぬ決まって「廣井さんなんか、若くて今一番ええ時で、がんばれる時やね」と言われる。するとなんだか体が軽くなったような気になるから不思議なものである。
 老化というは体と頭からくるのであろうが、その前に口にする言葉から老化が始まり、進んでいくような気もする。
 ということで、たとえ嘘っぽかったり、空元気でもいいので若くて元気になるような言葉を口にすることは、若さを保つ秘訣というか、元気の源なのだろう。

 連休明けの明日は、ついつい「あぁ しんど」という言葉を知らず知らずのうちに口にしてしまうのだろうが、せっかくこうしてここに書いたのだから少しだけでも自分自身で気をつけながら、月曜日から始まる長〜い 一週間を乗り切っていきたい。
 やっぱし、休みはええなあ〜。
posted by ヒロイ at 14:26| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする