2017年11月19日

No551:相続の仕事から考えた ”人の死”

 顧問先関連の方、それに個人的な知人からの紹介を含め 今年も何件かの相続税の申告業務の依頼があった。
 ご存知のように相続税の申告期限は相続開始日(死亡日)から10ヶ月以内となっているので、今年の春以降に亡くなられた方の申告は年をまたいで来年以降になる方も何人かいらっしゃる。
 相続の仕事をする上では、有利な形での分割方法や相続税額を少しでも抑えた申告を導き出すことが重要な仕事であるが、それ以外にも次の世代の資産の分配や残された相続人の今後の生活についても十二分に配慮したうえで結論を出すことも求められている。
 このように相続の仕事の依頼があると、ついつい相続税額や遺産の分割の方へ関心がいってしまうが、今回は相続の仕事を通して”死”そのものについて考えてみることにする。

 この世に 生を受けることと人生の終焉は自分では選択できないと言われているが、その中でも”死”というものについてしっかり準備ができたり、覚悟ができている人はほとんどいないように思う。
 今年 相続の仕事で依頼のあった分だけでも様々な死がある。
 40代のご主人が単身赴任先で脳梗塞により突然亡くなられたケース、日常生活には困らない程度(軽度)とはいえ少し障害のある40代のお子さんを一人残されて亡くなられた男性(奥様は既に他界)、80代後半から90代にかけての年齢で一応 平均寿命を超えられた上で亡くなられた方などいろいろな形の”死”というものに触れる機会があった。
 今までの私の人生においても、小学校の4年生の時、同級生の女の子が白血病で亡くなったり、友人の兄弟があの御巣鷹山で墜落した日航ジャンボ機に搭乗していたケースなど 今 あらためて考えただけでも胸が張り裂けそうな死は結構周りにも存在している。
 こうして考えてみると、人間は思った年齢で希望通りの死に方ができるかというと、そんなことはほとんどないということが分かる。
 認知症の人には失礼な言い方かもしれないが、認知症も重度になってくると、人間の死というものさえ理解できないようになってくる。
 自分自身の”死”がどんな形で訪れてくるのか考えると少し怖い気もするが、これこそ誰しもが避けて通れない道であることは百も承知している。
 一定の年齢以上になってくると 死への準備はしないといけないのであろうが、それよりも毎日、必死になって生きていくことの方が大事であろうし、こうして脇目も振らずに過ごすことは、死と真剣に向き合うことを避けたいという本能から起きている行動なのかもしれない。


 なんだか、話があちこちに飛んでまとまらなくなってしまったが、相続の仕事をする上で、その亡くなられた人が突然の死であっても、長年 床に伏しておられた結果の老衰に近いような死であったとしても、その亡くなられた方の想いを少しだけでも汲みながら相続の仕事を進めていきたいし、そうすることが亡くなられた方(被相続人)にとっても、残された相続人にとっても無念さが和らげられるのではないかなと思う。
 
 「頼られる税理士」。まだまだ奥の深い言葉であることにあらためて気付かされた1年でもあった。
posted by ヒロイ at 20:44| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする