2017年10月29日

No548:JR西日本30周年記念乗り放題きっぷ(1万円)

 鉄道に関心があり、これを趣味としている人を一般的に“鉄道マニア”と呼ぶが、私もなかなか時間がなくて行動には移せてないが、実は“鉄道マニア”の一人である。
 私は中高生の頃はスポーツに没頭していただけではなく、時間のある時は書店に積んである時刻表を買って仮想旅行を楽しむという妙な一面も持っていた。今では“乗り鉄”とか“撮り鉄”とか言われているが、私はただ単に日本地図を駆け巡ることが楽しみであったというだけのことである。
 こんな私の趣味を知っている娘がなかなか手に入らない珍しい切符を手に入れてくれた。
 その切符は【JR西日本30周年記念乗り放題きっぷ(1万円・・1日3000枚限定)】というもので、10月の土日のどこか1日(前もって指定した日)、JR西日本の区間は新幹線も含め乗り放題という珍しい企画のものである。但し、この切符で乗れるのは自由席に限られ、指定席は追加料金を払っても乗ることができないという、指定席でのゆったり旅行を希望される方には ちょっと? という切符である。
 この切符が手に入ってからは、くろしおで白浜へとかサンダーバードで金沢へなどいろいろと考えたが、お得感を出すにはやはり新幹線に乗らねばという貧乏性の自分が頭を出し、広島、下関、博多といくつかの候補地の中での選定に最後まで悩んだ。ちなみにこの切符では九州内の在来線はJR九州の路線なので乗れないが、新幹線は新大阪から博多まではJR西日本が運営しているので乗車OKであった。但し、同じ新幹線でも京都・新大阪間はJR東海の区間なので乗れないという、なかなか頭を使う切符でもあった。

 そして10月中頃の日曜日、いよいよ実行の日となり 6時20分自宅を出て、地下鉄松ヶ崎6時26分発で京都駅に向かうところからこの旅は始まった。
 京都駅から特急はるかで新大阪へ(ここから1万円切符を使用)、そして新大阪からは念願であった新幹線こだまで始発から終点博多まで各駅停車19駅を堪能し、ガラガラの車内では時間を気にせず4時間半 一人で読書を楽しめた。
 こだまで新幹線 各駅停車の旅は、東京・京都間は以前に一度したことがあったが、博多方面はしたことがなく念願が叶ったというところである。
 昼12時過ぎに博多駅に着いてからは、かねてからどうしても行きたかった2ヶ所を駆け足でまわってきた。但し、時間は2時間遅れの別便(のぞみ)で来て、小倉や門司港を見て回るカミさん、娘との待ち合わせ時間である夕方5時までという4時間半しかなかった。
 (ここからはJR西日本でないので実費)土砂降りの雨の中、まずバスで 若い頃、歴史の教科書で見た「漢委奴国王」の金印がある福岡市博物館へ、そして、その後 バスと西鉄を乗り継いで太宰府天満宮へと向かった。よくよく考えると、もう我が家には受験生はいないが、来たからにはと学業成就のお守りを買い?(頂き)、足早に待ち合わせ場所である博多駅へと向かった。
 夕方5時からという早め晩ご飯ではあったが合流した3人でもつ鍋を食べ、その後、18時43分発の新幹線さくらの自由席に飛び乗った(3人席はバラバラであったが何とか座れた)。 
 長い1日であったがこだまではのんびり時間を過ごすことができ、時間を追われる日々の生活を忘れさせてくれる1万円切符であった。
 やはり、やりたいことをやった後は たとえ夜11時過ぎに家に帰ってきたとしても疲れの残らない充実した1日であった。
posted by ヒロイ at 21:39| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月22日

No547:幸運をあてにせずに生きると意外と楽かも

 人間 誰しも幸せになりたいとか、楽しい人生を送りたいと思っているはずである。
 ただ、人生が描いていたとおりに進んでいく人なんてこの世に一人だって存在しないと思う。
 確かに、「あの人は毎日楽しそう」だとか、「あの人苦労知らず」なんて羨ましく思うこともあるが、果たしてその人が本当に幸せを実感しているかというと、案外そうでないように思う。

 人生と言ってしまえば大そうな話になるが、日々の生活の中でなかなかうまくいかないことも度々あるが、そういった時の対処法をうまく身につけているかどうかで心の持ち方が随分変わってくる。
 私は、「こうなりたい」とか「このようにしてほしい」と期待するよりも、「こんな風にならないように」とどちらかというと、事前に予防や防備をしながら物事を進めているように思う。 そうすると予想外のいい展開で思わぬラッキーなことがあると 何とも得した気分になれるし、仮にいい方向へ進まなかったとしても 「まあ、こんなもんか。こんときもあるわな。」と意外と早く諦めがついて、くよくよせずにすむ。
 この のうてんき な性格は親から譲り受けた ありがたい性格である。

 そういう意味において、タイトルにあるように“幸運をあてにせずに生きる”という癖をつければ、少々 不運なことがあってもあまり気にならない。

 こんな私だって、当然のことながら時には落ち込むことだってある。
 こんな時には話を聞いてもらえる人に聞いてもらうということも解決方法の一つではあるが、内容によっては人に話しづらいことだってある。
 こういった時には今まで人から話を聞いたことで、その人がうまく行った時の話を思い出し、「これ、ひょっとして俺にも当てはまるかも」とか「俺も使えるかも」と試してみると、案外スーッと道が開けてくることがある。
 あと、読書も色々なことの解決策に役立つことがある。本を読むことによって、読んだ数だけ多くの人の考え方や人生を教わる機会がある。
 そういう意味では、一人で頭を抱え込むのではなく、何かの解決策を見出すことが大切であろう。
 人間50を過ぎると、いろいろな局面で許容範囲が狭まってくるように思うが、そんな時にはあまり頭を抱え込まずに、「うまくいかないときもあるし、うまくいくときもある。うまくいくとラッキー。」くらいの気持ちで毎日を過ごすことが大事なように思う(現実的にはなかなかそう簡単には頭の整理はできないが)。

 毎日いろいろなことがあるが、あまりくよくよせずに日々を送る自分なりの処方箋を綴ってみました。
posted by ヒロイ at 18:38| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月15日

No546:「○○の方がまし」と言われるようではおしまい

 「選びたい人がいない」 これが今回の衆議院総選挙に対する多くの国民の胸の内ではないのだろうか。
 相手が混乱して戦えそうにないから と自分の弱さを棚に上げて、相手の更なる弱みにつけ込んで衆議院を解散する国のトップもみみっちいが、そういったなめられたやり方に一矢を報いられない野党も何とも情けないったらありゃしない。
 今回のこの一件を“選挙ごっこ” あるいは、無職や失業状態を恐れる“議員さんたちの就職活動”と冷めた目で見ているのは一国民としてあまりにも無責任なのであろうか。
 先人たちが苦労して手に入れた参政権を行使しない、つまり投票に行かないという 無責任な国民の一人にはなりたくないので投票所には足を運ぼうとは思っているが、ただ、過去に何度かあった投票や開票が待ち遠しい、ひょっとすると国が変わっていくかもしれない、自分たちの一票で変えていけるかもしれないというワクワク感は今回の選挙には全くない。

 話がついつい選挙の方へいってしまったが、タイトルにもある「○○の方がまし」というのはよくよく考えてみると何とも恐ろしい言い回しである。
 従業員の何人かを比較して「□□さんの方がまだましなん違うか」、「(もっともっとして欲しいことあるけど) △△税理士の方がまだましやで」、「(不満はいっぱいあるけど)うちの旦那の方がまだましかな」等々、この「まだ ましかな」という言葉の裏には潜在的な不満がはびこっている。
 我が事務所の顧問先の方々は、顧問である廣井税理士(事務所)にどんな思いを抱いておられるのだろうか? 私の中にも聞いてみたいという気持ちと聞くのが怖いという気持ちの両方が混雑している。
 今までも不満や対応のまずいことを直接 私に言ってこられたこともあったし、私には言いにくかったり、あまりにも腹が立って私の顔を見るのもいやなので担当者に不満や思っていることぶつけられたケースもあった。
 いずれにしてもこういった思いを抱かせる原因が私や事務所にあったことは事実であるし、こうして不満が私の耳に入ってくるうちはまだ何とか解決策を検討できるが、「言っても仕方ない」と思われ、私の耳にも届かなくなったらそれこそ一巻の終わりである。

 ビジネスとして本来目指すべきものは、お客様に「〇〇の方がまし」という消極的な選択をされるのではなく、「〇〇でないといやだ」、つまり「是非とも廣井事務所で」と言ってもらえるような税理士事務所になることであろう。
 まだまだ到達点には達していないが、私が事務所のみんなに常々言っている 「顧問先に方が離れたくても離れられないような関係を築く」が実現できるように日々精進していかなければならない。

 みなさんへの警告も発しておきます。
 周りにいる家族、友人、従業員、お客様(患者様)に「〇〇の方がまし」なんて思われないようにしましょう。周りの人は常にあなたのことを見つめて、「このままでいいのかな」と思いを巡らせていますよ。
 いざとなれば、家族以外は明日からでも変更できますから(そういえば、夫婦も交換可能やな)。
posted by ヒロイ at 23:41| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月09日

No545:大学の陸上部の後輩とリレーをしました

 昨日は母校(大学)のグランドにOBが集まって、現役選手の練習見学会 兼 交流会があった。
 朝の8時半から京田辺の大学敷地内の一番奥にある陸上競技グランドを訪れたが、実はこのグランドに行くのは今日が初めてで、我々の学生の頃 岩倉の土のグランドで練習していたころとは大違いのオールウェザー(全天候型)のトラックを見て、恵まれた環境下でトレーニングできる選手たちのことが、時代の違いはあるにせよ羨ましく思った。
 こんないい環境なら強くなって当然やろ、という うるさいOBのいう意見は心の奥にしまって 自分の子供より若い年代の学生たちの練習風景を眺めていたが、やはり血が騒ぐというのかじっとしてはいられなくなった。
 この日はOBにもグランドが解放されていたので、持参していたトレーニングウェアに着替えて、外周コースで邪魔にならない程度のランニングをして汗を流した。
 久しぶりに会う同級生や東京から来たという3つ上の先輩(私が1回生であった時 4回生だった)、それに 「俺なんかもう後期高齢者やで」とベンチに座りながら学生当時のことを懐かしんでおられる重鎮、そしてオリンピックやアジア大会に出場した大物まで、本当に幅広い層のOBが集まり、晴天のもと “陸上競技”を愛した者、しかも かつては三つ葉のクローバのユニフォームに袖を通した者同士が思い出を語り合う場でもあった。

 現役選手の練習が12時半ごろ終わり、その後は走れるOBも交えての1200mリレーがあった。
 1人100mで1チーム12人、A〜Dの4チームの対抗で私も、運動不足気味のOB枠(2人で100m)で出場した。
 30代の頃、町内の運動会で走って以来のリレーであったが、なぜかバトンを持つとがむしゃらになって走り、こけそうになりながらもなんとかバトンをつなぎ、なんと私のBチームは現役生の活躍もあり優勝した。
 日頃のストレスを吹き飛ばすには、一見たわいもないこういったお遊び的なものにも大きな意義があるんだなと、広いグランドの真ん中で一人満足感に浸っていた。

 わずか3、4時間ではあったが、本当に日常生活のことはすっかり忘れ 頭の中が空っぽになって楽しめたし、なかなかこんな機会はないだろうがこういった“今を忘れる”、“素の自分でいられる”時間こそ、今のストレスの多い社会ではより一層大切な時間なんだろうなと思った。

 午後、所用でいったん抜けたが、夜には同期3人と一つ下学年の1人が再度 京都市内の町屋に集まり、冷えたビールの後、美味しい地酒に杯を傾けながら、30年以上も前の学生時代の話、そして、家庭や仕事の話を誰にも気兼ねなく話し、昼の汗を流したことに匹敵するくらい、夜の部もストレスを発散でき 本当に有意義な時間であった。
 意外や意外、家に帰ってみるとまだ10時であったが、よくよく考えてみると朝7時の出発から計算すると長い長い1日であった。
posted by ヒロイ at 16:50| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月01日

No544:“習慣”にするには

 “習慣”ということについて、じっくりと考えたことのある人はどれほどいるだろうか。
 我々、“習慣”というと身についてしまっていて 良くも悪くも自分自身のものになっていてもう直らないと捉えがちである。
 “習慣”とよく似た言葉で“癖(くせ)”という言葉があるが、この二つは似て非なるものであるように思う。
気になったので、それぞれの言葉の意味を調べてみた。

【習慣】 長い間繰り返し行ううちに、そうするのがきまりのようになったこと。・・・「早寝早起きの習慣」

【癖(くせ)】 無意識に出てしまうような、偏った好みや傾向。習慣化している、あまり好ましくない言行。・・・「爪をかむ癖」 「なくて七癖」 「怠け癖(ぐせ)がつく」

 これからも分かるように“習慣”は、本人の努力によって、あるいは、常に気にかけていることによって身につくものであり、癖とは明らかに異なる。
 毎日の生活の中で、この“習慣”のうち良きものをいくつ自分のものにしたのかによって人間の魅力や価値が決まってくるように思う。
 家庭生活においては、家族の者に窮屈と思われるような“習慣”は決して好まれないので、どちらかというと自分だけでできるものに限った方がいいだろう。
 私も大したものはないが、続いている“習慣”の一つとして、私は帰りが一番遅い日が多いので 帰った時に靴をそろえ、翌朝も最初に出かけることが多いので 自分が靴を履いた後、他の靴がきちんと並んでいるかを確認してから出かけるようにしている(家族の者は気づいていないだろうが・・・)。
 これって、当たり前のようだけど、家族に強要したことはいまだかつて一度もないし、あくまで自分の心を落ち着かせるためにやっているというのが本当のところである。
 あと、見ていて何とも気持ちのいい“習慣”として、食事を始めるときに必ずを手を合わせる仕草がある。これも、私自身がきているかというと、お腹が空いている時なんかは座ると同時に箸を持って食べだしている。

 これがビジネスの場においては、どんな“習慣”を身につけているか、持っているのかによって いい方向へ流れるのかどうかを左右することは往々にしてある。
 職場においては、[その日の仕事はその日のうちに片づける]というのが理想だと思うし、私もこのことに何度かチャレンジしたことはあるが、これは絶対に無理。 これを完全に実行しようと思えば、毎晩 遅くまで仕事をこなし、深夜になってやっと帰れるという日が何日も続くであろう。そして 体を壊し、どこかで挫折するのが関の山ということである。
 私はこの その日の仕事を完全実施することが不可能と分かってからは、毎日 帰る前 約30分近く [明日の作戦を立てる]ようにしている。
 この中には当然のことながらやり残した仕事もあるし、明日が期限の仕事もある。ただ、こうして、前日に翌日の予定をきちんと頭に入れておくことで、翌朝 起きた時からひらめいたように一番にすべきことに向かって頭と体が動き、無駄のない準備が可能となってくる。

 冒頭で説明をしたように、“習慣”は「長い間繰り返し行ううちに、そうするのがきまりのようになったこと。」なので、バリバリに力む必要はないが、続ける上でほんの少しだけルール化できれば実現可能ということである。
 人間って本当に弱い生き物であることは、自分自身 痛感しているので少しずつ ほんの半歩でもいいから 前に進められるようにしたいものである。
 “習慣”、これは人からやらされるものではなく、自分で自分のものにすることである ということが、語源を確認すれはよくよく納得できた。
 でも、習慣づけるって本当に難しいことであるのは、自分が一番よく分かっているし、今回 あらためて再認識した次第である。。
posted by ヒロイ at 19:55| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする