2017年09月24日

No543:開業10周年を迎えて

 この9月21日は事務所を開業してから10年という節目の日であった。

 9月の初めに10周年を記念して事務所のみんなと御礼・懇親の会を開き、楽しいひと時を過ごしていたので、この21日が特別の日であることはすっかり忘れていた。
 21日は朝の9時から人と会う約束があったので、事務所を8時半に出発し、用件を済ませて11時頃に事務所に戻ってきたが、そこにちょっとしたサプライズが準備されていた。
 私が自分の席に着き 一息つこうとしたところ、事務所にいた全員が席を立ち、主任の谷口君が、『事務所開業10周年おめでとうございます。・・・(中略)・・・4人でスタートされ、今や総勢15人になりましたが、今後もずっといっしょにかんばっていきたいので今後とも末永くよろしくお願いします。』というあいさつの後、全員がお金を出し合って買ってくれたプレゼント[*1]をいただいた。
 [*1]今まで見たことのないような牛革のデスクマットとペン立て(高そう!)

 私自身、目立ちたがり屋で、見栄っ張り(ええ格好しい)で、何かにつけお山の大将になりたがるにもかかわらず、実は非常に弱い人間で、日常の言動も細やかなのか大胆なのか自分では判別しづらいような性格である。 たまに偉そうなことも言うが、自分自身に確固たる信念がないからなのか人からの影響を受けやすいのも特徴である。
 また、日々の生活においては平成より昭和の方が体や心のフィットし、なかなか自分自身が変わることができない、 こんな自分勝手な人間(経営者)というのが自己分析の結果である。
 こんな私であるが、従業員のみんなは嫌気がささず、何とかあきれずについてきてくれたことに一番感謝している。

 10年経ったからといって何かが築けているという実感は全くなく、まだまだ足りないものだらけである。
 顧問先の方々が 我が事務所に対して何の不満もないということは絶対にないだろうし、もっとこうしてほしい、こんな関係を築いていってほしいと考えていらっしゃる方が何人もいらっしゃるだろう。
 だからこそ、私自身も事務所としてもホッと一息ついている暇などなく、次の段階に向けて 足りないもの捜し、一歩一歩着実に進んでくしかないと思っている。
 そういう意味では、まず一番しないといけないことは 今一度 足元を見つめ直すことであり、絶対忘れてはならないことは、10年前(2007年)の10月に初めて顧問料が自分の口座に入金になった時、すごく感激し 何ともありがいものだなと思ったあの時の気持ちであろう。

 時の経過とともに漫然と日々を過ごすことのないよう、さらに自己研さんに励み 一人でも多くの人が笑顔になれるよう 力を注いでいきたい、というのがこの10年の節目で考えたことである。
 また、秋の後には忙しい冬がやってきて、毎年 同じようなことの繰り返しのような感じもするが、実は10年間毎年、目に映るものも心の中もどんどん変化していっている。
 さて、この冬は目の前の景色がどんなものになるのだろう、どんな色に映るんだろう、そんなことを考えながら 秋の休日を過ごしている。 
posted by ヒロイ at 16:08| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月17日

No542 【再】40年前の父との思い出(No248/2012.02.18)

 私の事務所は3連休であるが、特別な行事や予定があるわけではなく、夏以降の溜まった仕事を少しとはいえ前へおし進めたり、ひどい状態の私の部屋(寝室兼用)の整理をして過ごしている。
 ただ、一昨日あたりから停滞していた大型の台風が、徐々に近畿をめがけて進んでいる状態なので、昼間は雨こそ降らないものの、どんよりとした一日であった。
 この時期は各地でいろいろな行事が数多く予定されていたが、この天気でどれだけ中止になったのか、本当に恨めしい空模様である。

 このブログも今回で542回目であるが、少し過去のものを読み返してみると、私は生きる上でも、仕事をする上でも3年前に亡くなった父の影響を多大に受けているなと感じた。
 今日の天候がこんなにどんよりしているから余計に感傷にふけってしまうのかもしれないが、こんな時に父が生きているときに書いたブログのNo248(2012.02.18)【40年前の父との思い出】を見返して読んでいた。この文章の中の光景やと父の表情、そしてその時の私の気持ちが今でも鮮明に頭に浮かんでくるし、私の理想の父親像の原型にもなっているのかもしれない。
 すみませんが、今日はこのNo248を再度 投稿しておきます。
 本当にいい父でした。お時間のある方は目を通してみてください。

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【再】No248  40年前の父との思い出(2012.02.18)
 確定申告期に入り、事務所の方は連日連夜忙しい状況が続いているが、この業界に27年も身を置いてきた私としてはこの大きな壁を乗り切る術は知らず知らずのうちに会得してきたものがある。
 飛ばさず、休まず、がんばり過ぎず、また、気を抜かず、やりきる時は一気に集中する。そして春の訪れとその後の楽しみを頭に描きながら淡々と毎日を過ごす。あともうひとつ気をつけていることは、眠い時はどこでも眠る。電車の中ではもちろんのこと、車での移動時でも眠ければ車を止めて仮眠をとる。こんな感じで余分なことは考えずに一ヶ月を過ごすと気がつけば確定申告も終わりに近づいてくる。もちろん、この間に何度か胃腸の調子の悪い時はあるがそんなことはあえて気にしない。当然といえば当然のことなので。
 この時期、仕事のことを語りだすとついつい熱くなるので趣向をぐっと変えて、仕事には全く関係ないが今日の雪景色を見てふと思い出した雪国での父との思い出の一コマについて触れてみる。

 私の故郷はご存知のように雪深い京都府北部の丹後地方(日本三景 天の橋立の近く)で、今年は例年にない大雪である。今から綴るその思い出の一コマというのも、今から40年近くも前の確か今年のような大雪の年のことだったと思う。
 実は父との思い出というのはそれほど多くはなく、ひたすら朝から晩まで仕事(丹後ちりめんを織っていた)をしていて、私が小学生の頃、子供心に『楽しみは何?』と聞くと、(以下方言で)「一番楽しいんは仕事しとる時だな。朝起きて、さあ、今日も一日きばろうと思って目を覚まし、きばっとたら晩になる。その後の晩飯と酒はほんまにうみゃあわ(うまいわ)。』といつも同じ答えが返ってきた。
 そんな父なので取り立てて一緒に遊んだこともなかったが、この雪の降る季節、実は今まで誰にも話したことのなかった忘れられない思い出がある。多分、父自身は覚えていないであろうが、40年程前のある大雪の日曜日のことである。
 
 私の通っていた三河内小学校(現 与謝野町立)のあるところは冬は非常に雪が多く、当時、育友会の方が小学校から10分足らずの山すそを木の伐採後、整地して小学校専用も簡易スキー場を造ってくれた。
 当時は今より雪も多く、4年生くらいになると、1、2月の体育の授業はいつもこのスキー場でのスキーであった。
 確か、5、6年のときは総仕上げに貸し切りバスで神鍋スキー場へ連れて行ってもらっていた。
 5年生のときの1月のある日曜日に今まで貯めていたお年玉でスキー板を買いに行く予定を立てていた。しかし、その日は朝から大雪で前の道が狭い実家からは車が出せず、せっかく楽しみにしていたのにこの地区で唯一のスポーツ店(シブヤスポーツ)に行くことができず私は恨めしそうに雪の降る空を眺めながらしょげかえっていた。昼になっても雪の止む気配はないが子供心に念願の物を買うと決めていた日に欲しいものが買えない何ともいえない悲しい気持ちになっていた。
 諦めきれずに一人で外を眺めていた私に父は、『よし、ジャンバー(なぜか、“ジャンパー”でなく“ジャンバー”と言っていた)着い。車は出せんので歩いて行こ。1時間もかからんだろ。』と言って、私に準備を促し、私は歩く苦労なんか全く考えず、飛びあがりたいほどうれしい気分になってすぐにジャンバーを着、毛糸の帽子と手袋をはめ父と二人で家を出た。かなり強く雪が降っていたであろうがその雪の記憶はほとんどなく、そのスポーツ店で店のおっちゃんと相談しながら青のスキー板を選んだ。確かお年玉で足りない分は父が出してくれたと思うが、その後、店を出てからは、まるで今からスキー場へ向かうかのようにそのスキーを自分で右肩に担ぎひたすら家に向かって歩いていた。
 その帰り道、父と交わした話の内容も全く覚えていないが、その日曜日の夜は食事のとき以外はずっとそのスキーのそばで撫でたり眺めたりしていた。

 父は職人だったこともあって、3人の子供には勉強をしろとは一度も口にしたことはなかったし、父からは勉強を一度たりとも教えてもらったことはなかったが、今から思えば、知らず知らずのうちにすごいことを教えてもらっていたんだなとしみじみと思ってしまう。

 昨日、実家に電話を入れ、『雪、大丈夫か? なんぼ雪降っても雪かきなんかせんでええで。こけて骨折られても、今の時期、とてもじゃないけどかけつけられへんしな。とにかく雪がなくなるまでおとなししといてな。』と話すと母は、『お父ちゃんも私も今のところまあまあ調子がええし、とにかくこの冬は子供らに迷惑をかけんと乗り切ろなと言うとったとこなんだ。あんたこそ、この時期、しっかり乗り切らんと。今、一番忙しい時やろに・・。』と逆に80の母に励まされてしまった。

 こんなことを考えていると今日の大雪なんて全く気にならず、より一層、仕事に集中している自分に気がついた。
 今、事務所全体としては折り返し点くらいか? あと3週間位続くが何とか全員で乗り切っていきたいと思っている。
posted by ヒロイ at 17:46| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月10日

No541: まだやっていた高校野球・・ちょっと長すぎる夏

 ここで何度も書いてきたように私は根っからの高校野球ファンで、特に夏の選手権大会は地方予選から全国大会(甲子園)まで結構 熱心に各校、各試合を追い続けている。
 毎年であるがその総決算の甲子園は、お盆休暇を利用して1日 あるいは2日 足を運んで身も心も“甲子園にどっぷり”という状態になってしまう。
 ただ、お盆が終わるとさすがに仕事も忙しさを増し、ベスト8あたりの試合からは車での移動中にラジオで聞くくらいである。
 今年、花咲徳栄高が広陵高を破って優勝した瞬間もラジオ中継に耳を傾けながら高速道路を走っている最中であった。
 高校野球が終わると同時に夏も終わりに向かい 我々のような野球好きの社会人も、気持ちをOFFからONに切り替え、押し寄せてくる秋以降の仕事に向けて体制を整えていくというのが例年の流れである。
また、高校生も3年生の新しい進路に向かって、特に進学組は遅れている受験勉強を一気に取り戻す秋でもあるし、1、2年生はクラブをしている者なら、新チームでの始動という、新たな環境でのクラブがスターとする時期でもある。
 私ももう27、8年も前のことだが、陸上部で高3の8月3日まで大会に出ていたので、その後は あと何か月後かに訪れる大学入試に向けて、それまであまり使っていなかった頭を使うことに非常に苦労した。しかも、クラブ中心の生活から勉強中心の生活に切り替えたからと言って そう簡単に目の前の問題が解けるはずもなく 最初は机に座ることさえも苦痛であったのを覚えている。
 ただ、普通の高校(公立)で、普通の高校生であったので、こうして夏以降 クラブを引退するというのはあたりまえであったが、昨今の高校生、どの種目でも強豪校と呼ばれる学校の高校スポーツはまるでプロではないのかと思われるような形に姿を変えてきている部分もある。
 我々の心を躍らせてくれるオリンピックで活躍するような選手は、トップアスリートとして、学校での練習ではなく、東京のナショナルトレーニングセンター(トレセン)での合宿生活の中で鍛え上げられているし、サッカーも一応、高校サッカーとしては盛んであるが、将来 プロや世界を目指している選手はプロのサッカーチームの下部組織に属し、そこで鍛え上げられている。

 ここで話を高校野球に戻すが、夏の甲子園の後、18歳以下の野球の世界大会(U-18ベースボールワールドカップ)がカナダで行われており、日本からも20人の高校球児が日本代表として戦っている。
 甲子園に出場できなかった早稲田実業の清宮選手も4番として名を連ねているが、ふと考えてみると、この選手達 みんな高校生で2学期始まってるんだけど、とつまらぬ心配をしている。
 ただ、スポーツの世界、特に海外と戦うスポーツにおいては学校のスケジュールなんて関係ないのであろうし、どのスポーツにおいても世界を相手の戦いには、一年中が主戦場なのであろう。
 今回の高校選抜もメンバーを見てみると20人全員がいわゆる野球の強豪私学なので、高校を休んだらどうなるのかとか、これって公欠になるのかな? なんて、私たちの時代の平日に試合に行くときの心配事なんてもちろん必要ないのは分かっているが、ついつい”高校生”として見ているのでつまらぬ心配をしてしまう古い人間である。
 この野球チーム(侍ジャパン U-18というらしい)も、今日韓国に負けて決勝への進出は逃したらしいが、選手たちにとっては本当に長い長い夏休みである。
 確か甲子園の各地方予選が早い地域では7月上旬から始まっていたと思うが、それから2ヶ月間野球漬けの毎日であり、野球がしたい高校生にとっては、羨ましい限りであろう。
 もし、この中に公立高校の選手が含まれていたら、それこそ学校に戻って普通の高校生活が送れるんだろうかと つまらぬ心配をしてしまう。

 昨日は陸上100mで桐生選手が日本人としては初めて10秒をきった。
 芸術の秋、読書の秋、そして食欲の秋 と秋本番の代名詞はいくつもあるが、私にとっては、やはり秋はスポーツに心を踊らされる季節である。そして ラグビー、駅伝、マラソンと続く冬のスポーツも私の心をワクワクさせてくれる。

 桐生君、これで日本一“速い選手“になったが、どんな状況でも絶対負けない一番”強い選手”、そして観ている者の心に響く“記憶に残る選手“になるためにこの冬でさらにパワーアップして来年を迎えて欲しいと思っている。
 あと、国体が残っているらしいので、そこでも無理をしてはならないが好記録を期待している。
 調子がいいときほどケガにだけは十分に注意するように・・。
posted by ヒロイ at 20:37| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月03日

No540:今後 成長が期待できそうな添乗員さん

 先日、団体(13名)で研修を兼ねた1泊2日の旅行に行ってきた。
 今回 話をするのは、その研修や旅の中身ではなく、同行していただいた旅行会社の添乗員の方の仕事ぶりについてである。
 この添乗員さんは会社は大手とはいえ、実は今春 大学を卒業したばかりの新人の女子社員であった。
 4月に入社し、新入社員研修を終えられた後、ここまで何件かの添乗をこなしてこられたとはいうものの まだ入社後 半年に満たない新米さんである。
 今回の団体旅行の幹事役を任されている私としては、失敗はないにしても、引率は慣れたベテランか中堅の添乗員の方がいいという こちらの意向をちらっと旅行会社の担当者に伝えたところ、「代えることもできますが、彼女も新人とはいえ しっかりと仕事をこなせる社員なんですが・・。」とちょっと自信ありげな彼女の上司である当方の担当者の返答であった。

 その後、旅行会社の方もこの新人の代わりの添乗員ということで検討を重ねていただいていたようであるが、ふと 今春 社会人になったばかりの私の長男のことが頭に浮かんだ。
 私の長男も、新入社員なので大した仕事は任されていないだろうし、もし、何かのきっかけで責任のある仕事を任せられたとしても、相手(お客様)や上司の理解と協力があってこそ、仕事が前に進んでいくんだろうなと思った
 そんなことを考えると、今回の添乗員の件も旅行会社が新人であってもきちんと仕事できる社員として送り出しているのを私の一存で交代要望を出すなんてこの上ない失礼な話で、私自身の行動や要望が社会人としての成長を後押しするのではなく、成長の芽を摘んでしまうということにもなりかねないと思った。
 私の方こそ人生や社会人の先輩として失格かも? と自己反省をしてしまうと同時に自分がとろうとしていた行動(要望)に対して何とも情けない気分になってしまった。
 最終的に私も考え直した上で旅行会社が当初予定されていた新人の女性添乗員をつけてもらうことになった。

 そして、研修旅行の2日間、私は幹事という立場もあり、乗物での移動中この添乗員さんの近くの席に座ることが多かった。
 身近で彼女の仕事ぶりを目の当たりにして、私の当初の要望(ベテラン添乗員をつけて欲しい)は、ばかげたものであったことが2日間 行動を共にした結果として分かった。
 旅行中、何一つミスや落ち度はなく、素晴らしい対応であった。
 当然かもしれないが、断トツで誰よりも早く集合場所で待機されていること、バスのガイドや運転手との打ち合せに余念ないこと、そして我々顧客とは適度に仲よくなられるが、決して同化することなく、仕事をする側という一定の距離をいつまでも保ってそつなく最後までこなしていただいた。
 そしてなんといっても彼女の事前準備のすごさには驚かされた。
 詳細なメモの中身こそ分からないが、彼女のノートには今回の注意点や必要な事柄が、ぎっしり手書きで書きこまれており、一つ一つの行先ごとにそのノートを食い入るように見たうえで、次の行先での注意点を参加者に的確にアナウンスしてくれた。
 先程も触れたが今回 移動の乗物の中で彼女の近くの席に座る機会が多かったが、常に旅の成功のための何か調べものをされていたのが印象的であった。

 そして、2日間の研修旅行も終わり近くになると、多少笑顔が少なくなっていたのは緊張が続くのと疲れのせいかもしれないが、私にとってはその姿が何とも応援をしたくなるようなすがすがしいものであった。
 無事、京都まで戻り 解散場所で私が最後のあいさつをした時の彼女の笑顔は、ホッとした安堵感と何とも言えない満足感に満ち溢れた表情であった。
 わずか2日間であったが、こうして必死になって添乗しようという気持ちが伝わってくる仕事ぶりは、とても好印象であったし、次も頼んでみたくなるような期待感を抱かせるには十分な仕事ぶりであった。
 楽しい旅をありがとう、中瀬さん。

 人は常に育てる側と育てられる側があり、今回のような機会を通じて人って成長していくんだなとつくづくと感じた2日間でもあった。
 最初に「今回 新人の添乗員でこなせるのかな?」 と不安を抱いた自分自身の心の狭さを自己反省すると同時に今後の彼女の成長が楽しみになるような旅であった。
posted by ヒロイ at 23:45| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする