2009年07月03日

No105:“メンソレータム”は今

 今回は私が最近注目している企業についての紹介です。

 まず、一つ目は「近江兄弟社」。滋賀県近江八幡市に本社のあるよく知られた会社だが、今から35年前に一度倒産した苦い過去を持っている。
 
 この会社は、「メンソレータム」という主力商品にあぐらをかいて、商品開発や戦略的な営業を怠り、いわゆる「いい気になり過ぎて」倒産したのである。
 ただ、当時の社長と社員のここからの巻き返しは凄かったし、自分たちの甘さにいち早く気付いた点が再建を早めることになったことは言うまでもない。倒産後の会社を再建しようという社員一人ひとりの意気込みが、10年で借金完済という起死回生のドラマを生んだのであろう。
 再建途上では、この主力商品の「メンソレータム」の販売権とおなじみのマーク「リトルナース」の商標権は、資金的に維持できず、当時の立て直しの仲介に入った米国の会社によって、あの有名なロート製薬に譲らざるを得なくなり、手放したようである。
 この事実を私はある本を読むまで知らなかった。私の頭の中ではついこの間まで「メンソレータム=近江兄弟社」は揺るぎようのない確信的なものであった。
 というわけで、現在、この近江兄弟社が扱っている商品は「メンソレータム」ではなく、「メンターム」であったのだ。メンソレータムの代替品として開発したのがこの薬である。
 このことは今や一般常識なのかも知れないが、私の年代は「メンターム」なんて知らない方が多いのでは。あの粘り気があり、何ともいえない臭いのするのは「メンソレータム」なんです。

【近江兄弟社】 http://www.omibh.co.jp/company/index.html
  

  
 あともう一つは、“おかき”で有名な播磨屋本店という会社です。

 この会社の本店は兵庫県朝来市生野町であるが、播磨屋ステーション京都(実質的には京都店)が当事務所から歩いて2分(地下鉄丸太町3番出口より3分)のところにある。
 ここの“おせんべいのフリーカフェ(京都)”は新聞や雑誌等にも取り上げられ有名になったのでご存知の方もいらっしゃるとは思う。

 この【おせんべいのフリーカフェ】(http://b.hatena.ne.jp/articles/200906/213)は、利用するにあたって一定のルールはあるにしてもおかきと飲み物が全て無料という何とも信じられないセルフサービスのカフェです。
 この会社はHPを見ても、会社の経営方針や理念がしっかりしており、学ぶ点は多くある。なんせ、この無料提供を毎日実施している会社ですから・・・。

【播磨屋本店】 http://www.harimayahonten.co.jp/rinen/rinen.html

 事務所のすぐ近くなので“おせんべいのフリーカフェ”のあるこの店の前はよく通るが、この経営者の善意を無にするような光景が見られるのが気になる。
 近くのおばちゃんらしき数名が子供乗せの付いた自転車で乗り付け、駐車場にはその自転車が所狭しと置かれているし、最近は車も無料駐車場代わりに利用する人もいるようだ。入口には「当店をご利用でない方はご遠慮下さい。」という案内まで出だした。
 ここで思うのだが、デパートの地下の試食コーナーじゃあるまいし、そりゃ“フリー”とはいえ、物事には節度というものが必要だということである。
 泣かしいかな、会社側の善意に付け込んでマナー違反の者が出てきているのはいただけない。
 どんなことでもそうだが、消費する側にお店の“善意”(たとえ、それが企業側の販売戦略の一環であったとしても)を無にするような行動があってはならない。
 そういった行動をとったものは必ず自分へしっぺ返しが来るということに気付かないのであろうか?
 京都御所の前のお店だけに、なおさら“つつましさ”と“奥ゆかしさ”を持ち備えた方だけがこういったお店を訪れて欲しいものである。
 


 最後に2年ほど前から保温機能抜群の下着である“ヒートテック”が大ヒットとなっているユニクロの話である。
 現在の社長兼会長は柳井正氏であるが、今から8年前、時の人として注目を浴びながら登場した青年社長”玉塚元一氏は3年で更迭されていた。

 なぜ、玉塚氏の話を持ち出したかというと、彼は当時40歳でユニクロ(ファーストリテイリング)の社長になったとき本当に多くの雑誌で取り上げられていたし、慶応大法学部卒、学生時代はラグビー部で大学選手権準優勝、そして男前という何とも羨ましい存在であったからである。私と同い年ということもあったのかも知れないが、本当に当時私の心の中では“男が羨む奴”の代表格であった。
 しかし、柳井氏が全幅の信頼を置いていたその玉塚氏を更迭したとは。
 やはり、“若造”では会社経営は務まらなかったのか、それとも、この柳井氏がワンマンだったのか?

 再登場で社長兼会長となった柳井氏の戦略が今のところ当たっているが、今後はどうなのか?
 この“男が羨む奴”を更迭した柳井氏の今後の会社経営に注目したい。

【玉塚氏】    http://www.dreamgate.gr.jp/feature/inteview/bestlife/41/


posted by ヒロイ at 07:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月25日

No104:“野村監督(楽天)”から学ぶもの

 久しぶりに野村克也監督(楽天)の本を読んだ。(タイトル:【野村の「眼」<弱者の戦い>】:KKベストセラーズ 1,500円)

 稲尾、金田、王、長島等の往年の名選手、鶴岡、川上、西本、仰木他数々の名監督、そして、イチロー、ダルビッシュ、田中マー君ら現役バリバリの選手まで幅広くエピソードを紹介していた点は、野球小僧だった私には懐かしい話が多かったので、軽く、流れるように読み終えることができた。
 また、いつも通りこの人ならではの“ねちっこさ”と“鋭さ”が共存していた点も見逃せない部分ではあった。

 この中の記述で「あっ、そうか。」と思ったいくつかの点について紹介しておく。

●巨人を9連覇に導いた川上哲治氏は監督時代には選手たちに野球の話はほとんどしなかったようだ。
 【『人間学、社会学みたいな話がほとんどさ。オヤジさんは禅に凝ってオフには座禅に行っているし、大企業社長なんかと話す機会も多い。そこで聞いた役立ちそうな話をしてくれるんだよ。』(森祇晶:元巨人捕手、元西武監督)
 野球の戦術や技術的な問題はコーチが指導するテーマだ。監督は組織全体を見るのが役割だし、ただ、チームを勝利に導くだけでなく、若い選手を預かり、人間的にも一人前の人物に育ててゆく役目を担っている。人間形成だ。それには「勝て、頑張れ」と尻を叩いてもダメなのである。】

⇒『忙しいけど、さあ、がんばろ。』とか、『ここは何とか踏ん張って乗り切ろうか。』とついつい口にしてしまう自分はまだまだだと思ってしまった。
 当時“V9戦士”と呼ばれた選手の中から監督を6名(堀内、森、王、土井、長嶋、高田)輩出していることは輝かしい戦績によること以外にも、この川上元監督の人間教育重視の証のようにも思う。


●あと、野村監督の言葉としては
【「人は三人の友を持て」などと言う。直言してくれる友。原理原則を教えてくれる友。人生の師と言える友。】

⇒この“直言してくれる友”というのは、どちらかというと“うっとうしい奴”である。でも、本当に困った時に一番相談にのって欲しい奴でもある。“直言してくれる”友人、上司、部下、親族こそ大事にしなければいけないということを教えられた。


●【捕手という日の当らないポジションをやっていたので、「もっと自分のプレーを評価して欲しい」、「真価を認めて欲しい」といつも思っていた。
 あるとき、師と仰いでいた故 草柳大蔵さん(評論家、ノンフィクション作家)にこのことを訴えたら、草柳さんはニコニコしながら私を諭してくれた。「野村さん、そうじゃない。誰も見ていないなんてことはない。よい仕事をしていたら必ず見ていてくれる人がいる。ものの見えない人が千人いれば、ものの見える目利きの人だって必ず千人いるものなんだ。誰に見られているなんてことは考えずに、今まで通りおやりなさい。」
 そう言われて、随分と気が楽になった。いい仕事は必ず誰かが見ていてくれる。そう思うときつくて地味な仕事も苦にならなくなった。】

⇒これは、この言葉通り。「どんなことでも腐らずにやれ。」という全てのことに共通する尊い一言である。


●最後のあとがきの部分で、
【自己コントロールとは、欲から入っていかに欲から離れるかにある】
【人間は沈まないとジャンプできない。それが謙虚さであり、素直さである。それがなければ進歩はない。「感謝」というのは、人間形成の基本中の基本である。これが無形の力、すなわち考える力、感じる力、備える力の基本である。】
 
⇒「欲から入っていかに欲から離れるかにある。」とは分かっていながら最も難しいことであるように思う。こんなことがコントロール出来る人間は本当にいるのだろうか。でも、少しでも近づくにはここに書いてある“謙虚さ”と“素直さ”と“感謝”を忘れずに生きていくことが必要であるように思う。

 
 本を読むたびに浅はかさな自分に気付き、胸が痛む。まあ、一時的とはいえ、そう感じることだけでも本を読む意義はあるのかなとも思う。
 
 今度の土日は久し振りに本屋へ“買い出し”に行ってこよ。


★一口メモ
【弁当忘れても傘忘れるな。】(野村監督の出身地である京都府北部(丹後地方)に言い伝えられている格言?)
・晩秋から冬にかけての日本海側の変わりやすい天気を表現したもの。“うらにし”とも呼ばれる西風が湿った空気を運び、一瞬のうちに空を曇らせ、雨や雪が降ったり、止んだりする日が何日も続く。

 野村監督曰く、『この根暗な、じめじめした陰気な性格はこの独特の気候によるところが大いにある。』

 う〜ん、納得。私も丹後地方出身でこの言葉はしょっちゅう聞かされて育った。だから、私は根暗? 陰気?

posted by ヒロイ at 22:31| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月18日

No103:京都に水族館はいらん!

 「京都に水族館?」
 誰しもが、「なに、これ?」と思ったことだろう。
 文化的施設と総称される、“動物園”、“水族館”、“植物園”、“博物館”等は、それぞれの土地の特徴や自然そして歴史を紹介するものとしてその存在意義があると思い込んでいた。
 海のない京都に、海のない都市としては前例のない海水水族館らしい。
 聞けば聞くほどバカらしく、あきれてしまう。ましてや、京都市にそんな資金的余裕などないはず。

 京都市は、
 【水族館を「多様な生物のいのちを感じ、学べる場としての機能を充実」などと評価し、鉄道博物館についても「京都に根付いた梅小路蒸気機関車館に隣接する設置により、総合公園としての文化的機能が拡充」と好意的にとらえる】
 との方針を発表した。
 梅小路には“蒸気機関車”で十分。これを充実させて「鉄道博物館」にするのは賛成だが、なぜ、あそこに水族館が必要なのか? 海のそばでないので海水もないし、多分、維持費も莫大なものになりそう。
 そりゃ、一時的に珍しがって人は集まってくるかもしれないが、どう考えても長続きしそうにない。

 普通、海や湖のそばに水族館がある、
 それは水族館が、すぐには海(湖)に潜れない人のために臨場感を醸し出し、水中の様子を紹介するためのものであるからであろう。そして、それに興味を持った者が、水族館を訪れるというのが一般的な図式である。

 京都の歴史に触れるために来た観光客が水族館に行くとは思えない。特に外国人観光客にとっては「京都って、海洋都市だったっけ?」と思うだろう。
 よう考えてみ。ローマ、パリ、フィレンシそして、エジプトのカイロそして北京という歴史的な都市に行って水族館行く者がどれだけいる?
 頭、悪いん違うか? 誰が考えても分かるやろ? 水族館なんて造らんでも京都の良さはいくらでもあるはず。確かに京都の名前にあぐらをかいていてはいかんけど、もっと歴史都市“京都”の本道で勝負したらええのん違うんかと思ってしまう。


 あまりにもあほらしいんで、今日は「旅行大好き人間 廣井増生の動物を中心としたテーマパーク紹介コーナー」でうさ晴らしでもしとくわ。
 下記の施設はどれをとっても非常に自然や文化との調和が保たれているように思うし、こうしてみると、関西(一部、関西圏以外あり)にも 結構素晴らしい施設があるではないか。
 ちなみに、話題のI、Jはまだ行ったことがなく是非行ってみたい施設なので“飛び入り”で加えた。


@海遊館(大阪市)・・少し、商業的色彩が強いが海のそばであるし、帆船も見えなかなかの立地。

A須磨海浜水族園(神戸市)・・入口が特徴的だった記憶がある。須磨の海水浴場のすぐ近く。

B琵琶湖博物館(滋賀県草津市)・・なぜか、昭和の暮らしコーナーのグリコのおまけが印象に残っている。トンネル水槽は圧巻。

C白浜アドベンチャーワールド(和歌山県)・・東京・上野動物園にパンダがいなくなったので日本でいるのは、ここと神戸の王子動物園の2ヶ所のみ。でも、なぜ、白浜でパンダなんだろう? もうずいぶん前からいるけど。

D京都市動物園(左京区岡崎)・・小学校の時の家族旅行や修学旅行でも行ったし、子連れでも行った。多分、10回以上はいっていると思う。なんせ安い。大人500円。小学生以下無料。2000円で年間パスポートあり。日本で2番目に古い。

E城崎マリンワールド(兵庫県豊岡市)・・兵庫県北部の城崎温泉の近くにある。小学校の頃、町内のバス旅行で何度か行った。以前は「日和山(ひよりやま)遊園」と言っていたはず。

F鳥羽水族館・・これはなかなか充実したすごい施設だが、入館料が高い(大人2,400円)ので家族が多いと大変。(私の実体験)

G名古屋港水族館・・★廣井の“いち押し”  http://www.nagoyaaqua.jp/
京都からも日帰りで行ける。子供が小さい頃、鈴鹿サーキットへ行った翌日に立ち寄ったが、なかなか充実していた記憶がある。ペンギンコーナー(南極の海)はしっかりと雪が降ってるし、水族館の向いには南極観測船ふじが博物館として常設されている。


H東映太秦映画村(京都市)・・梅小路の“水族館”より、これこそ京都にあってよし。これが、神戸ではどうしようもない・・。


I旭山動物園(北海道旭川市)【まだ、行っていない】・・今や上野を抜き、入場者数日本一の動物園。一度行ってみたいが、混んでいてすごい人らしい。

J沖縄美ら(チュラ)海水族館【まだ、行っていない】・・以前、沖縄に行った時に時間がなくて行けなかったので、次回は是非立ち寄ってみたい。5月に次男が修学旅行で行ったようだ。


 まあ、小さいお子様がいらっしゃる方、家の中になんかいないで、お金と時間の許す限り、一つでもたくさんのところに連れて行ってあげて下さい。いやいや、子供でなくても大人でも結構楽しめます。わずかな時間ですが日常の生活を忘れるのもいいですよ。

 「連れて行く」なんて思わず、自分が楽しむんですよ。私なんか、子供をどこかへ連れて行くという感覚はなかったと思う。どこへ行っても一番は喜んでいるのは私自身でしたから・・・。
 よく言われました。 『あんた、ほんまに元気やな。あんなにはしゃいで疲れへん?』
posted by ヒロイ at 07:24| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月11日

No102:親の介護について“重い言葉”を頂いた【40代以上 必読】

 先週の土曜日、京都府北部(与謝野町)で打合せがあったが、午前中、時間がとれそうだったので、手術後、自宅に戻っている80歳の親父の様子を見に行ってきた。
 見舞いのつもりだったが、予想をはるかに上回る回復で自力で歩いていて驚いた。
 この3月中旬の手術後は、≪寝たきり → ベッドで座って食事 → 車椅子 → 歩行器 → 杖 →そして、自力単独歩行≫ と目まぐるしく状態は変わっていったようだが、あっという間にここまでこぎつけたらしい。

 実は、これにはちょっとした裏話があるんです。
 当事務所の顧問先に在宅専門のクリニックか何件かあるので、仕事で行くたびに何人かの先生方に、『80歳を超えて大きな手術をした老人が再び日常生活に戻れますか?』と尋ねると、どの先生からも、口をそろえて、『もちろん可能ですが、最初が肝心です。多くのお年寄りは「このまま、寝ときたい。」と言われるでしょうが、甘やかしたらダメです。リハビリに甘えは禁物。』とアドバイスされた。
 これらの先生方のアドバイスが頭にこびりついている間にと思い、3月後半に病院に見舞いに行った時、親父に対して、
 『あのな、よう聞きや。僕はな親に対して意地悪で言うとるんと違うで、分かってるな。今まで老人を診てきはったお医者さんが口をそろえて言われるのは、最初に痛たがったり、嫌がったりせずに、しっかりとリハビリするともう一度、歩いて人生を楽しめるけど、ここで、「わしは無理、もうえらいこと(“しんどいこと”の方言)なんかしたないわ。」と言うて何もせんかったら、一生寝たきりで、毎日、天井だけ見て人生終わるで。どっちがええ? お母はんかって、寝たきりの世話は限界があるし、面倒がられてしまうで。人生最後の気合いを入れて頑張らんとあかんで、そんな甘えとったら。』
 手術後で衰弱している親父は、優しい言葉が欲しかったかも知れないが、ここぞとばかり非常に厳しい言葉を投げかけた。
 主治医の先生や看護師さん、それにおふくろがリハビリの重要性を説いても、「もう、ええわ。」という諦めかけた気持ちが出てくる気配もあったようなので、各先生方の裏付けをもとに「よし!」と私の出番となったわけである。

 その言葉が効いたのかどうかは知らないが、その後はまるで“リハビリ優等生”のようにきちっとリハビリメニューをこなし、自力歩行ができるまでにこぎつけたらしい。

 おふくろは半年前まで親父の運転する車で、何日かに一度、スーパーまで食料品や日用雑貨の買い出しに行っていたが、今はその車も廃車にしたので車がなくてとても不便なようだ。
 この日、私も帰るまで少しだけ時間があったので、『何か、用事ないか?』と聞くと、おふくろはすかさず、『スーパーまで買い出しに連れて行って。』と言ってきたので車で10分程のところにあるスーパーへ連れていくと。ティッシュ、マヨネーズ、砂糖、わさび、そして親父のシャツ等、元気ならいつでも買えそうな日用品を買い込んでいた。
 また、「今日は初めてついていく。」と言って、杖を片手に親父までついてきていた。

 わずか数時間のことであったし、この後、すぐさま顧問先へ仕事に行ったが、仕事、勉強スポーツでは、味わったことのない、ひょっとすると、初めて味わうような妙な満足感があった。
 親とは離れて暮らしているので、今まではほとんど何もしてこなかったし、常に他の兄弟や親戚の者には、お世話になりっぱなしであった。
 こうしたことに対して私が体を動かす一つの要因となったものがある。それは、先日、看護師である在宅クリニックの奧様から言われたこんな言葉である。
 『廣井先生、親の介護は女であれ男であれ子供の役目やと思いますよ。それも実の子供。そりゃ、奧さんかって、いざとなったらいくらでも手伝ってくれるやろけど、親の介護なんてお嫁さんだけにさせるもんと違いますよ。時間がなかったら仕方ないけど、何とか時間を作ってでも、言い訳せずにせんとあかんのが親の介護なんです。今日は仕事を離れて、私が先生の親になり変って言っとくわ。親御さんは、お嫁さんとはいくら仲が良かっても気を使って体裁をつくらはるんですよ。全部さらけ出せるのは息子と娘しかないですよ。嫁姑問題とかそんなことと違うんです。このことを、自分に置き換えてみて下さい。将来、息子さんのお嫁さんに無理が言えますか?』と段々と口調も荒げて私に話してこられた。

 正直、私自身、京都での毎日の生活に追われてなかなか思うような動きはできそうにないけど、『毎日、お年寄りのこんな言葉ばっかり聞いてるんやで。無理してやっても続かへんので、ほんのちょっとでいいねん。』とこの奧様は益々ヒートアップされたが、毎日、在宅医療の現場で働らかれている“生の声”であるので、何よりも重く、また、どこかに止めておかかければならない言葉であるような気がした。
 なんだか、私事で重い話になってしまったが、“親の老後”という同じ悩みを抱える我々の同世代の方に少しでも、この在宅クリニックの奧様の言葉を頭の片隅に残しておいてもらえたらと思ってこんなことを書いてしまった。

 毎日毎日、お客様に教えることよりも教えられることの方が多いわ。ほんまに。
 まだまだやな。
posted by ヒロイ at 07:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月05日

No101:“蟹工船”から学ぶものは多かった

 前回の100回記念には久しぶりに3人の方から、メッセージ(コメント)を頂き感激した。
 6月1日の誕生日についても、後にも先にも言葉をかけて頂いたのはこの3人だけだった。
 家族(カミさんも含む)からは、結婚以来、一度たりとも祝ってもらったこともないし、今年も何事もないかのように静かに過ぎていった。まあ、私とカミさんは誕生日にはお互い声掛けもしないことになっているので仕方がないとは思うけど(これって、夫婦間の取り決めというか、いつの間にか暗黙の了解になってしまっている・・・理由は不明?)。


 話をタイトルの内容に戻すが、
 「今話題の」、と言うより、「話題になっていた」【蟹工船】を読んでみた。
 知らなかったが、この【蟹工船】が2008年の流行語大賞のトップ10にも選ばれていたようだ。

 小学生か中学生の頃、「“蟹”のこと書いてるし、おもしろそう。」と読み始めた記憶はあるし、もう少し大きくなってからは“共産主義の本”というイメージだけ抱いていた。
 というわけで最後までじっくり読んだことはなく、昨年、話題になった時も資本主義を支え、そして、それに立ち向かう非人間的扱いを受ける労働者を描いた本か、という先入観だけが頭の中にあった。
 このブーム以来、共産党員が増加しているらしいが、読んでみると、「ちょっと違うで?」というか、「現在の共産党もこんなことが言いたいのか?」という疑問を持った。
 「ワーキングプア」が社会問題となっているが、小林多喜二が書いた時代、つまり、今から70年ほど前と現代とを単純に並べて考えていいものかと首をかしげたくもなった。
 確かに、雇用情勢は戦後最悪とまで言われているし、業種によっては過酷な労働環境を強いられている労働者がいないわけではないが、日本もつい数年前までは“一億総中流”と言われていたし、教育水準だって当時とは随分と違う状況にあると思う。

 文学的には、じっくり読んでみると非常に難しい表現がされている部分がいくつもあったし、今から思えば、そりゃ、小学生の頃は理解できなかっただろうとうなずける。
 そういう意味では、この歳になって読んでみて筆者の言いたいこと、大げさに言えばこの文学の中身が初めて分かったような気がする。
 私自身、雇用される側の経験をしたこともあるが、今は雇用する側である。これを読んでドキッとする部分もあったし、人に使われることも、人を使うことも難しいことなんだなと再認識した。

 私の事務所はどうなのか?
 一年中ではないにしても、少なくとも確定申告の時期はまさしく【蟹工船】以上に社員の時間と自由を奪っている状態にある。但し、【蟹工船】のように体罰はないが・・。
 我々の業界の仕事の多くは期限との戦いである。ただ、私自身が勤務していたころは、結構過酷な労働もあったけれど働かされていると思ったことは一度もなかった。
 職業柄、事業主(雇う側)とのやり取り以上にお客様(顧問先)にいかに喜んでもらえるのかを基準に日々仕事に携わっていたように思うし、特に若かった頃は“喜ばせる”だけの力がなかったので、もっと単純にお客様に“気に入ってもらえる”ためにはどうするのか、ということだけを考えて行動していたように思う。
  
 なかなか今の時代、心のかよった労使関係なんて実現するのは難しいだろうし、雇われる側もお金(賃金)ということに重点が置かれ、言いかえれば、自分が高く売れればそれが一番という風潮がある。しかし、今、この厳しい経営環境のなかで、あらためて“終身雇用”についてじっくり議論し、その良さを再認識することこそが日本経済の立て直しの一番の近道のように思えてならない。
 お金だけの関係なんて、決して長く続くものではないし、ある意味、とても希薄なもののように思う。
 労働問題を考える場合、「何のために働くのか」、「誰のために働くのか」を考えることが色々な問題を解決する上で、重要なことのように思うのだが・・・。
 

 話は少しずれるかも知れないが、実家も織物関連の仕事をしていたし、京都に出てきてからも、過去、西陣織に従事していた方の話を何度か聞いたことがあるが、この機織り(はたおり)は非常に重労働でありながらも、この【蟹工船】よりずっと労使関係がうまくいってたように思う。単純には比較できないが、今から30〜40年前の“機屋(はたや)さん:織物関係の下請け”や“織手(おりて)さん:織物関係の職工”の方が日々の生活はきっと充実していたし、満足度という点でも、今よりは高かったように思う。

 話があちこちにいってしまったが、この【蟹工船】は労働の意義、そして、日々の生活の充実感を考えるのには良いテーマを投げかけてくれたなと、読み終えて小林多喜二に感謝してしまった。


posted by ヒロイ at 07:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月29日

No100:“ばちが当たる”のは怖い

 「パーン、パーン」、「パチパチパチパチ」、「ウォー、ウォー」、「かっ飛ばせ、廣井」、「ゴーゴーゴーゴーレッツゴー廣井」
 訳も分からない音で始まったがこれ何か分かりますか。見て下さい。今回のタイトルの左側、【No100】なんです。
 この“飽き性”の私が100回も続いたのに誰も祝ってくれないので自分で祝ってるんです。
 
 でも、これにはコツがあるんです。
 「義務感を感じない」、「テーマにこだわらない」、「税理士の立場を忘れ一個人として素直に表現する」、それと何より「自分のストレス発散の場」。
 あと、「家族が読まない」、これ嘘のようでほんとなんです。
 まあ、家族5人が干渉しないというのが身上なので助かります。好き勝手なんです、5人とも。

 このブログは当初はもっと、「税理士として伝えたいこと」という熱い想いでスタートしたんですが、いつからか、「廣井増生の気晴らし」のコーナーになってしまったんです。

 100回も続いたのは、ある意味、この私が怠けもんで、怖がりだからなんです。
 これはどういうことかと言うと、気を緩めたり、やり出したことを止めてしまうと、何かに襲われたりしそうな恐怖感にかられてしまうんです。もちろん、「結果はともあれ」ですよ。やったことなかなか成就しないですから。

 幼い頃、何か悪さをすれば、『そんな言うこと聞かんかったら、ばちが当たるで。』とよく言われたものである。
 今の子供たちに『ばちが当たるで。』なんて言うと、『あっ、そう。それで、それがどうかしたん。』と相手にもされないように思うし、こんな言葉を私自身も子供に対してはほとんど使ったことがない。
 でも、自分の心の中では常にこの“ばちが当たる”ことへの恐怖と戦いながら毎日を過ごしているように思う。
 実際、小さな事務所なんて一つ大きな罰が当たってしまえば吹っ飛びかねない。だから、とにかく「ばちが当たらないように」この一年半の間、必死だった。
 毎日、廣井事務所のために自分の時間を割いて汗を流してくれている社員、そして、廣井事務所に対してそれぞれが厳しい台所事情から顧問料を払って頂いている顧問先の方々、また、今までお世話になった多くの人の力添え、これらが全て揃って初めてこのように仕事を続けられているというもの。これらの多くの人の恩を考えれば、ええ加減なこととしていたら、ほんまに“ばちが当たる”ような気がしてならない。


  【ばちが当たる(罰が当たる)】
・神仏が、人間の悪行を罰して、その懲らしめ、償(つぐな)いとして苦しみを与えること。


 そういう訳で、決して休息が悪とは言わないまでも、のんびりなんかしてられない。
 開業当初は、『事務所の経営は大変なんやろ。』と言われたり、ある人からは、『お金が足りんかったら、銀行に行く前にうちに来い。銀行に利息なんか払ったらあかんで。ちょっとくらいなら無利息で貸すから。』とまで言って頂いたりもした。

 『ほんなことしとったら、ばちが当たるで。』、『どっかで神さんが見とんなるで。』と小さい頃から言われ続けた私としてはこの“ばち”と“神さん”が何よりも怖いのである。
 100回続いたのも、途中で止めると“ばち”が当たりそうなのと、不安だらけだった開業当初の気持ちを忘れないためにも続けたいと思ってここまでやってきた。
 自分で言うのもなんだけど、最初の頃の内容を見てみると、初々しいというか、本当に必死な様子が伝わってくる。

 “ばち”が怖いだけで身体が動くわけではなく、人間誰しも、“欲”というものも心の中に存在する。
 当然、私にもあるし、この“欲”がなくなれば毎日の張りと言うものはなくなってしまうであろう。そういう意味でも、“欲”も人間を動かす大切な要素であることも隠せない事実ではある。。

 この仕事を始めて25年、新しく事務所を立ち上げてからは1年半ちょっと。
 “この道25年”はあまりにも長い話になるが、“開業後1年半”は大げさに言うと「一日たりとも気の抜ける日はなかった。」し、「事務所の社員も私の家族も何とか不安のない毎日を」と必死だった。

 独立後1年半を過ぎたので、通常業務だけとらえれば特別に新しいことに取り組まない限り、仕事の内容は慣れっこになってきてしまいがちである。緊張感を持続させ続けることはなかなかきついし、どこかで“気の緩みやたるみ”が出てきそうな時期でもある。
 これがまた、怖いし、やもすると、ズルズルいってしまいそうでもあるんです。
 でも、我が事務所の顧問先は比較的開業(設立)年数の浅い方が多いので、毎月、話しているとこちらがグイグイ引っ張られてる感じがするし、たるんでなんかいると、『はい、さいなら。短い間でしたけどありがとうございました。では、また逢う日まで。』と言われかねない。
 そういう意味では緊張しながら日々接触しないといけない顧問先が多いし、会うたびにピリッとした刺激を与えてもらっているように思う。


 この時期、どこの経営者にとっても経営状況は非常に厳しく、まさしく“長いトンネル”、“暗黒のような時代”でもある。
 当然、一税理士事務所でバックアップできることには限界があるが、今後も一緒になって悩み、考え、そして、トンネルを誰よりも早く抜け出すための手助けができればと思いながら毎日仕事をしている。


 今日はいつにも増して一段と長くなってしまったが、【第100回 記念号】ということでお許しを頂きたい。

posted by ヒロイ at 07:31| Comment(8) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月22日

No99:“世襲”はそんなに悪?

 今、国会議員の世襲が問題となっているが、このことについては国民の側にとっても様々な意見があろうかと思う。
 一方、企業もまだまだ二世や親族が引継ぎ、いわゆる、“親子代々”や“世襲”という例が数多くみられる。

 まず、世襲を論じる前に(いつものように話はそれるが)、先日、民主党の代表に選出された「鳩山由紀夫氏」の親族関係として母方の祖父がブリヂストンの創業者 石橋正二郎であるという記事を見た時、「おお、“ブリジストン”か、懐かしい。」と、“ブリジストン”の社名の由来を久しぶりに思い出した。
 このブリジストンは創業者 石橋氏の名前、石(Stone:ストーン)と橋(Bridge:ブリッジ)からとってこの社名になったということを学生時代に聞いたことがあった。
 つまらぬことを思い出したついでに、あと、いくつかの会社名の由来も浮かんできたので紹介しておく。(← ちょっと、自慢げ?)

 ・サントリー:創業者の鳥井氏が“太陽(Sun)のように”永遠にと名付けた。
 ・美津濃:創業者:水野氏が中部地方の“美濃”出身だった。
 ・三洋電機太平洋、大西洋、インド洋の全てにまたがる会社を目指して。
 ・シャチハタ名古屋の会社で、名古屋城の“金の鯱鉾(シャチホコ)”と“旗”からとって。

 私の記憶の中にあったのはこれくらいだが、じっくり探してみればもっとおもしろい由来の会社名ってたくさんあるのだろう。

 社名で残念なのは、あの松下幸之助氏が創業した松下電器パナソニックになったこと。
 我々の時代、松下と言えば「ナショナル」であったがこれも完全に使用されなくなった。
 忘れもしない、我が家にナショナルのカラーテレビ“パナカラー”が入った時の感動を。
 このころのコマーシャルはまだ覚えている。「明るいナショナル、明るいナショナル、みんな家中(うちじゅう)何でもナショナル。」
(昭和40年より以前の生まれの人は多分聞いた記憶があると思うが・・・。)

 そして、個人の名前からどんどん広がりをみせた代表格は何と言ってもトヨタであろう。
 創業者:豊田佐吉氏の名前を今も引継ぎ、世界のトヨタに育て上げた。世界中、どこへ行っても“車のトヨタ”を知らない者はいないだろが、この社名の由来を知っている外国人がどれだけいるだろうか。
 今は会社としても非常に厳しい状況であるが、過去をたどってみるとこの豊田家はどこの創業者もまねのできないすごい影響力を及ぼしていることがある。
 それは、この個人名の“豊田”が市の名前(愛知県の豊田市)にまでなったことである。これは、豊田氏個人が望んでなった訳ではないが・・・。
 40万人以上が住んでいるこの豊田市の由来は実は個人名だったのである。創業者:豊田佐吉氏とそれ以後、トヨタを世界的な企業に育て上げた歴代の経営者の偉大さにはあらためて敬服すると同時に、この佐吉氏自身は自分の名前が市の名称に使わることになろうとは、想像さえしなかったであろう。

 まあ、会社名のお勉強はこれくらいにして、

 今、話題になっている国会議員の世襲制限だが、なぜ一方的に世襲がいけないのか私には理解できない。
 確かに新たに政治を志す人が入り込む余地が少なくなるのかも知れないが、世襲議員がこれだけ存在するということは我々国民が何らかのメリットがあると思って選んできたからに他ならない。
 一概に経営と政治を同一視はできないが、日本の名立たる企業であっても断然、世襲が多いのが事実である。
 世襲で衰退していった企業もあれば、また、逆に世襲せずに外部の血を入れることによって企業を立ち直らせたり、発展させたりした例も数多くある。

 だから、私としては立候補の時点で制限を加えるのはどうかと思うし、ダメな後継者ならそんな候補者は落してしまえばいいのである。
 議員の世襲は確かにスタート時点では有利な状況で立候補できるが、“親の七光”だけでいつまでもやっていけるはずがない。
 日本の有名企業、あるいは地元の中小企業を見てみても、「あっ、親の七光や」と思われる経営者はいくらでもいるが、後々その親を上回る立派な経営者になっている二世だって数多くいる。


 会社名の由来からとんだ方向へ行ってしまったが、“世襲”については、残して価値のあるものなのか、引き継ぐことが悪となるものなのかを見極めることが重要であると思う。
 また、こういった時こそ、二世議員の真の値打ちを考えて投票する良い機会にすれば、この議論も決して無駄にはならないなと考えながら、今回の“国会議員の世襲制限”を傍観している。



posted by ヒロイ at 21:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月15日

No98:久しぶりに男に惚れた

 【本懐】・・・本来の願い。本望。本意。

 少し難しい言葉だが、なんとなく格好いい響きがある。もちろん私なんか、この歳になるまでこんな言葉を一度たりとも使ったことがない。

 先日、テレビを見ていてこの言葉が耳に入ってきた。
 『政権交代、それが果たされれば私自身にとりましてはまったく本懐でありまして、・・・(中略)・・・私の政治家としてはまったくこの政権交代、国民生活第一の政治、国民サイドに立った政治、そして日本における議会制民主主義の確立、これが樹立されれば、少なくともそのスタートを切れるということを自分の目で確かめることができるとしたならば、それはまさに政治家の本懐、男子の本懐、そう考えております。』
 お分かりのように、これを言った小沢氏自身にとっては、この上なく残念な結末だったかも知れないが、「本懐」を口にするにはもっと潔い、そして誰もが納得し、うなづけるような姿を見たかったものである。

 先日、当事務所の顧問先である内科医院の院長から、ご自身が勤務医時代の最後に主治医としてお父様を看取られたときの話を聞いたが、「これぞ男だ」と感動した。
 この先生はご自身の開業を3ヶ月後に控えられていたが、開業直前まで部長を務められていた勤務先病院で主治医として入院中の親を診られていた。
 最終的にはお父様は亡くなられたが、亡くなられた直後、お母様やご兄弟は葬儀の準備があるので病院を先に出られた。親族では先生のみが病院に残られることになったが、先生ご自身はこの患者の息子ではあるが、この病院では主治医であるので、今までの他の患者が亡くなられたときと同じように最後まで白衣を着たまま、霊安室から葬儀場へ向かう亡骸を乗せた寝台車に手を合わせて見送られたとのこと。
 この先生は寝台車には同乗されなかったので、寝台車は運転手が亡きお父様のご遺体だけを乗せて葬儀場へ向かわれたとのこと。
 この先生、寝台車が見えなくなったら、急いで白衣を脱ぎ捨てご自分の車で葬儀場へ向かわれたらしい。
 私は思わず、『自分の親でしょ、何で寝台車へ乗ってあげなかったんですか? 亡くなったお父さんだけを車に乗せるなんてお父さんがあまりにも可哀そうすぎませんか。』と言うと、この先生は、『自分の親であってもこの何ヶ月間は一人の人間であるこの患者の主治医として最善の努力をしてきた。自分自身、最後まで医者であり、また、主治医であるべきだと思っていたので、今までの患者の時と同じようにしただけです。誰にも遠慮することなく息子という立場に戻れたのは、白衣を脱いだ瞬間からです。』と鋭い口調で話された。
 私は不謹慎かもしれないが「なんて、格好ええんやろ。」と惚れ惚れしたし、この時のこの先生の顔や目つきは、男が心の底から惚れるような輝きがあった。

 この先生は京都府下のちょっと田舎(先生の出身地)での開業であり、患者の伸びも当初はそれほどでもなく私としては少し心配な関与先の一つではあったが、先生はいつも『今は、きちっと診察することが一番大事だと思うんで、これでいいんです。焦っても仕方がないし、大丈夫ですよ。じっくりやりますから。』とおっしゃってた。
 当初の私の心配をよそに、2年目からはすっかり安定した数字を残されるようになった。
 地元の爺ちゃん、婆ちゃんからも慕われておられるし、また、開業医にしては充実した設備(医療機器)を揃えられたので検査を望んで来院される若年層の患者も増えてきている。
 要望があれば往診にもとんで行かれるし、また、若手の医師の少ない地域なので医師会活動も積極的に取り組んで、本当に僅かしかない空き時間を使いながら走り回っておられる。

 開業当初、ちょっと真面目すぎるし大丈夫かなと思ったりもしたが、最近の患者の増え方をみると、3年目にしてこの地域にはなくてはならない医療機関に成長されたなと思うし、色々と心配していた私自信が少し恥ずかしくさえも感じてしまう。


 ここで、もう一度“本懐”ということに話を戻すが、
 城山三郎の【男の本懐】にも

・「頑固一徹。やり抜くと言ったら何が何でもやり抜く男達。」
・「学生時代から寡黙な男であったが一度こうだと言い出したらその説を絶対に曲げない。」

 と記されているように、こんな男こそが【男の本懐】という言葉を使う権利があるのではないかと思う。
 私自身、よく『男のおしゃべりは人間的重みが感じられへんで。』とか、『静かな男ほど、いざという時には信頼されるで。』と言われるが、なるほどとうなづける話であるし、耳の痛い話でもある。


 今回の記者会見の中での“男の本懐”だけでなく、どこかの総理大臣が昨今の経済状況を“未曾有の危機”、“百年に一度の危機”と口にされていたのも思い出した。
 確かに日常的に起こり得ることではないがこんな重い言葉は百年に一度とまでは言わないまでも、誰しもが納得いく場面で納得のいく使い方をして欲しいものである。
 
 政治家の記者会見では、国民にとってインパクトのある言葉や耳触りの良い言葉だけでなく、その政治家がそこまで歩んできた道のりと今後の日本についてどれだけのことを考えているのかもじっくり聞く必要があるなとあらためて感じた。
 我々、国民の側も政治家に対して文句を言ったり、注文をつけるのも必要だが、あくまで、政治家(国会議員等)を選んでいるのは我々国民の方であるので、当然、国民の側も責任のある行動が必要であると痛感した。
posted by ヒロイ at 21:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月10日

No97:驚くべき“就職先を選ぶ基準”

 売上や受注状況が上向いてきている業種も一部にはあると新聞報道では取り上げられてはいるが、私の周りを見る限り、そういった感じは全く伝わってこない。
 こんな状況の中での会社経営も大変な時期ではあるが、この春からの就職戦線も“ヤバい状況”のようである。
 大卒の場合、就職活動は3回生の春かららしいが、私なんかは、4回生の春までは、“クラブ漬け”の生活を送っていたので、今の就活(「就職活動」の略)のスタートの早さには驚きである。
 余談だが、おじさんも最近この“就活”以外にも、“婚活”(「結婚活動」の略)という言葉を覚えたんです。雑誌でよく見かけるが、この「結婚活動」って一体何かと思ってしまう。我々も学生時代には男も女も眼の色変えて異性を求めていた時期があったがあれが“婚活”か? いやいや、あれはもっと軽い彼女や彼氏を探していただけのことなので“婚活”はもっと高尚なもののようである。
 話を就職のことに戻すが、ある雑誌で就職先を選ぶ基準のアンケート結果を見て驚いた。
 2008年4月大卒入社組(「ゆとり世代の第一期・・ゆとり教育一期生」というらしい)が会社選択で重視するポイント

@好きなこと、あるいは得意なことができること【断然トップ】
A気の合う仲間(上司、同僚など)と楽しく仕事ができること
B待遇(給与・福利厚生)がよいこと

(途中、省略)

G人や社会の役に立つことができること
H成功(富、名誉、地位など)できること
I新しいもの(組織、事業、商品など)を創りだすことができること
Jレベルの高い仕事に挑戦できること
Kその他

 この結果を見て、「何これ?」っという感じ。
 @、Aなんかを見ていると、日本って本当に恵まれた国なんだなと思ってしまう(ただ、これは1年前のいわゆる“好況時”のデータではあるが)。
 私自身、決して崇高な理念や確固たる信念があって仕事をしているわけではないが、普通、学生生活も終わって世の中に出るときには、G、H、I、Jのような想いを抱くと思うんだが・・・。
 確かに“楽して儲かる仕事”がしたいのは万人の共通の思いかもしれないが、それ以外にいかに多くの人に喜んでもらえるかということも大きな要素のような気がするんだが、こんなことを言っている自分がもう既に古い部類に入っているのかも。
 上のBなんかは、ある意味当然の欲望かと思う。
 私の友人にも「金を儲けていい車に乗りたい。」といつも言っている者もいるが、これはこれで非常に純粋で分かりやすい。
 ただ、「気の合う仲間と楽しく仕事ができること」が第2位なんて、仕事を舐めてるとしか言いようがない。
 そりゃ、職場の環境が良い方がいいし、そうなるように全員で努力することに意義があると思うのだが、最初からそんな考えを持った者なんか、一緒に仕事をする方が疲れてしまう。
 緊張して、気を使って、そして、怒られたり、ほんのたまに褒められたりして、でも、多少の失敗は許してもらえる、これが新入社員というもん違うんかと思うのだが。


 そうそう、以前から、書かれていることが厳しすぎるのではと思っていた<採用に関するパンフレット>が手もとにあるが、このハローワークが発行している【採用選考時に配慮すべき事項】(言外に「質問はしないように」という意味合いもあるように思う)には以下のとおり記されている。(以下、一部抜粋。)

(1)本人に責任のない事項
・生活環境に関すること
(他の本籍地、家族の収入、住宅の間取り等は当然、問題ありと分かる)
(2)本来自由であるべき事項
・人生観、生活信条に関すること
・尊敬する人物に関すること
・愛読書
(他の宗教、支持政党、思想等は当然、問題ありと分かる)

 「尊敬する人物」や「愛読書」についての質問も控えろということは、その人物の生きざまには触れずに、目の前の本人を見て決めなさい、ということか?
 この件、納得いかないなんて言ってしまうと、色々な面で問題視されそうなのでこれ以上のコメントは差し控えることにする。
 
 クリニック開業支援の一環として採用面接に立ち会う機会も多いが、若い人を面接する場合、人生観(仕事観)や人柄が割りと分かり、ハローワークの厳しいご指導にも引っかからないよく使う質問は

・「今までの人生の中でとてもうれしかったことと非常に悔しかったことはどんなことですか?」
・「これだけは絶対に誰にも負けないという自分の強みとは?」
・「学生時代(中、高、大)に何か打ち込んでいたことはありますか?」

 どちらを採用しようかと迷ったときは、この3つの質問に対する回答が結構決め手になります。
 開業後、院長先生に聞くんですが、「あの時の印象のままやね。」という答えが返ってくることが以外と多いんです。 
 一度、使ってみて下さい。

  

 
posted by ヒロイ at 17:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月07日

No96:連休も終わった

 我が事務所も昨日まで5連休だったので、連休中は初日の土曜日に電話とメールによる質問があった以外は顧問先等、外部の人との接触はほとんどなかった。
 連休前から予定していた、日頃、手を付けられなかったじっくり検討すべき業務と溜まっていた書類の山の整理に時間を費やすことができた。
 その整理整頓後には久しぶりに廃棄処分も実行できた。
 事務所の机の中やロッカーには、「いつか、役に立つかも?」とかすかな期待を込めて残していた研修ファイルや参考資料が山ほどあった。
 先日読んだ【今すぐやる人が成功する(堀場雅夫 著)】という本の中には「書類の賞味期限は1年」と記されていた。
 私自身、さすがに“1年基準”で廃棄する勇気はなかったが、“ほぼ2年”を一つの目安に処分していった。
 職業上、誤解があるといけないので言っておくが、顧問先の税務関連資料はこの対象からは外れるのは当然のことである。

 「勢いついでにタンスも!」と家に帰ってからは、予定していなかった服の大処分も行った。
 靴下や下着はもちろんのこと、セーター、Yシャツ、ネクタイまで一気に処分した。
 そして、「きっと痩せたらもう一度着れる。」と独りよがりの期待を込めて残していたスーツも思い切って何着か処分した。
 皆さんもそうだと思うが、普段着もスーツ、ネクタイ、それに靴も実は自分が気に入ったものばかり着たり、身に付けたりしていて、持っているものの3割、ヘタすると1割くらいでくるくる回しているのが実態であろう。
 捨てるということは確かに「もったいない」ことかもしれないが、「残しておく」ことのムダも大いにあるとあらためて実感した。
 捨てることによって机もタンスも、そして、気分もスッキリ。この連休中の一番の収穫かも。


 5日の夜はソフトバンクのプロ野球観戦に出かけ、この連休中、唯一、子供と行動を共にした(とは行っても次男のみ)。
 私が野球より楽しみにしていた弁当は、オリックスのホーム(京セラ=大阪ドーム)なので【ローズの渇!(カツ)めし〈ローズのホームラン数 400本、ローズ渇!めし 400g〉】だったが、味よりもその値段にびっくりした。
 弁当、おつまみ、ビールで何と2,000円。一応、“持込厳禁”やし、まあ、ゴールデンウィークはどこへも行ってないのでこれくらいいいかと自分を納得させて味わった。

 子供が小さい頃は、“お出かけ”、“テレビ”、“ゴロゴロ”が連休の定番だったが、今年なんかは家族みんなが試合やバイトがあって、早寝早起きの連続で、ある意味、時間を有効に使えた。ほとんど毎日、朝の9時には家には誰もいなかったもんな。
 “早起きは三文の得”とはよく言ったもんだ。
 連休最終日の昨日もみんな早かった。長女は『神戸へ行く』といって8時過ぎに出て行ったし、長男も7時過ぎから『食べるもんない?』と言ってウロウロしていた。
 次男は連チャンで大阪へ“オリックス‐ソフトバンク”のプロ野球観戦。 『最終日は身体休めとかんとあかんで。』というカミさんの忠告もあったが、昨日(6日)は14:00からの試合なので帰りも遅くならないということで“許可”をもらい、一人で行っていた。もちろん、 “ユニホーム”と“メガホン”は持参で。
 昨日は同伴者がいないんで、レフトスタンドのソフトバンクファンのど真ん中で、気がねなく騒げるのが楽しみだったのかも。
 5日に私が行ってた時、内野席から見ていたが、レフトスタンドは試合中ずっと立ちっぱなしのようだった。私はとてもついていけそうにない。


 あと、私自身としては4月末に【5日間で10冊】という目標をたてて10冊以上の本を買い込んが、4冊は読めずに持ち越しとなった。
 毎度のことながら、買ってしまうのは業務関連やノウハウ本が多くなってしまいがちだが、一昨夜読んだ“息子への遺言(逸見晴恵 著)”はちょっとだけしっとりとしてしまった。
 家の誰がいつ買って読んだのかは知らないし、ずっと前から家にありながらも私自身は読まずに枕元に置いていた本であるが、1993年12月に亡くなったフリーアナウンサー 逸見政孝氏のドキュメンタリー的な内容であった。
 あれから、もう15年が経ったことに時間の過ぎることの速さをあらためて実感した。
 そして、内容的には単なる“事実本”に過ぎないが、“親からの教え”と“子への教え”に挟まれている年代の者としては多少なりとも参考にはなった。
 何か特別なものを準備したり、構えたりして教えてもらうことも、又、教えることも全く必要でないことがこの本を読んであらためて分かった。
 親から一度たりとも『勉強しなさい』と言われたことがなかったので、これだけはきっちり親の教えを引き継いで子供には『勉強しろ』と言ったことがない。
 最低のルールだけ伝えておいて「後はどうぞご自由に」というのが私の接し方である。カミさんは、「面倒見れへんから、ほったらかしてるだけやん。」と言ってるが・・・。
 まあ、中学生以上になると親の言うことなんて聞くわけがない。
 『一応、大学卒業までの生活と学費は何とかするけど、後は一切金は出さんしな。何になろうとどうぞご自由に。』これが私の口癖。


 今日もとりとめのない話に終始したが、3月に手術した父親の見舞いに行かなかったことが気にはなったが、今回は4、5日にお見舞帰省した兄夫婦にお任せした。私は次の休みに行ってこようかと思っている。
 連休明けに退院とのことであるが、それにしても80歳にして2ヶ月近い入院は大変だったようだが、話を聞いていると退院後の方が色々と気を使う生活のようだ。
 離れていて何も出来ないが、気丈な親父なんで何とか日常生活が出来るまではこぎ着けてくれそうである。


 いよいよ、今日から全ての者に対して、平等に“連休終了。日常業務再開”という現実が待ち受けている。
 まずは、この2日間を無難に乗り切りたいのだが・・・。
 (長女は木、金も休講なんで、10日まで休みが続くらしい。大学って訳分からんわ。)

posted by ヒロイ at 07:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする