2019年07月21日

No638:大事なのは“出足好調”のあと

 2011年3月11日の東日本大震災でレールが寸断され長い間 不通になっていたJR東日本山田線(宮古・釜石間)がこの春に三陸鉄道に移管され、リアス線として3月23日に再開した。再開後は好調を維持し客足も伸びているとのことで、先日 「再開後3カ月、出足好調 三陸鉄道」という見出しで新聞にもとり上げられていた。
 また、福島県浪江町では福島第一原発事故に伴う避難指示が2017年の春に一部で解除されてから、念願であった初めてのスーパー(イオン)が開店し、帰還した住民や周辺に住む人たちでにぎわっていたという記事も先日目にとまった。
 こういった話を聞くと復興も徐々にではあるが進んできているんだなとうれしい気持ちにもなってくる。
 ただマスコミはこういった表の面というか、プラス面ばかり強調するが、ここまで通常の社会生活や経済活動からも閉ざされ続けていた苦労やこれからの運営というのがどれほど大変なのかにはあまり触れていない。
 確かにこの2つは復興の証として明るい話題には違いないが、じっくりこの内容を考えたり、もう少し中身を掘り下げた記事やコメントに目を向けると決して明るい未来が待っているというものではないことが分かってくる。
 
 まず三陸鉄道の方は、復興のシンボルとして、またラグビーワールドカップの会場である釜石市が沿線にあるということでも当面は盛り上がるだろうが、もともと人口減少地域であるし、冬の寒い時期は観光客を含む利用客数がどう変化していくのか予断を許さない状況であることにかわりはない。
 また、もう一方の浪江町には震災前には2万1400人の人が住んでいたが、現在 避難先から戻って居住登録しているのは1057人で震災前の5%にとどまる。果たしてこんな状態でイオンの経営は成り立つのだろうか心配になってくる。もちろん来店客の対象は浪江町に住む人だけでなく周辺住民も含めてという目算であろうが 今後 イオン側としても維持できるのかと考えてしまう。ただ、浪江町からのイオンへの家賃支援もあるし、それ以外にも震災の復興支援がらみで県、国をあげていろいろな援助があると思われる。
 これらを見聞きして私が思ったのは、最初はマスコミの露出度も多く、地域住民も”初物(はつもの)”の珍しさもあり利用者やお客様は一定の水準を維持できるであろうが、こういった“出足”から数年経ってしまうと果たして“出足”当初のような数字は維持しづらくなってくるのではなかろうかと危惧してしまう。
 公共であれ、民間であれ いろんな施設がマスコミでとり上げられ、先日も「オープンした山もふもとのキャンプ場は土日はほとんど予約がとれない状況となっている」と言っていたが、開業から数年もすると閑古鳥が鳴いていたりする施設を過去いくつもみてきた。私自実家の近くに20年程前にできた「道の駅」も、日本三景の天橋立まで15分という立地もあり、観光バスの立ち寄りやおみやげものを買う人で賑わっていたが、別ルートとなる丹後縦貫道が開通するとほとんど観光客は立ち寄らなくなり、そのあと数年で休館となった。確か今は地元住民の農産物直営所となっているようだし、平日は営業車(私も含む)の駐車場所となっている。

 私も顧問先を指導する立場として、新規事業の支援をするときはまず立ち上げ時に全力を注いでもらって最高のスタートダッシュがきれるよう後押ししているが、実は事業(商売)をする上では、この“出足”だけでなく、“第二の出足”というか、本来の“出足”とがいったん落ち着いた頃の次なる段階の方が大事と思えることもある。
 開業(開店)時が“出足好調”であってもそこで油断したがために、2年後には伸びの止まるお店やクリニックはいくらでもある。
 そういう意味においても、長く事業を続けていくためには開業時、3年目、5年目、10年目と節目ごとに常に緊張感を持って対処していった者だけが残って行ったり、いい数字を維持していったりするのであろう。
 そういう意味では気の休まる暇がない ということこそ商売の醍醐味であろうし、そう思わないと事業なんてやっていけない、これが開業12年になろうとしている私の出した結論出る。
 事業なんて最高の時を思い描くにではなく、最低の時を考えながら進めていってちょうどくらいであり、例えば、悪いうわさが経ったり、ライバル店が近くにできて収入が3割減ったとか、何かのトラブルでスタッフの3割が退職したとか、そんなことも想定しながら自分の事業に目を光らせる これこそまさしく事業というものであろう。
 いい時や上り調子の時なんてほんのわずかの期間、そう思っていてちょうどである。これこそ事業をする人の基本であるように思う。

 そろそろ終わりにしますが、予定していたより重いなってしまったことをお許しください。
posted by ヒロイ at 21:03| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年07月14日

No637:オリンピックに出れないのも運命

 待ちに待った東京オリンピックまで残すところあと1年となった。
 オリンピックと聞けば誰しも過去のオリンピックの栄光の瞬間をいくつか 思い出すだろう。その頭に浮かぶシーンというのは年代によってさまざまで、私なんかはロサンゼルスオリンピック(1984年)の陸上でカールルイスが100m、200m、走幅跳、そして400mリレーと4冠を獲得したのが一番印象に残っている。
 当時、大学の陸上部に所属していたからなおさらであろうが、ロサンゼルスオリンピックの後は、冗談半分とはいえ多くに陸上選手があのカールルイスをまねて手のひらをピーンとまっすぐ伸ばしながら走ったものである(私の周りの人の数人だけかな?)。
 1964年に開催された前回の東京オリンピックの時は、私はまだ2歳たっだので全く記憶にはないが、私の周りの人で ”東洋の魔女”、”マラソンの円谷”、”重量挙げの三宅”なんていうことをさぞ嬉しそうに語る人は年齢を確認しなくとも私より年上であることはすぐにわかるという ある意味、年齢や年代を表す指標ともいえるのがオリンピックである。
 2008年の北京オリンピック陸上 400mリレーで3位(後でジャマイカがドーピングで失格となり銀メダルへ繰り上げ)に入り、アンカーの朝原選手がゴール後にバトンを空に向けて投げたシーンはリレーのレースそのものよりも私の頭に焼き付いている。大学の後輩がこういった活躍をした後は我々OBもそれをネタに数年間は盛り上がったが、その後こういった選手を輩出できていないのでそろそろ出てきてほしいと願っているクラブ関係者は多いはずである。
 こうしてオリンピックに出場してメダルを獲ることを目標としている選手もあるだろうが、オリンピックで活躍する前にオリンピックに出場することも同じくらい大変で、いくつもの予選会という壁を乗り越えないといけないというのがオリンピックを目指す選手の第一関門であり、競い合いそのものであろう。

 やはりオリンピックは特別なもので、私がやっていた陸上でも世界記録を出すよりもオリンピックで金メダルを獲ることの方が難しいと言われるのが通例である。
    世界記録は優れた選手であれば場所や時を問わずいつでもどこでもチャンスはあるが、オリンピックは4年に1回で、しかも決勝で勝った1人しか金メダルを手にすることができないという運というかめぐり合わせも重要な要素となってくる。
 メダルを獲得できるかどうかは最終結果であるが、この4年に1回のオリンピックにめぐり合わせが悪くて出場できない選手も毎回何人か出てくる。
 その中の一人は残念で仕方ないが水泳の池江璃花子選手であろう。昨年のアジア大会では史上初の6つの金メダルを獲得し、誰もが東京オリンピックでの活躍を楽しみにしていただろうが、白血病という病魔が突然襲ったために東京オリンピックの出場は厳しいだろうし、本人にとっては言葉にならないくらい残念であろう。しかし、こればかりはどうしようもないし、今はとにかく一日でも早く病気を治し、日常の生活に戻れることを日本中の人が願っている。
 また、陸上では6月の日本選手権100mはサニブラウン選手の圧勝であったが、日本人最初の9秒台スプリンターの桐生選手と共にここまで日本の陸上界を引っ張ってきて、来年の東京オリンピックでは100mとリレーには出場すると思っていた山縣選手も6月の日本選手権の直前に気胸で欠場することがが発表されたが、こちら も東京オリンピックの前年に発病するなんて何ともついていないとしか言いようがない。
 昨年の世界選手権の床で金メダルを獲得した女子体操の村上茉愛選手も腰痛に悩まされ、 先日の日本選手権を欠場していた。
 ここで3人の選手を例に挙げたが、オリンピックに出るというのは実力以外のも何か目に見えないもの、大げさに言えば運命にも左右されているようにも思える。
 こういった壁を乗り越え、やっとの思いで代表に選ばれた者の中で、本当に金メダルが獲れるには各種目一人しかいないという、このすごい競争倍率こそオリンピックそのものであろう。

 来年の東京オリンピックに向けて各競技でこれから予選・選考会がたくさん実施されるであろうが、来年夏のオリンピック本番だけでなく、その前の予選会にも注目し、どういう過程を経て本番の舞台に立てたのかを知ることはオリンピックの本番をより一層楽しめることにもつながるだろう。
 スポーツには勝者と敗者が存在するが勝者の陰には必ず敗者というか、ライバルが存在していたことも忘れてはならない。
 輝くのは勝者であるが、見ていて感動させるのはなぜか敗者であるということも胸に刻み込みながら、この一年間の代表選考レースを見守っていきたいと思っている。
    何人かの敗者の気持ちも汲みながら。
posted by ヒロイ at 22:21| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年07月06日

No636:“死刑囚”と“死刑執行人”双方の苦悩

 いきなり背筋がぞっとするようなタイトルでびっくりされた方もいらしゃるかもしれないが、先日来 読んでみようと思っていた2冊の本が読み終わり、胸の中に何とも言えない思いが残っていてとれなかったので、あえて気持ちを整理もせずに今の気持ちをありのまま綴ってみることにする。
 まず、その本とは次の2冊である。
〇「ある若き死刑囚の生涯」(加藤乙彦・・筑摩書房/2019年1月)
〇「死刑執行人の苦悩」(大塚公子・・角川文庫/1993年5月)

 「ある若き死刑囚の生涯」の方は、2月の忙しいさなかに新聞の書籍紹介欄に載っているのが目に留まり即座に購入し、今まで買い置きしていた本である。
 1986年に24歳で横須賀線爆破事件を犯し、27歳の時 最高裁で死刑が確定、そして32歳で死刑が執行された純多摩良樹の事件犯行までの人生と逮捕後、死刑が執行されるまでの5年近くの刑務所での生活ぶりを描いたものである。
 事件の凶悪性が許されるものではないが、ここでは事件の真相や罪の重さにはについてはあえて触れず、この犯人(死刑囚)の心の変化についてとり上げてみた。。
 2冊目の本と合わせて考えてみても、私自身、死刑廃止論に積極的賛成でもないし、この死刑制度が取りざたされる時にいつも出てくる、「被害者の立場や心情を考えると・・」とか、「やったことの責任をとれ」という考えも理解できるが、この2冊を読み終えてみると心の中の軸が初めて死刑廃止論の方へ少しだけ傾いたのが自分自身でも認識できた。しかし、まだ、凶悪犯罪への抑止力という面でも、即座に死刑廃止まで行き着くには難題も多く、この奥の深い論題には私自身まだ入口に差しかかった程度の認識である。
 純多摩死刑囚は収監後、独学で短歌を学び、その後 獄中からの投稿では数多くの賞を受賞している。私の心にグサッときたこの死刑囚の心の変化を表した独房からの叫びともいえる作品を紹介しておく。


・一瞬に人を殺(あや)しめわが罪をおもへばこの身凍る思ひす
・偶(たま)さかの獄の集会席二つ空きてゐてわれの死期を悟れり
・わが希(ねが)ひ歌に託して詠みゆかん処刑さるる日近づきてゐむ
・屋根の上のつがひの鳩にも見られゐん獄にうごめくわれの姿は
・獄の壁に話しかくれば夜の更けを何か心にひびくものあり
・鉄窓に凭(もた)れて夜空を見放くれば小さき星がわれにまたたく
・陽のとどく位置に机をおきかへて死ねばならぬ心さだまる
・伸びすぎたる爪を剪(き)るとき母想う断ちきれぬ記憶のなかに構へて
・文鳥の飼育許され独房に互(かた)みにいのち悲しみ合ふ [独房で文鳥の飼育のみ許されていた]
 この本の中の数多くの短歌のうち2、3例を紹介しようと思っていたが、心打たれたものを書いているうちにこんなに多くなってしまった。

 死刑執行直前に「死にたくないよー」と大声を張り上げたり、暴れたりする死刑囚もいるなかで、この純多摩死刑囚はいたって落ち着き、死刑執行日が本人に告げられ、執行日前日の筆者(加賀氏)への最後の手紙では、このように綴られていた。
「加賀先生に最後のお手紙を、書かなければればならない日がやってまいりました。とうとう私に〈お迎え〉が参りました。数時間後の旅立ちに備え、こうしてお別れの筆を執っている次第です。・・・・・所長さんに、お世話になったお礼を述べ、握手をさせていただきました。・・・・・加賀先生にはくれぐれも、お身体をお大事にされますように。ほんとうにいろいろとありがとうございました。夕食しながら長く談笑してしまい、時間が長くなりました。  それでは、行って参ります」


 後の方の本は、拘置所で死刑を言い渡したり、実際に執行に立ち会った人の話であるが、これもまた苦悩の連続で、いくら仕事とはいえ人間が人間を処することで気がおかしくなった人もいるとのこと。
 死刑執行の時、死刑囚を目隠しする、手を縛る、縄を首にかける というのを3人でわずか数秒で整えなければいけない刑務所の執行官の役目。これは読んでいて人間の心をおかしくするのも当然だとも思えた。
 刑務官は日々死刑囚と接しており、中には更生して、罪を償いたいととか、「私はこれで償えるでしょうか」と訴えてくる受刑者もいたとのこと。中でも3人を殺害したある受刑者は、「殺してしまったのは3人なのに私一人にの命では償いきれない、やりきれない。」と訴えてきた死刑囚もいたようだ。
 あと、印象に残ったのは法務大臣が署名押印した死刑執行命令書に基づき、死刑囚に死刑執行(基本的には当日)を告げるのは刑務所の所長の役目のようだが、ある所長は死刑が確定した後、反省し模範囚に更生した死刑囚には、数時間後に執行される事実をこんな言葉でしか伝えられなかったとその時の苦悩を口にされていた。その言葉とは、『残念だが、お別れだよ。』

 後の方の本は最初は興味本位で読みだした本であったが、受刑者と同じくらい執行者も苦悩に満ちた人生を送っていることに初めて気づかされた重い重い本であった。
 また、やはり被害者側の心情をどう理解し、納得させていくかも今回の2つの本を読んで考えないといけないということもあらためて感じた。
 この2冊を読んで、私が心に刻んだのは、罪を犯すようなことはしない ということはもちろんであるが、命を大切にしないといけなということである。
 生きることの意義を久しぶりに考えさせられた良本であった。
posted by ヒロイ at 20:44| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年06月30日

No635:こんなの初めて 待ち遠しかった梅雨

 毎年6月になると、「梅雨入りはいつかな?」とか、「いやな季節がやってきたな」と なんとなく暗いイメージのある梅雨、そして6月(今日で終わりですが)である。
 実をいうと私は6月生まれですが、会話の中で誕生月の話になって6月生まれであることを相手に伝えると、6月という月があまり印象に残ることが頭に浮かばないのか、「雨の降る時期ですが紫陽花(アジサイ)がきれいな時ですね」と言われたり、私が子供を産んだわけでもないのに、「本格的に暑くなる前でよかったですね」なんて訳の分からない 6月の印象を聞かされたことがある。
 確かに4月なら、「桜のきれいな時期ですね」とか、10月なら「気候の穏やかな時でよかったですね」とすぐにでも言葉が思いつくのだが、6月はねえ〜。
 今ではジューンブライドといって6月の結婚式や花嫁がもてはやされるようになったが、これとて私の若い頃はほとんど聞かなかった。ただ今日は私の家の近くの松ヶ崎北山通り沿いにあるいくつかの結婚式場は朝から結構賑わっていたし、カレンダーをみると6月の最終日である今日は友引でもあり、「今日までだよね、6月は。」と今日の賑わいが自分でもうなずけた。
 紫陽花の花も小さい頃は、雨に濡れ、葉にかたつむりがのっている印象でしかなかったが、50近くになってからは、大きな花のわりにはしっとりと咲いていて、なかなかきれいな花だなと思うようにもなってきた。
 仕事での移動中に地下鉄から近鉄への乗り換えで竹田駅のホームに立っていると、 ”あじさいを見に奈良 長谷寺へ” というような看板を目にする、これを見るたびに一度行ってみたいと思っているがいまだに実現はしていない。

 今年の京都は6月になっても梅雨の気配さえも感じられず。いつになったら梅雨入りするのかと気をもませるくらい梅雨入りが遅かった。近畿の気象台は6月26日になってやっと「近畿地方が梅雨入りしたとみられる」と発表したが、これは平年より19日遅く、昭和26年の発表開始以来一番遅い梅雨入りだったとのこと。
 仕事での外出や通勤、通学には当然のことながら雨が降らない方がいいのに決まってはいるが、やはり降る時には降らないと逆に体の感覚が鈍ってしまうような気にさえもなった今年の6月であった。
 梅雨の話でまず一番にこんなことを思い出した。長男と次男が子供の頃 少年サッカーをしていて、よく親が試合当番として何人かの選手を車に乗せてあちこちの競技場へ連れて行ったことがあった。サッカーは野球と違って雨天中止がないので、この梅雨の時期は泥んこの中で試合を終え、「えっ、それで乗るのか?」と思わず言ってしまいそうな選手たちを車に乗せて帰ってきたこともあったが今となってはこんなこともいい思い出のひとつである。

 梅雨があるからこそ、春の穏やかな気候がよりうれしく感じられるし、この梅雨が明けたあとの灼熱のような太陽の日差しがまさしく夏本番と感じられ、暑いのはどちらかというと苦手な方であるが、暑い時は暑く、寒い時には寒いという、やはり季節にもメリハリがあってこそ日常生活も引き締まるという感じがする。
 今年は冬の気候も異常だったようで、雪深いとされる私の出身地である京都府北部の丹後地方でも暖冬の影響でほとんど降雪がなく、京都地方気象台によると、降雪は平年の2〜3%しかなく、除雪費が大幅に減少した一方で、京都府北部唯一のスイス村スキー場(京丹後市弥栄町)は開業できないまま今季の営業終了を決めたという異常な冬でもあった。

 最後に天気予報でいつの頃からか「梅雨入りした(梅雨入り宣言)」とか「梅雨が明けた(梅雨明け宣言)」という言い方をせずに、「梅雨に入ったとみられる」とか「梅雨が明けたとみられる」なんて自信のない中途半端な言い方をするように変わった。
 随分前 「梅雨入り宣言」した後、雨がほとんど降らずに ウソのような梅雨入り宣言 だったと言われたからその言い方を変えたという節もあるが、こんな中途半端な言い方は気象の専門家としてどうかと思う。
 例えば、受験をした人が「受かったように思われる」とか、仕事で質問をされたときに「それは正しいように思われる」なんて言っても誰も納得しないと思う。
 この気象台が「〇〇のように思われる」というのを聞いて多少なりともイラっときているのは私だけなのでしょうか。
 最後につまらないことを愚痴ってすみません。
 いよいよ明日から梅雨本番ですよ。万全の雨対策でお出かけください。梅雨明けを心待ちしながら・・・。
posted by ヒロイ at 22:18| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年06月23日

No634:従業員を平等に扱うことの難しさ

 大企業ならともかく、中小企業 あるいは数名の事業所の場合、従業員の要望に応えるというのは、従業全員の要望というよりと特定の人の希望をかなえるための措置という場合が往々にしてある。
 我が事務所の顧問先も総従業員数10人未満である事業所が多いが、経営者からの話を聞いていると各従業員からの個別の要望は多岐にわたるものがある。
 例えば、特定の人だけ出勤時間を遅らせてもらえないかとか、逆に週2回は早く帰れないかとかという勤務時間に関するものや 小規模の個人事業所の場合、一定の基準以下であれば、事業所として厚生年金の加入義務はないが、従業員の一人から将来のために何とか入ってもらえないかと嘆願されたり、早く帰らないといけないのでどうしても自家用車で通勤させてほしいとか、個別に挙げればきりがないほどいろいろな要望が出てくる。
 こんな時、優しい経営者は、辞められても困るし何とか継続してもらうためには、今回の特例措置はやむを得ないかと、特定の人のための特別な救済措置をとられることもある。
 決してこの特例措置をダメだというつもりはないが、ある経営者はいろいろな要望を聞き入れるあまり、特例措置だらけで何が原則か分からなくなってきているようなところもあるし、ある人の救済のつもりでとられた措置が、別の人にとっては非常に不平等に感じることだってある。
   こういった時にしっかりと経営者の考え方をまとめておかないと、あとで収拾がつかなくなり、それで人事面の混乱を招き、経営的にも命取りになってしまうことだってある。
 そういう意味で、経営者は「あなただけですよ今回の措置は」というような例はできるだけ作らないことが、後々、事業所全体としてのよい雇用関係が築けることにもつながってくるようにも思う。
 もし、やむを得ず特例をつくる場合でも、その人と個別、あるいは内緒のようなものにせずにできれば公表できるようなものにしておき、場合によってはその特例措置は同じような境遇の人が出てくれば 次の人にも使えるようなものにしておく必要がある。
 「あなただけですよ今回の措置は」というのは、詳細な事情を知らない他の人からは、「なぜあの人だけ許されるの」ということになってしまい、最終的には他のスタッフの勤労意欲をそぐことにもなりかねない。

 顧問先の経営者との会話の中で、「よくやってくれる〇〇さんには特別に手厚くしていたのに裏切られてしまった」と口にされる経営者を今まで何人も見てきた。
 従業員を思う熱い想いや優しい気持ちは経営者にとってなくてはならないものだとは思うし、自分自身も今までいろんなケースに遭遇してきたが、自分の事務所での出来事の方が、ある物事や特定の人からの要望があったとしてもそれほどのめり込まずに、逆に一歩引いて物事を見つめるようにしている部分がある。これは顧問先の方々がいろいろな面で苦労されてきた事例を数多く見てきた副産物ともいえるかもしれない。
 私自身、やむにやまれず特例措置を決める必要が出てきた場合に、家庭の事情等による期間限定の事項でなければ、いつまでも つまり5年後、10年後であってもその特例措置が続けられるかどうか自問するようにしている。たとえ自分の気持ちや感情に変化があったとしても。
 こういったことを頭の片隅においていろいろことを判断していくと、偏った考え方に陥らず、意外とスムーズのことが進んでいくことがある。
 ただ、私のことを「あなただけよ」ということをなかなか受け入れない経営者として見られ、思いやりに欠ける経営者と思われるかもしれないが、こういった気持ちを持って対処しないと自分自身の身が持たないというのが現実である。
 いろいろな取り決めをするとき、「一時の感情に流されず」、「臨時的な措置でなく長く続けられることかどうか」、「同じ境遇の他の人の場合でも適用できるか」 、こんな気持ちを持ちながら物事を決定することが、ある意味 労使間の一定の関係を長く持たせる秘訣かもしれない。

 一歩引いて物事を考える、ちょっと冷めた目で・・、こんなことこそ中小企業の経営者には重要なことのように思う。
 実はこんなことを言っている私にも一番難しいことなんだけどね。
posted by ヒロイ at 19:39| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年06月16日

No633:“超”建設ラッシュの京都のホテルは大丈夫?

 今日の京都新聞で「暮らしと京都観光」という特集記事のシリーズ1回目が載っていたが、内容は観光客が増加しすぎて市民生活に影響が出ているという話であった。
 具体的には市バスの混雑、観光地でのマナー違反等が掲げられているようだが、私はこういったこと以外にも日本人観光客の減少や過剰なまでのホテルの建設ラッシュが今後の京都に負の影響を及ぼさないかと懸念している。

 京都市内で生活(仕事も含む)をしている私は、市内を歩いていたり、車で走っていると、「ここもまたホテルか」というくらいあちこちで建築中のホテルが目に入る。
 特に交通の便のよい四条から京都駅の地下鉄沿線と、八条口を含む京都駅周辺はすさまじいばかりの建築ラッシュである。
 新聞記事によると京都駅北側の下京区だけでこの1年間にホテルの新規オープンは34件、それに簡易宿泊所(民泊含む)が142件と半端な数ではないし、ホテルの客室総数はこの2年間で3,000室の増加というとんでもない増え方となっています。
 京都駅の南ではJA(JRではないですよ)までもが260室のホテルを建築中で2020年オープンの予定である。
 四条通より北でも元々商業施設であった新風館跡地には190室、丸太町駅すぐ南の京都商工会議所跡地にも200室のホテルが建設されている。
 一体これから京都はどうなるのか? 観光客の増加は見込めても、ビジネスの街としての発展は見込めず、今後若い人にとっての職場は観光関連以外に残るのだろうかという不安も出てくる。
 観光客が増えるのは収入確保ということではメリットもあり、行政面でも財政安定化という道筋ができるのかもしれないが、(観光)ビジネスとして京都を狙っているのは企業だけでなく、京都市までもが金稼ぎに走っていることにどうも納得がいかないが、この1、2年で妙な動きが出てきているのも事実である。

 一つの例を挙げると、児童数減少により小学校が統廃合された結果、廃校となった小学校の跡地をホテルにするという何とも軽はずみな計画である。
 私が知っているだけでも 元立誠小学校(中京区)、元清水小学校(東山区)、元植柳小学校(下京区)と3例あるが、観光客を増やすことに血眼になっている京都市のことだから、まだまだこういったホテル候補の小学校があるのかもしれない。
 確かに廃校の跡地、しかも一等地とよばれる地域では利用方法が難しい問題となっているが、どこの国でもどこの町でも教育文化ゾーンとよばれる地域はビジネスとは一線を画す必要があるように思うし、ある意味 聖域であるように思うのだが。たとえそれがお金を生まないものであっても・・・。

 さあ みなさん、これから5年後、10年後 これらのホテルがどうなっているのかじっくり観察してみましょう。
 決して失敗を望んであるわけではありませんので誤解のないようにしてもらいたいのですが、昨今の異常なまでともいえる人手不足の状況下において、増えすぎるホテルで働く人の確保は可能なのだろうかという疑問も私に中では消えない。
 最悪の場合、客室は足りてもスタッフの不足しているホテルだらけになって、「京都のホテル最悪。だって、ホテルのスタッフ いなんだもん」なんて言われることのないように・・・。
 最近は求人広告を見ていてもホテルのベッドメイキングのパートが時給1,100〜1,200円で出ているという異常なまでの賃金の上昇。こういった影響は京都の一般企業や私共の顧問先に医療機関にも及んできており、人手不足や求人・募集への反響の少なさで悩んでいる経営者も多いように思う。

 さあ、これから京都のこれらの“供給過剰”のホテルはどうなっていくのか、一歩引いて冷めた目で見ているとなかなかおもしろく、スリリングな展開も予測される。
 どうして日本人って、いや人間って、いいと思うとまっしぐらで歯止めがかからないんでしょうね。

 「京都のホテル 半額」、「京都のホテル 食事無料」 、「京都駅からのタクシー代はホテルの負担でOK」 というような広告が出るのかも? なんて馬鹿げたことを考えながら今後をホテル建設ラッシュを見守っていくことにしましょう。
posted by ヒロイ at 21:18| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年06月09日

No632:散髪屋さんから学ぶ商売上のちょっとした工夫

 大げさなタイトルになってしまっているが、実は今回は私が定期的に通っている理容室(散髪屋さん)のちょっとした工夫について述べることにする。
 人間生きている限り、年齢、性別、髪の毛の量に関わらず、家族の誰かにカットしてもらっている人以外は、美容院か理容室に通っていると思うが、これって誰しも行きつけの所があってそうそうお店を変える人はあまりないと思う。
 私も京都へ出て来て40年近くになるが、その間 通った散髪屋は3件だけである。
 1件目は大学時代の下宿のすぐ近くにあった所で、4年間この1件に通い続け、陸上部に所属していたこともあり、あまり長いと邪魔になるので比較的短めのお決まりの髪型で4年間通した。
 そして、次は社会人になって一人暮らしを始めて、これまた住んでいたマンション(どちらか言うと2階建てだったのでハイツというのが正しいかも?)のすぐ近くにあった40代のおっちゃんが夫婦でされていた小さな散髪屋に通っていた。大学を出てから今日に至るまでずっと京都市内で過ごしているので、家族が増えて2、3度引っ越したものの50歳過ぎまで30年近く通っていた。
 自宅からはそれなりに距離があったが、今まで仕事をした3ヵ所の職場からは程よい距離であったことも長年通い続けた理由のひとつかもしれないが、このおっちゃんとの話が、私が結婚して子供ができ、その子供たちも少しずつ大きくなっていく過程での出来事や仕事の愚痴や悩み事を聞いてくれ、ここに行くとホッとするというのがここまで続いた一番大きな要因だったように思う。
 この散髪屋のおっちゃんが5年程前 病気で入院され、突然お店を閉められて途方に暮れていた時、お試しで勇気を出して飛び込んだのが事務所の3軒隣の今も通い続けている散髪屋さんである。

*ここまでの話は【No351(2014.1.26)「散髪屋のおっちゃんが倒れた」】にも掲載

 とてもとても前置きが長くなったが、実は今日 紹介するのは事務所の3軒隣にあるこの散髪屋さんの話である。
 40前後の姉弟の二人で経営されていて、私はもっぱら弟さんの方にしてもらっているがこの方がまた話題が豊富で、釣りや旅行の話、そしてご自身の2歳の子供さんの話、そして私が非常に関心を寄せるワンちゃんの話と、髪を切ってもらっている間 本当に話は尽きない。ただ、私もかなり眠い状態でお店に入った時は、私の「今日は寝るしな」の一言で、ほぼ最後まで話しかけもされずに黙々と髪の毛を切ったり、洗ったり、顔を剃ったりされている。
 私がここに通い続けている理由はこの話題豊富なこと以外にもいくつかある。
 完全予約なので飛び込みはないので、私も当然のことなが急な飛び込みはできない代わりに予約の時間に行くと待たされることも一切ない。これって店に待ちスペースの必要もなく、かなり狭い場所ではあるが椅子を3台並べて順次こなしていかれる。
 以前に一度だけ飛び込みでいった別の散髪屋さんは、最初に「こんな感じで」と私が簡単な説明をした後は、切り始めから最後まで、一切 髪の切り具合の確認はなく、「終わりました」の一言の後、預けていた眼鏡を渡され、かけてみると、「えっ、なにこれ? これはひどいわ」と思ったがそれも後の祭り、自信ありげな店主を前に何も言わずにお金を払って出ていった。もちろんそれ一回きりで、その後その散髪屋に行くことはなかった。
 それが今 通っている所は私が寝ていない限り、途中で1、2回 「いつもより短めってこんな感じでいいですか」とわざわざ眼鏡をかけさせて確認してくれるし、後ろから鏡を当てての確認もあり、安心しながら仕上がっていく。まあ、私の残り少ない髪なんかどうでもいいかもしれないが、一応自分なりのいい仕上がりはこの歳になっても期待している。
 あと、このお店はお昼の12時に予約を入れておいて、事務所から駆け込むと、「1時前には事務所に戻っていたい」という希望もなんなく叶えてくれるので忙しい時期には何ともありがたいお店である。
 また、金曜の夜は10時まで営業されていて、仕事が一段落した後の時間で予約がとれていると金曜日に散髪を済ますことができ、翌日の土曜日が有効に使えるが、実は最近、この金曜日の夜はほとんど予約がとれない状態である。
 あと、スタンプポイントでの500円割引や毎回、予約の電話代と言って10円もらえるのも何か得した気分になる。

 今日は私の散髪の歴史(ちょっと大げさか?)と店を変えずに通う理由について触れたが、街中の小さな散髪屋さんでも人気店になれる要素はいくらでもあるということである。
 その引き付けられる要素は人によって違うだろうが、「もう一度行ってみたい」と思わせるのが大切であり、どんな商売でもそこには頭を使ってこそ勝ち組になれるという現実があるということでる。
 こんな些細なことの中にいろいろなビジネスモデルやビジネスチャンスが潜んでいることになんだかワクワクしてしまう。

 最後にこの散髪屋さんで最近困ったことが起こっている。それは予約がなかなか取りづらくなってきていることである。だた、何でも流行っているとこに行っている自分がうれしくなるという好循環を客に対して放っているように思うし、それがまた勝ち組になれる重要なことのように思う。
これは散髪屋さんだけでなく、レストラン、ホテル、スーパーも、工務店や設計士も、そして開業医や弁護士も。ひょっとして税理士も? 同じことが言えるような気もする。

 いろいろ考えると自分自身にもはね返りがあり、しんどくなりそうなので今日はこのへんで・・・。
posted by ヒロイ at 22:57| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年06月02日

No631:羨ましい休暇の過ごし方

 顧問先の会社経営者やクリニックの院長の方々との面談時には事業の現況や今後の展開等 事業運営についての話をするのが基本であるが、事業以外の話をすることもその経営者の考え方を知るうえで重要なことである。
 親や子供 そして夫婦など家族のこと、ご自身の将来、もろにお金の話、今の悩み事、そして仕事以外の自由時間の使い方・余暇の過ごし方 などいろいろな話を聞く機会があるが、その方の将来の目標や大げさに言うと人生の到達点に向かって、私共が何らかのお力添えができないものかと考えながら接していくことは、この仕事をしていて必要不可欠なことのように思う。
 そんな中で今日は堅い話ではなく、どんな休日を過ごされているのかを聞いたことを基に私なりに考えたことをまとめてみることにする。

 今回の大型連休の過ごし方で一番羨ましかったのは 9連休にされ、一人で四国一周 自転車の旅をされたとあるクリニックの院長の話である。
 この間 宿泊先だけ決めておいて、がんばれるところは自転車をこぎ、無理な部分は 自転車を折りたたんでJR四国の在来線や路線バスで繋ぎ四国4県を制覇された。
 交通の便が悪く、次の電車やバスまで1時間以上の待ち時間の所もあったようだが、そんな時間は待合でスマホの映画を見ていて全く苦にならなかったそうで、日頃はかなりの患者数で夜診の終了も10時をまわることも度々ある超多忙な先生の日頃の姿とは全く違った休日を過ごされた自転車の旅の話を聞き 少々驚いたりもした。ただ、今回の自転車の旅がどれほど満足のいくものだったかはこの時に口にされた、「今後も毎年 どこかで長期休暇をつくって今回のような旅がしたい。いや、絶対するぞ。」という言葉から今回の旅の充実度がうかがい知れた。 その時、横にいらっしゃった奥様は、「連休中 ずっといなくて本当に楽でした。」と これからもどうぞと言わんばかりにおっしゃったので、前にすわっていた私もどんな反応をしたらいいか少し戸惑ったが、夫婦ともども満足のいく連休だったようである。

 前述の先生以外にも、それほど混み合わずゆっくり観れる京セラドームのオリックス戦年間シートを購入され、ご夫婦で(時には他の人やお一人で)フリードリンク・食事付の席での観戦に行かれる、そんな非日常を楽しむという余暇の過ごし方をされている方もある。私も1、2度 誘われているがなかなか日程が合わず、ご一緒に観戦することはまだ実現していない。

 先週は大の犬好きの先生とその奥様から、北区の山の中でのドッグランに我が家の愛犬ぽぽたんも誘われ いっしょに行ってきた。
 特に何か催物があるわけでもなく、ただ 10匹近い犬と戯れたり、遊ばせ、人間の方は暑くて疲れると日陰に入ってお茶を飲みながら話をする そんな集まりであったが、この時間が何とも楽しく、時間の経つのを忘れてしまうようなひとときであった。
 また、ここがゴルフ場のさらに奥で家も建てられないような地域であったので、時折通る軽トラ以外には物音ひとつしなかったこともなおさら心を休ませてくれる空間であったのかもしれない。

 休日の過ごし方をいくつか掲げたが、今回紹介した経営者や院長は仕事はもちろんのこと、それ以外の時間の使い方や楽しみ方を十分に心得ている人であり、こういった方こそいい仕事をされるんだろうなと 目の前のよき見本をみて考えさせられた。
 休日だからと言って何かをする必要があるわけでもなく、何もせず時間を気にせずボーっと一日過ごすのも決して無意味ではなく、これはこれで意味があるなとも思う。

 周りにいるいろいろな人の休日の過ごし方、時間の使い方を参考にしたり、教えてもらいながら、休みの過ごし方が下手な自分を少しでも変えていけたらなとも思っている。
 休暇っていうのはとる前も楽しみで、中には1カ月以上も前から楽しみなこともあるし、休暇の後も体は結構疲れていても 決して休もうとは思わない充実感が残るのでやはり休暇こそ人生を豊かにするものだなと、周りの人たちをみてあらためて思った。

 ただ、時間があれば 今自分が一番したいこと、それがたくさんあり過ぎて困っている私です。
posted by ヒロイ at 19:39| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月26日

No630:「国が副業を推進」・・受け入れられないのは私が古い人間だから?

 “副業”という言葉はかなり前から使われているが、可能な限り本業に打ち込むべきと教えられてきた我々の世代にとっては、“副業”というのは何かマイナスのイメージが先行し、なかなかすんなりとは受け入れられにくいというのが本音であるが、こんな考え方はもはや時代遅れのようである。

「政府は副業・兼業を推進するための環境整備を積極化させる」
「副業推進へ政策総動員」
「首相は副業・兼業の推進は世論に好意的に受け止められるとみる」

 最近の日経新聞の記事の抜粋であるが、ここまで国が後押しする背景には何があるのかと考えてしまう。
 また 記事の中では、「少子化の影響で今後 生産年齢人口が年々減少し、多くの企業が人手不足に陥るといわれているなか、こういった副業・兼業の推進は働き方の多様化に並行して、企業側に人材の有効活用を促す狙いがある。」なんて書かれているが、ここまでくるとこれまでの人口政策の過ちの責任を取らずに、こんな形にして国民、そして働く人たちの生き方にまで入り込んできて、挙句の果てには“推進”なんていう耳触りのいい言葉を使って指図しようとしているとしか思えない。

 現在、我が事務所では私が知る限りでは兼業している人はいないようだが、以前、個人の経済的な事情で事務所が休みの土日に他の仕事もしたいと申し出があり、「事務所の仕事に影響を及ぼさないのであれば」という条件のもと許可したことがあるが、1ヶ月もしないうちに体が続かないという理由でその方は退職された。
 中小企業、そして 同じような地域で働くことは、他にも“守秘義務の堅持”という点においても不安の残るところである。
 現在 働き方改革の旗印のもと、仕事以外に趣味や娯楽はもとより、将来役立つように自己研さんにも時間を有効的に使おうと言われているが、前述の副業の話は、政府が言っているようなきれいごとだけではなく、「掛け持ちすることでより生活が安定しますよ」とより働くことを推進しているようにもとれてしまうが、国は「新たな可能性を求める人たちがその道に進んでいくことができるようにするものだ」ととことんきれいごとを並べ、国民の収入が伸びていないといわれている中で、「一ヶ所だけではきついでしょ」というマイナスイメージとなるようなことは絶対に言わない。
 このことって企業や経営者側にも 「うちの給与だけで食べていけなかったら、少し他で補って」というような甘えが生じ、古い経営者が 持っていた「従業員の生活が安定するよう会社の業績も堅く、確実なものにしないといけない」というような考え方はもはや必要でなくなってくるのかもしれないし、今日まで経営者である誰しもが持っていた重い責任も少し横に置いておくことが許される そんな土壌を知らず知らずのうちに作り上げていってしまっているような気もしないわけではない。

 私自身、最近いろいろなところから「その考え少し古いですよ」と言われることがあり、なかなか本音を言うことが怖くなってきている自分に気づくことがあるが、今日は批判を浴びてもいいので本音を述べさせてもらった。
 「副業することってそんなに前向きな生き方、働き方なん?」
 今の時代から、段々と取り残されそうな中年オヤジの遠吠えに聞こえるかもしれないが、少しは同調してくれる人もいるでしょう。

 こんな好き勝手なことを言っているうちに暑かった休日も終わろうとしている。
 明日は少しはましな気温になるのを願って明日に備えます。
 では今日はこのへんで・・・。
posted by ヒロイ at 19:41| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月19日

No629:理想とする親子の事業承継の形

 “事業承継”という言葉は多くの方が今まで何度か耳にされたことはあると思うが、この中身について掘り下げて考えたことのある人は、引き継がれる側と引き継ぐ側の当事者以外ではごく限られた方かと思う。
 私自身も親から引き継いだ事業ではないので、当事者としてこの“事業承継”の手順やその大変さが分かっているかというと、分かっていない部分が多いとしか言いようがない。
 ただ、日々 中小企業の経営者や個人開業医の院長と接していると、この問題は避けて通れない 重要、かつ、切実な問題であるというのも十分に認識している。
 子供が違う道へ進んだために早い段階から親子承継はないという経営者や院長はある意味、心の中で割り切りができていて、「うちは私の代で終わり」と言い切られる方もいらっしゃるが、多くの方が「何とか引き継いでもらえないか」と思っておられるのも現実であろう。

 ある企業の経営者は自分一代で世間からもしっかりと評価される会社を作り上げられたが、子供(30〜40歳代)を見ているといつになっても自分の子供に対しては「まだまだ」という評価しか下されず、そのうち子供の方もいっしょにやっていくより外でやる方が気分的に楽 という判断のもと、親とは違った形で歩む人(子)も少なくない。
 そんな中で傍から見ていてうまくいっているなと思えるケースが出てきているのでここで少しだけ紹介することにする。

 ある医療法人(一人医師)を運営されているが理事長(父)が、資格のある実の娘さんだけでなく、そのご主人と若い夫婦二人で協力しながら運営する分院を立ち上げられ(立ち上げさせて)、診療科目こそ本院とは違うが、現在とてもスムーズな形で運営されているところがある。
 ここは娘さんのご主人を院長(A先生)とし、実の娘さんは副院長(B先生)として補佐する形をとっておられ、実質的な医院の運営はA先生がなされている。
 また、医療法人から二人に対する報酬(給与)は、理事長が「まだ、儲かるかどうかも分からない者にむやみやたらの報酬を出すわけにはいかない。」という方針のもと、非常に抑えた報酬の額となっている。私から見ても実の娘夫婦が経営に参画し、将来の後継者になられるのであればもう少し出してあげてもいいのではと思っているが、理事長は、「人並みに支給するのはまだまだ。」となかなか手厳しい。
 ただ、こういった理事長(親)の考えにA先生とB先生は反発するわけではなく、しっかり患者を増やし、経営的にも安定させて、「もう少し、報酬を上げてやってもいい」と言われるようになりたいという思いが強く、そのためのには苦労をいとわないというか、しっかりとした診療をされており、その結果、患者の評判もよく、来院患者の数は増加の一途である。
 この事例でうまくいっている要因は、よくある 甘すぎる親 でもなく、また、一方的にいろいろなことを押しつけるような厳しすぎる親 でもなく、「給料上げて欲しいのなら自分たちが頑張るしかないやろ」という子供側に責任を持たせるやり方をされている点、そして、子側も今まで何度か耳にしたことがある、「今の医療はお父さんの時代とは違うんであんまり口出しせんといてな」というような、若い世代の考え方を親に押しつけることもなく、まずは医療界で十分な実績を積んできた親に追いつこうという姿勢を持たれている点、そんなところであろうかと思う。
 親(理事長)は娘夫婦に、「開業時に時期尚早と購入を見送った医療機器をそろそろ買ったら」おっしゃったが、このA院長は、「まだまだ早すぎます」と断られたと聞いて、A院長の男の意地のようなものを感じ、私は、「A院長とB副院長なかなかやるな、もう さほど心配ない」と思ったのも事実である。
 
 今回の事例のポイントは、まず親側が厳しすぎたり、甘すぎたりせず、また子の方も親の懐ををあてにし、お金は頼めば出てくると思い込むような姿勢でない という点であろう。
 ここで取り上げた親子承継はまだまだ日も浅いので、今後どうなるか分からない部分もあるが、私にとって非常に注目し、かつ、楽しみな事例である。
 「親を追い抜こう」とする子側の気概と、「いつまでもと思わず、どこかでバトンを渡そう」と思う親側の一歩引いた姿勢、この2つがうまくかみ合ってこそ親子承継がスムーズいくように思う。

 今日は長い話になってすみません。
 それにしても完成形は本当に少ないですよ、この親子承継って。
posted by ヒロイ at 19:14| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする