2018年01月07日

No558:田舎のこと どこまでわかっているのか?

 “地方移住”とか”Uターン、Jターン、Iターン”など地方での生活がいろいろなメディアに取り上げられている。
 私が田舎育ちなので、東京都心の再開発と上記のような地方をとりあげた記事が新聞に並んでいると、まずは地方や田舎の記事に目がいってしまう。
 そんな中で地方の実態を十分に把握していない都会人が綴るマスコミの記事にはいささかムカッとくる内容のものが度々あり、年末 12月28日号の週刊新潮の記事はあまりにもひどすぎる。
 いくらデータに基づいているとはいえ、青森県民をバカにしているようなこの内容には、青森の人もっと怒れ と逆に応援したくなるようなものであった。
 この号の見出しだけでも少し掲げてみるが
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◆平均寿命最短で堂々V9! 病に倒れる生き方の見本‼ 「青森県民はなぜ早死にするのか」
 ・早朝から行列。超濃厚スープが青森流「朝ラーメン屋」
 ・「野菜は食べてる」けど中身は漬物
 ・「漁師」は365日カップ麺
 ・豪雪だから「外出しない」、「運動しない」、「病院に行かない」
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 なんというひどい記事。まるですべての青森県民がこんな生活を送っていると思わせるような見出しである。
 私も雪国育ちであるが、気候のよい時は農業従事者だけでなく、一般の人でも野菜づくりに精を出しているし、冬は冬で 雪かきという重労働が待ち受けている。
 食卓には季節の野菜が並ぶし、海が近ければ海のものも毎日の食卓に上がってくる。都会に住む人よりもずっと健康的な暮らしぶりのはずである。現地で生活もしたことのないような人がなんてひどいことを言うんだ。

 ただ 生活をする上で、地方の都市部(県庁所在地や人口10万人以上の市)でなく、本当の過疎地ではいろいろな問題が起こってきているのも事実である。
 これも新聞記事の受け売りだが、ここ数年ガソリンスタンドのない地域が急増しているとのこと。京都府でも井手町と南山城村には1軒ずつしかないらしい。
 これでは車を持っていても気軽に給油ができないし、冬場だと暖房には欠かせない灯油の供給さえもままならないという何とも不便な生活実態がそこにはある。
 「地方移住を推進する」とか、「田舎暮らしで本当の自分を見つけ出そう」なんていう気のきいたキャッチフレーズだけに引き寄せられるのではなく、地方での生活のデメリットもしっかり理解したうえで地方移住を考えることが必要であろうし、行政側もまるでいいことずくめのようなことだけを並べてみても、ある意味長続きしないように思う。

 私も都会(京都市)に出て37、8年になり、田舎の暮らしが分からない一人になってしまっているかもしれないが、仕事で京都府、滋賀県、奈良県で我が故郷と同じような暮らしぶりをされている地域に30件以上顧問先があるのも何かの縁かもしれない。
 都会は都会なりに、田舎は田舎なりに、事業を運営していけるよう 地域密着型の税理士を目指してこの一年 新たな気持ちでいろいろなことに取り組んでいきたいと思っている。

 では、明日 もう一日充電をして9日からがんばります。
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2018年01月01日

No557:謹賀新年

 新たな年を迎え みなさまはどんなお正月をお過ごしでしょうか。
 今回も事務所の年賀状で新年のスタートを切らせていただきます。

 以下、事務所の年賀状より

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 謹賀新年
 皆様方におかれましてはこの一年が希望に満ちあふれることを願って、新たな年をお迎えになられていることと思います。
 目まぐるしく進歩する現代社会の中で、今後成長する分野と衰退する分野が比較されながら取りあげられておりますが、税理士という職業も今後なくなる、あるいは、先細りする職業のひとつとしてあがっています。
 しかし、それは人間の判断や個人の思いが反映されない業務に限ってのことであり、高い精度で、高度な分析力と提案力を身につければ、我々が皆様方に対して提供できるものや皆様方から求められるものはまだまだたくさん残っていると考えています。
 今後もひとりでも多くの方々の悩みに耳を傾け、そばで寄り添うような存在になれればと思っております。  こんな風に思われるように・・・。

『良い時も、悪い時も同じ態度で接してくれた人だけ信じられるんだ、そういう人と一生付き合って行きたい。』
(25歳の時、ドラフト3位で弱小球団 ロッテに入団し、その後、プロ野球史上唯一となる3度の三冠王を獲得した落合博満 元中日監督)

 我が事務所のメンバーもこの一年間、更なるレベルアップを目指して皆様方とともに歩んでいきたいと思っておりますので何卒よろしくお願いいたします。

  平成30年元旦 
   廣井増生税理士事務所
    所長  廣井増生
〒602-0941  京都市上京区今出川通小川東入南兼康町334
URL:http://www.tax-hiroi.com  Tel:075-406-7020 Fax:075-406-7025
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2017年12月24日

No556:目標達成のコツは無理な目標を立てないこと

 年末が近づいてくると、慌ただしい中にも「今年はどんな年だったかな? 来年はこんな年にしたいな・・。」と一年を振り返ったり、次なる年の思いをめぐらしたりするものである。
ただ、この時期は多くに人がカレンダーや時計とにらめっこしながら最後の追い込みや後片付けに追われ、まさに “今年もあと〇日”という中で年末を過ごしているというのが実情であろう。
 
 若い頃、特に学生だった頃は、クラブ活動でこの冬みっちりトレーニングを積んで来年はインターハイに行くぞ!とか、来年は受験のために苦手科目を克服し、何としても希望校に入るぞ! なんていう 明確な目標設定ができていたが、これは進級して学年が上がったり、進学して学校が変わったりするという目の前に大きな変化があったので自然とメリハリの利いた生活を送ることができたのであろう。
 しかし、社会人になってからは、「こんな仕事をするぞ」とは言っても、学生の時のように進級や進学するわけでもないので何気なく(問題なく)一年が過ぎ、そして、また次の一年と、特に何か実績を残すでもなく、ただ単に時間が過ぎて行った時期もあった。
 大学を出てから、30年以上同じ業界に身を置き、同じ仕事をしているが、ちょうど10年前に開業してからは、「こんな風な事務所にしたい」ということで、毎年 目標“らしき”ものを立てるようになった。 ただ、人様にいえるような大した目標ではなく、日常生活の中で少しだけ気をつけながら日々を過ごそう というような簡単なものである。
 経営者の一人としては、「今年はやるぞ!」というような目標を立てないといけないのかもしれないが、気合を入れた目標ほど達成できたためしがないことは、誰しもがわかっていることではなかろうか。
 今になって振り返ってみれば、タイムを伸ばすために 毎日 腹筋を100回するとか、立っている時はつま先立ちを なんていうことも考えてはみたものの 1週間もすれば、もう頭の中から忘れ去られているし、問題集を必ず1日1問解くなんというのは、ひどいときは初日から、「明日からは絶対にがんばるし、明日 2日分すればいいんだ。」と思って、それ以降一切せず、最初の一歩を踏み出さなかったことすらある。

 年末なので、来年の目標らしきものは必要なんだろうけど、ここ数年していることといえば、世の中に後れをとらないために家でとっている新聞2紙に必ず目を通すことくらいか。 あとは、この歳になると、「暴飲暴食をしない」ということも大事な目標なのかもしれない。
 ただ、この1年でお酒を飲まなかった日は、たぶん1日か2日しかなかったと思うので、この目標は実は自分には結構厳しいものがあるが、何をするにも健康第一なので、少しは胃や肝臓を休ませることが大切あることは自分が一番よく分かっている。
 まあ、無理のない目標で、気持ちよく過ごす、これこそ50代半ばの男にとって一番求められることのようにも思う。

 あと1週間もすれば、新年を迎えることになるが、やり残しのないよう最後の点検をしながら今年を締めくくりたいものである。
 それにしても年の瀬って、本当に慌ただしいな・・。
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2017年12月17日

No555:我が家で初めて飼ったワンちゃん

 我が家では子供が小さい頃、動物を飼いたいとせがまれたこともあったが、なんせカミさんは3人の子育てに追われていたことや5人家族で空間的にもかなり無理もあったことから実現せずに今日に至っていた。
 また、私も3、4歳の頃、家に猫がいたのを記憶している程度でそれ以来、家で生き物を飼うということは50年近く一度もなかった。
 それが10日程前、カミさんと娘から『犬飼うことにしたし、ええやろ。』と、何の前触れもなく、有無を言わさないくらい真顔で言われたものだから、考える余裕もなく 『うん。』ととっさで返事をした。
 カミさんが近くのショッピングセンターで買い物をした後、ペットショップに寄っているうちに1匹のワンちゃんが毎日のように人なつっこく くっついてきて、もう我慢ができなくなって連れて帰りたくなったようである。子育ても一段落つき、何年ぶりかで自分になついてくれる生き物がうれしくて仕方なかったのかなと私は一人でそんな風に考えていた。
 私も動物に慣れている方ではなかったので、戸惑いはあったが仕事が終わって家に帰ってきってワンちゃんがいると、体は疲れているのになぜかホッとするなんとも不思議な気持ちになる。

 大の生き物好きの長男も東京の友人宅で度々犬と遊んでいるとのことで、さっそく仕事休みの土日を利用してわざわざ東京から帰ってきた。
 長男にいたっては、先日 『正月は京都には帰らんとこっちにおるし。』と言っていたのに・・・。
 そういう意味で、1匹の犬とはいえ長男を1年ぶりに我が家に呼び寄せた なかなかの者で我が家の雰囲気を一変させてくれた。
 まだ我が家にやってきて数日のことなので本性は発揮していないかもしれないが、私自身も仕事と時間と追われる日々の中で動物の相手をするという 全く違う世界にわずかの時間でも身を置くことができ、気持ちを和ませてもらっている。
 
 私の周りにも家で動物(ペット)を飼っている人は何人もいるが、私も50半ばにして初めてそういう人たちの仲間入りをしたというところである。
 我が家はやってきたメスのビジョンフリーゼ(名前は”ポポタン”)との生活は、今後、どんな展開になっていくのかわからないが、今までと少し違う世界に入っていっているようで楽しい日がしばらく続きそうである。

 今日は今までと全く違う種類の話でした。
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2017年12月10日

No554:相撲界の暴行事件から学んだこと

 今回の相撲界の傷害事件は何かしら釈然としないものがある。
 拳を挙げた日馬富士は誰が何を言おうと弁明の余地はないことは当然であるが、その周りにいた力士たちにここまでのことになるまでになぜ止めることができなかったのか?
 また、例の貴乃花親方の態度も一定の責任を負う立場の者として適切な対応とは言えないように思う。
 そして、マスコミのこの騒ぎよう。いつもこういった事件が起こると、誰が一番悪いのかを長々と議論する。私も含め、多少なりとも国民が関心を示し、それで番組編成上も場が持つから、マスコミ連中は各局揃って最新ニュースを競い合う。
 いつものことではあるが、騒いでいるときはまだそれほどでもないが、私なんかことが終わると何でこんなことに関心を寄せて、時間を割いていたのだろうと虚しさだけが残ってしまう。

 そんな中で私は今回の一件で一つ大きなものを得たというか、気付かされたことがある。
 それは、今回は“被害者”なのでみんなからかばってもらっている貴ノ岩であるが、当の貴ノ岩がその事件が起こった直前にとった行動そのもの、もう少し具体的にいうと、大事な話の最中にスマホ(携帯電話)をいじっていたという、このことこそよくありがちだが、時と場合によっては問題になるという点である。
 どのマスコミもこの行動についてはサラッとしか触れていないが、このことって今回の問題の発端といってもおかしくないくらい、実は大きなポイントであったように思う。
 私は今回の事件でこの態度が一番頭に残り、自分でもドキッとしたというのが本当のところである。
 つまり、私も大事な電話を待っていたときなんかは、目の前で話をしている人を差し置いてスマホ(携帯)をとったことが何度もある。一応、『すみません、待っていた電話なので・・。』と断りは入れてからとるが。
 まさに今回の事件、私にとっては”人の振り見て我が振り直せ”ということであり、私の場合には目の前の相手は今回の日馬富士のように怒りをあらわにされたことはないが、決していい気がしないものであるのは、自分が逆の立場の時のことを思い起こせばすぐさま理解できる。
 今回の事件の後、どこかのテレビ局が、【電話をとる時の最低限のマナー】とか、【これだけは守りたい、社会人として】 なんていう特集でも組んでくれようものなら、世の中もう少しいい方向に向かうのだろうが、今回は事件究明として何で何発殴ったか そんなことばかりでうんざりである。

 うだうだと長い期間この報道は続いているが、私は社会のマナーやルールを学び直すうえで本当に役に立った事件となってしまった。 皮肉なことであるが・・・。
posted by ヒロイ at 18:56| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月03日

No553:師走になって思うこと

 気がつけばもう12月に突入していた。
 確かに今年も残すところあと1ヶ月足らずであるにもかかわらず、やり残していることはまだまだある。
 こんな状態は今年だけのことではないので、決して焦ったり、慌てたりしているわけではないが、あと何日とタイムリミットが決まってくると、今まで動きの悪かった身体や脳ミソが自然と活発に活動するから何とも不思議なものである。
 地下鉄までの歩きや階段を駆け上る速さも、気候がよく何かしら心に余裕のある秋口とは明らかにスピードが違っている。
 事務所内でもコピー機のところまで数メートルの距離を移動する時間さえ、早くということを意識して動いているような気がする。

 こんな中で絶対に気をつけないといけないは車の運転であろう。こればかりは落ち着いてしないと大変なことになってしまうがこんな時こそ慌てない私なりの法則がある。
 法則なんて言ってしまうと大げさであるが、そんなことはいたって簡単で出発時間を少しだけ早めれば、それだけで安全運転ができるので、忙しくなればなるほどこのことだけは実行している。
 私自身、自他とも認めるせっかちであるが、時間に遅れれば遅れるほど、いろいろな意味でリスクは高くなっていくように思う。
 ここでも何度か述べた記憶があるが、人と会うとき たとえ1分でも遅れると、最初の一言が、「すみません、遅くなってしまって・・」で始めないといけないし、もし、重要な商談をするような場面であれば、劣勢からのスタートとなるので遅刻だけは絶対避けたいところである。

 話がいきなり違う方に飛んでしまうが(飛ばしてしまうが)、こういった年末の慌ただしい時にあちこちで目にするライトアップは心を和ませてくれる。
 車で走っていると田舎に点在する家がまるで競うかのようにイルミネーション合戦を繰り広げている地域もあり、ヨーロッパの魔法の家のようにチカチカとライトを輝かせていたりするところもある。
 また、ショッピングセンターの上から下へ流れるように光が走っているのも冬の夜ならでは華やかさである。
 仕事帰りには北山通のノートルダム小のところを通るが、まるで私の帰りを待っていてくれるかのように遅くまでクリスマスのイルミネーションが光を放っていてくれる。

 たわいもない話かもしれないが、忙しい時ほど自分がほっとする何かを見つけることは大切なことであり、こういう力も借りながら、なんとかして年末を乗り超えようとしているのかもしれない。

 賞与の支給、年賀状、年末調整、そして 今年中にめどを立てたいいくつかの重要な仕事、これらをきちんとやり終えて、最終日である12月28日の事務所の忘年会を迎えたいものである。

 今年の忘年会は中華料理を予定しているが、待ち遠しい、待ち遠しい 12月28日である。
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2017年11月26日

No552:時代が変わると言葉も変わる

 我々が若い頃(幼少期〜20代くらいまで?)ほとんど使わなかった言葉であるが、私が最近よく耳にする言葉がいくつかある。
 「きもい」、「うざい」、「KY」なんかは、10年以上も前から若い世代の人たちが日常的に使うようになった言葉であるが、正式な場、例えば報道番組のキャスターが使うことはほとんどない。これらは、我々の世代が30〜40年前に使っていて今や死語となってしまった「ナウい」のようなものであまり気にならないが、最近、「全然・・・・・」という表現があちこちに横行していて、おじさんには気になって仕方がない。
 「全然大丈夫」、「この料理 全然おいしいです」、「全然 間に合います」、「全然いいですよ」等々 例を挙げだしたらきりがないが、それくらい日常的に【全然+(肯定的な言葉)】として使われている。
 私の記憶では、国語的には「全然・・・でない」というふうに非定的な場合にしか使ったことがなかったので違和感を感じてしまうが、今やちょっと硬めのテレビ番組(ニュース等の報道番組は除く)でも平然と使われている。
 気になったので調べてみると、国語的には私の思っている否定的表現だけでなく、肯定的表現に用いても間違いではないとのことなので、私の頭をもう少し柔らかくし、違和感なく聞き入れられるようにしないといけないのかもしれない。

 もう一つ、今の若い人たちがよく使う言葉として「ほぼほぼ」という言葉も、たぶん我々の世代の人は使い慣れていないのではなかろうか・
 「ほぼほぼ間違いありません」、「ほぼほぼ出来上がっています」とこの言葉も今や日常語になっているし、特にこの言葉を否定するつもりはないが、私がいまだに結論を出せていないのが、「ほぼ」と「ほぼほぼ」のどちらが終着点に近いのかという点である。
 使われている場面に出くわすと、なんとなく「ほぼ」より「ほぼほぼ」の方がより近くまで迫ってきているというような意味合いに感じるのだが、本当のところ使っている人の意識はどうなんだろう。
 これら例に挙げた二つの言葉は、ここまで日常的に使われていると私自身も段々気にならなくなってきているが、もう50年以上も生きてきた私は慣れていないこともあって、今まで口にしたことはほとんどないように思う。

 こんなことを言っていること自体がおじさんの極みなのかもしれないが、もう一つ ついでに言わせてもらうと(これは言葉づかいのことではないが)、電車などの人込みで若い男性からシャンプーか香水のいい匂いがすることはとてもさわやかではあるが、我々の世代では考えられにくいことであった。
 学生の頃、若い女性のこういった香りにクラクラしたもんだが、 もうこんなことを言っていること自体 世の終わりなのかもしれない。ごめんなさい、品がなさ過ぎて・・・。

 まあ、結論的には世の中の変化についていくことで精いっぱいであるが、古い頭を少しだけでも今の時代にマッチするように切り替えていかないといけないということであろう。 世の中から取り残されないためにも。
posted by ヒロイ at 11:21| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月19日

No551:相続の仕事から考えた ”人の死”

 顧問先関連の方、それに個人的な知人からの紹介を含め 今年も何件かの相続税の申告業務の依頼があった。
 ご存知のように相続税の申告期限は相続開始日(死亡日)から10ヶ月以内となっているので、今年の春以降に亡くなられた方の申告は年をまたいで来年以降になる方も何人かいらっしゃる。
 相続の仕事をする上では、有利な形での分割方法や相続税額を少しでも抑えた申告を導き出すことが重要な仕事であるが、それ以外にも次の世代の資産の分配や残された相続人の今後の生活についても十二分に配慮したうえで結論を出すことも求められている。
 このように相続の仕事の依頼があると、ついつい相続税額や遺産の分割の方へ関心がいってしまうが、今回は相続の仕事を通して”死”そのものについて考えてみることにする。

 この世に 生を受けることと人生の終焉は自分では選択できないと言われているが、その中でも”死”というものについてしっかり準備ができたり、覚悟ができている人はほとんどいないように思う。
 今年 相続の仕事で依頼のあった分だけでも様々な死がある。
 40代のご主人が単身赴任先で脳梗塞により突然亡くなられたケース、日常生活には困らない程度(軽度)とはいえ少し障害のある40代のお子さんを一人残されて亡くなられた男性(奥様は既に他界)、80代後半から90代にかけての年齢で一応 平均寿命を超えられた上で亡くなられた方などいろいろな形の”死”というものに触れる機会があった。
 今までの私の人生においても、小学校の4年生の時、同級生の女の子が白血病で亡くなったり、友人の兄弟があの御巣鷹山で墜落した日航ジャンボ機に搭乗していたケースなど 今 あらためて考えただけでも胸が張り裂けそうな死は結構周りにも存在している。
 こうして考えてみると、人間は思った年齢で希望通りの死に方ができるかというと、そんなことはほとんどないということが分かる。
 認知症の人には失礼な言い方かもしれないが、認知症も重度になってくると、人間の死というものさえ理解できないようになってくる。
 自分自身の”死”がどんな形で訪れてくるのか考えると少し怖い気もするが、これこそ誰しもが避けて通れない道であることは百も承知している。
 一定の年齢以上になってくると 死への準備はしないといけないのであろうが、それよりも毎日、必死になって生きていくことの方が大事であろうし、こうして脇目も振らずに過ごすことは、死と真剣に向き合うことを避けたいという本能から起きている行動なのかもしれない。


 なんだか、話があちこちに飛んでまとまらなくなってしまったが、相続の仕事をする上で、その亡くなられた人が突然の死であっても、長年 床に伏しておられた結果の老衰に近いような死であったとしても、その亡くなられた方の想いを少しだけでも汲みながら相続の仕事を進めていきたいし、そうすることが亡くなられた方(被相続人)にとっても、残された相続人にとっても無念さが和らげられるのではないかなと思う。
 
 「頼られる税理士」。まだまだ奥の深い言葉であることにあらためて気付かされた1年でもあった。
posted by ヒロイ at 20:44| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月12日

No550:勘がいい というのはまさに”人間力”そのもの

 当事務所の顧問先の中で多くを占める中小企業の経営者や開業医の方々は、事業を立ち上げて まず目指すべきところは、事業を軌道に乗せるということであろう。
 我々も事業を立ち上げられてから3年くらいまでの顧問先の方々に対しては毎月の税務・経営指導の他に、いかに儲けるか、また いかに従業員がやりがいを見い出しながら事業に貢献してくれる形を創りあげるのかということのアドバイスをするように心がけている。
 ただ、経営が安定し、一定の段階までくると どの経営者も次なる目標に向かって事業活動(医院経営も含む)を考えていかなければならないが、この第二段、かっこよく言うと”セカンドステージ”というものこそ一人ひとり違いが出てくるものでる。
 どういうことか いくつかのセカンドステージに対する思いを掲げてみると、 
 
〇もっともっとお金儲けをして、一日も早く借金を返し、その後とことんお金を貯めたい人
〇設備を充実させたり、事業所をもっといい場所に移して、さらに集客力を高めていきたい人
〇自分自身の資金に一定のメドがたてば、いっしょに頑張ってきた従業員に還元したい人
〇車をはじめとし、自分がどうしても手に入れたかった念願の物を購入したり、やりたかった趣味にお金をかける人
〇子供や奥さんのためにひたすらお金をつぎ込む人(必要に迫られて)

 等々、経営者が共通の目標を持つ起業時とは違って、いわゆる”セカンドステージ”こそ、別の観点からみると税理士の腕の見せどころでもある。
 この時に一番気をつけないといけないのは、自分の担当先が先述のどのパターンの人かを見極めることが大事であることは言うまでもない。そのためには こちらにいかに腹を割って話をしてくれるかどうかということがポイントになるのだが、そのためには本当に話したい人間なのかどうかによると思う。
 いくら、「なんでも相談してくださいよ」と言ってみても、こいつならきっと力になってくれると思わない限り何でも話そうという気にはならないであろう。また、別々の者に同じ話をしたとしても、勘のいい者とそうでない者とでは、話の捉え方や話の裏側、それに心の中を読む力には大きな差があるのも事実である。
 そういう意味において我々の仕事は、問題を解決する能力以前に問題点や悩み事を察知する能力が非常に重要であるということはお分かりいただけるであろう。

 この”勘がいい”というのは一見、生まれつき持っているもの(天性)のように思いがちであるが、私は決してそうでないと思う。
 私の周りの人間を見ていると、”勘のいい”人は常日頃からあらゆる方面にアンテナを張り巡らせ、頭の中に何パターンもの回答を想定しながら人と話をしている。これって、社会人として仕事をする上で、どんな専門的な知識よりも必要とされるもので、かつ、人によってすごく差の出る まさしく “人間力”そのものでないのかなと思ってしまう。
 我々の仕事はそういう意味において”人間力”を競う仕事である、また、そうであるからこそやりがいを見出せる 終着点のない仕事といえるであろう。
 こんなことを考えていると、ますます気の休まる時間のない毎日になりそうである。

posted by ヒロイ at 20:01| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月05日

No549:おかあはん、元気でおれや

 11月3日から今日(11月5日)まで事務所は3連休であった。
 最初の2日間は宝が池公園で汗を流したあと、じっくり時間をかけて確認したい書類に目を通すために事務所に出向いてはいたが、それ以外の時間は家で日頃から読みたかった本やなかなか読み返すことのできなかったセミナーのレジュメの再読に時間を割くことができ、仕事のある日とは違って時間を気にせずにいろいろなことに取り組めた。

 3日と4日は兄夫婦が空き家になった実家のそうじや台風被害の後片付けに行ってくれていたので、今日くらいは私も と思って85歳の母が入っている施設を訪ねた。
 連休最終日の5日はその施設で“家族会”という催しがあり、実家の近くに嫁いでいる姉を誘って、二人で同じ町にあるその施設へと向かった。
 母は姉のことはおぼろげながらも顔を覚えていそうであったが、私のことは目の前の当人が自分の息子の“増生”であると分かっているのかどうかは少しあやしい部分があった。 以前は、私自身『これが増生やで。』と自分のことを指さして必死になって母の目に訴えていたが、今では分かっていようがいまいが もはやそんなことはどうでもいいようになってきた。
 京都から2時間も離れた施設で生活している母にはそう度々会うことはできないが、1ヶ月に1、2回のペースで面会に行くようにしている。母に喜んでもらえればそれに越したことはないが、私自身とても勝手な人間なのでたとえそれほど喜ばなかったとしても、また、母から見て私の存在がはっきり分からなくても私はあまり気にならない。ただ、私自身が母の顔を見ることで納得できればそれだけで十分という思いである。
 施設が年に2、3回 入所者と交流会を催してくれるが、この“家族会”とよばれるものは 老人版参観日のようなものである。
 今日は午後2時から2時間かけて館内でミニ運動会と称して、座ったままで行う玉入れや魚釣りゲームの他に、車いすを押したり、手を引いたりして物を探す借り物競争まであり、母はおさげつきのかつらをかぶって記念撮影してもらい楽しそうであった。
 手を引いたり、手を取ったりして行うさまは、本当に保育所や幼稚園での乳児や幼児の運動会と同じような感じで、失敗しようが遅かろうが気にもならず、動作の全てがほほえましい限りである。
 そりゃ、私の子供(母にとっては孫)のことや、京都での出来事なども話してみたいが、意思疎通の可能な会話としてそれが叶わなかったとしても、こうして過ごす時間は何にもまして貴重であり、充実した時間であった。
 今年の春は施設内で転んで大腿骨を骨折し手術を受けたが、今では手をつなぐと何とか自力で歩くことができるまで回復した。

 私自身、毎日 時間に追われるような気ぜわしい生活をしているが、この施設の中だけは時間のまわり方が違うような気がする。これは私にとっては“非日常”と感じるからなのであろうが、母をはじめとし ここで生活するお年寄りや施設の職員の方々にとってはこれこそまさに“日常”であり、そこには一喜一憂のある日常生活が存在している。

 京都までの帰り道は連休最終日とあって大渋滞であったが、「やっぱし行ってよかった。誕生、育児、受験、就職、結婚・・・病気、けが・・・老後、介護・看病、死 と人生にはいろいろな局面があるが、人生は順送り とはよくいったもので誰もが通る道である。おかあはん、まだ元気でおれや。」とあと何年 生きることができるかは誰にも分らないが、もう少し笑顔の母を見に行きたいなと思いながら車を運転していた。
posted by ヒロイ at 22:19| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする