2024年07月15日

No.889:覚えていますか ? コロナの真っただ中だった頃のことを

 事務所は今日まで3連休であるが どこかへ出かける予定もないので、やり残した仕事に少しだけ手を付けてきりをつけた後、所狭しと積み上げられた書類の入ったファイルの整理をしていると何とも懐かしい資料が目に飛び込んできた。
 中を開けるとそのファイルに入っている書類には皆様も見覚えのある次のようなことが書かれていた(一部抜粋) 。

○京都府を含む13の都道府県は「特別警戒都道府県」として、継続して外出の自粛が求められています(2020/05/06)
○事務所への出社はシフト制とし、出社日以外は在宅勤務で、基本的には週2〜3日の出社予定・・・・
○申告所得税の期限は延長され令和2年4月16日[通常は3月16日(月)]
○小学校休業等対応補助金、雇用調整助成金の申請ができる
○コロナの影響を一定以上受けた場合、無担保、無利息で融資が受けられる
○2021年1月14日〜2月7日まで京都府、大阪府、兵庫県に緊急事態宣言が発出
○来客時の対応はマスク着用、飲み物の提供は自粛
○直接 対面の打ち合わせは避け、テレビ(Web)会議の推進を
○資料のやり取りは面談形式ではなく郵送またはメールで
○売上が50%以上減少している場合には固定資産税は全額免除
○売上(収入)50%以上減少した場合、法人は200万円、個人事業主は100万円の現金給付
○(税理士協同組合からのチラシ) 図書の販売・・対面販売の中止
 その他・・・・・

 その頃は上記以外に飲食店を中心に営業停止に追い込まれ、事務所の近くの京都ブライトンホテルも【休館中】の看板が玄関前に置かれひっそりとした状態が続いていた。
 スポーツの方では無観客試合もあったし、この年の高校野球・甲子園とインターハイは中止に追い込まれた。
 またスポーツの世界では、実は今の状態になる前 しばらくの間 声だし応募禁止というのもあった。

 ファイルの中の書類を整理して廃棄しようとしただけなのにそこに書かれていものは今となっては何とも懐かしい内容ばかりであり、こんな記事が次から次へと目に飛び込んできたので、サッと捨てるわけにはいかず廃棄作業の途中でついつい読み入ってしまった。
 今思うと二度と訪れて欲しくない暗く重い “暗黒”と言っていいような期間であったが、よくぞここまで世の中が回復したなと少しだけ感慨深くなったりもした。
 あれから4年。コロナを含め各種感染症の心配がなくなったわけではないが、このコロナを経て我々の住む世界も随分と変化した。
 日本国民だけでなく、世界中の人たちにとって言葉には言い表せないほど大変であったが、今の状態に慣れてくると段々 ”コロナ後”なんていう言い方はしなくなるのであろう。
 今やコロナから4年が経過し大きく変わりつつある状況の中で、日々の生活や仕事をする上では何とかこの変化に乗り遅れないようにしないといけないし、そのためには今まで以上に労力だけでなく気力も必要となってきている。
 コロナがなければ10年〜15年の間に起こるべき変化が この3、4年で起こった感じがするし、これは皆さんも一様に感じていることであろう。
 何度も繰り返すが、世の中は今までにないスピードで動いていることだけは間違いない。

 コロナに関する書類をサッと捨てられなかった私の気持ち 少しだけでもわかってもらえたらと思って長々と綴ってしまいました。
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2024年07月06日

No.888:ある女医先生からパワーをもらって

 タイトルのNoの後を数字を打ち込んでいると888というなんか縁起の良さそうな数字なのでちょっと喜んだりしてみたが、回数を見て ふとこのコーナーの終止符を打つべき時期は? なんて考えてしまった。
 自分でいうのもなんだが、開業の日がNo1なのであれからよく17年も続いたものである。これも飽きず、呆れずに見て下さる方があってならではのことであるが、私のパソコンで日々の閲覧数を確認するたびにまだ一定の読者がいるんだな思うとなかなか打ち切ることができずにいる。
 正直こうして毎週テーマを考えて綴っていくのが苦痛でないと言えばウソになるが、頭の整理、心の整理、そして一週間を振り返る という点で自分でも結構意味があると思っているし、何よりも私自身のボケ防止になっていることは間違いない。
 野球選手のように「2000本安打まであと〇本」とか、「□□試合出場まであと〇試合」とか世間が騒いでくれるのであれば張りもあるのだろうが、私の場合は「あと〇回」なんていう記録達成の目標があるわけではない。
 ただ、切りのいい数字というと1000回なのであろうが、それにはあと112回、毎週掲げてもあと2年も続けなければならない。先のことまで考えるとしんどくなるので、ひとまずは毎週休まずに掲げることだけを考えて進めていくことにする。
 こんな話になったので開業してからの17年を振り返ってみると 私ってなんて健康なんだろうとあたらめて思った。だって17年間で病気やけがで事務所を休んだのって 私の記憶では1、2回ほどしかないと思う。平日に家で寝ていた記憶って思い浮かばないもの。
 実は今まで高熱で起き上がれないことが1、2度あったが、運がいいのか悪いのかこういう体調不良になるのはお正月やお盆など決まって長期休暇の時で休み明けにはけろりとして出社できているからこのめぐりあわせも不思議なものである。これって運がいいのか悪いのか? まあ、勝手に運がいいっていうことにしておこう。

 ここまで888の数字だけで一人で盛り上がってしまったが、今回はタイトルにもある私に力を与えてくれる 現在 開業支援中の40代前半の女医先生の話なんです。
 この先生には小、中、高の3人のお嬢さんがいらっしゃって、勤務医のご主人が家のことを応援してくれているとおっしゃってはいるが、勤務医、子育て、そして家の用事をしながら開業準備と本当にいつもバイタリティにあふれている。
 私が必要な資料を依頼しても 必ず翌日中にはメールで送られくるし、早い時は夕方お願いしたことがその日の深夜に送られてくることもある。
 先日も「先生って、勤務医、子育て、そして家のこともしながらこの開業の準備、いつ寝てるんですか?」と質問すると、「朝5時前に起きて子供たちのお弁当を作って、子供たちを車で駅まで送ってしまうと後は自分の時間がとれるんです、塾もそれぞれ自分で行ってるし」という返答であった。
 それにしてもすごいパワーであるし、物事についての決断も早く、先日も「きちんと見て比較したりはしているんですが決めたら早いですよ、分からない時はすぐさま人に相談しますしね」とおっしゃった。
 この2週間の間にこの先生との面談の機会が3回あったが、何事も気持ちがいいほど段取りがよく、開業はもう少し先であるが この先生 今から“はやる予感”がしている。
 私は仕事柄、じっくり話を聞いたり、悩みごとの相談を受けることも多いが、どんなことをするのにパワーがないと仕事なんてやっていけないが、この女医先生から知らず知らずのうちにパワーをもらっているような気がする。

 先日 私の前でスマホでの確認事が終わりスマホをテーブルの上に置かれた時、待ち受け画面が着物を着た3人のお嬢様の写真であったので、「ちょっと見せて下さい」と言って見せてもらったが、そのスマホを私の前に差し出されたときの顔は今まで見たことのないような嬉しそうな、そして楽しそうな笑顔であった。
 あっ、この先生のエネルギーの源はこれやな と思わず見入ってしまった。
 仕事をしているとこういう何気ないやり取りから気付かされることも多く、お相撲さんの力水(ちからみず)じゃないけど、人からもらう力って本当にありがたい。自分の力だけではどうしようもないことっていっぱいありますから。

 このコーナー ほとんど日曜日にUPしているが今週は土曜日にできた。本当に久しぶり。
 京都の明日の予想最高気温は36℃のようなので あまり外には出ない方がいいですよね。
 朝のワンちゃんの散歩は5時台かな?
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2024年06月30日

No.887:久しぶりに街を歩くと妙な行動を・・

 通勤や顧問先への移動はほとんどが車で、基本的には公共交通機関を利用することは1カ月のうち数日しかないが、5月から6月にかけては たまたま臨時的な仕事が重なり、地下鉄、JR、私鉄(主に近鉄)で移動することが何度かあった。
 こういった機会は久しぶりであったが、電車や駅、それに街中を歩くことによって いろいろなものが目に留まったり、車では感じることのできない街の雰囲気を肌で感じることができ新鮮であった。
 家の近所をまわる犬の散歩のときも、歩いていると近所にこんな家があったのかとか、この家 売りに出ているなって 歩いているからこそわかる情報が私の方に飛び込んでくる。

 顧問先の経営者の方と話をしていてもやはりこういった身近なことや街の状況の変化がわかっているかどうかによって経営数値の説明をしていても話の広がり方に差が出てくる。
 紙やパソコンを通して目の前に出てくる経営数値はだけでなく、経営者はこの数字やグラフの裏側を知ることが重要で、そのポイントをズバッと指摘できるかどうかが我々の仕事の重要な部分である。
 毎月 顧問先の訪問していて、我々の話を一方的に聞くというスタイルの経営者の方もいらっしゃれば、社長室(院長室)に入ったらすぐ 質問を投げかけられてこられる経営者の方もいらっしゃる。
 我々は税の専門家であるが、顧問先の方は税の知識や情報だけを我々に求めておられるのではなく、経営そのものに対していろいろな角度からのアドバイスを待っておられるので、こちらとしては各経営者が必要としている情報を準備したり、頭の中で整理しておく必要がある。
 こういったことができずいると、いずれは必要でない税理士になってしまい、「もういいですよ」ということにもなりかねない。
 ただ現実的には目の前の情報は量が多すぎて、その取捨選択にも非常に頭を使うし、情報を入手した後 いかにうまくアウトプットできるか、この選択の仕方により顧問先の方にとって その情報の有用性にはという点では大きな差が出てくることもある。
 ただ、この情報の整理能力は人間として、税理士として、そしてビジネスマンとしての力が試される部分であり、これは“知識”というものとは少し違っている部分がある。
 こんなことを言っている私であるが、情報に目を通したりそれを整理することに 日々それなりの時間を要するが、この作業って現代社会で生きている以上やむを得ないんだろうなって思ってしまう?
 冒頭でも言ったとおり 電車と歩きで移動することが多かったということで、一カ月ほど前 街中でたまたまみずほ銀行の前を通った時、宝くじ売り場に誰も並んでいなかったので約15年ぶりに衝動的にジャンボ宝くじを〇枚(今までで一番多い枚数)も買ってしまった。普段はどんなものでもあまり衝動買いをしない方だがなぜかこの日は・・。もし売り場に人が並んでいたら買わなかっただろうけど。
 家でカミさんにこのことを言ったら、「なんでそんなしょうもないことするの。宝くじで もし一等が当たったら、そのお金と引き換えに不幸が訪れるんやで。事故とか怪我とか病気とか、なんでそんなことわからへんの。」と何とも妙な持論の返しをされた。
 カミさんの話に納得はしていないが、こんな話をされたので当選発表の日には当たってほしいやら、どうか当たらないようにと祈るやら 自分でも訳の分からない気持ちで当選番号を確認をしたが、300円×□本 以外は何も当たっておらず、ほっと?した。
 家でカミさんに「この間の宝くじ当たってなかったわ」と伝えたら、「よかったな、当たらんで」と慰められるのではなく褒められ、これまた妙な気持ちになった。
 実はこの宝くじの話をここで綴ろうかどうか悩でいた。だって「宝くじに頼る税理士」なんて思われたらいややし。
 最後に今回の一件で、「いくら時間がなく 遊びにも行けないからって、こんなことでお金を使うのはやめにしよ。これからはそのお金でおいしい物でも食べよ。」ということだけは心に決めた。

 すみません いつもながらつまらぬ話で。宝くじの話、削除しようか悩んだんですが 消さずにこのまま残しておきます・・・。
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2024年06月23日

No.886:選挙公約も変わってきた?

 現在 東京都知事選挙の真っただ中であり、テレビをはじめいろいろな媒体でも大きく取り上げられている。
 私は東京都民ではないので投票をすることはできないが、今回の選挙公約を見ていて少し思うことがあるので今日はそのことについて綴ってみることにする。
 
 一般的にはこういった場で政治や宗教のことは触れないという不文律があるように思うし、私も今日ここで特定の政党や主張について論じるつもりはない。
 国政と地方政治との違いはあるだろうが、今回の選挙では“若者”とか“子育て”がキーワードになっているかのようにどの候補者も政策の中身での違いはあるにせよ、このキーワードにスポットライトが当てられているように思う。
 私がまだ若かった頃、今から30年以上前には選挙公約でここまで大きく若者や子供のことはとり上げられていなかったように思う。
 一昔前は、まずは地元の産業や地域経済の活性化をこういう形で実現するためには、企業誘致や新しい市民ホール、福祉センターを建設するといわゆる“箱物(ハコモノ)”の充実を公約に掲げる候補者が多かった。つまり地元がいかにして潤うかという内容である。
 そしてもう一つはお年寄りを大事にし、思いやりのある政策というのもよく目を引いたという記憶がある。
 ただ、昨今の選挙、特に都市型の選挙ではどの候補者もすごいスピードで進んでいく少子化にスポットを当て、上でも述べたように“若者”と“子育て”を口にしない候補者はほとんどないように思われる。
 年金世代や今後数年のうちに年金の受給受給資格を得る人も若年層の人口構造は気になるところで、この世代の厚みが増さないことには自分たちの老後も不安定になりかねないし、若い世代の充実は間接的であるとはいえ自分たちにも跳ね返ってくる非常に重要なことであるということは中高齢者以上のものは理解している。
 私はこのブログの中で10年以上も前から何度かにわたって、日本の人口減は将来は国の勢いがなくなり、税収不足による財源難により日本に住む人の生活にも大きな影響を及ぼすと述べてきたが、このことがやっと今になって論じられてきている感がある(私のブログを過去に遡って検証したわけではないが)。

 今回 ここまで書き綴っていて何が言いたかったのかというと、以前に多くの候補者が声を張り上げていっていた老人福祉をはじめとし、「老人が住みやすい街」、「安定した老後」という公約は10数年前から比べると非常に減ったように思うし、老人の話題と言えば老人そのものではなく、介護する人が足りないという 働く側の話題の方が大きく取り上げられている。
 今回は大都市東京の選挙なので当然のことながら、問題視する内容も地方とは大きく異なるであろうが、各候補者が何を訴え、そしてそれが本当に実現の可能性があるものなのかをじっくりと眺めておくようにする。
 ここで眺めておくという言い方をしたのは、私は東京都民でないから今回の選挙は眺めておくしかないし、有権者に受け入れられやすい、あるいは選挙のための“うける公約”ばかり口にする候補者がいれば自分なりに検証もし、自分が投票できる選挙がある時のために見る目を養っておこうと思っているからである。
 今日は投票権のない私が語った東京都知事選 ということでさらっと聞き流してもらっても構いません。
 それにしても本当に選挙の公約っていいことづくめですよね。いつも選挙のたびに思いますが。
posted by ヒロイ at 17:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年06月16日

No.885:終活できる人とできない人

 「自分って時間の使い方がうまくないような気がする」って思うことってないですか?
 基本的には誰しも一つずつ物事を片付けて次へ進んでいきたいと思っているので、何か一つつまずくとその後の予定やしておきたかったことができないままズルズルとずれ込むことがある。
 それは仕事においてはもちろんのこと、仕事以外の日常生活の中でもこういったことの繰り返しであり、それが比較的短時間でできることであれば、多少他のことを後回しにすることによって達成できるが、結構時間を要することであれば、最初の一歩が踏み出せず、なかなか重い腰が上がらない
 私にとって土日は、前の週の行動や仕事の進捗を確認し、そして次の週の行動作戦(それほど大したことではないのですが)を立てるという 区切りという意味で結構重要視しているが、GW明けからこれまでずっと土日に何かしら予定が入り、一週間の区切りがつかないまま次の週に突入するというあまり望ましくない状態がここしばらく続いていたが、この土日は昨日土曜日に短時間の面談とある団体の1時間ほどの月例会議はあったが、他は自分のために使える時間が結構あった。
 ずっとできないまま半年近くが過ぎていた自宅の自分の部屋の後片付けをどこかでやらなければこのまま夏を迎えてしまいそうなので、今日は他のしたいことをいったんは横に置いて、朝から実行に移した。
 私の部屋は家族といえども覗いて欲しくないほど、書類・書籍、そして衣類に身の回り品がところ狭しと散らばっており、「もう少し空間を有効的に使いたい」というより、「生活する部屋としてはもう限界かな」という状態に達していた。
 忙しい時は また時間がある時に整理しようと避けて通ってしまいがちであるが、私はいったん“整理”の作業に入ってしまうと結構思い切って処分する方である。
 服も「地球環境にやさしく」という観点に立てばリサイクルや海外で必要としている方に送るということもしないといけないのかもしれないが、業者を含めなかなかそういった所に持ち込むことができないので、整理後はすぐに処分するようにしている。
 この作業にいったん入ると「もしかしたら使うかも」という気持ちを抱かないようにし、「もしかしたら使うかも」という物は即 処分対象にするようにしている。そうでないと「また使うかも?」なんて考えていたら、大した整理ができないまま終わってしまう。
 私は今日のような不要物を処分する行動って結構好きで、終わってしまえばなんだか別の世界が広がるようで不思議な気持ちになる。大げさに言えば昨日までの自分と今日の自分は違うんだ という感じで・・。ただ、「なんでこんなに物って増えているんやろ」と毎回思ってしまう。

 仕事の中で80代の方に会う機会もあり、終活の話をされる方もあるが、ほとんどの人が終活は進んでいないというのが実態のように思う。
 それは長く一生懸命生きてきたからこそ未練を断ち切れないということ起因するのであろうが、先日 終活が結構進んでいる方と話をしたら、「あとの人生 長くても10年から15年で、自分で動けるのはあと5年。その間に必要なもの以外は全て処分した」とおっしゃっていたが、なかなかこの割り切りができないのが普通の人間であろう。
 先日も相続の仕事の中で実家の後片付けの話が出たが、お母様が90歳で施設に入られ(もちろん終活はせずに)、3年後に施設で亡くなられたので、後片付けは全てご長男がされたそうだが、この労力は並大抵のものではないし、費用もそれなりにかかったとのこと。
 実は私の実家も同じような形で兄夫婦が何日もかけて片づけてくれたが、今はほとんど場合、子世代と同居していない状態なのでこれからこういった大変なケースがたくさん出てくるであろう。
 部屋の後片付けの話から終活の話になってしまったが、一定の年齢になると物の整理だけでなく、いろいろなことにおいて 割り切ることが本人にとっても周りの人にとっても幸福をもたらすのではと考えるようになってきた。
 私は自分では未練派ではなく割り切り派とは思っているが、実際直面したらどうなのかな?
 今日は片付いて少し広くなった部屋(大きさは8畳のままで変わりないが)で寝れるので少し楽しみ・・。
posted by ヒロイ at 16:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年06月09日

No.884:37年ぶりでも相手が分かった

 今年のお正月に大学時代の友人で千葉在住のI君から、「親の相続のことで相談したいんだけど」と突然連絡があり、その後 何度か電話やメールでやり取りし、先週の金曜日にI君と川崎から駆けつけていただいたI君の弟さんも同席のもとI君のお父さんのお住まいがある神戸で、私が声を掛けた京都の司法書士さんも含め 計5人で面談をした。
 大学時代の友人といえば ほとんどがクラブ(陸上競技部)の仲間で、クラブ以外で今でも連絡を取り合っているのは学部が同じ経済学部だった2人だけしかいなくて、学生時代いかにクラブ以外のことには時間を割いていなかったのかということにこの歳になってあらためて気付かされた。
 陸上部の連中は10年程前から毎年夏に交流会があり、可能な限り顔を出しているが、クラブの仲間以外は年賀状をやり取りする以外はほとんど連絡を取り合うこともない。
 経済学部の友人のうちI君以外のもう一人は、10年程前 京都に出張で来た時に突然 事務所に連絡があり、私もたまたま中にいたので、事務所の近くまで来てもらい学生時代を過ごした今出川の近くの定食屋でいっしょに晩ご飯を食べたことがあった。
 今回 連絡をくれたI君は年賀状のやり取りは続いていたものの その年賀状にも最近は住所と名前しか書いていなかったので連絡の取りようもなかったが、I君が私の自宅の電話番号が載っていた頃の古い年賀状を引っ張り出してきて、年始早々 自宅に電話をしてきてくれた。
 I君は学生時代は京都市左京区の岩倉に下宿していたが、3回生の時 彼の実家のある神戸で私の陸上の大会あり、ちょうどその開催日が 彼が神戸の実家に帰っている時と重なり、「その競技場 うちの実家の近くなんで前日泊りに来いや」という彼のお誘いに甘えて、彼の実家に泊めてもらったことがあった。
 その時に世話を焼いてくれたお母さんは7年前に他界されたとのことであったが、お父さんはご健在で、このお父さんの遺言書の作成と今後の財産の管理についてが今回の相談内容であった。
 この日の相談の内容についてはここでは触れないが、その相談が終わったあと37年ぶりの再会を祝し、神戸の三宮駅前の居酒屋でこれまでの人生での出来事や歩み、そして今抱えている悩み事も相手がどう思うのかというビジネス上のシーンではよくある気遣いなど全くすることなく、お互い思っていることを何でも話したが、こんなことは最近ではあまり経験したことがなく、何とも言えないくらいリフレッシュできた。
 実は彼は私の友人の中で一番早く25歳で結婚し、私が友人として出席した初めての結婚式であった。この日 彼は神戸であった結婚式での私のピーチの内容を覚えていてその話もしてくれたが、私は口では「そうやったかな?」と言ったものの 実はその内容について 私の方はほとんど記憶に残っていなかった。

 今回は私が大学を卒業する時に企業に就職せず、税理士になろうとしていたことを覚えてくれていたことから今回の話が始まり、わざわざ千葉から繰り出してきてくれ この日の再開があったことに少し大げさかもしれないが、「私の学生時代もまんざらじゃなかったのかも」なんて 一人で勝手に感慨にふけっていた。
*私が税理士になったことや開業したことは今まで何も言ってなかったが、HPを見て税理士になってるし、独立もしていることを知ったとのこと。
 今回は、実は37年間 お互い顔を見る機会もない中での駅の改札での待ち合わせであったが、携帯電話を使って捜すこともなく、顔を見た瞬間「おー 久しぶり!」と一発でわかったことが何よりうれしかった。
 毎日 時間に追われるような日々を過ごしているなかで、少し大げさかもしれないが元気でいてよかったと思えるような今回の再開であったし、人間って不思議なもので こんなことがあると5歳くらい若返った気持ちになってしまった。
(最後にこっそり)実はこの日 平日であるにも関わらず夕方4時過ぎからビールを飲んだが、こんな経験って社会人になってから初めてなんです。でもこの日くらいはいいですよね。
posted by ヒロイ at 19:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年06月02日

No.883:先週の移動距離は650km

   先週は仕事とはいえかなりの距離(約650km)を動いた一周間であった。
   月曜日は朝から滋賀県の顧問先を訪問している事務所の担当者が、午後からいっしょに動くというで昼過ぎに米原駅前で合流することになり、私は昼前に事務所を出て 久しぶりの新幹線で京都からこだまで一駅先の米原まで移動した。
   車で行くとゆうに1時間以上はかかるが新幹線だとわずか19分の乗車時間で米原に到着し、新幹線の速さを再認識した。
   乗車前、京都駅新幹線乗り場に溢れんばかりいた外国人は次々とホームに入ってくる東京行のぞみに乗り込んでいくが、私が乗った東京行のこだまの自由席は1車両3人だけで コロナ禍に出張で乗車した博多行のぞみの車内を再現しているかのようであった。

   金曜は相続関連の仕事で署名・捺印をいただくために兵庫県尼崎市のクリニック(顧問先外)を訪問したが、尼崎は近畿圏でありながら行くのは初めてで、車のナビの指示どうり運転していたが、慣れない道なので右折レーンに入り損ねることもあり目的地着くまで結構 四苦八苦した。
  仕事の話が終わった後、この日初対面の院長との話の中で「尼崎に来たのって実は初めなんです。尼崎と聞いて最初に頭に浮かんだのはプロ野球の池山選手でした。」と言うと、その院長先生は、「池山っていうのがヤクルトにおったな。彼は市尼(市立尼崎高校)やな。でもな今はすぐ近くにもっと有名人がいてな、阪神の熱狂的なファンで黄色のはっぴを着て、去年何回もテレビに出とった居酒屋のオバはん(ちょっと言葉使いが悪いがお許しを)の店はすぐそこやで。」と仕事の後とはいえこんな楽しい話で盛り上がった。
  ちなみに帰りは迷わず京都まで帰ってこれた。

  先週の木曜はある団体の依頼で研修会の講師の仕事も入っていたが、多少ヒヤヒヤしながらもこちらは無事終えることができた。

  日は遡るが、火曜は福井県の高浜からの帰る途中 大雨のため高速道路が舞鶴西から丹波まで通行止めになり何年かぶりに一般道(下道)で帰ってきた。
  ただこの一時間半程の一般道の走行中に目の当たりにした光景は、ちょっと失礼な言い方になるかもしれないが、どんどん進んでいく過疎化という感じで何とも寂しい気持ちになった。
  京都府を南北に繋ぐ京都縦貫自動車道が全線開通するまでは、途中にお食事処や喫茶店が何カ所かあったがそのほとんどが店を閉めていたし、以前はよく立ち寄った道の駅もこの日は休業でトイレ以外には自動販売機だけが何台も並ぶだけでさびれた感が漂っていた。
  これは他の所でもたまに目にするが、普段何も考えずに高速道路を利用している時には気がつくこともないことである。
  全国各地で高速道路が新たにできたり、延長した時に見られる変化としては、終点をはじめとし、SA付近だけは多少の賑わいがあるがそれ以外の地域はただの通過点となってしまっている。
  国を発展させるため、そして政治家の成果の一つとして、新幹線や高速道路をさらに延ばすことを競っているようにもみえるが、これが逆に過疎地を増やしたり、地域格差を作り出しているようにも思う。
  日本は何ごとにおいても二重構造が進んでいっているが、くまなく発展させるのって本当に難しいことなんだな とつくづく思ってしまう。

  先週は本当によく動いた1週間であったが、こんな私の1週間の他愛もない話にお付き合いいただいたことに感謝し、今日は終わりにします。
posted by ヒロイ at 20:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年05月26日

No.882:継承希望者に寄り添うことが意外と新規開業に役立つ

 クリニックの新規開業を数多く支援しているというのが、数年前までの我が事務所に対しての外からの見方であったであろうし、今でも年間 3〜5件は新規開業の立ち上げ支援を行っているが、今では事務所の創業期のように年間10件近く開業支援に関わることはほとんどない。
 私が開業した16年前に開業された先生方の中で医療法人となったり、分院や福祉事業に事業展開された方など、立ち上げ支援からその後の展開へと事務所が関わる業務は少しずつ変化してきている。
 また医療以外の一般企業の税務・経営の相談や相続税の申告依頼も多くなってきているのもここ数年の特徴である。
 そういった中で事業を始められてから10年、20年、中には40年以上も会社を引っ張ってこられたが、やはり高齢であることや体力の衰えから、後継者へ事業を譲られるケースもここ数年 徐々に増えつつある。

 一定年齢以上の経営者との話はこの事業の承継ということが非常に重要なテーマになり、今まで築き上げてきたことを誰に、そしていかに引き継いでもらうか悩んでおられる経営者も何人かいらっしゃる。
 こういった話をある一面から見てしまうと事業の終い方の話と捉えてしまいがちであるが、様々な業種、いろいろな年代の人と関わっていると、この終い方をいっしょになって考えたり、長くトップを走ってきた経営者の生き様を振り返ることが、実はこれから新規事業を始められる方の支援に役に立つことがある。
 どういうことかというと、若い経営者が事業が軌道に乗った後 どういった10年後、20年後を描いておられるかは人によって違うが、創業(開業)支援の話をする中で「成功された○○先生のように」とか、「しっかり稼がれた□□社長のように」というタイプ別に今までの経験を踏まえて若い方々に理想像を示すことができる。
 これって私自身も若く、周りは創業歴の浅い方ばかりだった頃は先のことは読みにくかったが、長年この仕事をしていると方向性を聞いて、過去に成功した人の事例をその人に合うように部分的に取り入れること、言い換えれば“まね”することで結構いい形ができることもある。
 これまであまり経験というものに主眼を置いて事務所経営をしてきたつもりはないが、顧問先や相談に来られる方の年齢層が20代前半から上は80代後半くらいまで、年々その幅が広がってきているのも私が長くこの業界で仕事をしてきたからなのかなと思っている。
 自分の知識や経験だけでは仕事の広がりは一定の範囲までであろうが、こうして、周りの方々につられ、そして事務所のみんなに引っ張られながら手の届く範囲を広げているというのが実態であろう。

 今日のタイトルにあるように、若い経営者にも過去の成功事例をいかに伝えるかが重要なことになってくるし、ずっと先のことかもしれないが将来どんな60代、70代、そしてそれ以降の人生を送っていきたいか非常に参考になることがある。すべて実話ですから。
 ただ、時代の変化が速すぎて過去のことが今は通用しないということも数多くあるということは、常に肝に銘じて 過去にはなかった新たな手法を見出していくことも成功するかどうか重要なポイントとなってくるであろう。
 こうして考えると本当に事業のかじ取りは非常に難しい時代になってきたし、経営のかじ取りを誤れば3年後には姿を消している企業だってある。
 何とか繫栄する企業やクリニックを1件でもたくさん作りたい、そして関わり続けたいというのが、私自身 開業時から今もずっと思い続けているが、これってこちらも結構プレッシャーがかかります。ただ これを楽しみにするぐらいでないといけないのかもしれませんよね。
 まだまだ学ぶことはいっぱいありますね。いや本音でいうとたくさんありすぎ・・・。
 そう思いません。どんどん新しいことが出てきますから。
posted by ヒロイ at 18:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年05月19日

No.881:日本の中で80℃も気温差がある?

 “日本一暑いまち”を売りにしている埼玉県の熊谷市は過去には他のまちに逆転されたこともあるが、2018年に首位の座?を奪回してからは現在も日本の最高気温の歴代第1位である。
 実は2020年に静岡県浜松市も熊谷市の41.1℃に並び、現在2つのまちが首位に並んでいるという状況である。
 実は先日 ニュースで熊谷市の百貨店前に夏季限定で大温度計が設置され、熱中症対策で各自治体が頭を悩ましているという中で、夏の暑さを競うのを街全体で盛り上げようというなんとも不思議な取り組みが行われている。暑すぎるのもまちの知名度を上げるのに一役買っているという実態がこのことからもうかがえる。
 個人的には確かにこんな暑い所には行きたくはないが、中にはどんな暑いのか体験してみたいという変わりダネもいるかもしれないし、とにかく暑さも大事な街おこしといったところなのだろうか。

 例年夏になるとニュースでは「今日の最高気温は〇〇市の□□℃でした」というニュースが飛び交うが、私は関東内陸部である群馬県の桐生、伊勢崎や埼玉県の越谷が頭に浮かんでくるし、同じく海のない県である岐阜県の美濃市や多治見市もよく耳にする地名である。
 私の中では2013年の時点で急にトップに躍り出た高知県四万十川流域の江川崎や現在トップに並んでいる浜松なんかは川や海も近く 涼しげなまちの印象もあるのでこの2つの最高気温は意外な記録である。
 私は小さい頃から日本地図を見るのが趣味と言っていいほどの地図っ子、地理っ子だったので、日本で一番暑かったのは1933年に山形市で記録した40℃超え(正式には40.8℃)というのが小学生の頃からずっと記憶に残っていて、当時 学校の先生に「なんで東北なのにそんなに暑いのか」と質問したところ、「夏に日本海側で起こるフェーン現象の影響で急激に気温が上がったため」とフェーン現象の意味を交えて教えてもらったことを今でも覚えている。
 当時は真夏でも32℃、33℃くらいになるとやってられないというような状況だったと記憶しているので、この40℃というのは人間が溶けるのではと子供心に心配したこともあった。
 この山形市は2007年に岐阜県の多治見に抜かれるまでなんと74年間も一番暑いまちを死守してきた。

 暑さのついでに寒さも調べてみると日本の観測史上最も低い気温は1902年に北海道の旭川で記録した-41.0℃であった。
 今 時期的に寒さのことはあまり関心がいかないが、日本の中で上下80℃の差があることに驚き、日本って小さな国なのに「すごい」と思ってしまった。
 われわれ日本人はこの80℃の差の中で生活していると考えれば、夏に5℃上がったとか30℃になったなんていうのは決して驚くようなことではないなと捉えることもできる。
 ただ 地球の温暖化により私が子供だった頃とは地球も日本も様変わりしてきているのは誰しもが肌で感じることである。
 今日は仕事には全く関係のない話しであったが、日本の中のいろいろなまちを思い浮かべたり、季節を感じたりするという面では、こういった話は自分では久しぶりにウキウキする楽しい内容であった。

 今年は夏の甲子園も数日ではあるが日中の中休みをとるという初めての試みもあるし、どこもここも熱中症対策には万全の注意が必要となってきている。
 甲子園の暑さ対策は各方面で毎年論じられるが、実は野球以外のほとんどの種目が対象となる全国インターハイも真夏に行われ、陸上競技も福岡市で7月29日から開催されるが、このインターハイの暑さ対策ってあまり聞こえてこない。男子5000mや女子3000mの選手への負荷は甲子園以上のようにも思いのだが。

 暑さも徐々に本番に近づいてくるようだが、しっかり暑さ対策をして何とか夏を乗り切りたいものである。
 まだ5月なんですが、毎年夏が早まってきているように感じてしまい、「春がない」というのが実感です。ただ、気のせいか今年は今のところ少し過ごしやすい日が続いているように思うが私だけですか これって?。
 ただ この後はどうなるのか 月曜日からが心配です。
 では、今日はこのへんで。
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2024年05月12日

No.880:熱い社長との1時間半

 先日 個人的に付き合いのある会社の経営者が事務所に相談に来られた。
 顧問先ではないのでその会社の経営内容までは知らないが、15年以上も前からお付き合いがあり、たまにいっしょに仕事をする機会もあるという間柄であるがお互い取引関係はないので気兼ねなく話し合える仲間の一人である。
 私の場合は同業者である税理士とは本当の意味で腹を割って話せる人はそう多くないし、顧問先に多いお医者さんは 仮に顧問先でない先生であっても何かの関係で仕事に影響するのでは と何かしら無意識のうちに構えて話をしている自分に気付くことがある。
 そういう意味で今回の経営者は本音で話ができる方である。

 この方の会社は40人ほどの社員を抱えておられるが、創業者ではないし、また創業者とは全く血縁関係もなく いわゆる就職した会社の中で上り詰めて社長になった方である。
 中小企業の二代目あるいは三代目として社長なったという私の周りに多い形とは違う形で社長になられた方で、年齢も50代前半なので、年齢的にも世間でいう一番 脂の乗ってきたいい時である。

 こういった経営者にとってはやはり社員や取引先からの”求心力”をいかに高められるかでということで悩んでいるとのことであった。
 私も経営者になって16年目の身なので、あるべき経営者像なんて語れるはずもなく、日頃 自分が気をつけていることや何かの節目で判断しないといけない時、何をもって決断を下していっているのかということを話した。
 ここでその内容を全て語るわけにはいかないが、5〜10人の組織であれば まだまだ社長の一存ですべてが決まる いわゆるワンマン経営であっても経営は成り立つが、最低でも15人以上の人数になると自分一人では把握できないこともたくさん出てくるので ”人に任す”ということが重要になってくる。
 ただこの ”人に任す”ことと、経営者の意思を社員にいかに伝えたり、社内にいかに浸透させるかということとの狭間での自分の立ち位置を考えり、どのタイミングで決断の下すのかという点では本当に難しいものがある。
 私自身も答えを持ち合わせていないが、この術に長けた経営者こそが会社を大きく展させていっているのだろうと思う。
 私がスタッフとの関係で心掛けているのは、お気に入りに人とそうでない人と というのを作らない、別の言い方をするとすべての人のことを気に入る、これって一見難しいように見えるが、「こいつのいいとこどこだっけ?」なんて考えていると自然に身に付く芸当である。
 もしかすると人間は元々あら捜しが好きな動物なのかもしれないが、その逆をすればいいだけであるし、決して全てを褒めちぎるわけではなくダメなものはダメとはっきり言える関係さえ作っておけば、恨んだり憎まれりすることもない。

 この日 この経営者は、「社長経験も浅いので、まだまだ知識が不十分である経営数値の読み方を学ぶことに重点を置こうと思っているんですが、この考え間違っていないでしょうか」と私の方へ問いかけられてきた。
 私は自分の過去の経験に思いを馳せて、「もちろんそれも大事ですけど、経営者が勉強しないといけない分野は限られたものではなく 全てですよ。特定の分野だけ学んだって経営ができるわけではないし。ただ知識は向こうからやってきて頭に入るものではないですから取りにいかないと。全ての分野において。」なんて偉そうに答えた。自分はたいしてできてもいないというのに・・・。
 どんな事業でも日々動いていて、常に何かが起こってしまうので、それに対処しているだけで1日、そして1週間があっという間に終わってしまうことだってある。
 言い訳するとこういった行動こそが、自分を進化させているのかなと勝手に良いように解釈している。

 この社長との話の中で何か結論が出たわけではなかったが、久しぶりに本気で顧問先以外の方とじっくり話ができ、熱いものが頭に残る1時間半の時間であった。
 あらためて考えると刺激がないと進化も進歩もしないなというのが結論のようである。

 今日は朝からすっきりしない天気である。
 講師を引き受けている3つのセミナーの準備をしながら少しゆっくりと と思っていたが、こんなブログを綴ったがために「あれもしないといけない、これもしないといけない」なんて仕事の進捗状況に目を向け、自分を焦らすような休日になってしまった。

 今日はカミさんが、「ポポ(ワンちゃん)の散歩頼むで」と言って早朝から出かけているので、もう少しすると朝に続いて夕方の散歩に出かけることになる。  
 実は休日のこの散歩の時間 結構好きなんです。では・・。
posted by ヒロイ at 16:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする