先日 ある福祉施設のトップの方と食事をする機会があった。
その方が定年まで勤務されていた銀行時代からの長いお付き合いであるが、銀行では数ヵ店の支店長を歴任され、最後は役員までなられた方である。
私が開業して間もない頃、私の顧問先の融資の話で事務所にもお越しなられたこともあったし、その後 お知り合いの相続の相談にものってほしいとご自身の勤務時代の先輩を紹介いただいたこともあった。
実はこの方(以下 Kさんという)は7つ歳の離れたの私の兄の中、高の友人で、私の実家が高校から近いこともあって学校帰りによく立ち寄られ50年以上も前 私もいっしょに遊んでもらったこともあったという間柄である。
「今日で中間テストも終わったし、人生ゲーム1回だけしてから帰るわ。人数多い方が盛り上がるん増生君も入ってええで」と小学生の私もよく声を掛けられ、ゲームに参戦させてもらったのを覚えている。実はその回数は1回や2回ではなく、回数こそ覚えていないが当時 高校卒業まで10回以上に及んでいたように思う。
Kさんも私の兄も高校卒業後は別々の大学に進んだので、当然のことながら会う機会は全くなく、その次はそれぞれが銀行の支店長と税理士という立場で35年ぶりに面談(再会?)したのが、私が開業して間もない頃 事務所にお越しになられた先程 綴っていた話である。
銀行退職後は知り合いの社会福祉法人から声を掛けられ、その後 役員に就任、そして今では理事長にまでなられている。
経営や財務内容の相談は顧問の会計士の方にされているようだが、この日は300人いるスタッフや役員等の人事のことで話を聞いて欲しいと1カ月ほど前に連絡があり、この日の食事をしながらの面談ということになった。
すごく込み入った難しい問題ではなかったので、雑談を交えながら近況報告や昔話にも花が咲いたが、過去においては何人かの同席のもとでの面談であったので、この日はお互い「よく考えてみると2人だけで話をするのって初めて」と言いながら本当にいろいろと本音の話ができ、食事とともにお酒も進んだ。
私もお酒はまあまあいける口であるが、Kさんは私の倍以上のピッチで何度も生ビールをお代わりされ、その飲みっぷりには私は完全に脱帽という感じであったが、仕事のことだけでなくそれ以外のことも話題の豊富な方であり、私もよく話す方であるが久しぶりに聞き役の回ることが多くなる2時間半であった。
当時高校生であったKさんと小学生であった私、この2人は友人の弟と兄の友人というよくある関係かもしれないが、こうしていっしょに仕事をする機会が訪れるとは当時はもちろん予測すらしていなかったことである。
縁ってこんなもんやし、大げさに言うとこういうことこそが生きている証なんかなと考えてしまうし、仕事ってこういった繋がりがあって初めて成り立つものであるなとあらためて実感した。
少し余談になるが、
Kさんは私にとっては大先輩であるにも関わらず、私のことを仕事の上では「廣井先生」と呼ばれているが、この日はお酒の勢いもあり、途中からは「廣井君」、「増生君」、そして最後の方では「増生先生」なんて言われたこともない呼び方まで登場した。
この何度も呼称が変わること自体がこの日の盛り上がり方を表すものであるだろうし、「久しぶりになんでも腹を割って話ができた」とおっしゃったことが私は何よりもうれしかった。
最後は「お互い忙しい者同士ではあるが、そう遠くならないうちにまたの機会を」ということで分かれたが、この日は私にとっても得ることの多い会食であった。
Kさんは「増生君」と口にされるのが一番なめらかだったのは言うまでもなく当然であるので、次は最初から「増生君」、「Kさん」でスタートしようと決めた。
こんな時間が活力になるんでしょうね、年に1、2回の。

