2019年01月13日

No611:くたばれ 読売ジャイアンツ

 まず、書き出しに際してジャイアンツ(巨人)ファンの人ごめんなさいと言っておく。こんな場で自分の意向だけで一球団を攻め立てることを。

 久しぶりに私の大好きなスポーツの話題を、しかも、ここしばらくマスコミでもとり上げられている巨人から西武へ移籍する内海哲也投手と同じく巨人から広島への移籍が決まった長野久義選手 この2選手と巨人という球団について私の思いを述べさせてもらう。
 まず、この話は勝たないといけない巨人という球団だからこそ起こった話であるかもしれないし、スポーツの世界、勝負の世界に人情というものがあってはならないのは分からないでもないが、選手たちは誰のためにプレーするのかを考えてみることも球団を預かる上層部(球団経営者)にとって重要なことではないのかなと思ってしまう。
 巨人を出ていくこの2人のことを調べてみると3つの共通点がある。
 一つ目は、プロ野球のドラフトで巨人入りを熱望していながら、他球団から指名されたために入団を拒否してプロ入りせずに、次の年のドラフトで巨人が指名してくれるまで待った選手である。しかも、長野にいたっては2回もドラフトのくじで外され2年も待って念願の巨人入りを果たした選手である。
 二つ目は、数年前までは成績面では巨人の核となる選手で、いわゆる花形選手であったが、ここ数年、往年の成績には遠く及ばない成績しか残していないという点。
 三つ目は、熱いハートを持っている選手ということであろう。長野は巨人の多くの若手選手から人望があったと伝えられているし、長岡京市出身の内海は自分の稼ぎから母子家庭で育ててもらった母親に一軒の家を買ったという話が残っている。
 こういった選手をよくもまあサッと出せるな巨人軍 と言いたくなってしまう。

 プロ野球選手といえども一人の大人として あるいは一社会人として誰のためのプレーするのかを考えてみたときに、まずはファンのため、家族のため、そして自分の所属するチーム(球団)のため、この三つが基本となるであろう。
 プロ野球選手でなく一般の社会人の場合を考えてみても、顧客のため、家族のため、そして会社のため ということと置き換えられるであろう。
 このファンと顧客が何よりも優先されるというのは、やはり顧客やファンに支えられているからこそ今の自分があるからということがわかっているからであろうし、誰しもが一番やりがいを感じる部分あろう。
 ちょっと話が横道に逸れるが、今の日本の政治家はこの三つのどれにも属さない”自分のために”というある意味 自己顕示欲と名誉のためだけに議員をやっている人がかなりの割合でいるように思う。だから日本の国や政治はよくならないのであろう。
 
すみません 話をプロ野球の方に戻すが、
 これは巨人だからこそできること、かつ、巨人しかできないことであろう。
 どういうことかというと、数の上でも過去の栄光の歴史の上でも圧倒されるようなファン層に恵まれている巨人は何をしてもファンが離れないという自信があると同時に、絶対に勝たなくてはならないという宿命的なもの  この両方を持ち合わせている それが巨人という球団である。

 実は私はもともと阪神タイガースのファンであったが、10年近く前から毎年繰り広げられる人事のバタバタ劇に嫌気がさし、本気で応援する気にもならなくなっているし、アンチ巨人だけは子供の頃から現在に至るまでずっと続いている。こんな私が今年のプロ野球で期待している筋書きはこの2つのどちらかである。
@ 巨人から広島へ移った長野が大活躍して広島が優勝し、巨人が補強(獲得)した丸、炭谷、岩隈、中島の4選手が全く振るわず、Bクラス、できれば最下位になり、原監督が1年で退任(クビ)となる。
A 一応、巨人が日本シリーズに進出し、西武と対戦するも、巨人から移籍した(放り出された)内海が巨人をきりきり舞いさせて、ヒーローインタビューで「巨人さん、私を西武に出してくれてありがとう」というコメントをする(内海も大人なのでこんなことは言わないだろうが)。

 こんなバカげたようなことを考えながら、今年のプロ野球を追っていくのもまた別の意味で楽しみのひとつであろう。
 私にとっては何年かぶりに開幕が待ち遠しい今年のプロ野球となった。
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2019年01月06日

No610:年相応の こんな1年にしたい

 2007年(平成19年)9月に事務所を立ち上げてから11年になるが、ここまでの事務所の運営は決して平坦なものではなかったし、開業当初の思い(ある意味“癖”なのかも?)がいまだに残っていて、「思いたったら即行動」、「悩むのだったら、まず手を付けよう」と 手さぐりしながらもここまでは立ち止まったり、振り向いたりせずに前だけを向いて進んできた。
 しかし、昨年あたりから段々と体がいうことをきかなくなり 無理はできないなと思うことが多くなってきた。決してどこかが悪いわけではないが、食べ過ぎや飲み過ぎの後や寝不足の生活が続くとたちまち体に黄信号がともり、体の方から「無理するなよ」と訴えてくるのがよく分かる。現在56歳であるが、当然 11年前の45歳当時とは体力というか、体そのものが変わってきていると感じることがある。
 身体の変化に合わせて、心の方も年相応の少し落ち着いた人間にならないといけないのに心の成長はずっと遅れているというのが今の自分である。これは私だけでなく、40代、50代の人なら誰しもが感じることであろうし、特に男性は女性に比べて心の成長は遅いと一般的にも言われている。
 「もう少し、周りの人にも配慮して生きていかんとあかんで」と自分に対して警鐘を鳴らされているな と思うことが年に何度かあるが、「前へ前へ」だけでなく、「一歩引いて」物事を考えていかなければならない年代に差しかかってきているようにも思う。

 自分自身のこんな気持ちもあってか1月4日 事務所の仕事始めの日のあいさつではこんなことを話した。

@まず、自分にとって大事なものを見つけて、この1年間 それを何よりも大切にしていきましょう。家族、友人、会社の人、顧問先(お客様)、そして仕事や日常生活に中での自分だけのとっておきのものを。それは人によってさまざまであろうから、あくまで 自分だけのものでいいので一年間思い続けましょう。

A「誠意なきところに仕事はこない」とあるビジネス誌に書いていたが、まさにそのとおりで、こういった気持ち忘れずに 日々仕事に取り組んでいきましょう。顧問先を増やしたり、事務所を成長させるのが最終目的ではないし、必要にされるような存在になれるよう しっかりとした気持ちで仕事に取り組みましょう。

 あまり、硬くなることも必死になることも必要ではなく、あくまで自然体で、年相応の、そして実力相応の仕事をしていきたいものである。
 今日[1月6日(日)]まで休みの会社もあり、7日からいよいよ日本全体が動きだすが、無理せず、無茶せず、顧問先の要望を一つでもたくさん実現できるような そんな一年にしていきたいと考えている。

 年末年始の休暇は、普段 接する時間の少ない我が家の愛犬 ぽぽたん との時間がいつもよりたくさんとれ、ワンちゃん効果で体も心も多少たりとも”和み”を感じられたことが私にとっては一番の収穫だった。
 みなさんはどんな休暇でしたか? 次の長期休暇(4月末から5月初旬の10連休?)を楽しみのこの冬を乗り切っていきましょう。
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2019年01月01日

No609:謹賀新年

 新たな年を迎え みなさまはどんなお正月をお過ごしでしょうか。
 今年も事務所の年賀状で新年のスタートを切らせていただきます。

 以下、事務所の年賀状より

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 
   謹賀新年  
 皆様方におかれましてはこの一年が希望に満ちあふれることを願って、新たな年をお迎えになられていることと思います。
 日本国内においても、世界に目を向けても 世の移り変わりのスピードが年々早くなってきているように思えてなりません。
 ただ、一足飛びに2歩も3歩も先に進められるかというとそんなに甘いものではなく、一歩ずつ踏みしめながら前に進んではじめて、それまでの過程の全てが自らの力になっていくものと思われます。
 人間だれしも知らず知らずのうちに「ああいう人になりたい」と自分の周りにいる誰かに憧れ、また目標としながら日々の生活を送っています。
 誰かに近づきたい、今までできなかったことができるようになりたい、こんなことを考えている時に出会ったのが中村勘九郎の次の言葉です。
   『型をしっかり覚えた後に、“型破り”になれる。』

 何事もいきなりできるということはありえませんが、そのことを身につけた後は 誰にもまねのできない能力や技術が自分のものになるということです。
 我が事務所のメンバーもこんな気概を持って、この一年間 皆様方とともに歩んでいきたいと思っておりますので何卒よろしくお願いいたします。

   平成31年 元旦 

 〒602-0941  京都市上京区今出川通小川東入南兼康町334
 URL:http://www.tax-hiroi.com  Tel:075-406-7020 Fax:075-406-7025
   廣井増生税理士事務所
     所長  廣井増生
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2018年12月31日

No608:年末を病院で過ごす母を見舞って考えたこと

 平成30年(2018年)も残すところあと1日となった。
 事務所は恒例となっている28日の忘年会を最後に新年1月3日までの6日間の休暇に入った。
 忘年会はいろいろと悩んだ末、意外と食べる機会のないイタリアンで今年を終えようと企画し、みんなでいろいろな話をしながらしっかりと食べて飲んで今年の事務所の行事を無事終了した。

 実は忘年会の最中に兄嫁から、母が入所している施設で転んで足を骨折したとの連絡が入った。長岡京の住んでいる兄もこの日 忘年会だったらしく、私と同様 お酒も入っているのですぐさま駆けつけることもできない状態であった。
 施設の方からは、今のところ大きな痛みもないようなので、翌日(12月29日)に地元の総合病院に連れていき、再度検査をして、その後の対応を決めるとのことであったので、私は29日に行くことを決め、母には申し訳ないがこの日の忘年会は途中で席を外すこともせず、最後までみんなと過ごした。
 
 今回の年末年始は兄夫婦が年末から現在空き家となっている実家に出向き、年始まで3、4日過ごすということであったので、私は帰省せずに京都の自宅で東京から帰ってくる息子も含め、ゆっくりと過ごそうと思っていた。
 ただ、こういった事態が発生するとそういうわけにもいかず、29、30日の両日 特段重要な予定もなかった私がひとまず29日に病院に行き、その後、帰省する兄とバトンタッチしようと考えた。
 病院に行くと、母が入所している施設の職員方からここまでの経緯を聞き、次に診察・検査をしていただいた整形外科の先生から病状を聞いたが、『このまま入院していただき、明日(30日)の朝10時から手術をします。お年寄りなので、一日も早く手術をし、無理のない範囲であるが、長い入院生活とならないように日常となる施設へ戻って、その施設に併設されている医療機関でリハビリしてもらうのが、本人様にとっても一番と考えています。』との説明であった。
 私は一応、一泊できる用意はしていたが、明日(30日)手術とは? と多少驚いたが、ひとまず29日は泊まって、30日の手術に備えた。
 
 手術といっても2時間程で無事終了したが、その間、病院の食堂でコーヒーを飲みながら雪化粧された天橋立を眺めていろいろなことを考えていた。
 母は認知が進み、私のことはほとんどわからないにしろ、私が正月に顔を見せないのでこんな形で私を呼び寄せたのかな とか、20年程前は父も健在で、我々3人の兄弟も子供を連れて実家に集まって賑やかだったな とか・・・。
 地元を離れて38年になるが、その間に起こったことを思い返してみると、自分の周りの環境も大きく変わったことや子供も大きくなった分だけ、自分も親も歳をとったことなど、普段は日常生活に追われ考えることさえもしないことが、この日は窓から見えるのがあまりにも “地元 丹後”にぴったしの景色だったのでこんな風に感じたのかもしれない。

 母のことは、この後 兄夫婦にバトンタッチすることになったが、まずは一日も早い母の回復を願うと同時に、年越しを病院でする母に対してなんだか申し訳ない気持ちになった年の瀬であった。
 今年もあと一日となったが、何とか無事に年末まで過ごせたことに感謝するとともに、新しい年も平穏な年となることを願って今年最後の綴りを終えることにする。
 
 みなさま この1年間 本当にありがとうございました。
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2018年12月23日

No607:もし、区切りがなかったら

 今年の仕事もあと一週間でお終いという時期になってきたが、この時期いつも今年やり残したことはないのか、今年中に完了しておかないといけないことが済んでいるのかと 「今年中」というキーワードで身の回りにあるいろいろなことを確認して回っている。 
 「もう、何もないよ」と言いたいところだが、実は、まだもう少し「今年中」に終えておかないといけないことが残っているというのが実情である。
 この「今年中」という縛りは、ある意味、すごく重圧がかかってきて気が重くなることも今まで何度もあったが、もし この「今年中」という縛りがなかったら、いろんなことがもっとズルズルと長引いていたのかもしれない。

 今年は、税務調査の当たり年であったのかどうかは知らないが、秋以降、税務調査が5件もあり、11月と12月に納税者(顧問先)や税務署とその解決に向けていろいろなやり取りをしたり、手を尽くした結果、そのうち2件は完了(うち、1件は追徴税額なし)、あと2件は何とか年内にキリがつく形で進んでいる。残りのあと1件は今年唯一の相続税の調査で、税務署側からの返答が遅く何かあるのかなと思って待っていたところ、つい数日前になってやっと税務署からの回答があり、大きな指摘項目もなく何とか終了できるメドがたった。ただ、残念ながら年内に完結というわけにはいかず、全てが終わるのは年明けの1月中旬頃になる予定である。
 上記のどの税務調査も納税者、税務署、そして税理士の3者に「今年中になんとか」という気持ちがなかったら、急がずダラダラと日数ばかりを費やしていたように思う。そういう意味で「今年中」にいう区切りは何事においても実はなくてはならないもののような気がする。
 我々の業界で一番忙しいのは個人の確定申告業務であるが、毎年その期限の3月15日が近づいてくると、「期限が3月末だったらいいのに」と思いながら仕事をしているが、もし、期限が3月末だったとしたら、その時は必ず、「期限が4月末だったらいいのに」と思ってしまうのだろう。
 まあ、人間というのはそれだけ自分に甘く、急ぎでなければ少しでも先延ばしになるというのが目に見えている。
 普段の仕事でも週の初めに「今週中に」という期限の仕事を月、火に済ませておけば楽になるのに、「今週中」というのは「金曜日が期限」と自分で勝手に決めてしまい、ついつい週の後半の仕事にしてしまっている。
 この区切りというのは、他にも、「今日帰るまでに」というのから始まり、「今週中」や「今月中」、中には仕事ではないが自分の人生の目標として、「○○代(私なら50代)のうちに」とか、いろいろな区切りによるプレッシャーを知らず知らずのうちにかけている
 ただ、人間誰しも ホッとしたり、楽しい時間というのはこの縛りのない時間を指すのであろうし、そういった時間にとらわれずに寝ていられる休日の朝やもうすぐやってくる正月を待ち遠しく感じるのは、やはり日頃 時間に縛られた生活を送っているからなのであろう。
 実はこういう時に頭を使うことがあっても日頃仕事をしている時とは違う部分を使っているような気がするし、だからこそ今までにない発想でいろいろなことが考えられる大切な時間ともいえるであろう。
 何とかこういう時間を大切にし、かつ、楽しむようにしたいなと思っている。
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2018年12月16日

No606:「あの人の力になってあげたい」と思わせる社長

 今から2年程前のことだが、非常に業績のよい京都府外の会社の経営者で私共の顧問先であるKさんから、京都市内に不動産を持ちたいのでいろいろと相談したり、物件を探してくれる仲介業者を紹介してほしいと依頼があった。
 私は今まで顧問先の方から、家を建てる土地を探してほしいとか、今住んでいるマンションを売りたい というような相談があった時に紹介していた□□社(大手ではない不動産業者)のT社長のことが真っ先に頭に浮かんだので冒頭で取り上げたKさんに紹介した。
 Kさんは仕事の関係上、日曜日しか京都に来れないが、この不動産屋のT社長は事前に物件情報を細かく調べ上げ、Kさんが京都に来られた日は、何ヶ所かの別件を丁寧に説明しながらいっしょに回ってくれたとのことであった。
 最終的には、このKさんは他の情報源から手に入れた物件情報をもとにマンション(京都の別宅)を購入されたので、親切に対応して下さったT社長の不動産屋の収益には何ら貢献せずに、京都の別邸購入という目的は達せられた形になった。
 ただ、その後もKさんは賃貸用マンションやハイツの購入など何度かT社長に個別で相談され、情報交換される関係は今なお続いているようであるが、KさんはこのT社長を通しての不動産の売り買いはいまだに一度も成立していないようである。

 先日、このKさんと本業の業績や決算について話をしているなかで、現在、所有している不動産物件の一つを1年以内に売却したいので、今の相場を調べて欲しいと依頼があった。
 私は、『今まで なかなか仲介成立には至ってないが、例のT社長に声をかけてみますね。』と言ったところ、Kさんは『是非とも、不動産屋のTさんにお願いしてみてください。何とかしてあの人を通して売りたいんですよ。あの人、本当に親切でめっちゃいい人でしょ。ああいう人と仕事ができ、何とか力になれたらとずっと思っているんですよ。』と、私に訴えてこられ、私は、『分かりました。』とだけ口にしてうなずいた。
 売れる人とそうでない人の違い、できる営業マンとそうでない人の違い、「あっ、これか!」 と私はこの時、“商売のコツ”のようなものを瞬時に感じとることができた。
 この話、Kさんとの些細な会話ではあるが、『めちゃいい人でしょ。・・・・何とか力になれたらと・・』 と この思い抱かせることこそ大切であり、この見えない力こそ、仕事をする上で最も必要とされるものなんだなと妙に納得してしまった。

 以前に、住宅メーカーでかなり上まで昇りつめていった大学時代の同級生と何年かぶりに食事をした時、これと同じような気持ちになったのを思い出した。
 確かに学生時代はいっしょにやんちゃなこともたくさんしたが、この久しぶりにあった時の食事の仕方や注文の仕方、そして支払いが終わって帰る時までの対応について、同級生ながらも最後まですごくいい印象を持ったまま別れたのを思い出した。
 できる奴(人)とは、また会いたくなり、そして いっしょに仕事をして、力になってあげたくなる人なんだな勝手に“できる奴”像を描いたりもしてみた。

 Kさんが社長に対して抱いた「あの人のために」 と思わせるまでになって初めて、その道の達人といえるのであろう。
 自分に何が足りなくて、どういったことが出過ぎているのかを考えさせられたというだけでも、意味のあった今回のKさんとの打合せであった。
posted by ヒロイ at 14:13| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月09日

No605:経営者に逃げ道はない

 今回は大そうなタイトルをつけてしまったが、タイトルのとおり経営者は全ての決断について自分で責任を負わなければならない ということが今回 伝えたい内容である。

 私共の顧問先である会社の経営者やクリニックの院長からは日々、相談を受け、それに対していろいろな角度からこちらでまとめ上げたものを提案をしているが、最後の最後は、経営者自身が一番いい方法を探りだし、そして前に進めていかなければならないと考えている。
 新型の機器を導入することも、新製品の開発に着手するかどうかも、売りに出た隣の土地を購入するかどうかも、また人員(従業員)を増やすことも減らすことも、過去の経験と目の前にあるデータ(資料)をもとに最終的に結論を出すのは、経営者以外 誰でもない。
 それは別の角度から捉えると、全責任は経営者にあるし、もし、経営判断を誤ってしまうと従業員や家族、それに取引先にも多大な迷惑や損害を与えてしまう。場合によっては多くの関係者を路頭に迷わせたりすることだってある。

 当方に持ちかけられる話で「コンサル会社を入れて経営の立て直しを図りたい」とか、「○○についてコンサルティングをしてもらって会社をいい方向へ導きたい」というような話を聞くことがあるし、我々 税理士からの話も参考にしながら判断を下されることもある。
 こういった時にうまくいっているケースとそうでないケースと明暗がはっきり分かれているように思う。
 その要因はそれを進めていく経営者の意思や姿勢であるが、「コンサルや税理士の意見も十二分に理解したし、自分で検証してみてもこれが正しいを思うので。」と思うのか、「コンサルや税理士が言っていたので、まあ間違いないやろ、とりあえずやってみよか。」と思うのかの違いであろう。
   そして、うまくいかなかった経営者の多くは、原因は自分にはなく、コンサルや税理士にあると言われる。

 今から10年以上前、ある勤務医の先生がクリニックを開業される時に融資を受ける予定の銀行の担当者から開業の動機を聞かれた時、その先生は「教授にも勧められたし、そろそろかなと思って」と返答されたが、その時の銀行の担当者は驚きながら「先生の強いご意志ではないんですか?」と聞き直していた。当時、私もこの銀行員と同様のことを思ったのを今でも覚えている。 二転三転した後、何とか融資は下りたが、この先生がいまだに安定経営に域まで達しないのは、やはり開業時のこの甘さ、気概のなさにも起因しているのではなかろうかと思ってしまう。

 コンサルや我々税理士の意見を参考にされながらも、自分でアレンジしたり、次なる展開まで模索されている経営者やドクターの会社やクリニックはみんないい方向に向かって進んでいる。
 そういった方を見ていると、経営とは考えて考えて、悩み抜いて、そして決まったらまっしぐらに突き進んでいく、まさしく“熟慮断行”が実践できるかどうかにかかっているように思う。
 よく、「経営者は孤独」という言葉を耳にすることもあるが、周りに助けてくれる従業員も家族もたくさんいるし、実は誰よりも多くの人に守られているのが経営者である。孤独と思わないことこそが いい方向へ進む秘訣では と個人的にはそんな勝手な捉え方もしている。
 
 今年もあと3週間。12月28日の事務所の忘年会でおいしいお酒が飲めることを楽しみにしながら、体調を崩さずに年末まで何とか乗り切っていきたいと思っている。
 寒くなってきましたが、皆様もくれぐれも体調には気を遣いながら年末を乗り切っていってください。
 では、今日はこの辺で。今から年賀状の準備に取り掛からないといけないので・・。
posted by ヒロイ at 16:40| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月02日

No604:人生の終わり方

 妙なタイトルで申し訳ありません。
 なぜ、急にこんなことを書こうかと思ったのかというと、ここしばらく相続関連の仕事をする機会が多く、所得税や法人税とはまた違った仕事の関わり方の中で、自分自身も人生についていろいろと考えさせられることもあり、最近思っていることを綴ってみることにした。
 
 最近、人生の終い方を考えましょう とか言って「エンディングノート」や「自分ノート」という自分が最期を迎えた時や子供に伝えたいことをまとめ上げる、そんなものが出回ったり、こういったものの書き方のセミナーまで開かれている。
 確かに、自分の老後や認知症になった後のこと、そして死に際について語れるのはある程度元気で判断能力のある60〜70代の人であろうし、最近、よく話題になっている“終活”というのも同年代の人が主流のようである。
 たまに50台後半から“終活”を始めていると自慢げに言っている人をテレビや雑誌で見かけるが、がんや白血病で余命〇年と言われている人ならいざ知らず、まだまだ元気盛りの人が“終活”なんて、私の個人的な意見では、「おたく、まだまだ早すぎますよ、その前に子育てや親の介護も含め、自分の日々の生活をもっと充実させる方が大事ですよ。そんなことを考えている場合じゃないでしょ。」とお節介を焼きたくなってしまう。

 実際、60代、70代、いや80代の人が、エンディングノートを書いたってなかなか思いどおりにはなりませんよね、というのが私の本音である。

 実際、私の父は86歳まで生きてたけど、ある日、昼ごはんと共に大好きなお酒を少し飲んだ後、自分の部屋で昼寝をしていて、母が午後3時頃、「お茶にしようか」と起こしに行ったところ息をしていなかったというそんな最期だったし、母は母でその後独り暮らしになってから、私が月に1、2回訪ねて行ったときは機嫌よくしていたが、いつからか認知が進み、段々 私とまともな会話ができなくなっていってしまった。
 こんなことを考えると、歳をとった本人は当然のことながら、その周りにいる家族、特に子供は親が元気なうちにどれだけのことをしてあげられるかを考えて接したり、寄り添うことが親孝行なのであろう。
 自分自身は、子育てや仕事で忙しい時期ではあったが、もっと親と話をしとけばよかったと思ったし、親の方こそもう少し息子との時間を持ちたかったのだろうなと思ってしまう。

 今、目の前にある見本でいただいた「自分ノート」を開いてみると、そこに掲げてある質問事項は、

@ 思い出の歌や好きな歌手
A 得意な料理や思い出の一品
B 若い時のあなた(自分)を振り返って書きましょう・・幼い頃のこと、学校のこと、懐かしい旅行 など

 こんなことを書くことは後生に受け継ぐためではなく、自分自身が人生を振り返るためのノートであり、自分の人生を納得できるものであったと思うために書くノートなのであろう。
 相続の仕事をしていると、ついつい残された人の意見でいろいろなことが決まったり、財産についても揉めたりして、亡くなった人の意向が尊重されないケースも多々あり、むなしく思えることだってある。
 良い死に方に誰しも憧れるが、そのためには今をしっかり生きることこそが、それに近づくのかなと何だか宗教家のような考えに行き着いてしまう。
 人間、生まれてくることは本人で選択できないと言われているが、死ぬ時も思うどおりにならない。そういう意味において、人生って誰が決めるんだろう なんて考えて 答えを見つけ出せないまま今日の話を終わりとする。

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2018年11月25日

No603:歴史を重んじる気持ちもプライドもない市の名称変更

 今回の話は(元)地図マニアの廣井が普段から不思議に思ったり、あきれかえっていることをただ単にぶちまけるだけの内容なので、地図や地名に興味のない人にとってはつまらない話だと思うので、興味のある人だけこの後も続けて読んでください。

 先日、兵庫県の篠山市が住民投票の結果「丹波篠山市」に変わることになったことはご存じだと思うが、篠山だけでは知名度が上がらず、やはり「丹波」とつけることによって、栗や黒豆の売上も伸びるだろうし、多くの人にいち早く認知してもらえるようにというのが変更の理由のようである。
 
 今回の件もそうであるが、私のような地図マニアの気持ちを一気に醒めさせたのが、2005年前後に全国各地で起こった平成の大合併である。この時はどこでもここでも市町村が合併し、新しい市、しかも縁もゆかりもない市の名前がついた あの騒動のことである。
 社会科、特に地理が好きだった小学生の頃から必死になって覚えた地名はたくさん変わっていき、県庁所在地の浦和市までもさいたま市なんていう味気ない名前になってしまった。随分前、ここでも取り上げた記憶があるが、清水の次郎長やサッカーJ1の清水エスパルス、そして先日亡くなった ちびまるこの原作者 さくらももこさんの出身地としても有名な清水市まで静岡市に飲み込まれなくなってしまった。
 昭和の時代の合併はそれなりに意味もあり、名称も納得いくものが多かった。
 例えば3つの広島市の話。かつて広島から北海道へ移住してきた人たちが住み着いた札幌の隣町が発展していき北にある広島として北広島市と名付けられたが、今や札幌のベットタウンとなり、北海道日本ハムファイターズも2023年に本拠地を札幌市から北広島市に建設中の球場に移すことが決定している。また、東広島市は名前のとおり広島市の東隣の存在するがこちらは今回の合併劇とは違い、1974年(昭和49年)に広島市の近くで、本家の広島市に何とか負けないようにとできた市である。

 平成の合併時の“名づけ”はここまで深く考えずにつけているようにも思える。2006年に名古屋市の北に位置する市町村が合併してできた市が北名古屋市で何とも味気ないが、名古屋の近くということだけはアピールできるという思いだろうか。私はどう考えても名古屋のおまけとしか思えないが・・・(北名古屋市の人 すみません)。

 冒頭の篠山市から丹波篠山市への市の名称変更もそこまでにして有名になりたいのか、名を売りたいのか と思ってしまう。この住民投票、私なら変更反対の1票を投じただろうな。だって、“篠山(ささやま)”の方が味があると思いませんか?  
 
 その他にも、個人的にセンスなさすぎと思える市を掲げてみると、
 群馬県にあるみどり市や栃木県のさくら市。合併騒動の中で誕生したさくら市であるが、さくら市の名前の由来を調べてみると「桜の花のように美しい市になって欲しい」と何とも単純。重みや歴史のひとかけらもない感じがする。
 それ以外でセンスがないと思っていたのが、四国の真ん中の市町村が合併してできた四国中央市(愛媛県)。この市は、四国の他の3県(香川県、徳島県、高知県)と接しており、四国の真ん中に位置しているらしい。
 九州の南にある市として「南九州市(鹿児島県)」なんていうのもできていてびっくりしたが、この市の人口はなんと3万人台。以前から門司、小倉、八幡を要する北九州市の人口は90万人以上。この北九州市と南九州市のアンバランスさが何とも滑稽に思えてくる。
 元々の市町村の名前には全く関係なくとも、聞いてあの辺りかと分かることを狙ったと思える 伊豆の国市、南アルプス市、そして和歌山県の紀の川市くらいまでなら個人的には許せるかなという感じである。
 
 今回は篠山の名称変更に端を発し、いろいろと勉強させてもらった。篠山市さん ありがとう。
 たわいもない話に最後までお付き合いしてくださった人が何人いるかはわからないが、お疲れ様でした。そしてありがとうございました。

posted by ヒロイ at 17:49| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月18日

No602:ズバッとものを言ってくれる人

 先日、ある金融機関と税理士との懇談会があった。
 この会は私が所属する近畿税理士会上京支部だけのもので、しかも、任意加入の懇談会なので、人数も全会員で50名超、当日の出席者も30〜40名前後と少人数の集まりであった。
 私は、この会の役員になっているので この日は研修会の後の懇親会では司会を仰せつかっていた。
 実は前日はかなり遅くまで仕事をしていたし、当日も夕方のこの研修会の前までは、とある医療法人の税務調査に立ち合っていたので、懇親会が始まるころには連日の疲れが一気に出てきて、今一つすぐれない体調のまま司会としての任務を果たそうとしていた。

 こんな中で、私は司会として犯してはならないミスを短い時間の間で2回もしてしまった。それは来賓の方の名前の読み方を間違ったのと、途中で楽器演奏する方を紹介をしないといけないのに時間が少し過ぎるまでうっかりしていて、ホテルの方に「そろそろですね」と声を掛けていただいてやっと行動に移したという失態である。この時、もし声をかけていただかなかったら、どうなっていたんだろうと後から考えるとまずかったなという思いでいっぱいだった。

 一応、テーブルには自分の席が確保されていたので、司会としての役割が何もないときにはその席で料理をいただいたり、つがれたビールで喉を潤していたが、同じテーブルだった知り合いの税理士や銀行の支店長の方は、『司会って大変ですね、ちょっと一杯飲んで一息ついてください。』とか、決して慣れているわけでもない私に対して『慣れておられるので緊張されることもないでしょう。』とか、私に気をつかっていろいろと話しかけられてきた。
 そうこうしているうちに、懇親会はお開きとなりホッとしながら会場から玄関の方へ歩いていると、同年代でよく知っている女性のM税理士から、『廣井先生、今日はズタズタでしたね、結構ね。今日の司会はちょっとね・・。』と私に本音でズバッと今日の司会の出来がいまいちだったことを口にしながら私を追い抜いて足早に帰っていかれた。
 今日の司会は自分でも今一つの出来だなと思っていたが、それを口にしていってくれたのはM税理士だけであった。
 確かに自己採点してみても、60点を下回るようなできであったにもかかわらず、誰もそのことには触れられなかったが、出席者の多くが同じような感想を持っていたんだろうなと思った。
 本当にこの忠告(感想)を言ってくれなかったら自分でも反省する機会さえ失っていたかもしれない。
 この日は重い気分で家路についたが、ある大役をこなすときは、最低限の体調管理と事前準備は必要だなと思ったし、それができないようであれば社会人として失格だな と本当に情けない気分になった。
 こういう気付きを与えてくれたM税理士に今度会った時は、『M先生だけや、先日のまずい司会について本音でいってくれたのは』とお礼を言っておこうと思った。
 褒めてもらえるのもうれしいが、こうして本音で話をしてくれる人が自分の周りに何人いるかで自分の成長も変わってくるんだろうなと そんなことも考えさせられた日でもあった。
posted by ヒロイ at 16:08| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする