2025年03月09日

No.921:高校野球の監督からヒントを得た人事評価

 例年のことではあるが、この仕事は2月になると繁忙期と言われる期間に入り、その中でも2月の後半から3月初旬までが繁忙期の頭に“超”が付く時期となる。
 先週はまさにこの時期の真っただ中であり、顧問先へ出向いての決算・税額報告、そして事務所内にいる間は確定申告書とにらめっこする日が続き、このコーナーを見向くことさえできず、残念であったが先週は久しぶりにお休みをいただいた。
 もちろん確定申告はまだ終わっていないが、事務所内で取り決めた最終作業日である3月13日に向けて、事務所のメンバーも資料の入手待ちで未完了という先を数件抱えながらも最終段階に差し掛かってきているという状況で、今日はその合間を縫って、ひと時の息抜きを兼ねパソコンの前で綴っている。

 実は先日 新聞である高校野球の監督のインタビューの記事が載っていて、その内容が経営者にも通じる部分があるなと思ったので少しだけここで紹介しておく。ちなみにその監督というのは昨年の選抜で優勝した健大高崎の青柳監督である。

 企業経営者にとって業績の安定・向上は重要な課題であるが、それを実現するためには 同じくらい重要であり かつ 不可欠なものとして人事評価が挙げられる。
 今から述べることは過去にもこのコーナーで何度も言ったことがあるので、以前も同じような内容を見たよという方もいらっしゃるかもしれないが、今回 ポイントとなるのは 経営者と従業員の距離があまりない中小企業における人事評価においては 情を挟まない ということである。
 また仕事をする上で人柄は重要な要素であるが、この人柄に重きを置く、つまり人柄に左右され過ぎると人事評価は適正性を欠くことがあるようにも思う。
 この健大高崎は我々のような高校野球のオールドファンから言うと、古くからの名門・古豪ではないがここ数年の活躍ぶりは今や名門と言っていいようなチームになってきている。
 80〜100名近くの部員数を抱え、Aチーム(主力)、Bチーム(育成)、Cチーム(新人)と区分され、各編成ごとに試合を組み 年間試合数は300試合にも及んでいるというから、まさにプロ野球顔負けのチーム構成である。
 私はどのスポーツでも、特に教育の一環として捉えられている高校スポーツの監督は選手の起用には頭を悩まされているだろうな と思っていた。
 今回の青柳監督は この多くの部員数の中でのベンチ入りやレギュラーを選ぶ上で心掛けていることを「部員に近づきすぎると情が生まれ、離れすぎると心をつかめない」という言葉で表現されていた。
 まさにこのことは中小企業の経営者にも当てはまることであり、この考えを貫いてこそ正当な評価ができるできるのでは 気付かされた言葉である。
 確かに経営者は孤独であり、また人には言えないような弱い面も持っているので、ついつい優しくされたり、自分に対して都合よく振舞ってくれるものを評価しがちになるということは誰しもありがちな部分ではあるし、このことは決して否定できない。
 「もちろん“情”は大切であるが、“情”に重きを置き過ぎた評価というのは決して正当なものにはならないし、情で選手起用した時は大抵失敗した。人柄はいいけど試合では使わないという
非常さも監督には必要。」という言葉に監督業の難しさ、苦労がにじみ出ているし、この青柳監督の言葉からはいろいろなことを学びとることができる。

 最後にこれは私が人を評価する上で気を付けていることを一つ上げるとすれば、直近というか、目の前での仕事ぶりだけで評価するのではなく、従業員の行動、仕事ぶりを一年を通じてしっかりと観察した上で評価するようにしている。
 これには「誰が」「いつ」「何をしたか」ということをきちんと記録し、年一回の人事評価の時にこの表も見ながら査定をするようにしている。そうでないと半年以上も前のことになるとついつい記憶が遠のいてしまっていることもあるので・・。
 数人規模の事業所であれば経営者一人で評価することも可能であろうが、10人 あるいは 15人以上になってくると評価する側も複数名で検討しながら評価することも必須であろう。

 これから春に向けてどこの事業所も人事評価の時期になってくると思うので、今日の話を少しだけでも頭の片隅に入れておかれると役に立つこともあるなか と思って綴った次第である。
 では、今日はこの後 確定申告の残った分の処理、整理にかかるので、このへんでお終いとします。
 また、来週 もう少しすっきりした気分でお会いしたいものです。
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2025年02月23日

No.920:今の選挙制度について(独り言)

 連日 国会は自民党が予算を通すためにどの政策を取り入れるのか、またどの党と組むのか という話題で持ちきりで、こういった話が先行すると、傍で見ていても本当の意味での政策論争がどこまで行われているのか疑問を抱かざるを得ない。
 疑問ならまだしも、今や不信と言っていいような状況であるのは多くの人が感じていることであろう。

 今日 ここでは目の前の論争は少し横に置いて、私が選挙のたびに“1票の格差”についていろいろと考えていることについて“私見”を述べさせてもらう。
 有権者の1票の重みに格差があってはならないというのは民主主義の根幹部分であるし、各地の裁判でもいくつも取り上げられ、合憲 あるいは 違憲と国民から見て関心のある話題でもある。
 ただ、国が音頭をとって「地方」、「地方」と叫んでみても当然のことながら地方は人口も少ないがためにそれに比例して割り当てられる国会議員数も少なく、都道府県別にみても10年20年前と比べて大きく定数減となっている地域もたくさんある。
 法的にはどこまで行っても議員の数は人間の頭数に比例するので、今から私が言うことは問題があると思うし、まさに違憲状態のことを言うことにもなるので、あくまで私見というか、ちょっとした個人的な思いという程度で捉えていただきたい。そうでないとこれから述べることは社会人、あるいは日本国民として×と言わざるを得ない意見なので・・。

 前置きが長くなってしまったが、
 衆院選全289小選挙区の中で「日本一広い選挙区」は北海道12区で総面積約1万5300kuは岩手県と同程度で、東京都と埼玉、千葉、神奈川各県の合計より広い。南北に長く、世界自然遺産の知床半島がある斜里町から礼文島までの直線距離約350qは、東京から滋賀県までとほぼ同じであり、網走市や稚内市など計28自治体で構成されている。
 逆に「日本で一番狭い選挙区」は東京都台東区と中央区にまたがる東京2区で面積は約20Ku。
 この2つの選挙区は面積だけで捉えると765倍もの差があり、定数は当然のことながらどちらも1人である。
 何度も言うが、これは国が認めている平等、つまり同じ一票の重さであるので仕方ないが、この面積の広い選挙区は人口は少ないとはいえ、この広大な土地の中には自然、資源、産業等はいろいろなものが存在するのは明らかである。
 ここには国民の食卓を支える農業、中でも酪農が盛んであり、沿岸部ではホタテ漁も多く行われており、こういった人間の数だけで判断しづらいものが日本の国土の中には数多く散らばっている。
 人口の首都圏、特に東京への一極集中が進めば進むほど東京の定数は増え続け、逆に地方の定数は減り続け、衆議院の小選挙区は東京都は20区、片や県内に2つの選挙区(当然 定数は各1人)しかないのは近畿では和歌山県をはじめとし、全国にいくつもある。
 こうなると日本の政治は定数(定員)の多い東京が牛耳ると言っても過言ではなという状態になる。もちろん人が多く住んでいるので当たり前のことではあるが・・。
 私は一体何が言いたいのかいうと、こういう形が続けばますます地方は浮かばれなくなる ということが言いたいのである。
 2024年の選挙前は「10増10減」であったが、将来は選挙での定数見直しは「30増30減」なんて言うことも起こってくるだろうと予測している。
 今日の話はこれ以上 取り上げても法律で決まっていることなので抵抗のしようもないが、田舎に愛着のある私としてはやり切れない部分が残るのは確かである。
 今日は目の前で繰り広げられている若者に目を向けた政治に何かしっくりこない感じがしているおっさんの独り言なのかもしれませんがどうかお許しを・・・。
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2025年02月16日

No.919:経営は3年目が勝負かな

 毎日 確定申告業務にどっぷりと浸かっているとついつい確定申告って正式にはいつから始まっていつ終わるのかまじまじと考えることもないが、基本的な日程は2月15日〜3月15日で 今年は暦の関係で2月17日(月)〜3月17日(月)がその期間である。
我が事務所は個人開業医の顧問先が多く、1年の業務の20〜25%くらいがこの1カ月の間に集中するので気が抜けない期間でもある。
 まだ 出だしとはいえ 我が事務所のスタッフは ほとんどが10年以上(中には20年以上の者もいるが)の経験者なので、誰からか指示を受けるでもなく、資料が入手できた先から各自が脇目もふらずにどんどんて手を付けていくので 事務所内は空気は既にピィーンと張り詰めた感がある。
 事務所内の取り決めでは3月13日には完了しているというスケジュールを立てているので 今から3週間余りの短期集中ということになる。
 私の方には出来上がった書類が全件まわってくるので、申告者(個人事業主や法人役員)の顔を浮かべながら、決算書・申告書の内容を見ていくというのが恒例の業務となっている。

 所得税の確定申告というのは対象者が大きな会社ではないので、業績はあくまでトップの経営手腕が色濃く出てきているというのもこの確定申告ならではの特徴である。
 もちろんすべての人が1年中 息つく暇もなく働いていらっしゃるわけではなし、決してそれが望ましいわけではないが、中には決算数字を見ていて「少しやばいぞ」と思えるような決算書がないわけではない。
 これまでの経験を踏まえると、医師・歯科医師に限らず他の個人事業者も含め、5年後、10年後、そしてそれ以降 軌道に乗って安定した経営が続けられるかどうかは、実は誰もが注目しがちな初年度の立ち上げだけではなく、3年目あたりに大きな岐路があるような気がする。
 というのも個人の起業であれ、会社の設立であれ 最初の1、2年は全身全霊とはいかなくてもいいが、やはり自分で事業を起こそうと決心した人なのでほとんどの人が毎日 経営に注力して過ごされているが、いろんな経営者を見ていると この“注力”というのを長続きさせることが何よりも大変なことである。
 私がこれまで見てきて、1年 あるいは 2年で当初の予想以上にいい数字が上がってきている人が、次の2つのパターンに分かれるような気がする。
@「2年間がんばってきて、比較的順調なので ちょっとひと休みしたいな。これからもたぶん大丈夫だろうし。」と思う人
A「少し数字はましになってきたけど、まだまだ2年くらいでは油断もできないので、もう少し気を緩めずに走らんとあかんな。しっかりとした基盤と自信ができるまで」という人
 この後者の方は放っておいても大丈夫であるし、5年もすると所得も予想以上のものになり、同業者、競合者が近くに現れようとびくともしない。
 それが前者の2年で一息つかれる人は、経営に対してマイナスに働くような何かの外的要因が出てくるとたちまち足元がガタガタし出してくる。
 多くの決算・申告の内容を見ているとこういったことが結構 的中してくることもあり、2、3年目がピークでその後 早くも下り坂となっている経営者には多少なりとも厳しめの話をすることもある。
 私が全件まわって説明するわけではないが、事務所の担当者には決算の数字を見て、終わった数字よりも翌年に向けての対応をしっかりと話してくるように伝えている。この場でも何度か言ったことがあるが、決算はまさしく経営者にとっての通信簿である。
 いろいろな事情があって、たまたま今回思うような数字が出なくても、「よし、次は○○に対して策を練り、取り返そう・・」と思う人は、1年くらい数字が悪くても間違いなく這い上がってこられるが、一番怖いのは、悪い数字から目を背ける経営者である。
 「お金が足りなくなったら銀行へ」なんて言っていては、業績はなかなか好転しないだろうし、借入のある人は何よりも優先して返済を進めていくというのが経営の常道であるように思う。

 軽い気持ちで確定申告のことを書き始めたところ、いざ経営数値の話になると思わず熱くなってしまったが、しっかりとフォローし、一人でも多くの経営者と ほっとした顔で面談できるように事務所としても支えていかないといけないし、それが節税と並んで、税理士・税理士事務所の重要な役割であろう。
 今日は朝の9時半ごろ京都マラソンが自宅の近くを通過するのに伴い、3時間近く北山通が通行止めになるので、その前に家を出てきて先週末から残っていた業務を片付けているが、もう終わっているので 身支度をしてそろそろ帰ろうと思っている。
 もちろん この時期はいつも以上に頭も使うし、明日からは外出も多くなり、事務所に戻ってから内勤という日が続くが、体調を維持することが何よりも大事であることは分かっているので、あと3週間 ペース配分も考えながら過ごしていきたい。
 今日はこんな状況下なので軽めにと思って書き出したが、気がつくと長くなってしまっていた。
 突然ですが、では 今日はこのへんで終わりにします。
posted by ヒロイ at 17:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年02月09日

No.918:雪を見ると故郷を思い出す

 昨日は京都市内も積雪があり、北山通より北に住む私の家の前は路面も真っ白で、しかも凍てついてガチガチの状態であった。
 ただ 雪国育ちの私にとっては、これくらいの雪は大したことではなく「今日は屋根が白いな」という程度の感覚である。
 今回は雪のことに触れようと思っていたところ、以前に雪は嫌な思い出ばかりではない ということをこのコーナーで綴ったことを覚えていたので過去の履歴を探してみるとなんとか見つかった。
  あらためて読み返すと今の自分も励ましてくれるような内容だったので、今日はちょっと手を抜いてこの時の原文をそのまま張り付けておきます。
 長くなって申し訳ありませんが、お時間のある方はお目通し下さい。

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【No711:雪の積もった故郷に元気づけられた(2020.12.20)】
 先週の12/15(火)と12/16(水)は私の出身地である与謝野町を含む京都府北部へ毎月の定例業務ため訪問していたが、よりによってこの2日間はこの京都府北部の日本海側は雪が降っていて、車での移動中も時には横なぐりの雪が降りつけ、車のワイパーは休む暇もなく雪除けに大活躍であった。
 京都市内でも北に位置する北区や左京区は雪も多少ちらつくももの、道路に積もるような降り方ではなかったが、私が仕事で雪国へ向かうこの日はまるで狙い撃ちしたかのような雪降りの天気であった。
 今回の大雪は新潟県などでは高速道路で車が立ち往生したり、他にも積雪による被害が出ているので、雪が降ってよかったなんて言うのは、多少不謹慎かもしれないが、今回 仕事先で雪に遭って 少し心が和んだ部分がある。
 昨冬は暖冬だったので雪を目にすることさえほとんどなかったので、車のスタッドレスタイヤもほとんど活躍することなく、あまり冬を感じることなく春を迎えてしまった。
 日常生活を送る上では、暖冬の方がいいに決まっているが、先週の雪は久しぶりに故郷を思い出したというか、小さい頃はこんな中で、スキーやそり遊びをしたりをしたり、学校の休み時間には雪合戦で雪降りにも関わらず汗だくなったことを思い出した。
 その日も顧問先(クリニック)へ行くと 院長先生が駐車場の雪かきをされており、雪国ならではの苦労を目の当たりにしたが、私なんかはいくら大変だといっても今 毎日の生活に“雪”があるわけでもなく、こういった雪国の方は私なんかの苦労とは比較にならない程 大変なんだろうなと この先生の額の汗を見ながら感じた。

 雪の話をもう一つ。
 あちこちで雪かきしている人を見て、子供の頃 雪の降る朝 いつもより早く起き、スコップで道路の雪かきをし、通学路を確保してくれていた父のことも久しぶりに思いだした。
 雪の日の朝は目さまし時計ではなく、「ガガガガ―」という 雪かきをする父が持つスコップが道路をえぐるような音で目が覚めるのである。 それと、屋根に積もった雪が軒下に落ちてくる「ドーン」という地響きのような音、これが雪の日に目を覚ましてくれる音である。
 仕事で行った故郷でたまたま雪を見て、両親を思い出したという何ともセンチな話であるが、その父は既に亡くなっており、母も施設に入っているので、私と話をするのを楽しみにしていた親と話をする機会さえ今はもうなく 寂しい限りである。

 都会にいると、「温泉に行って雪景色を見ながら かに料理を」なんていう旅行のパンフレットを見ることもあるが、雪国育ちの者にとっては雪を見ながらお酒や料理を楽しむなんていう発想はなし、冬になれば雪というのは生活そのものという感じである。
 だた、私も地元を離れて40年も経つと 段々 昔のことは忘れてしまっているが、仕事とはいえ こうして雪に出会うことは、少し大げさかもしれないが、何か忘れかけたものを思い出させてくれる そんな気持になった。
 確かに雪道を運転するのも一苦労だったし、靴の中までも濡れてしまったが、故郷で雪に遭遇したことは、懐かしさだけでなく、なんとも言えないパワーをもらった気がした。
 また、いろいろな意味で、「いくつになっても自分の原点を忘れてはならないぞ」といって励ましてくれているような気がした。
 思わぬ雪であったが、やはり幼少期を過ごした所は、本人しか分からない不思議な力があるもんだなとも思った。
 私の子供たちは3人とも京都を離れて暮らしているが、将来、京都で祇園祭や大文字、それに鴨川を見ると何か目に見えぬパワーをもらうようなことがあるのかもしれない。
 いくつになっても故郷はいいものであり、温かさを感じられるありがたいものである。

 今年はコロナの影響でお正月に里帰りできない人も多いと思うが、ほんの少しの時間でいいので、故郷のことを考えることは決して無駄なことではないと思うし、きっと自分の原点がそこにはあるような気がする。

 今年も仕事するのは あと1週間。いいお正月を迎えられるように目の前にある やり残したことを何とかきりをつけたいと思っている年末の日曜日の夜である。
 明日も雪の降る日本海方面へ出張ですので今日はこのへんで。
posted by ヒロイ at 12:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年02月02日

No.917:時間を守れる人と守れない人の違いは?

 私の中では時間厳守って特別なことではなく、当たり前のマナーなのでこんな場であえて取り上げなくてもいいのだが、やはり時間を守れる人とそうでない人が世の中にいるようである。
 予想し難い交通渋滞や突然のトラブルによる公共交通機関の乱れの場合にはやむを得ないと思うが、特にアクシデントもないのに約束の場所に遅れてくるというのは、相手に失礼というより、最初に「すみません、お待たせしまして」ということから面談がスタートすることにどんな思いを抱いておられるのか聞きたくなることがある。
 定期的に面談する方の中に常々大変お忙しい方がいらっしゃって、いつもなかなか時間どおりにはお越しにならないので、定例の19時というのをご本人は「19時でも大丈夫です」とおっしゃるが、こちらが気を利かせて「お忙しいようなので少し余裕を持たせて次回からは19時30分」にいう約束にしたところ、やはり19時の約束の時と同じようにほぼ毎回10分後の19時40分に来られる。
 私は特に怒るわけでもないし、毎度のことなのでそれほど気にならなくなってきているが、この人の約束時間って一体何を指すんだろう なんて意地悪なことも考えてしまう。
 物事を頼んだりお願いする時や重要な商談の時、特に初対面の人と会う場合 さすがに遅刻する人はないと思うが、何事もまずは最初の印象って非常に大事なことだと思う。
 ただ 面談先の会社を訪問する時、予定より3〜5分早く着くくらいなら許容範囲であろうが、「少し早く着きそうですがいいですか」という事前の断りもなく、10分以上早く訪問するというのは相手様の準備もあり、これはこれで少し失礼なことのように思う。

 私は面談場所に遅れていくというのは大きなアクシデントでもない限り、絶対とまではいわないがほとんどない。それは約束の時間を守るというのは何よりも重要なことと思っているからなのであろう。
 ただ こんなことを確実に実行するのは結構 大変で、そのために無駄なこともたくさんしている。
 「無駄なことって 何?」 と思う人もあると思うが、それは車の場合には行先のよっては渋滞による遅延を多少多めに見積もったり、電車も万が一の乗り違い(初めての訪問先ならなおさらであるが)が起こることも想定しながら動くので、何事もなくスムーズに動けた場合、結構 空き時間ができてしまうことがあり、行先によってはその時間が30分近くになることもある。
 ただ 実はこの30分が私にとっての自由時間みたいなもので、本を読んだり、スマホで調べものをしたり、その目的地の周辺を歩いて、あるいは車で回ることによってその会社やクリニック、時には開業予定地の周辺調査ができ、この動きが後々役に立つこともある。
 車で2時間近くかかる顧問先を訪問する時は、30分くらいの時間の幅を活かすために車の中には読みたい軽めの本がいつも2、3冊 移動図書館のように置いてあるので退屈することはまずない。

 実は先日 東京にいる次男が勤務先のトップに同行して外出する時に、自分が事前に調べていた電車の時間よりも2本分ほど早く、「廣井君、そろそろ行こか」と言われた時には慌てたと言っていたが、話の最後(オチ)は「世の中にお父さんよりせっかちな人がいてびっくりしたわ」ということであった。
 余談ですが、“せっかち”のことを少しだけ意味の違いはあるにせよ“イラチ”という言い方をすることもありますが、この“イラチ”って関西弁って知ってました?
 今度 東京の人と話をする時に聞いてみよ!
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2025年01月26日

No.916:わんちゃんは見ている

 我が家のわんちゃん ポポタンは普段はカミさんべったりで、朝と夕方の散歩はもちろんのこと、寝る時も同じ部屋でどちらが添い寝かわからないような形で寝ている。
 そんな状態なので休日にカミさんが用事があって出て行った後、私一人が家に残っているときは、いつ帰ってくるんだと言わんばかりにリビングのドアの方へ行ったり来たりして落ち着かない様子である。
 「私が居るのに」といくら私が心の中で呟こうとも私にはあまり関心を寄せてこないが多かった。
 それがあることがきっかけで様子が変わってきたのを見ると、うちのポポタンも結構 繊細な一面も持っているなと思うこともある。
 長女が2歳と5カ月の子供2人を連れて我が家に数日間 来ることがあり、娘(長女)は上の子、カミさんは下の子にかかりっきりで、ポポタンは朝夕の散歩以外はあまり構ってもらえず 部屋の隅っこでゴロンと休んでいることが多く、その様子は私には拗ねているようさえ見えてしまう。
 また赤ん坊の泣き声がうるさい時もその大きな声から逃れようと隣の部屋の端の方へ避難している。
 わんちゃんなので不満も言えず おとなしくしているが、こういう状況の時に私が仕事から帰ってくると今までは私にはあまり関心を寄せてこなかったポポタンが のこのこと私の足元まで忍び寄ってきて顔を覗き込んでくる。
 その表情はまるで「家の中に人が大勢いる時は私はほったらかし」と言っているようで、私は「とうちゃんがいるからな」と言いながら撫でてやると何とも嬉しそうする。普段(平時)にはあれほど関心を寄せないくせして 「こんな時だけかよ」なんて言いつつも私にとっては何とも「かわいいやっちゃな」という感じである。
 こういった様子を見ていると 何気なくいっしょに暮らしていながら、わんちゃんも いろんなことに対して敏感なんだなと思ってしまうし、人間なら言葉で自分の気持ちを表現できるが、わんちゃんはそれができない分余計に態度で表してくる。
 これって動物だけでなく、赤ん坊も似たとこがあって、何かいやなことがあるとすぐに態度に表してきて、私が雑誌を見たり、スマホをいじりながら抱いていると必ずと言っていいほどぐずってくるが、何も持たずに立ってあやすと さっきまで泣いていたのがピタッと泣き止むからこれまた不思議なものである。

 この周りの行動を見たり、何気ないこちらの状況を感じとられているというのは、大人の世界とは違ってとても新鮮であるが、これって わんちゃんや赤ん坊はある意味 素直な気持ちをそのまま純粋に行動に移しているだけなのかもしれない。
 日々のビジネスシーンでは経験することのない こういったとりとめのない日常って、多少は自由を束縛されることがあってもそれほどいやにならないからなんとも不思議なものである。
 そりゃ子育て真っ最中の親であればこんな悠長なことは言ってられないだろうし、毎日が必死なのであろうが、私のような立場であればこれほど新鮮な気持ちで接しられるんだと自分の変わりように驚くこともある。

 今日は時間に追われるような毎日を送っている者が、わずかな時間とはいえ、違う世界に身を置くことでホッと一息ついている日常を紹介させてもらった。
 そう考えると今日のようなことと綴ることで、仕事で抱え込んだストレスを吹き飛ばす効果も大いにあるような気がする。
 ただ、このお世話が毎日だとこんな気持ちにはなれないだろうけど・・。
posted by ヒロイ at 16:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年01月19日

No.915:風通しが良い職場

 こんなタイトルをつけること自体が個人主義もある程度 認められる今の社会ではマッチしないのは分かってはいるが、自分の職場(事務所)を見渡して、風通しの良し悪しが日常業務の遂行にも多少なりとも影響を及ぼすこともあるのではという思いもあり こんなテーマを取り上げた。
 毎年 年始め最初の出勤日に新年のあいさつを兼ねて朝礼を実施しているが、今年は「思っていること考えていることを素直に口に出そう」と いうような話をした。
 別に今の職場の状態に問題があるわけではないし、私が若かった頃と比べるとある意味、黙々・淡々と仕事をしていて作業効率という点では申し分ないが、他の人がどんな風に考えているのかということが以前よりも分かりにくいというような気がしないでもない。
 古き時代には俗にいう“しょうもない雑談”を通して人の考え方や生活スタイルなども分かり、そんな中に目に見えない仕事のしやすさも潜んでいたようにも思う。
 他人様にあまり深入りすることは決していいことととはいえないのでこの辺りのバランスが非常に難しいが、仕事をする上で他の人の考えが分かることによって意思の疎通が図られ、さらには情報の共有化も進むという点では必要なことのようにも思うのでわざわざ新年にこんな話をしたのである。
 オフィスが1フロアであれば、全員の顔を見渡せ、ある程度 その場の雰囲気や仕事の状況も自然に察知できるが、我が事務所は22人が3、4、5Fと3つのフロアに分かれて仕事をしているので、顔が見えないということが、情報を共有化するのに少し妨げになっているのも事実である。
 ただ、今は社内メールという便利なものがあるので、伝達するのは相手がいなくともいつでもできるという点では大きな問題があるというわけではない。

 あと新年に事務所のみんなに「相手の迷惑にならないことであればもう少しおせっかいを焼いてもいいのでは」というような話もした。
 もちろん、一線を越えてまでおせっかいを焼くことはただの迷惑行為に過ぎず あってはならないが、職場内はもちろんのこと、顧問先の方に対しても 時と場合によってはもう少し踏み込んでおせっかいを焼くことは決して悪いことばかりではない という話もした。
 若い世代にとっては「妙なこと言うな」と思う人もいるか必要と思われるおせっかいは焼く” ということかなと自分には言い聞かせている。
 今日の書き出しでも言ったように、成果主義や個人主義を表に出しがちな世の中とは逆行するかもしれないが、こんな経営者がいたり、こんな職場があってもいいではとも思っている。

 今日も長くなってしまったが、過去このコーナーで同じようなことを綴っていた記憶があったので探してみると、【No619:今では懐かしい “おせっかいな人”(2019年3月10日)】というのが見つかった。
 あらためて内容に目を通してみると 今日の話と少し重なることもあったことからも、私って何年経っても同じようなことを考えているんだなとあまり変わらぬ自分に気付くこともできた。
 変わらぬことが良いことが、良くないことかはわからないが・・。
posted by ヒロイ at 11:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年01月13日

No.914:私が仕えた唯一のトップ

 新年早々のこの連休は、年末年始の休暇以降 休みが多くて仕事の方が停滞しそう と多少なりとも心配はするものの、いざ休みになってしまうと 毎年のことながら正月明けの慣らし運転からこれから訪れる繁忙期の間の時期として頭と体の切り替えにちょうどいい休暇になっている。
 昨日は全国都道府県対抗女子駅伝で地元 京都が優勝したことで 京都府民の中には いくらスポーツのこととはいえ、これまたいい気分で今年のスタートが切れたと思っている人もいるのでは。

 さて ここから本題ですが、
 私が学校を出てから開業するまで23年間勤務していた税理士事務所(退職時には税理士法人)で長年 トップに君臨されていた(元)所長が施設に入っておられることを昨年12月に親族の方からお聞きした。
 特に体のどこかが悪いとかではなく、80代後半の奥様の体調管理との兼ね合いで入所されたと聞いていたし、面会も可能とのことだったので、事前に予約を入れた上で 教えてもらっていたその施設を訪れた。
 市街地からは車で10〜15分ほどで比較的便利のいい場所にありながらも 目の前にはゴルフ場もある自然に囲まれたいい雰囲気の施設であった。
 前回お目にかかったのは2年半程前に所用で私が以前に勤務していたその事務所を訪れたときだったので、久しぶりに顔を見れるということで数日前から面会を楽しみにしていた。
 施設のスタッフの方に部屋(個室)の前まで案内してもらい中に入ったが、6畳くらいの部屋のベットの横で車いすに座って私が来るのを待っていてくれたようである。
 部屋に入るなり、「廣井です、ご無沙汰しております。お元気そうで・・。廣井ですが分かりますか?」と声を掛けると、少し間は空いたものの にこっと笑みを浮かべながら「それくらいわかってるで」と返された。
 2年くらい前までは自宅からバスを乗り継いで事務所に出てこられているとは聞いていたが、今では確か90歳は超えておられるし、もちろん往年の時のような軽快な会話というわけにはいかないが、最後まできちんと話ができ、私の方も非常にいい時間を過ごせたなと思っている。
 話の途中に、「その話はさっきの話の続きみたいだけど、話はひとつづつ区切ってもらわんと僕の頭ではなかなか前後の関係が繋がらんことがたびたびあって・・」とおっしゃったが、それが「そりゃそうですよね」と妙に納得し、その後は更にゆっくりと一つ一つ確認するようにしながら話をした。
 話をしては休憩し という形ではあったが、体調もよさそうで 声は小さめであったが聞き取れないようなことは全くなく、お互いゆっくりめの口調で 昔話や今の生活ぶりについていろいろと話を聞くことができた。
 長居してはいけないので15分ほどで失礼しようと思っていたが、部屋を出る時に時計を見ると30分近く話していたことに驚いた。
 私の場合、私もカミさんもどちらも両親が既に亡くなっているので、最近では身近なところでは90歳以上の人が少なくなってきているが、今日は23年間もいっしょに仕事をして、仕事の進め方や考え方について たくさんのことを教えてもらっり、所員旅行や食事会にあちこち連れて行ってもらったことを懐かしく思いだした。
 天安門事件の前の年だったが、所員旅行で中国に行った時に万里の長城の急な斜面を「きついな」と言いながら必死になって上がっておられた姿は今でもよく覚えている。実は私は入社3年目で初めての海外旅行であった。
 昨日、帰る間際に少し小さめの声ではあったが、「近いとこやし、また顔を見せてな」と言われたので、失礼にならない程度にまた訪れようかなと思い、施設を後にした。
 年齢的には自分の親世代であり、体力的にはもちろん私の方が元気であるし、話の内容も決して大層なことでないが、口にされた一言一言から不思議と目に見えぬパワーをもらうことになり、これって不思議なものだなと思ってしまった。
 今日 話をした思い出話だけでなく、今の私や事務所の運営の根幹は長年いっしょに仕事をしたその勤務先で培われたものもたくさんあり、面会を終えて感謝の気持ちが沸き起こってきた。
 何と言っても 私が生涯で給与をもらった唯一の勤務先ですから、私の社会人としてのイロハがすべて詰まっていた場といっても過言ではないですよね。
posted by ヒロイ at 17:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年01月05日

No.913:人生の教科書

 今年初めてと思いきや そう言えば元旦に新年の挨拶として、事務所の年賀状を張り付けていたので、新年2回目です。
 みなさんはどんなお正月でしたか?
 私は9連休だったので最初の2日だけは近場に出かけたが、あとは歩いて近く神社へ初詣に行ったのと、年始に東京から帰ってきた次男と、そして昨日 和歌山の長女一家と食事に行ったくらいで、それ以外はほとんど自宅のリビングか自分の部屋に籠っていた。
 時間ができたら読みたいな、目を通したいなとか思っていた本や資料が私の部屋に積まれていたが(中には1年近く)、こういったものを読む時間がいつになくしっかりとれたのは、9日間 ほとんど外部との接触がない休暇だったということも大きかったように思う。
 そのお陰もあって 山積み状態が低い山になり私の部屋も多少なりとも整理ができた感があるが、これから繁忙期に入るので、「また時間がある時に読もう」という本が3月末くらいまで積まれていきそうである。

 私は年賀状をまだ出し続けているが、“年賀状じまい”という人も徐々に増えてきて、今年も数名の方からそういった添え書きのあるものをいただいた。
 このことに関しては本当に各人の自由で以前から返事が来ない人でも 年一度のあいさつ代わりに出している人もいるので、人それぞれの考えで出す、出さないは決めていけばそれはそれでいいのかなと思っていいる。
 前の職場でいっしょに仕事をしていた同年代の女性からの年賀状には、このブログを楽しみにしているということに加えて、「共感することも多いです」と書かれており、こういったのを見ると単純なもので「もう少し続けようか」なんては励みになったりしている。
 あと 私がまだ20代だった頃、私の部下という形でいっしょに仕事をしていた当時 高校新卒だった女性からの年賀状には、「子供は就職し、私は元日から働いています」と書いてあったのには、何の仕事をしているんだろう? 正月から仕事なんて と思ってしまった。

 毎年のことではあるがテレビは正月ならではの番組がほとんどで、元プロ野球が「野球人生ってどうでした」という問いかけに対して、すかさず「野球は人生の教科書です」と答えていたが、箱根駅伝を走った選手たちも20歳前後の若者とはいえ もしかすると同じように「箱根駅伝は人生の教科書です」という人も何人かいるのかもしれない。
 この「○○が人生の教科書」なんて言えるものがあるなんてすごいなと思うし、これって野球や箱根駅伝で活躍したことだけでなく、それまで一つのことに打ち込んだからこそ、その過程がその人の考え方を変えり、人生の根幹となるようなものが出来上がっていったのであろう。
 この歳になって人生の教科書を持ち合わせていない自分に多少恥ずかしさも感じるが、私がまだ小さい頃 親父が晩酌しながらの会話の中で、何回か言っていたいくつかの言葉がいまだに私の頭に残っているが、これが私にとっての教科書みたいなものかな思ってしまった。
 「人に迷惑をかけない」、「いつまでもあると思うな親と金」、あと商売をしていたので「損して得取れ」というのもよく言っていた。
 実はこんなこと久しぶりに思い出したが、これも今日のテーマを決めた後、自分を振り返ることになり、親には大変申し訳ないが数ヵ月ぶりに遠い墓で眠る親のことを思いをはせた。
 最後は妙な展開になってしまったが、年の初めに多少なりとも目が覚めるような終わり方ができてよかった。

 多くの方と同じように私も明日から仕事です。今回のように長い休みの後ってきついですが・・。
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2025年01月01日

No.912:謹賀新年

謹賀新年

旧年中は格別のお引立てに預かり誠にありがとうございます。
世界的にも我が国においても経済は持ち直し、好調・好況と言われている業種も少なくありませんが、周りを見ると日々の生活が豊かになったと肌で感じている人がたくさんいるようには思えません。
大きな社会の中で生活している以上、一人の力ではどうしようもない現実が目の前にありますが、決して腐ることなく、前を見て一歩一歩前進していくしかないように思います。
今の時代 万人にとっていいことばかりではなく、やはり個々の思いと見識に左右される世の中ではありますが、様々な分岐点に立った時 そのまま今の時流に乗るのか、あえて別の道を選ぶのかをきちんと見極めながら毎日を過ごしていかなければならないと考えています。
これからも皆様方とともに歩んでいきたいと思っておりますので何卒よろしくお願いいたします。

令和7年 元旦 

廣井増生税理士事務所
 所長 廣井増生

〒602-0941  京都市上京区今出川通小川東入南兼康町334
   Tel:075-406-7020   
   Fax:075-406-7025
   URL:http://www.tax-hiroi.com
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