批判というのは一歩間違えば悪口になってしまうこともあるので慎重に発言することが求められるし、当然のことながらその発言には責任を持たなくてはならない。
仕事で会社の経営者やクリニックの院長と話をしていて、取引先や従業員を批判するような話を延々とされる方もあるし、なかなか他の人に言えないことを私にぶつけられているなと思うこともあるが、その会話の延長線上に解決の糸口が見つかることもあるので経営者のこの行動が決してマイナスとはいえない部分がある。
このように私は仕事上いろいろな経営者の生の声、本音を直接聞ける立場であることを単純に「得しているな」と思し、事務所の経営や自分の生き方に活かせることもたびたびある。
ただ 中には言いたいことを言うだけの人もあり、こちらが建設的なことを言っても自分にとって都合の悪いことであればその話に全く入り込んでこない方もある(こんなこと言っていいのかな?)。
昔からよく言われている「人の振り見て我が振り直せ」が実行できるかどうかによってその人自身の価値も変わってくるだろうし、この他人の行動を自分に置き換えて考えることが口で言うほど簡単なものではないことは誰しもわかっていることではある。
人を批判するだけって案外容易いことかもしれないし、今日私が最初に言っていたように私もその批判者の一人かもしれないが、こういった場を設けている立場上、単なる批判者で終わってしまえば、「廣井さん ただの文句いいやんか」となってしまうので批判するにも気を使うし、そこには当然のことながら批判するだけの覚悟が必要だと思いながら綴っている。
今 世の中は言ったもん勝ちのようになっている面もあり、顧客からの過剰な要求やクレームであるカスハラ(カスタマーハラスメント)についても各事業所が頭を悩ませているが、古き時代は言う側の責任という意味において結構勇気のいる行動であったと思うが、今や言う側の責任とか人としての許容や寛容なんていうものが存在しなくなったのかと考えるとある意味哀しい世の中になってしまっているなと思ってしまう。
私も若い頃、あるファミレスで頼んだ料理がなかなか出てこなかった時、「30分待ってるけどほんまにオーダー通ってる?」とか、「このハンバーグ、中ちょっと冷たいで」って言ったことはあるが、それ言うのも勇気が言ったし、ましてや今どきよく聞く 店側に金銭をはじめとし何がしかの要求をするなんて考えられない。
話が少し逸れかかっているかもしれないが、人の批判はしてもいいけどその時に自分の方も振り返って「自分はできているのかな?」と考えてから行動を起こすことでかなり前向きで建設的な道筋ができるように思う。
今日はちょっといつもと違う流れになってしまったが、世の中が変わっていく中でこんなおっさんもいてのいいのかなと思って言いたいことを言わせてもらった。
全然 話は変わるけど私が小学生の頃って道徳の時間というのがあって、当時は訳が分からんなと思うような教科書を配ってもらっていたけど、今もあるんですかね道徳の時間って? それともこの教科自体が化石のようになってしまったんですかね?
この時間てボーっとできるので息抜きにちょうどよかってんですがね・