2025年11月09日

No.956:人はどこかで繋がっている

 先日 ある福祉施設のトップの方と食事をする機会があった。

 その方が定年まで勤務されていた銀行時代からの長いお付き合いであるが、銀行では数ヵ店の支店長を歴任され、最後は役員までなられた方である。
 私が開業して間もない頃、私の顧問先の融資の話で事務所にもお越しなられたこともあったし、その後 お知り合いの相続の相談にものってほしいとご自身の勤務時代の先輩を紹介いただいたこともあった。
 実はこの方(以下 Kさんという)は7つ歳の離れたの私の兄の中、高の友人で、私の実家が高校から近いこともあって学校帰りによく立ち寄られ50年以上も前 私もいっしょに遊んでもらったこともあったという間柄である。
 「今日で中間テストも終わったし、人生ゲーム1回だけしてから帰るわ。人数多い方が盛り上がるん増生君も入ってええで」と小学生の私もよく声を掛けられ、ゲームに参戦させてもらったのを覚えている。実はその回数は1回や2回ではなく、回数こそ覚えていないが当時 高校卒業まで10回以上に及んでいたように思う。
 Kさんも私の兄も高校卒業後は別々の大学に進んだので、当然のことながら会う機会は全くなく、その次はそれぞれが銀行の支店長と税理士という立場で35年ぶりに面談(再会?)したのが、私が開業して間もない頃 事務所にお越しになられた先程 綴っていた話である。
 銀行退職後は知り合いの社会福祉法人から声を掛けられ、その後 役員に就任、そして今では理事長にまでなられている。
 経営や財務内容の相談は顧問の会計士の方にされているようだが、この日は300人いるスタッフや役員等の人事のことで話を聞いて欲しいと1カ月ほど前に連絡があり、この日の食事をしながらの面談ということになった。
 すごく込み入った難しい問題ではなかったので、雑談を交えながら近況報告や昔話にも花が咲いたが、過去においては何人かの同席のもとでの面談であったので、この日はお互い「よく考えてみると2人だけで話をするのって初めて」と言いながら本当にいろいろと本音の話ができ、食事とともにお酒も進んだ。
 私もお酒はまあまあいける口であるが、Kさんは私の倍以上のピッチで何度も生ビールをお代わりされ、その飲みっぷりには私は完全に脱帽という感じであったが、仕事のことだけでなくそれ以外のことも話題の豊富な方であり、私もよく話す方であるが久しぶりに聞き役の回ることが多くなる2時間半であった。
 当時高校生であったKさんと小学生であった私、この2人は友人の弟と兄の友人というよくある関係かもしれないが、こうしていっしょに仕事をする機会が訪れるとは当時はもちろん予測すらしていなかったことである。
 縁ってこんなもんやし、大げさに言うとこういうことこそが生きている証なんかなと考えてしまうし、仕事ってこういった繋がりがあって初めて成り立つものであるなとあらためて実感した。

 少し余談になるが、
 Kさんは私にとっては大先輩であるにも関わらず、私のことを仕事の上では「廣井先生」と呼ばれているが、この日はお酒の勢いもあり、途中からは「廣井君」、「増生君」、そして最後の方では「増生先生」なんて言われたこともない呼び方まで登場した。
 この何度も呼称が変わること自体がこの日の盛り上がり方を表すものであるだろうし、「久しぶりになんでも腹を割って話ができた」とおっしゃったことが私は何よりもうれしかった。
 最後は「お互い忙しい者同士ではあるが、そう遠くならないうちにまたの機会を」ということで分かれたが、この日は私にとっても得ることの多い会食であった。
 Kさんは「増生君」と口にされるのが一番なめらかだったのは言うまでもなく当然であるので、次は最初から「増生君」、「Kさん」でスタートしようと決めた。
 こんな時間が活力になるんでしょうね、年に1、2回の。
posted by ヒロイ at 15:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年11月02日

No.955:開業する人の熱い想い

 日に日に肌寒くなってきて、このまま季節が進んでいくと今年もあまり秋を感じることもないままに冬に突入しそうな気配であるが、今日は晴れ間も少し見えて“いい秋の休日”という感じの日であった。
 本当はこの連休に久しぶりに近場に旅にでもと思って、夏から計画を立て ホテルも予約をしていたが、我が家のワンちゃんが足に大きなけがをして先週 手術をしたためにこの旅行は1カ月前にけがをした後、すぐ取りやめとなっていた。
 今日は手術後1週間目でやっと抜糸でき、今後の養生が必要とはいえ ひとまず一段落ついたという感じである。

 1カ月前に連休の予定がなくなったのを察知されていたかのように、「可能なら連休に面談を」と連絡が入り、2人の(クリニック)新規開業予定者と面談することになった。
 京都府、滋賀県、そしてそれ以外の地域も含めて数名の開業予定の先生と開業に向けての準備が進行中であるが、こういった話は既存の顧問先の方とは少し雰囲気が違って対象の先生の真剣なまなざしと少し不安げな表情から その必死な気持ちが伝わってくるので、2時間近くの面談中にいくつかの質問に答えていると 終われば結構ぐったりするほど疲れを感じることもある。
 ただ 自分自身 こういった仕事に魅力を感じたり、惹かれていっているようにも思うし、目の前の先生方はそれは失敗が許されない大一番を目前に控えておられるという状況なので、こちらが知らず知らずのうちに引きずり込まれるというなんとも言えない緊張感もあるし、そして何よりも凄まじい熱量の想いがこちらにも伝わってくる。
 私も今まで開業支援は前の職場の分も含めると20年以上の間に250件近くしてきているのでこの雰囲気は何度も経験しているが、全ての人が人生を賭けた分岐点に立ってのやり取りばかりなので、今 過去に関わった先生方の顔を思い浮かべても息を抜ける案件など一件たりともなかった。
 確かに多くの財産をつぎ込んで、また家族をも巻き込んでのことなので、必死にならない人なんて一人としてなかったし、それぞれの先生方との真剣勝負そのものがこの仕事の魅力で、こちらが軽い気持ちというか、少し力を抜いていると押し倒されそうになったり、詰め寄られそうになるというその場の雰囲気も何とも言えないものである。
 もちろん仕事の内容は資金的なこと、開業後の増患対策、それに人事・採用のことなど結構重い話が多いが、こいった話の中身よりもその時々の先生方の身を乗り出さんばかりの想いからその都度 発せられるエネルギーは避けることはできないし、からだ全体でまともに受けることによって受ける側も多少なりとも自分の力に変えられるというなんとも不思議な感覚がある。
 顧問先の方から時々、「いくつになってもお元気ですね」なんて声を掛けられることもあるが、この原点はこの人生の一大勝負に掛けた人と接しているからこそ こんな自分になっていってしまっているのかなと思えてくる。
 そりゃ私が「まあそんなもんでいいんとちゃいますか」、「何とかなりまっせ」、「大丈夫ですよ、失敗するなんてありえないですよ」なんて他人事のような受け答えをしていると、こういった方はたちまち私の前から去っていかれるであろう。
 そういう意味では、本業の税務会計の仕事はもちろんきちんとこなさなければならないが、こういった結構 切羽詰まった状況に置かれている人の相手をすることでこちらも知らず知らずのうちに元気でいられる ということなんのであろう。

 明日も来年開業予定の方との打ち合わせで遠方に出掛けるが、こういった合間に高速道路のサービスエリアでちょっとおいしいものを口にするのも遠出の楽しみの一つでもある。
 元気って自分で作り上げるものだけではなく、他から与えられることの方が多いんじゃないですか皆さん方も。
 もし、ずっと家に籠っていたなら休息はとれるかもしれませんが もっと疲れやすい体になっていたのかもしれません。
 明日は名神高速を走るので 昼はそばにしようかな。食後にはご当地のアイスも食べられるし・・。

 最後に今まで接してきた何人かの先生の顔を浮かべながら厳しい一言を
 この開業時の気持ちを忘れなければ事業って多くの場合 成功し、いい状態が長く続くと思うんですが、ちょっと軌道に乗ると油断というか、気を緩める人っているんですよね。それが結構命取りにもなりかねないかもしれないのに。
 通帳の残高がどんどん減ってからでは遅いですし、早く気が付いて開業の時のことを思う浮かべたら浮上のきっかけになるかもしれませんよ。
posted by ヒロイ at 17:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年10月26日

No.954:タイトルの付け方で感性がわかる

 新聞の記事をどれだけ多くの人に読んでもらえるか という点では「見出しが勝負」なんていうことを聞いたことがあるが、今ではネットニュースを見る時、あれだけたくさんの見出しが並んでいる中で、「まずはこれを開けて見よう」と思わせるコツ というか この見出しを付ける能力って非常に重要なことなんだなと思う。
 内容がいいこと、あるいは読み終わって「読んでおいてよかった」と思えることであっても、目を引かない見出しだったらそのニュースを開かず通りすぎるので、この時点で勝負ありということになる。
 これはニュースにとどまらずお店や商品の案内でも同じことが言えるであろう。
 今日 スマホでニュースを開いて目を引いたのが、ニュースの内容という点ではそれほど重要性の高いものではないのかもしれないが、何気なく画面を見ていた私の目に“修学旅行の行き先 富山が増える?”という見出しが飛び込んできた。
 このことを知っておかないと世の中から取り残されるほどのことではないのは分かっているが、まず「なんで?」と思わせ、ついついその理由を知りたいなと思わせる欲求がピクピクとしてしまった。
 新聞なら文字も大きくして 的を絞ったタイトルのこともあるが、ネットニュースの場合には一行という字数の制限がある中での勝負なのでより一層 出す人の、つまりタイトル名を付ける人の感性の勝負になってくる。
 私のこのブログは字数制限もないので やたら長々としたタイトルを付けてしまう時もあり、アップした後 見てみると「センスがないな」とか「ひどい感性」なんて思うこともたびたびある。
 私の方で記事(No)ごとにどれだけ読んでいただいているのかはすぐわかるが、「おやっと?」と思えるようなタイトルにした時の反応は確かにいいので、公式の媒体でなく、こんな些細な掲載であっても人目を惹くことって大事なことなんだなと思う。

 仕事上 メールでのやり取りも多く、返信の時はこのタイトルを付ける必要はないので気が楽だか、自分が発信元の場合で単なる事務連絡でなく、緊急を要する場合やかなり深く悩んでいることを相談するようなときには、どんなタイトルにしようかななんて多少 頭をひねりながらやり取りすることもある。
 自分自身の行動を振り返っても、実際に受信したメールのタイトルによっては「あとでいいか」と思うこともある。
 本文を書きだす前のタイトルを付けてしまうと、本文を入力している時にいろいろなことが頭に浮かび、話がいろいろな方面に派生していってしまうことがあったり、時には内容がタイトルから少しずれていってしまうこともあるので、最後の送信する時の再度タイトルを確認し、タイトルを修正することもある。
 こういったことも多分 学習したり、研修を受けることによってセンスが磨かれるようには思うが、なんせ国語力が足りない、あるいはセンスがない自分ではタイトル一つつけるのにも限界がある。
 では、感性を磨くってどうすればいいのかって考えてみると、いろいろなことに関心を持つことは当然のことであるが、人 つまり 人間という“物体”を好きになることであるように思う。これはもちろん「○○さんが好き」という意味のことではなく、100人いれば100通りの意見や考え方を持つ人間そのものに興味を抱くことであろう。
 自分は違うんだぞと言わんばかりに「他人には興味もないし」なんて口にする人がいるが、こんな人には感性は磨かれないであろうし、かわいそうだがいずれは誰も相手にしない人になってしまうのだろうと思ってしまう。

 タイトル(見出し)の話から感性の話へ内容が大きく変わってしまったが、やはりいろいろなことに関心を持つことが人間として、あるいはビジネスをする上でも非常に重要で、逆に感性のない人とはいっしょに仕事をしたくないなとさえ思ってしまう。

 最後に我が家のワンちゃん ぽぽたんの話です。
 10日ほど前に左足の靭帯が切れて直る様子もないので、動物病院で検査をし 獣医の先生と相談した結果、3日前に手術し その後入院していたが、今日退院で夕方に引き取りに行くことになっている。
 いつも知った家族の中で生活していたのに、初めて動物病院で入院し、「痛い」、「悲しい」、「寂しい」とも言えず辛かっただろうなと思うし、こちらも想像していた以上に寂しく、やはりいつもいるメンバーがいないって つらいものがあるなと感じた3日間であった。
 家に帰ってもしばらくはあまり動いてはだめなようだが、お正月には完治しているように養生させてあげたい。
 やはり わんちゃんも立派な我が家の一員ですね。
posted by ヒロイ at 14:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年10月19日

No.953:私もカミさんも田舎もんです

 京都に住み始めてから45年。少しは京都の人になったかな? と思うこともあるが、でも根っからの京都人からすると、45年なんて居続けたというには程遠いようで、「私で何代目」なんて言う人もいるし、そこまでいかなくても「京都は祖父の代から」という人も私も周りにも何人かいらっしゃる。
 企業という面で捉えても2024年の調査では創業100年以上の老舗企業は京都は1897社で、東京、大阪、愛知に続き全国第4位、全企業数における創業100年以上の企業の割合は5.35%でこちらは全国トップである。
 100年商売続けて一人前 みたいなところが京都にはあるのだろうが、この50年足らずで世界のトップクラスに入るような成長を遂げた先進的な企業も多くあり、産業構造という点では 京都はまさしく新旧共存という構図になっているという状況であろう。
 少し回り道をしてしまったが、私は 冬になると積雪が多くなる京都府北部の出身で、いまだに京都市内で生まれ育った人に対しては 何とも言えな“田舎もん”という劣等感のようなものが残っており これは45年経った今でもなかなか拭い去ることができない。
 私が住んでいた所から京都市まで今でも車で2時間程かかるが、当時は車でも電車(汽車)でも3時間以上かかり、そりゃ何かにつけ 子供心に都会に格差を感じていた。
 ただ自分の人生の中でこの“差”が決してマイナスばかりではなく、少し大げさかもしれないが 何かにつけこの思いが自分自身を奮い立たせてくれる材料になっていたようにも思うし、「都会の人に負けるものか」という気持ちを持ち続けたことで何とかここまでやってこれたというのも事実かもしれない。

 ハローワークの「採用面接時に配慮すべき事項」では出身地を聞くことはご法度のようであるが、仕事上 特に大手企業に勤める人は ほぼ採用も全国区なので、仕事に中でついつい「ご出身はどちらです?」と聞くこともあり、その出身地が過去に旅行した所であったり、親族のいる土地であったりすると それだけで話が弾んだり、初対面であるにもかかわらず 距離が縮まったりすることもある。

 ここからは少し個人的な話になってしまうが、
 社会人になってから知り合ったカミさんも実は同郷で、高校は後で考えてみると隣に公立高校に通っていた田舎もん同士であった。もちろんその頃は知りませんでしたが。
 私の母校である加悦谷高校は生徒数の減少により、数年前に宮津高校と統合し、宮津天橋高校なんてあまり聞きなれない名前の高校になってしまったが、実はこの宮津高校はカミさんの出身校であり、今やお互いの母校が一本化されたというなんとも不思議なことになっている。
 私の周りにいる宮津高校出身の方の中には、学校の歴史の長さや進学率で優っているので「宮津天橋高校の本流は宮津高校」なんていう人もいるし、私から見ても会社の統合(合併)で例えるならば、合併存続側が宮津高校で、被合併消滅側が加悦谷高校と言われても当然のようなこの高校統合である、残念ではあるが・・。
 こんな話は過疎化が進む全国各地で見られる現象であるが、実は東京や大阪の都市部でも人口の流動化や私学隆盛の流れの中で公立高校の統廃合が出てきている現状がある。
 私は 子供の頃 自分の部屋の窓を開けると近くの神社の森が目の前に広がっていたし、外に出ても山に囲まれた地域であった。
 カミさんは家の裏を数十m歩いていくと砂浜が広がり、その先には日本海がすぐそこまで迫ってきていたというから、進学のために18歳で京都に出てきたときの街中での生活は、私と同様しばらくは別世界のようであったと言っていた。
 当然のことながら京都に40年以上も住んでいると、慣れ親しんできてはいるもののなかなか何年経っても“都会の人”にはなりきれない自分がそこにはあるが、これは地方から都会へ出てきた多くの人が抱く思いではなかろうか。

 先週 仕事で3人の金融機関の方と面談したが、3人とも関東出身の方で、京都で生活している人の中にはこうして意外と根っからの京都人でない人もたくさんいらっしゃるのではと思う。
 京都で生まれ育った人と話をする時は、50年前の京都駅や田んぼが広がっていた北山周辺の話を聞くのもそれはそれで好きで、まさにこれまでの街並みの変化を聞きながら今と比較をするのも楽しみの一つである。

 最後にもうひととつまらない話であるが、田舎もん同士の旅行先は空気のきれいな田舎はまず選ばないという共通点があり、ない物ねだりというか旅先はついつい東京、横浜、博多、札幌 なんていういまだに憧れの都会を選んでしまう。分かるでしょ、今さら緑に囲まれたところで森林浴をしたいとも思いませんし、カミさんなんかは海の見えるホテルなんていうと、「毎日見てたし、なんで今さら海なん」とすぐさま却下されてしまいます。
 何が言いたいのかわからない内容になってしまいましたが、いくつになっても田舎もんの憧れは都会なんです、これってわかりますよね 田舎もんには。
posted by ヒロイ at 17:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年10月13日

No.952:北陸新幹線は京都まで繋がらないかも?

 国の一大事業に期待をしつつも、もはや諦めに近い気持ちになっているのでこんな否定的なタイトルになってしまっている。
 北陸新幹線の東京からの現時点での終着点である敦賀から、その先の京都、大阪までいつになれば繋がるのかメドすら立たないような状況になってしまっているが、そのルート決定については混迷し、選挙の大きな焦点にまではならないにしろ、政争の具と化してしまっている部分もある。
 というのも国会議員をはじめとし、沿線の府県や市町村の首長の意見がこれだけ食い違っている国家事業が今まであったのだろうかと考えたとき、この今の状況を危惧しているのは私だけではないはずであろう。
 過去においては、成田空港開港や湖、河川の開発灌漑事業では国家事業に対して一定の地元住民が反対闘争するというのが決まった構図であったが、この北陸新幹線は一部の政党や地域住民の反対はあるものの 多くの賛成派もいる中、ルートをどこにするかでこれだけいくつもの案が出てくるとは思いもよらなかった。
 というの京都府のど真ん中の山中から京都市まで地下トンネルを掘るという現在の政府案の他に、琵琶湖の東側を通る米原経由ルート、それに琵琶湖の西側を通る現在の湖西線と並行するルートとここまで政府が検討していた3つのルートがあるが、これ以外にも京都府北部(日本海側)の舞鶴を通るルートも検討すべきという声が京都選出の自民党の国会議員からあがった。
 地下水問題で京都市仏教界も「あってはならない」とまで言われている京都市の下を深く掘って京都市内を通過するルートの雲行きが怪しくなってきた矢先、つい数日前に今度は亀岡市長が北陸新幹線の新大阪延伸について「京都駅を通す前提が崩れるならば『亀岡ルート』も一つの候補になり得る」との考えを 示したが、これは私にとっては全くの新案で敦賀・亀岡・(北摂?)・大阪 なんていう今まで俎上にあがったことのない新たなルートを提案してきて驚いた。
 
 それぞれの地域の利害がこれだけ絡んでくると、前に進めることすらできない状況に陥っていると思わざるを得ないし、傍で見ていて、「こりゃ通らんわ(繋がらんわ)」という私のこの気持ちを理解してもらえる人もいるように思う。
 リニアの静岡県での、そして今回の京都での地下水問題も いったん(工事を)やってしまえば、後で水系に大きな支障を及ぼしても後戻りができないという点では ある意味自然との闘いである。
 こういったことは計画段階では予測できなかったのか、調査不足なのかは分からないが、私の心の中ではもはや諦めムードで、少なくとも私が生きているうちには無理だな なんていう気にもなってしまっている。
 現時点での政府が示している京都駅付近を通る案ではそのトンネルは京都市内では地下40〜50m、トンネルの長さは京都府の山間から40qと もはや人間になせる業ではないようにも思えてくる。
 今までいくつもの不可能を可能にしてきたという我が国の凄まじい工事技術の進歩はあったにせよ、今回はそこで住む人間の生活を守るという新たな問題が出てきている。
 さらに政党や各政治家の思惑も絡みあっていることも実現は不可能かという思いを強める要因にもなってきている。何年あるいは何十年もの期間を要する事業が選挙のたびに新案が出てくる時点で事業の不確実性というか達成可能性はどんどん下がってきているように思う。
 今日は何が言いたかったの分かりづらい内容になってしまっているが、これだけ人間の思いが多様化してしまった現代社会ではもはや多くの国民が満足できる国家プロジェクトなんて成し遂げられない時代に入ってきているのかなとさえ思えてくる。

 最後に褒める人だけでなく批判も多かった政治家であった田中角栄の力で建設が進められたとまで言われた上越新幹線や、あまり知られていないが古くは岐阜県選出の国会議員である大野伴睦の力で、もしかすると当時は“鶴の一声”だったかもしれない 名古屋駅から10分のところにできた岐阜羽島という新駅の建設などは今では考えられないような一政治家の力で事業が決まったという歴史上の事例ではあるが、良いか悪いかは別にして これも今 危惧されている“決められない政治”で歯がゆい思い抱いている人にとっては、こんな時代もあったんだと時代を遡るのも 日本の今後を考える上での参考になるこのもあるかもしれない。
 この“決められない”ことの根底にあるのは、少し飛躍しすぎかもしれないが、候補者が選挙に通るために目の前の有権者が喜びそうな主義主張に明け暮れていて、遠い先を見据えていない という今の政治家自身の責任が大きいと言わざるを得ない。
 確かに目の前の生活が大事 と言ってしまえば、今の状況も納得がいくが、目の前で繰り広げられている総理大臣選びにしても目の前の事しか考えていないような各党、各政治家の行動のあらわれであろう。
 日本人、あるいは日本に住む人多くの人が、日本の将来になかなか明るさが見いだせない原因はこの辺りにあるのかもしれない。 残念なことではあるが・・。
 でもこれって我々国民にも責任があるんですがね。
posted by ヒロイ at 14:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年10月05日

No.951:会って話せば これだけ距離が縮まるんですが・・

 家族で不動産賃貸の会社を経営されている東京の顧問先の方が、土日に岡山へ出張されていた帰りということで 今日事務所に立ち寄られ、代表を務めておられる法人の決算の事前打ち合わせを済まされ 先程お帰りになられた。
 この方は元々 京都市出身の方で京都でも長年生活されていたので、事務所のお越しになられたのは初めてであったが、京都のことはよくご存知で事務所に入られるなり、「この前の道は何度も通ったこともあり、地下鉄の駅から非常に懐かしく思いながら歩いてきました」とおっしゃった。
 お仕事の関係で 家族4人で東京に移られ、新宿のマンションでの生活も10数年になられるという 今ではすっかり“東京人”になられている方である。
 数年前に相続税申告前の親族での集まりの都度 京都に来られ、その時何度かご実家でお目にかかったことはあったし、ご自身が立ち上げられた事業のことでメールでは継続的にやり取りしていたが、直接会って話をしたのは5年ぶりであった。

 この方に最近の京都の話をすると非常に懐かしがって聞き入っておられたし、私は息子2人が住んでいる東京の街中の様子や東京での生活感あふれる話を聞くと、滅多に話をする機会のない子供たちの生活ぶりが 会いもしていないのになんだか身近に感じられるというなんとも妙な気持ちになった。
 仕事上のやり取りはこの数ヵ月の間 込み入った内容や検討項目が何件かあったので、会うことはなくても結構頻繁にメールや電話でやり取りをしていたし、法に照らして今後の対応を決めないといけないことについては、結構 長文をメールで細かな内容を確認するということも一度や二度ではなくたびたびあった。
 メールも何度もしているうちに 顔を見ることはなくても不思議とメールなりのあうんの呼吸のようなものもできてきたし、元々面識があるので顔を見なくても特段 不自由なくここまでやってこれた。
 こういった形での相談が半年近く続いていたので これからもこの形で決算を終了することができるかなと思っていたが、今日 立ち寄られ直接話をすると、これまで話していたことと結論は大きく変わらないが、直接 面前で話をすることからか生まれる納得感のようなものを得ることができたように思うし、これは私だけでなく相手さんも同じような感想を持たれたのではないかと思う。
 コロナ以降 Webで画面を通しての面談は何度も経験しているが、画面越しでなく 直(じか)で合って話をするのは、そうでない場合と比較して大きな差があるなというのを今日に1時間半の面談で強く感じた。
 じゃあ何が違うのか、OKという結論であればどんな形であっても同じなのかなと思っていたが、普段会うことのない人にこうして会えば 頻繁にあっている人よりも一層その違いがわかった。
 頭の中ではなんとなく理解はできているが、この違いって一体何なんだろう? と考えてみたところ、納得や了解された時の“深さ”が違うと感じたし、不可 つまりダメだった時もそのダメさ加減が面前であるとよく伝わってくる。
 これはお互い顔を突き合わせての会話の中では 単なる間の置き方はだけではなく、書類を見る時の眼光の鋭さであったり、ペンを持つ手の力の入り具合、それと時たま発せられるため息の大きさ こんなちょっとしたことの違いで、頭や心の中での納得度合いに差があるんだろうなと感じた。
 今日の話の内容はさておき、面と向かって話をした1時間半は双方 納得・了解済みという 得心がいく段階のところまで話が進んだように感じた。
 このブログで綴っている今日のようなことは、さすが古い人やなと思われたり、決して褒めてもらえないような感想を持つ人の方が圧倒的に多いと思うが、今日は勇気を出して自分で感じたことをそのままこうして文章にしてみた。
 読んだ人の2割くらいの人が「そうやな、やっぱし顔を見て話をせんとな」と思っていただければ、今回のブログも無駄ではなかったのかも。
 みなさんは8割の方ですか? それとも2割の方ですか?
posted by ヒロイ at 16:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年09月28日

No.950:不機嫌な経営者は軌道に乗りにくいのかも?

 *きついタイトルですが その結論は最後で・・。ちなみに不愛想と不機嫌は違いますしね。
 税理士という仕事柄 ほぼ毎日のように経営者と面談する機会がある。
 もちろん顧問料という対価をいただいているので経営者を含む顧問先全体に対してサービスを提供する必要があり、その内容は税務申告を基本とする税務会計以外にも事業が良い方向へ進んでいくためのアドバイスも重要な業務のひとつである。
 こういったことも双方十分承知の上、顧問契約を結んでいるので依頼を受けている税理士 あるいは税理士事務所としても気が抜けることはほとんどないが、ありがたいことに多くの経営者と接することで 経営に関するどんな書物を読んでいるよりも目の前の事象が自分にとって最高の教科書となる。
 ここでは多少 顧問先の方にとっては失礼な表現になってしまうかもしれないが、それは決してよい見本となるものばかりではなく、「こんなことをしたらあかんやろ」とか「改善すべきとわかっていたら少しは前に進めていこうさ、立ち止まっていないで」、それに従業員への接し方を見聞きする中で「これでは人が付いてこんわな」というような反面教師になる事例に出くわすこともあるので 今日はありのまま、思うままに綴っていくことにする。
 偉そうなことを言っている自分が、そういったことを実行できているかというともちろんそうでないこともたくさんあるが、自分一人ではなかなか気付かないことが目の前の経営者を見ている中で自分がとってきた言動をハッと思い、これまでまずかったな、やばい態度とってきたなと感じたことはこれまで一度や二度ではないので今日はこんな話題にした。
 経営者の気質も時代とともに変わってきていると思うし、何よりも働く側の意識は私が社会人になった40年も前の頃とは随分変わってきている。
 前回このコーナーでハラスメントのことを調べていると怖い世の中になったなと思うと同時に、経営者はこういったことを十分理解しておかないと一歩間違えば落ちるところまで落とされかねない環境に身を置いているんだなということをあらためて認識することができた。

 顧問先の経営者との面談時に経営状態がよい先とそうでない先でまず大きく違うなと感じるのは、従業員に対する不満があるかどうかということである。
 経営的に問題がある先は まずは従業員に対する相談からその日のやりとりが始まる。それは悩み事や相談の範疇であればいっしょになって解決策を見出していくこともできるが、時にはこちらも聞いているのがつらくなるような不満や文句のオンパレードになっていることもある。
 以前に顧問先企業の営業と経理の担当者による不正(いわゆる使い込み)が発覚し、弁護士案件にもなり、最終的には解雇という結論に至ったことがあった。これとて当事者の行いが悪かったのは事実であるが、こういった事態が表に出るまでに時間を要したことも含め、内部の体制に不備があったり、甘かったという点を経営者がどこまで反省しているのかということは、私自身 最後まで疑問の残るところではあった。
 一昨日 訪問したクリニックは経営状態はすこぶるよく スタッフ数もパートを含めると30人程の人数になってきているが、その時の面談の中でこの院長の口から出た言葉は、「経営ってこんなに大変なこととは思ってもいませんでした。クリニック経営を取り巻く情勢は今後よくなることはなさそうだし、雇用問題もピリピリすることが今まで以上に発生していることを考えると本当に起きてから寝るまで気の休まる暇ってないですね」と熱く語られていたが、こういった経営者はほっておいても経営が変な方向に進んでいくことなないだろうと思っている。
 この院長に対して今後 私が注意しておかないといけないのは、順調がゆえに気を緩められたり、調子に乗り過ぎないように目を光らせておくことかなと 帰りの車の中で担当者と話をしながら帰ってきた。順調だったクリニックの経営が院長の気の緩みというか、ある意味“慢心”によって5年目あたりからみるみるうちに下降線をたどるようになった事例も何件も見てきているので。言っておきますが落ちだしたら止まりませんし、盛り返せませんよ、経営って生き物ですから。
 ここまで日頃感じていることを包み隠さず文章にしたので、これを読まれた経営者によっては 傷ついた方もいらっしゃるかもしれないが、傷ついた経営者であれば、不安定な経営状態から浮上のきっかけをつかむことはできるだろうけど、一番怖いのは気付かないといけない経営者が「俺のことではないな」と思ったり、「こんなことできっこないし」と不安な部分から身を遠ざけて避けようとする経営者である。
 実は今日は軽い気持ちでスタートしたが、中身に入っていくにつれて段々 自分が熱くなってしまい辛辣な表現も出てきたことはお許しいただきたい。たまにはこういったことも言わないと私だってストレスが溜まってしまうので・・。

 今日の内容と少しずれるかもしれないが、いろいろな経営者を見ていて感じたことを最後に。
 「経営者って集団を仕切っていかないといけないので、ある種 独特な威厳は必要かもしれないけど 絶対に不機嫌になってはならないと思っている。従業員を含む他人に対して不機嫌になってしまう人って、何か自分にとって重要なことを得ることができず、経営する上で上昇気流に乗れる機会さえも自ら失ってしまっている人であると思っていたが、今回はいろいろと考えていく中であらためて“そのとおり”と気付かされた」
 いろんな人から見られているのが経営者なんですから 当然と言えば当然なんですがね。

*今日のことは自分ができているかどうかは抜きにして言いたいことを言っているのでその点はご了承ください。
posted by ヒロイ at 12:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年09月21日

No.949:これだけあるハラスメント

 先日 ハラスメントを取り上げた番組があり、今やこれだけの種類があるのかと驚いた。
 今から10数年前までは ”パワハラ”や”セクハラ”くらいしか耳にしなかったし、同僚や部下の者から「それもしかするとパワハラかも?」なんて会話の中でこの”パワハラ”という言葉が出てきたが、今ほど深刻さも陰湿さもなかったように思う。
 これは人権の保護という考え方が浸透してきたという 世の中の変化が根底にあり、この流れを敏感に理解していないとたちまち加害者になりかねないという非常に怖い部分も潜んでいる。
 一般社団法人日本ハラスメント協会のHPで確認すると、すごい数のハラスメントの種類が例示されており ここで全部挙げるのもどうかと思ったが、今まで耳にしたことがあるものから初めて聞くものまで、自分の勉強も兼ねて47すべてを掲げた。
 いくつ知っていますか? みなさんも意味の分からないものがいくつもあると思うが、一度 それぞれの意味をご自身で確認し、これまでどれだけのハラスメントの加害者になっていたかを知っておくのもこれから生きていく上では必要なのかもしれない。

@ ペイシェントハラスメント/ペイハラ
A 音ハラスメント/音ハラ
B ダイアレクト(方言)ハラスメント/ダイハラ
C ホワイトハラスメント/ホワハラ
D 不機嫌ハラスメント/フキハラ
E 票ハラスメント/票ハラ
F マッチングアプリハラスメント/マチハラ
G ワクチンハラスメント/ワクハラ
H 逆ワクチンハラスメント/逆ワクハラ
I 事後ハラスメント/ジゴハ
J リモートハラスメント/リモハラ 
K コロナハラスメント/コロハラ 
L ロジカルハラスメント/ロジハラ
M パワーハラスメント/パワハラ
N 新型パワーハラスメント/新型パワハラ
O セクシュアルハラスメント/セクハラ
P マタニティハラスメント/マタハラ
Q パタニティハラスメント/パタハラ
R モラルハラスメント (モラハラ)
S セカンドハラスメント/セカハラ
㉑  ハラスメントハラスメント/ハラハラ
㉒  妊活ハラスメント/ニンハラ
㉓  2人目ハラスメント/フタハラ
㉔  パーソナルハラスメント/パーハラ
㉕  アルコールハラスメント/アルハラ
㉖  ジェンダーハラスメント/ジェンハラ
㉗  性別の差別をする行為
㉘  レイシャルハラスメント/レイハラ
㉙  時短ハラスメント/ジタハラ
㉚  エイジハラスメント/エイハラ
㉛  リストラハラスメント/リスハラ
㉜  エンジョイハラスメント/エンハラ
㉝  カスタマーハラスメント/カスハラ
㉞  エアーハラスメント/エアハラ
㉟  ラブハラスメント/ラブハラ
㊱  フォトハラスメント/フォトハラ
㊲  お菓子ハラスメント/オカハラ
㊳  カラオケハラスメント/カラハラ
㊴  グルメハラスメント/グルハラ
㊵  コミュニケーションハラスメント/コミュハラ
㊶  スメルハラスメント/スメハラ
㊷  スモークハラスメント/スモハラ
㊸  マリッジハラスメント/マリハラ
㊹  ソジハラスメント/ソジハラ
㊺  テクノロジーハラスメント/テクハラ
㊻  就活終われハラスメント/オワハラ
㊼  就活セクシャルハラスメント/就活セクハラ
 
 実はこれで終わりではなく、こういったものは日々作られていくというのが今の世の中である。
 今日は自分自身が今までとってきた行動の怖さを再確認するが、今後は人や社会が前に進ん行くためにはどうするのがいいのかを考えさせられる内容である。
 立場上 あまり変なことを言うといつ取り上げられたり、非難を浴びるかるか分からないので、あまり個人的な意見は述べずにみなさんと勉強をしたということだけで今日は終わりにする。 だって世の中が怖いもん。
 このコーナーは意見を述べる場かもしれないが、意見を言わない、言えない そんな日があってもいいのかも。
 今日はそういう日なんです。
posted by ヒロイ at 11:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年09月14日

No.948:久しぶりの神戸で火がついた

 税理士というのは年間36時間 研修を受講することことが義務付けられている。
 義務付けられているといっても罰則規定がないので、一般の人からすれば「果たして意味あるの?」と思われるかもしれないが、私の周りのほとんどの税理士は何とかこの研修時間をクリアしようと努力している。
 この制度の狙いは「専門的な知識を維持し、クライアント等の相談に対して適正な指導を行う」ことにあるようだが、私はそこまで深く考えて研修会を受講したことはなく、自分が税理士として取り残されないように、また 新しい税制を認知してなくて顧問先に損害を与えるようなことにならないように という保守的な思いから受講しているというのが本音のところである。
 罰則のない義務規定とはいっても、どうしても受講できない時には確か「受講できない旨の理由書」を提出する必要があったように思う。
 というのも私も平成24年にこの制度が義務化される前ではあったが、開業した年(平成19年)に事務所の業務に追われ、研修会どころではなかっので36時間に達することができず、この理由書を提出した記憶がある。
 研修のスタイルは対面型だけではなく、オンライン研修も増え、遠方での研修会を同時に つまりライブ配信する形のもの あるいは受講者の都合のいい時間に受講できるマルチメディア研修もあり、研修のスタイルもコロナ禍以降多様化し、これは他の団体や職域でも同じ傾向が進んできているように思う。
 ただ、研修時間を稼ぐために興味もないというか、自分にとってあまり必要でない研修を受けるのは時間の無駄でもあるし、オンラインの研修のように目の前に講師のいない研修はなかなか身が入らないので、できるだけ現地に出向いて対面式の研修を受講するようにしている。
 この歳になるとついつい「必要なものならしっかりと押さえておきたい」という気持ちが今まで以上に働くというのは、自分で言うのもなんだが一定の年齢に達した者の”欲”なのかもしれないなって思ってしまう。
 それは仮に途中でウトウトしていて記憶に残っていないページがあったとしても・・、ですよ。
 受講は基本的には京都市内で、たまに大阪まで行くこともあるが、いくらいい研修だからといって さすがにわざわざ東京など遠方まで出向くことはない。
 内容や講師に興味のあった今回の研修は実は京都でも開催されていたが、その日は仕事での先約があり受講ができなかったので、1週間前に同じ内容のものが開催されていた神戸まで足を運んで受講してきた。
 ここでは研修内容に触れることはしないが、会場はJR神戸駅から徒歩5分程の所にある湊川神社内の楠公会館という立派なホールであった。
 後から調べるとこの神社は神戸では1、2を争う有名な神社のようで、想像していたよりずっと立派な神社だったので研修前に10分程の空き時間を利用してお参りもしてきた。
 神戸に来るのも久しぶりだし、神戸といえばついつい三宮や元町に行ってしまうが、その先の神戸駅のすぐそばにこんな所があったんだということで、こうして知らないところに研修に来てちょっと立ち寄るのも悪くはないなとも思った。
 ただ、こんなことができるのって1年のうちに1回あるかどうかで、次はいつになることやらと思いながら研修後は足早に会場を後にして電車に飛び乗った。
 以前も姫路で研修があった時に目の前にあった姫路城に多くの観光客が吸い込まれていくのを何とも羨ましい気持ちで見ながら姫路駅の改札まで走って行ったことがあった。

 今日は税理士の認定研修の話で始まったが、これまで行きたかった所へ休日を利用してちょっと出かけることも実行に移してみたいと思わせた今回の神戸での研修であった。
 こういった気持ちの切り替えも必要ですよね、休日 空いた時間があると家に籠ってばかりいないで。
 今、時間がとれたら行きたい所と言えば、かつては”乗り鉄”だったこともあり京都鉄道博物館と もう一つは少し時間がかかるが行ったことがない世界遺産のひとつである奈良の法隆寺に行ってみたいと思っている。
 奈良も大仏周辺は何度も行っているんですが、それ以外の所にはほとんど行っていないので。
 こんなことを言っていますがこの”夢”っていつ実現するんでしょうかね?
 いや〜、「実現しないのが夢なんです」なんてならないようにしたいものです。充実した日々を送るためにも。
posted by ヒロイ at 12:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年09月07日

No.947:記憶力で人を近づける

 記憶力というのはただ単に頭がいいかどうかという問題ではないのはみなさんもよくわかっていらっしゃると思いますが、この記憶力って一体 どんな能力なんでしょうかね。
 今ここで記憶力をよくする方法なんていうことを論じるつもりはないが、記憶力がいいか悪いは仕事をする上で非常に重要な要素であるなと思うことがある。
 自分の仕事の分野に関して記憶していたことと自分が過去において経験、あるいは実践したことが一体化することによってとても大きな力となり、物事を前に進めていくための推進力になることは誰しもが経験したことである。
 記憶が曖昧であれば過去に聞いたことでもまるで初めてのことにように対応してしまい、その時点で過去の経験を生かすことができず 一歩遅れてスタートラインに立つことになる。
 随分前にこのコーナーで有名なクラブのママが久しぶりに来店されるお客様の顔を見るなり、以前あった時の会話の内容を思い出す というような話を綴ったことがあり、あえてここで過去の分を確認したりはしないが、確か【3年前の話も覚えています】というような書き出しだったように思う。
 こういった過去のこと、それは話をした内容だけでなく、仕事での体験も含めて次へ活かしきれているかどうかは仕事の出来栄えを左右する非常に重要なことである。
 自分の経験を照らし合わせてみると、記憶って興味のあることであれば覚えておこうなんて思わなくとも結構 頭に残っているが、それほど興味のない分野のことはたとえ重要なことであっても頭に残っていないこともあり、仕事をしていてヒヤッとすることもある。
 久しぶりに会った顧問先の方に、「前回(2、3年前)お目にかかった時は非常にいいお話をお聞かせいただいて・・」なんて言われても、その話の内容をかすかには覚えているが全容が思い出せないこともあり焦ったこともある。
 仕事関係の人にしてみれば、「覚えておいてほしいな」という気持ちがあるのは分かっているので、最近は恥ずかしながら自分で”記憶ノート”のようなものを作って、忘れそうだな思うことを箇条書きにし、最後に相手の名前と日付をパソコンの中に残すようにしている。
 それほど頻繁に見るものではないが、時々開いてみることによって過去の出来事がまるで最近のことのように蘇ってくるので、この記録は記憶力が衰えてきている自分にとっては非常に有用なメモとなっている。
 今日 なぜこんな話を急にしだしたかと言うと、こういった些細なことで相手様との距離が縮まり、後々話を進めるうえで非常にやりやすくなるということを最近経験したからである。
 仕事の本質までいかなくとも ちょっとしたきっかけって重要なものであるということは誰しも経験していることであろう。

 最後に少し話を変えるが、経営者が従業員の私生活まで入り込むことって今の時代にはご法度であるのはよくわかっているし、最も気をつけていることではある。
 ただ、子供さんの入学式で休暇、お父さんの調子が急に悪くなって早退、 なんていうことを言ってこられた方が、数日後 廊下やエレベーターで会った時に、「入学式 主人もいっしょに行ってくれてよかったです」とか「お蔭さんで父も落ち着いてきて大事にならずに良かったです」なんて私に声を掛けてもらえると 当然のことながら一定のプライバシーへの配慮は必要とはいうものの非常に距離感も縮まり仕事をする上ではお互いやりやすい形が自然にできるものである。
 この辺りのことは立場上、相手が望まない部分に入り込んではならないし入り込む必要は全くないが、こうしたちょっとしたことで仕事をする上での気持ちって随分違ってくるものだなって思ったやり取りであった。

 最初の記憶力という話から少し違う方向にいってしまったが、この辺はやはり会話、つまり話をすることの重要性を感じることである。
 でも対面することをそれほど重要視しない風潮からすると、こんなやり取りは無駄と思う人もいるでしょう。今日の話ももしかすると単なる私の自己満足なのかもしれませんね。
 難しい世の中になってきましたね・・。
posted by ヒロイ at 11:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする