2012年05月20日

No261:伸びる経営者(院長)はここが違う

 先日、開業医である顧問先の奥様から、『この春で開院して5年になりますが、最初からずっといてくれる○○さんに勤続5年のお礼(お祝い)を送ろうと思うのですが、税務上、何か気をつけないといけないことはありますか?』というメールをいただいた。
 この顧問先は毎月、奥様が私共の事務所に資料を持ってきてくださり、例月の経営資料もその時、奥様に説明させていただいている。先生は“超”が付くほど忙しく、今では1年に1回、確定申告の時期にご自宅にお伺いして一年の総まとめを説明するときだけが、先生との面談の時間である。
 ご自宅は京都市内であるが、医院は自宅から1時間ほど離れたところで、京都府北部ほどではないが京都市内とは比べものにならないほど高齢化が進んでいる地域である。
 この地域では従業員の確保もひと苦労で、特に看護師さんは通勤が不便なことや患者さんが多く大変忙しいこともあってか、この5年間で何人かの入れ替わりもあった。事務系の人もご主人の転勤や家の事情により続かない方もあり、先述の方(130万までのパートで肩書は主任)だけが、開院以来ずっと継続勤務されている。
 この話を聞いたとき、私は「その方パートでしょ?」と思ってしまったが、「たとえパートであっても、開院以来いっしょになって苦労もし、医院を盛り上げてくれた人なので」ということで院長先生と奥様が感謝の意もこめて金一封を渡したいということなのである(言っておきますが、税務上は課税扱いとすることで了解済みです)。
 そして、ここにきて定着しだした他の従業員にも何かをということで、行き先は忘れたが、近々、全員参加で日帰り旅行を予定されている
 お年寄がかかりつけの医者を変えないという田舎特有の現象もあり、開院当初は思ったほど患者が増えなかったが、丁寧な診療をモットーとされている先生なのでその評判は半年もたたないうちにその地域に広まり、今では時間内にはなかなかさばききれないほどの患者さんが来られているし、午後の合間には医院まで通えないお年寄りのとこに往診に行かれている。また、こういった地域なので医師会自体も高齢化が進んでおり50前のこの先生は医師会の中では“若手”として色々な役もこなされている。
 奥様がよく「主人はいつもヘトヘトで、時間があれば寝てます。」と言われているが、開業医として、あるいはご自身の人生のおいてもまさしく今が旬なのかも知れないし、そのことは先生自身が一番良くご存知のようである。
 それにしてもこの先生、何事においても熱心に取り組まれ、私と同い年でありながら私の方か見習いたいとこをいくつもお持ちの先生である。「無理のないようにとは言ってるんですが、患者様の要望も本当に多岐にわたりますので大変なようです、何を言っても聞きませんし・・。でも本人は今の状態が好きなんだと思いますよ。」と奥様が心配されるのも無理ないような毎日である。

 永年勤続や開業(創業)○周年という場合には、そこまでしなくても思うくらい派手なことをされる経営者の方もあるし、逆に何事もなかったかのようにサッと通り過ぎる方も結構いらっしゃる。
 別に派手にパーティーをしてお披露目をする必要はないが、この5周年という節目を第一段階の通過点として、反省したり、ここまで関わりのあった周りの方に感謝したり、また、今後の事業展開について検討したりするうえでは非常に良い機会である。
 実は私が事務所を開業してこの秋で5年となるが、同じ頃に事業を始められた方も多く、この2月に5周年を迎えられた医院では、【お陰様で こうして無事開院5周年を迎えられたことに 心より感謝しております。院長○○○○】と一枚の紙を挟み込んだホケットティッシュを受付の横にかごに入れて置いておかれた。準備された数は忘れたが、この医院、一日100人を超す患者数なのでその準備された数も半端でなかったように思う。そのあと、業者でなく患者様からお祝いの鉢植え(患者様自身が育てられた)が届けられたらしいが、このことからもこの先生の患者様からの信頼度がいかに高いかがうかがえる。

 まあ、こういった開業記念日だけでなく、家族の誕生日、亡くなった親族の○回忌や法事、結婚記念日、大きな手術して○年目 など我々の周りにはそれぞれが記憶にとどめておきたい日はあるはずである。
 別に取り立てて大きなことをする必要もないが、“反省”と“感謝”と“今後を考える”のにはまたとない機会なので、こういった日を何気なく通り過ごすのではなく、思い出したくないようないやな日のこともあるかもしれないが、こういう機会にあらためて思い起こすことが、大切なことでありこういった記念日の意義のように思う。
 
 人間、人生を振り返ると誰しも喜びよりも後悔の方が多いと思うが、この後悔をすることなく過ぎることほどばかげた人生はないと思っている。これからも死ぬまで後悔の連続だろうが、その中で一つでも二つでも次に生かすことができた後悔があればその後悔は決して無駄ではないと思っている。そうして後悔を喜びや感謝に変えていければ人生は豊かになるはずである。
 
 後悔、大いに結構。 後悔のない人生なんてありえない。  私はいつもそう思って自分を慰めている。
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2012年05月13日

No260:“準備ができる人”はきっと“仕事ができる人”

 今日は【仕事のできるビジネスマンとは?】ということについて、恥をさらすことも覚悟の上、我が事務所の実例も交えながら、日頃感じていることを綴ってみることにする。

 我が事務所には内勤専任でなく、顧問先に出向く機会のある担当者が私を含め6人いる。
 それぞれが一人で行くこともあれば、2人でペアを組んでいくこともあるので私は他の5人と出掛ける機会が月に何度かあり、そういった時、それぞれの人たちの色々な面に触れる機会も多い。

 顧問先を訪問するための第一段階は出掛ける前の準備であるが、まず、この部分で仕事の出来栄えに差がつくように思う。
 出掛けようとする10分程前からバタバタしながら書類をカバンに詰め込む者、朝出勤したら一番にその日の出掛ける準備をする者、訪問日の前日に訪問する先の書類を揃え机の上にきちんと積んでおく、あるいは、翌日持って行くかばんの中に書類を積めてから帰る者と事前準備にも幾通りかのパターンがある。誰しも大の大人なので私の方からは声にこそ出して言わないようにしているが、もうこの時点で翌日の仕事の勝負の5割位はついているように思う。

 結果的には出発時に揃っていれば問題ないのであるが、朝一に予期せぬ電話が入ったり、急に処理しないといけない仕事が発生することもあり、この準備作業もビジネスマン(女性もいるが)として何かあったときの備えということをどこまで考えているかということである。
 私自身、人一倍“せっかち”(“いらち”とも言うが・・)なので、自分自身のことをこんな上司いやだろうなと思うこともあるし、「何でこんなこと気が付かへんの?」と気になるときもあり、事務所のメンバーには知らず知らずのうちに私から無言のプレッシャーをかけているんだろうなと考えてしまうこともある。
 でも、毎日一緒に仕事をしていると、こんな私の性格は否応なしに分かってくるのか、例えば9時30分に出発する予定を事前にその日の同行者に伝えていると、私は決まって28分くらいになったらカバンを持って自分の席を立つのであるが、気の効く者は私が動くのを待ってたかのようの同時に自分もカバン(もちろん準備万端の)を持って動き出し、29分には二人揃って事務所を出発する。でも中には、ここから『ちょっと』と言ってトイレに行ったり、『えっ、もう出掛けるんですか?』というような目でこちらを見る者もいる。
 事務所の車に乗ってからや駅に向かって歩き出してから、『ちょっと待ってください。例の書類を・・・』と言って事務所の中にとりに帰る者もたまにいる。中には、顧問先に着いてから『入れたはずなんですけどね?』というようなケースもある。実は、私もいまだに忘れ物をすることもあるのだが。
 ただ、1回目の失敗がこたえた者は二度と同じ過ちを起こさないし、これが社会経験というか、私自身もそうであったように誰しもこうして失敗の数だけ成長していくものである。

 そうそう、この訪問前の書類準備にしても気の付く担当者はただ単にカバンに詰め込むだけでなく、その日に話をしようとしている順にファイルや書類が重ねてある。これは顧問先での仕事の優先順位をきちんと理解しており、仕事のストーリーが出発前から組み立てられている証拠でもある。逆に慌てて準備をして飛び出してきた場合には、書類はバラバラであるし、顧問先に行ってからの筋書きも何もない(私の田舎ではこれを“行き当たりばったり”という)。

 他に、日頃いっしょに仕事をしていて気になる点や社会人として心得ていたいことといえば、

 電車を降りたあと改札まで立ち止まることなく移動できるように、降りるひと駅前くらいで切符のある場所を確認しておくこと。これって常識とは思うのだがこんなこと一つとっても人によって様々であり、電車を降りてからポケットの中の切符を探して、すぐには見当たらない場合もある。
 あと、事務所の方へお客様が車でお越しになるとき、そのお客様の車が大きいときには広めの駐車場を空けておくのもお越しになられたお客様の印象としては大きな違いがある。
 その他、自分が他へ電話した時に一番いやな思いをするのは長く待たされるとき(つまり“保留”の長いとき)。でも、案外自分のところは気付かずにやってしまっているのかもしれない。これって、機転が利くかどうかが試されているようにも思うのだが・・・。

 こうはいっても私自身が到底全てをクリアできているわけではなく、できていないこともたくさんある。
 事務所のトイレの電気がつけっぱなしのときがあるが、みんなヒソヒソ声で『つけっぱなしやけど、所長違う?』と言っているのが耳に入ることもあるので多くの場合、私が犯人のようである。
 人のことばかり言っているが、私自身も緊張感が欠如しているのかもしれない。

 職場は和やか過ぎるても厳しすぎてもいけないので、なかなか難しいものであるが、やはり“ピリッとした職場”というのが理想の職場かもしれない。
 その前に経営者がピリッとするのが一番難しいことかもしれないが。
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2012年05月05日

No259:一人の時間を楽しむ

 GWも残すところあと2日となったが、我が事務所は前半3連休そして5月1、2日とカレンダーどおり出勤し、その後再び4連休というスケジュールである。
 私自身、今年は特に遠出の予定もなく、日頃溜まった仕事に目を通したり書類の整理をする日もあるが、自分のために気兼ねなく時間を使える日もとれ、緩急つけながら休日を過ごしている。
 遠方へ出掛けるほどの時間的余裕もないが、前半の休日(4/30)は「久しぶりに神戸にでも行ってみよう」と何の目的もなく昼前に突然思い立ち、京都駅から新快速に乗って神戸に出向き、元町(南京町)、三ノ宮、そして異人館など神戸の街をぶらついて夕方帰ってきた。異人館通りを歩くのは10数年ぶりではあったが、“海と山のある都会”に憧れて、20代の頃から1、2年に一回は何かあると神戸を訪れる癖みたいなものがついているし、毎回、電車に乗っての移動であるが“乗り鉄”にとってはこれまた旅した気分になれるちょうどいい距離と時間である。
 GWといえば子供が小さい頃はどこかの遊園地へ連れて行ったり、長男、次男がサッカーをしていた頃はその応援と連休のほとんどがそういった行事をこなすことで終わっていた。しかし、子供達も大きくなってくるとそれぞれ自分のことで忙しいようで、大学2回生になった長男は「することがたくさんある。」と京都には帰ってこないらしいし、長女も毎日のように入れ替わり立ち代り色々な友達との約束があるようでほとんど家にはいない。次男は次男で一応、高三で受験生なので遊ぶに遊べず自分で勝手に時間を過ごしている。
 そして、昨日の4日はカミさんも「チケットが2枚とれたんで」という娘の誘いのって名古屋までコンサートに出掛けていった。
 というわけで次男が「塾へ」と言って出て行った後は久しぶりに一人となり、ウキウキ、うろうろ、うれしくて何をしていいのやら。ひとまず、朝一に散髪に行き、そしてその後、本屋へ直行、家に帰ってからは買った本を片手にゴロゴロしたり、ウトウトしたりで誰にも見られず、誰からも干渉されない本当に“贅沢な時間”を過ごすことができた。
 夕方帰ってきた次男と二人で外食に出掛けた後は、女2人が帰ってくる10時過ぎまではリビングでビールやチュウハイを片手にまた本を読みながら“いい時間”を過ごした。
 
 特段、どこかに出掛けるでもなく、こうして自分ひとりで時間も全く気にせず過ごすのは久しぶりである。本当に1年ぶりくらいかもしれない?
 連休もあと2日となったが、来週の準備も早めに済ませ、あと少しだけ本を読める時間がとれたらなと思っている。
 久しぶりに本屋に立ち寄ったら読みたい本がたくさんあり7冊も買ってしまった。連休明けはそうそう時間がとれるわけでもないので何冊かは夏まで積み残しかもしれないが、仕事の本のように必要に迫られて読む本ではないので、この積み上げられた本を「読みたいな」と思いながら置いておくのもこれまた楽しみの一つでもある。
 色々な本を読んでいると感動することや新たな発見もたくさんある。同じ業界に30年近く身を置いていると知らず知らずのうちに偏った思考になっていることもあるし、また、いくつになっても普段あまり触れない分野は知らないままで過ごしていることも多い。
 ここでも何度か触れたが、こういった読書以外にも仕事に直接関係のない場所へ足を運んで色々な体験したりすることも生活の幅を広げるのに一役かっているように思う。
 急なエンディングとなってしまうが、せっかくの休日なのでダラダラ書かずにこのへんで。
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2012年04月28日

No258:いつまでも好奇心旺盛に

 ある雑誌で 【いつまでもチャレンジ精神を持ち続け、好奇心旺盛な人や色々な変化に敏感な人はいつまでも若さを保ち続けることができ、仕事の上でも伸び続ける人である】 という記事を目にした。

 確かに“好奇心”がなくなったり、“変化”に気づかなくなったときは老化の始まりかなとも思ってしまう。

 たまたま、この記事が目に留まったこともあり、ここしばらくの間に「あれ?」、「それおかしくない?」、「なんで?」と思ったことを連休の息抜き代わりに挙げてみることにする。なかには年をとった証拠とか、おっさんの独り言ではけ口のような内容もあるのでそこは真剣に考えず気楽に目を通していただければと思う。(順不同・・思いつくまま)

@オリンピックや世界選手権のメダリストがメダルを噛む
 あんなに神聖なものを噛むとは? 私なんかメダルをもらったときは、念願がかなったということでうれしくて頬ずりしたり、ただ眺めながらひたすら手で撫でていたことを覚えている。

A中学校での武道(柔道?)とダンスの必修化
 スポーツがこれだけ多様化している時代に何をいまさらという感じ。「人生まず体力」、必須はマラソン(長距離)でしょう。お金もかからんし。もちろん病気やけがでできない人まで強制する必要はないが。

B写真を撮る時のVサイン
 いつからこうなったのか? 確かに友人と撮った娘の写真は必ずこのポーズ。最近は男もしている。何の意味があるのか? 何とも不思議な現象である。我々の頃は修学旅行や学校祭などのスナップ写真でも“Vサイン”は一枚もない。男同士なら肩組むのが一番やろ。

C教員採用試験の面接官に保護者や地域住民
 2013年から京都府がこの方式を取り入れるとのこと。最近は何でも「幅広く、みんなの意見を聞いて」と言われるがこんなのダメ。厳格な校長先生や教育委員会の面々が格式を持ってすることに意義があるように思うし、面接官はそれだけ権限のある選ばれた人たちだけができるものである。もちろん、人を選ぶ責任もついてまわるので人を見抜く力のある人であることが前提ではあるが。

D裁判員制度
 大きな問題だけに一応、個人的見解と前置きしておくが、Cの面接官同様、司法(法律)の勉強をした裁判官が、法にのっとって裁くのが裁判であり、感情に左右されやすい一般住民を裁く側に入れるのはどうかと思う。私自身、人を裁くなんて到底できないし、裁かれる側も納得できないように思うが? 私の意見おかしいかな?

E少子化担当大臣がまた変わった
 2009年 民主党政権発足後、今回(この4月)の交代で9人目。人口問題に関わることで、どんな政策より長期的展望に立って、党派を超えて継続して検討していかなければならない問題なのに。少子化を問題視していない証拠か?

F『全然 大丈夫』、『全然 おいしい』
 この言葉遣いっておかしいと思っていたけど、調べてみると国語的には絶対に間違いとはいえないらしい。私は納得できないけど。

G高校野球(他のスポーツもある)で優勝したらマウンドに集まってみんな指を立てて喜ぶ
 このポーズは田中将大を擁する駒大苫小牧が優勝した時にしたのが始まりであるが、私自身、長年スポーツをやっていたが本当にうれしいときは握り拳に力を込めてその場でじっと感慨にふけっていた。そして、今までのつらかったことを思い出し思わず涙がこみ上げる。← かっこええな!
 少年野球 京都府大会で優勝した時の安達“ 鬼監督”が勝つたびに言っていたことを思い出した。『勝った者の数だけ、負けて悔しい思いをしている者がいる。勝っても相手チームのいるグランドでは大はしゃぎするな! はしゃぐのはベンチに戻ってからベンチの裏でしろ! 帰りのバスではどんな大声張り上げてもええしな。』

 今回、こんな内容をとりあげたが、この監督の40年前の言葉、その後の人生の中でも心に残る言葉の一つである。
『かねたや(監督が営んでいた食料品店)のおっちゃん ありがとう。』
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2012年04月21日

No257:日本はいつまでもつのか? 沈没の秒読みは始まっているのか?

 今の日本の政治に期待できるものはほとんどなく、日本の将来を考えた場合何一つ明るい材料、希望の光なるものは見えてこない。
 これは一体なぜなのか? こんなことでいいのか? 生きている時代によってこれほど差があっていいのか?
 こんなことを考えながら本屋に立ち寄ると、少し難しそうではあったがこの問いかけに答えてくれそうなタイトルの本が目に飛び込んできた。

 【世代間格差・・・人口減少社会を問い直す:加藤久和(筑摩書房)】

 この著者である加藤氏は人口経済学の学者であり内容は多少専門的ではあったが、今の日本を知る上で、あるいは、マスコミの無知や政治家の不甲斐なさをなんとか自分自身で埋めるのに役に立つ一冊であった。

 中国や韓国をはじめ諸外国から政治的にも経済的にも攻め込まれている日本。サムスン(韓国)に代表されるように外国企業に遅れをとる日本企業(特に製造業)。まだ50前の私達の世代は何とか生き延びれるかもしれないが我々の子供や孫の世代には日本は滅びてしまっているのではないかと思われるほど今の日本には元気がない。そして現実的数値としては返せそうにない財政赤字(借金)を抱えてもいる。
 この本を読んでみると私自身ますます落ち込んでしまったが、一方で現状を知り何かしら手立てを打つべきではという大きな絶望感の隙間から小さな将来展望のようなものが見えてきたのも事実である。
 まず、ここで書いてあったものを整理してみると、今の日本が安閑としていては奈落の底に落ちてしまうことが誰しも理解できるであろう。

◎年金破綻とかさむ高齢者医療費
 ・現在は現役世代2.8人で高齢者1人を支えないといけない(1970年は約10人で1人の高齢者を支えればよかった)
 ・高齢者の年金カットにより高齢者の雇用延長と就労拡大・・若者の就業機会が奪われる
 ・現役世代の保険料のアップと企業負担の人間ドッグ等の福利厚生のカット

◎就職できない若者(非正規就業、若者失業)
 ・25〜34歳の失業率:男子6.6% 女子5.7%(30年前は 男子1.9% 女子2.9%)
 ・若いときに正社員でしか経験できないことを経験しないまま、40代に突入し、会社で年相応の役割が果たせない
 ・七五三 現象・・3年以内に離職する割合:大卒3割、高卒5割、中卒7割

◎待機児童
 ・女性の育児休業取得率 85.6%、男子は1.72%・・出産・子育ての厳しい現状では脱少子化は無理か

 この本を読み終えて色々と考えてみたが国家的なことを私一人でできるわけではないが、ただ一人の日本国民として滅びゆく日本をボーっと眺めているわけにはいかないし、日本丸に乗って沈没する日を待つのもやるせない。
 しかし、悲しいかな冷静に考えば考えるほど、今の我が国の政治は良くはならないだろうと確信できる部分がある。それは、政治家が当選するために目に前のことだけにとらわれ、信念を曲げてでも平気で行動し、日々落選しないでいるにはどうすればいいのかだけを考えて生きているから・・・。このことについては連日の政治劇をみているとあきらめるしかないというのが誰しも分かるであろう。

 これから日本を背負って立つ20〜40代の人たちには今のようなあきらめムードではなく、もう少し自信と希望を持って毎日が過ごせるような環境を用意することが我々、中年のおっさんのせめてもの役目のように思う。

 今回は話がどんどん暗い方へいってしまったが、世の中はあと一週間でGWに突入し、盆と正月とはまた違って良い気候の中で休日を過ごすことができる。
 今のところこれといった予定はないが、予定のないことも贅沢の一つと思いつつ、連休を少しだけ楽しみにしている。
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2012年04月15日

No256:久しぶりに結婚式に出席して

 昨日、甥(姉の長男)の結婚式が枚方であり出席してきた。
 10代の頃は私の兄姉などの親戚、20代から30代の前半は友人、そしてその後は職場の関係(後輩が多い)と招待して頂く結婚対象者も年齢とともに変化してきているが、ここしばらくは海外ウェディングや身内だけの結婚式、それに私自身が年をとったこともあってか結婚式に招待して頂く機会もめっきり減ってきていた。今回は本当に数年ぶりでしかも身内ということもありこちらまで一層おめでたい気分になり、チャペルでの賛美歌「いつくしみ深き ともなるイエスは〜 ♪♪」も久しぶりに思わず大きな声をあげて歌っていた。
 
 その甥も高校までは京都府北部(与謝野町)、大学は広島、そして就職後は何回かの転勤を経て現在は四国の徳島ということもあって、友人もあちこちから駆けつけてくれたようである。披露宴もこれらの友人が色々な趣向も凝らしていてくれたので、名実ともおじさんの私にとっては目をきょろきょろさせながらも本当にうれしく楽しいひとときであった。

 この二人が大学時代から長く(8年間)付き合っていたのは以前、姉から聞いていたし、まだかいな?と思っていたので、この1月に案内をもらったときは「やっとか。」と思ったものである。
 私自身、この甥にもう数年も会っていないし、常日頃から交流のある間柄ではないので今日結婚した二人のことについては特に関心があったわけではないが、今はやりの“できちゃった婚”でなかったことがなんともうれしく感じられた。こんな考え、いまどき古いんだろうな?
 こういった話をすること自体、ご両人やご両家の方から「なんと、失礼なことを!」と怒鳴られるかもしれないが、それほど今の我が国の男女関係(特に結婚前)が乱れていることが実は気になっている人間の一人である。
 私の周りの結婚されるご本人や結婚される子供さんをお持ちの親御さんなど多くの方から結婚の話を聞く機会があり、割合にするとわずかではあるがやはりそのうちの何名かは“できちゃった婚”という方もいらっしゃる。
 “できちゃった婚”が決して悪いわけでもないし、昨日も二人であちこちに旅行に行ったスライドが映し出されていたし、ましてや私の3人の子供たちも結婚についてはどんな形になるのか予測もつかないのでここであまり意見する立場にないのかもしれないが、ただ、今日の結婚式が妙に新鮮に感じられた。
 このこと自体、私がとやかく言うことではないかもしれないし、最終的には本人次第であることは当然といえば当然の話なんだが・・・。誤解を生じかねない内容なのであえてもう一度言っておくが、決して物申しているわけでもなんでもなくただ単に私の思いということである。

 まあ、甥の結婚式の話はこれくらいにしておくが、実は私が言いたいのは、最近の芸能人やスポーツ選手など我々からすれば本来、手の届かない遠い存在の人たちの“できちゃった婚”があまりにも多すぎるということである。まさしくスターと呼ばれる人たちは一般人といっしょであっては困るし、交際はある程度隠して水面下で進行させた上で結婚前にやっと公表し、そして、結婚の後、子供を授かって欲しいものである。こうして書いているとあらためて思うが、この考えって本当に古いんだろうなあ〜。
 今しがた突然、石田純一の顔が思い浮かんだが、50代にして奥様の東尾理子さんと努力の結果(体外受精か?)妊娠に至ったという話題はある意味とても新鮮であった。もちろん結婚後ということで。
 今回の話の内容、よくよく読み返してみると本当にシーラカンスや化石のようなおっさんの考えでいまどき同調する人はほとんどいないかもしれないし、「早く子宝に恵まれることのなにが悪いの? なに言うてんの。」と批判も受けそうなのでもうこの話はこの辺で終わりにするが、話が話だけにこの話題の幕引きに多少なりとも苦慮している自分自身に気がついた。

 私の娘もこの春、大学を卒業するまでは土日になると北山通にある近所のチャペルでこういった結婚式を手伝うアルバイトをしていたが、今日もそういった若い(学生らしき)人たちが各テーブルに張り付きで色々と世話を焼いてくれ、これまた新鮮な感じがするのと同時に、自分の娘がしていたアルバイトの内容を知る上でもいい機会であった。
 今日は話の内容が妙な方向へ行ってしまったし、中には気を悪くされた方や批判的な考えをお持ちの方もあるかも知れないが50前のおっさんの独り言と思って許して頂きたい。


 今日夕方からは会計監事をしている大学の陸上部のOB会総会とその後、現役学生との交流(新歓コンパ)があるが、先輩からのお小言が一番いやだった現役時代のことを思い出して、同期生と静かに飲んでいようと思っている。
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2012年04月08日

No255:春なのに走れない

 確定申告の後半から腰が痛くなったり、足が痛くなったりで、「さあ、走ろう」という気にはなかなかなれない状態が続いている。
 2、3月は顧問先への訪問も普段以上に多く、車での移動にもかなり時間を費やしたし、事務所内でのデスクワークも通常の倍以上はあっただろう。とにかく、寝てる以外は何か活動をしていた。
 こういった生活のせいかどうかは分からないが、今の私の身体の状態は整形外科の先生に言わせると、「長時間のデスクワークと車の運転が腰には一番負担がかかり、肩から腰にかけてかなりきているはず」とのこと。私の場合、仕事柄、この“良くないこと”を二つも、しかも長時間重ねていたので、状態が悪くなって当然といえば当然なのかもしれないし、50前の自分の身体をもう少し労わる必要があったということであろう。
 いつまでも“鉄人 増生”と思っていたのはバカげた話で、当然のことのように身体は年相応の状態になっていたということである。
 まあ、そんなわけで春はランニングでスタートという例年のパターンが今年は崩れ、今年になってまだ一度もあの楽しみな“鴨川ランニング”や“宝ヶ池周回”を果たせないでいる。
 今年は4月になっても寒い日が続き、なかなか本格的な春の訪れを感じられないが、もう一つ、ランニングをしていないということにより、季節の変わり目を肌で感じる機会もなくなっていることに今になって気付いたのである。
 別にランニングでなくてもウォーキングでいいのだが、休日にゆっくりと外の空気に触れるということは、暖かさや寒さを感じるだけでなく、桜の咲き具合や新緑の葉っぱの色など外の景色を通して自然の移り変わりをさりげなく感じるには貴重な時間であったということであり、これは仕事をしていく上でも、また、人生を送っていく上でも非常に重要なことであったように思えてくる。
 昨日も名神で滋賀県へ出掛けたが、東山 蹴上のウィスティン都の辺りは桜もちらほら咲きで車窓からの花見を楽しむことができ、一瞬ではあったがこれはこれで春の訪れを感じるのにはいい機会であった。

 話をランニングの方に戻すが、実はこのランニングができないからかどうかは分からないが、例年のような身体の絞込みができなくて困っている。
 高校、大学とこの時期は冬に間に余分なものがついた身体を合宿などで鍛え直し、3、4kg絞るのが慣例であり、社会人になってからもこの流れは変わらず、仕事→食べる→飲む→寝る で繁忙期の3ヶ月近くを過ごしてきて、醜くなった身体を通常の状態に戻す時期でもあった。
 これができないもどかしさがないと言えば大げさになるが、今年は例年のように運動によって一気に絞ることができそうにないので数ヶ月かけて、体調を整えながら徐々に絞り込んでいきたいと考えている。
 “絞る”ということは、タオルや雑巾を絞ることから始まって、頭、智恵、身体、そして支出などどれも何らかの辛抱と努力を必要とするが、気ままに生きていてブヨブヨになるより、やはり身体もしまった方が何か行動をする上でも動きやすいし、私の経験からいってもやはり絞れている時の方が仕事にも日々の生活にも緊張感があり、何かと次のことが考えられるようにも思う。
 今の時代「デブは嫌い」という言い方をするのは差別的発言としてとりあげられるかもしれないが、他人はどうであれ「デブな自分は大嫌い」と自分のことを取り上げていうことには問題にはならないのであろう。
 当然、腰痛もこのデブとは無関係ではないだろうし、何はともあれ、私自身、身体を絞り込むことが今後のステップとなるように思えてならない。
 そういう意味でまずは、一日も早く、人様に見せられる身体を作っていきたいと考えている。
 
 私の周りには色々な病気(精神的なものも含めて)と関わって生きている人も何人かいらっしゃるが、仕事柄、私自身が健康であることが周りの人にも良い影響を与えるということは言うまでもない。
 誰にでもいえることではあるが、まずは自分の年を再認識することが健康な身体づくりの第一歩のように思えてくる。
 いつまでも若くはないんだと。
 
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2012年04月01日

No254:逆境を味方にできるか?

 今日、4月1日は役所や企業では新年度スタートの日でトップが訓示や方針を述べる日であるが、こういった節目の日が休日であるというのはなんだか拍子抜けの感がある。
 通常の生活している人や我々のような中小企業にとってはこの節目を節目と感じににくくなっているのも事実であるが、我が事務所の顧問先の多くを占める医療機関にとっては、4月1日(実質的には明日4/2)からは診療報酬が改定となり、何かと気ぜわしかったり、中には新たな戦略を迫られているところもある。

 ただ、特に大企業や大病院でなければ新年度だからいって大きな転換を必要としている例は少なく、まずは目に前の仕事や診療に真剣に取り組み、日常の業務の中でお客様(患者様)や社会に喜んでもらえる努力を続けることが最も大切なことであろう。
 このことをもう少し突っ込んで考えると、相手が何を望み、何を必要としているのか、そしてさらにその先お客様が何に困っているのかを察知することが全ての事業において重要なことのように思われる。

 我々の仕事もニーズの幅が広がり、Aという顧問先で喜ばれたことが、必ずしもBという顧問先で評価を受けるとは限らない。
 我が事務所が日々、一切のクレームもなく業務をこなしているかというとそうではなく、ときには不満やクレームを言ってこられることもある。ただ、クレームの無いようにすることは大切であるが、そのクレームへの対処の仕方がその場しのぎであったり、相手様のご機嫌をとるようなことに終止していたのでは何の解決策にもならない。
 クレームがついたり、商品に対して顧客の要望があがったりすることは経営者にとっては面倒なことであり、ときには苦痛を伴うことだってある。ただ、こういったことを後ろ向きに捉えてそこから逃げていると何の進歩もないし、その会社はそこから発展しないそこまでの会社で終ってしまうであろう。
 こういった顧客の声をクレームとして捉えるのではなく、熱い要望と捉えればそこにはいくらでもピンチをチャンスに変えるきっかけが存在している。
 
 我々の業界に目を移せば、「税理士という資格で飯が食える」時代はとっくのとうに終っているように思う。他の事業と同様に価格破壊や価格競争の話もあちこちで聞こえてはくるし、これも受身の姿勢でいるとこういった状況の中に身を置くことになるが、こちらからニーズを探り、顧問先の成長を手助けし、来て欲しい税理士、付き合いたい税理士になれば、何とか顧問契約が結べたり、顧問契約を維持することは可能である。
 我々のように税理士事務所は中にいると本当の意味でのお客様や外の声が聞こえにくくなってしまう場合がある。
 今まで我々の業界は顧問料という報酬にあぐらをかいていると言われたこともあるし、税理士事務所の必要性について色々と語られた経営者の方もあった。
 私共の顧問先も毎月の支払の中で顧問料がそう簡単に出せるとこばかりではないし、本当に他の支払との兼ね合いの中から顧問料を捻出していただいているところもある。
 こういった想いを私や事務所の一人ひとりがきちっと受けとめることが一番大切なことであり、この想いが分からずして顧問先の方に満足して頂けるサービスはありえないと思う。
 この仕事をしていて、おべんちゃら(お上手ともいうが)でしのげるのはその時だけであって、相手が本当に必要としていることにどれだけ応えられているのかどうかが本当の意味での評価を下す側のポイントであろう。
 この仕事はまず誠実に約束を果たすことが最も重要なことだとは思っているが、いつも満足のいく対応が出来ているかといえばそうではなく、誠実さに欠けたなと思えるときもないわけではない。天はこういったことはいつもお見通しでやはりこんなときの相手様(顧問先)の満足度はドッと下がり、満足いただけていないのが一目瞭然の場合もある。
 ただ、我々の業界、“想い”だけで仕事ができるほど生易しいものではなく、本当に目まぐるしく変わる税制については専門家である自覚をしっかりと持ち、日々研鑽に努めなければならないし、この部分をおろそかにするようでは税理士事務所としての存在意義はなくなってしまうであろう。

 こんなことを考えていると、どの仕事、どの業界も“生き残り”はそう簡単なものではないように思われる。
 まあ、大きなことをする必要もないが、怠けず、コツコツと進んでいくことが一番良いのかもしれない。
 
 最後に、先日読んだ本の中で製造業の社長の言葉は印象に残っている。

 ◎【企業が本当に必要としているのは一時的な「ヒット商品」より「ロングセラー商品」・・・一世を風靡したあと莫大な在庫は会社にとって大きな損失。 本当の利益を生むのは長く続くロングセラー商品。 このことに気付く経営者は生き残れる。 まずは本業に精を出せ。】
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2012年03月25日

No253:バカげた“公務員潰し”

 数ヶ月前から国会で消費税導入と引き換えに公務員の人員削減や給与の引き下げなどが議論されているし、今話題の大阪府や大阪市も公務員給与の大幅なカットへ向けて動き出している。

 私の親戚には国家も地方も公務員と呼ばれる人は一人もいないし、人件費削減で直接的な被害をこうむる家庭は一軒もない。でも、私はこの議論、全てではないが公務員の肩を持ちたい部分はある。
 確かにぬるま湯の部署や職種もあるだろうし、ある公務員の友人からは、『僕の職場、大きい声では言えんけど、ええ年したおっさんが5時チンやで。』(自分の上司が5時の終業のベルが鳴ると一番に帰るらしい)とぼやいてはいるがみんながみんな“5時チン”であるわけではない。
 この問題、まずは国会での議論と選挙公約がおかしいのである。公務員の人員と給与の削減を訴える党が評価され、そうでなければ当選さえも危ぶまれる。なぜ、もっと公務員を国民のために有効に使う方法を議論しないのか?
 雇用が安定しない今の時代に生涯の雇用がほぼ約束されているこの公務員に世間のやっかみがあるのは分かるが、一部のコネはあるにせよ基本的には公務員の採用試験という難関を通りぬけて今の職業を得た人たちの集団である。
 私も大学を卒業する時、まわりに公務員を目指している者がいたが、そりゃよく勉強していた。今、兵庫県庁と静岡県庁にいっているが、当時、怠け大学生であった私には到底まねのできないことであった。
 レベルや職種の違いはあれ、やはり一種の関門を通過してきた集団であり、これを羨ましがってもどうしようもないし、私のように公務員になれなかったり、他の職種に目がくらみならなかった者が今更ぼやいてもどうしようもないということである。悔しかったら自分がなるか、自分の子供を公務員にしてみなさいと言いたい。
 ただ、ここで問題なのはこの公務員になった人の多くが、自分たちは選ばれた人間であるという自覚のなさ、それに公共サービスを担う一員であるという思いが欠如していることであろう。

 仕事上、接触する機会の多い税務職員(調査官)は我々が最もいやな税務調査でやりあう相手であり、時にはお互い自分の主張をぶつけあうこともあるが、昨年、ある調査官の言葉に感心したことがあった。その言葉とは、
『我々税務職員はどこに行っても嫌がられます。親戚からも嫌がられるので職業は“公務員”としか言いません。あるいは“会社員”としか言いません。自分自身は高卒で、就職の時「自分のレベルで国の役に立つ職業は」と考えたところ、この職業がいちばん身近で自分でもできるのではと思って選びました。世の中の不正を暴くという点において微力ながらも国家に貢献できていくんです。ただ、納税者も人間です。悪行の内容を十分に判断したうえでこちらも適正に対応するように考えて行動しています。その納税者や家族の人生を台無しにするようなことは今まで一度たりともしたことはありません。』と私の前で熱弁をふるわれた。
 税理士が税務職員を褒めるのも問題があるのかもしれないが、要は、警察官であれ、消防士であれ、そして各官庁に勤める職員であっても一生懸命 公共のために働いてもらえれば当然我々一般市民は助かるし、こういった役に立つ公務員が、万一、手薄になったりするとたちまち困るのは国民の側であることも自覚しておかなければならない。

 話がそれて何が言いたいのか分からなくなってきたが、
 要は公務員の数や給与が問題なのではなく、給与に見合う、あるいは給与以上の仕事をしてもらえれば問題なないはずであるし、それをさせるのが国家であり、議員であり、そして国民の役目でもある。
 この問題は国民の側にもあらためないといけない点がたくさんあるようにも思う。自力で病院に行けるのにタクシー代わりに救急車を呼んだり、ゴミやたばこの吸い殻を規定のところ捨てなかったり、自転車や車を決まったところに止めなかったり放置されていたり、そして生活改善努力を試みた人にのみ支給されるはずの生活保護費が垂れ流しのように支給されていたり、そして極めつけは国家財政のことを全く考えずにバラ色の選挙公約とその時の風にのって一票を投じたりと、私を含めて国民の側もバカであり、この自分たちのバカさを棚に上げて人様(公務員も含む)を批判するのはどうかと思ってしまう。
 更に突っ込んで考えていくと、この元凶はマスコミであることは間違いないということはここでも何度となく取り上げたが、あの紳介よりももっと安物の司会者やレポーターが自分の主張がさぞ正しいかのように現状批判をし、視聴者や読者から同意や共感を得ようとしている。これがよく考えた上での自分の本当の主張であれば立派であるが、少なくともテレビでそんな立派な人はほとんど見受けられなくなっている。
 あのバカな司会者やリポーターが勉強不足の国民から受けを狙うためだけに発言しているという、うがった考えでテレビを眺めているとこいつらの浅はかな知識だけでものを言う安物ぶりがどんどん際立ち、ある意味本当に面白く感じることがある。
 
 税金を払うのか払わないのか、公務員や国会議員を本当に減らした方がいいのか、我々国民(もちろん私も含め)が報道番組を見下し、「あいつらアホか」と言えるくらいの勢いでもっともっと勉強し、厳しい判断を下すことが今我々にも求められていることであるように思う。
posted by ヒロイ at 16:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月18日

No252:気になる同い年・同級生

 1月にふと本屋に立ち寄ったとき、入口付近に積まれた本の中でタイトルに惹かれ手にして、迷わず買った本がある。いつもは雑誌や週刊誌に目がいく私としては、生まれて初めて買った文藝春秋である。
 この2月号の【特別企画・・鳴呼「同級生」たかが同い年 されど同い年】
 中をそっと覘いてみると本当にゾクゾクするような同い年の組み合わせについて色々と語られている。
 この同い年、ここにいくつか掲げてみると

・松本清張×太宰治×大岡昇平
・中曽根康弘×田中角栄
・西本幸雄×川上哲治
・石原慎太郎×青島幸男×横山ノック
・天皇陛下×扇千景
・美智子皇后×石原裕次郎
・王貞治×大鵬
・小沢一郎×小泉純一郎
・みのもんた×久米宏×草野仁
・島田紳助×田代まさし
・山口百恵×森昌子×桜田淳子
・尾崎豊×吉川晃司
・三浦知良×清原和博×桑田真澄×松岡修造
・澤穂希×中村俊輔
   
  その他多数

 これを見て同じ時代に生きた者はたくさんいるが、その中で年が同じということは当然のことながら生きてきた期間もほぼ等しいし、自分自身の各年齢ごとの時代背景も同じである。
 私なら小学校1年生の時が大阪の万博であった というように・・・。
 まさしく同じ時代に生きた人間同士なので、何かしら影響を受けたり、気になる存在だったりするものである。
 いくら相手が政治家や芸能人ですごく有名であってもどこまでいっても同い年には違いない。
 もちろん追いつこうとかライバルなどとは思ってもいないが、「同い年やのにあんなにがんばっている奴もいるんや」と何かしら自分の怠け心や甘えた気持ちが頭をもたげてきた時に、生きる世界や次元は違うにせよ「もうちょっとかんばってみよか」とか「ここは我慢せなあかんな、踏ん張りどころや」と諦めそうな自分にはっぱをかける材料にすることはできる。

 ちなみに私と同い年(1962年/昭和37年 生まれ)は松田聖子、藤井フミヤ、前原誠司、それに同じ大学の体育会ではラグビーの平尾誠二などがいるが、ここに掲げた男性はなぜかみんな男前である(関係ないか?)。この顔だけはいくら勝負をしようとしてもスタートラインに立つ前に「勝負あり」の判定を下されそうであるし、また、このメンバーの経歴もそれぞれの分野でトップクラスの者ばかりなのでライバル視なんて到底思わないが、みんな同じ時代に育ってきたし、目に見えないところではひょっとすると同じような悩みを抱えているかもしれないと思うとホッとする部分もある。
 これは小学校から大学までの同級生はもちろんのこと、仕事上での同級生や同期など身近な者であっても同じことがいえるであろう。
 人間、生きていく上で張り合うということも大切であるが、この年になると歩調を合わせるというか融合することもこれからの人生を豊にする上で重要なことである。

 この本に掲げられている同い年の有名人も一人ひとりの顔を思い浮かべると、お互い心のどこかで「あいつにだけは」と闘争心に火をつけさせる上で大きな影響を受けたであろうし、それがお互い通常以上に能力を引き上げたり、引き出したりする一因になっていたことも否定できない事実であろう。

 この本、1月に買って2月の前半までに7割近くは読めていたが、そのあと確定申告期に突入したため一ヶ月以上自宅のリビングの片隅に放置されていた。
 そして、待ちに待ったフリータイムが訪れた土曜日(3/17)に一気に読み上げた。
 
 まだまだやり残した仕事はたくさんあるが、これからは少しずつでも自分の時間を確保していきたいし、それこそが“豊な老後”のために必要とされる時間のようにも思う。
posted by ヒロイ at 00:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする