2021年09月20日

No747:今 気付きました、明日は事務所の創業記念日だということに

 朝、新聞を読んでいてもパソコンをいじっていても 今日の日付を全く見ることなくこの時間まで過ごしていたが、今 日付表示のある目の前の時計を見て、「あっ、明日 創業(独立)した日だ」ということに気付いた。
 実は毎年 事務所の全スタッフにささやかなお礼の品を送るので、9月21日が近づいてくると、「そろそろだな」と準備を始めるのが私の中での恒例行事となっていた。
 今年はある果物を“産直”で取り寄せたため、その農園から食べ頃 間近のものが収穫でき次第 順次送られてきた。
 9月に入って早々3回に分けて送られてきたものを到着した分から すぐさまみんなの机の上に置いていき、9月10日には全て完了していたので、この9月21日という本当の記念日のことはもうすっかり頭から飛んで行ってしまっていた。
 多分このコーナーでもこの節目の日のことについては過去に何度か触れたことがあるが、以前にどんなことを綴っていたかは読み返していないので、これから言おうとしていることが、「また、いつものやつ」と思われる内容かもしれないが、創業記念日くらいは何年か前の創業当時の気持ちを思い出してみるのも決して意味のないものではないように思う。
 14年経って、そりゃ開業当初と比べるといろいろな意味で“ドキドキ”、“ヒヤヒヤ”という経営ではなくなったが、14年前に給与支給日が近づいてくると通帳の残高を食い入るように眺めていた時の気持ちは今思い出すと“ゾッと”するような心境である。

 「経営は細く長くが難しい」とはよく言ったもので、過去最高益と喜んでいた数年後に会社が傾きそうになったということを今まで何度か目にしてきた。
 もちろん業種によっては顧客の嗜好の変化だけでなく、世の中の状況の大きな変化によって売上が激減することも往々にしてある。会社や経営者がどんな努力をしようとも・・・。
 今回のコロナの流行・蔓延はその最たるもので、個人の力ではどうしようもない現実が目の前にある。
 ただ、ここへきて堅調とまではいかなくとも、会社そのものの底が堅いと感じとれる経営者も数名いらっしゃる。
 こういった方の共通点は、「良いときに調子に乗らない」、「常に最悪の場合を想定して行動する」 という理念を持ち続けているところにある。
 経済的に見るとこういった行動や思いは、消費したり、お金を流すという景気浮揚策には相反するかもしれないが、こういった経営者はお金を出すときには出すという気前の良い部分もどこかに持ち備えている感じもする。
 この仕事をしていて得した感があるのは、こういった実例を目の前で見たり聞いたりできることである。
 たまにはあまりよろしくない例も目にすることもあるが、それはそれで反面教師としてこちらも頭の中に叩き込んでおくこともできる。

 話が少し変な方向へ行ってしまったが、記念日というのは決して祝うだけではなく、こうして反省したり、思い返すのには またとないいい機会である。
 こんなことが毎月あるとやってられないであろうが、年一回くらいであれば反省したり、次なることを考えるにはちょうどいいタイミングである。
 とはいってもこういった過去を思い起こした時には満足できるものは何一つなく、どちらかと言えば「ああしとけばよかった」というような反省や後悔の方が頭に浮かぶものである。

 まあ、何はともあれ事務所が14年間続いているということに素直に感謝し、明日の9月21日を迎えようと思っている。
 これも顧問先のみなさまの支援は当然のことながら、事務所のメンバー18人が同じ方向に向かって行動しているからこそ成し遂げられているのであろう。
 ある経営者はコロナ禍になって、「1年1年が勝負です」と言われるが、これは決して先のことを読んでいないということではなく、正に今の経営環境下ではそれくらいの気持ちで日々の経営にあたらないと取り残されそうになるという危機感の表れであると思う。
 本当に大変な世の中になったものである とつくづくそう思う9月20日であった。
posted by ヒロイ at 21:30| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年09月12日

No746:マスクの下は?

 コロナの感染が日本でも市中に広まりだしたのは、都市部では昨年の2月後半からだったと記憶しているが、当初は街中でも職場でもマスク着用が必須という状況ではなく、あくまで“任意”で(いまでも一応、法的には強制されていない)、市街地を離れて周辺部やさらに離れて過疎地に行けば行くほど、マスクの着けない人もちらほらする時期もあった。

 今となってはマスクなしで出歩くことはないし、当然のことながら職場を含む家庭内以外の場所での着用率は100%である。
 ただ、先日 マスクの下は、「それあり?」という人に遭遇した。
 今までは髭を伸ばしたことがない人が髭を伸ばしていて、もしかして これを機会に多少おしゃれの意味も込めて変身を試みられているのかな? と思ったが、よくよく見るとちょっと見苦しいくらい手入れができたおらず、いわゆる"ボーボー"の状態であった。
 そして出されたお茶を飲むときだけ少しマスクを下にずらされていたが、飲み終わった後 マスクを定位置に戻されると、そこにはまたびっくりすることがあった。
 マスクで隠れる所だけ手入れができておらず、マスクを着けるとその髭の剃り残しの部分がすっぽりマスクの中に収まるという完成度の高い技であった。
 こんなこと本人様の自由なんだろうが、捉え方によっては、「見えないところはどうでもいい」というふうにもとられかねない危ない技のような気がした。
 まあ、こんなふうに考えること自体 古いというか 大きなお世話なんでしょうけどね。
 そもそも これもお茶を飲む機会がなければわからなかったことですし。

 コロナ禍ならではの話をもう一つ。
 ある会社で新入社員(中途)の採用時に履歴書での書類選考の後、パソコンの画面越しにWeb面接をされ、その時の印象をもとに採用して、失敗したという話を聞いた。
 非常に好印象で問題ないと判断の上 採用されたらしいが、入社後、「あれっ」と思えるようなことが度々重なり、数ヶ月後には 「あの人だけは堪忍して。担当を代えてもらえますか。」と数社のお客様から申し出があったとのこと。
 それらのお客様が上記のようにおっしゃった担当者交代の理由は、「いろいろな面において横着で信頼できない」というものであったようだ。
 この採用した側の方の人にもう少し突っ込んで話を聞くと、「Zoozではわからんかったわ。靴の脱ぎ方、かばんや書類の置き方、それに人と話をする時の姿勢。姿勢といっても画面では首から上しか映らんし。足もとから頭の上まで、そして指先まで見ておかんとな・・。」とおっしゃった。
 ちなみに書類選考の後、Web面接だけで採用されたので、本人と直で初めて会ったのは入社の当日だったようである。


 このことを聞いて私が思ったのは、もちろん全ての場合に該当するわけではないが、「画面だけでは、全容、つまりしぐさの隅々まで見切れないものな」ということであった。
 決して騙されたというわけではないが、ものごとは見えるところだけではいい判断がしづらいということなのであろう。
 最初のマスクの髭の話もそうであるが、コロナだからと言って、そして後の話のように画面だからと言って気を抜かないように対処したいものである。

 それにしても何事においても難しくことが多く、古い人間は本当についていくのが大変な世の中になってきていることには違いない。
 そんなことを考えさせられた コロナ禍での話でした。
posted by ヒロイ at 22:41| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年09月05日

No745:開業が不安な奥様の顔

 来年に開業を予定されているドクターの開業支援に何件か関わっているが、その中で勤務先の病院でも要職に就かれていて、勤務医として年収は平均をかなり上回っているという方がいらしゃる。
 働き盛りとはいえ住宅ローンも残っているし、大学生を筆頭に3人のお子様があり、教育費もまだまだこれからという年代なので多額の資金を金融機関で借りての開業は不安がないわけではない。
 
 こういった生活環境あるいは経済状況での開業はよくあるケースであり、開業されるご本人は「不安がないわけではないが、決めたからにはやるしかない」と強い思いを抱いておられるし、また、生半可な気持ちで開業されてもうまくいくはずもないので当然と言えば当然のことであろう。
 ただ 奥様方はそれぞれ開業に関して思い入れの違いや温度差があり、それが私の方にも伝わってくることもある。。

 今 進めている開業案件で、ここまでの打ち合わせで奥様が3回 同席されているが、初めての面談の時はまだ開業を検討されている段階であり、この医療モールに関わる建設業者や医療機器業者の説明を先生といっしょに聞かれていた。
 その時は不安げな顔つきで、にこやかな表情は最初から最後まで見せられることはなく、その隣で終始落ち着いた表情の先生と対象的だったのを覚えている。
 全ての説明が終わって、先生と奥様、それに私の3人になってから、奥様は開口一番、「ほんとに先程の説明のようにうまくいくんでしょうかね? 各業者さんっていいことしか言いませんよね。それが逆に不安をあおるんですよ。」とおっしゃった。
 確かにいろいろな開業事例をご存知でない奥様がそう思われるのも決して不思議なことではなかった。
 私はこの後、開業されることが決まった場合、当方でできる支援内容の他、新規開業のリスクについてもあえて説明したが、リスクは一方的に襲ってくるばかりではなく、回避する方法もあることを話した。
 先生と奥様、そしてクリニックちに関わる人たちの力で、事業を早く軌道に乗せることは可能であることや今まで多くの開業医の先生方が実現されていることも・・・。

 この日から2週間後、先生から「家内とよく相談した結果、いっしょにがんばろう ということになりました。家内の不安が100%消えたわけではありませんが。」 と連絡があり、当方への開業支援の正式な依頼もあった。

 それから数日後、先生からは開業に関わる費用、そして奥様からは教育費を含む 家計としての必要額などの聞き取りを終え、現在 私の方で作成した[事業計画書]を銀行へ持ち込み、融資の審査にかけてもらっているところである。

 先週までにこの先生ご夫妻とは3回面談したが、奥様の顔から不安な表情が徐々に和らいでいっているのがこちらにも伝わってくると同時に、「ここまで来たら やるしかないな」という奥様の気持ちが前に座っている私にも伝わってきた。

 まだまだ先は長いが、この奥様が「開業してよかった」と心から喜んでもらえるようにしっかりと支援していかねば と思った。

 ある顧問先の先生からは、「廣井先生が開業支援の仕事を続けられる限り 我々の競合先が増えるということですね。」と厳しいことを言われたことも何度となくあるが、開業を決意された先生とその家族の生活をバックアップするということに喜びややりがいを感じるのも事実である。

 今回のような まだ不安の消えない奥様であれば、意地でも不安を解消してやるぞ と。
 これも開業支援の仕事のやり甲斐のひとつなんでしょうかね。
posted by ヒロイ at 20:41| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年08月29日

No744:旅した気分

 人を採用するときの面接時に聞いてはいけないことの一つに本籍地や出生地というのがある。
 これは本人に責任がなく就職差別につながるおそれがあるからとのことで、当然 納得のいくものであるが、こういった採用面接ではなく、仕事で初対面の人の場合、話の流れでついつい出身地の話になることがある。
 特にクリニックの新規開業の支援で金融機関に提出する履歴書や経歴書を受け取る時に、「私、○○県の○○市出身なんです、ご存じですか?」とおっしゃる方もあり、その流れで地域の有名な観光地や名産品の話を熱く語られることもある。
 一般企業の経営者の方と話していても、「私の母校、今年も甲子園に出てるんですよ」とか、「テレビでも何回かとり上げられた有名なおそば屋さんがあるんです」という話で本題そっちのけで盛り上がったりすることもある。

 実は私は根っからの旅行好きだが、期日の差し迫った仕事を抱えることが多くなったことに加え、昨今のコロナ禍の状況が続く限り、私の楽しみは当分の間 かなえられそうにない。
 こんな中で最近 会った方は結構、京都や近畿圏以外の人も多く、過去の私の旅の思い出と照らし合わせたり、おいしいお店を教えてもらったりして、本来の仕事の話の合間に、わずかながらとはいえ旅行気分のかけらだけ味わうことができる。
 この2、3ヶ月でも、島根県、北海道、愛媛県、千葉県、長崎県など、いろいろな方から出身地や出身大学、それに過去の勤務地の楽しい話を聞かせていただり、県民性について、いわゆる京都人との違いについて話される方もある。
 その中には、今は実行に移せないが、いつかはきっと訪れてみたいなと思うような場所もいくつかあった。
 
 他には、家で休日にパラパラとめくっていた雑誌に、「東京のおいしいうなぎ屋さん」、「博多のラーメンはここで決まり」、「広島の中でもここのかきフライを逃すな」なんていうのを見て、今度いった時には必ず立ち寄るぞ といき込んではみるが、これとていつかなえられることやらという世の中になってしまっている。
 ここでは決して旅に行けないことに対する不満を言いたいのではなく、郷土料理を味わう以外にも、見たり聞いたりする“仮想旅行”を楽しむことも少しずつではあるが身に付けつつあるように思う。
 こんな旅の話をしていること自体、ひんしゅくかもしれないが、大変な世の中になればなるほど 心の中に少しの色合いの違う現実離れした部分も必要と思っているので 今回の話はお許しいただきたい。

 今のコロナの状況は、顧問先のドクターの話を聞くとかなりひっ迫しているケースや地域もあり、予断を許さない状況であるようだが、我々としてはここはひとまず一定の収束を迎えるまでいろいろな面において協力し、対応していくしかないのであろう。
 私事ではあるが、コロナのワクチン接種はワクチン不足による急なキャンセルもあったが、やっと今日の午前中に2回目の接種を終えることができ、少しほっとしている。

 明日はワクチンの予約の変更よりも早く予定が決まっていた仕事があるので、一応 出社するつもりでいるが、副反応については明日になってみないと分からないので、今 いろいろと考えず、少しは行動は控えつつも普段どおりの休日を過ごしている。

 さあ、明日 体調はどうなっているんでしょうね? ぶっ倒れそうになっていたりして・・・。
posted by ヒロイ at 13:19| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年08月22日

No743:謹慎処分という意味も知らないプロ野球の球団と選手・・情けない

【謹慎】とは、
1. 言動をひかえめにすること。
2. 一定期間、出勤や登校などを差し止める処罰。
3. 江戸時代、上級の武士に適用された名目上の刑で、門戸を閉じて昼間の出入りを禁じたもの。慎 (つつしみ) 。
*江戸時代から明治時代初期にかけて日本に存在した自由刑の一種で、一定期間外出を禁止されることである。転じて、活動をしばらく休止することをも指す。 1期につき30日間。
また、
【謹慎処分】とは、「規則や規約を破った人に、罰を加えること」 と書かれている。

 いきなりこんな出だしですみません。
 みなさまも私が何を言いたいのか少しは感づいていらっしゃる方もあるかと思うが、そうなんです プロ野球でこの間まで日本ハムに在籍していた中田翔選手のことです。
 中田選手は8月4日、エキシビションマッチのDeNA戦を前に、同僚選手への暴力行為が発覚し、無期限の出場停止処分を受けていたが、8月20日に巨人へ移籍し、すぐさま21日の試合から出場していた。そして 今日(22日)も出ている。
 訳わからんというか、巨人と中田選手は「謹慎」とか「謹慎処分」の言葉の意味も分からないくらいぼけているのかと情けなくなる。

 最近では芸能人やオリンピック選手も何かあると謹慎処分という、かなり痛い処分を受けているし、中には再起不能に近くなっている というか、軽々しき復帰した場合、世間がそう簡単には受け入れないという素地ができつつあるようにさえ思う。
 もちろん永久的に追放することがいいわけではないし、当然 一定の反省と更生を経て復帰した場合、それを良しするかどうかは本人ではなく、周りの人間であったり、世間が判断することであろう。
 こういった観点から考えても、更生しているかどうかも判別できないくらいの短い期間で復帰されも頭の中には ? ということしか浮かばない。

 私の中では 巨人軍、原監督、中田選手 「やっちまったね」と感じずにはいられないような愚行と思える。

 極刑である死刑をはじめ、罰を課すことについては、人それぞれに考え方の違いがあるにせよ、やはり人間ってすごく弱い生き物なので、罰を受けないために、罰せられないように行動を慎むことは誰にでもあるし、時にはそういった心のブレーキが必要な時もある。
 そういう意味において今回の罰を受けずに、あるいは罪を償わずに いきなり世間の前に出てくることがあっていいのだろうか。
 巨人が良識あるプロ野球の球団で、優れた才能を持つ中田選手を本当に救いたいのなら、「入団させましたが、今年は一切出場させずに 体も心のみっちり鍛え直して、来期には凄まじい選手になってグランドに立たせます」ぐらいの判断があってもいいように思うが。
 こんなこと言っている私って今の時代では古くて、ピントがずれているんですかね。

 でも、最後にもう一言だけ、「終わったな巨人も」。
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2021年08月15日

No742:他人からの親切ってうれしいもんです

 今年のお盆ほど お盆の感じがしない年はない。
 まだパラリンピックはあるとはいうものの国の内外から批判されたりあるいは注目される中、観る側も多少高揚感を抱いた東京オリンピックは幕を閉じた。
 その後、自分の生活もやっと通常に戻りそうだった矢先のこの長雨、何か気が乗らないままお盆へ突入し、カミさんの両親の墓参りをした以外はほとんど何もしないまま お盆は終わろうとしている。
 こんなご時世でどこにも出かけられないのでテレビで高校野球でもと思っていたが、こちらの方も開幕が例年より遅かったのに、さらに順延に次ぐ順延でやっと今日 大会第2日目という前代未聞のスケジュールとなっている。確か以前はお盆明けには決勝戦だったと思うが、こればっかしは人間の力ではどうしようもない。
 こんな気乗りのしない休日であるが、今日は先日、地下鉄の中でちょっとうれしいことがあったのでそのことに触れてみることにする。

 4、5日前、仕事で地下鉄に乗る機会があり、事務所から5分少々とはいえ地下鉄今出川駅まで歩くと少し汗ばんだが、そのままホームに下りると目の前に地下鉄が入ってきたので飛び乗った。
 空いていた座席に座り、すぐさまスマホでメールの確認をしたり、ニュースに目を通したりしていたが、体が熱くなっていたせいもあってか いつも以上に眼鏡がくもり、ポケットから取り出したハンカチで幾度となく眼鏡を拭いては画面を見、すぐさま またくもってくると、ハンカチで拭くということを何度か繰り返していたところ、向かいの席に座っていた70歳くらいの男性が「よかったらこれ使ってください。結構くもりはとれますよ。」と言って眼鏡のレンズくらいの大きさの薄い包みを渡された。
 突然のことだったので、今一つ何だかわからないまま、いただいたものを見ると”メガネクリーナー・・くもり止め”と書いてあり、少し間を置いた後、「ありがとうございます」と軽く頭を下げたところ、その男性もニコッとして頭を下げられた。
 地下鉄の中で席を譲ったり、空けてもらうことはあっても、何かをもらうなんていうことは今まで経験したことはない。
 最近 物騒な世の中なので見知らぬ人から物をもらうなんて、どちらかというと警戒しないといけないという少し悲しい社会になってきているが、今回はほんのちょっとしたことではあるが、ホッとするやり取りであった。
 実は私もマスクをしだしてから、メガネがよくくもるのでポケットに今回もらったものとよく似たくもり止めのペーパーを持っていて、この日もポケットに忍ばせていたが、この男性のさりげない行動に思わずお礼を言いながら受け取っていた。
 私が大きなカバンを抱えて、額から流れる汗を拭いていたので余計に目を引いたのかもしれないが、世の中が忘れかかっているような小さな親切を受けたことで、なんだかこの日はハッピーな日 という思いで一日を終えることができた。
 たまたま降りる駅もいっしょだったので、降り際に再度軽く会釈をしながら「すみませんでした」と言うと、その男性は「お互い暑い時は大変ですよねメガネをかけている者は。特にコロナになってからはマスクもありますしね。」と言った後、私とは逆の方向へ行かれたが、私は5mほど行って振り向くと、少し足が不自由なようで、足を引きずりながらホームをゆっくりと歩いておられた。
 その姿が私の頭に残り、その後 ここ数日の疲れも忘れたかのように、エスカレーターに並んでいる列を横目に自然と階段の方へ足が向かい軽快に?階段を昇っていた。
 ちょっとした親切でこれほど気持ちが変わることも不思議な気もするが、人間って所詮 ”気持ち次第”っていう単純な生き物なんだなと再認識した。
 ちょっとしたことが実行しづらい世の中になってきている時代でのこの日に受けた小さな親切は結構インパクトがあり、今日 みなさんに伝えておきたいなと思ったワンシーンでした。
 以前(昔)は、こんなこといくらでもあったのにねー。
posted by ヒロイ at 17:27| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年08月08日

No741:聞き流すことのできる能力

 先日来、五輪選手への誹謗中傷問題がとり上げられ話題になっているが、このことの一番の問題は攻める側と攻められる側があり、攻める側にはほとんどの場合、責任もないし、痛みなんて全く感じないという 攻める側にとって ただただ勝手に都合がいいという点であろう。
 これはまさにネット社会が作り出した問題であり、言った側の顔が見えず、ほとんどの場合 言いっぱなしで、立場が悪くなればすぐにでも雲隠れすることはいとも簡単にできてしまう。というか、その言いっぱなしの当事者が表に出てくることはまずない。

 また もう一つ問題と思われるのが、これに群がる者の多いこと多いこと。群がることで自分も社会の一グループを形成しているかのような錯覚に陥り、中には自分の立ち位置を美化しているような者もいる。
 私はこういったことには基本的には加わらないし、何かを検索していて たまに気に入った項目があれば、タイトルと1、2人目くらいまでは目を通すことはあってもそれ以上どんどん中に入り込んでいくことはない。だって、ほとんどが大したこと言ってないので。所詮 匿名で言うことだから・・・。

 私も一応、誰でも見れる所にこうして自分の意見を綴っているが、ほんの一部の人しか目を通してもらっていないからなのかどうかは別にして、今までこちらが気分を害するようなコメントがあったことは一度もない。
 私はまずは、いろいろなサイトを駆け巡ったり、検索したりするほど時間がないのと、本当に意見が聞きたいときには、この人 という限られた人と差しで話をし(電話、メールも含む)、意見を求めるようにしている。

 こんなことを考えている時、新聞の書籍案内欄でふと目にしたのが、【放っておく力】という神奈川県のお寺の住職が書いた本である。
 この本はまだ手にしていないし、中を読まずして本を紹介するのも気が引けるが、本の紹介欄を見るだけで 以下のようなうなずけるものが並んでいた。

 「いちいち気にしない。反応しない。関わらない。放っておく力で、仕事も人間関係もうまくいく。」
@ 「しかたのないこと」に心を注がない
A そっとしておく、という人間関係のコツ
B 「いい人」の仮面を外しましょう
C お世話や親切は“しっぱなし”でいい
D 後悔は、すべて“妄想”です
E 情報の“暴飲暴食”をやめる
F 「平均」を調べるべからず
G 極力、楽観的に考えるヒント
H ちょっとした失敗なんて“かすり傷”
I 「得意なこと」だけ頑張ればいい

 こんな見出しの中でも、@、E、G、Hなんて「そうそう」とうなずいてしまった。

 少し話がそれるかもしれないが、以前このコーナーで、『朝のテレビで占いは絶対に見ません』と言ったことがあったが、これは今でも実行している。
 「ふたご座の人は今日は運転に注意」と言われたからと言って、急に車での出張を取りやめにするわけにはいかないし、「ちょっとした一言で大きな代償を払うことになる」なんて朝から言われたからと言って、一日中無口でいられるわけがないし、私にとって朝の占いはストレス以外の何物でもない。最近は朝の占いどころか、雑誌も含め、占い欄があると目を背けながら次へ進めるようにしている。
 あと、私の周りで、「口コミサイト」というのをこまめにチェックしている人から、「あそこのランチはおいしいらしいよ」とか、「あのホテルの接客は・・・・で最低」というような話を耳にすることがあるが、これとて書き込んでいる人の責任や信ぴょう性なんて?がついていて、「ほんとかな」と思うこともある。
 自分が食事に行くときは、その店に行った人から直に聞いたことだけを信じてお店選びをするようにしている。

 最近はテレビに出ている多くの人が、何かを言うとすぐヤリ玉にあげられる傾向があるが、こんな状態が続くとことテレビのキャスターなんて怖くてやってられないだろうし、いつかは「今日の司会はロボットA君です」なんていう時代が来るかもしれない。

 最後に話を少し元に戻しておくが、責任もなく言いっぱなしができるSNSには問題があるが、こんなことになるのはある程度 予測がついていたので、こんな暇な人たちにつき合うという無駄な時間を過ごさないためにも 今日ここで掲げた「放っておく力」でも読んでみることにする。
 顔を出さない、出せない かわいそうな人たちに対抗するためにも。
posted by ヒロイ at 15:01| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年08月01日

No740 【再掲載・・No354:金メダルと銀メダル、そして銅メダルと4位の差  [2114年2月16日]】

 東京オリンピックも中盤に差し掛かる中、昨夜の陸上 男子100mは残念な結果に終わった。
 オリンピックも盛り上がりを見せているが、一方ではコロナの感染状況には歯止めがかからず、新規感染者数も多くの所で過去最多となっている。
 こんな中でのオリンピックの開催でいろいろな面においてデリケートな部分もあるので、ここでは今回の東京大会に触れたり、取り上げたりするのではなく、随分前のものではあるが、このコーナーでメダルの重みについて取り上げ、選手の心情について「そうだな」と思えるもののが見つかったので、下記に再掲載することにする。
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No354:金メダルと銀メダル、そして銅メダルと4位の差  [2114年2月16日]

 ソチでの冬季オリンピックもいよいよ終盤に差し掛かっているが、ここへきて日本選手も羽生選手の金メダルを筆頭にいくつかのメダルを獲得しだしてきている。
 各競技の結果を見ていて、オリンピックには程遠いが、私も多少なりともスポーツをかじっていた一人として、今回のタイトルに示した「金メダルと銀メダル」、「銅メダルと4位(メダルなし)」の差はとてつもなく大きな差であり、2位(銀メダル)あるいは4位になった者はとても悔しく、その違いを痛い程 感じていることがわかる。  
 テレビ局のキャスターや各新聞はこういった悔しい銀メダルや4位の選手について過大とも思えるくらい賞賛の言葉を並び立てるが、実は選手自身にとってはいくら何と褒められようともこの悔しさを埋められるものはどこにも見当たらないはずである。
 今回、女子モーグルで4位であった上村愛子選手に対して、“連続入賞、本当にお疲れさん”というような表現をしていたマスコミが多かったように思うが、本人にとっては悔やんでも悔やみきれないほど残念な4位であったに違いない
 ただ、この上村選手が一スポーツ選手としてだけではなく、人間的にも素晴らしと思ったのは、その悔しさ(ひょっとすると人生最大の悔しさだったかも?)を表に出すことなく、こんなコメントで締めくくっていたからであろう。
『オリンピックの思い出としては、いい思い出で終われると思っている。メダルはないが、頑張ってよかった。』
 応援していた者にとってはいっしょに泣きたいくらいの気持ちになったが、この大人のコメントで多少なりとも救われた気がした。
 ただ、滑り終わった後の『全部終わったときに、点も見ずに泣いていた。一瞬 メダルは獲れたかな、と思ったが また4番だったんだと・・・。』コメントを聞いて、本当はメダルが欲しかったんだろうなと思うと、各局のアナウンサーが「5大会連続入社は立派です」と褒めれば褒めるほど、見ている者にとっては痛々しくも感じられた。
 ただ、スポーツにしろ、勉強にしろ、そしてビジネスにしろ、この埋められなかった悔しさがあるからこのその後の人生、無駄にせずに生きていこうと、次なるステップへと歩み出していけるのではないのだろうか。
 ただのスポーツ好きの大人が言うにはとても偉そうな表現になってしまったが、こうして本音の部分も書くことによって、逆にその悔しさが埋められやしないかなとも思ったりもするのである。


 では、なぜ 選手は金と銀、そして銅と4位にこだわるのか。 それは、そこまでの道のりにおいてとてつもない努力をし、多くのものを犠牲にしてきた者は、その証となるものが欲しいということであろう。じゃあ銀メダルや4位は証にならないのかというとそうではないが、これはスポーツをやってきた者にとってはどうしても欲しい証である。
 私も高校時代 陸上をしていたが、見ていて一番むごいと思ったのは近畿大会の決勝において8人で争われるレースである。このうち全国大会に行けるのは6位までで この時の6位と7位にはとてつもない大きな差があり、これは3年間クラブ活動に打ち込んできた高校生にとってはある意味、“むごい差”でもある。 全国大会に出たことのあるのとないのとの差という・・・。

 話を少し角度を変えて捉えてみるが、
 今回のキャスターの中に2人の元女子オリンピック選手がいる。それはご存知の通りシドニーのマラソンで金メダルを獲った高橋尚子とトリノのフィギアスケートでこれまた金メダルを獲った荒川静香である(呼び捨てしてすみません)。
 こういった場面ではやはりメダリストではなく“金”メダリストに声がかかるんだなと、金メダルの威光と重みをまじまじと感じながら解説を聞いている。


 今回の羽生選手は相手も少しミスをするラッキーはあったものの、やはり最高の、しかもとびっきりの実力者であるがゆえに勝ち取れたものであろう。これが実力拮抗の状態であれば最後で逆転されていたようにも思う。
 そういう意味では金メダルを獲るには、運も必要かもしれないが、実力が誰も寄せ付けないくらいとび抜けている必要があるのであろう。いわゆる“断トツ抜きんでている”というやつである。
 オリンピックになると今でも思い出すが、高橋選手の鍛えられた走力(体力)と完璧なまでに計算されたレース運び、そして、一方 荒川選手のミスを探そうにも見つけられないくらいに最初から最後までこれまた完璧に滑りきったフリーの演技。 やはり、銀、銅のメダリストには申し訳ないが、金メダリストは完璧を貫いたものでないと手に入らない、とてつも重く、かつ、気の遠くなるような繊細な部分も備える必要があるのだろう。
 
 いろいろと偉そうなことを言ってしまったが、本当は我々一凡人にとってはオリンピックに出ることはとてつもなく偉大なことであり、スポーツをする者の中でもほんの一握りの選手しか手に入れることができない栄冠であることを忘れてはならない。
posted by ヒロイ at 09:39| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年07月25日

No739:ワンちゃんは正直者

 22日(木)から今日25日(日)まで事務所は暦どうり4連休である。
 ただ、22日は顧問先の院長がこの日しか時間がとれないということで、事務所の担当者と滋賀県の顧問先に医療法人の決算内容の説明に出向いた。
 世の中は連休なので高速道路が渋滞すると嫌だなと思っていたが、大した渋滞もなく比較的スムーズに移動できた。
 それ以外の日は少し残っていた宿題(仕事)を整理するくらいで、比較的に自由な時間を過ごした。
 そんな中でほぼ毎日、起きたらまず暑くなる前にと7時過ぎからぽぽたん(うちのワンちゃん)の散歩につき合っていたが、夏場はこの時間では遅い方で、こちらが公園や宝が池へ連れていく途中には、ワンちゃんの散歩から帰ってくる人と何人もすれ違った。
 普段は朝と夜それぞれ 少ししかいっしょにいる時間がないが、こういった休暇の時は常日頃と比べると長い時間いっしょにいることができる。ただ、こういったたまの休日だけいっしょにいる時間が長いからといって そうそう簡単に私になついてきてくれるものでもなく、普段も私が仕事から帰ってきた時は少し近寄ってきて“あいそ(愛想)”を振りまいてくれるが、それも ものの10秒程度でしばらくすると自分のお決まりの居場所に戻っていく。
 これがカミさんが出かけていて 帰ってくるとこんな簡単なあいさつではなく、そりゃすごい歓迎ぶりである。
 先日、カミさんが夕方まで出かけていて、私が家でいた時なんか、私と2人で静かに過ごしていたが、カミさんが帰ってくるとその喜びようなんて私の時の何倍、何十倍というこちらが焼きもちを焼いてしまうほどの手厚いお出迎えである。
 そばに寄っていき いきなりジャンプの連続、その後 別の部屋で後片付けしようとしても離れようとせず ずっと近くで見守るようにして寄り添っている。
 「これってうちの3人の子供の時といっしょやん」と昔を思い出しながら、悲しくなり少し落ち込んだりもしていた。
 いっしょにいる時間の長さも当然 影響しているだろうけど、ぽぽたんへの愛情の掛け方やその深さに比例しているのであろうか? ただ、残念ながらこれを逆転することはもはや不可能な状態である。
 先日、仕事が終わって8時半頃 お腹を空かして家に帰ると、ちょうどほぼ同時にカミさんとぽぽたんとが夕方? 夜?の散歩から帰ってきて、いっしょの家の中に入ったが、カミさんは迷うことなく、まずはぽぽたんの飲み物(冷たいやぎミルク)を準備し、間髪入れずに次は食事の準備をしている。 ワンちゃんの食事のはずなのに“チン!”という音とともにレンジに中から夕食の一部が出てくる。通常のワンちゃんフードのうえに少しだけのせる一品である。
 そうしてぽぽたんが晩ごはんを食べ出してから、私の食事の順番が回ってくるので、少しの間、私はこの流れの中で新聞でも読みながら、順番が来るのを待っている。この流れを?と思った時点で愛情不足なのだろ。
 ぽぽたんをこっちに振り向かせようと思っても こりゃカミさんには勝てんわ、と妙に納得しながら自分の晩ごはんをつついていた。

 子供が小さい時もそうだったけど、こちらの都合に合わせて遊ぶなんてあまりうれしくなかったのかもしれないし、場合によってはありがた迷惑な時もあったのかもしれない。
 子育てやワンちゃんの相手も常日頃から愛情を注がないと振り向いてくれない。仕事上では、相手の人は多少の損得勘定や俗にいう“愛想”の部分もあるのだろうが、こういった純粋な心を持った子供やワンちゃんは本当に正直にふるまってくるのでドキッとすることもしばしばある。

 今日は自分の愛情が足りないことを思い知らされたことをあえて綴ることで、カミさんと逆転まではいかなくとも 喜んで近づいてくれるよう少しはぽぽたんとの距離を縮めたいなと思った休日であった。
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2021年07月18日

No738:みなさんなら遺言書にどんなことを書きますか?

 相続税の仕事をしていると遺言書というものに接する機会がある。
 最近、新聞や雑誌に特集が組まれていることもあるし、「いい遺言書の書き方」というようなタイトルの本も出ているが、まだまだ多くの人に遺言書というものが浸透しているかというと そうでもないというのが実情であろう。
 相続税の仕事の中では、数年前に書かれた公正証書遺言が開封された後 我々の手もとに届き、大きく揉めることがなければ、比較的 淡々とその内容に沿って申告書の作成を進めていくことになるが、当然のことながらそう簡単には収まらない場合もある。
 遺言書を書くことのメリットはいくつかあるが、このメリットや狙いについては個別にご相談いただくにして、ここでは私が仕事で接した“遺言書”というものについて、日頃 思っていることを述べさせていただくことにする。

 一般的には財産の分配をはじめとし、自分の死後のことを書き留めるということは決して気乗りのする話ではない。
 仕事をする上では、遺言書を書く人の書く時の心の中を読み取ることなんて必要がないことかもしれないが、税理士という職業からは少し離れて、当の本人(亡くなっていれば被相続人ということになる)が、どんな思いで書かれたのかを一個人としてふと考えることがある。
 相続税の申告業務の依頼がある場合、その亡くなられた被相続人を過去において知っていた人の場合もあれば、人づてで申告業務をご紹介いただくような場合には、亡くなった人がどういった人かも全く分からないし、その家族関係もどうだったのか知らないまま仕事に取り掛かることになる。
 ただ、生前を知らなかった人の場合でも、やはり財産の話をする中で、夫婦、親子、そして子供たち兄弟姉妹の関係が浮き彫りにされてくるし、これはこれでまるで人間模様そのもののような事例に遭遇することもある。
 生前にある程度、配偶者や子供たちに自分の意思を伝えていた人で、遺言書の内容もそれに近いものであればそう大きく揉めたりすることもないが、過去において何の意思表示もされていなかった人の場合には、大変な問題に発展することもある。
 以前にもあったが、子である4人の兄弟それぞれが、「お父さんはこう言っていた」と違う内容を言ってこられた場合である。
 最終的には4人で協議(相談)され、何とか収まったが 何とも後味が悪く、自分が思っていた相続分(取り分)よりも少なかった人は、最後まで損をしたという思いが残っていたように思う。
 ひと揉めもふた揉めもあったケースで、相続税の申告や納税も終えられた後、兄弟は法事でさえも一堂に会することはなく、墓参りさえもお互いに探りを入れて、同じ時間にかち合わないようにされるという徹底ぶりであったが、不幸にもこういった死後のことは亡くなった本人は見ることも聞くことも、そして注意することもできないというのが相続のむなしい部分である。

 これらのことから考えても 残ったものにどう思われるかは別にして、よくよく考えて自分の意思をしっかりと文書に残しておくことの意義はあるし、ある意味長く人生を歩んできた者の最後の大きな仕事なのかもしれない。
 揉める相続が悪いというわけではないが、相続税の納付と申告書の税務署への提出が無事終了した後、相続人が揃ったところで、「申告業務を無事終えていただきありがとうございました」と全員からお礼を言われたこともあるが、これこそ税理士冥利に尽きる瞬間であり、自分もこんな死に方がしたいなとふと思ったものである。

 年齢によっては今すぐ遺言書を書く必要がない人も多いかと思うが、後でみんながお墓の前で手を合わせてくれるようにするためには ということを頭の片隅に置いておけば いい遺言書が書けるのかなと考えたりもする。
 遺言書を書く、書かないは別にして、いずれにしても いい死に方ができるような人生を送りたいものである。
 最後はなんだか宗教家のようになってしまったが、相続の仕事は税金の計算以外に、死やさまざまな家族関係と向き合う機会に接することができるという意味においては、なかなか奥深い仕事である。

 今日出来上がった相続税申告書を目の前にして、ふと感じたことを綴るとこんな内容になってしまいました。
posted by ヒロイ at 20:11| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする