2018年04月22日

No572:自民党が焦らないと日本の政治は変わらない

 今日はこのコーナーではあまり触れることない政治の話題です。
 ここではどこの政党が良いのか悪いのかとか、どの政党をあるいはだれを支持するのかということを語るつもりはない。
 私の個人的な意見として、ここしばらくの間に与党側(政府筋)ではいろいろな問題が表に出てきているが、実は与党、特に自民党の国会議員は全くとはいえないまでも、心の中ではほとんど焦っていないように思える。
 というのも、今の小選挙区制の中で、現状のような野党が結束しない状態が続く限り、自民党の一党支配(与党という意味においては公明党も含む)はそう簡単には崩れないと思うからである。
 このことは、世論調査(2018年4月)の政党支持率を見れば一目瞭然である。

・自民党      35.4%
・公明党       3.5
【A.与党合計   38.9】
・立憲民主党    8.5
・共産党       2.9
・民進党       1.4
・日本維新の会   0.8
・社民党       0.5
・希望の党      0.3
・自由党       0.3
・その他       0.2
【B. 野党合計 14.9】
・支持政党なし  39.2・・C
・わからない、無回答 7.0・・D

 毎日のように国会論議でやいやい言って与党を攻めている野党を合計したところで14.9%しかなく、与党の38.9%の半分にも満たない。
 ということは現在の小選挙区制(1選挙区で当選者1人)のもとでは与党候補は安泰であり、ましてや野党各党の足並みが乱れれば乱れるほどその安泰の度合いは増すという構図である。
 決して今の政治の全てが悪いと言っているわけではないが、こういう状態が続く限り、政治的緊張感に欠けるし、国民のために本当にいい政治をしなくてはならないという思いも自ずと低いものになっても仕方がないのかなと思ってしまう。
 政治思想や政策が一致しない政党がいっしょになるのは野合と、これまた批判の対象になるだろうし、以前の民主党のように空中分解してしまっては元も子もないことは分かっている。
 ただ、今の何があっても許され、言い逃れがまかり通るようなダラダラとした政治には辟易している。そのためにも野党は野党で自民党を焦らす形をつくってほしいものである。
 今回の世論調査で一番大きな塊である支持政党なし(39.2%)と言っている人たちが、しっかりと今の政治状況を見極め、将来の日本を考えて行動すれば、もう少し政治が国民の手の届くところへ戻ってくるのではという期待もある。
 いずれにしても緊張感のある状況というのが一番 頭も使うし、物事を本気で考えられると思うのだが・・。これは政治の世界だけではなく、経営面でも労使間においてもまた、友達同志、家族間、夫婦間・恋人同志においても同じことが言えるような気がする。
 私は政治や経営面あるいは人間関係において緊張のない状態は、きつい言い方をすれば、腐った状態に向かっていると常々思っているので、今の日本がこのままではいいはずもなく、どこが政権を担うにしてもピリッとした締まりにある状態に戻してほしいと願っている。
 日本の政治や政治家に期待できない層が上記の支持政党なしとすれば、この部分が1/3以上を占める今の日本の政治は危機的状況といってもおかしくない。
 いつから日本はこんな政治後進国になったのであろうか。
 こんな風に憂ている人は結構いると思うのだが。
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2018年04月15日

No571:あほらし! あまりにも日本的すぎるサッカー日本代表監督の突然の解任劇

 まず、最初に断っておくが、今回はサッカーに無知なおっさんの独り言として聞いてもらいたい。そうでないと、何をわけのわからんことを言ってるんや と言われかねないので・・。
 サッカーに関心のない人にとってはどうでもいいことなのかもしれないし、私自身も選手としてサッカーをしたことがないので戦術的にも決して詳しい方ではないが、ただ、息子たちが小学生の頃にしていた少年サッカーの応援に何度か行っていたので攻め方と守り方くらいは少し知っている。
 今回の日本代表監督の解任騒動は後味の悪さだけが残っているのは、この程度のサッカー知識しかないことに起因しているからなのかもしれない。
 ただ、なぜ2ヶ月後にワールドカップ本番が迫っているこの時期にと思わざるを得ない。
 「このところの試合で結果が出せていない」、「ワールドカップで勝つ確率を1%でも2%でも高めたいから・・」というのが今回の解任の理由らしいが、世界ランキング55位というとっても弱い日本が32ヶ国(地域)しか出場できないワールドカップに出れるのは誰のお蔭と思っているんだろう。
 アジア予選の前半は少し心配はしたけれど、中盤以降はほとんど危なげなく、しかもかなり早い段階で出場資格を手に入れられたのではないのか。これこそこの今回解任されたハリルホジッチ前監督がいたからこそではないのか。
 ここのところ調子が今一つと言ってもこの対象の全てが親善試合であって、本番に向けての調整や選手起用の見極めの段階なので、この時期に結果を求めるなんて言うのはプロ野球でいえば「オープン戦の成績も上位にいないと許さないぞ」と言っているようなもの。
 本田、香川、岡崎らを起用しないので人気が落ちてるとまで言われているが、他の選手が頼りなくて負けているだけであって、監督だけのせいとは思えない。 
 まるで、企業における責任転嫁と似ていて、サッカー協会のお偉い連中が雇われ監督の首を斬るのはトカゲのしっぽ切りというような印象を持たずにはいられない。

 サッカーのことがあまり分からない私だからこそ、こんな無責任なことがいえるのは重々承知しているが、ここで思っていることを綴ることができて内心清々している。
 何事もまず自分たちに責任はなかったのかという自問から入るのが基本でなないのかな日本サッカー協会のお偉いさんたち。
 次の西野監督は今まで好きな監督の一人であったが、たとえ“救世主”と呼ばれようが今回 ほいほい(本人はそうは言っていない、苦渋の決断っぽく言っている)と受けたことで嫌いな監督の一人になってしまった。
 これで私の今回のワールドカップの関心はほとんどなくなったというのが今の心境である。
 弱い日本よ、ワールドカップに連れて行ってくれたんは誰やと思ってるんや。
 こんなことをやっているようではいつになっても日本は世界の仲間入りはできんやろな。
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2018年04月08日

No570:仕事を忘れさせてくれる時間、そして相手

 今の時代、仕事が終わって会社から一歩外へ出ると頭を切り替え、仕事のことを忘れるということが重要、というか “できる人間”はONとOFFの切り替えができる人 なんていうことがいわれているが、我々の年代 なかなかそれができない人もいるのでは。
 私もできるだけそうするようにがんばってはみるものの、昨日のやり残しがあったり、来週以降の打ち合わせの内容がまとまっていなかったりすると気が気でない夜や週末を過ごすこともある。
 そんな中で本当にわずかの時間であるが仕事やそれ以外の悩みごとを忘れさせてくれる時、そして相手が2つ(1人+1匹)ある。

 一つは母との対面の時間。
 現在、施設に入っているし、85歳にもなると少し認知症の傾向もでてきて私が誰かわからないときもあるが、60代、70代の時のようにいろいろと質問してきたり、私への要望を言ったりすることはなく、いつも機嫌よく思ったことを独り言のように口にしている。
 母は京都市内で生活しているわけではないので、月に1、2度しか顔を見に行けないが、この母のそばにいるほんのわずかな時間は私にとっては貴重な時間である。
 その短い時間の中で日によっては会話が繋がらない時もあるが、そんなことは全く気にもならず、自ら手を差し出してきて私と握手しながら話している母の表情は何ともかわいく思えることがある。
 年老いた自分の親に対してかわいいなんていうのも変な話であるが、会っている30分足らずの時間と施設を出た後 車の運転をしだしてしばらくの間は、まさに心のが“無”になるくらい日常を忘れさせてくれる時でもある。実は車を運転いているとなんだか胸が熱くなる時もある。

 もう一つ 頭の中をガラッと切り替えさせてくれるものがある。
 それは年末から我が家の一員となっている愛犬“ポポタン”である。
 日頃、帰りが遅い日は寝入っているし、朝は朝でわずかな時間しか接触できないが、たまに土日で時間がとれる時は少しの時間であってもいっしょに散歩に出かけるようにしている。
 普段はポポタンの世話はカミさんに任せっきりであるが、今日は久しぶりに時間がとれたので家の近くを朝夕1時間ずつブラっと出かけることができた。
 この間、なかなか思うように歩いてくれないし、私なんか通常の散歩のパターンが頭に入っていないので、意気投合には程遠い状態であるが、これもまた頭の中が“無”になる時間と言えなくもない。
 母と犬とをいっしょにするのはどうかと思うが、共通するのは人と犬どちらも心のある生き物であるということである。双方とも私と意思疎通がどこまでできているのかはわからない部分もあるが、一つだけ言えるのはこちらが手を抜いたり、いい加減に接しているとどこかで気付かれたり、こちらの心の内を見抜かれたりするということである。

 今日こそは軽い話のつもりが、いつも間にやらまたまた重い話になってしまった。
 こちらが真正面で向き合うかどうかによって、相手の満足度が変わるのは大変なときもあるが、真摯に接していると喜んでくれ、損得勘定抜きで素(す)で向き合うことのできる素晴らしい存在である。
 ここでまた母とポポタンをいっしょにしてしまうのは、人間である母に失礼かもしれないが、母との時間もポポタンとの時間もどちらも大事にしたい時間であることに変わりはないというのが偽らざる心境である。
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2018年04月01日

No569:ラブレターは翌朝 読み返してから

 妙なタイトルで廣井はいったい何が言いたいのかと思われてる方もいらっしゃるかもしれませんが、今回のタイトルは元シンクロ選手で銅メダリストの奥野さんがあるテレビ番組で口にした言葉です。
 本題に入る前に話が少しそれるが、この奥野さんを紹介するのにはいくつもの紹介の仕方があるなと悩んだくらい肩書がある。上記の「元シンクロ選手でオリンピックのメダリスト」、「タレント」、「キャスター」、「スポーツコメンテイター」、「陸上のメダリスト 朝原の奥さん」とどれを挙げても誰であるのかが分かるというある意味、顔の広い人物だなと感心してしまった。
 話が横道に逸れたのでここで本題に戻すが、タイトルの「ラブレターは翌朝 読み返してから」というのは、夜 熱い想いで書いたラブレターは、冷静さを失うほど燃え上がった状態でペンを走らせているので、そのまま渡すのではなく、一晩寝た後、翌朝もう一度読み返してから(場合によっては多少手直しをして)出す方が、いいものに仕上がっているはず。」ということであった。
 テレビを見ていてこのひとりのキャスターの言葉に妙に共感した。
 もちろんこの私がラブレターを書くわけではないが、仕事でも、毎日の生活においても今までないくらい喜んだり、腹を立てた時というのは、まさに冷静さを失い、一番いい判断ができる状況にない場合が多い。
 特に腹が立つような出来事があった場合には、すぐに怒りをぶつけるのではなく、「なんで相手はこんなに怒ってんのかな?」、「自分の何があかんかったんやろ?」と少し時間をおくと、結構 腹の中の怒りが収まっていることがある。
 また、自分にとって実力以上のお褒めの言葉をいただいたとき、「やった‼」とか「めちゃうれしい」と有頂天にならずに、時間をおいてもう一度考えてみると、案外その言葉が単なるお世辞なのか、本音で心底褒めていてくれるのかが分かる時がある。
 友人、上司部下、そして夫婦間でも こういった間を置くことで相手の胸の内が分かってくることも何度か経験している。
 よく顧問先の経営者やドクターから自分の会社やクリニックで働く従業員の悪い面を「もう我慢ならんし辞めさせたいわ。」と言われていた人が、数ヶ月後、いや一ヶ月後には、「先日あかんって言うてた〇〇さんな、いいやつで使えるんや」と急に評価が上がっている場合もある。
 ということで急に熱くなったときはその時の気持ちだけで判断するのではなく、少し時間を置いて考える方がよい答えを導き出せるということである。
 我々の税務という専門的な仕事でもこういう場面がないわけではない。冷静さという面での話ではないが、夜 一生懸命調べものをしてやっとの思いで仕上げた仕事は、翌朝 すっきりした頭で見直すとその裏側に潜んでいたような重要なポイントに初めて気づきハッとすることがある。
 後で「ついつい口にしてしまって」と後悔しないためにも、一晩寝た後、翌朝に再度結論を出すということが、社会において有益な方法であるということにあらためて気づかせてくれた今回の奥野さんのラブレター読み返しの話はなかなか頷ける話であった。
 特に経営者たるものは、当然 熱い想いを持ち続けることは重要なことではあるが、それと同時に、少し冷めた目で見るくらいの冷静さも必要不可欠であろう。
 私が一番できていないことではあるが、日々身にしみて感じていることである。
posted by ヒロイ at 20:56| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月25日

No568:区切りは重要、春もその一つ

 また、大好きな季節がやってきた。
 今日のようにいい天気だと気候的にも申し分ないが、やはり4月というのは新しい年度がスタートするという意味においてもスイッチが切り替わる時でもある。
 学生なら新学期のスタートということで周りの仲間も入れ替わるし、社会人も一定の規模以上の会社なら配属が変わったり、転勤があったりで仕事の環境が変わる時期でもある。ただ、私が長く身を置く税理士業界はよほど大きな事務所でない限り、毎年新入社員が入ってきたりするわけでもないので、メンバー的にはほとんど変わらないが、税理士事務所の一番の繁忙期である確定申告が終わり一区切りのつくのが3月後半のこの時期である。
 春から何しよう、あれもやってみたいなと期待が膨らむだけでなく、やり残していた仕事を少しでも早く追いついて仕上げにかからないといけない時期でもあり、いろいろな面において新しいことが始まる季節である。
 希望に胸を膨らませる若い人も多いかと思うが、仕事の関係先だけで大学を受験された子供さんが10人近くいらっしゃる。その中には思うような学校にパスしなかった方や再度浪人生活という方もあり、子供さん本人にとっても親にとっても何とも頭の痛い、すっきりしない状態のまま春を迎えておられるケースもある。
 そういう意味では決して明るい話題だけではないが、いずれにしても何らかの形でスタート(再スタートも含め)を切るのがこの4月という時期である。

 我が事務所も昨年の12月からこの3月中旬までは例年のこととはいえ、大変忙しい状況が続いていたので、事務所のみんなへの慰労と全員が集う久々の交流という意味合いも込めて今週末の30日に食事会を開催することになっている。
 緊迫した事務所内の雰囲気とはまた違った中で、普段はそれほど話をしないような人とも交流ができる楽しみの時間でもある。

 今日 京都市内を車で走っていると、いくつかのマンションの前で引越し業者のトラックが停まっていたり、大きなスーツケースを引きながら歩く人の姿が何度となく目に飛び込んできた。
 こういった区切りの季節に卒業と入学、転勤や転職、そして引っ越し等は気持ちを入れ替えるまたとないチャンスでもある。他にもお正月や誕生日なんかも気分を一新できる節目と言えるだろう。
 ただ、自分の経験からいっても新たな計画を立て、気分一新となるのは実は一時で、1ヶ月もすればそういった気持はほとんど忘れ去られ、いつものぐうたらな自分に戻っていってしまっているのがほとんでである。これは私だけでなく多くの方が経験されていることであろう。
 「さあ、やろう」ということができていなかったり、「これはよくないことだからやめるぞ」と強い決意のはずだったことが少ししか守れなかったとしてもそれはそれでいいように思う。
 区切りの季節や時期ががなければ、そういったことを考える機会さえもないが、こういったチャレンジする気持ちを持たせてくれるだけでもこの季節に感謝したいというのが偽らざる心境である。

 事務所が大学のすぐ近くなので4月になると、多くの新入生で溢れかえるキャンパスを見るだけでもおじさんにとってはウキウキする季節である。
  今週は入学には少し早いが、桜も満開という絶好のロケーションの1週間となりそうである。
posted by ヒロイ at 21:02| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月18日

No567:第三者委員会というもの

 みなさん“第三者の委員会”という言葉聞いたことがありますよね。
 あれです、あれ。何か問題が起こり、責任のある人が謝罪会見をされるときに、『問題点を把握するために第三者委員会を立ち上げ、真相究明にために関係者が一つになって検証していきます。』というやつです。
 今まで、政治の世界、経済界。そして教育現場でも事件や不祥事が起こるたびに何度となく聞かされているが、我々一般人には何か釈然としない思いが残る言葉である。
 一応、当事者以外の第三者が委員を務め、公平な立場から検証し、判断を下すというのが本来の、いや、表向きの意味合いであるのはよくわかっているが、果たしてこのメンバーが本当に第三者的に立場で判断を下しているのかを確認する機会は少ない。
 というのも この第三者委員会を立ち上げることによって前にある問題から目を背け、時間稼ぎとしてうまく使われているとしか思われないケースがあるからであろう。
 本当であれば事件や不祥事を起こした当事者間でよくよく話し合って解決策を見出すのが一番のようにも思えるが、今の時代 全ての人が性善説の下で正直に発言しているとは思えないことも多いし、こういった状況下においては問題が発覚した後、結論を導き出すのは無理なように思う。それだけ一人一人の主義主張が異なるという現代社会が背景にあるからやむ得ない部分もあろうかと思うが。

 みなさん今後注意して、見たり聞いたりしてみてください。
 この1年、いや数ヶ月の間にこの“第三者委員会”という言葉が何度出てくるかを。 そして、それが問題の早期解決、かつ、真相究明にどれほど役に立っているのかを。
 私は立ち上げることの意味合いを否定しているわけではないが、第三者委員会の意見がまとめ上げられた時にどれだけの人がその問題に関心を持ち続けているかわからないという現実がある。

 事件を起こした当事者が、全てではないにしろ ある意味 都合のいいように利用されている“第三者委員会”という言葉について私なりの意見を綴らせてもらったが、少なくとも私が学生や社会人になりたての頃にはほとんど耳にする機会のなかったこの言葉がいつから世に出てきたのかを興味半分調べてみた。
 ただ、いくらどこを調べてみてもこの言葉が今や日常的に使われているので、いつからなんていう記録はどこを探しても記載はないが、何とか手掛かりでもと調べていくと1997年山一證券が突然破綻し、従業員が解雇されたときに社内の関係者や弁護士が原因を究明するために調査委員会を立ち上げたのが始まりかも? という記事にたどり着いた。

 ということで、この言葉が世に出てからまだ20年近くしかた経っていなかったようだ。
 やはり結構新しい言葉だったんですね。真相の一部が究明され少し落ち着いた気持ちになれたので今日はこれでを終わることにします。
posted by ヒロイ at 22:05| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月11日

No566:言い切れる自信がつくまで理解することは難しいが・・。

 確定申告も終盤を迎え、事務所内としての期日である3月13日まで残すところあと2日となっている(法定期限は3月15日)。
 1月の後半からここまでの約1ヶ月半は、事務所のメンバーはほとんどの時間を確定申告業務に費やす日々であったが、ここへきてやっとゴールが見えてきたという感じで、2月中旬のひっ迫した雰囲気からは少しは解放され、ホッとした感じが漂っている。
 とはいうものの各自 最終まで仕上げられてない申告書を数人分抱えているので、まだ気を緩めることなく最後までやり遂げることが必要である。

 この仕事をしていて、税法や会計の知識を必要とされるのは当然のことであるが、税に関するすべてのことが頭の中に詰まっているわけではないので、分からないことや初めての事例が出てきた場合には、きちんと調べたうえで回答したり、適正な方向へ導いていかないといけない。
 そういった中で、中途半端な知識ほど危ないものはない。「こんなもんでいけるかな?」とか「だいたいこんなもんでええやろ」なんていうのはあってはならないことで何の役にも立たないし、「よし、これで間違いなくいける」という確証が得られるまで調べ上げないといけない。
 実はこのこと、つまり確証を得ることが一番重要であるし、税理士業というのは、ある意味 こういった専門的な知識に対して報酬をいただいている部分もあるので当然と言えば当然のことかもしれない。

 そういう意味で廻り道をして、時には一つの項目に1、2時間以上(中には半日近く)も時間をかけて調べる必要が出てくるが、こうして手間をかけて理解したものは自分のものとなり、その後また同じ事例が出てきた時に使えたり、応用を利かすことができる。
 さっとうわべだけの理解やその場しのぎの対処をしていた場合には、1、2年後に同じことが起こっても、また最初から理解していかないといけない。
 年々 歳をとるので記憶力は劣ってきていることを否定はできないが、この仕事をしている以上、こういった身につけたり、頭に叩き込むことはいくつになっても必要なことなのだろう。
 事務所の者が作成した申告書をチェックしていて、昨年もこのミスをしてたなと思うことがあるが、これは最初の理解が いわゆる“だいたいこんなもん”という理解で終わっていたからであろう。

 確定申告の時期は新しいことに触れることも多いし、新たな発見もあるので いくつになっても4月以降 業務をする上で知識の充電期間にはもってこいの確定申告である。
 サッと理解したものよりも、忙しい中で時間をかけて身に着けたものの方が、後々 役に立つことが多いことは誰しもが経験したことであろう。

 歳をとればとるほど、若い時以上に “着実に一つずつ”進んでいくことが必要であろう。
 まだまだ急ぐ必要はないのである。
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2018年03月04日

No565:中田英寿と三浦知良の生き方、あなたはどっち派?

 先日、元サッカー選手の中田英寿がテレビの画面に映し出されていた。
 私はサッカーというスポーツは中学、高校の体育の授業で少しやったくらいで選手としてプレーした経験はないが、2人の息子が小学生の頃、少年サッカーチームに所属していたこともあり、それ以降は結構関心のあるスポーツの一つになっている。
 息子たちがサッカーをしていたちょうどその頃、ワールドカップが日韓共催で開かれたことや、今と違って地元の京都パープルサンガ(現 京都サンガFC)が当時はJ1のなかでもまあまあ強かったので、自然にサッカーに引かれていった。

 そんな中で、当時(日韓共催の前後数年間)の日本のサッカー界でまず名前にあがるのは間違いなく中田英寿であった。
 彼については日本でのプレーよりもイタリアでの活躍が記憶に残っているが、ドイツでのワールドカップの後、突然引退した。まあ、本人にとってはワールドカップに3回も出場したし、突然でなく、計画的であったであろうが・・。
 余談であるが、その時に放ったのがあの有名な 『新たな自分探しの旅に出たい』という言葉である。
 この言葉はあれだけの功績を残した彼が使って初めてかっこよく、印象に残るのだが、それ以降、何度となくこれに近い言葉をそこらの人(特に若者)が使っているのが気になるし、個人的には今一つ気に入らない。
 就職して数ヶ月も経たない者が、『自分に合った仕事でなかったので、本当に自分に合った仕事を見つけるために、いったんフリーになって自分を見つめ直す』というのを何度か耳にしたことがある。
 もう少し、せめて1年くらいは今の仕事をやってみてから判断してもいいのではとこの転職の理由を聞くたびに思うし、いくらなんでも数ヶ月で判断するなんて早すぎるのではと思うのは、私がええ歳したおっさんである証拠なのかもしれない。

 話があちこちに飛んでしまったが、今回何が言いたいのかというと、こんな偉大であった中田英寿であっても、子供達には段々と忘れ去られる存在になりつつあるような気がする。
 それはなぜか? ズバリ 早く現役を引退したということと、海外での活動が多いからなのかと思っている。
 それと比較して、三浦知良(カズ)は、50歳になってもまだ現役であり、我々より上の世代(60〜70代)から、今、現役の少年から20代の世代までほぼ2世代、あるいは3世代にわたって、記憶にとどめられる選手になっている。
 三浦知良が今もなお現役を続けるのは、日本が初めてワールドカップに出場したフランス大会で直前の現地キャンプで、メンバーから外されたことに起因しているように思う。
 あの最終で北澤と市川とともにカズを外すという決断をした当時の岡田監督を恨んだし、本人にとっては人生最大の屈辱であり、日本サッカー界でも5本の指に入る“事件”であったと個人的には思っている。ただ、この屈辱があったからこそ、カズ自身 辞めずにここまで続けていられるのであろう。

 中田ヒデと三浦カズ どっちがすごいか比較のしようがないが、この両極端のサッカー人生はサッカー界に身を置かない我々 一般人にとっても生きていく上で考えさせられ、ある意味、指針にもなりうるものであるように思う。

 あなたはヒデ派? それとも カズ派?
posted by ヒロイ at 22:05| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月25日

No564:昔のごちそう、今のごちそう

 先日、新聞といっしょ配られている冊子(たぶん、1ヶ月に1回折込)を見ていると、京都府と滋賀県のいくつかの地域ごとの特色のあるお寿司が載っていた。
 京都市なら鯖寿司であったり、鱧寿司、そして、滋賀県では鰻のお寿司など見ていてお腹が空いてくるような内容であった。
 私の出身地である京都府北部の丹後地方も2つのお寿司が載っていたが、2つとも“ばら寿司”とよばれる ちらし寿司のようなものである。
 私の中ではお寿司と言えば、まず握り寿司が頭に浮かび、海も近かったこともあり、はまち、ぶり、えび、いか、たこ、それになんといってもおいしいのが名産の鳥貝などワクワクする素材ばかりである。
 私が小さい頃(幼稚園の頃だったかな?)、お誕生会と称して近所のガキ大将仲間をよんで食事会をした記憶があるが、その時に決まって出てきたのが、カレーライスとばら寿司であった。
 どちらも祖母と母が作ってくれて、私はカレーライスは大好きだったが、大きな桶で作ったばら寿司というのは今一つであまり好んで食べなかった。そんな私の気持ちも知らず、いつも祖母が、『今日のはいつも以上に気張って作ったんで、ものすごいうみゃあ(おいしい)はずだで。』と自慢げに言っていたのを覚えている。
 当時のばら寿司に対する思いは、取り立てておいしい魚や貝が入っているでもなく、かまぼこや椎茸、錦糸たまご、それに少しばかりのデンブがのっていて子供には何ともはっきりしない食べ物であった。
 ということで、ばら寿司は実家では祭りや何かのお祝い事、法事など集まりがあると決まって出てくるが、私自身のばら寿司に対する思い出や印象は決していいものではなかった。

 あれから、50年近くが経ったいま、変われば変わるものでこのばら寿司のおいしさが分かるようになり、実家に立ち寄り、京都に戻ってくる時には京都縦貫道 道の駅[京丹波 味夢の里]で休憩の折にこのばら寿司を買って帰るのがお決まりになっている。私は隣に置いてある焼鯖寿司を選ぶことも多いが、カミさんはこのばら寿司の大ファンである。
 この道の駅には2種類のばら寿司が並んでおり、京丹後市「とり松」のものと私の地元「加悦」のものがある。とり松のものが多少高級感があるがこちらは売り切れのことが多く、加悦のばら寿司を買って帰る機会が多い。
 子供の頃、あまりいい思い出のなかったばら寿司が、この歳になっておいしいと思うというのは何ともおもしろいもので、私が子供の頃は祖母や母はおいしく感じていたのであろうし、あの地方のお祝いでしか食べられない豪華な食事の一つであったのだろう。

 こうして考えると、歳とともに味覚(舌)も変わってきているというのがうなずける。
 今や飽食の時代とも言われ、食べたいものはお金さえ出せばいつでもどこでも口に入る時代になったが、こうして考えると、当時は学校の給食も楽しみの一つであったし、まだまだ“食”について満たされていない時代であったのかもしれない。

 そういえば、その誕生会になぜか薄く切られた生のハムが決まって出てきたが(廣井家だけ?)、当時、まだハムは珍しかったのか、それにマヨネーズをたっぷりかけて食べた味は今でも思い出しそうなくらい楽しみ一品であった。

 実は今、超繁忙期であるが、こんな時こそ少しでも仕事のことを忘れるためにこんな思い出話を綴らしてもらった。
 我が事務所では、確定申告はいよいよ最終コーナー曲がりかけの最後の山場を迎えようとしている。
 さあ、もうひとがんばり するか!
posted by ヒロイ at 19:51| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月18日

No563:オリンピックで思うこと・・・「金メダルと銀メダル、そして銅メダルと4位の差」【一部No354:再】

 昨日のフィギア男子の羽生結弦選手に引き続いて、今夜(先程) 女子スピードスケートで小平奈緒選手が金メダルを獲得した。

 小平選手おめでとう!

 夏季でも冬季でもオリンピック中継や選手のインタビューを見ていて、銀メダル、そして4位の選手が、半分満足、半分悔しさ という何とも言えない表情で、『力は出し切りました。悔いはありません』 答えているのを見て、この表情の奥にこそ スポーツのむごさが潜んでいるんだなと考えてしまった。今回も前半は銀メダルラッシュでそれぞれのメダリストの胸の内を考えながら4年前の2月16日【No354】のこのコーナーを読み返してみると、私自身 今回の全く同じようなことを考え、ここに綴っていたことに気がついた。
 先日、ある紙面に過去においてスピードスケート男子500mで金、銅、銀のメダルを獲得した 清水選手のコメントもやっぱし と思ったので載せておきます。
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 「銀メダルは悔しいんですよ。金メダルはうれしい、銀はくやしい、そして銅はほっとする」(清水選手)
 1998年長野五輪500メートルで金、1000メートルで銅、2002年ソルトレーク五輪500メートルで銀と、すべての色を獲得した経験を持つだけに、説得力があります。「金しかとっていない柔道の野村忠宏くんは、この心理はわからないって言ってました。」
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 ということで、今回は4年前の内容を掲げさせてもらいますね。

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No354:金メダルと銀メダル、そして銅メダルと4位の差

ソチでの冬季オリンピックもいよいよ終盤に差し掛かっているが、ここへきて日本選手も羽生選手の金メダルを筆頭にいくつかのメダルを獲得しだしてきた。
 こんなとき、オリンピックには程遠いが、私も多少なりともスポーツをかじっていた一人として、表題に示した「金メダルと銀メダル」、「銅メダルと4位(メダルなし)」の差はとてつもなく大きな差であることが痛いほど分かるし、その悔しさは誰にも言えない本当に辛く、苦しいもののように思えてならない。
 テレビ局のキャスターや各新聞はこういった悔しい銀メダルや4位の選手について過大とも思えるくらい賞賛の言葉を並び立てるが、実は選手自身にとってはいくら何と褒められようともこの悔しさを埋められるものはどこにも見当たらないはずである。
 今回、女子モーグルで4位であった上村愛子選手に対して、“連続入賞、本当にお疲れさん”というような表現をしていたマスコミが多かったように思うが、本人にとっては悔やんでも悔やみきれないほど悔しいものであったに違いない
 ただ、この上村選手が一スポーツ選手としてだけではなく、人間的にも素晴らしと思ったのは、その悔しさ(ひょっとすると人生最大の悔しさだったかも?)を表に出すことなく、こんなコメントで締めくくっていた。
『オリンピックの思い出としては、いい思い出で終われると思っている。メダルはないが、頑張ってよかった。』
 応援していた者にとってはいっしょに泣きたいくらいであったが、この大人のコメントで多少なりとも救われた気がした。
 ただ、滑り終わった後の『全部終わったときに、点も見ずに泣いていた。メダルは獲れたかな、と思ったがまた4番だったんだと・・・。』コメントを聞いて、本当はメダルが欲しかったんだろうなと思うと、各局のアナウンサーが「5大会連続入社は立派です」と褒めれば褒めるほど、見ている者にとっては痛々しくも感じられた。
 ただ、スポーツにしろ、勉強にしろ、そしてビジネスにしろ、この埋められなかった悔しさがあるからこのその後の人生、無駄にせずに生きていこうと、次なるステップへと歩み出していけるのではないのだろうか。
 ただのスポーツ好きの大人が言うにはとても偉そうな表現になってしまったが、こうして本音の部分も書くことによって、逆にその悔しさが埋められやしないかなとも思ったりもするのである。

 では、なぜ 選手は金と銀、そして銅と4位にこだわるのか。 それは、そこまでの道のりにおいてとてつもない努力をし、多くのものを犠牲にしてきた者は、その証となるものが欲しいということであろう。じゃあ銀メダルや4位は証にならないのかというとそうではないが、これはスポーツをやってきた者にとってはどうしても欲しい証である。
 私も高校時代 陸上をしていたが、見ていて一番むごいと思ったのは近畿大会の決勝 8人で争われるレースである。このうち全国大会に行けるのは6位まででこの時の6位と7位にはとてつもない大きな差があり、これは3年間クラブ活動に打ち込んできた高校生にとってはある意味、“むごい差”でもある。

 話を少し角度を変えて捉えてみるが、
 今回のキャスターの中に2人の元女子オリンピックがいる。シドニーのマラソンで金メダルを獲った高橋尚子とトリノのフィギアスケートでこれまた金メダルを獲った荒川静香である(呼び捨てしてすみません)。
 こういった場面ではやはりメダリストではなく“金”メダリストに声がかかるんだなと、金メダルの威光と重みをまじまじと感じながら解説を聞いている。

 今回の羽生選手は相手も少しミスをするラッキーはあったものの、やはり最高の、しかもとびっきりの実力者であるがゆえに勝ち取れたものであろう。これが実力拮抗の状態であれば最後で逆転されていたようにも思う。
 そういう意味では金メダルを獲るには、運も必要かもしれないが、実力が誰も寄せ付けないくらいとび抜けている必要があるのであろう。いわゆる“断トツ抜きんでている”というやつである。
 オリンピックになると今でも思い出すが、高橋選手の鍛えられた走力(体力)と完璧なまでに計算されたレース運び、そして、一方 荒川選手のミスを探そうにも見つけられないくらいに最初から最後までこれまた完璧に滑りきったフリーの演技。 やはり、銀、銅のメダリストには申し訳ないが、金メダリストは完璧を貫いたものでないと手に入らない、とてつも重く、かつ、気の遠くなるような繊細な部分も備える必要があるのだろう。
 
 こんな偉そうなことを言ってしまったが、本当は我々一凡人にとってはオリンピックに出ることがとてつもなく、遠いことであり、偉大なことであることを忘れてはならない。

posted by ヒロイ at 22:05| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする