2021年04月11日

No725:別れ際、いや”帰り際”の一言

 なんか妙なタイトルで彼や彼女と別れる時の最後の言葉のことかなと思っておられる方もいるかもしれないが、残念ながら今回は仕事で出向いた先で帰る時の掛けられる一言が、帰って行く者にとって、随分 気持ちに差が出るなという話である。

 コロナの影響は業種、あるいは開業医の診療科目よって差はあるものの ほとんどの顧問先は経営状況が悪化している。
 顧問先の訪問時には月次の定例業務の他に、最近はこの厳しい状況をどのようにして乗り切っていくのか、資金繰りは大丈夫か、それに支援金や補助金の申請方法など相談内容は今までになく多岐にわたっている。
 いろいろな話が終わった後、帰り際には一言 声を掛けられるが、ある経営者は最近 業績が低迷気味である中、「本当にいろいろな方策を示していただきありがとうございます。今日は力をもらいました、明日から何とか前向きに頑張ります。下を向いていても何一つ解決しませんから。」と 最後にこちらが励まされるような言葉を口にして見送ってくださる。
 また、あるクリニックの院長夫人は、「厳しい状況が続いて、なかなか出口が見えませんが、地道にコツコツとがんばっていきます。まだ、ぜいたくしなければやっていけます、今の世の中もっともっと大変な方もたくさんいらっしゃるでしょうし。これからもバックアップお願いいたしますね。」と、この方の場合にもどちらが励まされているんやろと思わず胸が熱くなる帰り際であった。
 又、中には寒い日でも外で私の車が見えなくなるまで見送ってくださる奥様もある。
 こんな帰り際のことだけで顧問先のことを判断するわけではないが、やはりそこには熱い想いがあり、こちらも思わず「なんとしてでも」とか、「何とか救うぞ」なんて想いになってくるものである。
 訪問した時にある経営者は、私への質問をいくつもメモに書き留めておられ、1から順番に聞いてこられるが、これはこれで嫌な話ではなく、私の面談を心待ちにされていたという想いが伝わってきて、ある意味 訪問のし甲斐があるということである。

 ただ、逆に?が付く顧問先がないわけではない。
 訪問した時、いつでも機嫌が悪く、従業員の不満から始まって、お客(患者)への不満、そして最後には税理士(事務所)への一言(褒められたことはほとんどない)で締められる。
 この顧問先については、今まで当事務所としては手を抜いたことなど一度もなく、どちらかというと他の方よりも気を使いながら、細やかな対応しているつもりなんだが、なぜか当事務所への満足度は低く 感謝の言葉など一度も聞いたことがない。別に感謝の言葉を期待しているわけではないのだが・・。単に波長が合わないのかな? と思う時もあるが、この経営者の心のどこかで税理士に頼っているという気持ちがこちらにも伝わってくるので何とか関係は続けられている (この場でこんなことを書いてはいけないのかも、これを読んでおられたらアウトかも?。でも、こちらには嫌な感情など一つもないし)。
 私もこの顧問先を毎月訪問するわけではないが、こんなことがあると次に行く時にはきっと満足させたり、喜ばせるぞと思って訪問するのだが、なかなか満足の得られる結果にはならず歯がゆい思いが続いている。
 顧問先の方が税理士にどんな思いをぶつけられかは自由だが、お互い気持ちよく仕事をすることって非常に大事なことのように思う。


 私も時と場合によっては当然のことながら顧問先に対して厳しい言葉を発しないといけないこともあるが、そこは双方の“想い”によって その言葉の受けとめ方も随分変わってくるものである。
 気持ちだけで仕事が進められるものでもないことは重々に承知しているが、心穏やかに そしてよい気持ちを持ちながら顧問先の対応や応援ができる そんな税理士でありたいなと思っている。

 最後に話はゴロっと変わるが、今日は12月以降で自分の時間が一番とれた休日であった。
 愛犬ぽぽたんと朝夕各2時間ずつ散歩、読むべき 溜め込んでいた資料に目を通す、簡易な衣替え(第一弾)、そして行きたかった蕎麦屋にも行き(今のご時世 外食がダメだったのかも?)、何と5ヶ月ぶりに念願の休日の昼寝もできた。
 こんな休日こそ、本当にリフレッシュできたと言い切れるし、毎週、こんな休日がとれようになれなと思いながら一日を終えようとしている。
 では、おやすみなさい。
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2021年04月04日

No724:自己統制に苦労する

 今日は少し難しい言葉ではスタートするが、
 「自己統制」とは、複雑または困難な状況に直面したときに、自分の感情、行動、身体の動きを管理する能力のことをいう。
 今までこの「自己統制」なんていう言葉はほとんど使ったことがなかったし、言葉の意味自体、あまり深く考えたこともなかったが、あるきっかけで“自己統制”という言葉に触れる機会があったので、コロナ禍にこそ、まさに自分をコントロールする“自己統制”が大事である感じたので今回 取り上げるてみることにした。
 
 新年やお盆に親族が集ったり、成人式、卒業式、入学式・入社式その他 学校や社会において、一年のうちにいくつもの行事があるが、こういったものが縮小されたり、中には開催そのものができなっくなっているものもあるという状況下では、節目というものが非常に分かりづらくなってきている。
 目の前の確定申告にしても、今年は法定申告期限が1カ月延長されたので、現場としては時間的にも体力的にも例年より少しは余裕があったが、いざ 取り掛かりだすと いつになっても確定申告が終わらず、我が事務所でも 今の時点で95%以上は完了したものの、あと数件残っているおり、いつになっても 「確定申告完了」という、例年待ち望んでいるすっきりした気持ちになれず今日に至っている。
 我々の業務もこの仕事だけであれば、「気持ちにゆとりができてよかったな」と言えるのかもしれないが、通常の業務は暦どおり動いているので、そういうわけにはいかない。
 どこでも4月1日は新しい年度が始まり、例年 気持ちも一新し、否応にも引き締まるものであったが、こういったピリッとしたところもなく4月1日を迎えた。まるでただの通過点かのように。

 幸いにも日本には四季があるので、桜の花が咲いたり、必然的に衣替えも必要となるが、これとてこれまでのような一つの区切りというにはほど遠い、暦どおりに訪れる季節の移り変わりに過ぎない。
 こんな中では最初に掲げたように、自分で自分のことをコントロールするということが今まで以上に必要となってくる。
 何かにつけ放っておけば、気が付いた時には 時 既に遅しということになりかねない。緊張感を持続するなんてことは限界があるが、こういった中ではまさに自己統制の能力が問われるし、スケジュールを確認したり、管理することことへのエネルギーは今まで以上に必要になってくる。
 これは、今までのように月単位や季節ごとに行われるいくつものことが行われなくなっているのでやむを得ないことである。

 こういった中で最も自分を活性化してくれるのは、やはり従来からの顧問先様であったり、初めて会う新しいお客様との面談である。
 誰しも過度な刺激は望んでいないが、一定の刺激こそが今の自分には必要なのであろう。ただ、これもコロナの影響でかなり制限されるなかでやりくりしないといけないという難しさがある。
 コロナ禍においては、「何気なく」というのが通用せず、今まで以上に自分で考えて行動する必要があると思うし、なかなか 厳しく、難しい世の中になってきたなと感じてしまう。
 当事務所では4月7日(水)には確定申告を完了させ、やっと通常の体制に戻すので、ある意味、ここからが事務所の新年度といえるかもしれない。 あと3日。長かったな、今年の確定申告は。、

 自己統制が必須とまでもいわないが、ボーっとしてると流されてしまいそうな世の中になってきていることには違いない。
 何かしら落ち着かず、気が付けば4月も終わってしまいそう毎日である。
 明日はそろそろ自分の確定申告のメドをたてないといけないなと考えている日曜日の夜である。
 では、今日はこのへんで。
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2021年03月28日

No723:顧問先からの相談内容は十人十色

 税理士としての仕事の範囲というのは、会計や税務に関する相談、そして税務申告書の作成及び提出がメインであるが、それ以外にも経営や労務に関することや中には経営者ご自身の人生相談っぽいことに対してまで意見を求められることがある。
 人生相談といっても多少なりともお金に関する話が多いが、ご自身の老後資金のことにはじまり、親の介護や認知症への対応など、“老後”というキーワードだけでも相談内容は非常に多岐にわたっている。
 また、お子さまに関する話題も多く、時節柄 学費や進学先についての相談もある。
   中には私大医学部への入学が決まり、数百万円のお金を振り込んだ話とともに今後の学費や生活費の援助(仕送り)に関して相談されるドクターもいらっしゃる。
 さすがに、「どうしたら受かるんでしょうかね?」とか、「今後のことを考えどちらの方面に進むのがいいんでしょうか」なんていう質問には、私自身がお子様ご本人とも会ったことがないし、それぞれの性格や特性も分からないので安易な発言はできないし、しないようにしている。
 あと ご夫婦間のことを相談される方もあるが、こういった話もどちらかの肩を持つとより一層ややこしい話に入っていってしまうことにもなりかねないので、サラッと聞き流すようにしている。

 相談を受ける時、その相談の主である経営者やその奥様が、今までどんな生活をされ、今後どのような生き方をしようとされているのかを少しでも知ることができれば、当事者に合った話もしやすいなと思うこともある。
 特にお金の使い方は人さまざまで、税金を少しでも抑えたい人(これはほぼ全員か?)、とにかくお金を貯めたい人、自分の欲しい家や車にお金をつぎ込みたい人、今はただひたすら子供の教育資金を準備したい人 等、人によって仕事をしたり、お金を稼ぐことの目的は様々であり、相談に乗る前、あるいは相談している中でこういった“目的”を把握できれば、的外れな回答にならずに済むなと思うこともある。

 ただ、こういった多岐にわたる相談内容も今回の新型コロナの影響が色濃く出ていて、人それぞれの将来設計が思い通りにいかなくなってきているケースも結構見受けられる。
 ここでも今までの希望を曲げない人と現状を把握してうまく軌道修正できる人があり、やはり人生っていかに柔軟性をもって対処できるかが重要なことなんだなと人様の行動を見ていて考えさせられることも多い。
 私も今は経営者であるが、開業までの23年は勤務していたので勤務する人の気持ちも少しは分かるし、老親や子供の悩みもひと通り経験しているので、自分のこととだぶらせながら話を聞いたり、アドバイスをすることもある。
 ただ、どんな時でも自分と考えがいっしょなんていう人はまずいないし、どちらかいうと「自分とは違うな」とか、「私だったら別の方法を選ぶのに」なんて思うことの方が多いように思う。
 こういった時にこちらの思いをそのまま伝えることで、気を悪くされた経営者も今まで何人かいらっしゃったので、心のどこかで「本音ってどこまで口にしていいんやろか」なんて考えながら会話しているというのが実情である。
 私が話をしたり、相談に乗る場合、その相談者ご自身の意見とは違っても最後までじっくり聞いていただける方が何人かいらっしゃるが、こういった方と話をした後は、こちらとしてもなんだかすっきりするし、仮に私が話をしたことと別の方法を選択されたとしても 「思ったことを話してよかった」と感じる瞬間である。
 税や会計に関する話以外は、やはり年齢や経験がものをいう場合もあるし、こちらが教えられることも非常に多い。
 そういう意味においてこの仕事をする上では終着点はないし、顧問先の方といっしょになって成長していくくらいの気持ちで接している方がお互いにとってもいい関係が築けていくように思う。
 いろいろな話をしながら、こちらも 「いいことがあったら吸収してやろう」なんて考えながら仕事をするのが、この仕事を長く続けられるコツなのかもしれない。
 まあ、いろいろな方と話をするのが好きであることは、この仕事をする上で多少なりともプラスになっているんだろうなと思える。

 いよいよ3月もあと数日を残すだけとなったが、確定申告は期限が延長された関係もあって、資料の回収が遅れた先が数件あり まだ完了には至っていないが、あと残っている数名の方の申告書の作成を何とかこの1週間で終え、すっきりした気持ちで春を感じたいと思っている。ただ、どこへ行くにも出かけづらい状況が続いているが・・。
 今年の花見は車窓からだけで終わりそうであるが、これもあとになって 「あんな年もあったな」と言える日が来るのを期待しながら今日の話はこれで終わります。
 来週はいよいよ4月ですよ。
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2021年03月21日

No722:憧れる “ 決断の早い人”

 顧問先の経営者の方で、「なんていう決断の速い人」と思えるような人がいる。
 この人のスピードについていくのに一時は苦労したこともあったが、そのテンポのよさには学ぶべき所も非常に多い。
 顧問先の経営者といっても とあるクリニックの院長であるが、この院長が昨年11月 私にに「建物が多少 老朽化してきていることや現在の診療スタイルに合わない間取りなので改装工事を考えている」と構想を告げられた。
 その後、設計の打ち合わせや一時的に別の場所で診療をするための仮診療所の確保とそれに伴う医療関連の各種届出など、主任スタッフと共に慌ただしく動かれていたが、この2月の工事開始から1ヵ月で改装工事を終え、3月には見栄えも、間取りも従来のものとは大きく変わったクリニックが“新装”オープンした。
 きれいになったこともあり、やはり患者も増えてきているし、通りに面したビルの1階にあるこのクリニックの前を歩いている人の中には 「新規開業?」という顔をしながら、中を覗き込むようなそぶりの方が何人もいらっしゃった。
 名称、診察時間、そしてスタッフも改装前と変わってはいないが、改装にもこれほど効果があるものなのかと私の方が少々驚いている。
 医療機器も今まで古くなったものは取り換え、充実したものとなったので検査内容も大きく変わり、検査の予約も4月の末までびっしり埋まったとのこと。みなさん「何科?」と診療科目に興味がおありかと思うが、もちろんここでは伏せておきます。
 こんなことは資金的な余裕があるからこそできることではあるが、このドクターは今までからお金を使う時は貯めていたお金を迷いもなく(当の本人は大層考えられた挙句であろうが)、スパッと出されるので、私の方が、「もう少し支出を抑えては・・」と思うこともあるが、この先生は趣味(スポーツ)以外には、あまりお金を使わず、残すときにはしっかりと残して、こういった必要な時には気持ちがよくなるようなお金の使い方をされる。もちろん無借金経営ですし。
 人の採用についても退職者がでたり、増員が必要な時には、必ずと言っていいほど翌日には求人に向けての動きをとられているし、時には一日も置かず、その日にハローワークに求人の連絡をされている。

 物事を決めるのに即決が美徳とは思わないし、即断をして「しまった」と思ったことは誰も経験があると思うが、このドクターはどうしてこんなに早く物事を決めることができるのであろうか? ということをちょっと興味もあり私なりに考えてみた。
 それはいろいろなことに対する知識や情報を収集する能力が非常に優れていて、このドクターと話し終えた後、「この医者、医療の専門的なことに限らず、世の中の流れや経済的・社会的なことま何でも知ってるな?」と思うこともあるし、逆に私が知らずに恥ずかしい思いをしたことも何度となくある。こういう方なので、私に話をされる時は事前準備も半分くらい進んでいることが多い。
 そうそう、早いということに関する話をいくつか思い出したのだが、先日 「クリニックのHPの内容を改訂しないといけない」とおっしゃっておられたが、それから10日後にはすっかり新しいものに変わっていて、そのスピード感には驚かされた。
 あと、訪問(面談)した時に質問事項を言い残して帰ってきたら、必ず翌朝にはその返事がくるし、早い時にはその日のうちにメールにてその回答が届いている。
 内容によっては早ければいいというものばかりではなし、まずはゆっくり考えて、人の意見も十分に聞いたうえでないと動けないこともあるが、この先生と接していると自分のスピード感や判断力のなさを痛感してしまうし、まさに「先手必勝」とはこのことなのかなと非常に学ぶべきとことも多い。

 最後にもう一つ付け加えておくと、この先生は自分が誤っていたと思うことに対しては、いち早くお詫びの言葉が返ってくるし、私に対して少し手間のかかるような仕事を依頼され、こちらが仕上げて返すと、「いつもご面倒をお掛けしてすみませんね。ありがとうございました。」とお礼の言葉がどんな時でも返ってくる。
 こんなところも、人と情報が集まりやすく、即断する上での自分を取り巻く環境が自然と整って繰んだろうなと思えてくる。
 このドクターは私より10歳以上若いが、本当に教えられることや学ばされることが多く、私自身「まだまだだな」と反省させられることもたびたびある。

 そういえば先週は久しぶりに“臨時休刊”させてもらいました。
今日は天気もすぐれない休日ですが、こういった天候の休日は外出する気も起らず、逆に落ち着くと思っている方もいらっしゃるのでは・・。
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2021年03月07日

No721:人を雇う側と雇われる側のギャップ

 経営者は従業員に対していろいろな期待を持つが、その期待が大きいほど一層仕事に力が入って伸びる者と期待に押しつぶされダメになる者とがいるように思う。
 また、経営者の期待がさほど大きくない場合、「自分はあまり期待されていないようなので・・」と ほどほどの仕事しかしない者もいれば、「俺(私)、もっとできるんだけど」と評価の低いことを「なにくそ」と発奮材料にしてがんばる者等、働く側にもいろいろなタイプの者がいる。
 そういう意味において、人を採用し、仕事を依頼する側の経営者は、従業員がどのタイプの人間かを見極めることも非常に重要である。
 特に中小企業の場合、経営者と従業員の距離がそれほどないので 経営者の一言が従業員の将来や会社の今後に影響を及ぼすことも往々にしてある。
 また、多くの人員を採用する大企業より、採用する人数が限られている中小企業の経営者の方が、早く結果を求めるというのはよくあることであるし、どちらかというとこういった経営者の思い(場合によっては焦りともいえる)がマイナスに作用している場合も多くみられる。
 その要因の一つに考えられるのが、経営上 人件費の増加をある程度抑えることも必要であり、ましてや余剰に人を抱え込むほどの余裕はどの企業もない中で、結構 かつかつの状態、つまり一人でも辞められたら困るという状態で人員配置をしている会社も多くあるし、これも中小企業なら当たり前のことなのかもしれない。
 でも このことがいつになっても人が居つかない会社になってしまう根源であると思える部分でもある。
 新たに人を雇って、「ぼちぼちでいいよ」なんて言うわけにはいかないが、3カ月後、半年後、そして1年後にどれだけの仕事をしてもらうべきなのかをしっかりと考えたうえで、多少 余裕をもって結果を求めるようにすることが大事であろう。

 我々が学校を卒業した頃は学校を出れば働くのは当たり前であったし、働かないと食べていけないという現実が目の前に迫っていたが、今や新卒者の3割以上が3年以内に転職する時代であるし、働くということの意義も人によってさまざまである。
 こういったことも十分に踏まえて人を採用し、育てていかないといけない時代になってきている。
 終身雇用の制度は決してよい点ばかりではなかったのであろうが、今の時代のように、「いったんこの会社に入っといて」とか、「自分のしたい仕事が見つかるまで、じっくり考えてみる」なんていう余裕はなかったし、「会社のため」に働くことが、「自分のために」ということと重なっていたので、多くの人がそれほど疑問を持たずに仕事をしていた時代でもあった。
 そういう意味において、今は何とも羨ましい時代になったもんだと思うだけでなく、時代とともに仕事に対する考え方が大きく変わってきていることを理解する必要があるし、こういった変化への対応ができていない会社や経営者が今や人材難に陥っているのではないかと思えてくる。

 私の周りにも退職者の多い会社とそうでない会社があるが、その差は給与や勤務時間などの待遇面だけでなく、やはり何のために、誰のために働くのかということをしっかり持った人を採用しているかどうかによるように思う。
 それと仕事をしていると、当然のことながら仕事上の何らかの悩みを抱えている人もいると思うが、この悩みを打ち明けられる人がいるということも仕事を続けていく上での大きな要因であるようにも思う。
 家族や友人は当然のことであるが、同じ会社の同僚や上司、そして零細企業においては経営者に直接 話ができるかどうか、聞いてもらえるのかどうかも退職するのか、仕事を続るのかを判断するうえで重要なことのように思う。

 私自身もこの“風通しのいい社風”というのを目指してはいるが、これはなかなか達成できない 長年の目標の一つである。
 風通しがいいことが善であることばかりではないが、経営者も従業員も切羽詰まった状態で仕事をしていると風なんて通るはずがないし、このことを実現するには多少なりとも余裕を持たせることも必要なのであろう。
 ただ、分かっていながらも このことが実現できないもどかしさは私も感じている部分であるし、「余裕を持ちながら、効率化を実現する」ためにまだまだ模索は続くだろう。
 最後に、「何事も完成しないから毎日生きているのかも」なんて自分に言い聞かせながら、今日の話をまとめておしまいにすることにする。
 この調子だと3月もあっという間に終わってしまいそうな3月最初の日曜日でした。
posted by ヒロイ at 18:39| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年02月28日

No720:情報に溺れないようにするために

 いつからなのだろうか 我々の周りにこんなに多くの情報が溢れるようになったのは・・。
 今やインターネットを通じて いつでも、どこでも、どこからでも情報が入手できるだけでなく、情報が入ってくる方も半端な量ではなく、この情報の整理というか、自分にとって必要か否かを選別するのがなかなか難しい、しかも瞬時には。
 情報の中にはどちらかというと必要でないものも多くあると思うが、今は必要でなくても知っておくと後で便利なものもあるので情報の切り捨てには勇気がいる面もある。
 こうなってくると情報を入手する方法はもちろんのこと、情報を選別する力も今まで以上に重要視され、この選別する力の差がそれぞれの人間の実力の差となって表れることもある。
 私自身も入ってくる情報を整理し、必要に応じて使いたいときに取り出せるようにしておきたいのだが、情報の整理方法が下手なのか、思ったときになかなか取り出せなくてイライラすることもある。
 ひと昔前なら、朝と夜のニュースと新聞くらいが情報源で、その時だけ集中して視たり、読んだりすればよかったのが、今やパソコンの前で仕事をしたり、スマホを持ち歩いていると、パソコンやスマホを覗き込まない時間が1時間以上空くことはほとんどといっていいほどない。
 逆にこういう状態が続いていると集中力に欠けたり、効率が上がらないこともあり、まさにそこには情報に食い物にされ、情報に溺れかかっている自分がある。
 ただ、いろいろな人と話していると、情報は多いがうわべだけの人と情報の本質まで捉えている人の差もはっきりと分かることもある。
 私も顧問先の方と話していると、「いや〜、何でもよく知っている人だな」とか、「よくそこまで深読みできるな」と 関心してしまうような人が何人か頭に浮かんでくる。
 こういった人の共通点は、情報を自分の都合のいいように解釈することなく、第三者の立場から捉えられる人であり、たまたまかどうかは分からないが どの人にも共通しているのが読書量が多く、時間がとれると常に本を読んでいる人である。
 こんな経営者の部屋(社長室や院長室)の机の上は 読み終えた本とこれから読みたい本がところ狭しと積まれており、その分野も偏ったものでなく非常に多岐にわたっている。
 今まで、院長を含む経営者の机の上にある本で、旅行や車 それに音楽の本などは仕事の合間の息抜きに目を通されるのかなと 納得するしながら見ていたこともあったが、ある経営者の机の上に漫画の本が置いてあるのを見た時には(しかも数冊)、口にさえしなかったが、「これはないやろ」と思ったこともあった。

 これほど情報が溢れる時代であるからこそ、自分を高めるため、あるいは、自分を和ませたり、気持ちを落ち着かせることができる情報を得て毎日の生活を充実したものにしたいものである。

 最後に溢れる情報の整理を実行するには、時間だけでなく勇気も必要とされるが、まずは自分の周りにある情報で必要でないものをもったいぶらずにばっさりと切り捨ててしまうことであろう。

 何ごとにおいてもため込むことが善ではなく、ため込みは悪である という感覚こそがこういったことを実現する早道であるように思う。
 「いらんもんは捨てる」、そうすると きっと新しいものが得られのだろう。
 さあ、今から少しずつでも実行してみるか・・・。
posted by ヒロイ at 22:38| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年02月23日

No719:いつからこんな あら探しをする社会になったのか

 過去において何かミスを犯したり、問題となる発言をしていたという いわゆる“あら”が見つかった場合 、ここぞとばかりその部分に攻め入り、その当事者にとっては当然 触れて欲しくない点についてもお構いなしに集中放火を浴びせるというやり方が最近やたらと目につく。
 対象となる人が政治家や芸能人の場合、こういったことをされるのはある程度 宿命と言わざるを得ない部分もあるが、最近のマスコミの報道を見ていると雑誌の発行部数を増やしたり、視聴率を稼ぐためにやっているとさえ思えようなところもある。またSNSでは発言者が誰か定められないという点を利用して、責任の問われない発信・発言がし放題の状態になっている。
 日本人はいつから こんなあら探しを好むようになったのであろうか。私は昨今のこの状態を「嫌な感じ」と思いながら見ているひとりである。
 確かに問題となる言動をし、言われる側が悪い場合も往々にしてあるが、私自身はこのような状況には、正直辟易している。
 もちろん“あら”の 中には先日の東京五輪組織委員会の森 前委員長の発言や菅首相の長男の総務省接待疑惑など誰が聞いても呆れたり、擁護のしようのない言動もあるが、些細なことで「もうちょっとそっとしといてやれや」と思うようなこともある。
 確かに間違っていることへの指摘があると、指摘された方は間違っていたことについて二度と同じ過ちを繰り返すことのないよう反省するという一定の効果がないわけではない。
 そういった 意味ある正当な指摘は世の中を変えていく上でも決して無駄ではないが、中には他人に対して暴く必要のないようなことまで公表し、ただ単にうけや腹いせのためだけにやっている例も数多く見受けられる。
 最近ではマスコミだけでなく、政治家同士でただ単に相手を蹴落とす、角度を変えて見てみると、自分が這い上がる手段として、あらを探し、それを公表し、世論を味方につけるという手法をとる人もいるが、その発言の中身は正当な論戦には程遠い場合もある。
 当然 悪は許されるものではないが、ちょっとしたミスや思い違いのようなことは、成長する過程では誰にでも起こりうることであるし、こういった時に指摘の仕方が下手であったり、そのタイミングがまずかったりすると、若い人や経験の浅い人の成長を阻害することにもなりかねない。内容にもよるが、もうちょっと長い目で見て 盛り立ててやればなと思うこともあるし、そういった広い心で接することがその対象となった人を予想以上に飛躍させることだってある。

 私も決して小難しい本ばかりでなく、いろいろな分野の月刊誌や週刊誌に目を通す機会もあるが、とにかく褒めることより、けなしたり、あらを探すような記事が多いことにうんざりする。
 そりゃ輝かしいことよりも、汚点とよばれることの方が記事にしやすいし、読者受けして発行部数も増えるのであろう。
 少し前、といっても20年、30年程前はもう少し、褒めるような話を読んだり聞いたりして、自分の目標にしたりすることもあったが、今や雑誌に中身は けなしや揚げ足取りのオンパレードである。
 どこの社会においても完璧な人はほとんどいないであろうし、企業の経営者や人の上に立つ立場の人なら、入社時 「アイツ困ったやっちゃ」と思っていた新入社員が、教えたり、いっしょの時間を過ごすことによって大きく成長し、5年もすれば なくてはならない存在になっていたということは誰もが経験していることであろう。

 こんなことを言っている自分がそんな対応ができているかというと、なかなか「はい」とは言いづらいが、このようにいやだなと思うことにも目を向け、自分なりに考えることによって 少しでも自己反省の材料になればと思って今日も偉そうなことを書き綴ってしまった。
 みなさんはどう思います、最近の世の中・・。
 こんなこと言うこと自体、もう誰からも相手にされないおっさんなのでしょうか?
posted by ヒロイ at 18:22| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年02月14日

No718:いつもと見る点が違う今回の確定申告

 私の周りで「コロナ、コロナ」と騒がしくなってから約1年が過ぎようとしている。
 最初の頃は今のようにマスクは必須でなかったし、学校や会社もまだ 従来のスタイルが残っていたが、(昨年の)2月の後半になると京都でも生活する上でさまざまことに影響が出始めた。
 例年この時期は確定申告の真っただ中であるが、申告後の打ち上げ(慰労会)をどこのお店でしようかと考えるのがこの時期の楽しみの一つであった。
 昨年も1月末に和食のお店を予約し、2月の終わり頃  「3月の後半のことはまだ読めないのでひとまずキャンセルをせずにこのままで」といったん保留にしていたが、それから数日後には、「こりゃ無理だわ」とキャンセルの電話をしたのを思い出した。

 昨年は2月の下旬になってから確定申告期限の延期が発表されたが、今年は2月に入ってすぐ、1ヶ月の延長が発表され、所得税、消費税、贈与税ともに4月15日が期限となった。
 緊急事態宣言で指定された都府県では当然と言えば当然の措置であろうが、やはりここは国税における措置なので全国一律での対応となった。
 こんな状況の中、各顧問先や事務所のスタッフへの対応も検討した結果、事務所内での最終の締日を多少ずらす形に決定し、現在 それに向けて確定申告の作業に取り掛かっている。

 ただ、事務所のスタッフも在宅での勤務も交え、今までとは違う慣れない形で申告業務を進めてもらっているが、申告期限が延長になったからといって、決して間延びしたり、余裕のあるムードなどどこにもなく、いつも以上に緊迫しながら仕事を進めているというのが現在の我が事務所の状況である。

 過去においては3月15日というお決まりの日があったので、とにかく一心不乱にその日に向かって確定申告書を作成していたが、今年はこういったコロナ禍で、しかも緊急事態の延長及び解除も含め、3月末までの間には何らかの変化もありそうな情勢下での取り組みである。
 ただ、何かにつけこういった不安定な状況の中では 各事務所やそのトップの判断により対応に差がでるので、様々なことへの対応について どうするのが一番いいのか悩みながらこの確定申告時期を過ごしている。
 いずれにしても まだもう少し考えてながら事を進める日々が続きそうな今年の確定申告である。

 税務申告の依頼を受けている以上、各納税者に合った可能な節税方法を探り、最大限の節税効果を導くということが重要であるが、今回 対象となっている令和2年分の個人事業者の所得は軒並み前年を下回り、中にはこれからの資金繰りを考えないといけないくらい厳しい事業者もいつも以上の数にのぼっている。
 そういう意味で、今回は決算書の売上と利益(所得)に目を向けるだけでなく、売上の波(変動)、借入金の増加、それに資金(預金)の残額を注視し、これからの1年間の資金繰りや経営方針の相談に乗らなければならない先が数多くある。
 例年、確定申告は経営者の通知表のようなものと言ってきているが、今回はいっしょになって対策を練らないといけない通知表(決算書、申告書)の報告となっているし、こういった大変な時こそ 顧問税理士の腕の見せ所かなとも自分自身に言い聞かせながら、確定申告を乗り切っていきたいと思っている。
 所得税法では確定申告書の提出は2月16日から3月15日と記されているが、コロナに振り回され、本来の申告期限を忘れてしまいそうになる昨今の申告事情である。
 何はともあれ、事務所が総力戦で臨むことはいつの時代になっても変わらない、それが正に1年に1回の確定申告である。
posted by ヒロイ at 22:08| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年02月07日

No717:時代錯誤にならないように

 東京オリンピック・パラリンピック組織委員会 森会長の女性を巡る発言が問題となり、コロナ問題以外で本大会の開催の是非にまで発展しかねない“事件”になっている。
 この場で森会長が継続されることについての意見を述べるつもりはないが、あえて言うなれば、「どんなことでも 時代の変化についていけない人がトップに立ってやっていけるほど、世の中は甘くない」ということなのだろう。
 政治の世界であれば、年齢、当選回数、派閥等のしがらみ以外にもまだ目に見えぬ男女差はあるように思うし、マスコミにしてもすぐに「女性初の・・・」のということを見出しにしたがる風潮がまだまだ残っている。
 ただ今回は年齢、地域、そして性別なんて関係のない全世界の人が注目すべきイベントであるにも関わらず、政治家気質というか、古い感覚を持ったままの人がトップに立っていたことに問題であったように思う。
 今の時代、どこからでも話が漏れるので 「ここだけの話」なんていうことにはなりにくいし、SNSという恐ろしい拡散手段があるのであっという間に全世界に広まってしまう。ということで、発言の真意は別にして、誰もがそういった状況の中に身を置いているということを自覚しておかないといけないのに この森会長はこの自覚が足りなかったということも問題を大きくしている要因の一つとしてあげられるであろう。
 不祥事や男女の怪しげな話でも以前であれば、「ほとぼりが冷めるまで」といって、時が解決してくれる部分もあったが、今は全く逆で時間を追うごとに広がっていく状況にある。
 そういう点を特に政治家や企業経営者たるものは、常に頭の片隅に置きながら行動しなければならないし、一歩 というか 一言 間違うと、一瞬でアウトになってしまう。
 そのアウトも頭を下げて謝罪で済むうちは軽傷であろうが、内容によっては即刻退場ということも今の時代大いにあり得ることである。
 では こういったことを防止できるかどうかというのは、手っ取り早いところでは同僚や部下、友人、そして家族の中に、問題点を指摘してくれる人がいるかどうかである。本当に独りよがりほど怖いものはないので・・。
 ただ これがなかなか難しいことで、人間誰しも自分の周りは自分にとって心地よい人で固めたいと思うので、当然のことながら 子供から大人に至るまで心地の良い人間関係は自然と築かれていっているものである。
 私自身も目の覚めている間は言動に気を付けなければいけない中に身を置いているが、ふと考えると一人でいる車の中とお風呂が何とも心地がいいのはこういったことと結びついているのかもしれない。

 「目は口ほどにものを言う」と言われているが、仮に目の表情でいろいろな思惑が表に出ても、言葉にしなければ問題視されることはまずないと思う。やはり口から出た言葉は形の上では撤回ができたとしても、元には戻らないし、取り消すことだってできないものである。
 言葉という観点で捉えた場合、最近の国会中継で、「○○さん、あなた先日・・・・って言ったでしょ」ととにかく言葉尻だけを捉えて論戦に持ち込んでいるの目にするが、こちらの方は言葉だけでなく もう少し問題の本質を議論してほしいなと思ってしまうこともある。

 いずれにしても「口は災い元」ということは、いつの時代でも、どんな人でも共通して言えることなので、私自身も失言のないように心して毎日を過ごしていかねばと思っている。
 最後に 今回の一件をみて自分に言い聞かせる意味で もう一つ誰でも耳にしたことのあることわざを掲げておきます。
   「人の振り見て我が振り直せ」

 では、今日はこれでおしまい。
posted by ヒロイ at 15:47| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年01月31日

No716:コロナで変わった家族観、仕事観

 例年ならお正月になると都会で生活する若者や若い夫婦とその子供が親の住む故郷へ帰省していたが、今回は新型コロナウイルスへの感染を恐れて、帰省は不安と思った多くの親の方が、「今度の正月は帰ってこなくていいよ」と言って 実質的に帰省を断った。
 年に1、2回、子供や孫の顔を見るのを楽しみにして日々の生活を送っているお年寄りは少なくないと思うが、コロナにその楽しみまで奪い取られた形になってしまった。
 もし、年老いた親に持病があり、本来 定期的に会えるはずの家族に会えないまま、病状が悪化して不幸にも亡くなるようなことがあれば、その無念な気持ちは親も子も計り知れないものがあるだろう。
 「また来てね」、「今度はお盆に遊びに来てな」なんていう当たり前のことを口にできないところにこのコロナ対応への苦悩がある。
 「結婚して初めて、主人の実家に行かず、自宅でゆっくり過ごせたお正月でした」ということを少しほっこりした感じで話された奥様もあった。
 どちらにせよ、コロナは会わない家族、会えない家族を自然と作り出す結果となった。
 我が国には、今まで「会ってこそ家族」という考え方もまだまだ残っていたが、この考え自体も大きく変わってくるだろうし、「会えなくても家族」ということを今後どこまですんなりと受け入れることができるようになるのか、これもコロナが課した宿題であろう。

 今日のもう一つのテーマである仕事観も大きく変わろうとしている。
 在宅というテレワークの手法を多くの会社が導入してきているが、これは机を並べて仕事をすることも、“痛勤”とまで言われていた会社までの通勤も必要でなくなった。
 飲食をはじめとする接客業や診療をする医師などは、基本的には対面が必須であるので 上に掲げた勤務形態は当てはまらないが、コロナの感染防止に端を発し、多くに仕事においてそのスタイルが大きく変わろとしているのはご存じのとおりである。
 ただ、いろいろな面において便利になったのも事実であるが、ONとOFFの切り替えが非常に難しくなってくるように思う。
 我が事務所でも、全体の業務把握と決裁事務がある私以外は、ほとんどの者に事務所への出社は週2回程度と制限を加えているが、家で業務をする上での気持ちの切替は結構大変であろうし、逆に時間の制限をかけにくい分、労働時間は長くなっていることもあるような気もする。
 古くは、「仕事を家に持ち込まない」のが仕事と家庭を両立する”できる男”のように言われた時代もあったが、これからの時代、この「仕事を家に持ち込まない」なんていう言葉さえもなくなってしまうのであろう。
 最後にもう一つ、最近 労働(ワーク)と休暇(バケーション)を組み合わせた造語である“ワーケーション”ということが話題に上がってきているが、この「働きながら休暇を取る」という神業のようなことは私にはできそうにないし、何か合点がいかない部分が頭の片隅に残ってしまう。
 休暇前にはとことん仕事をしておいて、休暇中は仕事のことは忘れたいというのが私の休暇に対する思いであったが、この考えとて今や「古い」と言われてしまう世の中になってしまいつつある。このワーケーションもホテルや観光地の旅館の生き残りのためには必要かもしれないが 個人的にはどこまでいっても違和感を拭い去ることはできない。

 今日も多少 愚痴っぽくなってしまったが、別に今の社会を批判しているわけでもなく、何かしら今まで生きてきた世界と違う部分をこうして書き綴ることによって、何とか目の前の現実と融合していこうとしている年取ったおっさんの独り言として聞いてもらえれば十分です。
 今、一番必要なのが柔軟性のある考え方、柔らかい頭なんだろうなと悟らされた今日の内容であった。
posted by ヒロイ at 20:55| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする