2024年05月19日

No.881:日本の中で80℃も気温差がある?

 “日本一暑いまち”を売りにしている埼玉県の熊谷市は過去には他のまちに逆転されたこともあるが、2018年に首位の座?を奪回してからは現在も日本の最高気温の歴代第1位である。
 実は2020年に静岡県浜松市も熊谷市の41.1℃に並び、現在2つのまちが首位に並んでいるという状況である。
 実は先日 ニュースで熊谷市の百貨店前に夏季限定で大温度計が設置され、熱中症対策で各自治体が頭を悩ましているという中で、夏の暑さを競うのを街全体で盛り上げようというなんとも不思議な取り組みが行われており、暑すぎるのもまちの知名度を上げるのに一役買っているという実態がこのことからもうかがえる。
 個人的には確かにこんな暑い所には行きたくはないが、中にはどんな暑いのか体験してみたいという変わりダネの人もいるかもしれないし、とにかく暑さも大事な街おこしといったところなのだろうか。

 例年夏になるとニュースでは「今日の最高気温は〇〇市の□□℃でした」というニュースが飛び交うが、私は関東内陸部である群馬県の桐生、伊勢崎や埼玉県の越谷が頭に浮かんでくるし、同じく海のない県である岐阜県の美濃市や多治見市もよく耳にする地名である。
 私の中では2013年の時点で急にトップに躍り出た高知県四万十川流域の江川崎や現在トップに並んでいる浜松なんかは川や海も近く 涼しげなまちの印象もあるのでこの2つの最高気温は意外な記録である。
 実は私は小さい頃から日本地図を見るのが趣味と言っていいほどの地図っ子、地理っ子だったので、日本で一番暑かったのは1933年に山形市で記録した40℃超え(正式には40.8℃)というのが小学生の頃からずっと記憶に残っていて、当時 学校の先生に「なんで東北なのにそんなに暑いのか」と質問したところ、「夏に日本海側で起こるフェーン現象の影響で急激に気温が上がったため」とフェーン現象の意味を交えて教えてもらったことを今でも覚えている。
 当時は真夏でも32℃、33℃くらいになるとやってられないというような状況だったと記憶しているので、この40℃というのは人間が溶けるのではと子供心に心配したこともあった。
 この山形市は2007年に岐阜県の多治見に抜かれるまでなんと74年間も一番暑いまちを死守してきた。

 暑さのついでに寒さも調べてみると日本の観測史上最も低い気温は1902年に北海道の旭川で記録した-41.0℃であった。
 今 時期的に寒さのことはあまり関心がいかないが、日本の中で上下80℃の差があることに驚き、日本って小さな国なのに「すごい」と思ってしまった。
 われわれ日本人はこの80℃の差の中で生活していると考えれば、夏に5℃上がったとか30℃になったなんていうのは決して驚くようなことではないなと捉えることもできる。
 ただ 地球の温暖化により私が子供だった頃とは地球も日本も様変わりしてきているのは誰しもが肌で感じることである。
 今日は仕事には全く関係のない話しであったが、日本の中のいろいろなまちを思い浮かべたり、季節を感じたりするという面では、こういった話は自分では久しぶりにウキウキする楽しい内容であった。

 今年は夏の甲子園も数日ではあるが日中の中休みをとるという初めての試みもあるし、どこもここも熱中症対策には万全の注意が必要となってきている。
 甲子園の暑さ対策は各方面で毎年論じられるが、実は野球以外のほとんどの種目が対象となる全国インターハイも真夏に行われ、陸上競技も福岡市で7月29日から開催されるが、このインターハイの暑さ対策ってあまり聞かないですね。男子5000mや女子3000mの選手への負荷は甲子園以上のようにも思いますがね。

 暑さも徐々に本番に近づいてくるようだが、しっかり暑さ対策をして何とか夏を乗り切りたいものである。
 まだ5月なんですが、毎年夏が早まってきているように感じてしまい、「春がない」というのが実感です。ただ、気のせいか今年は今のところ少し過ごしやすい日が続いているように思うが私だけですか これって?。
 ただ この後はどうなるのか 月曜日からが心配です。
 では、今日はこのへんで。
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2024年05月12日

No.880:熱い社長との1時間半

 先日 個人的に付き合いのある会社の経営者が事務所に相談に来られた。
 顧問先ではないのでその会社の経営内容までは知らないが、15年以上も前からお付き合いがあり、たまにいっしょに仕事をする機会もあるという間柄であるがお互い取引関係はないので気兼ねなく話し合える仲間の一人である。
 私の場合は同業者である税理士とは本当の意味で腹を割って話せる人はそう多くないし、顧問先に多いお医者さんは 仮に顧問先でない先生であっても何かの関係で仕事に影響するのでは と何かしら無意識のうちに構えて話をしている自分に気付くことがある。
 そういう意味で今回の経営者は本音で話ができる方である。

 この方の会社は40人ほどの社員を抱えておられるが、創業者ではないし、また創業者とは全く血縁関係もなく いわゆる就職した会社の中で上り詰めて社長になった方である。
 中小企業の二代目あるいは三代目として社長なったという私の周りに多い形とは違う形で社長になられた方で、年齢も50代前半なので、年齢的にも世間でいう一番 脂の乗ってきたいい時である。

 こういった経営者にとってはやはり社員や取引先からの”求心力”をいかに高められるかでということで悩んでいるとのことであった。
 私も経営者になって16年目の身なので、あるべき経営者像なんて語れるはずもなく、日頃 自分が気をつけていることや何かの節目で判断しないといけない時、何をもって決断を下していっているのかということを話した。
 ここでその内容を全て語るわけにはいかないが、5〜10人の組織であれば まだまだ社長の一存ですべてが決まる いわゆるワンマン経営であっても経営は成り立つが、最低でも15人以上の人数になると自分一人では把握できないこともたくさん出てくるので ”人に任す”ということが重要になってくる。
 ただこの ”人に任す”ことと、経営者の意思を社員にいかに伝えたり、社内にいかに浸透させるかということとの狭間での自分の立ち位置を考えり、どのタイミングで決断の下すのかという点では本当に難しいものがある。
 私自身も答えを持ち合わせていないが、この術に長けた経営者こそが会社を大きく展させていっているのだろうと思う。
 私がスタッフとの関係で心掛けているのは、お気に入りに人とそうでない人と というのを作らない、別の言い方をするとすべての人のことを気に入る、これって一見難しいように見えるが、「こいつのいいとこどこだっけ?」なんて考えていると自然に身に付く芸当である。
 もしかすると人間は元々あら捜しが好きな動物なのかもしれないが、その逆をすればいいだけであるし、決して全てを褒めちぎるわけではなくダメなものはダメとはっきり言える関係さえ作っておけば、恨んだり憎まれりすることもない。

 この日 この経営者は、「社長経験も浅いので、まだまだ知識が不十分である経営数値の読み方を学ぶことに重点を置こうと思っているんですが、この考え間違っていないでしょうか」と私の方へ問いかけられてきた。
 私は自分の過去の経験に思いを馳せて、「もちろんそれも大事ですけど、経営者が勉強しないといけない分野は限られたものではなく 全てですよ。特定の分野だけ学んだって経営ができるわけではないし。ただ知識は向こうからやってきて頭に入るものではないですから取りにいかないと。全ての分野において。」なんて偉そうに答えた。自分はたいしてできてもいないというのに・・・。
 どんな事業でも日々動いていて、常に何かが起こってしまうので、それに対処しているだけで1日、そして1週間があっという間に終わってしまうことだってある。
 言い訳するとこういった行動こそが、自分を進化させているのかなと勝手に良いように解釈している。

 この社長との話の中で何か結論が出たわけではなかったが、久しぶりに本気で顧問先以外の方とじっくり話ができ、熱いものが頭に残る1時間半の時間であった。
 あらためて考えると刺激がないと進化も進歩もしないなというのが結論のようである。

 今日は朝からすっきりしない天気である。
 講師を引き受けている3つのセミナーの準備をしながら少しゆっくりと と思っていたが、こんなブログを綴ったがために「あれもしないといけない、これもしないといけない」なんて仕事の進捗状況に目を向け、自分を焦らすような休日になってしまった。

 今日はカミさんが、「ポポ(ワンちゃん)の散歩頼むで」と言って早朝から出かけているので、もう少しすると朝に続いて夕方の散歩に出かけることになる。  
 実は休日のこの散歩の時間 結構好きなんです。では・・。
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2024年05月05日

No.879:京都に日本人は来なくなった?

 今日は5月5日 こどもの日であるが、GWも明日の5月6日を残すのみとなり、毎度のことであるが大型連休の後は大変な日々が待ち受けているのだろうと段々と心のどこかに暗い気持ちが押し寄せてくる頃である。
 休み中は京都市内での移動はあったものの京都から出ることもなく、私個人としては比較的落ち着いた連休であった。

 観光都市と言われている京都であるが、外国人観光客の多さには慣れたとはいえ、ふと「ここはどこ?」と思ってしまうこともある。
 観光地のバス停、その中でも私が仕事の関係でよく通る二条城前では外国人の中に少しだけ日本人の待っている というのはおなじみの光景になってしまったが、外国人観光客が大幅に増加した裏では、日本人観光客の京都離れは進んでいるという記事を目のしたことがある。
 データに目をやると、京都市の宿泊者数の外国人比率は47%と宿泊客のほぼ半分は外国人という驚きの数字であり、桜や紅葉の季節は外国人観光客の比率はさらに高まり、50%を超えてきているらしい。
 その背景には円安の影響もあり、外国人にとっては「日本は安い」、「京都は安い」というのが実感であろうし、この金銭的な感覚は日本人とは真逆の受け止め方であろう。
 宿泊施設の平均客室単価もコロナ前の水準と比較すると25〜30%近くアップし18,204円となっているが、驚きはそれだけではなく、花見の季節の4月に限ってみると、22,451円と驚きの金額である。
 私の東京の友人も昨年の秋に所用で京都に来た時には、予約を取ろうとした二つのホテルが満室でやっととれたホテルはシングルで4万円近くしたと驚いていた。
 「噂では聞いていたけど、そりゃそう簡単には京都に来れないよねー」という言葉が今の日本人の気持ちを代弁しているようであった。

 以前は東京に行くと「そうだ京都へ行こう」というJR東海のポスターが東京駅にたくさん貼ってあったが、今はどうなっているんでしょうね。そう簡単には京都へは行けないないもの・・。
 この現象を見てみると修学旅行もなかなか京都には踏み込めないだろうし、どうしても京都にという方にとっては、京都観光をして京都以外で泊まるという形も増えてきているらしい。
 街中を走る観光バスも半分以上が外国人旅行客を乗せたものになっているし、修学旅行だけでなく、そう言えば おっちゃんおばちゃんや老人会などの日本人の団体旅行客なんてほとんど見かけなくなって久しい。
 もうコロナのようなことはないだろうが、国内の旅行客から見放されていく状況の中で京都、特に観光業界の行く末はどうなっていくのであろうか?
 オーバーツーリズム(観光公害)の問題もいろいろと対策は打っているようであるが、なかなか根本的な解決には至ってないようである。

 以前は“京都の人” という言い方で京都以外の人からは多少うらやましがられるようなこともあったが、これからは 京都の人 と聞くと「大変そうですね」って言われるんでしょうかね。
 「これからどうなる京都、どうする京都」、こういった問題は京都の一市民としては、明るい未来ばかりではないし、どちらかというと「住みにくい京都」に向かっているような気がしないでもない。
 観光業界をはじめとし、京都の経済界が潤うことは財政的には重要なことであろうが、住まいとの共存という点ではなかなか難しい問題である。
 祇園祭をはじめとするいくつかの大きな行事も少しずつ趣が変わってくるように思うし、我々が変わっていくことも必要なのかな? なんて弱気な一市民になってしまっている部分もある。
 今や「日本人の憧れの街」から「世界の人が憧れる街」に変わってきているんでしょうね。
 でもこれって“住む”ための憧れではないですしね。行ってみたい場所と住んでみたい場所 ここには大きな隔たりがありますから。
 住みにくい街ランキングの上位にならなければいいんですがね。
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2024年04月29日

No.878:“夢の蓄積は正夢になる”

 GWは3連休+3日間仕事+4連休で いわゆるカレンダーどおりとなっており、今日は最初の3連休の最終日である。
 長期の旅行をする予定でもあれば、真ん中の3日間を休日にすると10連休となり、海外も含めほとんどの場所への旅行が可能となるが、そんな予定のない私にとっては途中の3日間の営業日で少し仕事も進められ、また全体としては結構休みも多く なかなか並びのいいGWという感じである。

 休み中とはいえ仕事の話になってしまうが、先日 本当に久方ぶりに顧問先から契約解除の申し出があった。
 その顧問先は開業10年近くになる医療機関で、業績は悪いわけではないが もう少し上を目指してもらおうという意味も込めて、私共から考えられる増患対策を提案したり、実行したりしているものもあるが、ここ数年 収入も所得もほぼ横ばいで推移し もう一歩抜きんでられないという状況が続いている。
 過去において医療法人化の相談もあったが、現時点ではそれほどメリットがないので個人のままで事業を続けられてきた。
 今回、あるコンサルさんに相談された結果、クリニックの移転と医療法人化を提案されたとのことであったが、私は経営数値を見る限り 現時点ではまずはスタッフの雇用の安定化を図りながら、多少新しい分野にも手を広げつつ、一方ではコロナ禍に借りたそれなりの固まった金額の借入金をまずは順調に返していくことが第一優先である と何度か説明をしてきた。
 ただ今回の解約の理由を聞くと、私共が経営規模や現状分析の結果を踏まえた 多少のブレーキも効かせながら一歩一歩階段を上がっていくようなアドバイスではなく、結果的には次なるステージを目指して、もっともっとスピード感を持ちながら駆け上がっていくためのアドバイスや後押しが欲しかったのではという気がする。多少の無理があったとしても・・。
 今回の話を聞いて、従業員の定着、停滞気味の収入など目の前に早急に解決しないといけない問題も残されているので、正直 今回の決断は多少冒険かなと思わないわけではないが、このドクターにとって私の堅めの考え方だけでは自分の思いが実現しないと思われたのであろう。

 実は私が16年前に開業した時にHPの所長のあいさつで “夢の蓄積は正夢になる” と書いていたことを思い出した。
 「・・・・・私共は、一人一人異なる夢を抱かれているお客様(顧問先)に対して、それぞれの方々の“夢”や“想い”をお聞きしながら、その実現のためのお力になれればということです。・・・・・一人でも多くの方の“夢”が“正夢”になるように。」
 私自身も開業して間もない頃は自分が食べていけるかどうかわからなかった中で、やはり熱い思いや夢を持っていたんだなと当時のことが頭に浮かんできた。
 今回 顧問契約が解除された原因は一つだけではないかもしれないが、こちらからのアドバイスではこのドクターの夢を実現しづらくなっていっていたんだな と反省せざるを得ない。
 このドクターは電話口で私に対しても10年間の寄り添いながらお付き合いをしていただいたとお礼もきちんとおっしゃった上で、「私の夢であるクリニックの移転と医療法人化をかなえてくれそうなコンサルさんと税理士さんが見つかったんです」と悪びれる様子もなく、普段 おとなしめの方であるのにこの時はこちらにも躍動感が伝わるような声で電話の向こう話されていた。

 事務所として10年近いお付き合いの中で、いろいろな相談にも経営指標の分析結果を踏まえた上で回答していたが、もう少しご本人に熱い思いにも耳を傾ける必要があったのではと反省する部分がないわけではない。
 ものごとが実現するには、運やまぐれででできるものではなく、目標達成に向けた綿密な構想と誰にも負けないくらいの熱い想いが必要であることは私自身が一番わかっているはずなのにその意が汲めなかったとは少々情けない気もする。
 正に “夢の蓄積は正夢になる” と言ってたのは私自身のはずなのに・・。
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2024年04月21日

No.877:国スポ(国体)は廃止されるのか?

 スポーツ選手、特に甲子園が目標である球児以外の高校生にとってはインターハイと並んで憧れであり、目標であった”国体”は、今年の佐賀県で開催される大会から名称が変わり「国民スポーツ大会(国スポ)」となるらしい。
 我々の世代にとっては国スポよりも国体の方が馴染みがあるし、私もかつて田舎の高校生としては珍しく京都市内の強豪校の選手を破って出場した時は、「増生君 国体でるんだって」とか「国体選手やな〜」と言われるのが何とも言えないうれしさというか、誇らしい気持ちだったことを覚えている。
  “国スポ選手”と言われてもまだ馴染みがないので、「それって何?」という感じがしないわけでもないが、これも時代の流れなので致し方ないのかもしれない。ただ この大会名の変更は正直少し寂しい感じがする。
 その名前を変えた国スポを今後 継続するか否かという議論が現在行われだしている。
 主な理由は、日本の中で起こっている都市部と地方の格差、つまり選手層や開催する都道府県の財政力に差があり過ぎて、人口が少なかったり、財政力の小さな県では開催することの負担に耐え切れないという問題が発生してきているようである。
 こういったことを捉えても、本当に日本は力がなくなってしまってきているな、そして国内でのいろいろな局面で格差が広がってきているなと思わざるを得ない。
 また、世界に目を向けてもGDPは長年 アメリカ、中国に次いで世界第3位であったのが、昨年ドイツに抜かれ第4位、来年にはインドに抜かれ第5位となることが確実視されているようである。
 ここまでなら日本も人口減少国なのでやむを得ないかなという気もするが、将来に目を向けると約25年後の2050年にはインドネシアにも抜かれ第6位、そして50年先の2075年には12位となるという予測が出ている。
 今の若い人にとっては「それがどうかするの? 」、「私たちに何か関係あるん?」と一蹴されそうであるが、小さい頃から日本はこんな小さな国なのに国力はアメリカに次いで世界第2位ですごいんだぞ と教え込まれてきた我々の世代にとっては今後日本はどうなるの? と先のことを考えてしまう。
 ただ、その頃 私はこの地球上にいないのでそんな心配をしても仕方ないのだが、一応 子供や孫も含め次なる世代のことが気にならないわけでもない。

 GDPや国力の話はさておき、国体の話が出てきたので私が国体に初出場した高校1年生の時のことを少しだけ綴らせていただく。
 国体は学年や年齢によって出場できる選手が分かれており、少年Aというクラスは、今では中学生も出場可能となっているようだが、当時は高1のみが出場できる登竜門的なクラスで、トラック競技では200mと3000mしかなく、400mの選手だった私は京都府予選では200mに出場した。
 下馬評では100mでNo1の東山高校 黒川君、200m No1の洛南高校 中村君の一騎打ちかなと京都陸協のコーチ陣も思っていたらしいが、400mでは私も一応 京都府の高1 No1であったとはいえ、片田舎の公立高校の私はよくても3位と思われていたらしい。
 それがまぐれか実力かは分からないが、何と私がトップでテープを切ったので各校の先生方はびっくりされたと後で聞かされたし、当時私の高校の顧問の瀬野先生がゴールをした私の所に飛んできて、「廣井、してやったりだな」と私と握手するのになんとも誇らしげに手を差し出されたのを覚えている。
 長野県の松本市で開催された やまびこ国体の開会式には京都府のユニフォームを着て京都府選手団として、開会式に出たのを今でも鮮明に覚えている。晴天であったが少し肌寒い 忘れもしない 昭和53年(1978年)10月15日のことである。
 確かにスポーツにあまり興味のない人であれば、こんな話はそれほど関心もないかもしれないが、私のようなに 学生生活=クラブ活動 という者にとっては本当に貴重な体験であり、その後7年間 陸上に没頭するきっかけにもなった宝物のような思い出でもある。


 話がえらいところに飛んで、最後は私の自慢話?になってしまったが、国スポ(国体)廃止の議論がされるたびに寂しい気持ちになる者もいるということで今日の話はお終いにということする。
 独りよがりかもしれないが、若い頃のことを思い出すと何だか体が元気になってきたような気がする。何とも単純ですね私って。
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2024年04月14日

No.876:事務所の個人面談は終わった後の方が大変

 事務所の幹部3人が先週の火曜日から金曜日まで 4日間かけて、パートを含む18人の従業員と個人面談を行った。
 1人30分を目安としているが、15分程度の人もいれば、中には50分を超えるような人もあり 人によってさまざまであった。
 事務所開業以来 一昨年までは、私が所長面談という形でみんなと個人面談を行ってきたが、全ての人に対して周到な準備が十分できてから面談を行っていたとは言い切れず、またその面談もそれほど深く内容ばかりではなく、中には形式的な面談だけで終わった人もあった。
 それが昨年からはスタッフも多くなってきたし、せっかく面談するのであれば、双方 頭の中もきちんと整理した上で面談した方が、面談結果を今後に活かせるのではという思いから、事前に渡しておいた質問シートに対しての回答を提出してもらった上で、面談に臨むように形を変えて面談をするようになった。
 今年はこの形式になって2回目なので当然のことながら今回の回答書だけでなく、昨年のものも比べながら面接を進めていくことができた。
 面談の内容はそれぞれ個人的なことも含まれているので ここでは触れないが、昨年の回答書に書かれたことがどこまで実行に移せたか検証しながら面接を進めていった。
 こんな時に当然のことながら過去を振り返って検証することの大切さも感じながらも、過去を振り返るだけでなく、いかに次の一年を過ごしていくかを考えることが重要であるかということも感じた。
 これは 家庭や仕事を含む日常生活だけでなく、過去では受験勉強もそうであったように「過去を振り返ることはどこまで必要なのか」と誰しもが悩む部分でもある。
 何が言いたいのか少しだけ整理をしておくと、過去を振り返ることは重要であるが、過去にこだわりすぎるとなかなか前に進めない場合もあり、この切り捨てていい過去とまだまだ頭の片隅に置いておかないといけない過去の振り分けが結構難しく、またこの部分は人によって違うなと感じたところでもある。
 新たなことに取り組むときには、過去の反省点を踏まえてというのが一般的であろうが、逆に過去を引きずることなく、断ち切って新しいことに取り組むことも大事なような気がするし、これによって新しいことに対しての加速力・推進力は大きな差が出てくるように思う。
 世の中の動きは想像している以上に早く、我々の業務もその動きに取り残されないようにしないといけないし、会計や税務の知識の積み上げやメンテだけでなく、いろいろな事務所の業務において、「あの事務所 まだあんな方式のままやってるで」なんて言われたら、顧問先もそして事務所のスタッフもその船にいっしょに乗って進んでいこうという気が失せてしまうのかもしれない。
 今回の面談でも個々の考え方や改善すべき点についてはそれなりに話ができたし、「IT化に乗り遅れないようにしていきましょう、そのためには〇〇も導入して・・」、「○○の業務にも関わっていかないと・・」という次を見据えた意見を言う人も何人かいた。
 面談は当然のことながら される側の責任もあるが、面談をする側の責任の方が何倍も重要であるように思うし、その面談での意見をいかくみ上げて、いい方向へ向かうように活かしていくのは経営者の重要な役割である。
 すぐさまできることから、1年がかり、あるいはそれ以上の日数を要することもあるが、目の前に課題は出揃ったので、近日中にその対応策を検討、そして決定し、実行に移していかなければならない。
 面談って実施前の準備も結構大変であったが、実は面談後の方がずっと大変で、重要であるということは今までの経験からもよくわかっている。
 みんなから「言うだけ言わせて」とか「聞くだけ聞いといて」なんて思われてしまったら、面談の意義は全くないし、「しない方がまし」なんて思われてしまったら、意義どころか経営上 大きなマイナスとなってしまうこともある。
 昨年の面談記録を見ても事務所側が手を付けずにほったらかしのものがあったのも事実であるので、検証と反省は不可欠である。
 それにしてもいろんな提案があったし、みんないろいろなことを考えながら仕事をしてくれていることがわかり、こちらが身の引き締まる面接であった。
 最後に感想を一言、「みんな真面目やな」。
posted by ヒロイ at 16:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年04月07日

No.875:相続の仕事って本当に考えさせられることも多いな

 最近 相続税の申告業務の依頼をはじめ相続に関する相談が非常に多い。
 相続と聞けば以前はついつい資産家というイメージを抱きがちであったが、最近の相談は、「多額になりそうな相続税をどうしよう」という税に関する事前相談や申告の相談だけでなく、「財産の分割(取り分)で揉めそうだ」とか、「親が認知症になってしまいそうなので事前に手を打つべきことは」という誰でもが直面しそうな相談も結構多い。
 ここでは相続税の節税対策や相続発生以後の申告に向けての話は少し横においておくが、いろいろな方々の相談を受けてまず思うのは家族関係が複雑になってきているなということである。
 少し古いが家父長制度であった頃は、相続財産の件に関しては良くも悪くも長男がとか跡取りがということで比較的揉めることなく決まったのであろうが、現行法の下ではそんなことは許されないし、当然のことながら 法に則った形での結論や導きが基本となる。
 相続人も全国あちこちに散らばっているケースも珍しくないし、職業も親の跡を継いでいるなんていう人はほんの一握り、たぶん数パーセントであろう。
 そういう意味において多かろうと少なかろうと財産をどう分けるのがいいのかというの親側の悩みも多いような気がするが、こういった時に後々 意外と厄介になるのは親側の意向がコロコロ変わるケースである。
 以前は長男に多めにとおっしゃっていた方が、あることがきっかけで長男にだけは財産を相続させたくない と1、2年前におっしゃっていたことと正反対のことを口にされる方に出会ったこともある。
 私も親は両方とも亡くなったので今後 親から相続を受けることはないが、財産があるにせよないにせよ、被相続人になることはあるので目の前で起こっている相続案件はいろいろな面において非常に勉強になる。
 少しだけ話を戻すが、
 先程も親側の態度や気持ちがフラフラして定まっていないことが相続で揉める要因になりかねないと言ったが、60代ではまだまだお金もいるし、自分が生きていくのが精いっぱいなのでなかなかそこまでは決めきれないかもしれない。
 ただ、70を過ぎるころからはある程度 道筋を決めておく必要があると思うし、80を過ぎてからでは自分の考えの整理もなかなかつかないこともあるし、相続で一番困る 感情に左右されがちになるというのも80代以降の方が多いように思う。
 亡くなってしまえば、本人は何もわからないと言ってしまえばそれまでであるが、やはり子供や孫たちがたまには思い出したり、離れて暮らしていれば毎年とは言わなくとも1、2年に1回くらいは墓参りに来てもらえれば、生きてきてよかったと言えるのであろう。
 私の周りにも親子、兄弟で揉めて墓参りや法事にも顔を出さない、あるいは出せない関係となってしまっている方もいらっしゃるが、揉めているのは子供たちだけのせいだけではなく、親が生前にきちんと親子間や兄弟間等の親族関係の整理ができていなかったことがその最大の要因であることは間違いない。
 相続の仕事をしていて、財産のことなので全てが平等ということにはなかなかならないが、それぞれの相続人が100%とは言わないまでも、一定のところまでは納得して判を押される相続案件に関わった時には、いいお手伝い、いい仕事ができたと私の方まで亡くなった被相続人に対して「よかったですね」と思わずつぶやいてしまう。
 
 話し話だけに少し熱くなってしまったが、仕事柄 今後いろいろなケースに遭遇するであろうが、いい形での終い方ができるようにするのも私たちの仕事の役割の一つかもしれない。
 長寿社会になってきてはいるが、それと同時に亡くなっていく人も非常に多いように思うし、事務所で抱える相続の事案も今まで以上に多くなってきているので、そういった相続の仕事をしながら、その奥深さを以前にも増して感じる機会も増えてきている。
 人の死に際が取り上げられるケースはほとんどないが、人間って死に際が一番大事なんだろうな 手を休めながら考えている。
 今日は休日であったが、どうしても落ち着いて静かな中で仕事がしたかったので事務所に出向き、亡くなった方から何度も手を握られたことを思い出しながら申告のための資料整理をしていた。
 若い人には申し訳ないが、親の立場、子の立場 両方経験していることも役に立っているんでしょうね。
 人生 いろいろあるものね。
posted by ヒロイ at 18:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年03月31日

No.874:久しぶりの税務調査

 今日は年度末の3月31日であるが、休日なのでビジネス上での区切りは3月29日(金)につけて、特にバタバタすることもなく普通の休日を過ごしている方も多いのでしょう。
 月末が休日と重なったので1月決算法人の申告・納税の期限は4月1日(月)となっているが、我が事務所では3月29日(金)に電子申告を完了しているので、明日の4月1日に何かを取り立てて行うことはない。
 今日の午前中は久しぶりにワンちゃんを連れて宝が池まで行ってきた。
 桜の花はまだ まばらの さらに一歩手前という感じではあったが、自宅のすぐ近くにあるお気に入りのスポットを半年ぶりに訪れ、束の間とはいえ時間を忘れのんびりと過ごすことができた。

 明日からは4月ということで一般的には新年度であり、学校はまだ始まっていないが、多くに会社では入社式が行われるのであろう。
 我が事務所はこの時期に入ってくる人はいないので、特段何かの行事があるわけではなく、通常の月初、通常の月曜日を迎えるという大きな区切りもない年度初めである。
 ただ、明日は2月中旬から日程調整していたある顧問先の税務調査の初日で、4月1日から始まる税務調査というのは40年近くこの仕事をしているが初めての経験である。
 コロナの頃は、税務調査もかなり制限や制約のある中で実施されていたし、コロナがピークの頃は税務調査自体 実施されていない時期もあったので、税務調査があるということで日常が戻っていることを肌で感じてしまうが、いくら税理士とはいえこんなことでコロナ後を感じるというのはうれしくもなんともない。

 税務調査の件数は、私がこの仕事をしだした頃と比べて、相対的に減ったという印象を持っているが、これは決して税務署が甘くなったというものではないと捉えるべきであろう。
 税務の世界も電子申告が浸透してきたり、いろいろなことがデータ化されてきたことによって、税務調査の対象となる事業所だけでなく、取引先のデータや資料は税務署は事前に確認していることもあり、その場でバッタリ 初めての遭遇する内容 というのは以前より少なくなってきているように思う。
 顧問先にとっても税理士である私にとっても税務調査は少ない、あるいは ないに越したことはないが、これは申告納税制度の下で申告の内容を確認するという点ではやむを得ない“作業”なのであろう。

 あまりここでいろいろなことを書いてしまうと、もしかすると税務調査官が立ち会う税理士のブログを読んでいたりするといけないので、調査の心構えなんていう税理士が顧問先や納税者の方々に伝えたいようなことはここでは綴らないようにする。
 あまり他の税理士と比較をしたことはないが、税務調査の件数は比較的少ない方かと思うが、税務調査がなさすぎるのは、それはそれで緊張感がなく、経営者のとっても、また税理士(事務所)との関係にとっても決していいことばかりではないなと思う時もある。でも、ないのが一番ですがね。
 経営者の方々は売上アップをはじめとする経営の戦略を練るだけでなく、従業員との対応等 いろいろな方面のことを常に頭で考えながら日々過ごしていかないといけないが、滅多に声の掛からない税務調査は全ての経営者の方が遭遇したくないことのトップであるだろう。
 税務調査で経営者も会社も、そして税理士(事務所)も張り詰めた感はあるが、これも事業所をいい方向に向かわせる過程の一つくらいと考えて対処するのも必要なことであるように思う。何かにつけてピリッとするもの。

 ピリッと感だけで終わり、ドキドキ、ヒヤヒヤがなく進めばいいのだが、こればかりは明日にならないとわからない。
 私自身 確定申告が終わってホッとしたいところであるが、そう簡単にホッとさせてくれそうにない。
 4月1日が税務調査で始まるのは、よい新年度なんですかね?  それとも・・・。
posted by ヒロイ at 17:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年03月24日

No.873:聞くだけでなく、見入った演奏会

 廣井と言えばスポーツか と思われている方も多いかと思う。
 確かに若い頃 自分でもやっていた野球と陸上には人以上に関心があるし、子供がしていたサッカーも機会があればテレビだけでなく、競技場まで足を運ぶこともある。
 スポーツには数えきれないほど競技の数があるが、あらためて考えてみると今まで、特に若い頃 熱心に取り組んでいたものは屋外での競技ばかりで、屋内競技で経験のあるのは体育の授業であったバスケット、バレー、卓球、それに道場で行う柔道等、本格的に取り組んだものはない。
 今でも屋内より外でするスポーツの方にどうしても惹かれてしまうが、今日もセンバツ高校野球は順延になっているように天候に左右されやすいという側面がある。
 ただ、その天候とてある意味、前日から天気を気に掛けたり、天候そのものを楽しんだり、また 試合の行方を左右するという点も屋外スポーツならではのもので、またそれが興味をそそられる要因なのかもしれない。
 こんな私なので文化・芸術の分野への関わりは非常に薄っぺらなもので接する機会も限られているが、先日 有名なピアニストのコンサートのチケットが手に入り、大阪のザ・シンフォニーホールまで行ってきた。
 京都コンサートホールやロームシアター(まだ京都会館と呼ばれていたころ)には何度か足を運んだことはあるが、今回の大阪シンフォニーホールは初めてであった。
 行ったのは3月20日の祝日であったが、天気が悪く、会場に行き着くまでにはハプニングの連続であった。
 まずはJRで大阪まで行こうと思っていたが、人身事故で運転見合わせを京都の地下鉄の中で知ったので、急きょ阪急に切り替え、その乗った阪急は信号待ちを何度も繰り返し、10分以上延着であった。
 そして最後は大阪から一駅の福島までJRの大阪環状線であるが、ここでも強風のため運転見合わせで15分以上電車が動かなかった。
 福島駅からは10分ほどなので歩いていくつもりでいたが、改札を出たのが開演の10分前であったので目の前に停まっていたタクシーに飛び乗り、5分前に会場について何とか間に合った。
 こんな慌ただしい移動であったが、有名なピアニスト 清塚信也の演奏、そして休憩の後は大阪フィルハーモニー交響楽団の演奏と音楽を知らない私でさえも本当に聞き入るような素晴らしい内容であった。
 確定申告明けの疲れた体で行ったので途中で眠くなるかなと心配していたが、最初から最後まで食い入るように見ながら、その音楽を楽しだ。
 スポーツは何度も見に行っているので、始まる前から試合終了までの一定の流れも分かるが、ほとんど触れる機会のない音楽は2時間半くらいのコンサートの時間の流れが全て新鮮で体が疲れるどころか、家でごろっとしているよりずっと英気を養えた。
 また、全ての人の動きが躍動感あふれるものであったので、聞き入るというだけでなく、しっかりと目で見入ってしまったというのが本当のところである。
 なかなか時間がとりにくい日常であるが、京都のコンサートホールなら歩いて10分ほどのところにあるので、またいい演奏会があれば行ってみたくもなった。
 最初は気晴らし程度のつもりでチケットを手に入れたが、あのピアノ演奏は音以外にも、ピアニストの指先だけでなく体の全身を使って演奏する姿にはこれぞ“真髄”という感じがした。
 何事もそうであるが、一流に接することは自分にも得るものがたくさんあったと思いながら帰ってきた。
 スポーツ人間からの柄でもない演奏会の報告でした。

 天気がいま一つ冴えないこともあって、桜のつぼみはいったん休止状態というところですかね。
 3月もあと一週間となってしまいましたが、年度末 しっかり締めて4月を迎えたいものです。
 では また。
posted by ヒロイ at 17:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年03月16日

No.872:“旬”を逃したスポーツ選手

 久しぶりにスポーツの話です。
 スポーツの頂点と言えばやはりオリンピックであるが、オリンピック以外にも世界選手権、サッカーやラグビーならならワールドカップ等、種目によって多少違いはあるがこういった大会は日本だけでなく世界中が注目する。
 スポーツによって強い選手の捉え方は違うし、陸上でも速い選手=強い選手ではないこともある。
 これってどういうことかというと、世界記録保持者、つまりその種目で世界で一番速い人がオリンピックで勝てるとは限らないということ。
 私が思う一番強い選手というのはやはり上記のような大きな大会で勝てる、あるいは活躍できる選手であって、それは世界記録保持者とは限らないということである。
 マラソンを見ていると、30qあたりから 走っている選手同士でいわゆる駆け引きが行われ、その駆け引きの結果脱落していく者もいるが、最終的に残ったものが金メダルを獲得することになる。
 もちろん他の競技でもよく似たことはあるのであろうが、大きな大会、特に4年に一度のオリンピックで勝つためには、さまざまな要因が揃って初めて栄冠を勝ち取ることになるのであろう。
*覚えておられると思うが、全盛期のボルト選手(男子100m)は、誰もが認める世界で一番早く、世界で一番強い選手でしたね。

 ところで今日の本題に戻るが、どの種目でも4年ごとに開催されるオリンピックであるが、その開催年でなく狭間の年に最高の成績を収めるが、2年後のオリンピックでは調子は下り気味であったりすることもある。
 今日のテーマで私が一番に思い浮かぶのはバドミントンの桃田賢斗選手である。
 2016年には世界ランキング2位となり、いよいよリオデジャネイロオリンピックという時に、違法カジノ店で賭博をしていたことが判明し、オリンピックでメダルが有力視されていたにも関わらず、推薦を取り消された。
 そして復帰後、2018、2019年と2年連続で世界選手権で優勝し、2020年の東京オリンピックでは金メダル候補であったが、こちらはコロナでオリンピックが延期され、その年(2020年)の1月にはマレーシア・マスターズで優勝した後、空港への移動中に交通事故に遭い、運転手は死亡、そして百田選手は顎や唇 そして全身打撲の大けがで入院を余儀なくされた。
 そして1年遅れで開催された東京オリンピックは期待されていたが、なんと第2戦目で敗れ、予選リーグで敗退した。
 長々と桃田選手経歴を綴ったが、2つのオリンピックの前年にはほぼピークで世界一も夢ではなかったが、最初はとばく事件で実質出場停止、そして東京オリンピックは延期と交通事故とほんとに人生のサイクルとオリンピックのサイクルが少しずれてしまったがための結果である。
 もちろん賭博行為はスポーツ選手としてだけでなく、一人の人間として猛省しても許される行為ではないが、今回掲げたアクシデントがなければ、2つのメダル、もしかすると金メダルを2つ取っていたかもしれない。
 あと、もう一人頭に浮かんでくるのが水泳の瀬戸大也選手である。
 世界選手権で4つも金メダルを取って、東京オリンピックも金メダル候補であったが、東京オリンピックが当初開催予定であった2020年に不倫騒動が発覚し、活動(練習)停止の処分を受け、その翌年出場した東京オリンピックは1種目は4位になったものの、他の2種目は予選敗退であった。
 こうしてみると ここぞという時に自分の旬がぴったし合った者こそ最高の成績を収められるのがスポーツの世界であるなとあらためて感じさせられた。悪事を働いたのは論外であるが。
 女子のマラソンで金メダルを獲得した高橋尚子選手と野口みずき選手はもちろん実力はあったが、本人の旬とオリンピックの開催時期がピタッと重なったことも良い結果をもたらしたことと無関係ではないであろう。
 別にスポーツの世界だけではなく、受験、それに人生もこの旬を合わせるのは至難の業であるが、これを合わせられるのが真の実力者なのであろう。
 今日は万人受けする内容ではないかもしれないが、以前から 世界一強かった桃田選手がメダルをとれなかったのも彼の人生そのものであり、人生って本当に難しいなと思っていたことを今日ここで述べさせてもらった。
 でも人生の中での旬って、捉え方を変えれば一回きりではなく、誰しも2、3度はあると思いますよね。

 昨日で確定申告も期限を迎え、今週は先週とは少し違った気分で週末を過ごしています。気候もいいですしね。
posted by ヒロイ at 18:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする