2017年11月19日

No551:相続の仕事から考えた ”人の死”

 顧問先関連の方、それに個人的な知人からの紹介を含め 今年も何件かの相続税の申告業務の依頼があった。
 ご存知のように相続税の申告期限は相続開始日(死亡日)から10ヶ月以内となっているので、今年の春以降に亡くなられた方の申告は年をまたがり来年以降になる方も何人かいらっしゃる。
 相続の仕事をする上では、有利な形での分割方法や相続税額を少しでも抑えた申告を導き出すことが重要な仕事であるが、それ以外にも次の世代の資産の分配や残された相続人の今後の生活についても十二分に配慮したうえで結論を出すことも求められている。
 このように相続の仕事の依頼があると、ついつい相続税額や遺産の分割の方へ関心がいってしまうが、今回は相続の仕事を通して”死”そのものについて考えてみることにする。

 この世に 生を受けることと人生の終焉は自分では選択できないと言われているが、その中でも”死”というものについてしっかり準備ができたり、覚悟ができている人はほとんどいないように思う。
 今年 相続の仕事で依頼のあった分だけでも様々な死がある。
 40代のご主人が単身赴任先で脳梗塞により突然亡くなられたケース、日常生活には困らない程度(軽度)とはいえ少し障害のある40代のお子さんを一人残されて亡くなられた男性(奥様は既に他界)、80代後半から90代にかけての年齢で一応 平均寿命を超えられた上で亡くなられた方などいろいろな形の”死”というものに触れる機会があった。
 今までの私の人生においても、小学校の4年生の時、同級生の女の子が白血病で亡くなったり、友人の兄弟があの御巣鷹山で墜落した日航ジャンボ機に搭乗していたケースなど 今 あらためて考えただけでも胸が張り裂けそうな死は結構周りにも存在している。
 こうして考えてみると、人間は思った年齢で希望通りの死に方ができるかというと、そんなことはほとんどないということが分かる。
 認知症の人に失礼な言い方かもしれないが、認知症も重度になってくると、人間の死というものさえ理解できないようになってくる。
 自分自身の”死”がどんな形で訪れてくるのか考えると少し怖い気もするが、これこそ誰しもが避けて通れない道であることは百も承知している。
 一定の年齢以上になってくると 死への準備はしないといけないのであろうが、それよりも毎日、必死になって生きていくことの方が大事であろうし、こうして脇目も振らずに過ごすことは、死と真剣に向き合うことを避けたいという本能から起きている行動なのかもしれない。


 なんだか、話があちこちにいってまとまらなくなってしまったが、相続の仕事をする上で、その亡くなられた人が突然の死であっても、長年 床に伏しておられた結果の老衰に近いような死であったとしても、その亡くなられた方の想いを少しだけでも汲みながら相続の仕事を進めていきたいし、そうすることが亡くなられた方(被相続人)にとっても、残された相続人にとっても無念さが和らげられるのではないかなと思う。
 
 「頼られる税理士」。まだまだ奥の深い言葉であることに気付かされた1年であった。
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2017年11月12日

No550:勘がいい というのはまさに”人間力”そのもの

 当事務所の顧問先の中で多くを占める中小企業の経営者や開業医の方々は、事業を立ち上げて まず目指すべきところは、事業を軌道に乗せるということであろう。
 我々も事業を立ち上げられてから3年くらいまでの顧問先の方々に対しては毎月の税務・経営指導の他に、いかに儲けるか、また いかに従業員がやりがいを見い出しながら事業に貢献してくれる形を創りあげるのかということのアドバイスをするように心がけている。
 ただ、経営が安定し、一定の段階までくると どの経営者も次なる目標に向かって事業活動(医院経営も含む)を考えていかなければならないが、この第二段、かっこよく言うと”セカンドステージ”というものこそ一人ひとり違いが出てくるものでる。
 どういうことか いくつかのセカンドステージに対する思いを掲げてみると、 
 
〇もっともっとお金儲けをして、一日も早く借金を返し、その後とことんお金を貯めたい人
〇設備を充実させたり、事業所をもっといい場所に移して、さらに集客力を高めていきたい人
〇自分自身の資金に一定のメドがたてば、いっしょに頑張ってきた従業員に還元したい人
〇車をはじめとし、自分がどうしても手に入れたかった念願の物を購入したり、やりたかった趣味にお金をかける人
〇子供や奥さんのためにひたすらお金をつぎ込む人(必要に迫られて)

 等々、経営者が共通の目標を持つ起業時とは違って、いわゆる”セカンドステージ”こそ、別の観点からみると税理士の腕の見せどころでもある。
 この時に一番気をつけないといけないのは、自分の担当先が先述のどのパターンの人かを見極めることが大事であることは言うまでもない。そのためには こちらにいかに腹を割って話をしてくれるかどうかということがポイントになるのだが、そのためには本当に話したい人間なのかどうかによると思う。
 いくら、「なんでも相談してくださいよ」と言ってみても、こいつならきっと力になってくれると思わない限り何でも話そうという気にはならないであろう。また、別々の者に同じ話をしたとしても、勘のいい者とそうでない者とでは、話の捉え方や話の裏側、それに心の中を読む力には大きな差があるのも事実である。
 そういう意味において我々の仕事は、問題を解決する能力以前に問題点や悩み事を察知する能力が非常に重要であるということはお分かりいただけるであろう。

 この”勘がいい”というのは一見、生まれつき持っているもの(天性)のように思いがちであるが、私は決してそうでないと思う。
 私の周りの人間を見ていると、”勘のいい”人は常日頃からあらゆる方面にアンテナを張り巡らせ、頭の中に何パターンもの回答を想定しながら人と話をしている。これって、社会人として仕事をする上で、どんな専門的な知識よりも必要とされるもので、かつ、人によってすごく差の出る まさしく “人間力”そのものでないのかなと思ってしまう。
 我々の仕事はそういう意味において”人間力”を競う仕事である、また、そうであるからこそやりがいを見出せる 終着点のない仕事といえるであろう。
 こんなことを考えていると、ますます気の休まる時間のない毎日になりそうである。

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2017年11月05日

No549:おかあはん、元気でおれや

 11月3日から今日(11月5日)まで事務所は3連休であった。
 最初の2日間は宝が池公園で汗を流したあと、じっくり時間をかけて確認したい書類に目を通すために事務所に出向いてはいたが、それ以外の時間は家で日頃から読みたかった本やなかなか読み返すことのできなかったセミナーのレジュメの再読に時間を割くことができ、仕事のある日とは違って時間を気にせずにいろいろなことに取り組めた。

 3日と4日は兄夫婦が空き家になった実家のそうじや台風被害の後片付けに行ってくれていたので、今日くらいは私も と思って85歳の母が入っている施設を訪ねた。
 連休最終日の5日はその施設で“家族会”という催しがあり、実家の近くに嫁いでいる姉を誘って、二人で同じ町にあるその施設へと向かった。
 母は姉のことはおぼろげながらも顔を覚えていそうであったが、私のことは目の前の当人が自分の息子の“増生”であると分かっているのかどうかは少しあやしい部分があった。 以前は、私自身『これが増生やで。』と自分のことを指さして必死になって母の目に訴えていたが、今では分かっていようがいまいが もはやそんなことはどうでもいいようになってきた。
 京都から2時間も離れた施設で生活している母にはそう度々会うことはできないが、1ヶ月に1、2回のペースで面会に行くようにしている。母に喜んでもらえればそれに越したことはないが、私自身とても勝手な人間なのでたとえそれほど喜ばなかったとしても、また、母から見て私の存在がはっきり分からなくても私はあまり気にならない。ただ、私自身が母の顔を見ることで納得できればそれだけで十分という思いである。
 施設が年に2、3回 入所者と交流会を催してくれるが、この“家族会”とよばれるものは 老人版参観日のようなものである。
 今日は午後2時から2時間かけて館内でミニ運動会と称して、座ったままで行う玉入れや魚釣りゲームの他に、車いすを押したり、手を引いたりして物を探す借り物競争まであり、母はおさげつきのかつらをかぶって記念撮影してもらい楽しそうであった。
 手を引いたり、手を取ったりして行うさまは、本当に保育所や幼稚園での乳児や幼児の運動会と同じような感じで、失敗しようが遅かろうが気にもならず、動作の全てがほほえましい限りである。
 そりゃ、私の子供(母にとっては孫)のことや、京都での出来事なども話してみたいが、意思疎通の可能な会話としてそれが叶わなかったとしても、こうして過ごす時間は何にもまして貴重であり、充実した時間であった。
 今年の春は施設内で転んで大腿骨を骨折し手術を受けたが、今では手をつなぐと何とか自力で歩くことができるまで回復した。

 私自身、毎日 時間に追われるような気ぜわしい生活をしているが、この施設の中だけは時間のまわり方が違うような気がする。これは私にとっては“非日常”と感じるからなのであろうが、母をはじめとし ここで生活するお年寄りや施設の職員の方々にとってはこれこそまさに“日常”であり、そこには一喜一憂のある日常生活が存在している。

 京都までの帰り道は連休最終日とあって大渋滞であったが、「やっぱし行ってよかった。誕生、育児、受験、就職、結婚・・・病気、けが・・・老後、介護・看病、死 と人生にはいろいろな局面があるが、人生は順送り とはよくいったもので誰もが通る道である。おかあはん、まだ元気でおれや。」とあと何年 生きることができるかは誰にも分らないが、もう少し笑顔の母を見に行きたいなと思いながら車を運転していた。
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2017年10月29日

No548:JR西日本30周年記念乗り放題きっぷ(1万円)

 鉄道に関心があり、これを趣味としている人を一般的に“鉄道マニア”と呼ぶが、私もなかなか時間がなくて行動には移せてないが、実は“鉄道マニア”の一人である。
 私は中高生の頃はスポーツに没頭していただけではなく、時間のある時は書店に積んである時刻表を買って仮想旅行を楽しむという妙な一面も持っていた。今では“乗り鉄”とか“撮り鉄”とか言われているが、私はただ単に日本地図を駆け巡ることが楽しみであったというだけのことである。
 こんな私の趣味を知っている娘がなかなか手に入らない珍しい切符を手に入れてくれた。
 その切符は【JR西日本30周年記念乗り放題きっぷ(1万円・・1日3000枚限定)】というもので、10月の土日のどこか1日(前もって指定した日)、JR西日本の区間は新幹線も含め乗り放題という珍しい企画のものである。但し、この切符で乗れるのは自由席に限られ、指定席は追加料金を払っても乗ることができないという、指定席でのゆったり旅行を希望される方には ちょっと? という切符である。
 この切符が手に入ってからは、くろしおで白浜へとかサンダーバードで金沢へなどいろいろと考えたが、お得感を出すにはやはり新幹線に乗らねばという貧乏性の自分が頭を出し、広島、下関、博多といくつかの候補地の中での選定に最後まで悩んだ。ちなみにこの切符では九州内の在来線はJR九州の路線なので乗れないが、新幹線は新大阪から博多まではJR西日本が運営しているので乗車OKであった。但し、同じ新幹線でも京都・新大阪間はJR東海の区間なので乗れないという、なかなか頭を使う切符でもあった。

 そして10月中頃の日曜日、いよいよ実行の日となり 6時20分自宅を出て、地下鉄松ヶ崎6時26分発で京都駅に向かうところからこの旅は始まった。
 京都駅から特急はるかで新大阪へ(ここから1万円切符を使用)、そして新大阪からは念願であった新幹線こだまで始発から終点博多まで各駅停車19駅を堪能し、ガラガラの車内では時間を気にせず4時間半 一人で読書を楽しめた。
 こだまで新幹線 各駅停車の旅は、東京・京都間は以前に一度したことがあったが、博多方面はしたことがなく念願が叶ったというところである。
 昼12時過ぎに博多駅に着いてからは、かねてからどうしても行きたかった2ヶ所を駆け足でまわってきた。但し、時間は2時間遅れの別便(のぞみ)で来て、小倉や門司港を見て回るカミさん、娘との待ち合わせ時間である夕方5時までという4時間半しかなかった。
 (ここからはJR西日本でないので実費)土砂降りの雨の中、まずバスで 若い頃、歴史の教科書で見た「漢委奴国王」の金印がある福岡市博物館へ、そして、その後 バスと西鉄を乗り継いで太宰府天満宮へと向かった。よくよく考えると、もう我が家には受験生はいないが、来たからにはと学業成就のお守りを買い?(頂き)、足早に待ち合わせ場所である博多駅へと向かった。
 夕方5時からという早め晩ご飯ではあったが合流した3人でもつ鍋を食べ、その後、18時43分発の新幹線さくらの自由席に飛び乗った(3人席はバラバラであったが何とか座れた)。 
 長い1日であったがこだまではのんびり時間を過ごすことができ、時間を追われる日々の生活を忘れさせてくれる1万円切符であった。
 やはり、やりたいことをやった後は たとえ夜11時過ぎに家に帰ってきたとしても疲れの残らない充実した1日であった。
posted by ヒロイ at 21:39| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月22日

No547:幸運をあてにせずに生きると意外と楽かも

 人間 誰しも幸せになりたいとか、楽しい人生を送りたいと思っているはずである。
 ただ、人生が描いていたとおりに進んでいく人なんてこの世に一人だって存在しないと思う。
 確かに、「あの人は毎日楽しそう」だとか、「あの人苦労知らず」なんて羨ましく思うこともあるが、果たしてその人が本当に幸せを実感しているかというと、案外そうでないように思う。

 人生と言ってしまえば大そうな話になるが、日々の生活の中でなかなかうまくいかないことも度々あるが、そういった時の対処法をうまく身につけているかどうかで心の持ち方が随分変わってくる。
 私は、「こうなりたい」とか「このようにしてほしい」と期待するよりも、「こんな風にならないように」とどちらかというと、事前に予防や防備をしながら物事を進めているように思う。 そうすると予想外のいい展開で思わぬラッキーなことがあると 何とも得した気分になれるし、仮にいい方向へ進まなかったとしても 「まあ、こんなもんか。こんときもあるわな。」と意外と早く諦めがついて、くよくよせずにすむ。
 この のうてんき な性格は親から譲り受けた ありがたい性格である。

 そういう意味において、タイトルにあるように“幸運をあてにせずに生きる”という癖をつければ、少々 不運なことがあってもあまり気にならない。

 こんな私だって、当然のことながら時には落ち込むことだってある。
 こんな時には話を聞いてもらえる人に聞いてもらうということも解決方法の一つではあるが、内容によっては人に話しづらいことだってある。
 こういった時には今まで人から話を聞いたことで、その人がうまく行った時の話を思い出し、「これ、ひょっとして俺にも当てはまるかも」とか「俺も使えるかも」と試してみると、案外スーッと道が開けてくることがある。
 あと、読書も色々なことの解決策に役立つことがある。本を読むことによって、読んだ数だけ多くの人の考え方や人生を教わる機会がある。
 そういう意味では、一人で頭を抱え込むのではなく、何かの解決策を見出すことが大切であろう。
 人間50を過ぎると、いろいろな局面で許容範囲が狭まってくるように思うが、そんな時にはあまり頭を抱え込まずに、「うまくいかないときもあるし、うまくいくときもある。うまくいくとラッキー。」くらいの気持ちで毎日を過ごすことが大事なように思う(現実的にはなかなかそう簡単には頭の整理はできないが)。

 毎日いろいろなことがあるが、あまりくよくよせずに日々を送る自分なりの処方箋を綴ってみました。
posted by ヒロイ at 18:38| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月15日

No546:「○○の方がまし」と言われるようではおしまい

 「選びたい人がいない」 これが今回の衆議院総選挙に対する多くの国民の胸の内ではないのだろうか。
 相手が混乱して戦えそうにないから と自分の弱さを棚に上げて、相手の更なる弱みにつけ込んで衆議院を解散する国のトップもみみっちいが、そういったなめられたやり方に一矢を報いられない野党も何とも情けないったらありゃしない。
 今回のこの一件を“選挙ごっこ” あるいは、無職や失業状態を恐れる“議員さんたちの就職活動”と冷めた目で見ているのは一国民としてあまりにも無責任なのであろうか。
 先人たちが苦労して手に入れた参政権を行使しない、つまり投票に行かないという 無責任な国民の一人にはなりたくないので投票所には足を運ぼうとは思っているが、ただ、過去に何度かあった投票や開票が待ち遠しい、ひょっとすると国が変わっていくかもしれない、自分たちの一票で変えていけるかもしれないというワクワク感は今回の選挙には全くない。

 話がついつい選挙の方へいってしまったが、タイトルにもある「○○の方がまし」というのはよくよく考えてみると何とも恐ろしい言い回しである。
 従業員の何人かを比較して「□□さんの方がまだましなん違うか」、「(もっともっとして欲しいことあるけど) △△税理士の方がまだましやで」、「(不満はいっぱいあるけど)うちの旦那の方がまだましかな」等々、この「まだ ましかな」という言葉の裏には潜在的な不満がはびこっている。
 我が事務所の顧問先の方々は、顧問である廣井税理士(事務所)にどんな思いを抱いておられるのだろうか? 私の中にも聞いてみたいという気持ちと聞くのが怖いという気持ちの両方が混雑している。
 今までも不満や対応のまずいことを直接 私に言ってこられたこともあったし、私には言いにくかったり、あまりにも腹が立って私の顔を見るのもいやなので担当者に不満や思っていることぶつけられたケースもあった。
 いずれにしてもこういった思いを抱かせる原因が私や事務所にあったことは事実であるし、こうして不満が私の耳に入ってくるうちはまだ何とか解決策を検討できるが、「言っても仕方ない」と思われ、私の耳にも届かなくなったらそれこそ一巻の終わりである。

 ビジネスとして本来目指すべきものは、お客様に「〇〇の方がまし」という消極的な選択をされるのではなく、「〇〇でないといやだ」、つまり「是非とも廣井事務所で」と言ってもらえるような税理士事務所になることであろう。
 まだまだ到達点には達していないが、私が事務所のみんなに常々言っている 「顧問先に方が離れたくても離れられないような関係を築く」が実現できるように日々精進していかなければならない。

 みなさんへの警告も発しておきます。
 周りにいる家族、友人、従業員、お客様(患者様)に「〇〇の方がまし」なんて思われないようにしましょう。周りの人は常にあなたのことを見つめて、「このままでいいのかな」と思いを巡らせていますよ。
 いざとなれば、家族以外は明日からでも変更できますから(そういえば、夫婦も交換可能やな)。
posted by ヒロイ at 23:41| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月09日

No545:大学の陸上部の後輩とリレーをしました

 昨日は母校(大学)のグランドにOBが集まって、現役選手の練習見学会 兼 交流会があった。
 朝の8時半から京田辺の大学敷地内の一番奥にある陸上競技グランドを訪れたが、実はこのグランドに行くのは今日が初めてで、我々の学生の頃 岩倉の土のグランドで練習していたころとは大違いのオールウェザー(全天候型)のトラックを見て、恵まれた環境下でトレーニングできる選手たちのことが、時代の違いはあるにせよ羨ましく思った。
 こんないい環境なら強くなって当然やろ、という うるさいOBのいう意見は心の奥にしまって 自分の子供より若い年代の学生たちの練習風景を眺めていたが、やはり血が騒ぐというのかじっとしてはいられなくなった。
 この日はOBにもグランドが解放されていたので、持参していたトレーニングウェアに着替えて、外周コースで邪魔にならない程度のランニングをして汗を流した。
 久しぶりに会う同級生や東京から来たという3つ上の先輩(私が1回生であった時 4回生だった)、それに 「俺なんかもう後期高齢者やで」とベンチに座りながら学生当時のことを懐かしんでおられる重鎮、そしてオリンピックやアジア大会に出場した大物まで、本当に幅広い層のOBが集まり、晴天のもと “陸上競技”を愛した者、しかも かつては三つ葉のクローバのユニフォームに袖を通した者同士が思い出を語り合う場でもあった。

 現役選手の練習が12時半ごろ終わり、その後は走れるOBも交えての1200mリレーがあった。
 1人100mで1チーム12人、A〜Dの4チームの対抗で私も、運動不足気味のOB枠(2人で100m)で出場した。
 30代の頃、町内の運動会で走って以来のリレーであったが、なぜかバトンを持つとがむしゃらになって走り、こけそうになりながらもなんとかバトンをつなぎ、なんと私のBチームは現役生の活躍もあり優勝した。
 日頃のストレスを吹き飛ばすには、一見たわいもないこういったお遊び的なものにも大きな意義があるんだなと、広いグランドの真ん中で一人満足感に浸っていた。

 わずか3、4時間ではあったが、本当に日常生活のことはすっかり忘れ 頭の中が空っぽになって楽しめたし、なかなかこんな機会はないだろうがこういった“今を忘れる”、“素の自分でいられる”時間こそ、今のストレスの多い社会ではより一層大切な時間なんだろうなと思った。

 午後、所用でいったん抜けたが、夜には同期3人と一つ下学年の1人が再度 京都市内の町屋に集まり、冷えたビールの後、美味しい地酒に杯を傾けながら、30年以上も前の学生時代の話、そして、家庭や仕事の話を誰にも気兼ねなく話し、昼の汗を流したことに匹敵するくらい、夜の部もストレスを発散でき 本当に有意義な時間であった。
 意外や意外、家に帰ってみるとまだ10時であったが、よくよく考えてみると朝7時の出発から計算すると長い長い1日であった。
posted by ヒロイ at 16:50| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月01日

No544:“習慣”にするには

 “習慣”ということについて、じっくりと考えたことのある人はどれほどいるだろうか。
 我々、“習慣”というと身についてしまっていて 良くも悪くも自分自身のものになっていてもう直らないと捉えがちである。
 “習慣”とよく似た言葉で“癖(くせ)”という言葉があるが、この二つは似て非なるものであるように思う。
気になったので、それぞれの言葉の意味を調べてみた。

【習慣】 長い間繰り返し行ううちに、そうするのがきまりのようになったこと。・・・「早寝早起きの習慣」

【癖(くせ)】 無意識に出てしまうような、偏った好みや傾向。習慣化している、あまり好ましくない言行。・・・「爪をかむ癖」 「なくて七癖」 「怠け癖(ぐせ)がつく」

 これからも分かるように“習慣”は、本人の努力によって、あるいは、常に気にかけていることによって身につくものであり、癖とは明らかに異なる。
 毎日の生活の中で、この“習慣”のうち良きものをいくつ自分のものにしたのかによって人間の魅力や価値が決まってくるように思う。
 家庭生活においては、家族の者に窮屈と思われるような“習慣”は決して好まれないので、どちらかというと自分だけでできるものに限った方がいいだろう。
 私も大したものはないが、続いている“習慣”の一つとして、私は帰りが一番遅い日が多いので 帰った時に靴をそろえ、翌朝も最初に出かけることが多いので 自分が靴を履いた後、他の靴がきちんと並んでいるかを確認してから出かけるようにしている(家族の者は気づいていないだろうが・・・)。
 これって、当たり前のようだけど、家族に強要したことはいまだかつて一度もないし、あくまで自分の心を落ち着かせるためにやっているというのが本当のところである。
 あと、見ていて何とも気持ちのいい“習慣”として、食事を始めるときに必ずを手を合わせる仕草がある。これも、私自身がきているかというと、お腹が空いている時なんかは座ると同時に箸を持って食べだしている。

 これがビジネスの場においては、どんな“習慣”を身につけているか、持っているのかによって いい方向へ流れるのかどうかを左右することは往々にしてある。
 職場においては、[その日の仕事はその日のうちに片づける]というのが理想だと思うし、私もこのことに何度かチャレンジしたことはあるが、これは絶対に無理。 これを完全に実行しようと思えば、毎晩 遅くまで仕事をこなし、深夜になってやっと帰れるという日が何日も続くであろう。そして 体を壊し、どこかで挫折するのが関の山ということである。
 私はこの その日の仕事を完全実施することが不可能と分かってからは、毎日 帰る前 約30分近く [明日の作戦を立てる]ようにしている。
 この中には当然のことながらやり残した仕事もあるし、明日が期限の仕事もある。ただ、こうして、前日に翌日の予定をきちんと頭に入れておくことで、翌朝 起きた時からひらめいたように一番にすべきことに向かって頭と体が動き、無駄のない準備が可能となってくる。

 冒頭で説明をしたように、“習慣”は「長い間繰り返し行ううちに、そうするのがきまりのようになったこと。」なので、バリバリに力む必要はないが、続ける上でほんの少しだけルール化できれば実現可能ということである。
 人間って本当に弱い生き物であることは、自分自身 痛感しているので少しずつ ほんの半歩でもいいから 前に進められるようにしたいものである。
 “習慣”、これは人からやらされるものではなく、自分で自分のものにすることである ということが、語源を確認すれはよくよく納得できた。
 でも、習慣づけるって本当に難しいことであるのは、自分が一番よく分かっているし、今回 あらためて再認識した次第である。。
posted by ヒロイ at 19:55| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月24日

No543:開業10周年を迎えて

 この9月21日は事務所を開業してから10年という節目の日であった。

 9月の初めに10周年を記念して事務所のみんなと御礼・懇親の会を開き、楽しいひと時を過ごしていたので、この21日が特別の日であることはすっかり忘れていた。
 21日は朝の9時から人と会う約束があったので、事務所を8時半に出発し、用件を済ませて11時頃に事務所に戻ってきたが、そこにちょっとしたサプライズが準備されていた。
 私が自分の席に着き 一息つこうとしたところ、事務所にいた全員が席を立ち、主任の谷口君が、『事務所開業10周年おめでとうございます。・・・(中略)・・・4人でスタートされ、今や総勢15人になりましたが、今後もずっといっしょにかんばっていきたいので今後とも末永くよろしくお願いします。』というあいさつの後、全員がお金を出し合って買ってくれたプレゼント[*1]をいただいた。
 [*1]今まで見たことのないような牛革のデスクマットとペン立て(高そう!)

 私自身、目立ちたがり屋で、見栄っ張り(ええ格好しい)で、何かにつけお山の大将になりたがるにもかかわらず、実は非常に弱い人間で、日常の言動も細やかなのか大胆なのか自分では判別しづらいような性格である。 たまに偉そうなことも言うが、自分自身に確固たる信念がないからなのか人からの影響を受けやすいのも特徴である。
 また、日々の生活においては平成より昭和の方が体や心のフィットし、なかなか自分自身が変わることができない、 こんな自分勝手な人間(経営者)というのが自己分析の結果である。
 こんな私であるが、従業員のみんなは嫌気がささず、何とかあきれずについてきてくれたことに一番感謝している。

 10年経ったからといって何かが築けているという実感は全くなく、まだまだ足りないものだらけである。
 顧問先の方々が 我が事務所に対して何の不満もないということは絶対にないだろうし、もっとこうしてほしい、こんな関係を築いていってほしいと考えていらっしゃる方が何人もいらっしゃるだろう。
 だからこそ、私自身も事務所としてもホッと一息ついている暇などなく、次の段階に向けて 足りないもの捜し、一歩一歩着実に進んでくしかないと思っている。
 そういう意味では、まず一番しないといけないことは 今一度 足元を見つめ直すことであり、絶対忘れてはならないことは、10年前(2007年)の10月に初めて顧問料が自分の口座に入金になった時、すごく感激し 何ともありがいものだなと思ったあの時の気持ちであろう。

 時の経過とともに漫然と日々を過ごすことのないよう、さらに自己研さんに励み 一人でも多くの人が笑顔になれるよう 力を注いでいきたい、というのがこの10年の節目で考えたことである。
 また、秋の後には忙しい冬がやってきて、毎年 同じようなことの繰り返しのような感じもするが、実は10年間毎年、目に映るものも心の中もどんどん変化していっている。
 さて、この冬は目の前の景色がどんなものになるのだろう、どんな色に映るんだろう、そんなことを考えながら 秋の休日を過ごしている。 
posted by ヒロイ at 16:08| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月17日

No542 【再】40年前の父との思い出(No248/2012.02.18)

 私の事務所は3連休であるが、特別な行事や予定があるわけではなく、夏以降の溜まった仕事を少しとはいえ前へおし進めたり、ひどい状態の私の部屋(寝室兼用)の整理をして過ごしている。
 ただ、一昨日あたりから停滞していた大型の台風が、徐々に近畿をめがけて進んでいる状態なので、昼間は雨こそ降らないものの、どんよりとした一日であった。
 この時期は各地でいろいろな行事が数多く予定されていたが、この天気でどれだけ中止になったのか、本当に恨めしい空模様である。

 このブログも今回で542回目であるが、少し過去のものを読み返してみると、私は生きる上でも、仕事をする上でも3年前に亡くなった父の影響を多大に受けているなと感じた。
 今日の天候がこんなにどんよりしているから余計に感傷にふけってしまうのかもしれないが、こんな時に父が生きているときに書いたブログのNo248(2012.02.18)【40年前の父との思い出】を見返して読んでいた。この文章の中の光景やと父の表情、そしてその時の私の気持ちが今でも鮮明に頭に浮かんでくるし、私の理想の父親像の原型にもなっているのかもしれない。
 すみませんが、今日はこのNo248を再度 投稿しておきます。
 本当にいい父でした。お時間のある方は目を通してみてください。

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【再】No248  40年前の父との思い出(2012.02.18)
 確定申告期に入り、事務所の方は連日連夜忙しい状況が続いているが、この業界に27年も身を置いてきた私としてはこの大きな壁を乗り切る術は知らず知らずのうちに会得してきたものがある。
 飛ばさず、休まず、がんばり過ぎず、また、気を抜かず、やりきる時は一気に集中する。そして春の訪れとその後の楽しみを頭に描きながら淡々と毎日を過ごす。あともうひとつ気をつけていることは、眠い時はどこでも眠る。電車の中ではもちろんのこと、車での移動時でも眠ければ車を止めて仮眠をとる。こんな感じで余分なことは考えずに一ヶ月を過ごすと気がつけば確定申告も終わりに近づいてくる。もちろん、この間に何度か胃腸の調子の悪い時はあるがそんなことはあえて気にしない。当然といえば当然のことなので。
 この時期、仕事のことを語りだすとついつい熱くなるので趣向をぐっと変えて、仕事には全く関係ないが今日の雪景色を見てふと思い出した雪国での父との思い出の一コマについて触れてみる。

 私の故郷はご存知のように雪深い京都府北部の丹後地方(日本三景 天の橋立の近く)で、今年は例年にない大雪である。今から綴るその思い出の一コマというのも、今から40年近くも前の確か今年のような大雪の年のことだったと思う。
 実は父との思い出というのはそれほど多くはなく、ひたすら朝から晩まで仕事(丹後ちりめんを織っていた)をしていて、私が小学生の頃、子供心に『楽しみは何?』と聞くと、(以下方言で)「一番楽しいんは仕事しとる時だな。朝起きて、さあ、今日も一日きばろうと思って目を覚まし、きばっとたら晩になる。その後の晩飯と酒はほんまにうみゃあわ(うまいわ)。』といつも同じ答えが返ってきた。
 そんな父なので取り立てて一緒に遊んだこともなかったが、この雪の降る季節、実は今まで誰にも話したことのなかった忘れられない思い出がある。多分、父自身は覚えていないであろうが、40年程前のある大雪の日曜日のことである。
 
 私の通っていた三河内小学校(現 与謝野町立)のあるところは冬は非常に雪が多く、当時、育友会の方が小学校から10分足らずの山すそを木の伐採後、整地して小学校専用も簡易スキー場を造ってくれた。
 当時は今より雪も多く、4年生くらいになると、1、2月の体育の授業はいつもこのスキー場でのスキーであった。
 確か、5、6年のときは総仕上げに貸し切りバスで神鍋スキー場へ連れて行ってもらっていた。
 5年生のときの1月のある日曜日に今まで貯めていたお年玉でスキー板を買いに行く予定を立てていた。しかし、その日は朝から大雪で前の道が狭い実家からは車が出せず、せっかく楽しみにしていたのにこの地区で唯一のスポーツ店(シブヤスポーツ)に行くことができず私は恨めしそうに雪の降る空を眺めながらしょげかえっていた。昼になっても雪の止む気配はないが子供心に念願の物を買うと決めていた日に欲しいものが買えない何ともいえない悲しい気持ちになっていた。
 諦めきれずに一人で外を眺めていた私に父は、『よし、ジャンバー(なぜか、“ジャンパー”でなく“ジャンバー”と言っていた)着い。車は出せんので歩いて行こ。1時間もかからんだろ。』と言って、私に準備を促し、私は歩く苦労なんか全く考えず、飛びあがりたいほどうれしい気分になってすぐにジャンバーを着、毛糸の帽子と手袋をはめ父と二人で家を出た。かなり強く雪が降っていたであろうがその雪の記憶はほとんどなく、そのスポーツ店で店のおっちゃんと相談しながら青のスキー板を選んだ。確かお年玉で足りない分は父が出してくれたと思うが、その後、店を出てからは、まるで今からスキー場へ向かうかのようにそのスキーを自分で右肩に担ぎひたすら家に向かって歩いていた。
 その帰り道、父と交わした話の内容も全く覚えていないが、その日曜日の夜は食事のとき以外はずっとそのスキーのそばで撫でたり眺めたりしていた。

 父は職人だったこともあって、3人の子供には勉強をしろとは一度も口にしたことはなかったし、父からは勉強を一度たりとも教えてもらったことはなかったが、今から思えば、知らず知らずのうちにすごいことを教えてもらっていたんだなとしみじみと思ってしまう。

 昨日、実家に電話を入れ、『雪、大丈夫か? なんぼ雪降っても雪かきなんかせんでええで。こけて骨折られても、今の時期、とてもじゃないけどかけつけられへんしな。とにかく雪がなくなるまでおとなししといてな。』と話すと母は、『お父ちゃんも私も今のところまあまあ調子がええし、とにかくこの冬は子供らに迷惑をかけんと乗り切ろなと言うとったとこなんだ。あんたこそ、この時期、しっかり乗り切らんと。今、一番忙しい時やろに・・。』と逆に80の母に励まされてしまった。

 こんなことを考えていると今日の大雪なんて全く気にならず、より一層、仕事に集中している自分に気がついた。
 今、事務所全体としては折り返し点くらいか? あと3週間位続くが何とか全員で乗り切っていきたいと思っている。
posted by ヒロイ at 17:46| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする