2009年11月06日

No124:会えなかった“阿修羅”

 “旅行”も私の趣味の一つであるが、なかなか時間がとれないし、ちょうど我が家の家族構成からいってもこの年代は色々な意味において子供が小さかった今までのような旅行は難しい状況である。
 「5人揃っての家族旅行」、「夫婦旅行」、「一人旅」どれをとっても現実的ではない。
 
 そんな中でも、半日程度の“ちょっとしたおでかけ”なら可能かと、久しぶりに空いた休日になりそうだった11/3は数日前から一切の仕事を入れずに出かける計画を立てていた。
 とはいっても、阿修羅を見るための奈良に出かける計画である。
 当日は非常に寒い朝であったが、朝9時半出発、午後3時半帰宅という6時間の“奈良かけ足散策”を楽しんできた。
 この日の最大の目的は、興福寺の阿修羅を初めとする14躰の仏像を見ることである。
 京都の地下鉄に乗っているといたる所に【お堂で見る阿修羅】というポスターが掲げられているし、是非とも阿修羅に会いたくて近鉄電車に乗って出かけていった。
 
 ★【お堂で見る阿修羅】(平成21年 10/17〜11/23:奈良 興福寺)
   ・阿修羅等の国宝、現存する14躰全てをおよそ110年ぶりにお堂に安置

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【参考記事】:「阿修羅展 東京で95万人、福岡で70万人」
(東京)
・「国宝 阿修羅展」は3月31日から6月7日まで東京・上野の東京国立博物館で開催されていましたが、会期中日本の美術展としては最高の95万人近い来場者を集め、「阿修羅ブーム」といわれる社会現象を引き起こしました。

(福岡)
 ・九州国立博物館(福岡県太宰府市)で開かれていた奈良・興福寺創建1300年を記念した特別展「国宝阿修羅展」の総入場者数は、最終的には71万138人に。九州で開催された展覧会の動員数としては新記録となった。
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 家を出てから約1時間余、11時前には近鉄奈良駅から10分程のとこにある興福寺に着いて、さあ、大人1,500円もする拝観券を買おうと売り場へ行くと【現在の待ち時間 150分】というプラカードが立っていた。
 『えっ、まさか? 嘘やろ。』と思ったのも束の間、次の瞬間には私に並ぶのか、並ばないのか二つに一つの選択肢が突きつけられていた。
 一緒に行ったカミさんは、この日は珍しく『阿修羅』、『阿修羅』と叫んでいた私に気を遣っていたらしく、この列に並ぶかどうかについては全く自分の意見を言わずに私の判断に委ねていたようだ。私の方も、今回はカミさんの顔色をうかがうこともせず私個人の判断で結論を出そうと思っていた。
 頭の中でとっさに「見たいけど、見て出てくるまでには3時間か。でも、今日の第一の目的は阿修羅やしなと。う〜ん、悩むとこやな。」と大いに悩んでしまった。
 そして、30秒後に私の出したのは、「やめとこ。せっかく奈良に来たんやし、他の奈良を味わお。」という結論であった。
 時間があったら行こうと少しだけ狙いを定めていた【正倉院展】(すぐ近くの奈良国立博物館で開催中)の前も通ってみたけどこちらも長蛇の列。結局、1km程先にある春日大社に行くことにした。
 私の下調べではこちらも世界遺産に登録されており、最終的に時間があれば行きたいなと思っていたのでためらうことなく春日大社の方へ向かった。
 途中の奈良公園はいたるところに鹿がいて(あたりまえやけど)、京都とはまた違った何とものどかというか、時間を忘れるくらい優雅な気分に浸ることができた。
 その後、昼食をとり、少しだけ奈良市内をぶらぶらして帰ってきた。
 滞在時間は3時間半くらいのわずかな時間であったが、京都とは趣の違った“古都”を楽しむことができた。

 実を言うと、奈良にも顧問先が数軒あり、近鉄に乗るたびに「仕事以外で奈良に行きたいな。」と以前から狙いをつけていた。
 奈良の大仏がある東大寺は小学校の修学旅行でも行ったが、それ以外、奈良というのはほとんど知らない。
 法隆寺、唐招提寺、薬師寺、そして明日香村や吉野と私にとって、まだまだ未開の地が残っているので今後も時間を見つけて奈良詣をしたいと思っている。
 子供が小さい頃は奈良なんて全く興味のなかったし、子供を連れて行っても喜ばないところであった。15年程前のゴールデンウィークに子供を連れて今はなき“奈良ドリームランド”行ったことはあったが・・・。

 まあ、こういうことに興味を持ち出す自分に我ながら多少驚いているのも事実だが、こうして千年以上も前に建てられた寺院を訪れると本当に不思議と“今”を忘れることができる。
 現実逃避と言われるかも知れないが、まあ、1年のうちで僅かな時間はこんな時間を持っても許してもらえるだろう。
 
 例年通り、年末から来年の3月末まで仕事の方は凄まじい状況が予想されるが、まあ、その少し前のこういった時間はなかなか有意義な時間であった。
 この秋、2、3時間でもいいのでもう一ヶ所どこかに行ってみたくなった。
 大原三千院で座ったままボーっとして庭を眺めるということもしてみたいことの一つである。でも、秋の三千院は観光客が多すぎて近づけないだろうな?


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2009年10月30日

No123:鞄が人間を変える

 よく雑誌なんかを見ていると“トップビジネスマンのグッズ”とか“男の値打ちは小物で決まる”とういうカラーのページがある。
 鞄、財布、靴、ネクタイ どれを見てもびっくりするような値段がついている。特に時計スーツなんかは1回分のボーナスさえもふっ飛ぶような金額である。
 さて、みなさんはこういった雑誌に載っている高価なものを見てなんて思われますか?

 『こんなもん贅沢過ぎる。買う奴の顔が見たいわ。』
 『いつかは俺も買ってやるぞ。』
 『見るだけで楽しいけど、別世界のもんやな。』
 『全く興味も関心もなし。』

 こんなことどう思おうと自分の勝手なんだが、最近、持ち物によって気分も違うんだなと思われることを間近に見た。

 ある日、事務所の若手男性社員の一人が顧問先の訪問時に使う鞄を買ってきた。今までは入社時から持っている普通の通勤用鞄であったが、新しく買ったものは、何冊かのファイルゆったりと入り、非常にしっかりとした大きなものであった。
 今まで、小さな鞄にパンパンになるまで詰め込み、それでも入らないときは別の紙袋に入れて出かけていたが、この特上?鞄を買ってからは、「なんでもござれ。」と言わんばかりにごっそりとしまい込み、さっそうと出かけていく。
 鞄の値段を聞くと○万円で彼にとっては非常に大きな買物だと思われるが、決して高級ブランドの超高額なものではなく、「ちょっと背伸びして買ったな。」と思われるような金額であった。
 こういった場合、一般的には本人の経済状況と職種に応じて相手が、「ほう」と一目置くものであればよいと思う。

 今回の彼を見ていて感じたことは、良いもの(高額という意味ではない)を持てば、相手に対した時、気持ちの張りが違ってくるのが伝わってくる。
 「たかが鞄、されど鞄」なんだが、それは、決して勝ち誇ったというものではなく、持ち物や身に付けているものに恥じない自分でいようという気持ちの“高揚”や“張り”というものであろう。

 当然、仕事の中身が一番大事であるが、お客様と会った時、特に初対面であれば、相手に嫌な印象を与えないことがポイントだろう。
 ここで、もし、とびっきり高額な時計やスーツを身に付けていると、かえって相手を気後れさせてしまい決して話が良い方向に進むとは思われない。そういう意味で、地位や収入に応じて、あるいは、ちょっとだけ贅沢した自分というのが一番いいように思う。
 相手に優越感を持たせるために紙袋を片手に安物のスーツで登場するのもひとつかもしれないが、逆に相手に『この人、安っぽい。えらいしまつ(倹約)してるな。』と思われると、信用を失ったり、相手にされない場合もある。

 何度も言うが、もちろん、仕事は最終的には中身で勝負するものである。しかし、こういった仕事の中味以外でも勝負は始まっていることも忘れてはならない。
 確かに新しい仕事をする時、初めて会う人(ビジネスマン)がかっこいい鞄の中から上等そうな名刺入れを出し、さっそうと名刺を差し出されたらドキッとするし、こちらも背筋が伸び「よっしゃ!」と気合いが入っしまう。
 これがヨレヨレの鞄と傷だらけの名刺入れから名刺を出されたら「なんや、こいつ。」と思ってしまうだろう。

 我々の仕事はある意味、“信用”を売るようなところがあるが、この“信用”を得るには、過度に華美であってもいけないし、みすぼらしかったり、貧乏臭かってもいけない。ちょうどいい“ころあい”というのがあるように思う。

 事務所の若手にこんなことを話している自分が、なんだかとても生意気な気がしたり、また、歳をとったような気分にもなったりもした。

 でも、よくよく考えてみると、やはり、ビジネスマンにとって勝負のスーツや靴とういのは、気持ちを高める上で必要なような気がする。
 
 みなさん、どう思われますか?
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2009年10月23日

No122:廣井事務所はどこまで行ってるの?

 我が事務所のお客様(顧問先)は数的にはもちろん京都市内が一番多いが、京都府の北部、滋賀県、奈良県、大阪府、福井県、それに石川県と広範囲にわたっている。
 税法は地方税の細かな規定を除いては全国共通であるが、各顧問先の経営は地域ごとにそれぞれ特色がある。
 業種も医療機関が多いことは多いが、建築関係、製造業(電子部品、造船関連)、飲食店、学習塾等他の業種の顧問先もあり、それぞれ経営環境や業界情報も様々である。

 この一週間は京都府下(丹波)、滋賀県、奈良県と3府県にまたがっての移動であった。来週は京都府北部の顧問先への訪問が数件重なり、これまた移動距離の多い一週間となりそうである。
 今日は奈良の開業医の先生と久方ぶりにじっくり話をする機会があり、先生の患者に対する思いや医院の経営方針、そして将来のこと等、今までになく先生の色々な考えや構想を聞くことができた。
 そんな中で感じたことは、どんなことをする場合でもその土地にあった事業の進め方があるんだなということである。
 また、経営の感覚、あるいは臭覚というものが経営の成否と非常に密接に関係しているということもあらためて感じた。開業医、もの作り、また学習塾、どの職業をとっても、専門的な知識だけではなかなか勝負がしにくくなっているのも現実である。
 やはり、全方位的にアンテナをめぐらし、情報を敏感にキャッチし、そして、自分自身の特徴を生かしながら誰にも負けない“強み”で勝負するということが必要なのだと思う。

 我が事務所でも滋賀県の顧問先が増えてきているが、やはりこういった方には京都の感覚でものを言うと、しくじってしまうこともある。先週なんかは滋賀県の方との面談が多かったので、自分自身、頭を滋賀バージョンに切り替えて話していたように思う。ただ、滋賀県と一口にいっても、大津や草津の人口急増地域の若い街と今週訪問した彦根や長浜といった旧城下町とでは住民の気質自体に大きな違いがみられる。また、湖西の高島、今津の方では、まるで京都府北部の高齢化地域、過疎地に近い状況のところもある。
 来年は滋賀県南部の三重県近くに顧問先ができる予定なので、まさしく、滋賀県の地域性を学ばずして仕事ができない状況になってきている。

 こんな話をすると『あちこちに出向いていかれて、大変ですね。』とおっしゃる方もあるが、同じ地域での顧問先をみているより変化や刺激もあって、考え方によってはなかなか楽しいものである。
 所長代理のO君なんかは、京都、滋賀、大阪福井、石川(金沢)の5府県に顧問先を抱えていて、毎月の移動距離は相当なものだし、こういった頭の切り替えも非常にうまいのだと思う。今週は久し振りにO君が担当している顧問先を訪れたが、“O君ファン”の根強さを肌で感じることができた良い機会でもあった。

 どこの顧問先であっても、もちろん、訪問先での業務はきちんとこなさなければならないが、その移動時にちょっとした楽しみを見つけておくと疲れた時の息抜きにもなるし、これは良い仕事をするうえでのコツでもある。
 私も奈良県南部を訪問する時は、近鉄の駅前の少しさびれた?喫茶店で昼食をとるのだが、ここだと気兼ねなく時間調整をさせてくれる。また、今週利用した名神高速のパーキングエリアでの休憩時には“げそ焼き”と“ホタテ焼き”を食べて夜の仕事への腹ごしらえを無事済ますことができた。これは1本300円もしたけど本当に旨かった。

 今回は何だかとりとめのない話になってしまったが、今後、仕事をする上でもこういった“息抜き”というのは必要であると思う。それとこういうちょっとした顧問先以外の人との接触を通してその地域を知ることができ、顧問先への指導にも何か役に立つことも生まれてくるように思う。

 いつもうちの若い衆には、『顧問先の経営指導のヒントは財務数値が並んだ資料や難しい本だけでなく、街の中にいくらでも落ちてるで。車での移動中でもあそこが店閉いしているとか、あの看板は新しいな、とかチェックポイントはたくさんあるはずやで。』と小うるさく言っている。
 ただ、運転中にきょろきょろし過ぎると危ないのでほどほどにしないといけないとは思うが・・・。
 
 まあ、我々の仕事は何事にも興味を持つことが大事であるということか?
posted by ヒロイ at 22:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月16日

No121:心が洗われた「車椅子の花嫁」

 我が家には、マンガ、週刊誌、ファッション雑誌を含め、色々なジャンルの本が家のいたるところに置き去りにされている。先日、車のトランクから荷物を降ろそうとしたところ、紙袋の陰に数冊の本があり、この中で私の目に留まった一冊の本があった。
 その本とは【命をくれたキス・・「車椅子の花嫁」愛と自立の16年 鈴木ひとみ(小学館)】。
 過去に何度かマスコミで取り上げられたこともあるのでご存知の方もあろうかと思うが、先週の連休にこの本を読んで久し振りに感動したのでここで取り上げてみることにした。

 この本の著者、鈴木ひとみさんを簡単に紹介しておくと、

  ・ミスインターナショナル準日本代表
  ・モデルとしてショーやCMで活躍
  ・撮影の帰り、高速道路での交通事故で脊髄を切断、車椅子の生活となる
  ・1年7ヶ月の入院生活の間に、身障者国体に出場し、車椅子陸上の二種目で優勝
  ・退院後、事故の前から交際中であった伸行さんと結婚
  ・現在は講演活動をしながら、バリアフリーアドバイザーとして活躍

 ざっと経歴はこんなところである。

 障害を負った娘の結婚に反対だったひとみさんの両親の想い、事故前と全く変わらぬ愛情で何の疑問も抱かず結婚を実現させた夫の伸行さん、そして、大阪の実家を離れたひとみさんを我が子のように、というより我が子以上に思いやり、何の違和感もなく受け入れた伸行さんの両親(伸行さん夫婦は伸行さんの実家の隣で生活)。これらの家族の方々の16年間という時の流れの中には、この本の中では言い尽くせないほどに様々な出来事があったのだろう。
 ひとみさんは下半身不随ではあるが、いくつかの条件をクリアできれば身体的には妊娠も出産も可能であったようだが、伸行さんの『子供はいらない、二人で最高の人生を送ろう。』という言葉は、二人だけでなく周囲の家族にとっても非常に大きな意味を持つ一言だった。
 まず、伸行さんのお母さんは一人っ子である伸行さんの孫の顔を見て過ごすより、このひとみさんと一緒に楽しく、充実した毎日を過ごそうと決心し、結婚前の事故当時から現在まで、良き応援団としてずっと二人を支えてこられている。このお母さんが素晴らしいだけではなく、人間として凄いなと思うところは、「人と人の信頼関係は、遠慮なんかしていたら長続きしない。」という持論から、ひとみさんに対しては遠慮も容赦も全くせず接しているとこであろう。ひとみさんがこのお母さんのことを本の中で“親友としてのお母さん”と表現していることでもこのことはうなずける。
 炊事、洗濯、掃除を誰の手も借りずにやり遂げ、可能な限り自分自身で日々の生活はこなし、その上、免許をとった自動車、それに車椅子を使いながら活動範囲も広げているひとみさん。ここに行きつくまでの本人の努力は並大抵のものではなかったであろう。
 しかし、夫の伸行さんも“面倒をみる”という優しさだけではなく、ごく普通の夫婦(自分たち夫婦が何ら変わった形ではないと思っているひとみさんはこんな表現が一番嫌みたい)であるかのような振る舞いで、時には手厳しく、また、時には嫌みの一つも浴びせたりしなが本当に良い夫婦の関係を築き上げている。
 富士フィルムに勤める伸行さんは、飲み会の時には午前様になったりと、特に気兼ねもせず本当に自然に接することによって二人の生活を充実させ、お互い成長し合っているという感じである。
 もちろん数多くの紆余曲折はあったと思うが、この二人だけでなくここに登場してくる双方の家族には悲壮感など全くなく、本当に中味の濃い、満足のいく人生のようである。

 本の内容については、ここで細かく言ってもうまく表現できないので、時間が許す方は一度、読まれたらとは思うが、私が読み終わって感じたことは、生きる上ではもちろん“強さ”が必要ではあるが、決して優等生になる必要はないし、いつまでも、どこまでも“自分なり”に正直に生きていくことが大切なことなんだなということである。

 子供のこと、親のこと、仕事のこと、そして夫婦のこと等、何かにつけ私が普段から不満や不安に思っていることはこの本の中に出てくる家族が歩んだ16年間と比較すると、口にすることさえも恥ずかしいようなことがあまりにも多く、自分自身大いに反省させられた。

 最初にも言ったが、この本は車のトランクに置き去りにされていて、真夏の熱も経験しているのでブックカバーは少し変色し、表面は波打っているが、読書の秋の良き日に「良い本に出会えた」と思える一冊であった。

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2009年10月09日

No120:私とオリンピック

 先週は2016年のオリンピックがブラジルのリオデジャネイロに決定し、東京は予想どおり落選という結果に終わった。
 東京への招致運動に携わっていた人にとっては申し訳ないが、国民の多くが「あっそうか、残念やったな。」の一言で終わってしまい、それに続く話題なり、期待はほとんどないと言っていいだろう。
 デンマークのコペンハーゲンのIOC(国際オリンピック委員会)の総会まで駆り出された鳩山首相は“一泊三日”の強行軍でさぞお疲れとは思うが、残念がるのは石原東京都知事ばかりというニュースを見ていると、やはり国民的な盛り上がりには欠けていたと言わざるを得ない。アメリカでもオバマ大統領が奥様の出身地のシカゴの援護射撃に駆り出されたがほとんど効果がなかったようである。
 その点、今回開催が決定したリオデジャネイロの盛り上がりは84.5%という地元住民の支持率が示すとおり凄まじいもので、55.5%の東京は比較にもならない。やはりオリンピックという一大イベントはその開催国が国民とともに作り上げ、開幕を待ち望むというのが本当に意義のある開催であると思う。
 こういった観点から過去の開催地をみてみてもソウル、北京は韓国中国が国際舞台へはばたく契機となったし、モスクワは東西冷戦時代の東側(社会主義国家)の象徴ともいえるソ連が国家の威厳をかけた開催であった。そして、あのカールルイスが活躍したロサンゼルスオリンピックはまさしくコマーシャリズム(商業主義)そのもので、その最高の権威を誇るアメリカでの開催であった。これらはどれをとってもそれぞれの国と都市がオリンピック開催に大きな意義を持っていた。
 そう考えてみると、今回の東京開催にはいったい何の目的で誰のために開催しようとしているのかが今一つインパクトに欠けていた。
 今回のリオデジャネイロは南米という土地柄、治安について問題視されてはいるが、やはり今後世界へ羽ばたく新興国のブラジルでの開催は国民にとっても大きな関心であり、国にとってもまさしく“チャンス”そのものである。
 サッカーのワールドカップも2010年の南アフリカはアフリカで初めての開催であり、この南アフリカが黒人差別の象徴ともいえるアパルトヘイト政策の終焉を世界へアピールする絶好の機会でもある。また、この人種差別政策の廃止は完全でないと疑念を抱かれていることに対して、現状はどうであるのかを全世界に対して踏み絵としてみせしめる場となり、これも本当に大きな意義があると言えるであろう。
 
 堅い話はここまでにして、オリンピックについてはそれぞれの年代で思い出や記憶が残っているかと思うが、残念ながら1964年の東京オリンピックは私はまだ2歳でありマラソンのアベベもバレーボールの東洋の魔女も記憶にはない。
 オリンピックで私の記憶に残っている場面としては、(以下、順不同)

○ミュンヘン大会の男子バレーボール。松平監督のもと、大古、森田、横田の3本柱とセッターの猫田を中心にまとまり金メダルを獲得。当時、日曜日の夜「ミュンヘンへの道」というテレビ番組があり毎週くぎ付けになった記憶がある。

○同じく、ミュンヘンの水泳で男子平泳ぎの田口信教、女子バタフライ青木まゆみの金メダルを取った瞬間は思わずガッツポーズをしてしまった。

○あと、忘れられないのがモントリオール大会の女子体操のコマネチ。確か、国はルーマニアだったと思うが、あの人間とは思えない曲芸技のような演技で当時の満点である10点を連発したことは驚き以外のなにものでもなかった。

○そして、冬の日曜日の昼にみかんを食べながら見ていた札幌オリンピックの70m級ジャンプ。笠谷、金野、青地の日本人選手が金銀銅を独占した。

 あと、オリンピックの悲劇として忘れてならないのは、
★マラソンの瀬古利彦選手(早稲田大→エスビー食品)が選手として脂が乗り切って、金メダル確実といわれていたモスクワオリンピックを日本がソ連のアフガニスタン侵攻に抗議するためボイコットしたことである。瀬古選手はモスクワオリンピックの舞台に立つことができず、その後、ロス、ソウルのオリンピックにも出場したが、既に選手としての峠を越していたので二大会とも惨敗に終わった。

 全くの余談であるが、この頃のスポーツを扱ったテレビ番組の中で現実にはあり得ない技を毎日の遊びに取り入れて楽しく過ごしていたことを思い出した。
 その技とは
・「巨人の星」・・・大リーグボール1号
・「サインはV」・・・X攻撃
・「金メダルへのターン」・・・飛び魚ターン

 今回、オリンピックについて色々と考えていると、ふとこんなことを考えた。現実的でないし、歓迎されないだろうが、北朝鮮のピョンヤンでオリンピックが開催された時、この国が初めて国際社会の仲間入りを果たし、北朝鮮の貧困と核問題の解決策が見出されるのではないか。
 これぞ真の“平和の祭典”か。
 この発想、ちょっとめちゃだったかも?
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2009年10月02日

No119:優しい税務署はちょっと?

 以前から、「役所の窓口は無愛想すぎる。」と言われているが、一口に役所と言っても市役所(区役所)や町役場、それに公立図書館、水道局等一般住民の生活と密接に関わっているものもあれば、警察署、消防署、税務署のように何か特別なときにのみお世話になる役所もある。
 この中でも職業柄、税務署に出向く機会が一番多いが、最近の税務署の対応にはほっと和んだり、もの足りなかったり個人的には複雑な思いを抱いている。
 確かに公共機関や役所の一部はいまだに、「その偉そうな態度、いったいあんたら何様やねん。」とか「なんでそんなにブスッとしとんねん。」という態度のところもあるが、ここ数年は、比較的にこやかな対応のところが出てきている。
 もちろん、もともと公務員のお方は客商売という感覚はないので来客の対応には慣れてはいないと思うが、ぎこちなくとも丁寧に対応してもらえるとうれしくなったり、得した気分になったりもする。
 税務署も最近は税務調査で大きな問題を抱えている場合を除いては担当官も一般的な質問に対しては丁寧に対応してくれるし、受付の女性なんかは少し微笑みながら『ご苦労様です。』と声を掛けてくれる。
 ただ、優しくしてもらっておきながら勝手な言い分かもしれないが、“署”のつく役所は訪問する側が少しばかり緊張しながら玄関を入っていく方が良いように思うし、本来、身も心も引き締めながら訪れる場所のようにも思う。
 日常生活の中でも緊張して接しないといけない相手は必要だろうし、それが結果として自分自身を磨くことにつながっていることも否定できない。
 そういう意味では、優しい警察、優しい税務署はどうかなと思ってしまうし、これらの役所は行きにくいくらいの方が丁度いいのかもしれない。
 
 ちょっと話はそれるが、親、先輩、先生(恩師)等、先人や偉いお方の前ではやはり気を引き締めるべきだとは思うのだが、最近の世の中を見ているとこの区別があまりにもなさすぎるように感じてしまう。
 自分が歳をとったからかもしれないが、昔の校長先生なんかは顔を合わすと結構緊張したし、『おはようございます。』と『さようなら。』とあいさつした記憶しかないような校長先生もある。また、下校途中、道いっぱい広がって歩いていても交番の近くでは、急に二列に並んだりしたこともあり、こういったことが今となってはなんだか懐かしい。

 私がこの仕事をしだした頃、書類に“上京税務所”と書いていたので、その時の上司に呼ばれ『“税務所”なんて、日本中どこ探してもないで。税金の役所は“税務署”やろ。“所”と“署”の違い分かるか? “署”と付くとこは法律行為を取り締まる権限のあるところでちょっと怖いお役所という意味があるんや。これ、間違うようではまだまだやな。』と言われたことを思い出した。
 確かに、税務署以外にも警察署、消防署、労働基準監督署、どれも近寄りがたいところには違いない。
 それと比べて、市役所、保健所、職業安定所、社会保険事務所はサービスを提供してくれる機関であり、気軽に行けるし、基本的には怒られるとこではない。
 “署”と“所”の違い、妙に納得。

 そういう意味では、税務署の職員(調査官)の方には申し訳ないが、税務署の対応が親切になったからといって油断はしてはならないし、いつになっても緊張が必要な場所であることには違いない。
 自分自身、税務署の対応を褒めているのか、けなしているのか分からなくなってしまったが、冒頭でもいったように優しい税務署ではなく、毅然として近寄りがたい税務署の方が、ある意味我々が仕事をする上でも良い仕事ができるような気がする。

 今回もいつものように放談で終わってしまったが、今日はこれくらいで・・・。

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2009年09月24日

No118:“叱る”と“怒る”では大違い

 昨日まで初めての“シルバーウィーク”とやらではあったが、我が事務所も19日の土曜日より5連休であった。
 慣れない秋の大型連休で世の中がどう反応するのか興味深かったが、京都市内は観光客らしき人も多く見うけられ思った以上に世間はしっかりと休んでいたというのが率直な感想である。
 個人的には、「もうこれ以上休みええわ。」という感じかな。

 私自身は普段の土日なら面談予定がなければ、「残務の合間に読書」というのが定番であるが、今回の連休は21日以外、人と会う予定もなく「読書の合間に残務」という状況であったので結構な時間を気兼ねなく使うことができた。
 当然、この機会に“読まなければならない本”や“目を通さなければならない本”もたくさんあり、自由気ままにとう訳にはいかなかったが、まずは日頃なかなか出来なかった税法の中で自分が弱い部分の補完学習に時間を費やすことができた。
 世の一般の方からは、「税理士さんは税金のことなら何でも知ってはる。」と思われているが、恥ずかしながら「任しといて。」という得意な分野ばかりではなく、まだまだ学習が不十分な分野も存在しているのは事実である。
 さすがに、税について全く聞いたこともない、初めて聞くという項目はほとんどないはずだが、職業上、やはり、税金のことは何でも知ってる、しかも、“熟知”していると思われている。そういう意味においても、出来るだけ不得意分野をなくし、「税のことなら何でもかっかってこい」と力強く言い切れる税理士になりたいし、これには、半永久的に継続的な知識の補完が必要なのだろう。

 税の専門書を読むというのは、“義務的な読書”あるいは“強制的な学習”であるが、こういったもの以外の好きな本を好きなだけ、好きなときにというのが本来の読書の楽しみであろう。
 今回は5連休だったので、毎度の“戦争もの”、“京都もの”の他に“ビジネスもの”と幅広くて手を出せたが、その中でも【貫く 「創業」の精神(元ワコール会長 塚本幸一・日本経済新聞社)】には学ぶべきものが多くあった。
 今では少なくなってきた戦前生まれの経営者の一人であったが、『終戦を迎えたとき、55人の私の部隊で生き残ったのは、私を含めてわずか3人。』という、強烈なまでの筆者自らの戦争体験が経営の根幹にあるのは言うまでもない。
 この本の中で【叱る】と【怒る】の違いについて、「似ているようで、その内容は全く異にするものである。怒るということは、だれにでもできる安易な行為であるが、叱るということは、時には非常な勇気、思いやり、強い愛が必要である。」と説いている。
 また、この本の中に我々が日々生活する上で心に留めておかないといけない重い言葉が記されていた。
「叱りを忘れた集団は烏合(うごう)の衆であって、なれ合い集団となってしまう場合が多い。」
 現代社会においては、上司と部下、先輩と後輩、そして親と子、それぞれにおいてこの叱り叱られることの緊張感が欠けているように思う。もちろん、私自身もである。

 私もこのことについて過去のことも振り返ってみたが、社会人になってから「あっ、あの時は怒られていたんではなく、叱られていたんだな。」と思う場面がいくつか思い出された。つまり、怒られたことはほとんど記憶にないが、叱られたことは結構覚えているものである。ここに、【叱る】ことと【怒る】ことの違いがあるように思う。
 私自身、今まで叱られたことの記憶として鮮明に覚えていることといえば、仕事以外のことではあるが、高校と大学時代の陸上競技生活での顧問とOBからの言葉である。

 一つは高校2年の時、自転車での下校途中、傘差し運転をしていて前方不注意で溝に落ちてけがをしてしまった。普段、ほとんど声を張り上げたことのない陸上部の顧問の先生から『ちょっとした不注意で今までの苦労が水の泡になってしまうぞ。大事な時期なんでもっと注意をはらって生活しろ。勝負は競技場内だけとは違うんだ。』と厳しく諌められた。確か、このとき全国インターハイの近畿地区予選の10日程前だったと記憶している。
 雨の日も雪の日も練習してきて、いよいよ大一番という前のこのけが、2針は縫ったものの幸い何とか練習も出来、目標が達成できた。

 もう一つは大学時代に陸上部のOB Kさん(当時、誰もが恐れるOB会の名物幹事長)の家に招かれてたときのこと。普段、食べたことにないような肉をたっぷりご馳走になり、お酒もまわってきて気分よくなってきた頃、この日一緒に行っていた3人を目の前に並ばせて、『あのな、お前ら最近たるんどらへんか。バイトして、コンパして女にうつつをぬかして。どこの親もお前らが遊んだり、女とちゃらちゃらするために仕送りしてるんと違うんやで。親ちゅうのはどこの親も、我が息子が勉強もクラブも4年間やり遂げてきちんと卒業し、そして就職する日を夢みて働いてるんやで。分かっとんのか廣井。おまえらほんまにしゃんとせなあかんで。今日はここに泊ったらええけど、明日、自分の下宿へ帰ったら、用事があろうとなかろうといっぺん田舎の親に電話して声聞いてみ。今のお前らには俺の言うてることは分からんやろけど。まあ、俺が言いたいのはそれだけや。電話するのは今日肉食ったもんの約束やで。話はこれくらいにしとくわ。さあ、続きで酒飲むで。』
 
 この苦言の意味が25年以上も経ってやっと分かってきた。これが本当に“叱る”ことであり、“叱られること”である。
 こんなこと書いてると何だかこのお二人に会いたくなってきてしまった。元気にされてるかな?
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2009年09月19日

No117:今の政治、「ここがおかしいで!」

 鳩山新政権がスタートし、今後の政局運営やマニュフェストの中味についての議論は絶えないが、日々、テレビや新聞等の報道で取り上げられているこういった問題はマスコミの方々にお任せするにして、ここ数ヶ月で私が「ここがおかしい」、「なんか変だぞ」と思った事項について勇気を出して取り上げてみることにする。

 まず、
【その1.橋下大阪府知事はうるさすぎる。なんか間違ってへん?】
 知事というのは、大阪府であれば、府庁のトップ、あるいは、府民の代表であるし、そして紛れもない大阪府のリーダーでもある。
 ただ、現行制度においては、知事が中央である国の政治に口を出す立場でもないだろうし、ましてや、『“地方分権”を一番推進する政党を支持する。』とか、『地方分権を推し進めない政党や候補者は支持しないし、必ず落とす。』なんていう発言はおかど違いもはなはだしい。
 国の政策に口出ししたければ、知事なんか辞めて、潔く国会議員に挑戦すべきであろう。
 確かに補助金をはじめとする予算の配分の権限は中央省庁にあり、各都道府県単位ではどうしようもないのが事実であろうが、それを分かって、その裁量も十分に理解して知事になったのではないのか。
 知事として限られた裁量や資金の中で大阪府をより良くするために純粋に職務を執行するべきではないのか。大阪府民だって、きっとそう望んでいると思う。
 知事の立場でこれ以上国政にちょっかい出すのは止めたほうがいいし、どうみてもでしゃばり過ぎだと思う。


【その2.官僚をなぜ悪者にするのか?】
 官僚とは国家を運営するための役人であり、その中でもトップ集団はキャリア官僚と呼ばれる選び抜かれたエリートであり、その多くを東大卒が占める。
 しかし、この官僚、特に中央省庁の官僚たちの行動がなぜそんなに悪く言われるのか私には理解できない。
 “官僚”特に“キャリア官僚”のことを庶民感覚がないとか、利己主義的なエリート集団の代名詞のように言う人もいるが、今日の近代国家を内政、外交の両側面から誘導していくのは我々のような凡人であったり、一般市民の代表では能力的限界は目に見えている。ここまで日本の国家としての政策を立案し実行してきたのは紛れもない官僚たちであろう。
 また、国会議員についても同様のことが言えるかもしれない。よく“庶民派の議員”とか言われているが、市会議員や町会議員ならまだしも、国会議員に“庶民派の議員”なんていらないと思う。
 こういうのは各市民団体や地域住民の代表として国や自治体に意見を言ったり嘆願したりするのでいいのではないか。
 国としても“庶民感覚”や“国民感情”は無視できないものであろうが、国家を運営する能力なんて、当然、我々庶民は持ち合わせていないし、これは我々国民の代表として、最高の能力を持ち合わせている公務員として官僚は必要であるし、これは近代国家として当然のことであろう。
 国民の意見を集約・伝達し、能力のある官僚をうまく使いこなすことが国会議員の大きな役目の一つのように思う。
 そういう意味において、“脱官僚”なんて掲げるのではなく、レベルの高い官僚たちをコントロールし、彼らの能力を国のために最大限に引き出していくことが今の日本の政治に必要不可欠であるように思う。


【その3.マニュフェストについて実行だけを求めるのはいかがなものか?】
 選挙前に掲げたマニュフェストは国民に対する約束である以上、支持を得た側は必死になって実行に移していかなければならないのは当然であるが、移す段階で無理なものや立ち止まって再考した方が良さそうなものは、ストップする勇気も必要であろう。
 もちろん、選挙を通じて国民との間に交わされた非常に重い約束であるが、このことについて国会議員や国民が議論したり、深く考えること自体に大きな意義があるように思う。そういう意味において、実行に移す段階で再度チェックをかけてみて再検討することも大いに結構かなと思う。
 そして、結果としてたとえ実行できないものがあっても、私自身はそのことが即、“公約違反”とは思わないが、皆さんはどう思われますか?


 東国原宮崎県知事の国会への転出話のあたりから、なんだかこの国の政治はおかしんじゃないかと気になっていたし、その後の総選挙、そして政権交代をした今日まで、私が「これ、おかしいで!」と思っていたことを一気に書き出してみた。

 ここに掲げた内容は全くの私見であり、誰かに応援や賛同を求めるものではないが、一度言っておきたかったことでもあるので、こうして、吐き出してみて本当にすっきりした。何かを学習して述べたことではないので、ひょっとすると内容的に理解不足の点や間違っていることがあるかも知れないが、その時は一有権者の独り言としてお許しいただきたい。

 連休の始まりの日にちょっと難しい内容になってしまったが、みなさんはどう思われます?
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2009年09月11日

No116:税理士の“品格”・・・理想の税理士像とは

 自分自身の品格と職業が一致していると思っている人はどれくらいいるのだろうか。
 こんなことじっくり考えたこともなかったし、考えるべきでないのかもしれない。
 ただ、最近仕事をしていて、顧問先の経営者や院長と話をしていると「おやっ?」と思うことがある。
 それは、顧問先の方と私との関係が年を追うごとに少しずつ変化しているという点である。
 この業界に入ったのは20代の前半で、50〜60代の経営者からみれば息子同然であり、今になって思えば、仕事上、頼ると言うよりも、可愛がったり、人生について色々と教えて成長させてやろうと考えながら接していてくれたんだなと思う。
 確かに20代の頃は顧問先に行って相談されるというより、まるで経営塾の塾生のように教えを被りに訪問していたというのが事実であろう。これで顧問料を頂けていたことを考えると、当時の税理士事務所のトップの力量や事務所自体の知名度、それに大きな組織力には頭が下がる思いである。
 そして40代となり、2年前、45歳で開業してからは顧問先との関係に微妙な変化が生じてきていた。
 それは私自身が、当然、勤務税理士から税理士事務所の開設者へと立場が変わったことに起因することが一番大きいのであろうが、それ以外にやはり年齢的なことも関係してきているようである。
 歳を重ねるに従って顧問先の経営者(社長や院長)の年齢も同年代の方が多くなってきていると思っていた(私は昭和37年生まれである)が、顧問先の方の年齢を調べてみると私より年下の方が30名もいらっしゃる。昭和40年代や中には昭和50年生まれの方もある。
 こういう時の流れとともに、私のことを同世代というより“年上の税理士さん”という目で見ておられる方も出てきている。もう少しすると“年配の税理士さん”ということになるのかも。
 先日もある年下のドクターから、『正直言って、廣井先生にはちょっと気を使ってしまうんです。「何でも遠慮なく言ってもらったらいいですよ。」と言わてるんですが、なかんか思ったことが言いにくくて・・・。』
 いや〜、びっくり。今まで話がしづらいなんて言われたことがなかったのでとてもショックであった。
 これは何なんだろう? 歳をとった証拠か。生意気に見えるのか。それとも、威厳が出てきたのか。う〜ん、どれもうれしくない。
 講演会や公的な場で話をする場合には、多少なりとも威厳らしきものは必要なのかもしれないが、顧問先の方には腹を割って話して欲しいし、当事務所のほとんどの顧問先のように小規模事業者の場合には差し支えのない範囲で個人的事情も話してもらわないことには根本的な解決策を見い出せない場合だってある。
 そういう意味では、この仕事をしていて距離を置かれるのは、仕事上非常にやりにくい。
 若い頃は、“頼りない若僧”に見られるのがいやで、何かと背伸びした対応をした頃もあった。
 その後、顧問先の経営者の年代が近くなってくると、仕事以外の面でもよく似た境遇であったり、同じ時代を生きてきた者として話も弾んだものだが、最近は、前述のように若い経営者の方も増えてきて、相手様に多少の緊張感を与えているのがこちらにも伝わってくる場合もある。
 この辺、仕事の性質や中味を考えると本当に難しい。
 でも結論的には相手の年齢、性別にこだわらず“ありのままの廣井増生”で接しようとあらためて思った。

 話は多少ずれるかもしれないが、大きな事務所で仕事をしていた頃は、役割分担も明確で自分の役割を確実にこなすことが重要であり、難題にも組織として対処できたが、今は、可能な限り自分自身で解決しないといけない。
 そういう意味では個人が幅広い知識を持ってないといけないが、様々な法令や情報をいくら吸収しも周りにはまだまだ知らないことが山ほどあるのも事実である。
 それを解決するのは、ただひたすら自己研鑽に努める以外にないという結論になる。
 ただ、分からないことや解決できないことは相手の方にきちっと伝えることも重要であるし、また、後で調べたり、他の人に確認することによって解決することもある。
 このように考えてみると自分自身の能力をアップするしかないのはよく分かっているが、もともと“学習”が非常に苦手な方なので苦痛以外なにものでもないが、この仕事を選んだ以上コツコツするしかないのかなとも思ってしまう。
 いや〜、この“コツコツ”も自分の性に合わないが、人から不安がられず、最終的に頼られるようになるにはまだまだ研鑽が足りんなと反省しきりである。
 この歳になると、日常生活の中においてもしないといけないことが多くてなかなか思うように時間がとれないが、限られた時間を有効に使い、知識を蓄積していくことが、大げさにいえば生き残っていくためには必要なのかもしれない。
 前にもこの場で言ったかもしれないが、世の中が動き出す前の【朝、7時10分から8時10分までの事務所での一人の時間】が一番有意義な時間であり、自分にとっては大切にしたい時間でもある。
 毎朝8時過ぎにはYさんが出勤してきて私の机のまわりを掃除機持ってウロウロするので、この朝の“ゴールデンタイム”は8時10分が限度なんです。
 元気だけが取り柄の我が事務所は、8時30分には完全にスイッチ“ON”で全開です。
 きついんかな? うっとうしいのかな? うちのスタッフは。私が一番乗りなんで・・・。
 
posted by ヒロイ at 21:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月04日

No115:廣井事務所 “男の総決起集会”

 8月終盤のある夜、当事務所の男性4名で“一杯”飲みに行った。
 この日は、4人が8月中の期限付きの仕事をやり終え、慌ただしかった夏も一段落ついたところでホッと一息しつつ、書類整理やら、パソコンのデータチェックやらの残務をこなしていた。どの顔を見ても疲れがにじみ出ていたが、実はこの時、自分が一番ぐったりしていたことに私は気付いていた。もう7時で決して早くはないけど、『よしっ!』と思った瞬間、『どや、今からこの4人でちょっと一杯行こか。』と声を掛けると、とっさの誘いで他の3人はびっくりしていたが、数秒後には『はいっ!』と威勢のいい返事が返ってきた。
 私自身、事務所を始めてから2年近くになるが、忘年会や確定申告の打ち上げのように事前に予定している行事以外でこうして数人で“一杯”ひっかけることを一度はしたかったが、今まで実行に移せたことはなかった。
 あまりにも私の急な思いつきなので、奧さんに飲んで帰ることの電話をする者もいた。どうも、了解を得るためだったようだがどうやら問題なくお許しが出たようだ。
 『あまりにも急なんで、すみませんがあと30分だけ仕事させて下さい。そうしないと、来週に持っいく準備ができていないんですよ。あと、チェックだけなんです。』という一人に合わせて、『30分後にはカギ閉めるしな。』という私の号令のもと、他の3人は1分でも早く喉を潤したいのを我慢して、再度机に向かった。
 無事30分後には、事務所の近くの一杯飲み屋に向かった。事務所が京都府庁の近くなので、ちょっと立ち寄れる店が何軒かあり、こういうときには何とも好立地であることを再認識した。

 4人共まずは【生2杯 + お造り又はとんかつ】のセットを注文し、小宴会がスタートした。
 皆、結構飲んで食べて良い感じに出来上がってきた。今まではここで私の独り舞台で説教たらたら、思い出話たらたらとしゃべることが多かったが、今回はそれぞれが、仕事のこと、勉強のこと、家族のこと、そして自分の将来、様々な話題について熱く語り出していた。
 若手2人(といってもどちらも30代であるが)は、普段の仕事でほとんど私と一緒に出かけているのでよく話をしており新鮮味がないのか私の話にはあまり耳を傾けず、日頃、じっくり話す機会の少ない副所長のO君の話に食い入るように聞き入っていた。
 私の倍以上の業務量を難無くこなし、顧問先の信頼も厚いO君の秘密をひも解くように話しこんでいた。私はじっと聞けない性分なので時たま口を挟んだが、今までとはちょっと違う位置でじっくり麦焼酎を味わいながら眺めていた。
 このO君の存在は、事務所の男性社員にとっては本当に大きな存在であることを肌で感じた場面でもあった。

 その後も色々な話で大層盛り上がったが、日頃、かなりの仕事量をこなしてもらっている彼らが、『仕事の方はまだまだ可能ですよ。どんどんいきましょう。』と廣井事務所の決起集会のような様子になってきた。
 私は現在、車(マツダ デミオ)で通勤している。ある一人が『よっしゃ。所長にベンツ乗ってもらえるようにがんばろ。』と言うと、別の一人が『やっぱり、ジャガーやで、ジャガー。』と妙な論争をしていたが、何ともありがたい話である。
 ただ、私は車には全く興味がなく、スムーズに走れば何でもいというのが本当のところである。
 まあ、最後はこんな話題で盛り上がってこの決起集会はお開きとなった。
 このわずか2時間ちょっとの短い時間で、しかも、突然ではあったが意義深い会が持て、こうして8月も無事終了。そして、いよいよビジネスにとっても最高に実るシーズンである秋を迎えことができた。

 今週からは、事務所で唯一の20代となる新人の女子も入ってきてくれた。
 おっちゃんやおばちゃん(お姉ちゃん?)に囲まれ、気を使うことも多いだろうが、なかなかきびきびと業務をこなしてくれている。所長の私が言うのも変な話であるが、やはり今までとは違った雰囲気を醸し出してくれているし、気のせいか場が和んでいるように思う。

 9月に入り、昨夜は米国で20年近く暮しておられたという方との初めての面談であった。もちろん、税務の話が基本ではあったが、日本と米国のものの見方や捉え方の違い、それに業界や官庁の姿勢についての比較も交えて話しを聞くことができ、これまた新鮮であった。

 我が事務所も9月21日より開業して3年目に突入する。
 常日頃から目標としている【社内的にも対外的にも“和やかさ”と“緊張感”が共存し、「問題解決能力の高い事務所」】の足掛かりをつくる上でここからがいよいよ正念場というとこか。
posted by ヒロイ at 22:46| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする