2017年09月17日

No542 【再】40年前の父との思い出(No248/2012.02.18)

 私の事務所は3連休であるが、特別な行事や予定があるわけではなく、夏以降の溜まった仕事を少しとはいえ前へおし進めたり、ひどい状態の私の部屋(寝室兼用)の整理をして過ごしている。
 ただ、一昨日あたりから停滞していた大型の台風が、徐々に近畿をめがけて進んでいる状態なので、昼間は雨こそ降らないものの、どんよりとした一日であった。
 この時期は各地でいろいろな行事が数多く予定されていたが、この天気でどれだけ中止になったのか、本当に恨めしい空模様である。

 このブログも今回で542回目であるが、少し過去のものを読み返してみると、私は生きる上でも、仕事をする上でも3年前に亡くなった父の影響を多大に受けているなと感じた。
 今日の天候がこんなにどんよりしているから余計に感傷にふけってしまうのかもしれないが、こんな時に父が生きているときに書いたブログのNo248(2012.02.18)【40年前の父との思い出】を見返して読んでいた。この文章の中の光景やと父の表情、そしてその時の私の気持ちが今でも鮮明に頭に浮かんでくるし、私の理想の父親像の原型にもなっているのかもしれない。
 すみませんが、今日はこのNo248を再度 投稿しておきます。
 本当にいい父でした。お時間のある方は目を通してみてください。

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【再】No248  40年前の父との思い出(2012.02.18)
 確定申告期に入り、事務所の方は連日連夜忙しい状況が続いているが、この業界に27年も身を置いてきた私としてはこの大きな壁を乗り切る術は知らず知らずのうちに会得してきたものがある。
 飛ばさず、休まず、がんばり過ぎず、また、気を抜かず、やりきる時は一気に集中する。そして春の訪れとその後の楽しみを頭に描きながら淡々と毎日を過ごす。あともうひとつ気をつけていることは、眠い時はどこでも眠る。電車の中ではもちろんのこと、車での移動時でも眠ければ車を止めて仮眠をとる。こんな感じで余分なことは考えずに一ヶ月を過ごすと気がつけば確定申告も終わりに近づいてくる。もちろん、この間に何度か胃腸の調子の悪い時はあるがそんなことはあえて気にしない。当然といえば当然のことなので。
 この時期、仕事のことを語りだすとついつい熱くなるので趣向をぐっと変えて、仕事には全く関係ないが今日の雪景色を見てふと思い出した雪国での父との思い出の一コマについて触れてみる。

 私の故郷はご存知のように雪深い京都府北部の丹後地方(日本三景 天の橋立の近く)で、今年は例年にない大雪である。今から綴るその思い出の一コマというのも、今から40年近くも前の確か今年のような大雪の年のことだったと思う。
 実は父との思い出というのはそれほど多くはなく、ひたすら朝から晩まで仕事(丹後ちりめんを織っていた)をしていて、私が小学生の頃、子供心に『楽しみは何?』と聞くと、(以下方言で)「一番楽しいんは仕事しとる時だな。朝起きて、さあ、今日も一日きばろうと思って目を覚まし、きばっとたら晩になる。その後の晩飯と酒はほんまにうみゃあわ(うまいわ)。』といつも同じ答えが返ってきた。
 そんな父なので取り立てて一緒に遊んだこともなかったが、この雪の降る季節、実は今まで誰にも話したことのなかった忘れられない思い出がある。多分、父自身は覚えていないであろうが、40年程前のある大雪の日曜日のことである。
 
 私の通っていた三河内小学校(現 与謝野町立)のあるところは冬は非常に雪が多く、当時、育友会の方が小学校から10分足らずの山すそを木の伐採後、整地して小学校専用も簡易スキー場を造ってくれた。
 当時は今より雪も多く、4年生くらいになると、1、2月の体育の授業はいつもこのスキー場でのスキーであった。
 確か、5、6年のときは総仕上げに貸し切りバスで神鍋スキー場へ連れて行ってもらっていた。
 5年生のときの1月のある日曜日に今まで貯めていたお年玉でスキー板を買いに行く予定を立てていた。しかし、その日は朝から大雪で前の道が狭い実家からは車が出せず、せっかく楽しみにしていたのにこの地区で唯一のスポーツ店(シブヤスポーツ)に行くことができず私は恨めしそうに雪の降る空を眺めながらしょげかえっていた。昼になっても雪の止む気配はないが子供心に念願の物を買うと決めていた日に欲しいものが買えない何ともいえない悲しい気持ちになっていた。
 諦めきれずに一人で外を眺めていた私に父は、『よし、ジャンバー(なぜか、“ジャンパー”でなく“ジャンバー”と言っていた)着い。車は出せんので歩いて行こ。1時間もかからんだろ。』と言って、私に準備を促し、私は歩く苦労なんか全く考えず、飛びあがりたいほどうれしい気分になってすぐにジャンバーを着、毛糸の帽子と手袋をはめ父と二人で家を出た。かなり強く雪が降っていたであろうがその雪の記憶はほとんどなく、そのスポーツ店で店のおっちゃんと相談しながら青のスキー板を選んだ。確かお年玉で足りない分は父が出してくれたと思うが、その後、店を出てからは、まるで今からスキー場へ向かうかのようにそのスキーを自分で右肩に担ぎひたすら家に向かって歩いていた。
 その帰り道、父と交わした話の内容も全く覚えていないが、その日曜日の夜は食事のとき以外はずっとそのスキーのそばで撫でたり眺めたりしていた。

 父は職人だったこともあって、3人の子供には勉強をしろとは一度も口にしたことはなかったし、父からは勉強を一度たりとも教えてもらったことはなかったが、今から思えば、知らず知らずのうちにすごいことを教えてもらっていたんだなとしみじみと思ってしまう。

 昨日、実家に電話を入れ、『雪、大丈夫か? なんぼ雪降っても雪かきなんかせんでええで。こけて骨折られても、今の時期、とてもじゃないけどかけつけられへんしな。とにかく雪がなくなるまでおとなししといてな。』と話すと母は、『お父ちゃんも私も今のところまあまあ調子がええし、とにかくこの冬は子供らに迷惑をかけんと乗り切ろなと言うとったとこなんだ。あんたこそ、この時期、しっかり乗り切らんと。今、一番忙しい時やろに・・。』と逆に80の母に励まされてしまった。

 こんなことを考えていると今日の大雪なんて全く気にならず、より一層、仕事に集中している自分に気がついた。
 今、事務所全体としては折り返し点くらいか? あと3週間位続くが何とか全員で乗り切っていきたいと思っている。
posted by ヒロイ at 17:46| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月10日

No541: まだやっていた高校野球・・ちょっと長すぎる夏

 ここで何度も書いてきたように私は根っからの高校野球ファンで、特に夏の選手権大会は地方予選から全国大会(甲子園)まで結構 熱心に各校、各試合を追い続けている。
 毎年であるがその総決算の甲子園は、お盆休暇を利用して1日 あるいは2日 足を運んで身も心も“甲子園にどっぷり”という状態になってしまう。
 ただ、お盆が終わるとさすがに仕事も忙しさを増し、ベスト8あたりの試合からは車での移動中にラジオで聞くくらいである。
 今年、花咲徳栄高が広陵高を破って優勝した瞬間もラジオ中継に耳を傾けながら高速道路を走っている最中であった。
 高校野球が終わると同時に夏も終わりに向かい 我々のような野球好きの社会人も、気持ちをOFFからONに切り替え、押し寄せてくる秋以降の仕事に向けて体制を整えていくというのが例年の流れである。
また、高校生も3年生の新しい進路に向かって、特に進学組は遅れている受験勉強を一気に取り戻す秋でもあるし、1、2年生はクラブをしている者なら、新チームでの始動という、新たな環境でのクラブがスターとする時期でもある。
 私ももう27、8年も前のことだが、陸上部で高3の8月3日まで大会に出ていたので、その後は あと何か月後かに訪れる大学入試に向けて、それまであまり使っていなかった頭を使うことに非常に苦労した。しかも、クラブ中心の生活から勉強中心の生活に切り替えたからと言って そう簡単に目の前の問題が解けるはずもなく 最初は机に座ることさえも苦痛であったのを覚えている。
 ただ、普通の高校(公立)で、普通の高校生であったので、こうして夏以降 クラブを引退するというのはあたりまえであったが、昨今の高校生、どの種目でも強豪校と呼ばれる学校の高校スポーツはまるでプロではないのかと思われるような形に姿を変えてきている部分もある。
 我々の心を躍らせてくれるオリンピックで活躍するような選手は、トップアスリートとして、学校での練習ではなく、東京のナショナルトレーニングセンター(トレセン)での合宿生活の中で鍛え上げられているし、サッカーも一応、高校サッカーとしては盛んであるが、将来 プロや世界を目指している選手はプロのサッカーチームの下部組織に属し、そこで鍛え上げられている。

 ここで話を高校野球に戻すが、夏の甲子園の後、18歳以下の野球の世界大会(U-18ベースボールワールドカップ)がカナダで行われており、日本からも20人の高校球児が日本代表として戦っている。
 甲子園に出場できなかった早稲田実業の清宮選手も4番として名を連ねているが、ふと考えてみると、この選手達 みんな高校生で2学期始まってるんだけど、とつまらぬ心配をしている。
 ただ、スポーツの世界、特に海外と戦うスポーツにおいては学校のスケジュールなんて関係ないのであろうし、どのスポーツにおいても世界を相手の戦いには、一年中が主戦場なのであろう。
 今回の高校選抜もメンバーを見てみると20人全員がいわゆる野球の強豪私学なので、高校を休んだらどうなるのかとか、これって公欠になるのかな? なんて、私たちの時代の平日に試合に行くときの心配事なんてもちろん必要ないのは分かっているが、ついつい”高校生”として見ているのでつまらぬ心配をしてしまう古い人間である。
 この野球チーム(侍ジャパン U-18というらしい)も、今日韓国に負けて決勝への進出は逃したらしいが、選手たちにとっては本当に長い長い夏休みである。
 確か甲子園の各地方予選が早い地域では7月上旬から始まっていたと思うが、それから2ヶ月間野球漬けの毎日であり、野球がしたい高校生にとっては、羨ましい限りであろう。
 もし、この中に公立高校の選手が含まれていたら、それこそ学校に戻って普通の高校生活が送れるんだろうかと つまらぬ心配をしてしまう。

 昨日は陸上100mで桐生選手が日本人としては初めて10秒をきった。
 芸術の秋、読書の秋、そして食欲の秋 と秋本番の代名詞はいくつもあるが、私にとっては、やはり秋はスポーツに心を踊らされる季節である。そして ラグビー、駅伝、マラソンと続く冬のスポーツも私の心をワクワクさせてくれる。

 桐生君、これで日本一“速い選手“になったが、どんな状況でも絶対負けない一番”強い選手”、そして観ている者の心に響く“記憶に残る選手“になるためにこの冬でさらにパワーアップして来年を迎えて欲しいと思っている。
 あと、国体が残っているらしいので、そこでも無理をしてはならないが好記録を期待している。
 調子がいいときほどケガにだけは十分に注意するように・・。
posted by ヒロイ at 20:37| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月03日

No540:今後 成長が期待できそうな添乗員さん

 先日、団体(13名)で研修を兼ねた1泊2日の旅行に行ってきた。
 今回 話をするのは、その研修や旅の中身ではなく、同行していただいた旅行会社の添乗員の方の仕事ぶりについてである。
 この添乗員さんは会社は大手とはいえ、実は今春 大学を卒業したばかりの新人の女子社員であった。
 4月に入社し、新入社員研修を終えられた後、ここまで何件かの添乗をこなしてこられたとはいうものの まだ入社後 半年に満たない新米さんである。
 今回の団体旅行の幹事役を任されている私としては、失敗はないにしても、引率は慣れたベテランか中堅の添乗員の方がいいという こちらの意向をちらっと旅行会社の担当者に伝えたところ、「代えることもできますが、彼女も新人とはいえ しっかりと仕事をこなせる社員なんですが・・。」とちょっと自信ありげな彼女の上司である当方の担当者の返答であった。

 その後、旅行会社の方もこの新人の代わりの添乗員ということで検討を重ねていただいていたようであるが、ふと 今春 社会人になったばかりの私の長男のことが頭に浮かんだ。
 私の長男も、新入社員なので大した仕事は任されていないだろうし、もし、何かのきっかけで責任のある仕事を任せられたとしても、相手(お客様)や上司の理解と協力があってこそ、仕事が前に進んでいくんだろうなと思った
 そんなことを考えると、今回の添乗員の件も旅行会社が新人であってもきちんと仕事できる社員として送り出しているのを私の一存で交代要望を出すなんてこの上ない失礼な話で、私自身の行動や要望が社会人としての成長を後押しするのではなく、成長の芽を摘んでしまうということにもなりかねないと思った。
 私の方こそ人生や社会人の先輩として失格かも? と自己反省をしてしまうと同時に自分がとろうとしていた行動(要望)に対して何とも情けない気分になってしまった。
 最終的に私も考え直した上で旅行会社が当初予定されていた新人の女性添乗員をつけてもらうことになった。

 そして、研修旅行の2日間、私は幹事という立場もあり、乗物での移動中この添乗員さんの近くの席に座ることが多かった。
 身近で彼女の仕事ぶりを目の当たりにして、私の当初の要望(ベテラン添乗員をつけて欲しい)は、ばかげたものであったことが2日間 行動を共にした結果として分かった。
 旅行中、何一つミスや落ち度はなく、素晴らしい対応であった。
 当然かもしれないが、断トツで誰よりも早く集合場所で待機されていること、バスのガイドや運転手との打ち合せに余念ないこと、そして我々顧客とは適度に仲よくなられるが、決して同化することなく、仕事をする側という一定の距離をいつまでも保ってそつなく最後までこなしていただいた。
 そしてなんといっても彼女の事前準備のすごさには驚かされた。
 詳細なメモの中身こそ分からないが、彼女のノートには今回の注意点や必要な事柄が、ぎっしり手書きで書きこまれており、一つ一つの行先ごとにそのノートを食い入るように見たうえで、次の行先での注意点を参加者に的確にアナウンスしてくれた。
 先程も触れたが今回 移動の乗物の中で彼女の近くの席に座る機会が多かったが、常に旅の成功のための何か調べものをされていたのが印象的であった。

 そして、2日間の研修旅行も終わり近くになると、多少笑顔が少なくなっていたのは緊張が続くのと疲れのせいかもしれないが、私にとってはその姿が何とも応援をしたくなるようなすがすがしいものであった。
 無事、京都まで戻り 解散場所で私が最後のあいさつをした時の彼女の笑顔は、ホッとした安堵感と何とも言えない満足感に満ち溢れた表情であった。
 わずか2日間であったが、こうして必死になって添乗しようという気持ちが伝わってくる仕事ぶりは、とても好印象であったし、次も頼んでみたくなるような期待感を抱かせるには十分な仕事ぶりであった。
 楽しい旅をありがとう、中瀬さん。

 人は常に育てる側と育てられる側があり、今回のような機会を通じて人って成長していくんだなとつくづくと感じた2日間でもあった。
 最初に「今回 新人の添乗員でこなせるのかな?」 と不安を抱いた自分自身の心の狭さを自己反省すると同時に今後の彼女の成長が楽しみになるような旅であった。
posted by ヒロイ at 23:45| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月27日

No539:そう簡単に心が折れるんですか?

 最近よく耳にする言葉の一つとして「心が折れそう」という言葉がある。
 スポーツ選手が、「心が折れそうになったけど、ここまで支えてくれた人のことを頭に浮かべながらなんとか厳しい局面を乗り切りました。」という風にインタビューで答えているのを聞かれた方もいらっしゃると思うが、この「心が折れそう」という言葉を私自身は今まで使ったことがない。
 50代以上の中年と呼ばれる方は同意見の方もいらっしゃると思うし、もし同年代の人が使っていたら、「なにっ、若者ぶって」と思ってしまうかもしれない。我々が若い頃はこんなかっこいい言葉を使うことはなかった。
 別にこの言葉が悪いということではないが、私自身がもし今後 使う機会があるとすれば、一生に一度あるかないかの重大な局面で思うようにことが進まなかった場合の時であろう。
 地下鉄の中で学生たちが、「今日のテスト、昨日やったことが半分くらいしか出えへんかったし、途中で心が折れそうになったわ」と話していたり、他の場面でも一つの話題の中でこの「心が折れる」を連発しているのを傍で聞いていた私は口にこそ出さないが、「そんなちっぽけなことで 心を折るなよ」とムカッときてしまうこともあるし、「この子ら、一日に何度 心折れてんのやろ。」と嫌みな感想を持ってしまう。
 まあ、こんなことに言っている自分もヤバいおっさんかなと思ってしまうが、私の心の中では やはり「心が折れる」 あるいは、「心が折れそうなのを何とか踏みとどまった」という風にここぞというときに使う重みのある言葉であってほしい。 

 以前ここでも綴ったこともあるが、「自分へのご褒美」という言葉も、最近は若者だけでなく、中高年までもがよく使っているが、私自身はこの言葉も今まで一度たりとも使ったことがない。
 よく似た言葉で バルセロナオリンピック女子マラソンで有森裕子選手が銀メダルを獲った後、足の故障や手術を乗り越えてアトランタオリンピックで銅メダルを獲得した時に目に涙を浮かべながら口にした言葉を私は今でも忘れることができない。
 「メダルの色は、銅かもしれませんけれども……、終わってから、なんでもっと頑張れなかったのかと思うレースはしたくなかったし、今回はそう思っていないし……、初めて自分で自分をほめたいと思います。」
 私自身、この有森選手の言葉がいまだに強烈に頭に刻み込まれているので、「自分をほめたい」とか、「自分へのご褒美」という言葉を口にするのはなんだか憚(はばか)れるような気がして、使うことさえ恐れ多いと思っている。
 私のような中途半端な人間は、まだまだ使ってはならない言葉だと思っているし、本当に“心が折れそう“になるのを何とかこらえて、やっとの思いで目標を達成できたときに”自分をほめて”、”自分へのご褒美”に欲しかったもの手にしたり、やりたかったことをやってみようと思っている。

 その目標とは・・・内緒ですが、まだまだ達成できそうにない、ひょっとすると死ぬまでに達成できないかもしれない目標である。

 お疲れの日曜日の夜に中年オヤジのたわいもないブツブツにお付き合いいただきありがとうございました。
posted by ヒロイ at 21:48| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月20日

No538:いつ住宅を買うのがいいですか?

 こういった仕事をしている関係上、顧問先はもちろん、友人や知人からも 「今、自宅を買ってもいいですか?」という質問を受けることがある。
 私も結婚して30年近くになるが、この間 住宅については最初の購入以降、2度の買換えを経て、今の家に落ち着いており、3軒目の家に住んでいる。
 その都度、子供部屋の確保、駐車スペース、交通の便の良い所といろいろな視点からの必要に迫られての買換えであるが、その中でもやはり重視したのが返済可能なローンの組み方であろう。
 もちろん、家を買い替える時は住宅のチラシを片手に何軒もの家を見て回った経験はあるが、これは見れば見るほど良いものが目に飛び込んできて、当然のことながら金額はどんどんはね上がっていく傾向にある。
 そんな中で、あまり無理をせずにというか、一生ローンに追い立てられなくてもよい家との観点から決めていったので 第一希望の家かというと 決してそうではなく、「まあ、こんなところか」というところに落ち着いたというのが今の家である。
 注文建築でもなければ特別高額な内装や空調設備を施してあるわけではないので10年を過ぎてくるといろいろなところの調子が悪くなり、一応、その都度 取り換え等で対応はしている。
 先日もエアコンのルーバーがスイングしなくなったし(我が家では「羽根」が動かなくなったと言っているが)、過去においても風呂や流しの水の流れが悪くなったり、風呂のお湯が出なくなったりといろいろなことが起こった。
 ここでは住宅メーカー名は伏せておくが、ただ、これも比較的安い住宅を買ったからだ、5人で目いっぱい使いきったからだ と妙な捉え方で納得してしまっている。

 住宅購入の相談が多いという話から、自分の住宅事情という話に飛んでいってしまっていたが、話を少しだけ元に戻すと、“老後の家”という観点での購入でない方については、まずは家族の全員(多く)が、一番長い期間 一緒に住んでいられる時期に購入することをお勧めする。特に子供のいらっしゃる方については、子供が重宝し、喜んでくれる時期というのが買い時のように思う。
 なぜこんなことを言うのかというと、子供が成長し、進学や就職、そして結婚となると家から出ていって、家に活気のある時期というのは意外と限られた期間であると思われるからである。
 まさに我が家がそうであり。「大きくて、豪華な家を買わんでよかった。ローンも何とか払いきれそうやし。」と今になって多少ホッとしている部分もある。
 ただ、これからも住み続けるうえで またどこかに歪が出てくるんだろうなと 老後の資金支出を心配しているというのが現状である。
 どうせ次の世代(子供たち)は誰も住まないであろうから、何とか寿命のある期間持ちこたえて、誰もいなくなれば売っ払って お金に換えればいいと無責任なことを考えている。
 変な話、財産のたっぷりある人は相続や財産の分け方について十二分に方策を練らないといけないが、私は”子孫に美田を残さず”を地で行くような人生の終い方が理想だと思っている。ただ、葬式代だけ残して人生を終える なんて都合のいい死に方ができるわけではないので、現実はなかなか難しいところであろうが・・。
 「財産を残さない」なんて、財産の相談を受ける税理士としてちょっと問題のある発言かもしれないが、これはあくまで私の個人的な生き方なので誰にも強要したりはしません。

 仕事上では、各人の希望に合った相続に対しての相談を、心よりお待ちしております。
posted by ヒロイ at 20:25| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月13日

No537:お盆 真っ盛りですが、私の夏休みはこんなもんです

 今日は8月13日ということで、本来であれば お盆の始まりという時期であるが、祝日である山の日が8月11日に入ったので、当事務所も8月11日から16日まで6連休のお盆休暇の真っただ中である。

 昨日は私の実家へ墓参りと施設に入っている母の様子伺いに行ってきた。
 ニコッと笑う母の表情は、何とも言えないくらいこちらの気持ちまで"にこっ"という感じになるうれしいものである。
 仕事でもよく行く丹後(京都府北部)なので、道は慣れているし普段なら片道2時間弱で行けるのだが、昨日はレジャー組に帰省組も加わり、高速道路は大渋滞。行きも帰りも3時間半もかかってしまった。
 明日は周山の美山(丹波)へカミさんの両親の墓参りが控えているが、こちらは早朝に出発し、墓へ行った後は今は空き家になっている家でお坊さんを迎えての盆参りである。
 ただ、こちらはそれ以外の用もないので、例年どうり昼過ぎには京都へ帰ってくるというコンパクトなスケジュールである。

 あと残りの2日間(15日、16日)は甲子園のチケットを次男が手に入れてくれたので、夏の最大の楽しみである甲子園での高校野球観戦である。
 我が家の3人の子供も社会人の上2人は、土日以外は仕事が入っていたり、友人と旅行に行ったりで親には付き合ってくれないが、まだ学生の次男だけは甲子園に行くためにわざわざ東京から帰ってきて、私に付き合ってくれるという何ともありがたい存在である。ただ、14日の夕方にならないと帰ってこないが・・。
 こうして、子供と行く甲子園も今年限りかもしれないし、ここ10年近く夏の甲子園に通っていたが、昨年はこの次男も用事があって、やむなく私一人でお盆休暇に甲子園に行ったので、今年も一人でと思っていたところである。
 朝5時出発で1日4試合というのも体力的に段々厳しくなってきた感もあるが、高校で陸上に転向するまでは、元々 野球少年だったので、野球を観るのが楽しくて仕方がないし、ましてそれが甲子園での高校野球なら しんどさなんか忘れて、一試合、一試合完全に没頭してしまっている。

 この甲子園も終わり、8月も後半になると仕事も何かにつけ忙しくなってくるが、平凡とはいえ毎年 同じことができるということもこの歳になると貴重なのかもしれない。
 今年の夏も遠出こそできなかったが、岐阜県の下呂温泉で露天風呂に入って、料理を食べながら、飲み過ぎるくらいお酒を飲んだことも甲子園と並ぶ 今年の夏の大きな大きな息抜きであった。

 今年のお盆休暇はいつもより少し長いので、あと3日間も残っている。
 まさしく “英気を養える” 休日にしたいものでる。
 では、みなさんも残りの休日を十二分に楽しんで下さい。
posted by ヒロイ at 16:14| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月06日

No536:女性の方がしっかりしてるで

 今回のタイトルそのものが、まだまだ男性より女性を下にみているのでは、と言われるかもしれないが、そういった男女差別という観点ではなく、仕事をしていて、「女性の方がしっかりしてるで」と思える場面にでくわすことがたびたびある。
 いろいろな仕事において女性の進出には目を見張るものがあるが、企業としても女性をどのように活かしていくかが、企業の成長を左右するといっても過言でもない状況が近づいてきているように思う。
 看護師、保育士は古くは女性の職業とされてきた時代があったが、今では男性が逆進出してきているような職種もある。
 以前は男性が圧倒的に多かった電車の所掌さんと金融機関の営業担当(今回は融資担当)を例にとって、最近 私が目のあたりにしたことを紹介してみる。

 先日、名古屋まで新幹線に乗る機会があり、京都から35分ということもあり自由席に飛び乗ったところ、最近なくなったと思っていた検札(切符の確認)が自由席ではまだなされていた。
 座席に落ち着いて15分ほどすると、京都から乗り込んできた人だけピックアップしながら検札が進んでいき、当然のことながら私にも声を掛けられた。
 新幹線はかなり前から女性の車掌さんが目につくようになっているが、切符を手にした後のチェックの手際のよさ、そして名古屋に到着する時間の告げ方を見ていると男性顔負け(これまた、この言葉自体が女性を差別しているのは分かっているが)の凛々しさがあった。
「こりゃ、男は負けるわ」と思ったと同時に、こういった今まで男の職場・職域といわれていた職種で全く抵抗なく女性が仕事をこなしている姿は、企業としての女性の活かし方を再考させられるワンシーンであった。
 ただ、新幹線以外ではまだまだ男の世界なんだろうなと思う部分もある。よく仕事で利用する地下鉄や近鉄では女性の車掌さん?(車内をまわる人)はほとんど見かけないので・・。

 もう一例、女性の方が仕事をきちっとこなしているな感じている職種がある。これは金融機関の営業(融資)担当者である。
 ある金融機関の融資の相談窓口が今まではずっと男性であったが、その金融機関での人事異動の結果、1年半ほど前から女性の担当者に変わった。
 私はこういった仕事を女性としたことがなかったので、「うまくいくのかな?」と多少 疑心暗鬼な気持ちでやり取りを始めたところ、全く問題がないどころか、きめ細やかで、ものすごく安心感、安定感のある仕事の進め方であった。
 具体的には、依頼していることへの反応が早い、こまめに状況報告をしてくれる、そしてお客様の受けもいいと いいことずくめであった。

 私たちが就職した頃のイメージがまだまだ頭の中に残っているのも事実であるが、これからは、人口減や一人当たりの収入減もあり女性が働く機会が今まで以上に多くなるだろうし、まさしく企業の労働力、貴重な戦力になることは間違いない。
 別に女性の方が男性よりも何かにつけいいというのではなく、活き活きと、かつ、てきぱきと仕事のできる人であれば男性であれ、女性であれ 性別というものは全く関係のない時代が近づいてきているなと感じる今日この頃である。
posted by ヒロイ at 22:05| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月30日

No535:監獄をホテルに? お金のためなら何でもありか

 数年前から、各自治体が財源不足を補うために運動施設や公共施設に企業名をつける試みがあちこちでなされているが、個人的には「はい、賛成です」という気にはなれない。
 参考までに京都の運動施設では下記のものが挙げられる。
・西京極球場 → わかさスタジアム京都
・京都府立体育館 → 島津アリーナ京都
・京都市体育館 → ハンナリーズアリーナ
 
 オリックス球団の本拠地は以前、大阪ドームと言っていたが、今やだれもが京セラドームというくらいその名が浸透していけば違和感はないが、まだまだ、それどこ? とHPで元の名称と場所を検索しないとピンとこない施設もいくつもある。
 プロ野球でもZOZOマリンスタジアムなんかは、まだまだ千葉マリンスタジアムの方がよっぽどわかりやすいが、これではお金にならないということであろうか?
 この命名権に企業から入ってくるお金は、わかさスタジアムで年間2,500万円、島津アリーナが年間2,000万円らしいので、決して無視できない金額なのかもしれない。

 過去から企業をバックに成り立っているスポーツの会場(施設)ならまだやむを得ないという感じはあるが、文化施設の場合、どうかな?と違和感を感じることがある。
 我々の世代は京都会館と呼んでいたものが今やロームシアターと言われるようになっているが、おじさまは、悲しいかな ついつい”元”京都会館 という言い方をしてしまう。
 そしてなんといっても許しがたいのは、京都市美術館が2019年の改修終了後は京都市京セラ美術館としてオープンするという 史上最大のがっかりネーミングであろう。
 由緒ある京都の美術館だからこそ“京都市美術館”であって、これを世界に誇る”京セラ京都市美術館”と呼ぶのは先人に申し訳ないと思わないのか?
 京セラさんが悪いと言っているのではないので京セラさんの関係者の方、気を悪くしないでほしいのだが、何かが間違っていると思っている京都市民は私だけではないはず・・。

 頭がカッカしているうちにもう一つだけ言っておきたいことがある、
 これは奈良の元監獄(少年刑務所)をホテルにするという超バカげた発想。
 確かにアイデアとしては面白いかもしれないが、監獄という場所は あくまで罪を犯した人を一定期間収監しておくところであり、これは国家にとっても、また収監されている受刑者にとっても神聖な場所であろう。受刑者の中にはここで更生し、人生を立て直した人だって少なくないはずである。その旧奈良監獄(少年刑務所)をホテルにするなんて、受刑者に対しても失礼極まりないと思えてしまうのである。
 まだ網走の監獄のように博物館にして、刑について考えさせるようなものであれば意義もあるのだが、ホテルにする発想、いったい誰が出したのか知りたいくらいだ。
 お金のためかどうかは知らないが、これを嬉しそうに取り上げるマスコミもいるが、あいた口がふさがらんというか、もう少し物事をわきまえる、道理をわきまえるくらいのことがあってもええんと違うんかなと思えてならない。
 「ほんまにもうあほくさ!」 としか言葉が見つからんわ。
posted by ヒロイ at 18:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月23日

No534:楽しい結婚式でした

 昨日は事務所の男性社員の結婚式に招待してもらったので、12時からのチャペルでの挙式、そして その後の披露宴と楽しい一日を過ごした。
 ここ数年、甥や姪(兄姉の子供たち)の結婚式が続いていたが、親族以外の結婚式は久しぶりであったし、日頃 一緒に仕事をしている者の結婚式はより身近に感じられ、出席した私の方までウキウキした気分になった。
 自分の結婚となると30年近くも前のことなのであまり覚えてないが、育った環境がまるで違った者がいっしょに生活することの困難さは予想していた以上であったということだけ頭に残っている。
そういう意味において、結婚は今までとは大きく違う人生のスタートであることには違いない。

 今の時代、男女とも非婚率が高くなってきているし、結婚ありきのような風潮になることは批判を受けることになりそうであり、結婚についてはあくまで自由であるというのが基本的な考え方であるが、若い世代の人たちや子供たち(赤ちゃんも含む)がいる所は活気があるし、そういった賑やかな場所に行くと、その活気がこちらまで伝わってきて、元気をもらえるようなところがあるので、私自身はやはり活気あふれる世の中であることが望ましいと考えている。
 問題発言と言われるかもしれないし、中年のおっさんの単なる願望と捉えられても致し方ないが、外国人観光客で賑わうだけでなく、我が国に住んで、生活している人もあふれるような街や国になって欲しいと常日頃から思っている。
 
 昨日のお嫁さんも結婚後も仕事を続けられるようだし、最近は結婚したからといって、仕事を辞めてしまう女性も少なくなり、結婚だけでなく出産後も産休を取った後、再び元の職場に復帰する女性も増えてきている。
 これは、いろいろな意味において非常に望ましいことであろうし、実際、私の娘(20代、社会人)も現在は独身であるが、仮に結婚をしたとしても仕事を辞めるという気は全くなさそうである。
 まだ、我が事務所では産休をとってもらうような機会は今まで一度もないが、今後 産休、育休(男性も)、それに我々の世代(50〜60代)は親の介護休暇 等、家族を守るために必要な休暇が無理なくとれるような職場を目指していきたい。 しかし、中小企業であるがゆえに、休暇をとる者の代わりとなる人材の確保が万全でなく、まだまだ労働環境が整っているとは言い難い職場であるのも事実である。
 こういったことが実現してこそ 優秀な人材が新しく入ってきたり、現在、在職中の貴重な戦力が辞めずに長くいてくれる職場になるのだろうなと思っている。
 ただ、理想論を唱えるだけでなく、本当に人を充実させるには、人にお金をかけることも重要なのだと思うし、それを下支えする財源も必要となってくる。
 今までは採用する側が人を選んでいた時代であったが、今は明らかに人が企業や勤め先を選ぶ時代に突入している。
 
 私も含めて経営者は経営を安定させるだけでなく、勤め先として選んでもらえる事業所になるために 頭を一ひねりも、二ひねりもしないと、あっという間に完全に世の中から見放される事業所になりかねない。
 私なんか、まだ頭の中がそこまで追いついていってないのかもしれないので非常に焦っている。
 取り残されないようにどうしたらいいのか、まずは人の意見に耳を傾ける、これこそスタートラインと思っているので、なんとか独りよがりの経営にならないようにしたいと思っている。
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2017年07月16日

No533:見えなくなるまで見送ってくれる人

 4、5日前に母校(京都府立加悦谷高校)の同窓会名簿が送られてきた。
 前回は20年前に学校創立50周年を記念して発刊されたが、今回は創立70周年記念ということで、20年ぶりに出された。
 また、13日には高校野球の京都府予選の1回戦に登場し、惜しくも0対1で桂高校に敗れたが、先週は母校を思い出す機会が2つも重なった1週間であった。
 2020年には実質的には宮津高校に統合されるので、純粋な形で母校として残るのはあと2年ほどであるし、野球部にいたっては、今年は総部員11人で何とか大会に出場できたが、3年生が抜けると2年生は0、1年生はわずか3人なので、今後、試合をすることすら不可能な状態になってくる。
 そういう意味でも今年はわかさスタジアム(西京極)に応援に行きたかったが、試合が平日で仕事があったため 行くことができず残念であった。

 本題に入る前に母校の話が長くなってしまったが、先日、私が独立開業前に勤務していた時の顧問先の院長夫人から連絡があり、電話の内容は「毎日暑いけど、元気か。あんたも忙しいやろけど、長いこと会ってないんで一遍 顔ぐらい見せてえな。悪いけど、仕事の話は何にもないしな。」というものであった。
 私が前の事務所勤務していた時、25歳の頃から担当をしていた先で、この電話をかけてこられた方も今や80過ぎ。10年程前から第一線を退かれおり、自分のしたいことだけするという生活を送られている。
 昨日、その近くで別の仕事の予定が入っていたが、予定よりかなり早く着いたのでその電話をいただいた方に連絡をしたうえで自宅を訪ねて行った。
 私共の顧問先ではないのでお目にかかるのは3年ぶりくらいだったと思うが、何の手土産も持たず、失礼極まりないのは分かっていたが、声を聞くと会いたくなったのでお邪魔した。
 今は一人で生活されているので、「人が訪ねて来てくれるのが一番うれしくて・・。」と非常に喜んでいただき、私が20代から30代の頃の話に花が咲いた。
 『あの頃は携帯電話もなかったし、折り返し電話が遅いとか、税金が高すぎるとか、何かイライラしたらすぐ廣井さんに電話しとったな。』
 『あんたも結婚するのがなかなか大変や言うてえらい悩んどったけど、3人の子持ちになってよう育てたな。親のありがたみがちょっとくらいわかるやろ。』
 仕事には関係のない思い出話ではあったか、あっという間の1時間であった。
 次の予定の時間が近づいてきたので車に乗って帰ろうとすると、握手をするために車の外から窓の中まで手を差し伸べてこられた。
 そして、『また、来ますね。』と言いつつも、心の中では次は2年後くらいかな、元気でいてなと思いながら車を走らせた。
 すると、車のミラーには50m程先で左折するまで手を振り続けるその方の姿が映っていた。
 私の母も元気なころは、私が実家に行って 京都に帰る時には、同じように車が見えなくなるまで家には入ろうとしなかった。
 以前、母に「なんでさっと家に入れへんの」と尋ねたことがあったが、「ちゃんと見送っとかんと事故にでもあったら大変や。」というのがその返答であった。この気持ちは今になって思えば、ものすごく熱く、ありがたいものであったなと感慨深くなってしまう。

 些細なことかもしれないが、いくつになってもいろいろな人に支えられて生きているだなと実感する1(ワン)シーンあった。
posted by ヒロイ at 11:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする