2021年06月20日

No734:小心者も悪くはない

【小心者】気の小さい人。臆病な人。度量の狭い人。
 どれをとってもよい意味には捉えにくく、どちらかというとマイナスのイメージで、さらに 勇気がなく、自ら進んで行動できないような人のことを指すこともあり、いずれにしてもよいことは浮かばない言葉である。

 先日久しぶりに稲盛和夫さんの書き物に目を通す機会があり、小心者で臆病なご自身について触れられていた内容が非常に興味深く、今日は少しそのことについて私が感じたことを書いてみようと思ったので、冒頭で わざわざ“小心者”の意味も掲げておいた。

 私も一応 経営者であるが、自分のことよりも顧問先の多くの経営者の方々の顔を思い浮かべてみると こういった性格も経営に何らかの影響を及ぼしているように思えてくる。

 小心者という言葉は確かによい意味で使われることは少ないが、稲盛さんが言うように臆病というのは、石橋を何度もたたいてから渡るとか、最悪の事態も想定しておくとか等、用心深く、繊細な気持ちも持ち合わせており、経営者としてはある意味 重要な要素であるとまでも言われている。
 中には図太い神経の持ち主で自信たっぷりの人が突き進んで成功した例もあると思うが、どちらかというと用心深い人の方が好感が持てるし、自分でも少しはまねてみようかという気にもなる。

 仕事だけでなく日常生活でも、遊びでも細かなところまで事前に考え、徹底とまではいかなくともある程度の準備をしておいた場合の方がことがスムーズに進んでいったという経験は誰しもお持ちであろう。
 顧問先の中には予期せぬトラブルや外的な要因で危機にさらされそうになっても、常に物事を前向きにとらえ難局を乗り切ってこられた経営者が何人もいらっしゃる。
 こういった方は用心深さや繊細さは当然 持ち合わせているが、いざ検討すべきことがあればしっかりと考え、決して結論を引き延ばすようなことはされないし、そしていざ決断を下せば、「よし、行こう」と、即 実行に移される。用心深さと対極とさえ思えるような即断も熟慮の結果としてとれる行動であろう。
 ただ、こういった方は前に進むことばかりではなく、「よく考えたけど、あの件、うちには必要ないわ」とか「不相応と思うんでやめとくわ」と止める時の切り替えも非常に早く、中には切り替えだけでは終わらず、その後の代替案が準備されていることもある。
 この場で顧問先のことを言うのもなんだが、決断の早い人で悪い方向へ行った例は非常に少ないように思うし、相対的にできる人は何に置いても素早いように思う。逆に厳しい言い方をすると、判断をするのに時間を要するのは、事前に索が練られていないからであろうとさえ思ってしまう。
 事務所では、顧問先へ出向くのは私だけでなく、10人近くの外勤部隊がいるが、定期的な面談時には必ず質問や確認事項を準備されている方があり、中には聞きたい内容を書き留めたノートを目の前にして面談が始まる方もある。
 面談時の質問として一番多いのは、経営上 気になる一つの事象、例えば コロナが及ぼしている影響等について他の事業者と比較して自分の所はどうかということである。
 ここであげるのもどうかなと思いつつも、がっかりする例をあえて挙げておくと、ご自身ではあまり深いところまでも考えずに、「何かええ話ないですか?」、「私は(うちの会社は)この先どうしたらいいんでしょう?」という返答するのにも困るような質問をされる経営者である。
 
 今日は小心者の意味から始まり、最後はよい経営者とがっかりさせられる経営者の話で締めることになるが、税理士という仕事は顧問先を通して、自分が経験する何倍もの事例に接することができ、役得だなとつくづく感じた。
 
 私が感じたことを、結構好き勝手に綴りましたが、みなさまにも何かの参考にしていただければ幸いです。
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2021年06月13日

No733: 久しぶりに陸上競技の話題です

 コロナの感染がなかなか収まらない中、こういったところでスポーツの話題に触れることはなかなか勇気のいることである。
 オリンピック・パラリンピックが開催の是非についてほとんど議論されないまま、開催ありきという方向で話が進んでいってしまっているようにも思うが、この現在の状況は国民として何とも不思議に思えてくる。
 これは またまだ開催に対して不安感が拭えない感染の状況が続いているのでなおさらであろう。
 
 そういった中でも、2週間先に迫ったオリンピック 陸上の最終代表選考会を兼ねた第105回日本陸上競技選手権大会が大阪で開催されるが、今回はかつてないくらい注目される種目がある。
 ここからはオリンピックの開催の有無の議論とは関係なく、一陸上ファンとしての競技に関するコメントと捉えて読んでいただきたい。
 具体的にはご存知の方もあろうかと思うが、なんといっても5人がオリンピック参加標準記録を突破している男子100mのレースについてである。
 この5人の内4人が9秒台のタイムを出しているという日本では今までに見ることのできなかった日本人同志のハイレベルなレースが大阪で行われるということである。
 先週、山縣選手がそれまで9秒台を出していた3人の選手のタイムを一気に抜いて、9秒95という日本記録を出したが、オリンピックは同一国3名の枠があるので3人しか出場できないし、代表に選ばれるのは今回は日本選手権での上位3名と決まっているので、山縣選手と言えども4位になったり、万が一フライングでもすればたとえ日本記録保持者であっても出場はできないという規定になっている。
 オリンピックの開催について こんな不安定な時期に不謹慎な内容かもしれないが、オリンピック云々ということはいったん横に置かしてもらって、この100mのレースだけはアスリートの血が騒ぐので自分なりのに予想を立ててみた(ここからは陸上に興味にない方はスルーしてもらった方がいいのかも)。

◆私の予想は
1位 山縣(自己ベスト9.95)
2位 サニブラウン(9.97)
3位 多田(10.01)
4位 桐生(9.98)
5位 小池(9.98)
ケンブリッジ飛鳥(10.03)は7〜8位あたりか

 私の見立てとしては、山縣以外では多田が今 一番昇り調子のように見えるし、いつも70mくらいまではトップなので、もう少し持ちこたえれば9秒台に突入するように思う。
 桐生は滋賀県彦根市出身で洛南高校卒の関西人であるが、この多田選手も大阪桐蔭高校→関学大卒という日本男子の陸上界では数少ない関西の大学出身者なので多少 ひいきにしている選手である。
 さあ、2週間後にはどんな結果になっているのであろうか。
 今回は仕事のことも忘れて、久しぶりに陸上競技マガジンの編集長のような気分で大一番の予測をさせてもらった。

 こんな時期なので大好きな甲子園での高校の野球観戦もあの金足農業が話題を呼んだ2019年の夏を最後に行っていないし、サッカーや駅伝ももっぱらテレビ観戦である。
 ただ スポーツの関していえば、実は私にとって今年は うれしい珍事が2つも重なっている。
 プロ野球は甲子園に足を運ぶような熱狂的なファンではないが多少ひいきにして応援している阪神タイガースが、何年振りであろうか 首位独走中であるし、もうひとつサッカーでJ2に落ちてかなりの年数になる京都サンガが現在2位で、もしかすると久しぶりにJ1に復帰するかもしれないところで踏ん張っている。
 どちらも秋にはやっぱり「ダメ虎」、「ダメ サンガ」で終わっているかもしれないが、まあ今のところはワクワク感をもって結果を追っている。

 このような大変な時期に個人的に興味のある話に終始しでしまったがなって、こういった話題もたまにはお許しください。
 下を向いてばかりではどうしようもありませんから。
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2021年06月06日

No732:不謹慎? 医者がかっこよく見える

 当事務所の顧問先は開業医が多いが、コロナがクリニックの経営にも影響を及ぼすようになった昨年の2月頃から、顧問先の全てのクリニックについて、どのような影響を受けているのかをさまざまな角度から検証し続けてきた。
 その検証の基本となるのが毎月の収入が前年の同じ月と比較してどのように変動してしているのかを把握することである。
 各担当者が作成した毎月の経営指標が全件 私の所にまわってくるので、診療科別に一覧表を作成し、その推移を1年間追ってきた。
 さらにコロナの感染状況は地域差が大きいので都市部とそれ以外を区分することと、開業医の経験年数の違いも何らかの影響があるだろうと思ったので その年数も分かるように一覧表に加えた。
 そしてその総まとめが昨日 完成したので、顧問先の経営指導に役立ててもらおうと私のコメントもつけて事務所のメンバーに送信した。

 この検証で診療科、地域差、開業年数以外にも各院長の経営努力が数字となって表れている先と、なかなか努力報われていない先があることもわかった。
 残念ながら、コロナ禍においては今までに経験した経営環境の変化と異なり 院長の努力がすぐさま経営改善に結びつかないケースがあり、あらゆることについて予想がつきにくいという このコロナの持つべき恐ろしさも影響していた。
 ただ、一年以上たつと各院長のコロナに対する姿勢の違いが徐々に数字に反映されることもわかってきた。
 何かにつけ、「〜だから仕方がない」とか、「自分ひとりの力ではどうしようもない」という人は、今回もこの言葉を何度か口にされていたし、逆に「できる範囲で、できることから手をつくしつていかないと」という人とでは、当然のことながら結果に差が出てきている部分も見受けられた。
 コロナに真正面から向き合う医者だけが評価されるものではないし、いろいろな理由によりコロナとの関わりを少なくしようとされている開業医の先生がいるのも事実である。
 ただ、どんな状況下に置かれたクリニックであっても、顧問先の一人、あるいは一件たりとも脱落者を出さないことは関与税理士の役割のひとつなのかもしれない。
 私が毎月面談する院長の多くは、院内での個別接種、行政が準備した会場での集団接種と休む間もなく、コロナのワクチン接種に時間を割いておられる。
 もちろん自分のクリニックでの通常の診療はこなしたうえでのことなので、こういった先生方の生活はどうなっているのかとこちらが案じてしまうくらいである。
 こういった先生方の中には、自分の行動がクリニックの経営にプラスになっているのかどうかという観点からではなく、まさに「国家の一大事に我々の力を」という気持ちで臨んでおられる方もあり、その熱意がこちらにも伝わってくる。
 つい「夏までは仕方ないです、実は体はへとへとですが・・・。」という言葉を口にされることもあるが、何とか任務(一種のノルマ)をこなされている。
 ここで私がこういったことを綴ると、「そこまで一人の医師ががんばらんでも」 なんていう人もいるかもしれないが、医者でない私から見ると何とも頼もしいというか、ある意味 かっこよくさえ見え、思わず「ご苦労様です」、「ありがとうございます」と声をかけたくなってくる。
 今回は一般国民だけでなく、総理大臣や国会議員であっても、大企業の社長であっても医者にワクチンを打ってもらわなければ何も始まらないし、前に進むことさえできない。
 正に医師を含む医療従事者こそが国家を救うという状況になってきている。
 私は医師ではないので直接コロナと向き合うことはないが、こういったドクターが運営するクリニックをサポートすることで、間接的コロナと関わることができているのかなと考えながら毎日の業務に取り組んでいる。

 何はともあれ、通常の生活ができる日が一日でも早く戻ることを望んでいるし、そうなったときには、コロナ禍のことをどう語っているのだろうかと想像できるところまで近づきつつあるのかなと希望が持てるようになってきた。
 ただ そういった状況が現実のものになるには、更にひと山、ふた山 越えないといけないのであろう。
 本当にコロナはどこまでいっても手強い相手である。
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2021年05月23日

No731:まるで地図が伸びていってしまったような

 旅行は私のいくつかある趣味のひとつであったが、コロナ禍においてはどこにも行くことができない。
 開業してから14年近くになるが、2年前くらいまでは海外旅行こそ行くことができないものの 国内で是非とも見てみたいものや食べてみたいものがあると予定を立てて年に1、2回出かけたものである。
 今ではネットで検索していろいろな情報を入手するのが基本であろうが、数年前までは本屋の旅行雑誌のコーナーでワクワクしながらページをめくるのも楽しみのひとつであった。しかし、このコロナの感染が広まった影響でどこへも行けなくなってしまった。
 私の旅行は基本的には1泊2日がほとんどで、2日あれば北海道であろうと九州であろうといろいろな所に行くことができたし、新幹線で行く名古屋や浜松等は見たいものだけを見て帰る日帰旅行を決行したことも何度かあった。
 それが今や仕事以外では地図を見る機会もほとんどなくなり、どこかへ出かけるといってもせいぜい2時間かけて仕事でお決まりの顧問先へ行くくらいのものである。

 私は地理という教科が大好きだったので、地図を眺めているだけで旅行に行った気分になれるという“お得”な感覚も持ち合わせている。

 それが今や世界地図を見たところでどこへも行けないし、ニュースで見る外国の様子も以前はもっと親近感があり、身近な所で起こっている出来事のように思えていたが、今やお隣の韓国でさえも遠い異国での出来事のように感じてしまう。
 これは国内でも同じで2時間ちょっとで行ける東京でさえも、政治家がたくさんいていろいろな物事が決まっていくところなんて思いながらニュースで国会の様子を見たり、依然として多くの若者が行きかう渋谷のスクランブル交差点の様子を妙な感覚で眺めている。
 今まで飛行機、鉄道、そして高速道路を使っていかに短時間で行けるのかを競ってきたが、その必要さえもなくなってきているようにさえも感じる。
 「コロナが自分の行動を見直すきっかけに」なんて大げさなことは言わないが、ここまで行動範囲が狭くなってくると思考も変化していくし、人生観にも影響を与えるといっても過言ではない。
 事務所にも長期休暇の時に必ず里帰りしていた者も何人かいたが、ここしばらは行けていないようであり、会えない親子や見れない孫の顔というのが常態化しつつある今の我が国の状況である。
 ワクチン接種が進むとこういった状況はかなり改善されるであろうが、今のこの状態は旅行という余暇の過ごし方だけでなく、仕事のやり方や家族の関係さえも変化させようとしている。
 とはいっても、嘆いてばかりいても仕方ないので、こういった状況をいろいろなことを見直すきっかけにしたいものである。

 地図を広げて次の休暇にはここへ行くぞと考えられるような日が待ち遠しのは私だけではないでと思う。それは世界地図でなくとも日本地図で充分なんで。
 そういう意味で私は今まで時間の短縮競争で縮まっていた地図が、伸びて広がってしまったような感覚でいる。
 地図が伸び縮みなんて変な表現かもしれないが、それくらい世の中や我々の行動って変わってきているコロナ禍での世の中である。
posted by ヒロイ at 22:19| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年05月16日

No730:贈答品の金額が分かることの功罪

 世の中は新型コロナの感染状況とワクチン接種、それと東京オリンピック・パラリンピックの開催についても話題で持ちきりである。
 こられのことは非常に重要であることは分かっているが、私はここではできるだけ あえてこういったあふれている情報とは違うことをとり上げるようにしている。その方が新鮮味があると思うので。

 今日は便利になったネット検索についてであるが、何でもかんでもネットで検索ができるようになり、いろいろな面で便利になってきていることは誰しもが認めるところであるが、知り合いから贈り物が届いた時にワクワクしながらも、ネット検索することによって その贈り物の金額がすぐわかってしまうので味気ないというか、趣がなくなっていっているなと感じることがある。
 娘が家にいた時なんかは、お歳暮やお中元、それに何かのお返しの品が届いた時にすぐさま 「これ○○円やわ」と金額を教えてくれていて、それはそれで「あっそうか」といち早く情報が頭に入ってくることで助かることもあるが、私自身は実はこういった行動は必要に迫られない限り、今まで一度たりともしたことがない。
 また、最近でこそ機会がなくなってきている会食の場合でも、何かの食事会に招待いただいた時、料理の値段をすぐに検索したり、食事会の後、先程食べたのは「□□御膳で○○円」と店を出るなり金額の検索をしている人の姿も幾度となく見かけし、事務所で食事会をしていた時も、「今日の料理は○○円」って分かっていたんだろうな なんて考えたりしていたこともあった。

 以前はどうだったのかなと思い返してみると、百貨店から届いたお菓子には箱の横に[30]と記載されていれば3,000円かと確認したことはあったが、いただいた品物は金額が分からないところにそれを想像する楽しみがあったような気もする。
 私のような行動を「値段を確認しないなんて さすが違うわ」なんて言う人もいるかもしれないが、食べたいものやもらってうれしいものが届けば金額なんて二の次という思いがある。
 先日も長男の嫁から東京の地ビールが届いたが、値段がいくらであろうと東京のビールということと、送られてきたものというだけで格別の味がするような気がする。何種類かあったがもちろん金額の確認なんてしていない。
 実はこのビール、昨日から冷やしているので今晩じっくりと味わうのが今から楽しみでならない。

 贈答に限らず結婚式や葬式も場所と規模が分かればおおよその金額が分かってしまうので、逆にいうと主催する側も金額がガラス張りに中で催し物が行われていることはある程度 覚悟しておかなければならない。
 そんな思いもあるので、私がいただいて結構うれしいものとしては、“花”や“観葉植物”が挙げられる。 とはいってもそうそうもらう機会はないのだが・・。
 送る側が「この辺の花3種類を1万円になるように」 なんて花屋さんに依頼して、価格表にはないような形で贈答の品が出来上がるので、もらった方は少しくらいは「いくらぐらいのものかな」とは考えるが、金額がいくらかは分からなくとも 単純にきれいな花として評価し、素直にうれしくなるものである。

 最後に先述の話とは関係ないが、花についてちょっとおもしろい話を一つ。
 先日、娘が友人から、「主人が仕事帰りにサプライズでお花を買ってきてくれてうれしかったんだけど、その花がどう見ても仏花のセットなんだけど、これって本人に言うべき?」と相談を受けたらしい。
 更に聞くと、閉店間際の時間でこの花しか残っていなかったらしい。
 娘の友人は、ご主人に感謝の気持ちは伝えた上で、一般常識を知ってもらううためにもこれは仏花であるということは伝えようかなと言っていたらしい。
 この結末は聞いていないが、私も常識知らずのとこがたくさんあるので、この話 人ごととではないなと思いながら聞いていた。
 いくつのなっても「常識とは」ということを学んでいかないといけないなと思った話でした。

 今日の天気からすると梅雨入りは間近かな?
posted by ヒロイ at 16:49| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年05月09日

No729:仕事の進め方は “逆算思考“ それとも “積み上げ方式”?

 ある会社の社長が本の中で、「逆算思考こそ成功の秘訣」と述べていた。
 これってどういう意味なんだろうと本の中に目をやると、仕事を締切に間に合わすためにはいつまでにスタートを切り、途中の段階ごとに何をいつすればいいのかを追いながら物事を進める必要があると書いてあった。
 「う〜ん 当然と言えば当然で、誰でも分かっているけど そう思いどおりにいかないからみんな悩んでいるんだけどな。」と感心するより、ひとこと言いたい気持ちになった。
 私の仕事も申告期限の2カ月前、1カ月前、そして 1週間前までにしておくべき仕事を定めながらするという点では、立派に仕事を逆算して取り掛かっているが、思いどおりに進むことの方が稀で、「やばい、やばい間に合わないかも」とお尻を叩かれながら最後の追い込みをするというのがよくあるパターンである。
 仕事というものには必ず期日があるが、法定の期日であれば一日たりとも遅れることは許されないが、自分で決めた目標の期日の場合には、勝手にできない理由を考えて数日延ばすことは誰でも経験のあることだろう。
 この歳になると試験勉強というものはないが、若い頃は、受験勉強も何日までに第1章、そして次は第2章と目標を定めてスタートを切ったり、子供の頃の夏休みの宿題も7月中にはここまで、お盆前までにはここまでと、夏休み前に計画を立てるのだが、残念ながら計画どおりに進んだことは一度たりともない。
 仕事をする上でこの”逆算思考”は確かに効果的であるが、決して楽しいものではなく、長く仕事をしていく上では、これだけでは何か物足りなさを感じてしまう。

 では他にどんな進め方があるのか考えてみたところ、”積み上げ方式”というものの考え方をすれば、仕事を楽しむというところまではいかないが、もう少し達成感を得ながら進められるようのではと思った。
 仕事を積木に例えて、積木が10個積み上がったら完成ということにしておけば、一段階ごとに積木を積み上げていけるので、進んでいる様子が実感でき、残りあといくつという捉え方をすることによって目標(完成)が見えてきて、途中の段階でも少しは達成感に浸ることもできる。  
 ただ、こうして文章で書いていると何だか素晴らしい方法のように見えるが、どちらの方法にせよ期日が迫った時の焦り度合いには大きな差がないのが現実である。

 相続税の申告業務は お亡くなりになられた日(専門用語では一般的には「相続開始日」という)から申告期限までの10カ月間にするべき項目をスケジュール表に並べ、それに沿って進めることことも ある意味”積み上げ方式”で仕事を進めているのであろうし、クリニックの新規開業の支援も立地選定、融資、建築から始まり、最後の広告の検討やスタッフの採用まで1年以上の期間を要する場合が多く、これもまさに”積み上げ方式”の典型的なものであろう。
 法定であってもなくても期日はあるのだが、どうせ仕事をするのなら自分で勝手に”積み上げ方式”の発想を持ちながら進めるようにした方が仕事に対するストレスが少ないのかもしれない。

 冒頭の社長は行き当たりばったりで物事を進めることを戒め、計画どおりに進めるための手法として 「逆算思考こそ成功の秘訣」と言っているが、することは同じであってもあまり縛られずに進めていきたいものである。
 でも 人間って本当に弱いもので、期日のないものはついつい後回しになり、そして「いつかはしよう」という仕事が机の両サイドに積まれている人も多いはずで、私もそのうちの一人である。
 私の場合にも言えることであるが、最終的にはいろいろなことが期日内で終わっているのは、残念ではあるが 自分の頭の中では自然と”積み上げ方式”ではなく、”逆算思考”で仕事をしていっているのであろう。
 ただ、いやと言いながらも期日に縛られない仕事って、もしかすると達成感があまりないのかもしれない。
 人間って勝手なもんですね。縛りがないとだめなのかな 誰しも・・・。
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2021年05月02日

No728:このブログ、なぜ辞めずに続けているんだろう?

 先日、高校時代の友人からある単発の仕事の依頼があった。
 昨年もこの友人の奥様から実家の税金に関する相談があり、当事務所の顧問先ではないが2年続けて仕事で関りを持つことになった。
 我々の業界では、顧問契約を締結していない先(人)から仕事の依頼があった場合、”飛び込み”あるいは”単発”と呼んでいるが、2年続けてこの”飛び込み”があったという何ともありがたい話である。
 実はこの友人というのも高校時代に陸上部で3年間一緒に汗を流したリレーメンバーで、「4×400mリレーで絶対に全国インターハイに行くぞ」と、今では考えられないような過酷な練習を来る日も来る日もいっしょにやってきたチームメイトである。
 私が高校時代まで過ごした所は冬はかなり雪が積もるので、当然のことながらグランドは使えず、学校の横の150mほど続く坂道を息が切れるまで何本も走り続けたものである。当時のクラブ活動では程よい練習なんていうものはなく、常に限界への挑戦であり(ちょっと大げさかな?)、疲れ切って今日はもうでダメかと思ったときも 「みんなで松山インターハイに行こな」という合言葉を掛け合いながら、がくがくする足を手でパチパチとたたきながら、最後にもう1本何とかみんなで走り切ったものである。
 実はこの道は、今でも仕事で顧問先を訪問するときに車で通ることがあるが、通るたびに40年前のあの光景がついこの間のことのように蘇ってくるし、特に雪のちらつくような日であれば、なお鮮明に当時の光景が頭に浮かんでくる。
 先日、この友人から今回の仕事のことで電話があった時に、「去年から、飯でも食いながら一杯やる というのが持ち越しになっているので いつかは絶対やろな。ただ、コロナがこんな状況なんでちょっとめどがたたんけどな・・。」と話していて、その翌日、仕事に関することで送られてきたメールに、「たまにブログ拝見してます。毎週よくネタがあるなーって感心しています。」と書かれていた。
 これを読んだ私は、「ここにも居たんだ私のブログの読者が」とついついうれしくなり、そして今こうして彼とのことを綴っている。

 他の税理士のブログをたまに見る機会があるが、「税制改正」とか、「こんな判例がでました」というようないわゆる本業を補足するような内容が多く、読んでいても今一つ面白いものではなく、続けて読もうという気にはならない。だからというわけではないが、私は開業の日(2007年9月)にNo1を初めて綴った時に、ここ税金の話を書いても他の税理士と代わりばえがしないので、あまり税理士なんて構えずに、「その時々で考えていることを素直に書いてみよう」と思ってスタートし、今でもこの姿勢を貫いている。
 だから、ここではあまり頭をひねるような内容ではなく、自分を飾らず ありのままを出そう と思ってここまで続けてきた。
そんな中でたまにこうして、「読んでるよ」とか、「私も同感」って声を掛けてくれることがあると、それはそれで結構励みになるのも事実である。
 開業当初は事務所の場所もスタッフ数も今とは違っていたし、私の家の方も当時は5人で生活していたが、今や2人となり、子供中心の生活から ぽぽたん(ワンちゃん)中心の生活へと大きくか変わってきたことも含め、こういった仕事以外の日常もたくさん綴ってきた。ある機会があって以前のものを読み返すと、まさに開業後14年間の生活そのものが表れている内容で、懐かしくなることもあれば、自己反省の材料になることもあり、自分で言うのもなんだが一つ一つが自分にとって結構インパクトがある。

 このコーナーって人のためだけではしんどいし、また自分のためだけでもつまらない内容になり、もし、そんな片寄った内容であったならきっと自分でも飽きてしまっていたであろう。
 そういう意味で、読者のためと自分のためというこの2つの方向性があるからこそ ここまで続けられてこれたんだろうなと思う。

 最初は100回くらいは続けようか、次はこの調子で200回続けられるかな、その後500回目の時には以前のものを読み返すとその時々の考えが表されていて、本来の日記の意味が出てきたなと妙に納得したのを覚えている。そして今回728回だが、1,000回続くだろうか? なんて勝手に先のことまで想像してしまっている。

 今、世の中がこんな状況なので先のことは全く読めないが、この読めない時こそ今考えていることと半年後や1年後の現実を照らし合わすことの意義はそれなりにあるのかもしれない。
 昨年のコロナ禍以来、予測は全くあてにならないし、あてにしない生き方を学んだように思う。
 もしかするとコロナで学んだことの一番大きなものは、このあてにならない、予測がつかない、そして生きていくためのには何をするのか? ということを考えさせられたことではないかと思う。    
 果たして連休明けの我が国、関西、そして京都のコロナの状況はどうなっているのだろうか? いや〜、本当に予測のつかない世の中になってしまいました、困ったことに・・・。
 では今日はこのへんで。
posted by ヒロイ at 23:36| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年04月25日

No727:甘くはない田舎暮らし

 コロナ禍において会社へ出社せずに自宅で仕事をしたり、自宅以外の場所で仕事をする いわゆるテレワークを政府の後押しに乗って、何とか推進していこうという企業が出てきている。
 自宅が手狭だったり、家庭内でのコロナ感染のリスクを回避するためにホテルで何日も連泊し、そこで業務をこなすという形も取り上げられおり、ホテル暮らしをしながら仕事なんてなんだか羨ましいような話であるが、果たしてこれって本当にうまく機能しているのだろうかと考えるのは自分が実行できない妬み心からそう思うのであろうか。
 たまのホテル暮らしなら気分転換もでき、多少ウキウキ感もあるが、これが何日も続くとこれはこれで効率が保てるのか、また自分のモチベーションも維持できるのか疑問の残るところであるが、通勤や社内での密を避け、コロナの感染防止という観点から見れば一定の効果はあるだろう。
 ただ、現実にはその費用はだれが負担するのか、仮に会社が負担するにしても何十人もの分を会社が払うとすれば、その負担とて容易なことではない。しかも この時期に業績が低迷しているような会社であればなおさらであろう。

 また、このコロナ禍では都市部から離れて地方への移住も話題になっているが、移り住んだ後、「よかった、もっと早く実行に移せばよかった」という肯定派の意見以外に、「自然が多いことを楽しみにしていたが、それだけでは決して充実した生活は送れない」とか、「移住先のいい面だけを見て移ってきたが、困る点、デメリットももっと想定しておけばよかった」と後悔している話も耳にすることがある。
 これはこのコロナ禍だけでなく都会で会社勤めをしていた人が、老後を自然の豊かな地で過ごすという定年後の移住の場合も多少似た面があるように思う。
 私も山や海が近くにあり、食材も豊富な土地に生まれ育ったが、都会の人が思うほどいい面ばかりではないように思う。
 今まで住んだことのない所、特に都会の人が田舎暮らしを始める時に、経済的なこと(収入面)や子育て世代であれば教育環境について大きな変化があることは、ある程度は事前に情報や知識として得られているであろうが、一番大変なのは日々の生活と密接に関係する医療と介護の状況、それと後になって分かるものととして気候が挙げられる。
大体、今まで生活をしたことのない場所を調べると一番いい気候の時の情報が発信されていることが多いように思う。
 年中温暖な南九州や沖縄、夏も20度台で過ごしやすい北海道、そして自然に囲まれて食べ物の美味しい丹後地方(私の出身地)をはじめとする日本海側 等。
 気候はいい時ばかりでなく、暑くて台風の多い沖縄、1日の最高気温が氷点下の日が続く北海道の内陸部、そして冬は雪が降り続く日本海側等、今までその地で生活をしたことのなかった人にとっては耐えられないくらい厳しいものかもしれない。
 私は田舎暮らしや移住がダメと言っているわけではなく、こういったことも想定したうえで実行に移すべきであると言いたいのである。
 この移住や引っ越しというものが、親の介護で実家に戻るとか、結婚相手が田舎の出身でその地についていくとか一定の理由がある場合には覚悟を決めて、その地でより一層充実した生活を送ることで、納得もでき、満足感も得られるであろう。
 ただ、新聞や雑誌にはいい事だけを取り上げている広告が目について仕方がない。特に移住や老後の生活の場としての広告に。

 今日も言いたいことをいろいろと言ってきたが、何をするにも思いどおりにいかない場合も想定したうえで実行に移すべきであろうということである。

 私は交通の便も程よく、一定の自然もある今の場所での生活は一応満足しているが、自宅で過ごす時間があまりにも少ないことについては満足できないところではある。
 まあ、これは仕事と仕事外のバランスをうまくとることができない私に責任があることはよく分かっている。
 今朝は久しぶりにぽぽたん(うちのワンちゃん)の散歩で宝が池に行くと、目の前のに鹿が現れ 「これぞ自然動物園」と、一瞬とはいえ、時間に追われる日々を忘れられた瞬間でもあった。
 コロナは大変な状況が続いているが、もうしばらくの間、焦らず、無理せず 乗り切って行ければと思っている。
posted by ヒロイ at 23:16| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年04月18日

No726:名物・名産なんてなくなるかも?

 先日、新聞で京都の寺町から一定規模以上の電器屋さんがなくなったという記事を見て、時代は大きく変わっていってるなと感じた。
 私も元々京都(市)で生まれ育った人間ではないので、「電化製品を買うなら寺町で」ということは、20歳前後の頃、京都に住んだことのあった兄や姉、それに大学時代の友人から聞いて初めて知ったが、学生時代にウォークマン、そして社会人になって部屋にエアコンを取り付ける時にこの寺町通に軒をを連ねる電器屋さんで安くていいものを探しに行ったものである。
(注)当時の賃貸物件は、全室エアコン完備のものばかりではなく、エアコンを自分で取り付ける物件もあった。
 今でも買い物しているとたまに見かける言葉であるが、当時の寺町の電器店街あった大型店の前には、「当店より安い商品のチラシをお持ちいただければ、その金額にて販売いたします」という張り紙がしてあったのを覚えている。
 私も寺町の電器屋さんになんてほとんど行くこともなかったが、例のウォークマンを買いに行ったとき 3、4軒の電器屋さんを回り、まずは一番気に入った商品を探し、そして買うものが決まれば、次はその商品が一番安い店を探しに回ったのを覚えている。
 京都の寺町=電器屋さん と頭の中で結びつくのは、今や一定の年齢以上の人なのだろうし、今、京都で電化製品を買うなら京都駅周辺に足を運び、ヨドバシかビックカメラを訪れる人が一番多いであろう。
 「○○買うなら○○へ」とか、 「□□のお店がたくさんある街(通り)」なんて言うのが今後はなくなっていくのであろうか? いや、もう既にその多くがなくなっているのでは・・。

 話は電器屋さんの話題から少し変わるが、先日 京都の有名な八ッ橋の店の前を通ると、日中にもかかわらずシャッターが下りていた。
 確かに八ッ橋なんて地元のものがおやつ代わりに食べるものでもないし、観光客、特に修学旅行生や外国人観光客が来なくなり、売上は80%近く減少したの記事を目にしたことがある。
 今 八ッ橋店が店を開いても客は来ないし、開けておくだけ人件費や光熱費等の維持費も掛かり赤字が膨らむだけなのかもしれない。
 今日の本題からはちょっと話が横道に逸れるが、普段はほとんど口にしないゆば(湯葉)の話を少し。
 私の長男の嫁さんが神奈川県出身なので、いつも京都に来ることを大層楽しみにしていてくれて、来る時には必ず 「おいしいものを食べに連れて行ってくださいね」と言われる。
 料理の中でも「ゆば料理」をリクエストされたことがあり、食べに連れて行って、食事中に「京都の人っていつでもこんなものが食べられていいですね」と言われたことがあるが、京都人が日常でゆば料理を食べる機会なんてまずないし、私なんて田舎から大学進学のために京都に出てくるまで、湯葉という食べ物さえ知らなかった。多分初めて口にしたのは、20代の半ばであったように思う。

 そして、又 突然 本題でに戻りますが・・。
 最初の電器屋さんの話は、電化製品だけに限らず あらゆる商品において、大型店の進出により、街中にある個人商店は閉店に追い込まれ、かつては賑わった商店街もわずかの店だけがかろうじて残っている いわゆる歯抜け状態になってきている。
 また、地方特有の料理をはじめとする名物、名産は観光客が訪れて初めて、売れたり、それを扱うお店が商売として成り立つものであるが、このコロナ禍においては移動の制限もあり、観光地にあるどこのお店も閑散としているし、商売自体が継続できない状態に陥っているようである。
 何年か経つと、「ここでは昔○○そばが有名だったらしいよ」とか、「ここの○○餅は、5年程前までは人気があって、並ばないと買えなかったらしいよ」なんて言う何とも寂しい会話があちこちから聞こえてくるのかもしれない。

 新幹線や高速道路の伸張、そして大型店の進出というこれまでになかった新しい生活スタイルに、このコロナが追い打ちをかけ、とどめを刺された感がある。

 コロナ感染防止のため、人の往来に制限をする「○○宣言」が頻発・頻出しているが、そのせいもあって東京に住む長男夫婦はお正月に続き、この5月の連休も帰って来なくなった(来れなくなった)。
 不安を抱えたまま、あと10日ほどでGWに入ってしまうが、本当にこれからどうなっていくのか、いろいろ考えてもなかなか答えの見いだせない春である。
 こんな時は耐えるしかないのでしょうかねえ? でも、我慢しても光が見えてこないからね。ほんとに・・・。
posted by ヒロイ at 20:48| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年04月11日

No725:別れ際、いや”帰り際”の一言

 なんか妙なタイトルで彼や彼女と別れる時の最後の言葉のことかなと思っておられる方もいるかもしれないが、残念ながら今回は仕事で出向いた先で帰る時の掛けられる一言が、帰って行く者にとって、随分 気持ちに差が出るなという話である。

 コロナの影響は業種、あるいは開業医の診療科目よって差はあるものの ほとんどの顧問先は経営状況が悪化している。
 顧問先の訪問時には月次の定例業務の他に、最近はこの厳しい状況をどのようにして乗り切っていくのか、資金繰りは大丈夫か、それに支援金や補助金の申請方法など相談内容は今までになく多岐にわたっている。
 いろいろな話が終わった後、帰り際には一言 声を掛けられるが、ある経営者は最近 業績が低迷気味である中、「本当にいろいろな方策を示していただきありがとうございます。今日は力をもらいました、明日から何とか前向きに頑張ります。下を向いていても何一つ解決しませんから。」と 最後にこちらが励まされるような言葉を口にして見送ってくださる。
 また、あるクリニックの院長夫人は、「厳しい状況が続いて、なかなか出口が見えませんが、地道にコツコツとがんばっていきます。まだ、ぜいたくしなければやっていけます、今の世の中もっともっと大変な方もたくさんいらっしゃるでしょうし。これからもバックアップお願いいたしますね。」と、この方の場合にもどちらが励まされているんやろと思わず胸が熱くなる帰り際であった。
 又、中には寒い日でも外で私の車が見えなくなるまで見送ってくださる奥様もある。
 こんな帰り際のことだけで顧問先のことを判断するわけではないが、やはりそこには熱い想いがあり、こちらも思わず「なんとしてでも」とか、「何とか救うぞ」なんて想いになってくるものである。
 訪問した時にある経営者は、私への質問をいくつもメモに書き留めておられ、1から順番に聞いてこられるが、これはこれで嫌な話ではなく、私の面談を心待ちにされていたという想いが伝わってきて、ある意味 訪問のし甲斐があるということである。

 ただ、逆に?が付く顧問先がないわけではない。
 訪問した時、いつでも機嫌が悪く、従業員の不満から始まって、お客(患者)への不満、そして最後には税理士(事務所)への一言(褒められたことはほとんどない)で締められる。
 この顧問先については、今まで当事務所としては手を抜いたことなど一度もなく、どちらかというと他の方よりも気を使いながら、細やかな対応しているつもりなんだが、なぜか当事務所への満足度は低く 感謝の言葉など一度も聞いたことがない。別に感謝の言葉を期待しているわけではないのだが・・。単に波長が合わないのかな? と思う時もあるが、この経営者の心のどこかで税理士に頼っているという気持ちがこちらにも伝わってくるので何とか関係は続けられている (この場でこんなことを書いてはいけないのかも、これを読んでおられたらアウトかも?。でも、こちらには嫌な感情など一つもないし)。
 私もこの顧問先を毎月訪問するわけではないが、こんなことがあると次に行く時にはきっと満足させたり、喜ばせるぞと思って訪問するのだが、なかなか満足の得られる結果にはならず歯がゆい思いが続いている。
 顧問先の方が税理士にどんな思いをぶつけられかは自由だが、お互い気持ちよく仕事をすることって非常に大事なことのように思う。


 私も時と場合によっては当然のことながら顧問先に対して厳しい言葉を発しないといけないこともあるが、そこは双方の“想い”によって その言葉の受けとめ方も随分変わってくるものである。
 気持ちだけで仕事が進められるものでもないことは重々に承知しているが、心穏やかに そしてよい気持ちを持ちながら顧問先の対応や応援ができる そんな税理士でありたいなと思っている。

 最後に話はゴロっと変わるが、今日は12月以降で自分の時間が一番とれた休日であった。
 愛犬ぽぽたんと朝夕各2時間ずつ散歩、読むべき 溜め込んでいた資料に目を通す、簡易な衣替え(第一弾)、そして行きたかった蕎麦屋にも行き(今のご時世 外食がダメだったのかも?)、何と5ヶ月ぶりに念願の休日の昼寝もできた。
 こんな休日こそ、本当にリフレッシュできたと言い切れるし、毎週、こんな休日がとれようになれなと思いながら一日を終えようとしている。
 では、おやすみなさい。
posted by ヒロイ at 23:30| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする