2025年05月18日

No.931:批判するだけの人にならないように

 このコーナーの過去の履歴に目をやると人のことや大きな意味で世間を批判していることが結構多いなと思う。
 批判というのは一歩間違えば悪口になってしまうこともあるので慎重に発言することが求められるし、当然のことながらその発言には責任を持たなくてはならない。
 仕事で会社の経営者やクリニックの院長と話をしていて、取引先や従業員を批判するような話を延々とされる方もあるし、なかなか他の人に言えないことを私にぶつけられているなと思うこともあるが、その会話の延長線上に解決の糸口が見つかることもあるので経営者のこの行動が決してマイナスとはいえない部分がある。
 このように私は仕事上いろいろな経営者の生の声、本音を直接聞ける立場であることを単純に「得しているな」と思し、事務所の経営や自分の生き方に活かせることもたびたびある。
 ただ 中には言いたいことを言うだけの人もあり、こちらが建設的なことを言っても自分にとって都合の悪いことであればその話に全く入り込んでこない方もある(こんなこと言っていいのかな?)。
 昔からよく言われている「人の振り見て我が振り直せ」が実行できるかどうかによってその人自身の価値も変わってくるだろうし、この他人の行動を自分に置き換えて考えることが口で言うほど簡単なものではないことは誰しもわかっていることではある。

 人を批判するだけって案外容易いことかもしれないし、今日私が最初に言っていたように私もその批判者の一人かもしれないが、こういった場を設けている立場上、単なる批判者で終わってしまえば、「廣井さん ただの文句いいやんか」となってしまうので批判するにも気を使うし、そこには当然のことながら批判するだけの覚悟が必要だと思いながら綴っている。

 今 世の中は言ったもん勝ちのようになっている面もあり、顧客からの過剰な要求やクレームであるカスハラ(カスタマーハラスメント)についても各事業所が頭を悩ませているが、古き時代は言う側の責任という意味において結構勇気のいる行動であったと思うが、今や言う側の責任とか人としての許容や寛容なんていうものが存在しなくなったのかと考えるとある意味哀しい世の中になってしまっているなと思ってしまう。
 私も若い頃、あるファミレスで頼んだ料理がなかなか出てこなかった時、「30分待ってるけどほんまにオーダー通ってる?」とか、「このハンバーグ、中ちょっと冷たいで」って言ったことはあるが、それ言うのも勇気が言ったし、ましてや今どきよく聞く 店側に金銭をはじめとし何がしかの要求をするなんて考えられない。
 話が少し逸れかかっているかもしれないが、人の批判はしてもいいけどその時に自分の方も振り返って「自分はできているのかな?」と考えてから行動を起こすことでかなり前向きで建設的な道筋ができるように思う。

 今日はちょっといつもと違う流れになってしまったが、世の中が変わっていく中でこんなおっさんもいてのいいのかなと思って言いたいことを言わせてもらった。
 全然 話は変わるけど私が小学生の頃って道徳の時間というのがあって、当時は訳が分からんなと思うような教科書を配ってもらっていたけど、今もあるんですかね道徳の時間って? それともこの教科自体が化石のようになってしまったんですかね?
 この時間てボーっとできるので息抜きにちょうどよかってんですがね・
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2025年05月10日

No.930:引き出しの多い人になりたいが・・

 学問や特定の仕事で究める人って、その得意分野についてとことん追求し、誰にも負けない知識や技術を身につけるという点においてはすごいなと思うが、会社や役所等で勤務する一般的なサラリーマンの多くの人はそこまで一つのことに特化した仕事をするわけではないし、一つの勤務先であっても部署の異動でいろいろな仕事をせざるを得ない人も少なくないように思う。
 転勤で勤務地が変わったり、社内の異動で販売する物が変わるような営業職の人なんかは、今回のテーマの引き出しが多いかどうかがその人の仕事ぶりに大きな影響を与えるのではないかという気がする。
 実は一カ月ほど前の日経新聞に「引き出しの多いプロフェッショナルでありたい」というPCAの一面広告があり、朝の早い時間であったがこの言葉が私の頭の中にグサッと突き刺さった。
 この時、若い頃(たぶん30歳位かな?)に仕事のできる先輩から、「税務や会計の知識だけでこの仕事はできないし、すぐに身につけろとは言わんけどいろいろな分野のことがわかっていないとお客さん(顧問先)のニーズには応えられへんで」と言われたことを思い出し、今回の新聞広告はこういうことを言ってるんだなと思ったのと、「引き出しの多いプロフェッショナルでありたい」いうなんともかっこいい言葉に惹かれるものがあった。

 前回、家の自分の部屋の後片付けの話を綴ったが、この時 時間があれば読みたいなと思って本屋やネットで買った埋もれていた本が何冊も出てきた。その多くはこんなの読みたいなという興味のある分野のもので ほとんどが仕事には直接関係のない本であった。
 若ければ将来のためにもこういった引き出しを増やすにもっと熱心にならないといけないのかなとも思ったが、いやいあ私もまだまだもう一度 引き出しを増やすことに挑んでみようとも思った。なぜなら人と話をしていて、知らないことが本当にたくさんあるし、こんなことを書いているとなんだか久しぶりにもっといろんなことを知りたいという気持ちが湧いてきた、ええ年して。
 でも、こんな偉そうなことを言っても半年後、一年後に残念ながら何もしていなかったという自分の姿も想像できるが、まあこう思うだけでも意味があるのかもしれないし、先週 部屋の片づけをして読みたい本をたくさん見つけたこともこんなことを考えるきっかけになったように思う。
 それにしても便利になりましたよね今の時代って、スマホっていう万能事典代わりのものがあり、調べたいことがすぐさま調べられるので・・。
 毎朝 新聞を読むときもちょっと頭に引っかかることがあればすぐさまスマホを開いて調べられるのは確かに便利であるが、毎朝こんなことをしていると朝刊2誌を読み終えるのに1時間近くかかって、気がつけば7時過ぎになっていることもしばしば。
 以前は朝刊が休みの日は何か物足りなかったが、今は休みの日は朝の時間を別のことに使えるので この時間が浮いてホッとすることもある。

 最後にこんなことを言うとカミさんに怒られるかもしれないが、GWの最終日に私が2階の自分の部屋から着なくなった服を廃棄用の袋に入れて玄関前に運んでいくと カミさんもそれに気付いたのか1階の自分の部屋やリビングに置きっぱなしになっている物の中で何やら捨てるものを選別し、袋に詰め込んでいた。
 部屋がきれいになるとちょっとしたゴミでも気になってしまい 拾って捨てるという行動をすかさず起こすから人間って不思議なものである。ただ 問題はこの“きれいな状態”がいつまで続くかということなんですが・・。
 あまり美化にこだわり過ぎずに無理せずに日々過ごしていきましょう、またいつかは元のようになってしまいますから・・。

 明日は午後から大学の陸上部のOB会総会と新入生歓迎会が京都のホテルであるので、今回は久しぶりに土曜日に仕上げられた。
 今週は5月5日(月)に続いて2回目なんですよ、すごっ・・・。
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2025年05月05日

No.929:誰とも会わない連休

 連休の前半は平日は時間のとれない勤務医の先生との開業相談の面談が2件あったが、これは例年のことなので特別なことではないし、それ以外は今年のGWは誰かに会う予定もなく比較的のんびり過ごしている。
 よく考えてみるとこれだけ誰とも会わないGWというのは今までほとんどななく、毎年子供3人のうち1人か2人が帰省してくるので割と賑やかに過ごすことが多かったが、今年は東京組(長男、次男)は先週 東京で顔を合わせてきたし、長女も用事がいくつかあるとのことで和歌山にずっといるらしく、お陰様?で我が家はいつになく自分のためだけに時間を使えるという贅沢な休日となっていて、カミさんも普段会えない人に会って話をしているようである。
 とはいっても仕事柄、京都にいる限りは山積みとなっている資料に目を通したり、なかなかまとまって時間を確保できないため疎かになりがちな お勉強にも時間を割くことも必要ではあるが、ワンちゃんとの散歩も毎日でき、結構満足のいく時間の使い方ができている。
 GWもあと明日だけとなってきたが、残りの一日は毎年実施している自宅にある私の不要物を廃棄するという仕事に充てようと思っている。
 実はこの廃棄するというのは、買った時の思いやその値段を考えると もったいないと思うこともあるが、なんせ部屋にいろいろなものが散らかっていたり、着ないような服がタンスに突っ込まれていて 空間があまりにもなさすぎるので、結構迷わず思いっきり廃棄用の袋に突っ込むので毎回 終わった後、この部屋ってこんなに広かったんだと感じたり、必要な服だけサッと取り出せるようになったタンスやクローゼットの中を見て、前日までと違う空間で過ごすような何とも言えないスッキリした気持ちになり、少し大げさかもしれないが次の日からのパワーになるような気分になる。みなさん この気持ちって分かりますよね。
 ただ、数日のうちにまた散らかってしまったり、溜まってしまったりするんですがね 毎回。

 後片付けの話からは少し変わりますが、
 前回にも綴ったが久しぶりに東京に行って、その余韻が1週間近く体の中に残っていたし、楽しいことがある数日前、いや数週間はその楽しみのために“張り合い”を持ちながら過ごすことができるというのは人間らしい部分なのかもしれない。
 ただ私はそんな思いがより強いように思うし、私の頭はいたって単純な構造なので何か楽しいことがあった後もその余韻に浸れる期間は結構長い方でこの1週間はホテルの窓から見えた東京タワーのことを思い返すとなんだかホッしていたし、こんなちょっとしたことでうれしくなったり、やる気が起こるので、きっかけさえあれば私みたいな性格のものにとっては、この“張り合い”を持つということは結構大事なことなのかもしれない。
 でも 毎日の生活の中で張り合いを持ち続けるなんてできないし、日々の仕事に中では楽しいことよりも苦労というか頭を悩ませることの方が多いので、逆に捉えると“張り合い”を持てる対象がなければなかなかテンションが上がらず がんばれないという欠点もある。楽しいことやホッとすることってたまにしかないですからね。
 こんなことを言っていてもいざGWが終わると、多分また時間に追われる毎日になるのは分かっているが、こんなくだらないことを考えられているのも連続休暇であるからこそなのかもしれない。
 なんだか悠長なことを言ってはいるが、結構 溜まった仕事を抱えているので実は背中に何か荷物を持ったままという感じも頭や体のどこかにあるというのも本音ではある。

 休日はあと1日、さあ明日は思いっきり捨てるぞ!!
 天気の方も一日中雨降りのようなので、ある意味 部屋の後片付けにはもってこいの天気である。
 そうか、今日は月曜日なのでいつもと違ってこれも一日遅れになってますが、新聞でも月一回休刊日があるので、これくらいのことはお許しを。
 みなさんはあと残り一日の休日は何をして過ごされるのでしょうか?
 では・・・。
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2025年04月27日

No.928:久しぶりに見た東京は想像以上だった

 この土日に とある用事で東京に行ってきた。
 私の周りにも仕事や研修で定期的に東京に行かれる方もあり ホテルの宿泊代や食事代が高くなったことも含めいろいろな話を聞く機会があるが、私は長らく(多分4、5年は)東京へは行ってなかったので、メインの用事以外にテレビで見たり、人から聞く街や行き来する人の様子を自分の目で確かめるということも今回楽しみにしていた。
 学生時代の友人や顧問先の子供さんだけでなく、私の周りにも学校や仕事の関係で東京暮らしが長くなっている人も結構いて、以前 京都で暮らしたことのある人の多くが東京に行ったきり戻ってきていない。
 こういった現状を目の当たりにしていると変な言い方かもしれないが、いったん東京に引っ張られると余程 大きな事情でもなければ、なかなか離れられない魅力的な場所なんだろうなと当事者でない私がいろいろと想像をしてしまった。
 社会人になっている私の長男、次男とも今回それぞれ少しの時間ずつ話す機会があったが、結構 毎日の生活や仕事のことを楽しそうに話す姿を見て、「そりゃ 東京にいる方がいいんだろうな」なんて思ってしまった。
 各種報道等で首都圏への一極集中が多少問題も含んでるといわんばかりに頻繁に取り上げられ、これって日本全体にとって果たして望ましものなのかという疑問も抱いていが、実情は国が唱えている地方の活性化とは逆の方向で、この流れを変えるのはそう簡単なものではないというのも今回 東京行ってみるとより一層感じた。

 今回 東京ではJR、地下鉄(メトロ)、タクシーといろいろな交通手段を使っての移動であったが、どこへ行っても人が多いのは想定していたのでさほど驚かなかったし、外国人が多いのも京都に住んでいるとすっかり慣れてしまっているが、ただ 本当に街のいたるところでビル(マンションを含む)の建築工事をしていて、それも京都のマンション建築とは違い、30階〜40階、中には50階近いものもあり、上を見て、それも首を大きく上向きにしてばかりで、日曜日にご一緒した方は、「あれが麻布台ヒルズで、こっちのビルも森ビルが建てているし、あの遠くに見えるのは三菱地所が開発していて・・・」という説明を聞きながら、これってほとんどが世界的規模の話で 思わず「東京ってやっぱしすごい」なんて田舎者のような思いであちこちを眺めていた。
 特に宿泊した品川駅付近は駅の再開発や少し行くとテレビでしか見たことのなかった高輪ゲートウェイがまだ工事途上と言わんばかりにクレーンが並んでいた。
 明日は仕事で過疎地の部類に入る京都府の最北端 京丹後市へ出向くが、この二日間でまるで日本の両極端の縮図を見比べるようで、東京に行った翌日なので明日はいつもと少し違う感覚での京丹後行きとなりそうである。
 我々くらいの年代になると今さら東京や海外で住もうなんて思わないが、今回二日間 東京で過ごしただけでも 仕事もいくらでもあるんだろうし、これだけ活気があふれた街なんだから まさに若い人たちを吸い込む街なんだろうなと思ってしまった。

 最後にほっとする話を一つ。
 今回 ある下町の風情の残る街にも行き、実はここで見たものが一番印象に残ったし、しっかりとスマホにも写真を収めてきた。
 それは葛飾区のJR亀有駅前にあったアニメ “こちら葛飾区亀有公園前派出所” に勤務する両津勘吉の石像である。
 これはおっさんが見ても本当によかったし、こんな所も東京にあるのがこれまた東京の魅力なのかもしれない。緊張した日々を送る中でも心を和ましくれるという点では。
 いろいろな場所を見るということは本当に勉強になりますね。
 では明日は2時間かけて海の見える京丹後へ・・。
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2025年04月20日

No.927:気になるのは私だけ? 赤沢大臣のバッヂの数

 米国のトランプ大統領が就任してからは各国に対する関税引き上げの問題がクローズアップされていて、これに慌てた?日本も赤沢経済再生大臣を米国に派遣して交渉を始めだしたというのはみなさんご存じのとおりである。
 この場で関税問題を捉えるほど私がこの問題について精通しているわけではないし、ここで何かをいったところで風向きが変わるわけではないので中味には入っていかないが、今日はちょっと違う観点からこの会談で気になったことを綴ってみる。
 トランプ大統領との会談に臨んだ赤沢大臣の映像で気になる点があり、これから言うことは、「廣井さん 妙なこと言うんやな」とか「しょうもないこと言うな」と思われるかもしれないので興味のある人だけこの後 続けて読んでください。

 前置きが長くなってしまったが、私が今日取り上げたいのは赤沢大臣のスーツの胸に付けられていたバッジの数である。 いくつ付いていたか見られましたか?
 4つ付いていました。このうち国会議員のバッヂと北朝鮮拉致被害者を救う会のブルーのバッヂは見慣れているのですぐ分かった。
 他の2つは調べていないのでわからないままであるが、いくら何でも多すぎませんか、米国大統領と重要案件の会談に臨む場としては。
 この時のトランプ大統領は分かりやすいアメリカ合衆国の国旗を描いたバッヂ一つだけで、「私はアメリカの代表である大統領です」とこのバッヂで自分の立場を表明していることが一目瞭然で相手に伝わってくる。
 日本の国会議員バッヂ以外のものも一つ一つには非常に重要な意味合いがあり、重みのあるものであるのだろうということは想像がつくが、これだけ付けるとそれぞれの意味合いが薄れてくるような気がするのは私だけなのでしょうか。
 それぞれに深い意味合いがあると思うのでそれぞれのバッヂを否定するつもりは毛頭ないが、その時々によってつけるバッヂを付け替えるくらいの配慮や狙いがあってもいいようにも思う。
 こんなこと綴っていて自分っていったい何者? 偉そうに大臣の身なりに対して勝手なコメントをしていいのかな? なんて思うが、このバッヂの数こそが日本の置かれている厳しい立場を物語っているように思えてくる。これだけ気を使わないといけない相手や多方面の主義主張に目を向けないといけないということでしょうから。
 よく 一定の期間だけ社章の横に赤い羽根をつけたり、ピンクリボンのものをつけているのを見かけることはあるし、数年前からは経営者がSDGsの17色の丸いものをつけているのを見かけることあるがこれくらいならはっきり言って分かりやすい。
 私自身があまりバッヂを好まない方なのでこんな勝手な発想を持ってしまうかもしれないが、今回の件は個人的に気になったのでこの場で述べさせてもらった。
 日本の国益を守るために国の代表として会談に臨んだのであれば、例の議員バッヂの上に、日本の国旗をあしらったものをつけていたら重みもあり格好よかったなんて思うのは変でしょうか。
 みなさん一度この映像を見て感想を聞かせてください。
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2025年04月13日

No.926:大学時代の友人が突然 京都にやってきて・・。

 この一週間はいつもどおり10数名との面談が組まれていたので、なかなか事務所内で落ち着いて仕事をする時間がとれなかったが、本来業務で顧問先を訪問する以外に相続、新規開業、事業継承、土地の有効活用についてなど結構多岐にわたる仕事が多く、それはそれで頭の切り替えさえできれば いろいろな職種の方と会うことができ、ある意味新鮮な気持ちで毎日を過ごすことができた。
 そんな中 週の半ばに突然「仕事で数年ぶりに京都に来てるんだけど、時間とれる?」と東京在住の大学時代の友人I君から連絡があった。
 今週はまず無理だろうと思って自分のスケジュールを見てみると、一日だけ夜7時以降にフリーになれる日があったので、「木曜日なら」と伝えると、その友人は「数日京都にいるけど、木なら東京に戻る前日なのでかつかつOK」とのことで 短時間ではあったがいっしょに晩飯+一杯 をすることが急きょ決まった。

 学生時代は4年間体育会(陸上競技部)に所属していたので友人のほとんどはそのクラブの者であるが、私の数少ない経済学部の同級生(今でも付き合いのあるのは2人だけ)で、卒業後40年近く経つがI君とは確か10年程前にあって以来で、それ以外ではそれぞれの結婚式で顔を合わせたくらいである。
 I君はある大手機械メーカーに勤務している関係で機械の据え付けや試運転のために年に数回海外に出向いているが、その都度 メールで現地の社員と夕食を共にしている写真を送ってきてくれるので20年近く海外旅行には縁のない私には、その写真は目を和ませてくれ、楽しみにしている。
 海外といってもほとんどかヨーロッパでドイツ、ベルギー、スペイン、先日はハンガリーと羨ましくなるようなところばかりであるが、I君は仕事で行っているのでそれなりに大変な海外出張だろうなと思っている。
 ただ、送られてくる写真の多くはビヤホールのようなところでピザやソーセージを片手にビールを飲んでいるもので、思わず「楽しそう」と羨ましくなることもあるが、彼の文面ではかなりの長期にわたる大きな仕事をやり終えた後の打ち上げのようなので、ここまでは一苦労も二苦労もあったのかなと彼の仕事ぶりを想像しながら私も日本でがんばらねば といつもエネルギーをもらっている。
 彼は鎌倉高校出身だったので、私の周りにいるバリバリの関西人の中では、言葉も標準語でどこかあか抜けてしていて 他の友人とはちょっと趣が異なっていた。
 お互い仕事のフィールドが違うので仕事の中身の話はあまりしなかったが、学生時代 英語はお互いそれほど得意ではなく何とか進級できる程度だったと思うが、その彼が海外で英語を駆使し、メールももちろん英語でやり取りしているのを見て地域密着型の仕事をしている私からすると結構かっこよく見えた。
 そうそう彼の友人もかなりの数が外国人で、仕事で日本に来られた時は東京でいっしょに騒いでいるとのことであった。
 正直 忙しい毎日の中での今回の会食であったが、なかなか京都、あるいは関西以外の人と触れ合う機会が少ない私にとっては非常に有意義で、東京での生活ぶりを聞こうと思っていたが、海外での楽しい遊びの話と更には海外でのビジネスについても話が聞けて非常に刺激的であった。 しかも昔の友人(悪友)から・・。

 毎日が時間に追われているとこういった機会はできるだけ避けて、何とか自分の時間を作ろうとするし、実際 そんな時間を確保することは並大抵ではないがこういった機会は必要だなと思った。
 でもこういうことって多少無理してでも自ら時間を作りにいかないと絶対のとれない時間ではあるが、可能な限りこういった時間を確保することが人生に色合いを持たせ豊かにするのだろうなと今回の旧友との面会を終えて痛切に感じた。
 これには日頃口ぐせになっている「めんどくさいな〜」という思いをいかに抱かないようにするということであろう。
 一日何回唱えているやろうな「めんどくさいな〜」、「きついな〜」って。
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2025年04月06日

No.925:私の当たり前は他の人にとって当たり前でないかも?

 世界経済がある一人の男に振り回されたと言ってもいいようなこの一週間であったが、これは過去形ではなく今後に渡っても続くであろうと思わせる現在の状況である。
 その一人の男とは誰しもお分かりであろう そうアメリカのトランプ大統領である。
 実はトランプ氏が大統領に就任した時に一定の期間が経ち 落ち着いてきたら「トランプ大統領の凄さと怖さ」というタイトルでまとめてみようと目論んでいたが、昨今の発言やそれに対する各国への影響の論評がいたるところに出てきているのでこの話題はそちらに預けることにする。

話は変わって、
 昨今 企業の大小を問わず 高い離職率が問題となっているが、このことを考えた時、我々の若い頃は、当たり前とか常識ということがある程度優先され、突拍子もない常識外れの行動を起こすと、「何 あいつ変な奴」なんて言われたものだが、古くは非常識であったことが、今の社会 あるいは 若い人にとっては、決して非常識なことではないと思われることもたくさんある とある雑誌に書かれていた。
 こういった考え方の相違が仕事をする上でも、上司と部下、あるいは50〜60代の人と20〜30代の人の間に埋められないギャップが存在することも、新しく就職した人が、「この会社に身を置くのは無理」という気持ちになる一因であるように思う。
 従業員数10数名のある中小企業では、会社内の簡単な掃除は場所を輪番制で変えながら、10分程度 社長も含め全員でするという古くからのルールがあったようだが、ある新入社員が入社後 1ヶ月くらい経った頃、「僕の仕事って掃除も含まれていたんですか? それって入社前に一言も聞かされていませんでしたよね。掃除なんて外部に委託する業者っていくらでもあるはずですよ」と発言したことに 経営幹部はもちろんのこと、古くからいる従業員も度肝を抜かれたとのこと。
 ただ、これって「始業前に全員で掃除をするなんて当たり前やん、常識なん違うん」と思うところに今の時代の問題があるように思うし、これはあくまで一例に過ぎないが、我々の世代にとってはこういったヒヤッとすることが周りにはいくつも存在している。
 全てのことに関して このことの常識って一体どれくらいのことを指すんだろう? なんて考えていては身動きもとれないし、ましてや企業経営者の場合、大げさに言うと前に向かっての第一歩も踏む出せなくなってしまう。
 最近は退職の意思を本人に代わって勤務先に伝える 退職代行なんていうのもあるが、最初この言葉が出てきた時 「これってどういうこと?」と思ったのも事実であるが、これも法的根拠がある以上受け入れざるを得ない制度であり、退職の意思は、嫌であっても あるいは 言いにくかっても本人が伝えるべき なんていう我々の時代の当たり前は今や通用しないし、そういった例は他にもいくつも存在する。

 ここまでは主に雇用関係に関連付けて話してきたが、このことは会社の売上に直結する新たな商品開発という観点から捉えても必須の要件になってくるであろう。今の時代 何が必要で、何が必要でないか ということを見極めるのも経営者の重要な素養であると考えると。
 これからの時代を生き抜いたり、企業として存続するためには、私の当たり前は 他の人にとって当たり前ではないかも? ということにいかに早く、的確に気付くことができるかどうかがポイントということになるのであろう。
 本当に難しい世の中になってきたが、避けて通れない以上 今回出てきたような話も受け入れながら方針が立てられる経営者が最後生き残れるのかな なんて少し怖い気持ちを残したまま今日はここまでとする。

 花見がまだの人は是非ともお出かけになっては・・。多分 今日が花見ができる最後の休日のようですから。
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2025年03月30日

No.924:次の世代のことを考える気持ち

 北陸新幹線の敦賀から大阪に向けての延伸問題の中で京都駅をどこに作るのかということと、福井県敦賀市から大阪までをどのルートで結ぶのかということを取り上げられる機会が増えてきている。
 だだ、着工に向けて決めないといけない 上に掲げた問題の解決がなかなか見通せず、最終決定に向けての道筋すら立っていないように思う。
 新幹線と言えば、子供たちが住んでいる東京までは2時間15分で行けるし、一番遠い顧問先である福岡(博多)でも3時間足らずで行けるので新幹線のありがたさは十分わかっているが、この過去の大きな国家プロジェクトで導かれた新幹線網や高速道路網はこれからの日本では最後まで行く着くのかどうか不安や疑問を感じずにはいられない。
 東京・名古屋間のリニアにしてもこの問題と同様、一体いつ結ばれるのかわからない状況に陥っているのを見ていて、何が問題なのだろうと考えてみたが、その答えはなかなか見つからない。
 沿線の地域住民の生活が脅かされる、特に多くの部分をトンネルで繋げるので、”水”が最大の問題となっているのはみなさまもご存じのとおりであるが、このことを考えた時、私の頭の中もこの時点で立ち止まってしまう。
 利用する人、地域活性の起爆剤として期待を寄せる人、そしてただ単に通過されるだけ、あるいは地下水系に異常が生じるかもしれないところに住む人 等、本当に多くに人の利権や考えが交錯している。
 もちろんこれまでの新幹線は国や地域の発展のために多くの国民が期待していたわけであるが、これだけ成熟しきった国になってくれば人の考え方はさまざまであり、発展=満足 という構図が成り立たなくなってきている。
 これは決して悪いことではなく、一定の発展を遂げた結果として起こりうることなのかもしれない。
 日本の将来や次なる世代のためのもう少し先を見据えた考えが必要なのかもしれないが、成熟しただけでなく、国民の考え方が多様化したり、また生活苦でギスギスしている現状に中ではこういった世代を超えた構想を考える余裕すらないのかもしれない。
 大変無責任な話をするが、私自身 以前はある程度関心のあったリニアや北陸新幹線への関心度は下ってきていると言わざるを得ない。
 というのもこういった先の長い問題こそもう少し若い20〜40歳代の世代が関心を寄せないといけないと思っているが、これからの人たちにこういったプロジェクトに期待する機運があまり感じられないように思う。
 今日はいろいろな思いを綴ったので何が言いたいのかわからなくなってしまったが、こういったことにも政治家の利権というか、最終的には集票活動と結び付けて考えている政治家のみなさんの顔が浮かぶのでなおさら白けた感じになってきているようにさえ感じることもある。
 今日の話はこれぐらいにしておくが、最後にこの計画がどれくらいの年数がかかるのかを掲げておくので、自分の人生と重ね合わせてください。

*北陸新幹線が敦賀と大阪が結ばれるのは、最短で2028年に着工したとしても、それから25年以上かかることになるので、開通はどんなに早くても2053年以になる。
今の状況だと2028年の着工は無理でしょうが。

 この時の日本の人口構造はどうなっているのか?
 すみません、本当は我々の世代がもっと先のことを考えないといけないんですよね。
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2025年03月23日

No.923:万博 行く? 行かない?

 まもなく始まろうとしている大阪・関西万博であるが、いろいろな意味において評判がいいとはいえないし、今の時期 景気や日本の勢いに物足りなさを感じたり、更には多少政治の影もちらつく中で、盛り上がりに欠けるのは誰しも感じているところであろう。
 今回の万博については、ほとんど何も知識の持ち合わせがなく、報道番組で何度か目にした 木造建築の大屋根リングが会場の周囲を囲んでいるということくらいしか思い出せない。

 実は私の中で万博というと今から50年以上も前に大阪の千里丘で開催されたEXPO 70のことを思い出す。
 私が小学校に入学する前の春休みに 会場の近くにあった親戚に泊めてもらい1週間続けて通ったので、本当に多くのパビリオンを見てまわった。
 公式ガイドブックらしきものを事前に買って、毎日「今日は○○と□□は必ずまわる」と計画(作戦)を立てながら、兄たちに連れられて50以上のパビリオンを見て回ったように思う。
 今なら当たり前である外国人の姿であるが、田舎から出てきた小学生にとっては外国人を間近に見るのは初めてで、はっきり覚えていないがいっしょに行った従兄たちの前で、「おいおい、あっちにもこっちにも外人がおるで・・。」なんて言いながら、今まで経験したことのない場所に足を踏み入れて、驚きながら”外人”さんを指さしていたんだろうなと当時の自分の姿を想像してしまう。
 こういった異次元に世界に足を踏み入れること自体が万博の意義であり、当時のアメリカ館で1時間以上並んで待って、月の石 を見たことも薄っすらと記憶している。
 ただそれは月の石 そのものを覚えているわけではなく、うす暗いなかでライトが照らされていたその会場の光景しか思い出せない。

 こういった時代背景もあって私の幼少期にあった万博が自分に与えたインパクトはすごいものであったが、お金と時間さえあれば多くの物が手に入る今の時代にどれだけインパクトを与えることができるのか、前の万博を知っている者にとっては心配である。
 今回 気になるのは、「前の万博のように・・」と期待する年代の方が主催者側の多くを占めるのではないかということである。
 我々の年代は、ことあるごとに、「あの頃の○○をもう一度」ということを期待してしまう傾向があるし、今回の主宰者側もこういった年代の人たちが多く関わっていれば、今の時代に生きる人たちの心とマッチしない部分もあるように思う。
 あえて言うと このことが一番の問題で、”今の人たち”をいかに取り込むかという点においてはもっともっと”今の人たち”の意見が反映されないといけないように思う。
 大阪・関西の再浮上を願っているのはよくわかるが、まずは人の心をいかに掴むかという議論がどれだけされたかという点において疑問の残るところではある。
 私自身、前売りチケットの購入は「もちろん」していないし、果たして行くのか行かないのかも決めていない。
 人が行き出すと「自分も」と思うのであろうが、まだまだその機運は感じられない。
 今一番 躍起になっているのはスポンサー企業とテレビ局だと思うが、確かにテレビで取り上げる時間と回数は増えてきたように思う。
 スポーツイベントやコンサートといっしょでこれからいかに群集心理に火をつけられるかということにかかっているであろう。
 私自身 半年後どうなっているのか、機会があればこの場で報告しまが、どうなっているかな・・・?
posted by ヒロイ at 18:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年03月16日

No.922:忙しい時の外からの刺激

 所得税の確定申告は法定で翌年の3月15日が申告・提出期限と決まっているが、今年は暦の関係でその期限が3月17日(月)となり2日 得したような日程であった。
 ただ、事務所としては年末の全体会議で最後の休日前には完了していようと取り決めていたので、事務所のメンバーの猛烈な仕事ぶりと最後のスパートで予定していた3月13日(木)に全ての顧問先の申告を終えることができた。
 ということで、この土日は仕事のことが頭から完全に離れるような日にはならなかったが、比較的落ち着いた形で残務整理や月曜日以降の業務の確認をする時間に充てられる日となった。
 毎年のことであるが、多くの顧問先の方からの依頼業務に対して「確定申告が終わったら手を付けます」と話をしていた仕事がたくさん積み上げられているので、3月末まではなかなかゆっくりする時間がとれないというの状況ではあるが、これはどこの税理士事務所でも同じことが言えるであろう。

 実はこの10日間ほどの間には、一般の方々を対象とした確定申告相談会の当番にもあたっていたので、3月7日は ほぼ1日上京区の西陣織会館でその業務を従事していた。
 この西陣織会館での相談会は京都市の5つの税務署(上京、左京、中京、右京、下京)管内というかなり広範囲の納税者が対象であったので、その来訪者の数も1日1000人以上の日もあり、すごい熱気の中での申告指導であった。
 ただ、コロナ前の従事した時と大きく変わっていたのは、紙ベースでの申告が極端に減り、パソコンやスマホを使っての電子申告(e-Tax )が主流となっていて、年配の方も事前の案内通知に持参するように記載されていたマイナンバーカードもほとんどの方がお持ちになられていた。
 実は私はこの当番以外に直前にもう一つの大きなヤマを抱えていた。
 こちらは全国組織の社団法人の総会の中での決算報告という業務が3月12日に名古屋で開催され(この日程は1年前から決まっていた)、ここへ出席するという任務であった。
 こちらの方は名古屋までの所要時間が新幹線ののぞみに乗ると34分という京都・大阪間の新快速並みの移動時間であり、結果的にはさほど苦労することなく、8時出発16時帰りということで、結果としてはのぞみに助けられたという感じであった。
 当日は10時から最初の理事会が始まり、議事が立て込んでいたため12時スタートの総会までの時間がとれず、 お弁当を食べながらの進行であったので、結局 名古屋グルメは口にすることなく 本当のとんぼ返りで京都に帰ってきた。もちろんこの凝縮した業務進行のお陰で帰ってからの最終段階の確定申告作業は大助かりであった。

 とても忙しい さ中ではあったが、顧問先との面談と事務所内での申告業務に没頭する中で、行く前までは「嫌だな、何でよりによってこんな時期に」と思っていた上記の2つの業務は、普段 接する機会のない外の世界とのやり取りであったので多少の気分転換にもなったし、今から思うと有意義な2日であった。
 正直、こんな風に思えたのも事務所のメンバーが確定申告業務をどんどん押し進めていってくれてたお陰だなとあらためて感謝の気持ちが込み上げてきた。

 今朝、納税協会から送られてきた冊子を見ていると、今回 私も従事した確定申告相談会が申告期限最終日の明日も開催されるようであるが、この最終日に来る人ってどんな人なんだろう? と思わず考えてしまった。
 例えが少し変かもしれないが、子供の頃の夏休みの宿題を最終日になってやりだすようなものである。
 ただ こういう人って、毎年の決まった行動かもしれないし、意外と焦っていないような気もする。 少なくとも、こういった方は当事務所ではお引き受けできないが・・。

 何はともあれ、今日は明日から新たなスタートがきれるための1日にと思って このブログもいつもより早めに仕上げた。
 今日は寒く しかも雨降りでどこにも出かける気にもならないので、この天候でかえってよかったのかも。
 では・・・。
posted by ヒロイ at 11:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする