2020年08月10日

No692:いつ死んでもいい覚悟と100歳まで生きる覚悟

 今回も妙なタイトルをつけてしまったが、タイトルは書きたいことを綴り終わった後に内容を読みかえしてつける場合もあれば、内容についての細かなことは決まっていないが今日はこんなことを書いてみよう、あるいは書いてみたいなと思いをめぐらしながら まずタイトルを先に決めて そのタイトルに沿ったことをまとめ上げていく場合とタイトルをつけるタイミングは大きく分けてこの2つのパターンがある。
 ちなみに今回は後者で、まだ内容についてはまとめられてはいないが、このタイトルに関して今考えていることを綴ってみようと思ったので先にタイトルを決めた。
 今回のコロナ騒ぎの中、何名かの著名人がコロナの感染で亡くなったが、私がまず著名人として頭に浮かんだのだ、志村けん、岡江久美子、オムロンの立石社長の3人である。この人たちご本人はまさか自分がコロナで死ぬとは思ってもいなかっただろうし、周りの人も全く予期していなかったことであろう。
 亡くなる前にしておきたかったこと、言っておきたかったことを何も行動に移せなかったのが今回のコロナによる死であるが、今回のコロナによる死 以外にも、突然の事故や災害により亡くなった場合にも死の準備なんて、亡くなる本人も残された者も全くできていないのがほとんどであろう。
 こういった人たちの死を目の当たりにし、人生について考えてみると 少し大げさかもしれないがいつ死んでもいいという覚悟をもって生きていくことも我々 現在生きている者にも求められることなのであろう。
 とはいっても今生きている人間の多くが、余命○○年、あるいは○○ヶ月と宣告を受けていないであろうし、こんな場合、人生を終う準備なんて到底出来っこないことである。
 ただ、できるのは(少し現実的な話になるが)まだ子供が小さい場合にはこの子供たちが成人に達するまで親として何をしておくのかとか、歳をとった自分の親が健在な場合には、将来 誰がどこで面倒を見てくれるのか、また事業をしている方は自分の亡き後、会社はどうなり、そこで働く従業員はどうなるのかということも考えておかなければならないが、ここまで用意周到で亡くなった方は今までほとんど例がないというのが実態であろう。
 よく、「生命保険に入っているので、死んだら借金はチャラ(なしになり)」という人がいるが、確かに借金はチャラになるが、残された人の生活は更なる保険での保障がない限り、大きな意味でチャラとはいえないであろう。

 次に100歳まで生きる覚悟というのは、病気になったり、認知症になったりしても生がある限り生き続けなければならないということである。
 若いうち(主に50歳くらいまでか)は、「80歳まで生きたら十分」なんて言うことを多くの人が口にするが、これも思うように死にたい年齢で死ぬことができるなんてまず無理であろうし、元気な状態で80歳を迎えられたら あと5年くらいは生きていたいと思うのは人間として当然のことであろう。まして、配偶者、親、それにまだ未成年の子供がいるような場合であれば、少しでも長く生きていたいというか 長く生きていなければならないことだってあるかもしれない。
 先日、安楽死のことが新聞紙上を賑わしていたが、生きることも死ぬこともそう簡単にできることではないということである。
 今日のタイトルのように思いどおりには生きられないが、毎日の生活を悔いなく生きることこそ大事なのだろうなと思った次第である。

 今年の夏は多くの行事がなくなっているし、秋以降も同じ傾向は続くであろう。
 いつから始まったか分からない夏休み、帰省も墓参もままらなない盆休み、20年近く通い続けていた夏の甲子園、“大”の火が点かない大文字の送り火、そして秋の修学旅行も多くが中止か大幅な予定変更となりそうで滋賀県のある小学校は奈良までバスで行って、宿泊は滋賀県に戻って地元でお泊りらしい(県外泊なし)・・ただ これも取りやめになるかも。そして我が家でも東京にいる長男は仕事で動けないが、嫁だけがお盆に京都に行きたいと言っていたので、来る予定であったがこれも“東京の人”なので移動自粛のため取りやめになった。
 何かにつけ異例ずくめの夏であるが、実はもっと恐ろしいのがこれが異例でなく定例・慣例になってしまったときであろう
 お盆の帰省も墓参もなし。修学旅行も運動会もましてや入学式、卒業式、そして成人式もなし。最近ではお葬式も結婚式もなしと何もかもないないずくしであるが、果たしてこれらのことは今後 復活するのであろうか。
 今回の収束の見えないコロナ騒ぎでは予測すら立たない。

 話が本題からは横道にそれたが要はいつ何が起こるか分からないので、今をしっかり生きようということ。
 今日はお盆前の3連休中であったので遅くなってしまったし、いつも以上に長くなってしまったが、例年と違う夏、そしてお盆中に少しだけ人生そのものについて考えるのもいいのかもしれない。
 だって、いつもいろいろなことに追われながら、惰性で生きているというとこもあるでしょ。 私自身がそうなんですから・・・。
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2020年08月02日

No691:経営に好みを持ち込まない

 経営者、中でも中小企業のトップはいろいろなことを自分ひとりの判断で決めることができる場面が多く、当事務所の顧問先もほとんどが中小企業であるので上記のような形態が当てはまる。
 夫婦や親子だけの親族経営であればそれほど気を使う必要はないが、親族以外の人を雇用している場合に独断で物事を決めると思わぬ問題に発展することもある。
 特に人の採用や評価について少しおかしいのではと思った人事を何度か目にしたことがある。
 もう少し掘り下げていうとトップの“お好み人事”が問題を引き起こすことが多いが、一体 この“お好み人事”の問題点はどこにあるか分かりますか?
 それは好き嫌いで人事評価をしたり、給与を決めるので、基本的には正当な評価ができていないと思われることがあるし、中には経営者の“好み”が露骨にあらわれていて「この評価なに?」と感じるケースもある。
 “好み”で判断することを全て否定するつもりはないが、この“好み”というのは優しい言葉を掛けてくれるというような自分にとって都合のいい態度で、経営者のとってだけの心地のよさを醸し出してくれることに他ならない。
 つまりここが問題で かつ 経営者が陥りやすいところである。
 そりゃ心地よく経営(運営)したいのは誰しもが望んでいるところではあるが、心地のよさだけで前の進められるほど経営は甘くないし、事業の対象は自分自身でなく、相手、つまりお客様であるので、経営者だけが心地よくなったところで何のプラスにもならないことは誰にでも分かることである。
 こんなことあたりまえのことであるが、なぜか多くの経営者はこの居心地のよさにぐらっとくるのである。裏を返せば経営者って結構 孤独だからついつい心地よさを求めてしまうものである。
 でも、どこを探しても完璧な人間なんていないわけであるから、自分の弱点を補ってくれたり、間違った方向へ行きそうな時に、「それって、ちょっとおかしいですよ」と指摘してくれることは非常に大切なことである。
 そういう意味において、経営者にとって自分のことを客観的に見てくれる人がそばにいるかどうかが企業が成長するか、一定のところで足踏みするのかの分かれ目のような気がする。

 人事評価に話を戻すが、本当に会社全体のことや会社の将来を考えて行動しているかどうかが査定のポイントであり、それは単純にお気に入りや心地よさを評価基準にするのとは大きく異なってくる。
 時には冷酷に、時には優しくするという硬軟織り交ぜてする評価こそが、正当な評価、つまり評価の神髄であり、それが会社経営のポイントといってもいいのであろう。
 このようなことを実行に移すことはなかなか難しいことではあるが、私の周りには成功事例だけでなく、まずいなと思えるもいくつもあるので、何とかいい事例をまねながら事務所経営をいい方向へ導いていきたいと思っている。
 当事務所にはいないが、経営者に甘くて優しい言葉を投げかけてきて、経営者の心地よくすることだけに長けている従業員、これを見抜き、厳しい評価を下せる経営者こそ成功する経営者ともいえるであろう。
 経営者はこういった目や心を持ち合わせないといけないのであろうが、逆に経営者自身がそこまで達しないところに経営を続けていく意味合いがあるようにも思うし、完成した経営、揺るがない経営なんて存在しないので、そこをいつまでも追及し続けることも経営の醍醐味でもある。
 偉そうなこと言っているが、要はまだまだすべきことは山ほどある、というのが今日の結論である。
 ということで、明日からもがんばります。
posted by ヒロイ at 23:05| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年07月26日

No690:多い休日、何して過ごす

 事務所は7月23日(木)から今日まで4連休である。
 コロナさえなければ、今頃 東京オリンピックの開会式も終わり、さあいよいよ各競技スタートということで日本中が熱狂の渦に包まれていたかと思うと、元アスリートとしては何ともやるせないというかこの状況が悔しくて仕方ないというのが今の心境である。
 この連休も本来であればオリンピック休暇であったはずが、梅雨のさなかの何のあてもないただ単に休みが4日間続いただけというものであった。

 私自身は溜まりに溜まっていた仕事を少しでも前に押し進めたかったので1日半は事務所でいくつかの確認作業を行っていた。
 また、今日は相続案件の最終段階の親族間での打ち合わせの日であったので、朝から親族が集まられるご自宅へ訪問した。
 細かな内容についてはここで触れるわけにはいかないが、亡くなられた方の奥様(80代後半)とその娘さん2人 計3人による遺産分割の話であったが、比較的和やかに揉めることもなく1時間ばかりで終了した。
 3人とも、『お父さんがしっか働いて育ててくれて、財産まで残してくれたなんて、本当にいいお父さんやったね。』と感謝の気持ちを口にされていた。
 相続税申告の業務を請け負った場合、当然のことながら 節税策を練り納税額が抑えることも重要であるが、親族間で揉めることなく遺産の分割が決まるということも非常に大事なことのように思う。
 そういう意味では今日はいい家族の形を見ることができ、なんだかすがすがしい気持ちになって帰ってきた。

 話を休日の過ごし方に戻すが、私が社会人になった頃は土曜日が隔週で休みだったし、今ほど休日もなかったので連休にでもなると必ず遊びの予定を入れていたし、3連休ともなるとどこかへ遠出したり、旅行の計画を立てたものである。
 そうそう当時は土曜日は午前中だけ仕事で、午後から休みという“半ドン”なんていう制度もあったが、今やこの“半ドン”なんていう言葉を知っている人は一定の年齢以上の限られた層なのであろう。
 現在のような休みが多いのを否定するつもりもないし、自分自身の体も週休二日に馴染んでしまっているが、実はこの非常に多い休日の過ごし方がいろいろな意味において重要なんだろうなと思えてくる。
 休養と趣味のような自分のやりたいこと、それに少しは仕事の役に立ち 自分を高めるための時間、この3つをバランスよく保てたらいいのだが、なかなか理想どうりにいかないのが私の休日の過ごし方である。
 ついつい休日明けにどっと押し寄せる仕事が気になってそのことに時間を費やしてしまうことが多いが、これから充実した人生に送るには仕事以外のことにも時間を費やすことが必要なのだろうし、現実には思いどおりにはいかなくてもこういう理想を持っているかどうかで人生の中身は随分違ってくるように思う。そういう意味では子供に時間をとられることがなくなった今こそ、自由に時間を使いたいものである。
 いくらあっても足りないのが時間であるが、もし暇で暇で仕方がないような毎日であれば それはある意味つまらない人生なんだろうし、多少イライラ、ドキドキしながら過ごす方が中身の濃い人生なのかもしれない。
 明日からは7月最終の週で、やり残したことを片付ける週になりそうなので、何とかいい形でキリをつけて8月を迎えられるようひとまずは目の前にあるスケジュールをこなしていきたいと思っている。
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2020年07月20日

No689:「引退」とい言葉の重み

 「引退」という言葉を聞いてみなさんは何を考え、誰を想像しますか?
 スポーツ選手の引退は年齢からくる体力の衰えによるものがほとんであるが、中にはまだプレーできるのにと惜しまれながら引退した選手もある。
 前者はほぼ限界までプレーを続けたイチローや野村克也などが思い浮かぶし、後者では野球の江川投手やサッカーの中田英寿選手、それに最近ではレスリングの吉田沙保里や卓球の福原愛などが頭に浮かぶ。
 後の4選手なんかは周りから見ればまだできるのではと思えたが、本人にとっては体力だけでなく気力も含めて限界に達していたのだと思う。

 経営者の場合は、まずは自分が退くと思わない限り、なかなか他人から引導を渡され引退するというのは経営不振の元凶であったり、何か社会的に大きな問題を起こさない限りなかなかないというのが今の日本社会であろう。
 我々のような中小企業の経営者も引き際を考えないわけではないが、今まで「〇〇歳で引退するのが夢」とか、「〇〇歳以降は気ままな自由な生活を送りたい」と言ってきた人で宣言どおりに辞めた人はほとんどといっていいほどない。
 一度は代表取締役社長を他の人に譲りながらも再び社長に返り咲いたユニクロ(ファーストリテイリング)の柳井社長や社長の座は譲ったもののいつまでも自ら創業した会社の経営に君臨し続ける日本電産の永守会長の姿はすごさや鋭さだけでなく、どこか悲哀なものを感じるのは、どちらも70代にして自分が育て上げた会社を任せられる真の後継者が見つかっていないこともそう思える要因のひとつであろう。
 こんな姿を見ていると、後継者選びと引退ということの難しさをひしひしと感じてしまう。

 よく使う言葉で「まだ」と「もう」という言葉があるが、この両方の言葉を場面に応じてうまく使い分けられる人間がいい形での継承や引退を迎えることができるのではないかと考える。
 企業そのものの置かれている状況や社長の立ち位置によっては、「まだ、○○歳なのでもうひとがんばりしないと・・」と思うと同時に、曲面や状況が変われば、「もう、○○歳だから後進に道を譲らねば・・」と潔い退き方も必要となってくるであろう。

 私は「もう58歳」だが、「まだ58歳」でもある。 年齢からくる衰えもないわけではないが、価値を見出してもらえる年輪と言われる部分とをうまく絡ませながら日々生きていってこそ、必要な人間になれるのであろう。
 まだ、仕事は続ける以上は「〇〇歳で辞める」なんという言葉は、「何が何でも辞めるぞ」という気持ちが固まるまでは口にすべきでないと思っているし、すぐに「辞める」と口にする者ほど信頼できないように思ってしまう。

 実は以前 「辞める(引退する)」言ったはずのあの小室哲哉が芸能界に復帰するというニュースを先ほど耳にしたが、“ああいう人” もっと悪い言葉で言えば“あいつら”にとっては「引退宣言」って何の意味を持っていたのであろうかと思ってしまう。
 こんなのを見ていると辞める時は、「もう復帰はなし」と言い切れる時になってはじめて引退(退任)宣言をしたいものである。
 私は日本にはまだまだ“引き際の美学”があると思っている古い人間の一人かもしれないが、いつかやってくる“退く時”には、やはりいい退き方をしたいと思っている一経営者である。
 「引退」。これこそ人間性が一番表に出る、人生の集大成であるのではなかろか。
posted by ヒロイ at 00:25| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年07月12日

No688:コロナ後が見えない

 コロナ、コロナと騒いでいるが、ここにきてコロナによる異変に段々慣れてきた感じがする。
 集団での研修会、一定の以上の人数で行う食事会、無観客あるいは観客のほとんどいないスポーツイベント、バスや電車そして飛行機を利用しての団体旅行・・・など 今まで何の疑問もなく普通に行われてきたことが、今や常識的な行動ではなく、誰もがとらない行動となってきている。
 私の自宅から10分ほどのところにある京都コンサートホールも昨日ワンちゃんの散歩で前を通りかかったが人気もなく、ホール1Fの事務局だけ電気がついているし、松ヶ崎の自宅のそばにあるいくつかのチャペル付の結婚式場もここ数ヶ月人気はなくひっそりとしている。
 あと事務所の近くの同志社大学も門を閉ざし、一般の人は入構さえできなくなっているし、通常であれば2万人近くが通うはずだが、春以降 学生の姿をほとんど見かけない。
 他にも本来なら考えられない光景(風景)が今や当たり前になりつつあるし、何が日常なのか、今までどうだったのかということさえも忘れそうになってしまうくらいコロナ後の状態が段々 日常になりつつある。

 ここまで コロナに関しては、「夏には」とか、「秋には」なんて淡い期待を抱かなかったわけではないが、ここへきてもうそんな期待さえもしなくなった自分、そして世の中が目の前にある。
 こんな中で自分や家族そして事務所の将来や今後の生活や仕事のスタイルなど 先のことを考え出したらキリがないが、こうなったら自分なりに何らかの見通しを立て生き延びていくしかないのではと思うようになってきている。
 そのためにはいろいろな情報を漏らさずにインプットし、日々 いろいろなことに乗り遅れずに過ごしていくことが今まで以上に必要となってくるし、「今までは」とか「過去においては」なんていう概念も無意味なもののなってきつつある。
 今までは会社も自分も一定の幅の中に納まっていれば大きな失敗はなかったが、これからはこの一定の幅が今までの半分か3割くらいのものになり、人並みに生きていくのも一苦労である。
 ここへきて、まさかまさかの50代終盤からの残りの人生である。

 今日は抽象的な話が多く、何が言いたいか分かりにくい面もあったかもしれないが、何気なく生きているとひどい目に合うんじゃないかなという、非常に大きな恐怖心を抱かざるを得ない ということが言いたかったということである。

 本業の税務面においても税務署が行う日常業務の税務調査も長時間、面と向かっては行えないかもしれないし、確定申告時期の個別相談も今後 不可能になってくるかもしれない。
 本当に行政も今まで経験したことのない状況に立ち向かっていかなければならないが、果たして立ち向かって処理していけるのであろうか。
 今や何を考えても頭がくらくらするくらい、解決できないことばかりである。
 ちょっと立ち止まってゆっくり考えてみると、怖〜い世の中に向かっているとしか思えない今の状況である。
 「まずは目の前にあることから」 そんな当たり前のことを考えている自分である。
 では、明日からまた世の中が動き出します。どっちを向いてかはわかりませんが、何とかやっていきましょう 前を向いて。
posted by ヒロイ at 22:06| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年07月05日

No687:”肌感覚”で こんな時 どうするのがいいですか?

 新型コロナウイルスの感染拡大も少しは収まりつつあるのかなと思ったのも束の間、拡大とまではいかないにしても収束という状態が遠ざかっていくここ数日の報道を見ていて、他の多くの国と同様とはいえこの出口の見えない状況に苛立ちさえ感じてしまう毎日の感染者数の人数である。

 こんな状況が続く中、今までどおりの経営手法で会社やクリニックの運営が問題なくスムーズに進めていけているところは数少なく、営業時間の短縮や人員配置の見直しに始まり、販売する商品そのものの再検討であったり、クリニックにおいては診療方法の変更を余儀なくされているところも少なくない状況である。
 我が事務所も多くの税理士事務所同様、顧問先ごとに担当制をとっているので私自身が定期的に訪問できていない顧問先もあるが、ここ数ヶ月、あるいは1年近く話すらしてなかった経営者や院長から、直接 私の携帯に連絡が入ることがある。
 必要資金調達のための金融機関との交渉や提出書類の準備、あるいは今 話題となっている雇用調整助成金に絡む必要書類の依頼や準備については担当者サイドで説明し、順次 手配を進めているので問題ないが、私の所へ直接連絡があるのは休業(スタッフの間引き勤務を含む)するのかどうかとか、このタイミングでお金を借りておくべきかどうかなど、今後の経営にかかわる判断をする上での経営者の“肌感覚”としてどうなのかを聞きたいという問い合わせや確認が多いように思う。
 この“肌感覚”というのは経営をシミュレーション等の数字上の観点から捉えるだけでなく、まさに“肌で感じとれるもの”ということで使い方によっては非常に都合のいい言葉であり、まさにニュアンスでは?ということを含んだものともいえるであろう。
 例えば追加融資を受けたあと、当然のことながら資金繰りには余裕が生まれ、毎日 預金通帳の残高を心配しながらの経営からは一時的には脱却できるし、スタッフのことにしても勤務時間の短縮により支出金額を抑えることができ、こちらもある程度即効性が期待できる。
 ただ、この資金が経営者の心に余裕を持たせるだけにとどまらず、油断になりかねないという落とし穴がある。
 また、スタッフのことにしても経営者との関係において、深い信頼関係が築かれていたものが勤務時間を減らすことをスタッフに嘆願することによって関係が強固でなくなったり、将来の雇用関係にまで不安定な要因を作り出す可能性だってないわけではない。
 私への質問はこういった感覚的なものや過去において私が経験したことなどを聞き出したいという経営者の思惑が感じとれる。
 このように事務所の担当者を通り越して、私へ直接 質問がくるというのは、経営環境が悪化し、難しい時代に入っていることを物語っている。
 こんな話があった時には当然のことながら担当者に内緒にするのではなく、「私の意見を聞きたいということで、〇〇先生から直接 私の所へ連絡があった」と具体的な内容まで伝えるようにしているし、これは経営者と私だけで進められるものではないことは百も承知である。

 この春から夏にかけて何名かの経営者(院長)や経理を担当されている奥様から軽い愚痴として言われたのが、『がんばっている特定の人に特別の手当を新たに付けたり、コロナの中で頑張ってくれたことに報いて夏の賞与に特別手当を加算したのに、お礼や感謝の一言もないんですよ。』という話である。
 これってまさに「出してあげたのにどうして喜ばないの?」という経営者感覚であるし、この心情は確かに経営者にしかわからないかもしれないように思う。
 私もこういったスタッフに「喜んでほしい」という感覚がなかったわけではないが、今ではこういったことも段々分かってきて「口にはしないだけで、心の中ではきっと喜んでくれている」と捉えられるようになってきた。
 こういった境地になれるまでには10年近くかったが、もう今では相手がどう思おうと支払う自分が心地よく、かつ、満足すればそれでもいいのでは なんて思えるようになってきた。
 こういうことってやはり経営者感覚というものであり、経営者の方々はこういったことについて私に同意を求めたり、何らかの指針を示してほしいという思いから連絡されてくるのであろう。
 こんなことでよければいくらでも相談に乗ったり、話をしたりできますよ というのが私の気持ちである。
 こういったやりとりをする中でも一応 私にも存在価値があるのかなと少しだけ勝手に満足しながら今日の話は終わることにします。
 コロナと雨と暑さと戦いながらの大変な週になりそうですが、みなさん無理をせず毎日過ごしていきましょう。
 では。
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2020年06月28日

No686:失敗しない経営者

 コロナ感染症拡大防止のために4月は顧問先との面談を控えていたし、中には4月に続き5月も対面でのやり取りをしていなかった先もあり、6月は久しぶりに面談する先が多く、スケジュールもかなり立て込んだ1ヶ月となっている。
 やはりコロナの影響のない先はないし、残念ながら日用品や食料品を扱いこの時期に売り上げを伸ばすような業種の顧問先は我が事務所にはない。
 こういった中で昨年5月に開業し、初めて迎える冬場の患者増に期待を寄せていた顧問先(クリニック)は、2月の前半までは予測に近い伸びを示していたが、コロナが猛威を振るいだした2月後半からは患者の伸びはピタリと止まり、苦戦を強いられている。
 そんな新米クリニックであるが、6月に入ってからは初めて来院される患者、いわゆる新患もちらほら増えだし、最悪の事態は避けられそうな状況までこぎつけてこられている。まだまだ安心できる状況ではないが何とか前を向いて進んでいることが感じとれるまでになってきた。
 実はここのクリニックは前回会ったのが3月上旬で、その後コロナ禍にどっぷりつかってしまったが、当方の担当者とは頻繁に連絡を取り合い、あれやこれやといくつかの対応策を模索したり、この2ヶ月の間に実際に実行に移されたものもあった。
 先週久しぶりに会った時も 「こんなことを始めましたが効果があると思いますか?」とか、「今度、こんな手を打とうと思うんですが、もうこれ以上費用をかけるのはよくないですかね?」と矢継ぎ早に質問をしてこられた。
 50代後半での開業なのでどちらかというと遅い方かもしれないが、40代以下の方よりも発想は豊かであり、頭も非常に柔軟性がある。
 片道1時間以上かかる顧問先なので、先日も帰りの電車の中ではこの先生のことをいろいろと考えながら帰ってきた。
 年末にやっと採算ベースに乗ってきたとこであったのに今回の騒動でガクンと落ち込んだが、あまり心配はいらないのでは、上昇のペース(回復)は他のクリニックよりも早いかも、という気がする。
 それはなぜかというと、この仕事を長くしてきて経営を上向きにさせられる経営者や内的あるいは外的な様々な要因で経営が思うようにいかなくなった時、難局を乗り切れる経営者はいくつかの共通点があり、それは経営そのものを大きな観点から見直すような大掛かりなものだけでなく、日々の運営の中でのちょっとした工夫やいろいろな発想をお持ちの方である。
 この先生のことを頭に思い浮かべながら、いくつか例を挙げてみると

@他人に聞く前にまず自分で調べて、その効果や影響を自分で考えてみる。この逆のタイプの人は私に「どうしたらうまくいくんでしょうかね」と案さえも持ち合わせずただ聞いてこられるだけの人である。

A考えた後はリスクの少ないものから まずは実行に移してみる。先述の対策のうちのひとつは私と面談した時には既に実行中であった。この方法を聞いてこれはうまくいくのではと思ったが、この先生が練りに練られた秘策なので、今ここでは具体的な話まではできないことはお許し願いたい。効果を確認したうえで機会があれば早い段階でお話しします。
B我が事務所の担当者(私も同行)との面談時には、必ずいくつかの質問事項を準備されており、即答できないような内容については質問項目が事前にメールで送られてくる。

C今の時点では10年後のことまでは頭にはないが、常に2年後、3年後、そして5年後くらいまでは構想をお持ちである。

D決してネアカではないかもしれないが、俗にいうネクラではないし、比較的親しみやすいタイプである。また物事を常にいい方に考えられるし、決して人の悪口は言わない方である。またお金遣いは荒い方の部類には絶対に入らないし、かといっていわゆるケチではない(変な表現ですみません)。傍から見ていて非常に金銭感覚は優れているように感じる。

いざ必要と思ったら、ためらわずにお金を出されるが、開業1年目なので日常の生活費を除いて、クリニックに関係のない出費はほとんどない。頭もお金も全てクリニックのためを地でいく感じである。

 こうして書いていると私自身なかなか当てはまらないなと思いつつ、こういった経営者になりたいなと思えるうちの一人である。
 経営自体はまだまだ厳しい状況が続くが、今後どんな数字になっていくのか楽しみな開業2年目のクリニックである。
  そうそう いっしょに話をしていて、「そうですよね。」、「なるほど!」とこちらがうなづく回数が多いのもこの先生との面談時の特徴であることも付け加えておく。
  今日も長くなりましたが この辺で。
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2020年06月21日

No685:言葉を勝手に縮めることは好きではない

 日常の生活や仕事をしていて言葉を短縮したり、簡略化していう“短縮形”や“簡略語”にたびたび出くわすが、私はこの短縮形があまり好きではないし、できるだけ使わないように心掛けている。
 コンビニ、エアコン、ファミコンなどは今や短縮形が日本語になってしまっている感があり、誰しも「コンビニエンスストアに飲み物を買いに行ってくる」なんて言わないのでこれはよしにして。
 また、日頃一般人が使う機会の少ない「外為(ガイタメ)・外国為替」や、「公取(コウトリ)・公正取引委員会」などは、一種のビジネス用語になっているので あまり気にならないが、比較的、日常の生活の中で使う言葉を短縮していうのは気になって仕方がない。
 我々の仕事でも確定申告のことを「確申」、年末調整は「年調」というのは業界内では何の違和感もないし、事務所の中での会話で使うのはいいが、顧問先の方に対して、「年調の書類、そろそろ送ってもらえますか」なんて電話しているのを端で聞いていると、果たして電話の向こうの顧問先の奥様は、「年調」って分かっておられるのかな? と思うこともある。
 私は税務関連の経験の浅い方に対しては、「従業員の方々の年間の税金を年末に精算する“年末調整”の書類ですが・・・」というようにしているし、そうすることによって、今 依頼を受けている書類の重要度と緊急度がどれくらいのものなのかを理解されるので、資料収集も非常に手際よく、早く進めてもらえるという利点がある。
 私は決して頭の回転が速い方ではないので、逆の立場の場合 理解するのに困らないようにすることも仕事のひとつかなと思いながら対応するようにしている(つもりである)。

 最近でこそ一般的な言葉になってきた感のある「取説(トリセツ)・取扱説明書」も今から10年程前にクリニックの開業準備に携わっていた時、医療機器のメーカーの方が、「明日の開業前スタッフ研修は何点かの医療機器のトリセツに2間くらい充てる予定をしています」といわれた時、「トリセツ」の意味が分からなかった。ただ周りにいた人はさぞ当たり前のように頷かれていたので、「トリセツって?」と質問をすることもできず帰ってきたことを覚えている。
 こちらも15年程の話になるが、ある会社で特許権の話をしていた時にその場にいた弁護士さんが、「そのチザイの権利としての認識と評価が問題で・・」といわれた時、「チザイ」の意味が分からず知ったふりをして帰ってきてから、その意味を調べて やっとそれが「知的財産権」と分かり、あの場で聞かなくてよかったと胸をなでおろしたことがあった。
 税理士会の役員をするまでは、「監事」のことを「皿(サラ)カンジ」、「幹事」のことを「ミキカンジ」なんて呼ぶことも知らなかった。
   各方面においてこの短縮形が当たり前のように使われているし、我々業界でもこういった専門用語を知らず知らずのうちに連発していることもある。「簡易(消費税の簡易課税)」、「納特(源泉所得税の納期の特例)」などもその代表的なものであろう。
 私のような小規模な会社や個人事業者の方々を顧問先に持つ者としては、こういった分かりやすい説明をすることも、仕事をスムーズに進めるうえで大切なことであるなと実感することもたびたびある。

 明日の午後からは相続に関しての親族会議に立ち会い、財産の分割や相続税額について説明することになっているが、こちらも相続人4名の方がすべて いわゆる素人さんなので一から丁寧に説明することが必要であろう。
 相続人の一人であるご長男はこのためにわざわざ東京から(丹後まで)帰ってこられての打ち合わせであるので、うまく説明をして相続人のみなさんが納得できるような結論を導き出せるようなお手伝いができればと思っている。
   そういう意味において、結論はすぐには出ないかもしれないが、明日は私にとっては結構 重くて、重要な日になりそうである。
 こんな大事な場面で説明できることもある意味 税理士冥利に尽きるな と勝手に考えながら明日を迎えることにする。

 では、明日は泊まりで荷物の準備もあるので今日はこの辺で。
posted by ヒロイ at 22:30| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月14日

No684:憧れます、人の話を聞くことができる人のことを

 会社で上に立ったり、あるいは 統括する立場になれば 当然のことながら組織をまとめていかなければならない。
 時にはまとめるだけでなく、引っぱっていかなければならないときもあるが、ここでいう「まとめる」と「引っぱっていく」というのは意味も違うし、一人の人間がこの両方とも備えるのは至難の業である。
 高校野球の部員がキャプテンのこと聞かれた時、 「本当にみんなの気持ちも汲みながらよくまとめてくれたと思います。個性派ぞろいの集団で大変だったと思いますよ。」と話すこともあれば、「〇〇(キャプテンのこと)は本当に、グイグイと力ずくででもみんなを引っぱっていってくれました。アイツの言うことを聞いていれば間違いないですから。」というような話をする者もいる。
 これはスポーツの世界だけでなく、会社でも自分が属するいろいろな団体でも同じようなことがいえる。
 多少なりとも上下関係がはっきりしている組織やグループの中でリーダーになった場合には、こういったやり方のうち 自分に合う方法を選んでまとめていけばいいのであろう。
 話が少し横道にそれるが、夫婦の間でうまくまとめたり、あるいはグイグイ引っぱっていくことができる人もいるかもしれないが、私は結婚して30年以上もの間 一度たりとも引っぱっていった経験もないし、うまくまとめるなんていう神業のようなことをしたこともない。夫婦の関係だけは上下関係がない分 かえって難しいように思う。
 今どき、夫婦に上下関係ってあるんですかね? たまに女性の方が強い夫婦は見かけますが。

 話を元に戻しますが、
 リーダーとよばれる立場の中でも誰もが一目おくリーダーというのは、優れた実力や実績だけでなく、相手の立場に立って物事を考えられる人のように思う。
 相手の立場に立つということはなかなか難しいことのように思えるが、私はまず人の言うことに耳を傾けるというのが大事なことのように思う。
 「みんなの意見を聞いたうえで」なんて言っている政治家や経営者ほど、自分が一番正しいと思っていて、こういった人たちに限って自分の考えていることが通らないなんてありえないと思っているであろう。
 ここでこんな偉そうなことを書いてはいるものの私自身も既にこの部類に入っている “扱いにくい人間”になっているのかもしれない。気づかないのは自分だけだったりして・・。

 ある雑誌で企業の経営者が、「経営者の多くはしゃべり過ぎで、なかなか聞き上手になれない。信頼される経営者は必ず聞き上手という面を持ち合わせている。特に相手の得意なことをうまく聞き出せば、話している本人もさらに上に向かっていくだろうし、そうして前向きな話を聞くことは、経営者にとっても結果的に自分の利益になることも多いはず。」と語っていたのが印象に残っている。
 いろいろな局面において、ついつい一方的にしゃべってしまっているし、まさに相手が聞き上手の人なら なおさら一方的にしゃべりまくっていることもある。
 雑誌の中のたったの数行であったが、いろいろと考えさせられた対談の一コマであった。
 こちら側はうなずきながら、相手からじっくり話を聞き出すなんていう芸当がができたらすばらしい経営者や顧問先のよきパートナーになるのだろうが、まだまだ私にはそこまでたどり着けそうにない。そろそろ じっくりと人の声に耳を傾けてもいい歳であろうし、そういう人に憧れるようになってきた。
 人の話を聞くのって本当に難しいし、人間の器の大小を表す物差しなんでしょうね。
 今日の話、偉そうなことを綴っているけど、結論としては自分はまだまだ器が小さすぎるっていうこと。
 生きるってなかなか思った所には行きつけませんね。
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2020年06月07日

No683:テレビ会議を終えて思ったこと

 先週、仕事で大阪の会社へ出向き、重要な案件について打ち合わせがあった。
 ただ、その案件について一番の責任者といわれる人が、現在 東京支店に配属になっているとのことで、大阪本社と東京支店でテレビを使っての打ち合わせを行った。
 大阪は私を含めて2名、東京は1名という合計3人によるものであったが、過去の状況、現況、そして将来の見込みについて、データを見たり、画面に目をやったりしながらみっちり2時間 休憩時間もとることなく、結構 根を詰めた打ち合わせを行った。
 内容については当然ここで話すことはできないが、結構 秘密裏に進めないといけない案件だったので、途中でお互いの腹の探り合いをするような場面もあり、終わってみればどっと汗をかいており、通常の仕事の何倍もの疲れを感じた。
 実はその後、京都の事務所へ戻ってきたが、10〜12時の大阪での2時間の打ち合わせでその日のエネルギーの大部分を使ってしまい、午後からしばらくは頭の方が使いものにならなかった。
 打ち合わせや連絡をするのに以前は電話や直接会って面談しながらするのが主流であったが、ここ数年はメールでのやり取りが多くなってきている。また、今回のようなテレビ会議やウェブ会議というスタイルが増えてくることも十分考えられるであろう。
 今回 初めて体験してみて、相手の顔や表情が見えない電話よりずっと意思疎通がはかれた感がある。というのもいろいろな発言ややり取りの中で相手の表情がつぶさにわかり、喜んだり、納得しているのか、あるいは 腹を立てたり、腑に落ちないことがあるのかというのが離れてはいても画面を通してその場で判断ができた。
 その点、メールというのは多少腹の探り合いというか、文面ではこのように記しているけど本心はどうなんだろうと思うこともあるし、こちらから何かを伝えたいときは 結構 納得や了解をしているのに文面がうまくまとめられなかったら、相手からはお気に召さないの と思われたりすることもある。
 今後はさらにいろいろな伝達手段が出てくるだろうが、手法が多岐に渡れば渡るほど難しいものになってくる。本当に我々オヤジ族にとっては、ある意味 受難な時代の到来なのかもしれないが、これからも仕事を続けていく以上は避けては通れないものなのだろう。
  テレビ会議の話はこれくらいにして、話題はごろっと変わるが、
   今日はいい天気であったが、2回のワンちゃんの散歩以外は久しぶりに家で過ごした休日であった。

 自宅のすぐ裏がスポーツ広場があるが、ここ2ヶ月余りも間は誰の声も、何の音も聞こえずシーンとしていた。今日は 家にいるとキャッチボールをして ピシッとグラブにボールの収まる音や、別のグランドからはポコーンとサッカーボールを蹴る音が耳に心地よく飛び込んできた。
 ただ、声を出してはいけないことになっているのか、元気な声が聞こえたのは最初のランニングと体操の時の「イチニイサンシ、ゴウロクシチハチ」という掛け声くらいであった。
 通常の年ならこの時期、高校や大学のサッカーやラグビーの試合があり、宝ヶ池球技場のスタンドから、選手紹介のアナウンスや「ウォー!」という地響きのような歓声が聞こえるのだが、まだそういった声は聞こえてこない。
 今まで日常だったことが懐かしく思えると同時に、今日は久しぶりに野球やサッカーをしている音や声が聞こえたのでホッとし、うれしい気分になった。
 日常が戻るにはまだまだ時間がかかるのであろうが、本当に多くのことに気づかせてくれているこのコロナ騒動である。
 経営的に苦境に立たされておられる事業者の方にとっては、まだまだ全く気が抜けないし、不安な気持ちはほとんど払拭できていないというのが本当のところであろう。
 何かにつけ いたたまれない今回のコロナ騒ぎであるが、誰に文句を言っていいのやら腹を立てる先もない 何とも 厳しくやるせない今年の夏である。
posted by ヒロイ at 21:52| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする