2019年09月08日

No645:“終活”の難しさは 思うように死ねないこと 

 今回のタイトルは“死”を肯定し、導き出しているともとられかねず、ちょっと誤解を生むようなタイトルになってしまった。
 実は8月以降、「私の現時点での財産を洗い出し、今後の対処方法を教えてほしい」というような依頼を3件も受けて、実際に作業にとりかかっている。
 70代、80代、90代と依頼者3人(すべて男性)の年齢に開きはあるが、3人とも特に入院されているわけでもなく、頭は同年代の方と比べるとかなり上位にランクされるくらい まだまだ聡明という言葉が当てはまるような方である。
 さすがに90代の方は家の中から出ることはできないが、ご家族やヘルパーの方の力を借りてご自宅で生活されており、読みかけの新聞や雑誌が並べてある。

 “終活”とは人生が終わるときのための整理やその後の道筋を立てておくことをいうのであろうが、こういったことをきちんとされていた方は自分の親も含めほとんどない。
 以前、相続税の申告業務の依頼を受け、相続人の方からいろいろな話を聞いたり、残された資料を見せていただく中で、亡くなられた被相続人の方がご自身ですごくきれいに整理されたノートが残されており、その中には預貯金の口座番号や生命保険の証券番号、他にいくつかの契約されたことについて契約者番号や契約期間が細かく記されていた。また自宅の修繕の経過や今後の対応についても書かれており、これを見せていただいた私は、「これはすごい」と思ったと同時に、数年間にわたるがんの闘病期間中にどんな気持ちでこのノートを作成されたのであろうかと、私も親交のあったこの亡くなられた方のことを考えた。

 もちろん多くの財産をお持ちの方は、後々 相続人間での遺産分割でもめないようにしておくことも大事である。
 人間70代以上になると誰しも、「ああしたい」、「こうしたい」と思うだろうし、日々の雑談の延長として私に対して、「財産をこんな風に分けようと思っているんだけど・・・」という話はいく度となく聞いたことはある。
 ただ、正式に「遺言書」で残したり、子供たちがそろった面前ではっきりと口にされるケースはほとんどない。
 逆に言うと年々歳をとり、段々体が弱っていく身である中で、財産の分け方を明言できる(「遺言書の作成」を含む)ほど気丈である人は少ないように思う。

 実は、今回は財産とか遺言の話がしたいわけではなく、「いかに死ねるのか」とか「思うように死ぬことの難しさ」ということについて私が考ていることを少しだけ述べさせてもらおうと思っている。
 お年寄りから、「なんぼ(何歳)まで生きんとあかんのやろ」とか「80歳で亡くなったお父さんにはよ迎えにきてと毎日拝んでるんやけど」なんていう話を聞かされることもある。
 そうかと思えば、交通事故や災害、それに殺人に巻き込まれてある日、ある時、突然にして命を落としてしまうことだってある。
 この命というもの、そして生きることと死ぬことの難しさ、これっていったいどうしたらいいんだろうと思ってしまうし、こんなことを考えていたら計画を立てて死の準備をする“終活”が思いどおりに進められる人ってどれくらいの割合いるのだろうかと考えてしまう。

 ただ、こういったことを考えながら、それそれの人が満足のいく人生の終わり方を導き出すことも我々の仕事の中に入り込んできている。
 どんな書物を読むよりも、亡くなった父や施設で暮らす母のことも考え合わせたり、いろいろな人の思いも聞いたりする そんな体験こそが、財産や税金の計算をするだけの仕事に終わらず、それぞれの人にとって最善の方法を導き出すとき より良いヒントになることもある。

 最後にこういった話の中に入っていく時には、情にほだされたり、“情”によりかかりすぎないようにすることも必要であり、少し冷たい人間に見えるかもしれないが、そのことが結果として一番よい方法を導き出すためには重要なことなんだろうなと自分に言い聞かせながら行動するようにしている。
 ただ、ただいった時にいつも考えてしまう 「一番いい結果ってどんな結果なんだろうなって。」
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2019年09月01日

No644:“口コミ”と“口コミサイト”の違い

 最近、お店の評判をネット上で書き込む“口コミサイト”が話題に上がることが多いし、これを見て行く店を決める人も多いと聞くが、この口コミサイトってどれくらいの信ぴょう性があるのだろうかと思ってしまう。
 決して誤った情報が掲載されているというわけではないが、やはり知人や身内など身近な人から聞いた情報に勝るものはない。
 私自身は詳しく調べたことはないが、我々の税理士業界をターゲットにした口コミサイトもあるらしい。ただ、こういった口コミサイトを気にして仕事をするなんてできそうにないし、日々の業務を忠実にこなすことしか頭にはない。
 飲食店でも確かに口コミサイトで評判のいいところは、当たりはずれもなく一定の水準以上であることが多いが、口コミサイトにも上がっていないような店だが実は味は絶品という店を自分で探すのもこれまた楽しそうな気もする。
 我が事務所の顧問先の多くを占める開業医(クリニック)も今では口コミサイトで良い悪いが語られる代表的な業種のひとつでもある。
 先日、面談した開業後1年に満たない先生は評判もよく、既にかなりの患者数であるが、口コミサイトでいいことが書き綴られているだけでなく、近隣の住民や受診された患者から近所の方や知人へのよい評判の口コミも多いらしい。

 よく自分のお店の客やクリニックの患者の数を増やそうと広告や看板についていろいろと検討され、どこに出したらいいのかとか どれくらいの費用までならかけてもいいのか聞いてこられる経営者も多い。
 事業を始めて間もない頃はお店の名前や場所をいち早く多くの人に知ってもらうために広告というのは一定の効果はあるが、その客がその後も来店し続けてくれるかどうかはやはり店の雰囲気も含めた店そのもののレベルが最終的な判断材料となる。
 クリニックについても同様のことがいえるが、まず他の事業と大きく異なる点は訪れる人、つまり患者は体のどこかが悪くて来ているのでその病気が治ったり、病状が落ち着くというのが一番重要なことであろう。ただ、同じ治るにしても心地よい気分で治療を受けるのと恐る恐る医者やスタッフに接しながら治療を受けるのとでは、続けて来院しようかどうか判断する上で重要な判断材料にもなる。
 そういう意味では一人一人の患者が評判という種をまく対象者であり、まさしく“口コミ”そのものに他ならないし、これは誰か偽装客や偽装患者が書き込んだネット上の“口コミサイト”とはわけが違うほど重いものであり、信ぴょう性がある。
 いい口コミを得るために気を遣ったり、おべんちゃらをしたところでそんなものでは評価は得られないし、“素(す)である状態”の評価こそが本当の評価といえるのだろう。

 大げさな言い方かもしれないがネット上の“口コミサイト”にも勝る利用客や患者から「また次も来たい」と思わせるように店主や院長、それにそこで働く従業員の全ての人が力を結集してこそ、どこにも負けないような形が作れるのであろう。
 人が人を呼ぶ、患者が患者を呼ぶ これこそ口コミそのものであり、生き残るために最も重要なことであろう。
 そのためにはうわべのことだけでなく、よい商品やよい医療の提供するためにはどうすべきかを考えるいい経営者やいい開業医を目指してほしいものである。

 これはもちろん税理士にも言えることであり、日々評価にさらされていることを肝に銘じて過ごしていきたい。

 夏もほぼ終わり いよいよ秋の到来である。学生時代には「秋が勝負の分かれ目」よく言われたが、社会人にもこの言葉は通じるなと考えつつ今日の少し重い話を終わりにする。
 秋とは言っても、まだしばらくは暑い日が続くとは思うが、もう秋はそこまで来ていると感じられることもある。
 エアコンもいらず、秋を感じられる夜になってきました。
 今晩はこの辺で終わりにします。
 では・・・。
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2019年08月25日

No643:神戸市の英断を応援したい

 先日、朝刊に “神戸市 人口減でもタワマン頼らず・・・中心部で新築禁止” という記事を目にして、「おやっ?」と思った。
 どこもかしこも、人口、特に若年層を増やせと言わんばかりに都市部では街の中心地であったり、交通至便の駅前にタワーマンションを建設し、郊外から人を中心部に呼び寄せようとしている。
 大阪市では大阪駅(梅田)、難波、阿倍野周辺にタワーマンションが何棟も建築され、郊外の住宅地から人口が中心部に流入し、タワーマンションは今までの一般的なマンションより速いペースで販売が進んでいる。
 京都市は高さ制限があるのでタワーマンションこそ建築されないが、市の中心部のマンションは戸数分だけ世帯が入っているかというとそうでもなく、他府県の人や外国人がマンションを所有して、祇園祭や大文字の送り火の時だけ滞在するという まるでリゾートマンションのように利用する人も相当な数にのぼるとも言われている。
 それぞれ形態は異なるがこういった大阪や京都の形が悪いと決めつけるつもりもない。ただ、街というのは年齢層も一定のばらつきがあり、一時入居のような住まいではなく、そこに住み着いてこそ居住空間としての価値があるように思う。
 仮に今、入居者の多くが40代であれば20年後には60代、30年後には70代の住民が暮らすマンションとなる。まして、このタワーマンションとよばれるものは300〜400もの戸数、中には500戸を超すものまで出てきている。
ということは一定の年数が経つとそこは老人だけが住む、老人専用マンションにもなりかねない。

 こんなタワーマンション全盛期に神戸市は逆の方策を打ち出した。
 2020年7月から神戸市のJR三ノ宮駅周辺22.6fで新築禁止。JR神戸駅や新幹線新神戸駅付近まで容積率を900%から400%まで落とし、実質 建築不可能な状態にした。
 これはインバウンド効果が大阪市や京都市ほどはなく、人口も他からの流入より市外への流出の方が上回り、人口減となっている神戸市の焦りともとれないわけではなかったが、今回の神戸市のとった措置は将来、大阪市や京都市が羨むような結果になっているかもしれない。
 とにかく、最近の行政や企業は目の前のぶら下がっている即効果が表れる施策に飛びつきがちで、それが20年後、30年後にどのような状態になっているかまでは見極めていないように思える。

 また、国会で話題になったカジノを含む総合型リゾート(IR)も大阪市、和歌山市、長崎・佐世保市、北海道等 いくつかの市や地域が立候補したり、その検討に入っているが、22日には横浜市も手を挙げ、候補地確定までにはかなり壮絶な競争が繰り広げられることが予想される。
 ただ、これも観光客誘致を含む経済効果を目的にしており、この議論の中には住民の暮らしやすさはあまりとり上げられていないようにも見受けられる。

 タワーマンションもIRもただ単に反対するだけというわけではないが、その地に今まで住んでいた人やこれから生活の拠点を構えようとする人にどれだけ恩恵があるのか疑問を抱えずにはいられない。
 そういう意味において、冒頭で述べた神戸市が打ち出した方針はまさしく住民本位と本来の都市機能の確立という点では結構、奥深く、将来まで見据えたものであるように思う。
 私は神戸市民ではないが思わず「がんばれ神戸」と応援したい気持ちになった。
 京都市もホテルや民泊ばかりが増えて、本来の都市が持つべき機能を住民が受けられていないという部分も露呈されつつある。
 私が住む京都市も目先のことだけでなく、もう少し先のことを考えていろいろな方針を打ち出してほしいものである。
 京都市民がいつまでも暮らしやすく、誰にでも誇れる市(街)であり続けられるように・・・。
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2019年08月19日

No642:実は夏が終わるのは寂しいんです

 今年のお盆を含んだ夏季休暇は事業所によってさまざまであった。
 最長では8月10日(土)〜今日 8月18日(日)の9連休の事業所もあったが、顧問先の多くを占めるクリニックはこの間でも13日(火)を診察日にされたり、16日(金)、17日(土)はもうお盆が明けたものとして診察をスタートされているところもあった。
 よくよく考えてみれば公的病院をはじめとする公共機関、それに金融機関などは暦どおりであったのでそういったところは当然のことながら13日(火)〜16日(金)は通常の営業(勤務)であった。
 とはいえ明日19日(月)は散髪屋さんのような月曜が休業(今の時代は違うのかな?)の事業所以外はお盆休暇明けとして通常営業の形が出そろう日でもある。
 私自身はお盆休暇中、今年はあるアクシデントにより当初の予定より1日多く16、17日の2日間 高校野球観戦のため甲子園球場に足を運んだ。
    アクシデントの内容はここで書くと長くなるので省略するが、やはり今年も甲子園はすさまじい暑さの中ですごく熱い試合の連続であった。関東から駆けつけた長男の嫁とお父さんは甲子園初参加ということもあってか、私以上に試合の中に入り込んでいっているのは隣にいる私にも伝わってきた。
 まあ、例年のこととはいえ 私にとってこのお盆の甲子園詣を終えると いよいよ忙しい秋、そして冬に向けての準備がスタートする。
 ここらでちょっと頭を仕事のことに切り替えるが、昨今 我々の業界も顧客(顧問先)獲得に力を入れる税理士も多く、事業所と税理士をマッチングするような有料の顧問先紹介会社のようなものも出てきている。
 新しく我が事務所の顧問先なるのは、ほとんどが現在関与している顧問先(開業医を含む)からの紹介であるが、それほど度々あるものでもない というか滅多にあるものではない。
 人から「紹介があっていいですね」と言われることもあるが、この紹介っていうのはある意味 日々の業務への取り組みや事務所の姿勢が試されているようで息が抜けないというのが本音である。ミスは当然のことながら、何か顧問先の方々のお気に召さないことがあれば、それはマイナス材料としていろいろな方面に伝わっていくという恐ろしい面も持ち合わせている。
 最近 税制をはじめとし、いろいろな制度の改革・改正があるが、そういった変更点を見落としたり、対応が遅れると大変なことになりかねないので常に目を光らせたり、あらゆる方面にアンテナを張っておかないと取り残されてしまいそうになる。
 新しい税制が発表されると、「それは新しい法律なんで・・・。」、「以前のもの知っていましたが新しい制度は今勉強中です。」、(若い人は)「まだ若くて経験が浅いので・・・。」という言い訳は誰しもしたいところではあるが、こういった逃げの言葉、避けるための言葉は職業上 許されるものではない。
 自分でも「あたりまえやろ」、「何を今さら言っているんだ」と言い聞かせてはいるが、これくらいの気持ちがないと夏から秋への気持ちの切り替えができにくいというのが本当のところである。
 夏の暑いのは確かに体に応えるが、私は夏の終わりよりも夏に向かって暑くなっていく季節の方が好きである。それは夏に向かう時期は、夏から秋に、そして冬にかけてじっくり腰を据えて何かに取り組むという時期と違って、汗はドッとかくが何かに縛られることなく自由な気分でいられるからである。
 夏から秋への気持ちと頭の切り替えのための期間、それが正にこれから9月までの2週間であろう。
 高校野球もあと準決勝と決勝を残すのみとなったが、この時期ワクワクというより何かしら寂しい気持ちになるのは夏の終わりが近づいているのを感じるからであろう。
 目の前に餌がないとなかなか体が言うことを聞かない年代になってきているので、次は何を餌に冬に向かおうかなと考えている連続休暇 最終日の夜である。
 日も変わったのでそろそろ終わりにして寝ることにします。
 では みなさん、おやすみなさい。
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2019年08月11日

No641:夜、ワンちゃんにお礼を言っている私

 一昨年の12月に私に確認や了解もなくカミさんがあるペットショップから連れてきた(買ってきた)ワンちゃんは、動物を飼った経験がなかった私は最初の数か月はかなり戸惑ったのも事実であるが、今では結構とりこになっている。
 家に動物がいない生活から比べると日々の生活も何かと制約されるし、大変だろうなと思っていたが、その世話にかかる以上に私の心を癒してくれているのは紛れもない事実である。

 今日は朝5時半に目が覚めるとポポタン(うちのワンちゃんの名前)も目を覚ましてウロウロしていたので、「よし、今朝はこのまま宝が池へ」と顔を洗って着替えるとすぐにポポタンを連れて家を出て、宝が池へと向かった。
 休日の散歩はいつもスロースタートなので8時半くらいに出発していたが、最近は8時半では既に結構な日照り状態で多分30度近くにはなっているように思う。
 いつもより随分早いので勇んで向かったが、池の畔で出会った顔見知りの人は、「今日もすごかったですよ、5時過ぎは。ワンちゃんのお散歩だらけで・・。」と6時過ぎに歩いていた私にそんな話をしてくれた。ワンちゃんのことを思うと涼しいうちに散歩を済ませて、あとはクーラーの効いた部屋で朝ご飯を食べさせてゆっくり休養させるのがこの猛暑を乗り切るワンちゃんの朝の定番のようである。私なんか今日は早いぞと思って出てきたがまだまだのようであった。

 今日は朝からカミさんも娘もいなかったので、家の中でポポタンが寝たり、目を覚ましたりするのを傍で見ながら、本を読んだり高校野球を観たりしていた。
 普段は日中には家にいないのでポポタンがどんな生活ぶりなのかはわからなかったが、今日は暑いからなのか、朝の散歩がハードだったからなのか とにかくよく寝るということを目の当たりにして少々驚いていた。
 昼からは知人のお見舞いに京大病院に出かけたが、その間 2時間くらいも間もまだ寝続けていたようである。
 夕方4時前には目を覚まし、部屋の中をウロウロしたりしていたが、家には私しかいないのが分かってからは私に相手をせよと言わんばかりにすり寄ってきた。
 私は3人の子供が小さかった頃、仕事が忙しかったこともあってほとんどなつかれた記憶はなかったが、こうしてワンちゃんといえどもすり寄ってこられると、無性にうれしくなってしまう。
 6時過ぎに出発し、北山通りから宝が池球技場をまわる夕方の散歩を終えて帰ってくると、今度は飲み物と食事の要求を私にしてきたので、カミさんが事前に用意をしてくれていたのをトレーに入れて出すと何ともうれしそうに私の顔を横目で見ながら一生懸命飲んだり食べたりしていた。

 毎日仕事をしている中では、数字をチェックしたり、顧問先の方との対応に多くの時間を費やしているが、こうしてワンちゃんと過ごしているとそういった数字と時間に追われている現実的なことも忘れられる最高の時と空間を与えてくれる。

 夜はカミさんと娘が帰るまでポポタンと過ごしているが、退屈なのか先ほども私にすり寄ってきたので、「今日は一日ありがとう。また2人だけでいような。これって結構 楽しいねん、お父さんは。心から癒されるし、人間と違っておまえはほんまに素直やしな。」と言って思わず抱きしめてしまった。

 ペットを飼いなれていなかった親父が55歳にしてはじめて飼ったワンちゃんと過ごすある休日の一コマで、「ワンちゃんも人間と同じように暑いんで何とかしてやらんと」と そんなことを考える自分自身を不思議だなと思う そんな休日でした。
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2019年08月04日

No640:「がむしゃら」って よくない言葉?

 私は50代半ばを超えているが、我々の世代以上の人にとってはこの「がむしゃら」という言葉は今まで何度も耳にした言葉と思われるが、最近はこの「がむしゃら」という言葉がいいようには思われず、聞く機会も段々少なくなってきているように思うし、学校や会社での教育の場においても、「がんばる」と同様、「がむしゃら」なんてナンセンスという風潮がある。
 これは人それぞれが個性や能力に応じて自分の納得いく形で物事に取り組むことが大事なことであって、自分の能力や限界を超えるようなところまでのがんばりは必要としない というか、“無理は禁物”というような考え方がいろいろな場面で取り入れられている。
 私自身、「がむしゃら」という言葉が決して嫌いなわけではないが、確かに自分の子供にも使ったことはほとんどないし、仕事でも古き時代には言われたことも言ったこともあったが、ここ数年は口にする機会さえほとんどない。

 実は今日、まだお盆ではないが私の勝手な都合で実家の墓参りに行ってきた。
 5年前に亡くなった父の墓から帰る途中で、父から今では禁句に近いこの「がむしゃら」という言葉をことあるごとに言われたことを思い出した。今から思えば、父の生き様を端的に表すのがまさしくこの「がむしゃら」という言葉であったように思う。
 「がむしゃら」という言葉を調べてみると、漢字では「我武者羅」と書くそうで(恥ずかしながら今日初めて知った)、
  ・一つの目的に向かって夢中で取り組むさま。
  ・後先を考える前に目的へと突き進もうとするさま。
というのがみなさまもご存じの言葉の意味である。
 亡くなった父が口にしていた「がむしゃら」というのは、決して無理をしてまで、自分の能力以上のことをするということではなく、自分のできる範囲で手を抜かずにやるように という意味だったように思うし、その言葉の中には、「お前がやることを親としてしっかり見守ってやるし、応援もするから」というバックアップやフォローする気持ちが込められていたように思う。
 私は全てのことにがむしゃらになれたかというとそうでもなく、中には手を抜いたこともいくつもあったし、たとえがむしゃらに取り組んでも結果を伴わないこともたびたびあった。ただ、脇目もふらずがむしゃらに取り組んだことは、期待したような結果が出なくても不思議と納得のいくものであったように思う。
 
 謙遜して言うわけではないが、凡人の私なんかはがむしゃらに取り組んでやっと人並みの出来で、レベルの高い人たちには振り落とされずに着いていくのが精いっぱいであるというのが本心である。
 年齢的にいつまでもがむしゃらになれるわけではないが、もう少し無理がきく間は、「増生、(達成)できるかどうかは別にして、がむしゃらに取り組んでみ。」と父に言われた言葉を頭の片隅に置きながら、仕事に、そして仕事以外のことにも がむしゃらにあたってみようとあらためて考えた。
 墓参りというのは墓に線香をあげ、手を合わせる単純な行為かもしれないが、墓の向こうから聞こえる声を感じることこそ墓参りする意味のようにも思う。
 本当はしっかりと墓も磨いて、花もきちんと準備しないといけなかったのかもしれないが、十分な時間がなかったこととあまりに暑すぎたことで随分 省略した墓参りになってしまったが墓の向こうにいる父のことをほんの少しでも思い出せたことで行ってきてよかったと思った。

 「がむしゃら」っていい言葉だと思うんだけど、無理を強いてはいけない今の世の中では多用したり、強要してはいけないようなので 他人には使わず、自分のためにだけにある言葉として大事にしていきたいと考えている。

 結果はともあれ がむしゃらにやった後って最高にすがすがしいんだけどな・・・。
 本当に難しい世の中になったもんだ。我々 中年のおっさんにとっては。
posted by ヒロイ at 23:50| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年07月28日

No639:この夏の楽しみ

 今年も例年どおり夏の甲子園が近づいてきた。
 今日も全国各地で16の決勝戦が行われ、京都もその中のひとつで9回の裏に逆転した立命館宇治高が出場を決めた。
お盆休暇を利用しての甲子園行きも15年程前から毎年のように子供がつき合ってくれていたが、数年前からは誰もつき合ってくれない年には一人で行くことも1、2度あった。
 今年も子供は3人とも仕事や自分の用事を優先して いっしょに甲子園に行ってくれそうになかったので、「8月16日に一人で行こうかな」と考えだしていたところ、神奈川県にいる長男の嫁が、「○○君(長男)はお盆も土日以外は仕事で無理みたいですけど、私は甲子園に行ったことないので一度行ってみたかったんです」と手をあげてくれた。長男が来る予定の2日前の15日から一人で私の家に遊びに来るが、その嫁と私と二人で甲子園に行くことは想像もしていなかったが、「行きたいんだったら、いっしょに行っみるか」と前売チケットを抑えようとしていたところ、その長男の嫁から「私の父も行ったことないんでいっしょに行ってもいいですか?行きたいみたいです、甲子園に。」と連絡が入った。
私は当初 一人で行く覚悟を決めていたのが、嫁と二人で、そして次はお父さんもいっしょにと 参加者が3人に増え、いつもと違うメンバーでの甲子園行きになりそうだと楽しみも何倍にもなった。
 甲子園には全く行くつもりのない長女に頼んで指定席券の発売日である7月23日の朝に8月16日の内野特別指定席3枚のチケットをとってもらい あとは8月16日の“本番”を待つばかりとなった。


 甲子園の出場をかけての各地の予選に目を向けると先日の決勝戦を投げずに終わった岩手県大船渡高の佐々木投手の160キロのピッチングや清宮の弟(1年生)がいる早稲田実業が敗退し、甲子園で見れなくなったことは多少がっかりしたが、現時点ではすごい選手、すごいチームと騒がれていない中から新たな逸材や観衆をとりこにするチームが出てくるのも甲子園ならではのことである。
    昨年だって、甲子園が始まるまでは金足農業なんていう高校はそれほど注目されていなかったが、1戦ずつ勝ち上がるごとドラマと歴史をつくっていった例だってある。
    まだ、出場が決まっていない県も30日(火)には最終の徳島県と愛媛県の決勝戦が行われ全ての出場校が決定する。
 私も私の周りにいる“甲子園おたく”とよばれる人と同様に毎日、全国各地の予選の全試合をチェックしてきたが、この毎晩の楽しみもあと2日で終わりとなり、いよいよ本番の組み合わせ抽選会を待つという より一層ワクワクする時期になってきた。
 私が予定している8月16日の試合はどこの高校の試合になるかまだわからないが、“甲子園おたく”にとってはそんなことどうでもよくて、あの甲子園で日常を忘れ、体ごと甲子園に浸ることが何にも代えがたい楽しみということである。
 それに今年は昨秋結婚した長男の嫁のお父さんまでもわざわざ参戦してくれ、また16日の夜は京都に戻って二人でゆっくり酒でもという計画もあるので8月16日が私にとっては特別な日となりそうである。
 まだ、半月以上も先の話であるがこれから暑い夏を乗り切るにはこれくらいの楽しみでもないとやってられなという毎日の暑さである。

 興味のない人からすれば、甲子園を楽しむことは不思議な楽しみに見えるかもしれないが、私自身なぜかこの時期になると毎年気持ちが高ぶってワクワクしてくる。
 実は目的とする甲子園に着いてからではなく、梅田の阪神電車に乗るあたりから何とも言えない高揚感があるのが自分自身でも感じられる。

 今年の夏はここまでぐずついた天気が続いたが明日からいよいよ夏本番という天気になってきそうである。この暑さも夏を楽しむためにあるもの というくらいの気持ちで8月を乗りきっていきたいと思っている。
    夏の暑さを避けるのではなく、いっしょに楽しむ?  そんな気持ちで。

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2019年07月21日

No638:大事なのは“出足好調”のあと

 2011年3月11日の東日本大震災でレールが寸断され長い間 不通になっていたJR東日本山田線(宮古・釜石間)がこの春に三陸鉄道に移管され、リアス線として3月23日に再開した。再開後は好調を維持し客足も伸びているとのことで、先日 「再開後3カ月、出足好調 三陸鉄道」という見出しで新聞にもとり上げられていた。
 また、福島県浪江町では福島第一原発事故に伴う避難指示が2017年の春に一部で解除されてから、念願であった初めてのスーパー(イオン)が開店し、帰還した住民や周辺に住む人たちでにぎわっていたという記事も先日目にとまった。
 こういった話を聞くと復興も徐々にではあるが進んできているんだなとうれしい気持ちにもなってくる。
 ただマスコミはこういった表の面というか、プラス面ばかり強調するが、ここまで通常の社会生活や経済活動からも閉ざされ続けていた苦労やこれからの運営というのがどれほど大変なのかにはあまり触れていない。
 確かにこの2つは復興の証として明るい話題には違いないが、じっくりこの内容を考えたり、もう少し中身を掘り下げた記事やコメントに目を向けると決して明るい未来が待っているというものではないことが分かってくる。
 
 まず三陸鉄道の方は、復興のシンボルとして、またラグビーワールドカップの会場である釜石市が沿線にあるということでも当面は盛り上がるだろうが、もともと人口減少地域であるし、冬の寒い時期は観光客を含む利用客数がどう変化していくのか予断を許さない状況であることにかわりはない。
 また、もう一方の浪江町には震災前には2万1400人の人が住んでいたが、現在 避難先から戻って居住登録しているのは1057人で震災前の5%にとどまる。果たしてこんな状態でイオンの経営は成り立つのだろうか心配になってくる。もちろん来店客の対象は浪江町に住む人だけでなく周辺住民も含めてという目算であろうが 今後 イオン側としても維持できるのかと考えてしまう。ただ、浪江町からのイオンへの家賃支援もあるし、それ以外にも震災の復興支援がらみで県、国をあげていろいろな援助があると思われる。
 これらを見聞きして私が思ったのは、最初はマスコミの露出度も多く、地域住民も”初物(はつもの)”の珍しさもあり利用者やお客様は一定の水準を維持できるであろうが、こういった“出足”から数年経ってしまうと果たして“出足”当初のような数字は維持しづらくなってくるのではなかろうかと危惧してしまう。
 公共であれ、民間であれ いろんな施設がマスコミでとり上げられ、先日も「オープンした山もふもとのキャンプ場は土日はほとんど予約がとれない状況となっている」と言っていたが、開業から数年もすると閑古鳥が鳴いていたりする施設を過去いくつもみてきた。私自実家の近くに20年程前にできた「道の駅」も、日本三景の天橋立まで15分という立地もあり、観光バスの立ち寄りやおみやげものを買う人で賑わっていたが、別ルートとなる丹後縦貫道が開通するとほとんど観光客は立ち寄らなくなり、そのあと数年で休館となった。確か今は地元住民の農産物直営所となっているようだし、平日は営業車(私も含む)の駐車場所となっている。

 私も顧問先を指導する立場として、新規事業の支援をするときはまず立ち上げ時に全力を注いでもらって最高のスタートダッシュがきれるよう後押ししているが、実は事業(商売)をする上では、この“出足”だけでなく、“第二の出足”というか、本来の“出足”とがいったん落ち着いた頃の次なる段階の方が大事と思えることもある。
 開業(開店)時が“出足好調”であってもそこで油断したがために、2年後には伸びの止まるお店やクリニックはいくらでもある。
 そういう意味においても、長く事業を続けていくためには開業時、3年目、5年目、10年目と節目ごとに常に緊張感を持って対処していった者だけが残って行ったり、いい数字を維持していったりするのであろう。
 そういう意味では気の休まる暇がない ということこそ商売の醍醐味であろうし、そう思わないと事業なんてやっていけない、これが開業12年になろうとしている私の出した結論出る。
 事業なんて最高の時を思い描くにではなく、最低の時を考えながら進めていってちょうどくらいであり、例えば、悪いうわさが経ったり、ライバル店が近くにできて収入が3割減ったとか、何かのトラブルでスタッフの3割が退職したとか、そんなことも想定しながら自分の事業に目を光らせる これこそまさしく事業というものであろう。
 いい時や上り調子の時なんてほんのわずかの期間、そう思っていてちょうどである。これこそ事業をする人の基本であるように思う。

 そろそろ終わりにしますが、予定していたより重いなってしまったことをお許しください。
posted by ヒロイ at 21:03| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年07月14日

No637:オリンピックに出れないのも運命

 待ちに待った東京オリンピックまで残すところあと1年となった。
 オリンピックと聞けば誰しも過去のオリンピックの栄光の瞬間をいくつか 思い出すだろう。その頭に浮かぶシーンというのは年代によってさまざまで、私なんかはロサンゼルスオリンピック(1984年)の陸上でカールルイスが100m、200m、走幅跳、そして400mリレーと4冠を獲得したのが一番印象に残っている。
 当時、大学の陸上部に所属していたからなおさらであろうが、ロサンゼルスオリンピックの後は、冗談半分とはいえ多くに陸上選手があのカールルイスをまねて手のひらをピーンとまっすぐ伸ばしながら走ったものである(私の周りの人の数人だけかな?)。
 1964年に開催された前回の東京オリンピックの時は、私はまだ2歳たっだので全く記憶にはないが、私の周りの人で ”東洋の魔女”、”マラソンの円谷”、”重量挙げの三宅”なんていうことをさぞ嬉しそうに語る人は年齢を確認しなくとも私より年上であることはすぐにわかるという ある意味、年齢や年代を表す指標ともいえるのがオリンピックである。
 2008年の北京オリンピック陸上 400mリレーで3位(後でジャマイカがドーピングで失格となり銀メダルへ繰り上げ)に入り、アンカーの朝原選手がゴール後にバトンを空に向けて投げたシーンはリレーのレースそのものよりも私の頭に焼き付いている。大学の後輩がこういった活躍をした後は我々OBもそれをネタに数年間は盛り上がったが、その後こういった選手を輩出できていないのでそろそろ出てきてほしいと願っているクラブ関係者は多いはずである。
 こうしてオリンピックに出場してメダルを獲ることを目標としている選手もあるだろうが、オリンピックで活躍する前にオリンピックに出場することも同じくらい大変で、いくつもの予選会という壁を乗り越えないといけないというのがオリンピックを目指す選手の第一関門であり、競い合いそのものであろう。

 やはりオリンピックは特別なもので、私がやっていた陸上でも世界記録を出すよりもオリンピックで金メダルを獲ることの方が難しいと言われるのが通例である。
    世界記録は優れた選手であれば場所や時を問わずいつでもどこでもチャンスはあるが、オリンピックは4年に1回で、しかも決勝で勝った1人しか金メダルを手にすることができないという運というかめぐり合わせも重要な要素となってくる。
 メダルを獲得できるかどうかは最終結果であるが、この4年に1回のオリンピックにめぐり合わせが悪くて出場できない選手も毎回何人か出てくる。
 その中の一人は残念で仕方ないが水泳の池江璃花子選手であろう。昨年のアジア大会では史上初の6つの金メダルを獲得し、誰もが東京オリンピックでの活躍を楽しみにしていただろうが、白血病という病魔が突然襲ったために東京オリンピックの出場は厳しいだろうし、本人にとっては言葉にならないくらい残念であろう。しかし、こればかりはどうしようもないし、今はとにかく一日でも早く病気を治し、日常の生活に戻れることを日本中の人が願っている。
 また、陸上では6月の日本選手権100mはサニブラウン選手の圧勝であったが、日本人最初の9秒台スプリンターの桐生選手と共にここまで日本の陸上界を引っ張ってきて、来年の東京オリンピックでは100mとリレーには出場すると思っていた山縣選手も6月の日本選手権の直前に気胸で欠場することがが発表されたが、こちら も東京オリンピックの前年に発病するなんて何ともついていないとしか言いようがない。
 昨年の世界選手権の床で金メダルを獲得した女子体操の村上茉愛選手も腰痛に悩まされ、 先日の日本選手権を欠場していた。
 ここで3人の選手を例に挙げたが、オリンピックに出るというのは実力以外のも何か目に見えないもの、大げさに言えば運命にも左右されているようにも思える。
 こういった壁を乗り越え、やっとの思いで代表に選ばれた者の中で、本当に金メダルが獲れるには各種目一人しかいないという、このすごい競争倍率こそオリンピックそのものであろう。

 来年の東京オリンピックに向けて各競技でこれから予選・選考会がたくさん実施されるであろうが、来年夏のオリンピック本番だけでなく、その前の予選会にも注目し、どういう過程を経て本番の舞台に立てたのかを知ることはオリンピックの本番をより一層楽しめることにもつながるだろう。
 スポーツには勝者と敗者が存在するが勝者の陰には必ず敗者というか、ライバルが存在していたことも忘れてはならない。
 輝くのは勝者であるが、見ていて感動させるのはなぜか敗者であるということも胸に刻み込みながら、この一年間の代表選考レースを見守っていきたいと思っている。
    何人かの敗者の気持ちも汲みながら。
posted by ヒロイ at 22:21| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年07月06日

No636:“死刑囚”と“死刑執行人”双方の苦悩

 いきなり背筋がぞっとするようなタイトルでびっくりされた方もいらしゃるかもしれないが、先日来 読んでみようと思っていた2冊の本が読み終わり、胸の中に何とも言えない思いが残っていてとれなかったので、あえて気持ちを整理もせずに今の気持ちをありのまま綴ってみることにする。
 まず、その本とは次の2冊である。
〇「ある若き死刑囚の生涯」(加藤乙彦・・筑摩書房/2019年1月)
〇「死刑執行人の苦悩」(大塚公子・・角川文庫/1993年5月)

 「ある若き死刑囚の生涯」の方は、2月の忙しいさなかに新聞の書籍紹介欄に載っているのが目に留まり即座に購入し、今まで買い置きしていた本である。
 1986年に24歳で横須賀線爆破事件を犯し、27歳の時 最高裁で死刑が確定、そして32歳で死刑が執行された純多摩良樹の事件犯行までの人生と逮捕後、死刑が執行されるまでの5年近くの刑務所での生活ぶりを描いたものである。
 事件の凶悪性が許されるものではないが、ここでは事件の真相や罪の重さにはについてはあえて触れず、この犯人(死刑囚)の心の変化についてとり上げてみた。。
 2冊目の本と合わせて考えてみても、私自身、死刑廃止論に積極的賛成でもないし、この死刑制度が取りざたされる時にいつも出てくる、「被害者の立場や心情を考えると・・」とか、「やったことの責任をとれ」という考えも理解できるが、この2冊を読み終えてみると心の中の軸が初めて死刑廃止論の方へ少しだけ傾いたのが自分自身でも認識できた。しかし、まだ、凶悪犯罪への抑止力という面でも、即座に死刑廃止まで行き着くには難題も多く、この奥の深い論題には私自身まだ入口に差しかかった程度の認識である。
 純多摩死刑囚は収監後、独学で短歌を学び、その後 獄中からの投稿では数多くの賞を受賞している。私の心にグサッときたこの死刑囚の心の変化を表した独房からの叫びともいえる作品を紹介しておく。


・一瞬に人を殺(あや)しめわが罪をおもへばこの身凍る思ひす
・偶(たま)さかの獄の集会席二つ空きてゐてわれの死期を悟れり
・わが希(ねが)ひ歌に託して詠みゆかん処刑さるる日近づきてゐむ
・屋根の上のつがひの鳩にも見られゐん獄にうごめくわれの姿は
・獄の壁に話しかくれば夜の更けを何か心にひびくものあり
・鉄窓に凭(もた)れて夜空を見放くれば小さき星がわれにまたたく
・陽のとどく位置に机をおきかへて死ねばならぬ心さだまる
・伸びすぎたる爪を剪(き)るとき母想う断ちきれぬ記憶のなかに構へて
・文鳥の飼育許され独房に互(かた)みにいのち悲しみ合ふ [独房で文鳥の飼育のみ許されていた]
 この本の中の数多くの短歌のうち2、3例を紹介しようと思っていたが、心打たれたものを書いているうちにこんなに多くなってしまった。

 死刑執行直前に「死にたくないよー」と大声を張り上げたり、暴れたりする死刑囚もいるなかで、この純多摩死刑囚はいたって落ち着き、死刑執行日が本人に告げられ、執行日前日の筆者(加賀氏)への最後の手紙では、このように綴られていた。
「加賀先生に最後のお手紙を、書かなければればならない日がやってまいりました。とうとう私に〈お迎え〉が参りました。数時間後の旅立ちに備え、こうしてお別れの筆を執っている次第です。・・・・・所長さんに、お世話になったお礼を述べ、握手をさせていただきました。・・・・・加賀先生にはくれぐれも、お身体をお大事にされますように。ほんとうにいろいろとありがとうございました。夕食しながら長く談笑してしまい、時間が長くなりました。  それでは、行って参ります」


 後の方の本は、拘置所で死刑を言い渡したり、実際に執行に立ち会った人の話であるが、これもまた苦悩の連続で、いくら仕事とはいえ人間が人間を処することで気がおかしくなった人もいるとのこと。
 死刑執行の時、死刑囚を目隠しする、手を縛る、縄を首にかける というのを3人でわずか数秒で整えなければいけない刑務所の執行官の役目。これは読んでいて人間の心をおかしくするのも当然だとも思えた。
 刑務官は日々死刑囚と接しており、中には更生して、罪を償いたいととか、「私はこれで償えるでしょうか」と訴えてくる受刑者もいたとのこと。中でも3人を殺害したある受刑者は、「殺してしまったのは3人なのに私一人にの命では償いきれない、やりきれない。」と訴えてきた死刑囚もいたようだ。
 あと、印象に残ったのは法務大臣が署名押印した死刑執行命令書に基づき、死刑囚に死刑執行(基本的には当日)を告げるのは刑務所の所長の役目のようだが、ある所長は死刑が確定した後、反省し模範囚に更生した死刑囚には、数時間後に執行される事実をこんな言葉でしか伝えられなかったとその時の苦悩を口にされていた。その言葉とは、『残念だが、お別れだよ。』

 後の方の本は最初は興味本位で読みだした本であったが、受刑者と同じくらい執行者も苦悩に満ちた人生を送っていることに初めて気づかされた重い重い本であった。
 また、やはり被害者側の心情をどう理解し、納得させていくかも今回の2つの本を読んで考えないといけないということもあらためて感じた。
 この2冊を読んで、私が心に刻んだのは、罪を犯すようなことはしない ということはもちろんであるが、命を大切にしないといけなということである。
 生きることの意義を久しぶりに考えさせられた良本であった。
posted by ヒロイ at 20:44| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする