2021年01月24日

No715:「コロナなんか関係ないわ」という無邪気さに救われる

 休日の楽しみといえば、愛犬ぽぽたんとの散歩であるが、平日はカミさんだけが散歩に連れ出しているので、たまにしか家にいない私の方への寄り付きは今一つである。
 正直、このような異常事態になると仕事での訪問や面談は少しは減ってきているが、なかなか人と会えない分、逆に確認作業が遅れがちで手間取ったり、メールでの問い合わせへの対応などに費やす時間が多くなり、仕事と向き合っている時間そのものは 通常の状態の時よりは明らかに増えてきているように思う。
 事務所自体も1月19日から一部を在宅での業務に切り替え、基本的には週2回の出勤体制をとっているので、誰がいつ出社するのかなと各人の出勤予定表を確認しながら仕事をせざるを得ないという なかなか不便な状態を強いられている。
 政府が要請している「会社への出勤7割削減」には及ばないが、できることは取り組んでいこうと、2月7日(日)までの緊急事態宣言発令中の間は上記のような措置をとっている。
 ただ、顧問先の方は通常の年より経営環境が悪化している中での確定申告であり、面談をご希望されている方については、感染防止策をとりながら できるだけご希望に沿うような形での対応で進めている。

 こういった何かにつけ気をつかったり、いろいろ考えても解決できないような現在の状況の中で、ぽぽたんは朝が来れば目を覚まし、散歩時間になると外に行きたそうにおねだりをしてくる。
 昨日と今日は天候が優れないなか、ワンちゃん用の雨がっぱを着せて散歩に行ってきた。
 雨の音がしているとついつい人間の方が、「もう少し待ってな」という気持ちになるが、ぽぽたんはそんなことはお構いなしである。
 でも、このお構いなしのところが、逆に人間の心を和ましてくれているのであろう。
 小さな子供のいる家庭でも、子供、特に幼児の場合には、親の思いなど関係なくいろいろな要望を言ったり、おねだりをしてくる。
 正直、子育て真っ只中のお母さんやお父さんたちにとってはこんな時、「忙しいのになんで今言ってくるの」ということの繰り返しであろうが、この相手の状況を顧みない無邪気なところが何ともいえない部分であろう。
 うちのぽぽたんも、「人間って朝から晩までコロナって言ってるけど私には関係ないわ。私は散歩して、ご飯を食べて、昼寝ができれば大満足」と言わんばかりに、人間の都合なんかお構いなしである。
 でも、この我々が生きている人間の世界では何一つ明るい話題はない中で、ワンちゃんのこういう態度はかえって救われるし、気持ちも自然と和んでくる。

 これから確定申告のシーズンに入り、通常の年であれば 「大変だけど、年に一回のこの時期 がんばらないと」と思わず、腕まくりするような自分があったが、今年ばかりは「何とか無事終わりますように」と思いながの繁忙期への突入である。

 これから春にかけて、コロナがどうなっているかは予測もつかないし、この一年を過ごしてみて、コロナに対する予測なんて全くあてにならないことは立証済みである。
 こういう時はあまり先のことを考え過ぎずにまさに淡々と過ごすことが一番であろう。
 “淡々”とは「あっさり。こだわらない。」という意味であまり自分には似合わない言葉のような気がするが、ここへきて“淡々”という意味の必要性が分かってきた。

 コロナの状況は全く先が読めない中、確定申告が終わるまではあれこれ考えずに“淡々”と過ごすことに徹しようと思っている。
 こんな時こそ、些細なことに一喜一憂せず、素知らぬ顔でいることが意外と重要で、ぽぽたんがいてくれて本当によかったと思えたコロナ禍の休日であった。
 それにしても本当に天気の悪い休日でしたね。明日は晴れるようなので、少しは明るい気分になれるのかな?
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2021年01月17日

No714:あんなスーツが着てみたい

 妙なタイトルの今日の話は果たして今の若い人に通じるのかどうか疑問がないわけではないが、我々の年代の者にとっては、いい(高級な)スーツは憧れであり、目標であったという 時代錯誤のおじさんの話としてサラッと目を通していただければ幸いです。

 スーツを着る仕事をする者にとって、スーツは普段着のようなものでありながら、「いつかはあんな(上等な)スーツが着てみたい」なんて考える、いわゆる憧れの対象物であったり、目標であったりしたものである。
 かれこれ35年以上も毎日 制服のように着ているスーツであるが、若い頃、顧問先で業績のいい会社へ行き、社長室で面談するとき、その社長の着ているスーツが艶がよく、何ともいえない光沢があり いかにも高そうなのを見て、 「あんなスーツを1回でいいから着てみたいな。自分が着たら似合わんけど いったいいくらするんやろ」と思ったことがあった。
 当時は青山やアオキのような量販店もなく 2、3年に一度 賞与が出たときに百貨店の安めのコーナーを探して新調したものである。
 持ち合わせの数も限られており、結構よれよれになるまで着ていたし、新調して間もない頃に職場の机でひっかけて、スーツが“重傷”を負ったこともあった。当時は今と違って仕事場の机は角がとがっていて、着ているものは引っかかったり、摺れたりすると イチコロ であった。
 前に勤めていた税理士事務所の所長さんもいつも素敵なスーツと派手さはないがおしゃれなネクタイをされていて、こういった着こなしってどうして身につくのだろうと若いながらも考えたものである。
 テレビにスーツ姿でよく出る筆頭は政治家であろうが、その中でも麻生さんや安倍前総理のスーツは、 「なに、あの高そうなの」と思いテレビを見ていたこともあった。
 以前、ある雑誌に麻生さんのスーツは50万円程するものと書いているのを読んでから、さらに麻生さんのスーツに目がいくようになった。

 でもこういったサラリーマンの憧れのようなものも、ある意味 コロナは消し去っていっている部分もある。
 職種によっては自宅で仕事をする機会が増え、それに伴って直接 面談することも減ってきているし、各業界の研修会や懇親会もほとんどないので、こういった正装の場がほとんどなくなってきている。
   見栄を張っていいものや高いものを身に着ける必要はないし、私自身 そういったものにそれほど興味がある方でないが、やはり男性でも女性でも、いい服が似合っているのを見るとうれしい気分になったり、時には羨ましくなったりもする。
 こういう機会は目の保養だけでなく、少し大げさかもしれないが、「あんなの着てみたい」、「あんなかばん欲しいな」というような欲望(これって物欲というのか?) が、自分の中だけに湧いてくるエネルギーのようなものであったりすることもある。

 まあ、こんな価値観は今の若い人には通用しないのだろうが、こういった何気ないことで刺激をもらうことも仕事や生活の中で 決して意味のないものではないと思ってる。
 私自身、いい車に乗って、大きな家に住もうなんては思わないが、今とは違う、就職=競争社会に身を置いていた あの20代、30代であった昭和から平成にかけての時代では 何かこういった目標がなければ、あの凄まじい激務なんてこなせなかったと思う。

 私はサイズが合わなくなったり、形や色を見て 「もう着ることはないな」と思った服を処分することがあるが、30年以上たっても捨てることができず残してあるものが一つだけある。
 それは就職して3年目の冬に賞与の大部分をつぎ込んで買った憧れのバーバリーのコートである。もうサイズも合わないし、20年以上も着ていないが、まるでお守りのようにクロゼットの一番隅っこに掛けたままにしてある。

 私自身 決してコロナのことを軽んじているわけではないのだが、マスコミ・報道は朝から晩まで「コロナ、コロナ」なので、ここではあえてコロナ以外の話題をと思って綴るようにしている。ただ、毎日の生活を振り返ると、必ずどこかでコロナのことを頭に置きながら行動している部分があるので どうしてもコロナ関連の内容が多くなってしまう。
 そんな中、今日は少し“脱コロナ”の話題を綴れたのでホッとしている。
 とはいえ、日々の生活では何よりも感染防止には最大限の注意を払って 過ごしいかなければならない。
 最後に一言、「みなさん自分の体は自分で守りましょう。」
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2021年01月10日

No713:“直感”って、意外と大事

 ここで綴るのは年始のあいさつの年賀状を除くと12月20日以来となり、本当に久しぶりの感じがする。

 タイトルで掲げている直感っていうと何だか根拠のない思いつきのようにも捉えられてしまうこともあるが、先日読んだ本には直感も立派な能力である というようなことが書かれていた。
 何かを決める時、最初に直感で「これだ」と思った後、「いや待てよ、最初にAと思ったけど、よくよく考えてみるとBの方もいいかも?」、「でも、いろいろな面から考えてみてもやっぱりAやな」なんて、いう経験は誰にでもあるはず。
 最初にいいと思った方に決めきれず、いったん別の選択も模索するが、結局は最初にいいと思った方に戻って、それしてしまうということもよくあることである。
 これは経営者として少し重要な判断をする時でも、最終的には最初に考えていたのが最良の判断と思えるようなことは度々ある。
 よくよく考えてみるとこの直感というのは、ただ単に当てものやくじ引きのように運に頼るというものではなく、その直感というものには今までの経験や自分の中に蓄積されている知識に基づく判断が入っているように思う。
 だから直感って捨てたもんじゃない というのが私の思いである。

 人を採用する時、2人の応募者と面接をし、さあ どちらを採ろうかと考えた時に 今までの雑念が頭をよぎり、「過去にもこのタイプの人を採用したが、後々 混乱の原因になったな」とか、「Aさんの方が能力の面からみると優秀だけど、やっぱり明るい感じのBさんも今のうちの会社には必要かな?」なんていろいろと悩んだ末、採用したが 「しまった、あっちにしとけばよかった」なんて後悔した経験は誰にでもあるはず。
 こんな時、直感と言えるかどうかは分からないが、「この子(人)といっしょに仕事をしてみたいな」と直感で思って採用した人の方が後々うまくいって、長続きしていることも多いように思う。

 ちょっと、話が横道にそれ、大きな話ではなく些細な話になってしまうが、外出時に昼食でお店に入った時、Aランチがおいしそうだが870円で、Bランチが800円だったとしたら、この70円に差に目がいってしまい、メニューの中身でなく、値段の差だけでBランチにしてしまうことがある。
 当然、年齢や懐具合によって この決定の下され方は様々であろうが、隣でおいしそうなハンバーグの付いたAランチを食べる人を横目に、「しまったAにしとけばよかった」なんて後悔したことは一度や二度ではない。
 逆にメニューの中身もあまり見ずに、ちょっと奮発して値段の高い方を選んでしまったが、よくよく見ると、安い方に好みのものが入っていたということもある。
 人生の岐路ともいえる進学や就職において、何を根拠に決定を下すのかは人それぞれであろうが、後悔するかどうかという点においては 直感で物事を決めた時の方が後悔が少なかったように思う。
 ただ、最初にも言ったようにこの直感ほど人間の能力が試されることはないのだろうなとも思われる。
 最良の判断が下せる直感力を磨くには、経験と学習の積み重ねが必要であるということのなるのであろう。
 最後にお付き合いする人や結婚相手は、多くの人がまさにこの直感に頼って決めているのではなかろうか思う。私がどうであったかどうかは別にして。
 直感以外の俗にいう後々の計算が頭をよぎると、足が一歩も二歩も後ずさりしてしまう。
 まあ、結婚なんて人生最大の賭けで、大当たりなんて言うことはまずはないし、大外れでなければよし、というくらいの気持ちでいかないと それまで他人であった人といっしょに生活なんてできないであろう。

 話がえらい方へ飛んでしまったが、いい直感が働くように 日々、何事にも頭や心を研ぎ澄まして生きていくことが大切なんだなと思うと同時に これからも直感に頼って物事を進めていけるくらいになりたいものである。
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2021年01月01日

No712:謹賀新年

 あけましておめでとうございます
 新たな年を迎え みなさまはどんなお正月をお過ごしでしょうか。
 今年も事務所の年賀状で新年のスタートをきらせていただきます。
 以下、事務所の年賀状より

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 

    謹賀新年  
 今から一年前のお正月は多くの人が今とは全く違う晴れやかな気持ちで新年を迎えられていたと思います。
 中には2019年のラグビーワールドカップで盛り上がり、次は2020年の東京オリンピックでさらに・・と期待に胸を膨らませていた人もいたでしょう。
 それが一転、2020年はあの憎きウイルスが日本だけでなく、世界中を奈落の底に突き落としました。
 こんな中、これからの一年は前進できずに立ち止まることもあるかもしれません。時には後退することだってあるでしょう。ただ、そんなことは全く気にする必要もなく、

  “焦らず” “腐らず” “諦めず” そして体と心が “健康” で過ごせたら十分でしょう。

 今後の予測や計画は立てにくく、どんな一年になるのか想像もつきませんが、今よりも少しでも世の中が明るくなるよう みんなで力を合わせていきましょう、誰しも独りぼっちではありませんから。
 これからも皆様方とともに歩んでいきたいと思っておりますので何卒よろしくお願いいたします。

      令和3年 元旦 


 〒602-0941  京都市上京区今出川通小川東入南兼康町334
        廣井増生

 URL:http://www.tax-hiroi.com
 Tel:075-406-7020 
 Fax:075-406-7025
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2020年12月20日

No711:雪の積もった故郷に元気づけられた

 先週の12/15(火)と12/16(水)は私の出身地である与謝野町を含む京都府北部へ毎月の定例業務ため訪問していたが、よりによってこの2日間はこの京都府北部の日本海側は雪が降っていて、車での移動中も時には横なぐりの雪が降りつけ、車のワイパーは休む暇もなく雪除けに大活躍であった。
 京都市内でも北に位置する北区や左京区は雪も多少ちらつくももの、道路に積もるような降り方ではなかったが、私が仕事で雪国へ向かうこの日はまるで狙い撃ちしたかのような雪降りの天気であった。
 今回の大雪は新潟県などでは高速道路で車が立ち往生したり、他にも積雪による被害が出ているので、雪が降ってよかったなんて言うのは、多少不謹慎かもしれないが、今回 仕事先で雪に遭って 少し心が和んだ部分がある。
 昨冬は暖冬だったので雪を目にすることさえほとんどなかったので、車のスタッドレスタイヤもほとんど活躍することなく、あまり冬を感じることなく春を迎えてしまった。
 日常生活を送る上では、暖冬の方がいいに決まっているが、先週の雪は久しぶりに故郷を思い出したというか、小さい頃はこんな中で、スキーやそり遊びをしたりをしたり、学校の休み時間には雪合戦で雪降りにも関わらず汗だくなったことを思い出した。
 その日も顧問先(クリニック)へ行くと 院長先生が駐車場の雪かきをされており、雪国ならではの苦労を目の当たりにしたが、私なんかはいくら大変だといっても今 毎日の生活に“雪”があるわけでもなく、こういった雪国の方は私なんかの苦労とは比較にならない程 大変なんだろうなと この先生の額の汗を見ながら感じた。

 雪の話をもう一つ。
 あちこちで雪かきしている人を見て、子供の頃 雪の降る朝 いつもより早く起き、スコップで道路の雪かきをし、通学路を確保してくれていた父のことも久しぶりに思いだした。
 雪の日の朝は目さまし時計ではなく、「ガガガガ―」という 雪かきをする父が持つスコップが道路をえぐるような音で目が覚めるのである。 それと、屋根に積もった雪が軒下に落ちてくる「ドーン」という地響きのような音、これが雪の日に目を覚ましてくれる音である。
 仕事で行った故郷でたまたま雪を見て、両親を思い出したという何ともセンチな話であるが、その父は既に亡くなっており、母も施設に入っているので、私と話をするのを楽しみにしていた親と話をする機会さえ今はもうなく 寂しい限りである。

 都会にいると、「温泉に行って雪景色を見ながら かに料理を」なんていう旅行のパンフレットを見ることもあるが、雪国育ちの者にとっては雪を見ながらお酒や料理を楽しむなんていう発想はなし、冬になれば雪というのは生活そのものという感じである。
 だた、私も地元を離れて40年も経つと 段々 昔のことは忘れてしまっているが、仕事とはいえ こうして雪に出会うことは、少し大げさかもしれないが、何か忘れかけたものを思い出させてくれる そんな気持になった。
 確かに雪道を運転するのも一苦労だったし、靴の中までも濡れてしまったが、故郷で雪に遭遇したことは、懐かしさだけでなく、なんとも言えないパワーをもらった気がした。
 また、いろいろな意味で、「いくつになっても自分の原点を忘れてはならないぞ」といって励ましてくれているような気がした。
 思わぬ雪であったが、やはり幼少期を過ごした所は、本人しか分からない不思議な力があるもんだなとも思った。
 私の子供たちは3人とも京都を離れて暮らしているが、将来、京都で祇園祭や大文字、それに鴨川を見ると何か目に見えぬパワーをもらうようなことがあるのかもしれない。
 いくつになっても故郷はいいものであり、温かさを感じられるありがたいものである。

 今年はコロナの影響でお正月に里帰りできない人も多いと思うが、ほんの少しの時間でいいので、故郷のことを考えることは決して無駄なことではないと思うし、きっと自分の原点がそこにはあるような気がする。

 今年も仕事するのは あと1週間。いいお正月を迎えられるように目の前にある やり残したことを何とかきりをつけたいと思っている年末の日曜日の夜である。
 明日も雪の降る日本海方面へ出張ですので今日はこのへんで。
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2020年12月13日

No710:社会人になって36年、今年は初めてのことばかり

 人生の大きな転機であった税理士事務所の立ち上げ、いわゆる独立開業というのは自分自身でも非常にインパクトが強く、ことあるごとに「開業〇年目」と自問し、事務所の軌跡を振り返ると同時に今後の事業展開について模索しながらここまでやってきた。
 今年の9月で丸13年を終え 現在14年目に入っているが、ここまでは、まさしく“暗中模索”の繰り返しで、一応、脇目も降らずに、横道にも大きくそれることなく 過ごしてきたので、時系列でいつ頃何をしたという記憶はほとんどないが、顧問先のリストを眺めていると、「あの時、あんな話をしていたな」とか、「あの時はヒヤッとしたな」というような出来事がいくつか断片的に思い出されてくる。

 今日、手帳やカレンダーを見ていて、1981年に社会人になった私は、この仕事だけを39年間も続けていたんだなとその期間の長さに自分自身でも驚いていた。
 我々の世代は、我が国の終身雇用や年功序列がまだ多少なりとも残っていた時だったこともあり、学生時代の同窓会やクラブのOB会名簿を見ると新卒で入った会社にそのまま在籍している者も結構いる。今の時代なら考えられないだろうし、若い世代にとっては、「それ何?」と、転職経験がないことをかえって不思議がられる時代になってきている。

 そんな中で、社会人36年目にして初めてのことがある。さて何でしょう?
 多くの方々も同じだと思うが、忘年会が一つも実施されない年末 ということです。
 昨年までであれば、もし 今年のような年末の形が目の前にあれば、世の中がおかしくなってしまうのではと思っただろうし、それ以前に忘年会のない年末なんて考えもつかなかったというのが正直なところである。
 ただ、年末に何もないこの状態が現実であり、もしかすると今後もこういった形はしばらく続くのかもしれない。
 私の人生の中では、学生時代の友人が40代の時に自殺したことも大きなショックであったし、阪神淡路大震災の時、あちこちでビルが倒れているところや東日本大震災の時、津波が襲ったあの光景は、災害とは一瞬にして目の前の現実を奪ってしまうということの惨さを目に焼き付けられた 忘れられない出来事であった。
 今回のコロナの感染拡大は一瞬にというわけではなく じわじわとではあったが、こんな経験は今までしたことがないし、これからどうなるのか全く予測さえもできない。
 よく年末になると「来年はこんな年に」とか、「これをしたい」なんていう想いを抱くが、今年はそういった想いが一向に湧いてこない。
 経営者として、また、経営者である顧問先を支援する立場として、こんな思いを持つのはどうかと思うが、これが今の正直な気持ちである。

 いつ何が起こるか分からない世の中になってしまったので、計画を立てるのがムダなのか というとそうでもないが、周りの状況によって予定どおりに進まない計画や「まあ予定どおりに行かなくてもしゃあないか」なんて思えるような計画なんて全く重みがない。
 決して無計画で一年を過ごすというわけではないが、計画や目標を立てる意味があるのだろうかとさえ考えてしまう世の中になってきている。
 ただ私自身、何か一つ指針のようなものがないと一年を乗り切っていけない性格なので、全てのことに対して 「ルーズにならずにきちんとしよう」 いうことを自分への約束として、1年を過ごそうと思っている。
 これって抽象的でつかみどころはないが、結構大変な心構えのようなものである。
 これ以上細かなことは考えないようにして、これからの1年を過ごそうと考えている。だって 何が起こるか分からないし、「36年目にして初めてのことばかり」なのだから。
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2020年12月06日

No709:コロナは季節感をなくしていく

 ここでも季節ごとの「休日の過ごし方」であったり、事務所で「この時期に取り組んでいる業務」をとり上げたことは何度のなくあるが、コロナのせいで各種の行事やイベントがほとんどなくなり、季節を感じる機会も随分減ったように思う。
 先週あたりまでは、紅葉が見頃であったのとGotoトラベルとやらで京都の観光地も賑わっていたようであるが、我々京都市民はこのコロナ禍においてあえて人の多いところに出かけるなんてことはしないし、どちらかというと今年の秋の休日は、家で過ごすことが多かった。
自宅の近くの宝ヶ池球技場でも、毎年恒例のように観戦に行く関西の大学ラグビーの試合は、実施はされていたものの、部員や保護者等の関係者以外は入場できなくなっており、観戦する機会さえも奪われた格好になっていた。
 季節感を感じにくくなっている理由は、秋に限って考えてみると、修学旅行生の激減、大学の学園祭の中止、地域の運動会や文化的な行事等、秋ならではのイベントと言われるものはほとんど行われなかったことにも起因しているように思う。
 また、12月になってからは職場をはじめ いろいろなグループで行われていた忘年会も全くないという状態で、いったい今 何月なんだろう なんて考えてしまう時さえある。
 私の仕事は各月ごとに法人の決算があったり、今の時期は年末調整、そして年明けからは確定申告期の準備、そして本番と くまなく日程が立て込んでいるので、仕事を通しては否応なしに季節を感じざるを得ない状況になっている。
 ただ、自然、その中でも気候変化というのは四季のある日本では、当然のことながら必然的に感じることができ、この時期になると「あっ、冬がくる。冬の準備を」ということで、コートを出してきたりする衣替えはどうしても必要なものとなってくる。
 また、当事務所は積雪の多い地域に数多く顧問先を抱えているので、12月に入ると車のタイヤをスタッドレスに換えないといけないが、今年は12月になっても気候が穏やかだったこともあり、すっかりこのタイヤ交換のことを忘れていた。
 先週、12月のスケジュール表を見ていて、12月中旬の訪問の時までには換えておかないといけないことに気付き、5台の車を順次変えるスケジュールを組んでいるところである。
 この一年を振り返っても、京都では三大祭(葵祭、祇園祭、時代祭)の巡行や鞍馬の火祭は中止となったし、大文字五山の送り火も各山に数点だけ灯をともすという 例年とは違って比較的静かな8月16日の夜であった。
 こうしてこの一年を振り返ってみると異例ずくみの年であったし、京都経済の中心的役割を担う観光・サービス業においては依然として非常に厳しい状況が続いている。
 私の事務所のある今出川通も烏丸から堀川まで800m少しの間に飲食店を中心に数多くのお店があるが、そのうち少なくとも5、6店はここ数ヶ月の間に閉められた。本来であれば大学生で賑わう街に大学生がいなくなるということは、学生を対象としていた店にとっては まさに死活問題であることを目の前で証明された形となった。

 今年も段々 年末が見え隠れしだしているが、何とか来年は元のようにとは言わないが、少しは光が差し、その光が少しでも強く大きくなっていくことを望むばかりである。
 お正月が近づいてくる12月の過ごし方や気持ちの持ち方も一年前とは大きく変わってきているが、何事もなく、健康で毎日を過ごすことこそが、大切であると感じる今年の12月である。
 コロナ、コロナ、コロナ 全てのことがコロナに関連付けられ、コロナのことを一日たりとも忘れたことのない、忘れてはいけない 本当に重い一年であった。
 年末まで1ヶ月を切ったが、何事もなく年末を迎えることができるようにと願うばかりである。
 では、みなさん まずは年末まで何とか乗り切っていきましょう。
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2020年11月29日

No708:理想の税理士って?

 税理士業務をしていると、顧問先の経営者の方とのやり取りは会計や税務のことが基本であるが、それ以外にも労務問題、継承を含む将来の構想や今後の事業展開等、相談の内容は非常に多岐にわたっている。
 そういった経営者とその顧問税理士との理想の関係はどんなものなのか、これについては十人十色というか千差万別というか、顧問先の方 一人一人によって求めておられるものに違いがあり、ご夫婦で運営されている場合でお二人の意見が異なることだってたびたびある。

 当事務所の顧問先には大企業はなく、中小零細企業や開業医がほとんどであるので、決算書を含む財務諸表や申告書に上がってくる数字だけの分析や説明だけでは経営者のニーズに応えられないこともある。
 個人や家族にとっての必要な資金であったり、親、ご本人、配偶者、子 それぞれの将来についての方向性の相談も数多くあるが、全ての経営者がそれを望んでいるかというとそうでない場合もあり、会社の財務数値のみきちんと把握するだけでよく、個人的な事情までは入り込んでほしくないと思っておられる経営者もないわけではない。
 我々顧問税理士であるので、当然のことながら経営者の心の中まで探りながら税務顧問の仕事をしているわけではないが、この辺の関わり方というか、深度について人それぞれによって違いがあるので非常に悩むことところでもある。
 ただ、どんな場合でも信頼関係があって、初めて我々の業務は成り立つので、この信頼関係の構築こそが命と言っても過言ではない。

 私もこの仕事をしてから今年で36年目、勤務先を退職し独立開業してから13年になるが、信頼関係を築くということは年齢や経験に関係なく、非常に難しく、時と場合によっては長い間保ってきたの信頼関係が一瞬にして壊れる(壊れた)ことだってある。
 税理士と顧問先との関係をあらためて考えてみると、一般的な商売とは大きく異なる点がある。
 上下の関係で物事をとらえるのはよくないのは分かっているが、顧問先の方々は税理士あるいは税理士事務所に顧問料を払うという点においては顧客であり、そのことだけをとらえると税理士の上に立つ人側かもしれないが、顧問先の方々が何か質問や確認をされ、それに対して教えたり、伝達している時には、その二者の間に“教える”という行為が存在するがゆえに、そこにはついつい教える側と教わる側という関係が存在することもある。
 この辺が仕事をしていて非常に難しく感じることでもある。
 ただ、上とか下とかいう関係でなく、深い信頼関係あれば、そんなもの上でも下でもどちらでもいいというのが本当のところであろう。
 そういった意味においても、我々の仕事はまずは正しいことを伝えること、それもできるだけ早く。また、自分の強みと弱みを自覚し、強みはより強く、弱みがもしあれば、それを弱みとはならないように努力をすること、それと顧問先の経営者の方の真の要望、つまり文書や口頭だけでなく、その経営者が胸の中にある重要な部分ををつかむという、非常に難しい技術と能力も必要となってくる。
 これらは学習だけでなく、更に自分というものを高めていかないとなかなか要望に応えられない部分である。
 こんなことを考えていると、税理士として顧客満足度を高めることは奥が深く、本当に難しいものであり、多分この仕事から身を引く時まで解決しえないことであろう。

 最後に我々、税法という法律を扱うという観点から、ここだけは超えてはならない線というものだけは、絶対に忘れずに業務に取り組んでいかないなとあらためて思った。
 なんだか小難しい話になってしまったが、「いくつになっても、どんな立場になっても、しっかりと仕事をしろよ」と自分に言い聞かせて今日の話は終わりにします。

 では、世の中が再びコロナで騒がしくなってきましたが、対策だけは各自で万全を期し、毎日をお過ごしください。
posted by ヒロイ at 19:39| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年11月23日

No707:前例のない中で生きていくには

 新型コロナウイルスの感染が再び拡大する方向へと進む中、世界中の国々が拡大防止への対応に追われている。
 我が国でも死亡者の数こそ欧米諸国と比べると少ない数字ではあるが、収まるところが見えないという点では、本当に我慢比べのような状態が続いている。
 そんな中、家族との外食や旅行を控えることはあっても、家に帰ると食事をとり、睡眠をとるという基本的な日常生活は大きな変化がないが、家から一歩出ると、乗物に乗ったり、買物に行ったり、仕事で出かける場合、そして休日の過ごし方などは、今までとは違ってあらゆる面で規制がかかり、もはや規制の中で生きていると言っても過言でない状況が続いている。

 今まで生きてきた中で自分自身で何かを考え、行動する場合でも多くの場合が前例に従って進めていけば大きな間違いは起こらなかったし、「あれっ?今までのやり方ではおかしいぞ」と思う部分だけ、自分なりに考え、新しい方法を取り入れていけばよかったのが、今やほとんど前例のない中で日常生活を送らないといけない状態になってきている。
 些細なことであるが、先日地下鉄に乗ると少し込み合っていたので、車両の中ほどの立っていた時、カーブや減速時に車両が揺れたが、今までなら周りの人に寄りかかるようなことがあってはならないと必死でつり革を握っていたが、今や誰が触ったか分からない そのつり革に触ること自体がよくないと言われていたことを思い出したので、足を仁王立ちにして踏ん張ったがやはり左側に体が傾き、隣に立っている人を押す形になってしまった。つり革さえ握っていたら全く問題はなかったはずだが。
 税理士同志のある会でも顔みしりの人も含め、メンバーの親睦を深めようと懇親会(実質食事会)、特にこの時期なら忘年会が実施されるが、今年はこういったことは一切ないので、新入りの人で顔を知らない方は知らないままで、名簿の中だけでの新メンバーの確認である。
 それ以外でも一年前では想像もつかなかったことが目の前にまるで当然のように広がっていっている。
 海外旅行には行けないし外国人も見かけない まるで鎖国のような状態、学生の少ない大学、そして身内の者が入院や入所していても顔も見にも行けない病院、介護施設。そんな中で都会暮らしの若い人が帰省しずらい状態はまさに田舎で暮らす老親にとっては体だけでなく、心までもが病んでいく状態になりかねない。
 今まで子や孫に「お正月は帰ってきて、おいしいものでも食べてゆっくりしいや。」なんて言っていたのが、今や「今度のお正月は帰ってこんでもいいしな」なんていうようなやり取りがあちことでなされているのであろう。私から見れば、本当に世の中“終わってる”状態になっている昨今である。
 こんな中では、今までどおり というのは通用ないし、今 自分は誰に対して何を どういう方法でするべきなのか 行動を起こす前に疲れるくらい念には念を入れて考えて動かないといけない。
 コロナが蔓延しだしてから春、夏、秋と3シーズンを経験してきたが、いよいよ初めて迎える冬である。
 本業の方でも確定申告期の税務相談への税理士の派遣は今回からなくなったが、申告をしなくてよくなったわけではないので、自力で申告書の作成が困難な方にとっては大変な状況である(一応、税務署員は対応する形になりそうです)。
 
 とにかくしばらくの間、前例のない中で生きていかなければならなが、今後数年後には今の生活が前例になっているのだろうか。
 入学式、卒業式、修学旅行、成人式、同窓会、結婚式、葬式、法事、親睦会(納涼会、忘年会、歓迎会、送別会含む)、研修会、スポーツ観戦にコンサート・・考え出したらきりがないが、何もかもが私の周りからなくなってしまっている。
 永遠にというわけではないだろうが、次に復活というか始まりだした時には、従来のものとは形を変えて戻ってくるのであろう。

 この歳になって適応するだけでも大変であるが、この変化は自分だけではないので と慰めながら生きていくしかないのでしょう。
 本当に何カ月間もの間、ぱっと視界が開けたことがないな とあらためて思い入った秋の夜でした。
 そろそろ寒くなってきそうです。こんな時です、体調管理だけは万全に。
 では、今日はこの辺で・・。
posted by ヒロイ at 20:03| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年11月15日

No706:”育児”と同様、避けて通れない“介護”

*「職場において労働者が関わる、会社の設備や体制、勤務時間、上司や同僚などの人間関係なども含めて様々な事柄を表す用語」
 実はこの説明文は、“職場環境”の定義(意味)である。
 一般的に「いい職場環境」とか、「職場環境が悪すぎる」なんていう言い方をするが、「いい職場環境」とは、一言でいえば「仕事のしやすい、仕事を続けやすい状況」のことを言うのであろう。
 会社や職場を選ぶ基準として、比較的若い年代にとっては出産や育児に支障のないということは重要なことであろうし、出産に関しても当然のことながら女性だけでなく、男性の方もどのように関わることができるのかも非常に関心の高いところであろう。
 また、転勤や配置転換の有無等、働く場所についても職場を選ぶ基準になるし、いくら給与が他の会社と比べて高かったとしても、こういった職場の環境が整っていないと働く人からは敬遠されることもあるだろう。逆に企業や事業主側もこういったことが他と比べて見劣りしているようではいい人材の確保は厳しくなってくるのは当然予測される。
 もちろん労働法規や就業規則ではこういった権利は当然のことのように守られてきているが、実態はどうかということが問題である。休みたい時、必要な時に休めるかどうかとか・・。

 我が事務所で働く人のお子さんも0歳から上は大学院生まで年齢も幅広いが、子供の年代ごとに必要とされる親の関り方はさまざまである。
 30代の男性社員は毎日子供さんを保育園に送ってから事務所に出社するようだし、病気の時には子供さんを病院に連れていくこともあると聞いている。
 また別に受験の後 大きな費用を掛けて進学されるお子さんを抱える方もいるが、こちらはこちらで子供へ愛情や労力をつぎ込むだけでなく、経済的な負担がドカッとか掛かってくるので、まさしく 「子供を学校にやるために働く」ということになるのだろう。
 今の時代 あまりプライベートなことは本人が口にしない限り、こちらから問いかけることはほとんどないが、今後はこの子育て以外にも親の介護(世話)ということも大きな問題になってくると思うし、当事者だけでなく職場としても避けては通れない問題になってくる、というか なってきているように思う。

 我が事務所には40代から50代の人も多く在籍しており、この年代に者にとっては 当然のことながら親の介護やお世話は日々直面している問題であろう。
 実際、70〜80代の親を抱える40代の男性社員2人の親御さんがこの2週間の間にどちらも病気のため入院されたと聞き、これからは仕事とこの“介護”との両立も非常に大変なことになってくるのだろうなと思った。
 このうちの一人は年明けに子供さんの中学入試も控えており、本当に体がいくつあっても足りないという毎日であろうし、まさに”子育て”と”介護”をダブルで抱え、当面の間、そういう毎日を送ることになるのであろう。
 私は施設に入っている母のことは気にはなるが、周りの人から比べると手を差し伸べないといけないという状況ではないし、施設とのやり取りは兄が仕切っていてくれているので、負担感はさほどないというのが現状である。
 共働きの若い世代の夫婦が子育てしながらも続けられる職場というのがよく話題になっているが、これからの時代、介護をしながら仕事も続けられる職場というのが魅力ある職場になってくるのかもしれない。
 法的には介護休暇は保障されてはいるが、私の周りではこの制度を使った人をほとんど見たことがない。しかし、これから職場選びをする上ではこの介護休暇の取得のしやすさも重要なポイントになってくるのかもしれない。
 当然 休暇を取得する権利があるが、こういった規則に掲げられているだけでなく、本当に必要な人が利用した実績が積み上げられることが重要である。

 これからの時代、誰しもが取り得る当たり前の休暇になるような時代になることが、日本の長寿社会を支えることにつながっていくように思うし、私もいつかは介護をしてもらわないといけなくなる日がくるので、他人事ではないのである。
 よく「子供や親族の世話にはならない」とみなさん口にされるが、そうはいかないのが今の日本の現状であることは誰しもが実感していることであろう。最後は施設に入って、そこで世話になったとしても・・。 
posted by ヒロイ at 21:02| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする