2018年07月15日

No584:暑い日でもワンちゃんといると気が晴れる

 今日も京都は38度を上回り、昨日に続いて体温以上の気温となった。
 事務所は3連休で、この暑さのなか汗を拭きながら顧問先に向かうことはなかったが、それにしてもすさまじい暑さであった。
 朝は ぽぽたん(我が家のワンちゃん)と宝が池へ散歩に出かけた。休日でこちらがゆっくりしていたこともあり、家を出るのが8時過ぎになったので、既に気温もかなり高くなっており、この時点で30度近くになっていたかもしれない。
 いつもは池を1周まわる間に何度か寄り道や休憩はするものの、それ以外は結構調子よく歩くのだが、今日はこの暑さのせいかなかなかか歩かなかった。
  そもそも家から宝が池にたどり着くまでには、きつね坂とよばれる急こう配の坂道を登りきる必要があるが、人間と同様、ぽぽたんもここで既に力の大部分を使い切ってしまったのかもしれない。確かに今日は常に舌を出しながら「はあはあ」と息づかいが荒かった。
 私は休日しかぽぽたんと散歩に出かける機会はないが、カミさんは朝と夜それぞれ違うコースで1日2回散歩に連れ出しているようで、今日、1時間半くらいいっしょに散歩をしている間、カミさんは数人の人から、「おはよう」、「ぽぽたん今日は暑いね」と声を掛けられ、これだけでも私と違った社交の場があるんだなと少しばかり驚いていた。
 池の畔には何ヵ所か屋根付きの休憩所があり、一番大きな休憩所の所で5人のお年寄り(70代?)が話をされていたが、犬を連れている私にも声を掛けてこられ、私もその中に混じって30分近くいろいろな話をしながら楽しい時間を過ごした。
 こんな経験はもちろん初めてで、これもぽぽたんのお蔭かなと、思わず頭をなでなでしたが、「いったい何のこと、私 何かした?」と私の顔をしげしげと眺めていた。
 平日とは違って、仕事のことには全く関係のないこの時間と空間は、1時間でも2時間でも無駄とは感じないし、めちゃめちゃすがすがしい気分にさせてもらえるひとときであった。
 ポポタンは帰り道は行き以上に歩くことなく、ほとんど抱っこしたままで家に帰ってきた。

 家に帰ってから昼までは本を読んだりしてゆっくり過ごした後、午後からは大学の体育会の記念誌「同志社スポーツの歩み」のクラブごとの事前打ち合わせ(編集長、出版社、クラブ代表者である私の三者)が大学構内であったが、ここは冷房がしっかりと効いていたので快適であった。ただ、車を停めていた事務所から大学までは近いとはいえ、片道7、8分程歩いて行くと顔と地肌むき出しの頭のてっぺんが暑いというより、痛く感じられるくらいであった。
 
 明日は朝から相続の遺産分割の親族会議に立ち会うことになっており、何とかいい方向で話がまとまってくれることを望んでいるが、こればかりは何とも分からない。
 日中も38度以上になりそうであるが、午後からは少し体を休める時間に充てたいと思っている。
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2018年07月08日

No583:なんとも心地よかった受付の対応

 6日(金)は前日からの大雨の影響で関西圏でも多くの交通機関が乱れていたが、この日は今秋に大阪でクリニックを開業(継承)する予定の女医先生との面談予定が入っていた。
 お互いの都合で、どうしてもこの日しか日程が組めなかったので、予定を変更することなくかなり早めに事務所を出発し、ダイヤ通りには動かないJRではあったが、何とか目的地にたどり着いた。
 実はこの先生は、現在はこの日に訪れたクリニックの雇われ院長をされていて、訳あってこのクリニックを引き継がれることになったという いわゆる継承開業の相談である。
 降りしきる雨の中 JRから乗り継いだ大阪の地下鉄を降りて、徒歩10分とHPには書かれていたが、初めての場所なので15分近くかかり、濡れた服をハンカチでぬぐってクリニックのあるビルに入っていった。
 約束の時間より5分程 早かったが、受付で院長先生と約束をしている旨を告げると、受付スタッフの方が、『廣井様ですね。雨の中 遠い所 大変でしたでしょう。院長より聞いております。お待ちしておりました。』とにこやかな笑顔で軽く会釈をして出迎えていただいた。
 こんな出迎え方 久しぶり。午前の診療も終わったところでホッと一息されている時だったかもしれないのになんとも丁寧なことと感心したと同時に、「これこれ、このサービスというか、相手を心地よくするってこういうことを言うんだ。」とあらためて感じた。
 開業医の先生方には、「医院経営もサービス業の一つである」と言われるのを嫌がる先生もいらっしゃるが、診察以外の部分はやはりスタッフの対応がどうであるかで患者側の気持ちも大きく変わってくる。 そういう意味ではこのクリニックの受付は間違いなく◎の合格点だなと思った。
 
 税理士業もある意味サービス業であり、いろいろな悩みや相談ごとの解決のために事務所にお越しになられたり、電話をかけてこられるが、私共の事務所がこういった相手様の気持ちを和らげたり、心地よくなられたりする対応がどこまでできているのか 帰りの電車の中で何度も自問しながら、この日 気分よくしてもらえた対応を再度思い起こしていた。大げさかもしれないが、雨で濡れたことや電車が混んでいたことすら気にならないくら京都までの帰り道が短く感じられた。
 今まで、何とも面倒くさそうな対応や何もしていないのにまるでこちらが悪いことをして怒られているような気持ちになったことがないわけではない。
 例えば、今回のような場面でも、『えっ、 どちらさんです? もう一度お名前を。 ところで院長と約束はされてました?こちらも忙しいので・・。』なんていう対応を経験したこともある。でもこれって、スタッフ個々の問題のように思われがちだが、やはり元をただせばトップ(クリニックなら院長)の姿勢そのものが、こういったことに表れてきているように思う。
 こんなことを考えていると、自分自身まだまだ足りないところが多くあり過ぎるなと考えさせられた大阪行であった。
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2018年07月01日

No582:相続・・亡くなった人の本当の意思は?

 年に数件、相続税申告業務の依頼を受けることがあり、その中で一番の関心は相続税がいくらになるのかということであるが、税額以外にもどのよう分けるのが賢い分け方かということも重要なポイントとなってくる。
 ただ、分け方というのはいわば遺産の取り分に他ならないので、相続人間で思惑が違う場合にはそう簡単に決まらないこともある。
 私自身が亡くなった方(被相続人)のことをよく知っている場合もあれば、私の顧問先の親御さんの相続案件で亡くなられた方に一度も会ったこともないようなケースもあるが、どんな場合においても遺産の分割については私自身は当事者でないので当然のことながら口をはさむことはない。
 中には、『廣井先生ならこんな場合、どうされます?』と問いかけられることもあるので、相続税額への影響については話をすることはあっても、遺産の分割そのものには基本的には発言しないことにしている。
 相続人全員が集まっての話し合いで分割の仕方が決まっても、第三者的な立場から冷静に各相続人の顔を見ると、納得している人とそうでない人がいるのが一目瞭然に分かることだってある。それはみんな口では、「特に異論はない。」と言った直後であっても・・・。それくらいいろいろな思いが交錯するのがまさに相続というものなのだろう。

 先日もある方の相続の相談があった時、私は亡くなった方とは面識がなかったのでその方の生き方や性格は分からなかったが、子供さん3人(40代〜50代)の中で誰がそのお父さんから一番かわいがってもらい、信頼してもらっていたかという話にまで発展し、方向性がなかなか定まらなかった。
 こういう場面に何度か遭遇すると、財産はやはり持っていた人がだれに、どのように渡したいかをある程度決めておいてもらうことの重要性が分かるし、それが話を一番スムーズに進ませることになるということは誰にでも理解できる。つまり“遺言書”というものを残しておいてもらうということである。
 人間 亡くなり方もいろいろあるが、どんな場合であっても死の場面では関係者が悲しみに打ちひしがれる。突然の死でなければ、遺言とまではいかなくとも一定の意思表示はできるが、これが突然の死であれば、その亡くなった人がどのように財産を分配しようとしていたのか その意思を確認できていない場合もあるす。
 相続税がかからないくらいの財産であっても、持っていた人の意思表示がなされていない財産について分けることは至難の業である。
 この仕事をしていて、最終結論までこぎつけて遺産分割協議が確定し、相続税申告書が出来上がった後でも、なんだか後味の悪い結末の場合と、相続人の顔からホッとした安堵の表情が伝わってくる場合とがあり、仕事が完了した私自身の満足度にも大きな違いがある。

 10年近く前のことであるが、依頼を受けた相続の仕事が全て終わった後に、『今回の相続の件は本当にお世話になりました。こんな形で収まって父も非常に喜んでいると思うし、我々 残された面々も納得した形での結論が出せてよかったです。』と言われた時のすがすがしい気持ちと達成感はいまだに忘れることはないし、こういうことを言ってもらうために仕事をしているといっても過言ではない。
 それにしても相続の仕事はいくら経験を積んでも、本当に難しいなと思ってしまう仕事のひとつであることには変わりない。
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2018年06月24日

No581:一つの過ちで会社は潰れる可能性だってある

 先日、税理士会の年間行事の骨格を取りまとめる委員会があり、総勢50人以上の委員が集まって各委員会ごとに打ち合わせを行った。
 例年この委員会のあとは懇親会(食事会)が催されていたが、今回は とある事情 により懇親会が中止になり、コーヒーを飲みながらの委員会が終了した後は解散となった。
 “とある事情”というのは、この会場となった(公共の)ホテルで先日、集団食中毒が発生し、茨城県から修学旅行に来ていた70人近い生徒と引率の教師が病院に搬送され、それ以降、ホテルの営業はしているものの食事の提供はまだ再開はしていないとのことであった。
 全国の修学旅行生の多くが訪れる京都でこんなことがあって、一京都市民として申し訳ないと同時に何とも情けなくなってくる。
 実はこのホテル、確かこの春にリニューアルオープンしたばかりで、事務所からも近いので宴会パック等のチラシが何度か入っていたし、味さえよければ一回利用してもいいかなとも思っていたのに、これで当分 というか、ほぼ半永久的に利用しなくなってしまったというのが私に今の気持ちである。

 この“事件”を経営的な観点から捉えると、一つの過ちで企業が苦境に陥ったり、最悪の場合、倒産したりすることだってあるという、リスク管理の大切さ、今回はその甘さを表したものであろう。
 これはどの業界でもいえることで、経営上 大きなプロジェクトであっても、あるいは一つ一つの細かくて小さな仕事であっても「これくらいなら問題ないか」という心の緩みやスキは絶対に作ってはならないということである。
 大きかろうが小さかろうが、どんな仕事でも緊張感を持って取り組んでいかないといけないし、もし、緊張感が保てないような疲れ切った状況になれば、無理をせずサッと仕事から離れ、リフレッシュする時間をとるようの心掛けなければならない。

 当事務所のとある顧問先で、3年前に脱サラして個人事業を始められ(事業内容は伏せておくが)、人も雇わず家族だけで切り盛りしながらも、少しずつ業績を伸ばしておられた事業所が、ここのところ業績の伸びが止まっててきたと事務所の担当者から報告があった。私より10歳以上も若い非常に頑張り屋の経営者で、今後、店を少しずつ大きくされるだろうと私も期待していたが、一年程前から一定の数字が挙がってくると何となく気が緩んだのか以前のような張りつめた様子もなく、何気なく日々を送っておられる感がある。そして、少しお金ができると 他のことにもお金を使いだされ・・・。
 46時中張りつめてた状態でいるのは無理にしても、事業を立ち上げ、まずは5年、そして次は10年と果敢に攻めるくらいの気概でないと どんな商売であっても 他からの攻勢にあうだろうし、いつしか埋没しかねないという恐ろしさがある。
 食中毒の話から横道にそれてしまったが、緊張感と念には念をと言われるくらいのチェック体制がどんな事業であっても必要だ ということである。

 当事務所も開業して11年になるが、まだまだ何が起こっても、襲ってきてもおかしくない という緊張感を持ちながら毎日の業務に取り組んでいかないといけない と思わされた今回の“食中毒事件”であった。
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2018年06月17日

No580:父の日に届いた思わぬ贈り物

 一人で家にいた今日の午後、インタホンがなり玄関先に出てみると宅急便の人から私宛の荷物を渡された。
 荷物は先日入籍した長男夫婦からで、開けてみると立派な木箱の中に 底に“増生”と名前が刻まれたグラスが入っていた。これは父の日のプレゼントということらしいが、お酒が好きで毎晩、寝る前には焼酎を水割りで飲んでいるのを知っているかのようなうれしい贈り物である。
 
 数年前に長女からは旅行土産と兼ねてお酒をもらったことはあったが、2人の息子からは、幼稚園の父親参観の日にクレヨンで描いた私の似顔絵をもらった以外には何かもらった記憶はないし、私自身、父の日はかやの外というか、正直「父の日やのにな?」と気にかけたこともなかった(自分の親には一応 贈り物をしていたが)。
 長男一人ではこんな気のきいたことはしないであろうから、やはり結婚して奥さんがいるというのはこんないいことがあるのかと父の日を通して、子供が結婚したことをかみしめたりしていた。
 2人の都合で披露パーティーは10月に横浜ですることになっており、実は10月のこの日のことが、今 私の一番の楽しみである。結婚式場はホテルではないので宿泊はできないとのこと。ちょうど横浜に以前から一度泊まってみたかったホテルに泊まれる絶好のチャンス と早くも予約を入れておいた。

 カミさんの両親はそれぞれ60代と50代で早くに亡くなられたし、私の親も残っているのは施設に入っている母だけなので、父の日や母の日に何かを送る機会もほとんどなくなってしまったが、今回の件では、「次はこういう順番か」と歳をとったことをいい意味で実感した休日でもあった。
 
 我が家は決してイベント嫌いというわけではないが、実は今まで家族間ではイベントというものを特段取り上げたことはなく、子供が小さい頃 誕生日にケーキを買うくらいで、結婚記念日も夫婦間で誕生日のプレゼントも30年来一度だけしかしたことがなかった。
 ここで一度だけと言ったのは、多分 カミさんは覚えていないだろうけど、結婚して1年目か2年目に花屋さんから花を届けてもらったことがあったが、カミさんから、「この花屋さん高いやろ。もっと安い花屋さんもあるのに。」と言われ、私はカチーンときてそれ以来一度も物を贈ったことがない。この発言は、私が安月給だったので切り詰めた家計のやりくりの中から出た言葉か、実は照れ隠しだったのかいまだに謎のままであるが、この日以来、贈り物をしない夫婦になってしまった。正直、助かっているが・・。

 何はともあれ。子供が結婚したことによって我が家に今までにはない新しい風が吹いたことには変わりがない。
 まだ、少し早いが今晩、このグラスでお酒を飲むのが楽しみでならない。
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2018年06月10日

No579:やっととれた休日こそありがたかったが

 これからする話は、今の時代の働き方改革とか休日増加論とは逆行する部分もあるので多くの方から批判を受けるかもしれないが、そのことも覚悟の上、自分なりの考え方を述べさせてもらう。

 そもそも、“海の日 論議”というのが、今回、「あれっ?」と思った発端であるが、実は私が社会人になった頃は海の日なんていう祝日は存在しなかった。
 1996年(平成8年)に制定されたこの海の日って何の記念日なのか調べてみると、明治天皇が東北巡幸の後、船で横浜港に戻った日 ということのようである。 実は私も初めて知ったし、この由来を知っていた人はほんの一握りの人でしょう。
 その後、土曜日を含む3連休を作り出すために月曜日まで休むハッピーマンデー制度に伴って、この海の日がいつの間にやら7月の第3月曜日になったというのである。
 こういった、3連休創出はどこまで必要なのかということであるが、私自身も3連休があると心も体も休まるのは事実であり、楽しみでもある。ただ、一体 祝日ってなんだろうとこの議論をみていて思ってしまった。 海の日だけでなく、1月第2月曜の成人の日、9月第3月曜の敬老の日、それに10月第2日曜の体育の日と年に4回あるハッピーマンデー制度であるが、私個人としとは成人の日は1月15日、そして前回の東京オリンピックの開会式の日でもあった10月10日の体育の日は、固定的な方が意味合いも深まるような気がする(こういった考え方自体が古いのはよく分かってはいるが)。
 もう一つついでに言わせてもらうと、山の日は8月11日で固定であるが、これはお盆休みをここからスタートさせなさいという意味での固定なら、12日も休日にしないとお盆休暇は連続しないと思うのだが。

 こんな祝日のことで熱くなっても仕方のないこととはわかってはいるが、実は今国会で議論されているカジノを含む統合型リゾート(IR)実施法案も含め、いつから日本は遊ぶことばかり考えるようになったのか と不安にもなったというのが偽らざる心境である。
 話がちょっと横道に知れるが、この法案の中身について、「カジノの入場回数制限は週3回、月10回とすることで自民、公明党の両党は合意に達した。入場料は2000〜5000円の範囲で検討に入った。」 という記事を見ると、日本も世の末と思うのは私だけではないはず。 カジノに賛成とか反対とか言っているのではなく、なぜ、こういった個人の趣味・娯楽にまで国が制限をしたり関わったりしないといけないのか、そこまでして国民に“カジノ遊び”させたいのか? 日本は何が何だかわからないまま レジャー推進国家になろうとしているのか。
 
 話をもとに戻すが、祝日が増えることは私も基本的には賛成であるが、意味や起源も分からないような祝日をただ単に増やすのではなく、人それぞれがその人に合った、あるいは必要に応じて休暇をとれる制度こそ大事なのではないかと思う。
 もっと言うと、いろいろなことをやりくりしながら、個人的に3連休や4連休を作ることこそ休日の喜びのような気がするし、週半ばの水曜日一日の休日だって楽しみな人もいるだろう。
 子どもが小さい頃、夏の平日に富士山へ行ったり、春に温泉へ行ったりしたことは、苦労してとった休日であったからこそ有意義で、今でも いい思い出として残っている。

 今の時代に合わない話の内容で、「廣井はやっぱし仕事が好きなんや」と思う人があれば、それはそれで結構。 でも、こんなことを思っている日本人がいてもいいのかなと思える休日論議である。
posted by ヒロイ at 17:36| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月03日

No578:久しぶりの小旅行

 ここでも何回か紹介させてもらっているが、昨年の12月半ば過ぎに我が家に初めてのペット(ワンちゃん)がきて半年が過ぎようとしている。その後、年始早々カミさんの骨折による手術・入院、1月後半から3月前半にかけては恒例の確定申告、そして春からは相続税の申告や新規開業の支援等 何かとバタバタしているうちに気がつけばもう6月になってしまっていた。
 こんな状態が続いていたので、趣味というか一番の楽しみである旅行も昨年9月に出かけて以降どこにも行っておらず、また、ワンちゃんが来てからは今までのように思いたったら即 計画・実行 というわけにはいかないこともあり、お正月、5月の連休も近くに食事に行くくらいで遠出をすることもなく今日に至っていた。
 こんなことを考えている時にジャストタイミングで、関東在住でワンちゃんを長く飼っている知人から 露天風呂もあり、料理もおいしく、しかもペットも泊まれるホテルが6月に関西地区で初めてオープンするという情報を教えてもらった。
 ただ、関東では人気のある系列ホテルとのことなので予約なんてとれそうもないだろうな、しかも15室のみのペット同伴ホテルなのでと半ば諦めながらカミさんがネット予約を試みたところ、運よくオープン2日目にあたる昨日の予約がとれ泊まりに行ってきた。
 ただ、大げさに旅と言っても、実は自宅から車で1時間半くらいで行ける滋賀県の長浜にオープンしたホテルである。
 長浜には顧問先があるので仕事では何度も行ったことがあるし、この周辺の米原や彦根にも仕事でいく機会も多いので決して珍しい所ではないが、このホテルは部屋の中でペットは自由に動き回れ、そして我々は部屋で食事がとれ、しかも温泉もあるという ちょっと羽根を伸ばすにはちょうどよく、昨日(土曜日) 長女の仕事から帰ってくるのを待って午後3時前に家を出発した。

 実は、長浜には仕事で行くことはあってもゆっくりと食事をしたこともなく、駅前のラーメン屋さんで昼食をとるくらいで、街中を歩いたことさえ一度もなかった。
 今回は近場ということで、移動も大した時間がかからずホテルに着いてからは夕食後にも、そして今朝の朝食前にも長浜城周辺と琵琶湖の畔を散歩することができ、日頃 時計とにらめっこしながら過ごしている私としては別世界のような時間と空間であった。
 今朝はいつものように1人早く目が覚めたので隣接している旅館の大浴場へ行くと男湯は私だけで琵琶湖を眺めながら露天風呂につかるという これまたまさしく至福のひとときであった。
 ワンちゃんもまだ1歳にも満たないし、我が家も決して飼い慣れているとは言えないので京都では公園などに行ってもなかなか自由に駆け回ることもできないが、このホテルの前には小さいながらもドッグランの施設もあったのでうちのワンちゃんも他のワンちゃんといっしょに駆け回り楽しそうであった。

 遠出するとなると電車や飛行機の予約も大変だし、仕事のことも気になるが、こうして土日に近場で息抜きというのもなかなかいいもので、フラッと行ってサッと帰ってくる小旅行は旅の支度もほとんどする必要もなく、ある意味 本当の骨休めになったなと思った。
 次の旅はいつになるのか分からないが、こうして非日常の時間と空間に身を置くのは、慌ただしい毎日を過ごしている現代人にとって非常に意味のあることなんだなと あらためて感じさせられた休日であった。
 今日は昼の2時過ぎに帰ってきたが、一番疲れたのはわれわれ人間でなくワンちゃんのようで、家に中の窓際の涼しい所でずっとウトウトとしている。
posted by ヒロイ at 19:06| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月27日

No577:丁寧さを欠いた対応をしていると・・・

 勤務税理士から独立開業し、自分の税理士事務所を立ち上げてから丸10年が過ぎ11年目に入っているが、最初の頃のひたむきさに欠けているなと自分でも反省するようなことがあった。
 日々仕事をする上で日常的に顧問先の経営者の方や事務所の運営上必要な各方面の方々(この中には一般的に“業者”と呼ばれる人も含む)と面談する機会があるが、この中でも顧問先の方以外の人との面談の仕方が荒っぽくなってきてるなと反省することがある。
 面談の仕方が荒っぽい とはどういうことを言うのかというと、必要性や緊急性が低い人との面談には十分な時間をとらずに サラッと終わってしまうことである。
 当然、開業当初と比べると組織も大きくなり、対外的にも以前より幅広い範囲に渡って把握するべき事柄が増えてきているので、サラっと終わることもある意味必要不可欠な状況なのかもしれないが、私自身の気持ちの中で、「今日のこの人はそれほど時間をとらなくていいな」と勝手に判断し、時間を削る行動に出ていることがある。
 開業当初は誰かと会うこと、また、話を聞くことの中にビジネスチャンスが潜んでいないかと思って時間の許す限り とにかく積極的にいろんな人と面談するようにしていた。事務所のスタッフも 『所長、よくそこまで人に会いますね、これだけ面談していたらいくら時間があっても足りませんよ。もう少し、会う人を絞り込んだほうがいいように思うんですが・・・』と言われたことがある。
 ただ、今回は自分自身も反省する必要あり と後になって思ったことがある。
 一昨日、今まで一、二度ではあるがいっしょに仕事をしてきたある業者の人が転勤となり、新しく担当になられる方を連れてあいさつに来られたが、私の方に十分な時間がなったこともあり、立ったままで名刺交換を終え、時間にして2、3分程でその引継ぎのあいさつは終わった。
 確かにゆっくりと時間がとれない状況ではあったもののわざわざ時間を作って当事務所の方まで足を運んできてくださったのに、愛想がなかったなと帰られた後に私自身、反省と何か申し訳ない気持ちが残ったままとなってしまった。
 
 今回の場合“一期一会”というような大そうな話ではないが、逆に私自身が出向いて行って丁寧な対応をされるのと、相手の方に時間がないとはいえ 立ち話で終えられるような対応をされるのとでは後々の印象がガラッと変わってくる。
 自分自身が丁寧な対応をしなかったために後味が悪く思うくらいなら、なんとか時間のやりくりをして、今までの感謝の気持ちも もう少しきちっと伝えておくべきだった。
 事業をしていて、その事業がいい方向へ向かうのかそうでないのかは、仕事の中身そのものが一番大切なのはわかるが、それ以外に、「何とかしてこの人の力になろう」と自分の味方や応援してくれる人が自分の周りにどれだけいてくれるのかが、事業が成功するか否かの分かれ目のような気がする。
 そういう意味では人との出会いとともにその人とのいい関係をいかに続けていくかが大事なように思う。そういう意味においては私の周りにいる人を大事にすることが何よりも重要なことなのに と一昨日の自分の行動をあらためて反省せざるを得なかった。
 「開業当初の気持ちを忘れずに」という言葉こそ、今の自分に必要な言葉なんだろうなと感じた。
posted by ヒロイ at 20:48| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月20日

No576:恥ずべき行為

 人間なら誰しも大なり小なり恥じらいというものがあるはずだ。
 恥じらいというのは、「恥じらいのある若い女性」というように、多くの場合、男性より女性に使う場合が多いが、この“恥” あるいは、“恥ずかしい”ということは日々生活する上で非常に大切であり、自分を飾ったりすることなくできれば、まさに人間力を高める要因になるかもしれない。
 自分が考えていることを着飾ることなくそのまま行動に移すことは、ある意味 最も素直で人間らしいのかもしれないが、やはり多くの人の中で生きている我々は多少なりとも恥ずかしくない行動をとろうと心掛ける。
 最近の犯罪やセクハラ、暴行等の多さとこのことを結びつけるのは犯罪心理学を学ぶ人からはあまりにも短絡的で早計である とご批判を受けかねないが、やはり何をするにしても(事件になるような犯罪でなくとも)、「ちょっと待てよ」と自分の今の立場や周りの人たちの顔を思い浮かべることで歯止めがかかる部分はあると思う。
 ただ、街中で見かけるちょっとした問題のある行動、例えば、たばこの吸い殻を下水に捨てる、駅のトイレにガムを吐き捨てる、電車やバスを並んで待っているのに何食わぬ顔で横からサッと割り込んでくる、あと、交通ルールでいえば自転車の二人乗りやバイク(単車)のノーヘル等 考え出したらきりがないが、今の時代、見知らぬ者が注意なんかすると何をされるか分からないのでついつい見て見ぬふりをすることに慣れてしまっている自分に嫌気がさすこともある。
 
 でも、人が見ていなくともやってはいけないことはやらない という気持ちをどこかで持っていれば多くのことが防げるし、私自身、いつかは廻りまわって自分のとこに跳ね返ってくるような気がする。
 少し怖い話だが、何年か前 実家の近くを車で走っていながら 私はとても忙しかったので、当時私に会いたがっていた年老いた両親に会うことなく素通りをして京都まで戻ってきたことがあった。「いつでも会えるしええか」と軽く思っていたが、実はその次の日、仕事でミスを犯し顧問先の方から大目玉をくらったことがあった。
 結果としてそのミスそのものは大事に至らなかったが、やはり、「できることはやらんと神様は見ている」とぞっとしたのを覚えている。
 私はこれ以来、「もうええか、誰も見てへんし」と思って、あまり好ましくない行動をとることが怖くて、「人間は見てへんけど、神と祖先はどっかで見てるんちゃうか」と思うことがある。
 かといって、日々の生活で昔の道徳の教科書(← 50歳以上しかこの意味わからんやろけど)に出てくるような行動ばかりとれるはずもなく、時には“ズル”をすることだってないわけではない。 でも、この“ズル”と言われるくらいの些細なことであってもそうして手に入れたものには喜びも大したことないし、逆にむなしさだけが残ってしまうこともある。

 何だか今日は偉そうな話になってしまったが、ついつい 人が見ていないところでは“ズル”しそうな自分がいるので、自戒の念を込めてこんな話の流れになってしまった。
 今回の内容、本当の自分でない部分もあり、かなり恥ずかしい内容になってしまったことをお詫びして終わりにします。
 どうか、お許しを。
posted by ヒロイ at 19:54| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月13日

No575:多すぎる税制の改正

 「税制を抜本的に見直す」、「社会の変化に適合した税制を」、「国際的にも通用する税にしくみを作り上げる」というようなうたい文句で首相をはじめとし、国会議員や経済会からの提言等がマスコミでよく取り上げられているが、この税に関する改正が非常に多くなってきているように思えてならない。
 もちろん時代にマッチしない古い制度のものは早く見直す必要があると思うのだが、最近の改正を見ていると、一つは国会や選挙での駆け引きに使われている、つまり、票に結び付く制度に目がいっているように思う。そして、もう一つは納税者やその指南役(我々税理士もその一人かもしれない)が税制の抜け穴にうまく目をつけ脱税にならないまでもすれすれの節税策として提案されたり、対策を立てていることに対してすぐさま規制がかけられる傾向があるように思える。
 後者の方は我々税の専門家から見てもヤバい対策と違うの? と思えるようなものに対してはやむを得ないが、前者の選挙目当てとしか思えないようなものも改正項目には散見される。
 ただ、どういったきっかけであっても法律として成立したものは、その範囲内で対処していかないといけないといけないので、常に頭の中で“改正税法”がくるくる回っている。というのも、最近はこの手の研修会もたくさん催され、時間を調整しながらできるだけ参加するようにはしているが、改正の内容はもちろんのこと、その改正がいつから適用になるのかをきちっと抑えておかないと、よく似た内容であっても適用年度を間違うと大変なことになる。そういう意味において、この改正は今期からだっけ、それとも来期からか? ということを確認する回数が年々多くなってきているので、机の上に立てかけてある研修会の小冊子が必要不可欠である。
 そういう意味においては決算・申告の作業以外に調べものをする時間も自ずと多くなってきているように思う。

 私共の事務所の顧問先に多い医師であっても、あるいは専門職と呼ばれる弁護士や社会保険労務士であっても、ビジネスとしては人当たりもよく、依頼者の相談に親身になって耳を傾けることが必要とされることではあるが、その次にはきちんと、つまり正確に、そしてできるだけ依頼者のご希望に沿う形で対処できるかどうかが力の見せどころであろう。
 そういう意味ではこの仕事をしている以上は、いくつになっても新しいものを理解し、頭の中を整理しておかなければならない。
 こんなことを考えていると何だか重い気分になってくる部分もあるが、常に頭を使う機会を与えられている、つまり、お払い箱にならないように研修の場が設けられているんだなと考えながら研修会場へも足を運んでいる。

 今回は久しぶりにまじめな話になってしまったが、我々の仕事も結局のところはお国に振りまわされながらやっているんだなとつくづく思う今日この頃である。 
posted by ヒロイ at 18:22| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする